大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

レクチャーコンサート 津田ホールで聴く女性作曲家

【演題】レクチャーコンサート 津田ホールで聴く女性作曲家
【演目】▼前半
    マリア・テレジア・フォン=バラティス(伝) シチリアーノ
    マリアンネ・マルティネス チェンバロのためのソナタ ト長調
    ヨゼファ=バルバラ・フォン=アウエルンハマー モーツァルトのオペラ「魔笛」のアリア「おいらは鳥刺し」による6つの変奏曲
    マリア・ヴァロウスカ=シマノフスカ さまざまなジャンルの18の舞曲よりポロネーズ へ短調
    マリア・ヴァロウスカ=シマノフスカ 10の練習曲/前奏曲より第1番、第9番、第18番、第14番
    クララ・ヴィーク=シューマン 4つの性格的小品 作品5
    ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル ホ短調のピアノ本 WV214
    ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル 幻想曲 変イ長調 WV253
    ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル プレスト−鍵盤用小品 イ短調 WV239
    ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル ピアノのための4つの歌 作品6より第4番
    クララ・ヴィーク=シューマン マズルカ 作品6
▼後半
    エイミー・チェニー=ビーチ 「4つのスケッチ集」作品15より第1番、第4番
    エイミー・チェニー=ビーチ 夜明けのハーミット・スラッシュ作品92−1
    グラジナ・バツェヴィッチ 「10の練習曲」より第1番、第9番、第10番
    テレサ・カレーニョ 海の夢−瞑想 作品28
    テレサ・カレーニョ プラハのレヴュー−幻想曲 作品27
    テレサ・カレーニョ バラード 作品15
    テレサ・カレーニョ テレシータ・ワルツ
    メル・ボニス 「伝説の女性達」よりメリザンド
    メル・ボニス 「ピアノのための5つの小品」よりメヌエット
    メル・ボニス 蚊
    メル・ボニス 流れのほとりで
    メル・ボニス 「伝説の女性達」よりサロメ
    リリ・ブランジェ ピアノのための3つの小品
    セシル・シャミナード ピエレット 作品41
    セシル・シャミナード アラベスク 作品61
    セシル・シャミナード 古典的様式による小品 作品74
    セシル・シャミナード 森の精 作品60
    セシル・シャミナード 「6つの演奏会用練習曲」作品35より第6番
    セシル・シャミナード へつらい 作品50      
【司会】小林緑(国立音楽大学名誉教授)
【出演】(前半)<Pf>岸本雅美、森下唯
(後半)<Pf>広瀬悦子、山田武彦
【会場】津田ホール
【料金】3000円
【感想】
今日、車の法定点検でディーラーに行ってきましたが、「女性のお客様限定」ということで女性のお客さんだけに粗品が進呈されていました。くれないものは欲しくなるのが人情で、何やら損をしたような気分になります。おそらく男性諸氏であれば同じような経験をしたことは少なくないと思いますが、これだけ女性の社会進出が進んだ現在でもレディース・デイや女性専用メニュー、(ラッシュ時間帯でも混まない)女性専用車両等の社会的な優遇は多く、女尊男卑とも言えるような状況が出現しています。寧ろ、社会的に虐げられているのは僅少のお小遣いで昼食にも窮し、有能な女性に電車の席のみならず会社の席まで奪われてしまった世のお父さん達であって、ジジー・デーやおやじ専用車両等の社会的な救済を望みたいものです。そんな世のお父さん達にとって驚異的な存在となっている女性達ですが、現在、「不美人論」に続いて「腐女子化する世界」という本などを読んで現代の女性とはナニモノなのかを研究しています。いつかこの本についても感想を掲載したいと思いますが、最近の女性の社会的進出が女性達の質的な変化(腐女子化)をもたらしている現状について語られています。

腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち (中公新書ラクレ)

