大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀のヴィルトゥオーソ音楽史

【題名】ピアノ協奏曲の誕生 19世紀のヴィルトゥオーソ音楽史
【著者】小岩信治
【出版】春秋社
【発売】2012年12月20日
【値段】2500円
【感想】
最近、遅ればせながらフェイスブックなるものを始めてみました。本当に便利な時代になったものです。プライベートはリアルな生活関係がありますので、改めてフェイスブックの友達に登録していませんが、芸術家の方々(現在約400名)を中心に友達の登録をしています。単に芸術家の方々との友達リストなるものを作るだけならば余り意義はないと思いますが、このリストを使って(お互いに負担にならない程度の軽い)情報交換や意見交換ができるところが優れていると思います。フェイスブックを使って、公演の前に主催者や実演家、創作家の方々から公演や作品の見所や聴きどころなど鑑賞にあたってプラスになる情報を提供して貰って公演や展示会を盛り上げて行ければと考えています。また、我々観客が事後に感想等を投稿することで、主催者や実演家、創作家、ファンの方々と感動を共有し、有意義な意見交換を行う場として活用できるのではないかとも考えています。主催者や実演家、創作家の方々にとっても公演や展示会にあたっての「気持ちの張り」になるのではないかと思いますし、我々観客にとってもより豊かな鑑賞を可能にするツールとして有効です。ホルン奏者塚田聡さんのフェイスブックで「ピアノ協奏曲の誕生 19世紀のヴィルトゥオーソ音楽史」という大変に面白そうな本が紹介されていたので、早速、購入して読んでみました。

この本は題名のとおりピアノ協奏曲の音楽史を採り上げ(とりわけ「ピアノの世紀」と呼ばれる19世紀に焦点をあて)ていますが、これまで色々な本で指摘されてきた鍵盤楽器チェンバロ〜モダンピアノ)の進化がピアノ協奏曲の作曲法や演奏法に与えてきた影響に留まらず、当時の音楽環境や社会環境等を背景とした演奏形態や音楽受容の在り方がピアノ協奏曲の作曲法や演奏法にどのような影響を与えてきたのかなど多面的な視点から興味深い考察が加えられています。さらに、この本では時代に埋もれってしまった(しかしピアノ協奏曲の音楽史を語るうえで欠くべからざる)作曲家の知られざる楽曲を挙げながら、ピアノ協奏曲の音楽史を(点ではなく)線や面として捉えて当時代人やその先後の作曲家が相互に与えた影響を考察することで、ピアノ協奏曲の音楽史における各々の作曲家の位置付けなども明確にされていいます。しかも、ハイペリオンの「ロマン派ピアノ協奏曲シリーズ」をはじめとした音盤紹介も充実していますので、ピアノ協奏曲の音楽史を文字だけではなく音で追体験することも可能です。18世紀末から20世紀初頭に掛けてピアノ協奏曲の音楽史を大きく5つの時代(計10章)に区分して、(ネタバレしない程度に)自分なりの理解、感想を書き加えていきます。なお、このような区分けが著者の意図に沿うものか否かは分かりません。勝手に僕が理解し易いように区分しているに過ぎませんので、予めお断りしておきます。

