大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

額縁をくぐって物語の中へ/世界の名画〜美の殿堂への招待〜

【題名】(1)額縁をくぐって物語の中へ「グスタフ・クリムト“接吻”」     
    (2)額縁をくぐって物語の中へ「グスタフ・クリムトベートーヴェン・フリーズ”」
    (3)世界の名画〜美の殿堂への招待〜「黄金の画家クリムトと世紀末の女たち オーストリア美術館」
【放送】(1)NHK−BSプレミアム
       平成24年2月6日(月)15時45分〜16時00分
    (2)NHK−BSプレミアム   
       平成24年2月7日(火)15時45分〜16時00分
    (3)BS朝日
       平成24年12月5日(水)21時00分〜21時45分
【司会】ふせえり池田鉄洋
【感想】
最近、オーストリア(ウィーン)で華開いた退廃的なムード漂う世紀末芸術にスポットライトがあたっていますが、NHK−BSプレミアムの「額縁をくぐって物語の中へ」とBS朝日「世界の名画〜美の殿堂への招待〜」で、今年生誕150周年を迎えたグスタフ・クリムトを採り上げた番組が放送されたので観てみることにしました。

先ず、クリムトの代表作で“世紀末の一枚”と言われる「接吻」です。クリムト自身と恋人エミーリエをモデルに描かれた本作ですが、黄金のドレスに身を纏った男性が崖っ淵に跪く女性を優しく抱擁して接吻しているこの絵の恍惚感に心を奪われない人はいないと思います。当初のスケッチでは女性も立ち姿で描かれていましたが、世紀末の退廃的なムードを映すように女性を崖っ淵に跪かせることで死と隣り合わせの究極の愛が表現されています。幾何学模様の黄金のドレスが目を惹きますが、これは束縛から解き放つ自由のドレスと言われておりクリムトがイタリアで見たモザイク画の圧倒的な迫力や神々しさから着想を得たものです。生涯独身を通したクリムトは好色家としても有名ですが、平面的なタッチの中にも身を滅ぼすような激しい愛が溢れ出ている非常に官能的で訴求力のある絵です。クリムト曰く“私について何か知りたいときは、私の作品を注意深く見て、そこに私の人間性を、私の言いたいことを読み取るべきである”と語っていますが、彼自身の人生が色濃く投影された絵と言えるかもしれません。

次に、クリムトベートーヴェン交響曲第9番の物語を擬人化して完成させた壁画「ベートーヴェン・フリーズ」です。クリムトベートーヴェン交響曲第9番を“苦悩の克服と芸術による魂の浄化”の物語として34メートルの壁に絵巻物のように描きました。

▼第1楽章(第1壁面)
1つ目の壁画の右上部に空中を飛翔する天使が描かれていますが、これは第9全体のテーマとして”幸福への追求(憧れ)”が表現されています。壁画左側に華奢な男性と女性の姿が見えますが、これは弱き人間の苦悩を表現しています。この弱き人間を従えるように黄金の甲冑を身に纏った騎士が描かれていますが、これは弱き人間を救い、幸福を勝ち取るために戦う勇者を表現しており、その横に描かれている女性は騎士の内心(同情や野心等の感情)を具象化しています。

▼第2楽章(第2壁面)
2つ目の壁画の左側の怪物はギリシャ神話のテュフォンで悪の親玉として描かれています。テュフォンの分身として、その左側に描かれているゴルゴン三姉妹(顔を見ると石になるギリシャ神話の怪物)は“狂気”“死”“病”を表現しており、その右側に描かれている女性は“好色”“不貞”“不節制”(ファム・ファタールのイメージ)を表現しています。さらに、右側にトグロを巻く大蛇の影でうつむく女性が描かれていますが、これは“苦悩”を表現したものです。

▼第3楽章〜第4楽章(第3壁面)
3つ目の壁画の左側が映っていませんが、音楽の神アポロンから渡された竪琴を奏でる芸術の神ミューズが描かれており、芸術こそが人間を幸福に導くことができることを表現しています。この壁画の中央は空白ですが、その下にベートーヴェン像が飾られ、その右側に縦に並んで描かれている女性は“ポエジー”(シラーの詩、理想)を表現したものであり、更に、その右側には歓喜の歌を合唱する天使達、その前面には鎧を脱ぎ捨て女性と抱擁する騎士が描かれています。

これらを1つの物語にまとめると、第1楽章は弱き人間のために勇ましい騎士が立ち上がる場面、第2楽章はその弱き人間が悪や苦悩といった自分を苛む問題と対峙する場面、そして、第3楽章から第4楽章は人間に幸福がもたらされ、人間の絶望や苦悩を乗り越えた騎士とその勇気が神格化される場面です。当時、クリムトは官能的な女性画を描いてスキャンダラスな画家という批判を浴びていましたが、そのような批判の急先鋒であった保守派を怪物に準え、体制を非難し苦悩したベートーヴェンの姿と自分とを重ね合わせて、この壁画が描かれたと言われています。因みに、当時、この壁画が描かれた分離派館にマーラーが楽団を引き連れて訪れ、第9の演奏が披露されたそうです。この壁画は展覧会の跡に壊すはずでしたが、パトロンが買い取って保存したものが現在まで残されています。現代では第9の第四楽章は“芸術に大衆性は必要か”という議論と絡めて色々と議論されることが多いですが、この番組を観ていて指揮者の故、岩城宏之さんが生前にテレビのインタビューに答えて「第9の第四楽章は俗物で好きになれない」と語っていたことを思い出しました。第三楽章で天上の高みへと昇り詰めた崇高な精神世界から一転、第4楽章は地上の人間界へと引き吊り落されたような妙な覚醒感があります。いつも第9の第四楽章を聴くと人間中心主義的な西洋的世界観を表しているように感じられ、東洋人の僕としては大いに興醒めしてしまいます。ベートーヴェンの最高傑作は第9ではなくその後に書かれた晩年の弦楽四重奏曲であって、これらの珠玉の名曲の中にこそベートーヴェンの真の精髄が息衝いているように感じられます。

