大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン

【演題】オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン
【演目】アンドリュー・ロイド=ウェバー ミュージカル「オペラ座の怪人
     <ファントム>ラミン・カリムルー
     <クリスティーヌ>シエラ・ボーゲス
     <ラウル・シャヌイ子爵>ハドリー・フレイザー
     <カルロッタ・ジュディチュルリ>ウェンディ・ファーガソン
     <マダム・ジリー>リズ・ロバートソン
     <奴隷頭(ハンニバル)/羊飼い(イル・ムート)>セルゲイ・ポルーニン
【作詞】チャールズ・ハート
【原作】ガストン・ルルー
【美術】マリア・ビョルンソン
【振付】ジリアン・リン
【演出】ハロルド・プリンス
【会場】ロイヤル・アルバート・ホール
【開演】2011年10月1日、2日
【感想】
昨年、劇場公開されたばかりですが、早くもTUTAYAの新作レンタルに登場したので借りて観てみることにしました。ミュージカルはライブで観なければあの麻薬的な陶酔感を味わうことはできませんが、それでもTUTAYAの新作レンタル5本1,000円ぽっきりで本場ロンドンで開催された豪華キャストによるオペラ座の怪人25周年記念公演のライブ映像を観られてしまうのは至福の限りです。何と言うコストパフォーマンス!!夏休みに入り暇を持て余している子供達は塾へ行く暇があったらTUTAYAへ行って良い映画を貪るように観ましょう。塾では人生を教えてくれませんが、映画は人生を教えてくれます。

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さて、オペラ座の怪人と言えば、ジョエル・シュマッカー監督の見事な映像美によるミュージカル映画(2004年作)が有名ですが、この25周年記念公演の映像は(一部編集されているところはありますが)ライブ公演ならではの舞台の迫真性や舞台演出の妙味を楽しむことができます。パリ・オペラ座を舞台にしたミュージカルですが、スポットライトがあたる舞台(光の世界−現世)からファントムが潜む地下室(闇の世界−異界)へと誘う巧みな舞台演出が一つの見所となっています。また、豪華なキャストによって脇役を含む各配役のキャラクターが際立つ充実した舞台になっており、舞台に隙が生まれません。オペラ座の怪人は1986年10月9日に初演されて以来、昨年で25周年を迎えた超ロングランですが、本場ロンドンの威信をかけて作られた記念公演だけのことはあります。

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ミュージカル映画オペラ座の怪人」(2004年)

このミュージカルは1919年の荒廃したパリ・オペラ座で遺品がオークションにかけられる場面から始まりますが、車椅子に乗った年老いたラウルがファントムの遺品であるオルゴールを落札し、天井から落下したシャンデリアが紹介されたところで、ラウルの記憶は1870年代へとフラッシュバックします。オペラ「ハンニバル」(オペラ「アイーダ」へのオマージュ)のリハーサル風景から始まりますが、ハンニバルに扮する英国ロイヤルバレエ団プリンシパル、セルゲイ・ポルーニンさんの筋金入りの本格的なダンス(指先まで神経の行き届いたしなやかな所作、跳躍の高さ、ターンの正確さetc.)が圧巻で、さすがは本場ロンドンの威信をかけて作られた公演だけのことはあります。奇怪な事件が続くパリ・オペラ座に嫌気が差したプリマドンナのカルロッタが舞台を降板し、その代役としてバレエダンサーであったクリスティーヌに白羽の矢が立てられますが、その舞台を観た幼馴染みのラウルがクリスティーヌに求愛することで、クリスティーヌを中心としたラウル(光の世界―現世)とファントム(闇の世界−異界)との対立構図(葛藤)が成立し、このミュージカルの舞台が設えられます。ファザー・コンプレックスを抱えるクリスティーヌはファントムを亡父が授けてくれた「音楽の天使」だと信じ、ファントムに自分の父親の姿を重ねて思慕しますが、ラウルの登場によって声だけで結ばれていたプラトニックな関係は均衡を破られ、ファントムは次第に人間的な感情(脆さ)を顕にするようになります。クリスティーヌは決して姿を見せないファントムを焦がれて自分の姿を鏡に映してファントムを請い求めるようになりますが、この鏡の向こう側は象徴的な意味でクリスティーヌの深層心理、ファントムが居る地下室(異界)へと通じています。このように鏡を使って異次元の空間(鏡の外の世界と鏡の内の世界)を創出することで、同じ舞台上に異なる位相の世界「現世」と「異界」を出現させて非日常性を演出しています。さしずめ能舞台で言うところの「鏡の間」と同じような機能を果たしていますが、現世との不連続性(相容れないものの存在)を強く印象付けるための極めて効果的な仕掛けだと思います。クリシティーヌは自分の心の闇を照らし導いてくれるファントムに特別な感情を抱いて地下室(異界)へと誘われますが、そこでクリスティーヌが見たものは音楽の天使でも亡父の面影でもなく、地下室(闇の世界)で逃れ得ない自分の不遇を呪い、クリスティーヌ(光の世界)への憧れを募らせる一人の男性の姿でした。そんな中、ファントムは自分の警告を無視してオペラ「イル・ムート」(オペラ「ばらの騎士」へのオマージュ)のプリマドンナをクリスティーヌではなくカルロッタにしたことに腹を立て殺人事件を起こします。この事件によってクリスティーヌは(ファントムに亡父の面影を求めながらも)ファントムを恐怖し忌避するようになり、ラウルの求愛を受け入れる決心をします。ファントムはクリスティーヌの心を取り戻せないばかりか、永遠の愛を誓うラウルとクリスティーヌに嫉妬し、怒りに捉われて心の闇を深くして行きます。光の世界に憧れながら、どうしても闇の世界から逃れられないファントムの悲劇的な宿命が舞台に支配的になって行きますが、ラミン・カリムルーさんがデリケートな演劇でファントムの複雑に揺らぐ感情を上手く処理し、ファントムの怒りに潜む深い哀しみを滲ませる好演を見せています。ファントムはクリスティーヌ(光の世界)への憧れを絶ち難くマスカレード(仮面舞踏会)に出没し、自作の新作オペラ「勝利ドン・ファン」(オペラ「ドン・ジョバンニ」へのオマージュ)を公演しなければ再び事件を起こすと言い残して消えます。オペラ「勝利ドン・ファン」の初日、ファントムは主役のテノール歌手に成り代わって舞台に立ちますが、それがファントムであることに気付いたクリスティーヌが舞台でファントムの仮面を剥ぎ取り、これに怒ったファントムはシャンデリアを客席へ落下させて、クリスティーヌを浚って地下室へと消えます。実際の舞台では火花を散らすだけでシャンデリアを落下させることはありませんが、シャンデリアの落下は単なる劇的な舞台効果を狙ったものに留まらず、光の世界を象徴するものとしてのシャンデリアを破壊する(光の世界との決別)という意味合いもあるのではないかと思います。


