大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

モリエール 恋こそ喜劇

【題名】モリエール 恋こそ喜劇
【監督】ローラン・ティラール
【出演】<モリエールロマン・デュリス
    <ムッシュ・ジュルダン>ファブリス・ルキーニ
    <マダム・ジュルダン>ラウラ・モランテ
    <リュディヴィーヌ・サニエ>セリメーヌ
    <ドラント伯爵>エドゥアール・ベール ほか
【料金】TUTAYA 旧作100円
【感想】
入院中の病床にて。そろそろ入院してから1ヶ月が経とうとしています。手術を経てひとしきり痛い経験をし、身も心も細る思いです(実際、入院中に10kgほど痩せました。)。今日、先日退院した同じ病室の患者さんだった方(既に他界している僕の父親と同世代の方)が元気な姿を見せに来てくれました。酒が飲めると嬉しそうに目を綻ばせた元気な姿を見て、やはり健康は掛け替えのないものだと痛感しています。こんなに陽気が良いのに病院のベットの上でじっと寝ていなければならないのは残念ですが、今は一日も早い社会復帰を目指して療養に専念するときだと自分に言い聞かせています。院内に目を転じてみれば、様々な個性を持った人達が様々な事情と病気を抱えて入院しており、また、各々の医師、看護士や看護助士によって其々の患者へのアプローチの仕方や対応方法も色々とあって、ある意味、人間観察には面白い場所です。一見気難しそうな人でもよくよく観察してみると、基本的には、皆、愛すべき人達ばかりです。なお、病院で自分に合う枕が発見できたのは大収穫でした。

モリエール 恋こそ喜劇 [DVD]
http://www.cetera.co.jp/moliere/

さて、世界の三大劇作家と言えば、日本の世阿弥(14C)、イギリスのシェークスピア(16C)、そして、フランスのモリエール(17C)ですが、そのモリエールを題材にして2007年にフランスで製作された映画「MOLIERE」(原題)を久しぶりにTUTAYAの旧作100円レンタルで借りて再視聴してみました。因みに、俳優の江守徹さんはモリエールの名前に因んで芸名を付けたそうです(モリエール→モリエ→エモリ)。この映画は伝記映画ではなくフィクション映画ですが、モリエールの伝記で空白となっている2ケ月間(劇団が破産して投獄されていたモリエールが釈放後に姿を晦ました2ケ月間)に焦点を当て、その2ヶ月間にモリエールの身に起こったことをフィクションとして描いています。しかし、これが単なる作り話という安っぽい代物とも異なり、(登場人物の名前を見てもお分かりのとおり)「町人貴族」「人間嫌い」「タルチェフ」「ル・バルブイエの嫉妬」「守銭奴」「病は気から」「才女気取り」「スカパンの悪だくみ」などモリエールの作品のエッセンスがふんだんに盛り込まれ、人間への深い洞察で人間の醜さや愚かしさなどを皮肉たっぷりに笑い飛ばしています。それでいて単なるモリエールの作品の焼き直しでもなく、モリエールの視線を通して「喜劇」というものの本質を描き出そうとした意欲作だと思います。ネタバレしてしまいますので詳しい感想は書きませんが、クライマックスでモリエールとマダム・ジュルダンの遣り取りは印象深く心を捉えるものでした。また、モリエール役のロマン・デュリスさんが「演技」することの意味を教えるために馬の演技のお手本を示すシーンはモリエールの洞察力の鋭さを象徴するもので興味深かったですし、ムッシュ・ジュルダン役のファブリス・ルキーニさんの軽妙洒落た演技が素晴らしく貴族のしたたかさに翻弄される金持ちの姿を愛嬌たっぷりに演じる好演で、その滑稽さが面白いです。そのほかの登場人物を見ても人間の金銭欲、名誉欲、権力欲や卑しさ、浅ましさなど人間のあらゆる内面が皮肉交じりに描かれており、随所にフランスのエスプリが散りばめられていて見所に欠きません。とりわけモリエールの作品を日頃から親しんでいる人にとっては大変に魅力溢れる作品ではないかと思います。願わくば、人間の縮図である入院病棟を扱った作品も残して貰えれば、さぞや面白い作品ができたのではないかと残念でなりません。

◆映画「モリエール 恋こそ喜劇」の予告編

◆おまけ
手抜きをして、定番中の定番を..。

◆おまけ(ではありません!)
「おまけ」というより、僕が言いたいことの本旨になります。定番ばかり紹介しておいて何なんですが、是非、同じ作曲家の定番以外の曲を聴いてみることを強くお勧めしたいと思います。例えば、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と言えば「ホ短調」しか演奏されませんが、実はもう1曲「ニ短調」のヴァイオリン協奏曲も書いています。また、ラロのヴァイオリン協奏曲と言えば「スペイン交響曲」しか演奏されませんが、それ以外にも「ヴァイオリン協奏曲第1番」「ロシア交響曲」「ノルウェー交響曲」と3曲のヴァイオリン協奏曲を残しています。このような例は枚挙に暇がなく、その作品の良し悪しに拘らず、日本では演奏される曲が極端に偏っていて、同じ作曲家の曲でも何度も演奏される曲と全く演奏されない曲との落差が極端過ぎるという看過し難い問題状況が続いています(このような状況が常態化しているのは演奏会を企画する人の責任というよりも観客の責任が大きいと思います。)。この点については、別に機会を改め、声を荒げて書いてみたいと思っています。