大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け

【出版】光文社新書
【題名】西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け
【著者】森本恭正
【発売】2011年12月20日
【値段】740円
【感想】
現在、入院加療中ですが、治療、検査及び(病室にパソコンを持ち込んでの)仕事以外の時間は読書等をしています。先日購入した積読本を自宅から持って来て貰って読破したので、その感想を簡単にアップしておきたいと思います。

西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け (光文社新書)

この本は「西洋音楽論」と仰々しいタイトルがつけられていますが、中身は著者の過去の経験に基づく「エッセイ」というべき軽い読み物で、西洋音楽について何か纏まった論述や考察が展開されているというような骨っぽい本とは違います。従って、西洋音楽について体系立った又は学究的な内容を求めてこの本を手に取ると失望されるかもしれませんが、病床や通勤・通学途中等に軽く読み流す読み物としては最適かもしれません。特に目新しい話題がなかったので感想を書き難いのですが、多少興味を引いた2、3の話題を採り上げておきたいと思います。

第一章「本当はアフタービートだったクラシック音楽」というタイトルに興味を引かれてこの本を購入しましたが、中身を読むと「アウフタクト」や「シンコペーション」の事例等が紹介されているだけで、これだけをもって“クラシック音楽はアフタービートである”と言い放ってしまう気風の良さにはやや拍子抜けの感を否めませんでした。この本自体がアフタービートの構成になっているのかもしれないと気を取り直し、先を読み進めることに..。第二章「革命と音楽」、第三章「撓む音楽」と手応えがありませんでしたが、漸く第四章「音楽の右左」でこの本のアフタービートらしきものに目を惹かれました。(時間のない方は第一章から第三章は読み飛ばしても構わないと思いますが、47ページからの「装飾のパラドックスモーツァルトの場合」は読んでみると面白いかもしれません。モーツァルトの時代の演奏習慣とそれを踏まえた記譜法について言及されていて興味深いです。バロックから古典派の時代の演奏習慣(装飾や即興等)については別に機会を見付けて書いてみたいと思っています。)

さて、この第四章では、『西洋的な芸術(ARTS)は、ARTIFICAL(人工的)という言葉を持ち出すまでもなく、「自然」と対峙した「人工」の産物であるのに対し、日本発祥の管楽器である尺八は、自然と融和した中で正に、竹林に吹く風のように奏でられる』(P135)と言及し(このブログでも何度か書いていますが、これはヨーロッパの一神教的な世界観と日本の多神教的な世界観の違いがその根底にあるものと思われ、音楽だけではなく色彩感、生活様式、建築様式などあらゆるものに影響している共通の特質と思われます。)、「大脳生理学」(日本人は自然界の音を左脳で「意味ある音」として識別しますが、ヨーロッパ人は自然界の音を右脳で「意味のない雑音(ノイズ)」として識別します。)や「文化的・宗教的な素養を背景とした音楽観の相違」(西洋音楽は整数の倍音を基調とした音で構成されており、これは人間がコントロールし易いように人工的に作り出された音ですが、自然界の音は非整数の倍音によるノイズに溢れています。邦楽は非整数の倍音によるノイズを音楽に取り入れて自然と融和し、「旋律ではなく節を、休符ではなく間を、和声ではなく音色」によって音を構成するという特徴(その時々の自然を音楽に取り込むという心持ち、一期一会の音)を持っており、西洋音楽とは全く発想を異にする音楽です。西洋音楽は個人が音で何かを主張する為にあるものであるとするならば、邦楽は個人に主張することを委ねず自然そのものへの融和を示唆する為にあるものと結論付けられています。例えば、虚無僧が吹く尺八は誰かに聴かせるために奏でられるものではなく、自らの精神修養のために奏でられるものです。)などの観点から、西洋音楽(但し、一口に西洋音楽と言ってもそのジャンルは多彩で、ここではいわゆる一般に「クラシック音楽」と呼ばれている西ヨーロッパを中心に発達したある種類の伝統音楽のことを指しています。「西洋音楽」>「クラシック音楽」)と邦楽の違いについて簡単な考察が加えられています。

第五章「クラシック音楽の行方」、第六章「音楽の政治」とやや尻すぼみの内容でしたが、その中でも、P167〜P168で触れられている楽屋話は興味深かったです。2003年にEUで発動されたDirective 2003/10/EC(労働安全衛生上の騒音規制)において、87dB以上のノイズを発生する職場での労働が禁止され(バレエ「白鳥の湖」を上演中に指揮者が浴びる音量は平均88dBだそうですが、オーケストラは例外扱いにされたそうです。)、以来、EUのオーケストラ奏者(元来、職業病として難聴の人が少なくないとか)は演奏中に公然と耳栓をする人が増えたそうです。近代になって音楽が王侯貴族から大衆のものとして定着するにつれ、次第に大人数(大衆)を収容できるコンサートホールが完備され、これに伴ってオーケストラの規模も拡大され、より大きく安定した音が出せるように楽器も改良されたことなどが背景として生じた、現代的職業病と言えるかもしれません。(金管奏者の前に座っているオーケストラ奏者をその音から守るために透明な反響版を置いているのを見たことがありますが、尤も、これは難聴対策なのか又は単純に自分の音がオーケストラの音に埋もれて聴こえなくならないようにするためのテクニカルな対策なのか定かではありません。)よくプロのオーケストラ奏者が「耳を休める」と言いますが、プロのオーケストラ奏者の耳にかかるストレスは想像以上なのかもしれません。

◎EU Directive and Physical Agent Directive (Noise)
http://www.jniosh.go.jp/icpro/jicosh-old/japanese/country/eu/topics/Noiseatwork.html

なお、GW前から体調不良を覚えて、現在、某病院で入院加療中ですが、日々、医師や看護士、看護助士の職業倫理(責任感)の高さに学ばされる思いです(勿論、奇麗事だけでは済まない辛く大変な職業ではありますが)。自分の仕事にプライドや責任をもっている人はその働き方に現れるもので、そのような人の働く姿は本当に“美しい”です(皆さんナースキャップを被っていませんが、最近では戴帽式なんて行われないのかしら?)。僕は企業法務の仕事をしていますが、どんな仕事にも必ず「お客様」は存在するもの(企業法務にとっては社内の従業員)。僕も社会復帰後は一層襟を正して自分の仕事に真摯に向き合いたいと感じている今日この頃です。その前に健康を取り戻さねば..。(今日の所感)

マーラー 交響曲第3番ニ短調より第六楽章
病床より穏やかな五月晴れを眺めながらマーラーの天上の調べにウトウトとしています。今日の青空のように心を澄ませて音楽だけに耳を傾けて下さい。優しい音楽で心が満たされ、音楽(マーラー)と一体になっているような気分に浸れます。(これまで紹介してきたメロディアスでラブリー&イージーな音楽とは少し異なり、演奏時間も長いですが、音楽に集中してみて下さい。)

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調より第2楽章
ロディアスな音楽もご紹介しておきましょう。ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した萩原麻未さんの演奏でお楽しみ下さい(iPhoneからだと上手く視聴できないようなので、パソコンから視聴して下さい。)。是非、演奏が難しい第一楽章と第三楽章も聴いてみて下さいね。

おまけ