エドゥアール・マネ「オペラ座の仮面舞踏会」(1873年)

ファントムは後を追ってきたラウルを捕縛し、ラウルを助けて欲しければ自分の気持ちを受け入れるようにクリスティーヌに迫ります。クリスティーヌはファントムの愛に心からの口づけで応え、ファントムの醜い容姿ではなくその荒んだ心を受け入れられないことを告白しますが、これを聞いたファントムはラウルとクリスティーヌを開放することを決心します。クリスティーヌのファントムに対する愛が真実のものであることを知ったラウルの驚きの表情が遠巻きに映し出されていますが、このミュージカルでは光の世界が闇の世界に打ち勝って大団円となるような勧善懲悪的な結末はとっていません。最後に、クリスティーヌはファントムからプロポーズの為に貰った指輪を返しますが、これはロイド=ウェバーによる前妻ブライトマンへのオマージュであるとも言われています。ファントムは光の世界(現世)へと結ばれ、また、闇の世界(異界)へと通じる入口であった鏡を叩き割ってパリ・オペラ座から姿を晦ましますが、安易な救いは用意されておらず、それだけにファントムの哀しみに満ちた報われない純真な愛(ドン・ジョバンニとは正反対の愛)が胸に迫ります。因みに、映画版では、ラストシーンで車椅子に乗った年老いたラウルが落札したファントムの遺品であるオルゴールをクリスティーヌの墓前に供えますが、そこにはファントムが供えた黒いリボンの結ばれた1綸の赤いバラが残されており、ファントムがクリスティーヌへの想いを抱き続けてクリスティーヌを見守っていたことを匂わせる結末になっています。なお、現在、劇団四季「海」でオペラ座の怪人が公演中なので、お金持ちのお坊ちゃまはライブ公演もお楽しみ戴けます。

http://www.shiki.jp/applause/operaza/

なお、二匹目のドジョウを狙って、このオペラ座の怪人の続編「ラブ・ネバー・ダイズ」が2010年3月9日に初演されましたが、余りにも俗っぽい内容が不評で2011年8月27日に早々と公演が打ち切られました。一応、レンタルDVDもリリースされていますので、第一作のイメージをぶち壊しにされる覚悟のある方はご覧下さい。

アンドリュー・ロイド=ウェバー ラヴ・ネヴァー・ダイズ [DVD]
オペラ座の怪人の続編「ラブ・ネバー・ダイズ」

◆おまけ
映画版からハイライトの画像をアップしておきます。