大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

ヴィオラソナタ・ショスタコヴィチ

【演題】ヴィオラソナタショスタコヴィチ
【監督】アレクサンドル・ソクーロフ
【出演】ショスタコーヴィチ
【会場】川崎市アートセンター 18時
【料金】1,200円
【感想】
現在、川崎市アートセンター新百合ヶ丘)では映画「ファウスト」公開記念として、ロシアの巨匠ソクーロフ選集と銘打ち、「モーツァルト・レクイエム」「ビオラソナタショスタコーヴィチ」「エルミタージュ幻想」等が公開されています。そこで、今日は、(既にDVDも発売され、僕も一度観たことはありますが)「ビオラソナタショスタコーヴィチ」を映画館で鑑賞することにしました。一昔前まではレコード店でショスタコーヴィチのレコードを手に取って見ていると変人を見るような目で見られ、人目を忍んでこそこそとレコードを買い求めたものですが、今では白昼堂々とショスタコーヴィチのCDを買い求めることができるまでに市民権を得て、本当に良い時代になったと思います。この川崎アートセンターは近くに昭和音大があるせいか、到底、ノーマル層の集客が見込めないようなニッチでコアな作品を採り上げる無謀な企画が多く、僕のようなアブノーマル層の客にとっては唸らされるような作品が上映されることがあるので嬉しい限りです。「ビオラソナタショスタコーヴィチ」の映画など、そのタイトルからして、まるで昭和時代の日活ロマンポルノの映画館に足を運ぶような淫靡さが漂ってくるようです。とっても楽しみ..。

この映画はスターリン時代の圧政下で時の権力と闘い続けたショスタコーヴィチの実像に迫ろうとするドキュメンタリーです。ペロストリカ前の1981年に制作された作品で、KGBが上映禁止を命じてフィルムを没収しようとしましたが、ソクーロフ監督が命懸けでフィルムを隠蔽して難を免れたという、この作品自体にも曰く因縁があります。この映画は現代人の目から見るとスターリン政権とショスタコーヴィチとの確執にあまり鋭く切込んでいないような印象を受けますが、当時の時代状況を考え併せて見ると良くぞここまで踏み込んだドキュメンタリーを制作したものだと感心してしまいます。冒頭で「音楽は時代を表現するものである」という趣旨の台詞が出てきますが、この映画はショスタコーヴィチが生きた時代とその微妙な立場を(オブラートに包みながら)伝えることで、ショスタコーヴィチの音楽が持つメッセージ性を炙り出そうと試みたものだと思います。

http://kac-cinema.jp/theater/detail.php?id=000514

冒頭、母親の写真が出てきますが、ショスタコーヴィチの風貌は母親譲りであることが伺えます。早くからモーツァルトの再来と持て囃され、ピアニストとして生計を立てようとしますが、第1回ショパン国際コンクールで優勝を逃したことでこの夢を断念し(とは言っても特別賞を受賞しています)、作曲家としての道を歩み始めます。やがて頭角を示し始めるにつれて歌劇「鼻」の上演中止など徐々にスターリン政権との確執を深めてきますが、交響曲第5番の成功で作曲家としての名声(地位)を回復するものの、時の権力に反発を覚えながら何とか折り合いを付けて作曲活動を続けて行かざるを得ない微妙な立場が描かれています。交響曲第5番の演奏が2つ対比して採り上げられていますが、同じ熱気を帯びた演奏でも、超スローテンポで楽曲を深く抉って行く内向的なムラヴィンスキーの指揮と超快速テンポでエネルギーを発散させて行く外交的なバーンスタインの指揮とでは対照的で、ショスタコーヴィチの音楽が持つ多面性を表すものとして非常に面白かったです。ショスタコーヴィチ第二次世界大戦中に戦争三部作と言われる交響曲第7番、第8番、第9番という重要な作品を次々と作曲し、表向きはファシズムに対する闘争と勝利を表現した音楽と言われていますが、その陰にはスターリン政権との確執が重く圧し掛かり、(この映画では露骨な表現は避けていますが)ショスタコーヴィチの音楽に秘められたもう1つの表現意図が見え隠れしてきます。とりわけ交響曲第9番はロシアが第二次世界大戦勝利した戦勝を記念した作品としてベートーヴェン交響曲第9番と双璧する大作が期待されていましたが、実際には非常に小規模で諧謔性に彩られた楽想にスターリンの感情を逆なでしたと言われています。大仰に振る舞うトローンボーン=スターリンを小賢しいピッコロ=ショスタコーヴィチが茶化すような音楽による風刺画を思わせる部分があるなど、ショスタコーヴィッチの真骨頂とも言える傑作です。時の勢力に挑戦して行く命知らずの豪胆豪気な性格に見えて、反ファシスト集会におけるショスタコーヴィチの演説シーンでの早口で上擦った声を聞いていると、非常に神経質で小心者という性格も伺われます。スターリンの死後はショスタコーヴィチに対する風当りも弱まり歌劇「鼻」の公演を実現させますが、持病の心臓疾患に苦しみながらヴィオラソナタ(遺作)の作曲に取り掛かるまで次々と傑作を生み出して行く様子が描かれています。最後に、ショスタコーヴィチ家の協力を得て、オイストラフがヴァイオリン協奏曲第2番の初演を控えてショスタコーヴィチのアドバイス(テンポ設定)を求めるために電話してきた会話の録音が紹介されますが、この2人の信頼関係が伺える会話内容は大変に興味深いものでした。

ドキュメンタリー映画『ドミトリー・ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ』 [DVD]

◆おまけ
ショスタコーヴィチ交響曲作家と言われていますが、その神髄は弦楽四重奏曲にこそあると思います。..が、決してビギナーには取っ付きやすい印象の曲ではないので、改めて別に機会にご紹介しましょう。以下ではこの映画で関係が深い戦争三部作を中心にご紹介しておきます。ショスタコーヴィチのファンが1人でも増えることを願って..。

交響曲第8番
先日、このブログで紹介した交響曲第7番と以下で紹介する交響曲第9番と合わせて俗に「戦争三部作」と言われている作品です。ロストロボーヴィチが死の直前に来日した最後の公演で指揮した曲ですが、歴史の生き証人として時代の空気を伝える迫真の演奏に会場は感動に包まれたことを記憶しています。

交響曲第9番
ロシアが第二次世界大戦勝利し、ベートーヴェン交響曲第9番とも対比されて、壮大な交響曲が期待されていましたが、非常に小規模でスターリンを揶揄しているような諧謔的な曲想に執行部のお怒りをかったと言われています。この曲に限らず、ショスタコーヴィチの作品はスターリンの陰が感じられます。決して作曲家としての魂を売らず自らの創作意志に忠実であろうとするショスタコーヴィチの心意気ですが、命懸けだったと思います。

組曲「馬あぶ」よりロマンス
ショスタコーヴィチは生活のために映画音楽を手掛けていた時期がありますが、その代表作の1つがこれ。決して牛乳瓶の底のようなメガネで世の中が歪んで見えていたのではなく、こんな素直な曲も書けるんです。

交響曲第7番(ピアノ版)
ショスタコーヴィチの肉声とピアノ演奏が収録されています。ショスタコーヴィチが早口で神経質であることが伺われます。ショスタコーヴィチは第1回ショパン国際コンクールで特別賞を受賞するほどのピアノの名手ですが、ここに収録されているピアノ演奏は荒く、やや投げ遣りな雰囲気が漂っています。後頭部の跳ね上がった寝癖は彼のシンボル。