さて、少し以前になりますが、女性作曲家の作品に焦点を当てた珍しいレクチャーコンサートがあり聴きに行きましたので、その簡単な感想を残しておきたいと思います。最近、女性作曲家の作品はNAXOS等から音盤がリリースされるようになりましたが、偶々、僕が持っている音盤は印象が芳しくなく、これまで女性作曲家に対してある種の偏見のようなものを抱いていました。どちらかと言うと耳触りの良いラブリー&イージーな曲が多い印象ですが、着想は貧困で胸に迫る深みのようなものもなく繰り返しの視聴に耐えないものと..。しかし、この演奏会を聴いて女性作曲家に対する偏見を覆されました。一般に知られていないだけで、女性作曲家の作品には実に魅力溢れる面白い作品が多いではないですか!!何故、これほどの名品が時代に埋もれてしまっているのか、小林緑さんが盛んに女性作曲家の作品の復権を訴えられている理由を得心した次第です。僕はフェミニストという訳ではなく、寧ろ、女性というモノは実に扱い難い厄介なもので嫌悪の対象となることが多いと感じていますが、これだけ魅力的な作品群が演奏されず、聴かれずにあることは(大げさでなく)人類にとって大きな損失ではないかと思うので、是非、ピアニストの皆さんには女性作曲家の作品を演奏会のレパートリーに加えて貰いたいと切望します。小林さんによれば、女性作曲家は(知られているだけで)累計6,000人にものぼるそうですが、(これらの作曲家の作品がすべて魅力的ではないとしても)まだまだ知られざる女性作曲家の名品が埋もれていることは間違いなさそうです。果たして、僕は女性作曲家の名前を何人あげられるだろうか..。知られざる名曲との出会いほど興奮させられる幸福な瞬間はありません。恋焦がれていた女性と初めて接吻するときのような幸福感に満ちた鼓動の高鳴りにも似た興奮があります。もう鼻血が止まりません。さて、簡単に各曲の印象を書き残しておきたいと思いますが、殆ど初聴の曲ばかりで、演奏の感想というよりは曲の印象を書き認めておきます。なお、小林さんが著書「女性作曲家列伝」(平凡社選書)で女性作曲家について紹介されていますので、ご興味のある方は蔵書に加えられることをお薦めします。

女性作曲家列伝 (平凡社選書 (189))

前半は18世紀後半(古典派)から19世紀前半(前期ロマン派)までの女性作曲家の作品が紹介されました。モーツアルトの時代に書かれた伝記には約130人の女性作曲家の名前が掲げられていたそうですが、古典派の女性作曲家と言われて指折り名前を挙げられる方はいないと思います。

【パラディス】
挨拶代りに有名なパラディスのシチリアーノから紹介されました。

【マルティネス】
趣味で音楽をやっていたアマチュアだそうですが、裕福な家柄で就職する必要がなかっただけで、必ずしもアマチュア=素人という訳ではないそうです。チェンバロのための作品なので装飾音が多いですが、第三楽章のアレグロ・アッサイの活力に満ちた痛快な音楽は僕の偏見に満ちた女性作曲家のイメージを打ち砕くのに十分なインパクトがありました。

【アウエルンハマー】
モーツァルトの弟子だそうですが、どこか遊び心を感じさせる軽快で斬新な変奏の面白い曲でした。音盤はないのかしら。因みに、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ(K.448)は彼女と共演するために作曲されたとか。

シマノフスカ】
一曲目はどこかロマン派的なポエジーやパッションも感じられる魅力的な作品でした。二曲目は(ソナタ様式の作品ではなく小品ということがあるかもしれませんが)女々しいところや勿体を付けたところがなく、ストレートで吹っ切れた印象の明瞭快活な作品でした。

【クララ】
おそらく皆さんが挙げられる数少ない女性作曲家の1人だと思いますが、夫のシューマンと結婚する前の17才の時の作品とは思えない斬新なアイディアが盛り込まれた意欲作で、ユーモアのあるオカルトチックな描写力や表現力に優れた面白い作品です。

【ファニー】
彼女の作品を聴いていると、草食系のモヤシ少年であった弟のメンデルスゾーンに絶大な影響を与えたであろう強烈な個性と才能を持った肉食系の姉という姿が浮かび上がってきます。一曲目は対位法的な構造美を感じさせる力強い曲ですが、ファニーのフーガはバッハのような神性を帯びた厳格なロジックで組み立てられたものというよりは、ベートーベンのようなもっと人間臭い感情の発露のようなものも感じられ、男性的な逞しさが漲っている印象があります。左手のバス声部がステキ。三曲目と四曲目はピアニスティックな華やかさのある力強く爽快な曲想に惹かれましたが、育ちが良いとこういう屈託のない曲が書けるのかもしれません。

