大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

能楽囃子〜至高の四重奏〜

【題名】能楽囃子〜至高の四重奏〜
【楽曲】道成寺
      <笛>一噌幸政
      <小鼓>北村治
      <大鼓>安福建雄
      <シテ>観世寿夫
      <地謡>観世静夫、山本順之、浅見真広
    鶴ノ舞 (新作)
      <笛>藤田大五郎
      <小鼓>幸円次郎
      <大鼓>安福春雄
      <太鼓>金春惣右衛門
    鈴ノ段 (三番三)
      <笛>寺井政数
      <小鼓>北村治、大倉長十郎、鵜沢寿
      <大鼓>柿原崇志
      <三番三>山本東次郎
    猩々乱
      <笛>一噌幸政
      <小鼓>幸宣佳
      <大鼓>安福春雄
      <太鼓>柿原豊次
    獅子
      <笛>藤田大五郎
      <小鼓>幸宣佳
      <大鼓>安福春雄
      <太鼓>金春惣右衛門
【録音】1973年/水道橋観世能楽堂、1976年/観世会
【音盤】ビクターエンターテイメント
【値段】1995円
【感想】
最近は毎日のように突然の夕立に見舞われ、持ち傘を手離せません。昔から夕立は和歌に詠まれていますが、同じ夕立でも現代の都心で遭遇する夕立はヒートアイランド現象の影響による“ゲリラ豪雨”なので、昔とは大分様子が違うものになっていると思います。しかし、夕立の和歌を詠んでいると昔も今も変わらない風の匂いや季節の音など日本独特の季節感が伝わってきて、時代は移り変わっても昔とは変わらない風情が郷愁を誘います。


夕立の 雲もとまらぬ 夏の日の かたぶく山に 日ぐらしのこゑ式子内親王

さて、今日はチガイが分かる諸兄にお勧めの1枚を採り上げます。能楽囃子を聴いたことがない方でも、クラシック音楽やジャズを愛好し既に耳が鍛え上げられている方であれば、このCDを一聴しただけで尋常ならざる名演奏が収められていることが分かると思います。能の音楽「能楽囃子」は「笛」「小鼓」「大鼓」「太鼓」の四拍子で奏でられますが、そこには明確な旋律やハーモニーのようなものはなく(後者3つはリズム楽器ですし、笛もフルートやリコーダとは異なってカンタービレというより気魄を込めて強く吹きつけるように奏しリズム楽器として使われています。)、非常に複雑なリズムと気魄とが交錯する鬼気迫る又は寂々とした情趣漂う「音場」が作り出されます。西洋音楽に馴らされてきた日本人には、寧ろ、クラシック音楽よりも能楽囃子の方に違和感を覚えるかもしれませんが、日本は現代(昭和~平成)よりも中近世(平安~江戸)の方が文化水準が高かったのではないかと思われる実に精妙な音楽、芸能が発達していたことが伺えます。そのことを示すエピソードを1つご紹介しておきます。

能の音楽が極めたのは、リズムの複雑さと、気魄(きはく)の強さの表現でした。昭和30年代、パリで初めて能が演じられた時、一番衝撃を受けたのはあちらの前衛音楽家たちだったといいます。「ヤラレタ」と叫んだというのは有名な語り草です。指揮者に統率されずに、自分たちのリズム感のぶつかりあい、五線譜に束縛されない、いわば「偶然の中に必然を探る」新しい音楽を目指そうとしていたら、能は7世紀近く前から、すでにそれを実践していたのですから。
〜 観世流 能のすすめ(財団法人観世文庫)より抜粋 〜

このCDの1曲目に収められている道成寺の「乱拍子」を聴けば、上に書いていあることの意味が実感できます。瞑目して音源に耳を澄ませるだけで舞台に張り詰める気の流れ、緊迫感の満ち満ちる「間」の世界が肌身に染み込んでくるようで鳥肌ものです。後半の「急ノ舞」ではリズムを切り詰めながら静から動へと転じて行く変化が見事というほかなく、こんな舞台を生で観せられたら失禁してしまうかもしれません(笑)唯一、世阿弥の再来と言われた観世寿夫さんの舞を見られないのは残念でなりませんが、その謡だけでも悩殺されてしまいます。紛れもなく歴史に語り継がれる名盤であり、今後、これほどのクオリティの高い音盤は登場しないのではないかと思われるような名演、名技が繰り広げられています。なお、そんな名人上手の1人でこの録音にも参加されていた小鼓方大蔵流の北村治さん(人間国宝)が去る7月31日にご他界されました。気魄の篭った打込みの強さ、曲趣を正確に捉えた演奏等で定評がありましたが、大変に貴重な人材を失いました。衷心よりご冥福をお祈り致します。

能楽囃子?至高の四重奏
http://www.asahi.com/obituaries/update/0731/TKY201207310331.html

少し前までは極端な西洋偏重主義から西洋音楽一辺倒の時代が続き、日本の伝統音楽は悉く無視されてきましたが、最近は、日本の伝統音楽の素晴らしさが見直されるようになり、大分、聴衆の意識も変わり始めてきているように感じます。その背景には、これまで盲信的に崇拝されてきた西洋音楽(或いは西洋文明)が行き詰まりを見せていること、良い意味でも悪い意味でも「戦後」(敗戦の後遺症、占領政策の悪影響を含む)からのナシクズシ的な脱却が進んできたこと、経済大国というユートピア建設の誇大妄想から否が応にも覚まされたことなどによるのではないかと思います。何者にも成り得ず、何者でもなくなってしまったノッペラボウの日本人が寄す処とできるものは、(僕は国粋主義者ではありませんが)やはり江戸時代以前にこの国と日本人に息衝いていた日本独特の文化や価値観しかないような気がしています。日本の伝統音楽を含む民族音楽の権威である小泉文夫さんの本を読まれたことがある方は多いと思いますが、最近でも、柴田南雄さん、小沼純一さんの新書が発刊されていますので(いずれ感想を書きたいと思っていますが)、ご興味のある方はいかが。あなたも一緒に古き良き時代にしがみついてみませんか。

日本の音―世界のなかの日本音楽 (平凡社ライブラリー)
日本の音―世界のなかの日本音楽(平凡社ライブラリー)/小泉文夫
日本の音を聴く 文庫オリジナル版 (岩波現代文庫)
日本の音を聴く(岩波現代文庫)/柴田南雄
オーケストラ再入門 (平凡社新書)
オーケストラ再入門(平凡社新書)/小沼純一

◆おまけ