最後に、クリムトは装飾の職人として建築物の壁画を手掛けていましたが、建築ラッシュが下火になると画家へと転身し、伝統的な美術との決別を理念に掲げる“ウィーン分離派”を立ち上げます。クリムトが生涯に亘って“女性”をテーマとした絵を描き続けましたが、社交界の貴婦人や恋人等をモデルにそれまでタブーであった官能的な表現に取り組み、その女性の美を際立たせる手法として黄金の装飾が用いられました。

▼装飾の職人
クルムトは装飾の職人として建築物の壁画を手掛けていますが、演劇の殿堂であるブルク劇場の壁六面に演劇の歴史を辿る壁画を残しており、その1つにシェイクスピアの作品が数多く演じられたロンドンのグローブ座における“ロミオとジュリエット”の公演を描いた壁画「シェイクスピア劇場」もあります。また、この時、モーツアルトのオペラも初演された絵画「旧ブルク劇場の観客席」も残しています。

▼初期の絵画
クリムトは建築ラッシュが下火になると画家へと転身し、伝統的な美術との決別を理念に掲げる“ウィーン分離派”を立ち上げますが、最初期の作品「裸の真実」には大衆の評価に一喜一憂することを戒めた言葉であるシラーの詩の一節が記載されています。

“君の行いと作品が万人に愛されないなら、少数の者に愛されるようになれば良い、万人に愛されるものなど所詮大したものではないのだ”

また、この裸婦の足元に絡み付く蛇は批判的な評論家の象徴として描かれており、そのような批判的な勢力と闘いながら芸術の革新をめざすことを宣言しています。さらに、分離館には“ウィーン分離派”のスローガンとして「時代にはその時代の芸術を、芸術には自由を」が掲げられ、クリムトの並々ならぬ決意(信念)のようなものが伝わってきます。上記のシラーの言葉は“芸術に大衆性は必要か”という問題を端的に指摘したものであり、“ウィーン分離派”のスローガンは芸術の宿命について触れたものですが、芸術は常に古い価値観を打ち壊し、新しい“何か”を創造して行く営みにほかならず、また、それが芸術の生命力なのであって、いずれの言葉もそのことを切実な実感として語った言葉なのだと思います。これまでこのブログでも書きましたが、芸術表現は強いて言うならば「作品のため」「自分のため」に行われるものであっても、(表現の受け手である観客がいなければ、表現は成立しないとしても)決して「観客のため」に行われるものではなく、だからこそ、時代の冷たい仕打ちを受けながらもクリムトの作品が生まれ、同時代人であるブルックナーの作品が生まれ、マーラーの作品が生まれたのだと思います。そして、ベートーヴェンが芸術表現の自由を獲得するために当時の社会体制と闘い続けたように、クリムトは保守派の批判や中傷に晒されながら自らの信念(表現、思想や感性など)に忠実であろうと闘い続け、そのことがベートーヴェンへのシンパシーを生み、ベートーヴェンへのオマージュとして「ベートーヴェン・フリーズ」を生んだと言えるかもしれません。この点は、同時代人であるブルックナーマーラーも同じような境遇にあったと思います。上記のストーガンのとおり芸術を理解するにはその時代(他のジャンルの芸術、社会風俗、社会思想、時代感覚etc.)を理解しなければ何も見えてきません。

▼円熟期の絵画
クリムトの円熟期の傑作絵画「接吻」と並び評される「ユーディット?」には、ユダヤの娘で敵軍の将を美貌で誘惑し首を刎ねた聖書上の人物で、男性を破滅へと導く宿命の女「ファム・ファタール」を描いており、世紀末ウィーンに漠然と漂っていた“世界の終末への不安”が表現されています。

ジャポニズム
クリムトは日本美術に造詣が深くそのコレクターとしても知られていますが、最初期の作品「愛」は背景の縁取りの黄金の装飾を施していますが、これは日本の金屏風から着想を得たと言われています。クリムトが建築物の壁画や円熟期の絵画で多用した黄金の装飾は、少なからずジャポニズムの影響もあったと思われます。なお、ウィーン分離派による芸術の革命から影響を受けた建築「カールスプラッツ駅」は、ウィーン近代建築の父と言われるオットー・ワグナーがジャポニズムの影響を受け、日本の唐草模様に着想を得て曲線的な装飾様式を施したことから、当時、このような装飾様式がブームになりました。