大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「スメタナ“わが祖国からモルダウ”」

【題名】クラシックミステリー 名曲探偵アマデウススメタナ“わが祖国からモルダウ”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月29日(木)18時00分〜18時45分
【司会】筧利夫
    黒川芽以
    渡辺哲
【出演】野本由紀夫(玉川大学芸術学部准教授)
    伊藤寛隆(日本フィルハーモニー交響楽団 首席クラリネット奏者)
    エヴァミクラス(歌手)
【感想】
病院を退院し、だいぶ良くなってきたので、そろそろ社会復帰しようかと考えています。一週間ほど車椅子を使っていましたが、社会インフラが整備されバリアフリー化が進んだとは言え、それでもまだ障害は多く、車椅子を使う人間にとって外出時の移動はかなりの困難を伴うことを実感しました。例えば、アスファルト表面に若干のムラ(凹凸)があるだけでも、車椅子の車輪を取られて直進することが難しく非常に危険を感じますし、その他にも色々と危惧すること、気を使うことが多々あります。短い距離であれば車椅子を使わなくても移動できるまでに回復しましたが、健常者が頭で理解しているのと実際に体験してみるのとでは随分と乖離があり、社会的弱者と言われる方々が抱える物理的及び精神的なハンディーキャップの大きさを痛感しました。健常者の目線ではなく社会的弱者の方々の目線に立ってバリアフリー化をもう一度考え直す必要があるかもしれません。

チェコボヘミア地方を流れるモルダウ川(チェコ語ではヴルタヴァ川)は、母なる川と呼ばれ、チェコ建国以来、チェコの人々に豊かな恵みをもたらし、モルダウ川の流れと共にチェコの歴史は紡がれてきたと言っても過言ではないほどチェコの人々の暮らしと密接に関係しています。スメタナは、単なる民謡の復興ではなく時代の息吹を採り入れた国民音楽を目指して、苦難の歴史を歩んだ祖国の音楽を作るべく10年間の構想期間を経て連作交響詩「わが祖国」(全6曲から構成)を書き上げました。そのうちの1曲「モルダウ」はモルダウ川を表現した曲で、美しく哀愁に満ちたメロディーで広く愛されています。(日本ではTVCMや商店舗、果てはゴミ収集車に至るまでクラシック音楽をBGMに使いたがる傾向がありますので、きっと誰でも一度は耳にしたことがある曲だと思います。)

【楽譜】
http://javanese.imslp.info/files/imglnks/usimg/1/13/IMSLP48503-PMLP85117-Smetana_-_The_Moldau__orch._score_.pdf

スメタナは、この曲について「最初に2つの源流が現れる。これらの支流はやがて合流して広大な牧草地と森を通り抜ける。」と述べています。楽譜の最初は、ハープの1個の音から始まり「源流の最初の一滴」を表現しています。次いで、フルートがちょろちょろと流れる「源流のせせらぎ」を奏で始め、やがて、ヴァイオリンのピッチカートによって「はねる水滴」を表現し、徐々に一本の川になって行きます。(楽譜の冒頭にはモルダウ第1の源流(Prvni pramen Vltavy)と記されています。)13小節目から2本のクラリネットが加わりますが、フルートの源流(下から上にあがる音型)に対して違う源流(上から下におりる音型)を表現していますが(楽譜の13小節目にはモルダウ第2の源流(Druhy pramen Vltavy)と記されています。)、2つの源流(旋律)が交わることで生き生きと豊かな流れを生んでいます。このように1滴の滴から聴く者を川の情景へと誘い込み、風景画を描くように川の流れを音楽によって表現しています。

この曲の主題(40小節目)の旋律はホ短調の音階を行き来するだけなのですが、聴く者に深い哀愁を感じる不思議な魅力を持っています。その秘密は、リズムと音の強弱にあります。この曲は音階の上降と下降の組み合わせで出来ていますが、音階の上降に比べて音階の下降をゆっくりとすることで哀愁を漂わせている時間を長くするというリズム的な工夫が施されています。また、音階の上降はクレッシェンド、音階の下降はディミヌエンドとして音の強弱を利用し、一層、哀愁を強調しています。音の高さの曲線、音量の曲線、心理的効果の曲線が一体となって哀愁感を深く心に刻み付ける効果を生んでいるのです。