【前半の総括】
偶々、前半に採り上げられた女性作曲家の作品がそうだっただけなのかもしれませんが、男性作曲家の作品に比べて女性作曲家の作品はウジウジとしたところがなくカラッと爽やかで潔く、おまけに力強い曲想が多いように感じられました。「女々しい」という言葉は殆ど男性にしか使われませんが、本来、この言葉が意味する気質は男性が持っていたもので、昔から女性は逞しかったのかもしれません。


日本人初の女性の交響曲作曲家、幸田延 (幸田露伴の妹)
大正天皇即位奉祝のための交響曲「大礼奉祝曲」(1915年)を作曲

後半は19世紀後半(後期ロマン派)の女性作曲家の曲が紹介されました。小林緑さんが女性作曲家の結婚と姓名の問題について触れられていましたが、昔は未婚の女性作曲家の作品は売れ難かったらしく、(とりわけ夫が著名な音楽家の場合には)夫姓で作品を出版する女性作曲家が多かったそうで、それが女性作曲家の作品を研究するうえで足枷になることもあるそうです。そういえば、ショパンと恋仲であったジョルジュ・サンドも自著が売れるようにわざわざ男性名のペンネームにしたという逸話が残されているくらいなので、当時は女性芸術家がいかに活躍し難い状況にあったのかということが伺えます。現代では結婚後も旧姓を名乗る女性芸術家が多いですが、随分と時代は変わりました。後半はフランス以外の女性作曲家の作品とフランスの女性作曲家の作品に分けて紹介されました。

【ビーチ】
三曲とも印象派風の風景描写が美しく、二曲目の眩いばかりの響きに魅了され、三曲目の夜明けの静けさや澄んだ空気を感じさせるどこか神秘的な曲想に惹かれました。

バツェヴィッチ】
今年は生誕100年の記念年ということですが、まるでカプースチンを思わせるような複雑な語法で、その男性的な力感は唖然とするばかりでした。きっとバツェヴィッチにはスネ毛が生えていたに違いありません(笑)本当にこれが練習曲なのかと思われるような規格外の面白い曲だったので、他の作品も聴いてみたくなります。

【カレーニョ】
一曲目は幻想的で夢見心地の幸福感に包まれる魅力的な作品でした。二曲目や三曲目はピアニスティックな華やかさのある聴かせ所に欠かないサロン音楽風の魅力に溢れた作品でした。

【後半の総括】
前半に演奏されたフランス以外の女性作曲家の作品は手放しで大変に面白い曲だったと思いますが、後半に演奏されたボニス、ブランジェ、シャミナードのフランスの女性作曲家の作品については感想を留保したいと思います。肩肘張らずに聴ける親し易さはあるものの、正直、個人的には苦手な曲趣で、果たして時代の風雪に耐え得るだけの内容のある音楽なのか、もう少し聴き込んでみないと何とも言えないような微妙な聴後感でした。フランス音楽は大好物なのですが…。この3名の中ではブランジェの作品が先進性のある響きを持っているように感じられましたし、シャミナードは着想豊かで面白い作品が多いように感じます。


日本の女子教育の第一人者にして津田塾の創始者津田梅子

以上、作品を一聴しただけの印象を書きましたが、一度に色々な作品を聴いたので各作品の印象がごちゃ混ぜになっているところもありますし、また、正しく各作品の魅力をお伝えできているか自信がありません。音楽の感じ方は人それぞれだと思いますので、ご興味のある方は実際にご自分の耳で確かめてみて下さい(…と言っても、音盤が入手できればの話ですが)。今日は女性作曲家の作品のごく一部が紹介されただけですが、女性作曲家の作品にも男性作曲家に優るとも劣らない十分に魅力的な作品が多いことを痛感させられ、僕のような偏狭者にとっては大変に有意義なレクチャーコンサートとなりました。なお、女性作曲家の作品はもとより、男性作曲家の作品であってもごく一部の作曲家のごく一部の作品しか演奏されない傾向を歯痒く感じています。その責任の大半は我々観客にあると思いますが、その魅力にも拘らず不遇な扱いを受けている作品に光があてられるような機会が少しでも増えて欲しいものだと願って止みません。

◆女性作曲家の作品
女性作曲家の作品を探してみましたが、やはり著名な女性作曲家の作品しかアップされていませんでしたので、その一部を以下にご紹介します。

▼パラディス シチリアーノ

▼クララ ノクターン第2番

▼ファニー ノットゥルノト短調

▼シャミナード 悲愴的練習曲

◆おまけ
音楽とは何なのかを考えさせられる一曲です。静かに耳を澄ましてみて下さい。