この後、モルダウ川を下って行くと、ボヘミア地方に伝わるポルカの2拍子のリズムが聴こえてきますが(村の婚礼)、これはモルダウ川がもたらす恵みによって豊かな生活を送る農民達の幸福な暮らしを表現しています。

農民達の陽気な祝祭を通り過ぎてポルカの2拍子のリズムが消えると、日が暮れてモルダウ川の水面が月明かりを照らされ、その下で水の精が踊り回る様子が表現されます。

やがて、穏やかな流れは一転して急流に差し掛かり、モルダウ川は急流に淀んで旋回します。これはチェコが歩んだ激動の時代を重ね合わせて表現したものです。当時、チェコオーストリア・ハンガリー帝国支配下に置かれ、プラハの市街戦等の武力革命が失敗に終わるなかスメタナは作曲活動すら困難となり、32歳でチェコを離脱し、スウェーデンに移住して作曲活動を続けることになりました。スメタナは当時の気持ちを「こんなにも愛する故郷を離れなければならないのは悲しいことだ。美しい偉大な祖国よ、さようなら。あなたの士は、私には神聖だ。」と書き残しています。スウェーデンに移住してから交響詩という新たな音楽形式(歌詞のように音楽に言葉が付されているのではなく、物語の流れを標題や文字で併記することにより、音楽で政治的な理念、祖国愛、哲学を伝え易くした音楽形式)による作曲活動を開始し、この曲を完成させました。因みに、スメタナはこの曲を作曲中に梅毒によって聴覚を失い、自筆譜に「12月8日完成、19日間、耳が聞こえない中で。」と書き加えています。

この主題はチェコの古い民謡である「コチカ・レゼ・ディーロウ(KOCKA LEZE DIROU)」がモチーフとして使われていますが、これはこの曲に民族の歴史や自然、誇り、そして祖国独立への想いが込められている為だと言われています。この主題は、最初、ホ短調で奏でられて暗い雰囲気で終わりますが、楽曲の終盤になって、ホ長調で再現され、今度はテンポを上げてフォルテッシモで奏でられ勝利を感じさせる輝かしい雰囲気で曲を閉じます。これはチェコが苦悩の歴史から勝利へと向うことを願った未来へのメッセージが込められている為だと言われています。この曲は1875年4月4日にオーストリア・ハンガリー帝国の統治下のプラハで初演され、チェコの聴衆から惜しみない拍手と賞賛を受けています。このおよそ100年後にチェコは独立を果たしています。

交響詩「わが祖国」より「モルダウ
指揮中に興奮して目玉が落ちたという都市伝説があるアーノンクールの指揮で、以下の解説文を読みながら想像力豊かに聴いて下さい。(モルダウは18:23〜)

18:23〜
フルートが奏でる
モルダウ第1の源流の旋律」
そこに源流の水滴を思わせる
ハープとヴァイオリンが重なる

18:53〜
さらに「第2の源流」を表わすクラリネットの旋律が加わり
さまざまな楽器の音色が巧みに交り合い
モルダウの流れを生み出していく

19:40〜
モルダウの主題
第一ヴァイオリンが奏でる
主題の哀愁のメロディー

その叙情的な旋律を波打つような弦楽器の伴奏が支える
そして印象的な主題を経て、モルダウ川の豊かな流れを辿る旅が始める

21:55〜
川を下ると狩人たちの角笛の音が聞こえてくる
勇壮なチェコ民族の姿を管楽器の音色で表現した場面

23:06〜
村の婚礼(ポルカ
小気味いい2拍子が印象的なポルカのリズムは
川辺に暮らす村人たちの営みを聴衆に生き生きと伝えてくれる

24:41〜
月の光 水の精の踊り
水の精とはモルダウ川を生み出したという伝説の精霊

29:05〜
モルダウの流れは
やがて激流へと進む

30:35〜
チェコ勝利へ導くホ長調の主題へ
モルダウの作曲からおよそ100年後
チェコは1989年に悲願の自由を獲得する

◆おまけ
スメタナのもう1つの代表作、弦楽四重奏曲第1番「わが生涯」より第三楽章をお聴き下さい。

◆おまけ
定番中の定番ですが、スメタナと同様に祖国を追われながら祖国と祖国の自然をこよなく愛した作曲家ラフマニノフをお聴き下さい。