◆18世紀後半(古典派時代)
− 室内楽的なピアノ協奏曲
18世紀前半にクリストーフォリによってピアノ(Gravicembalo col piano e forte「強弱のつけられるチェンバロ」)が発明されましたが、この時代の銅版画を見るとピアノ協奏曲におけるオーケストラは室内楽のような小編成のアンサンブルであったことが分かります。当時、作曲家や楽譜出版社は新曲の楽譜を出版するにあたりオーケストラのみならず、室内楽(ピアノ四重奏)でも演奏できることを謳い文句にして楽譜を販売していた記録が残されていますが、これは少しでも多くの楽譜が売れるようにという経済的な理由ばかりではなく(尤もこれで生計を維持していたフリーの作曲家や出版社にとっては切実な問題だったとは思いますが)、もともと当時のピアノ協奏曲が現代と比べて室内楽のように演奏され、受容される習慣があったことを示しています。これはインターネット、テレビ、ラジオ、レコードやCD等の音楽メディアが存在せず、また、未だ高速移動手段がなくコンサートホールやオーケストラも整備されていなかった時代に、専ら、音楽は「楽譜」を媒体として流通し、それを自分達で演奏すること(即ち、室内楽的な演奏)で音楽を受容する習慣があったという背景があったのだろうと思います。数年前にピアニストの小倉貴久子さんがプレイエル(レプリカ)を使ってショパンのピアノ協奏曲の室内楽版(ピアノ五重奏版)を演奏されたのを聴いたことがありますが、オーケストラ版では埋もれてしまう内声部がくっきりと浮き立ち、非常に生き生きとした室内楽的なアンサンブルが展開され、この曲の全く異なった魅力(当時の演奏習慣に照らせば、本来的な魅力)を感じ取ることができて新鮮な感動を覚えたことを思い出します。以下にご紹介しますが、そのときの演奏がCDになっていますので、是非、貴兄の蒐集に加えておくべき1枚ではないかと思います。その後、19世紀に入りオーケストラの編成が徐々に大きくなるに従って、ピアノとオーケストラが共奏する部分はオーケストラの首席奏者(ソロ)のみが演奏し(以下で触れる当時のピアノの性能の問題)、それ以外の部分はオーケストラの次席以下(リピエーノ)が加わってオーケストラ全員で全奏するという新しい演奏習慣が生まれました。これについても数年前に有田正広さんが率いるクラシカル・プレイヤーズ東京の演奏を聴いたことがありますが、軽快なフォルテピアノピリオド楽器)の利点を活かしながら小さい音量の弱点を補う非常に理に適った説得力がある演奏が聴かれ、1つの演奏スタイルとして十分に支持できる面白い演奏だったと記憶しています。これ以上詳しい内容に踏み込むのは控えますが(ご興味のある方は本をご購入下さい。)、著者の小岩さんは多角的な視点で可能な限り客観的な論拠(と多少の推論)をあげながら示唆に富む説得力のある分析を展開されています。

推薦盤

− 楽器(ピアノ)の制約
当時のピアノは改良されたチェンバロとして誕生し、チェンバロ又はクラヴィーアは当時の鍵盤楽器の総称する言葉として使われていましたが、当時出版されたモーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調(K595)の楽譜にも「チェンバロまたはピアノのための協奏曲」と記され、モーツァルトのピアノ協奏曲の自筆スコアのピアノ声部にチェンバロと記していたことからも、ピアノがチェンバロ文化の一部として位置付けられていたことが伺えます。このような時代背景のなかでベートーヴェンは革新的なピアノ協奏曲を生み出します。ピアノという楽器の進化と共にベートーヴェンが(独奏曲も含めて)ピアノ曲の作曲法を革新させて行った話は色々な本で触れられていますが、小岩さんによれば、ベートーヴェンはそれまでのピアノ協奏曲とは別の次元、即ち、ロマン派時代のピアノ協奏曲を先取りする音によるドラマ(室内楽的なピアノ協奏曲からオーケストラと対峙するピアノ)を前面に打ち出した新しいピアノ協奏曲を生み出しました。しかし、ベートーヴェンのピアノ協奏曲はリストのピアノ協奏曲とは本質的に異なり、オーケストラと対峙するピアノを志向しながらも、音量不足等の当時の楽器(ピアノ)の制約を所与の条件として、即ち、ピアノの音がオーケストラに埋もれてしまうことがないようにピアノが対峙するオーケストラは管楽器パートのみ、しかも基本的にはピアノとオーケストラ(Tutti)が同時に演奏することがないよう配慮(作曲上の制約)が施されていました。さらに、そのようなピアノの性能との関係で、現代のような旋律楽器としてのピアノではなく本来の和音楽器としての特性を活かす使い方がされています。要すれば、チェンバロ文化としてのピアノの制約を受けた状況で、ベートーヴェンは(ピアノという楽器の進化を予見し先取りするように)次代のピアノ協奏曲を模索した先進性を持った稀代の天才であった言えるかもしれません。この点、当時の楽器(ピアノ)の制約に思慮を巡らすことなく現代的な視点からベートーヴェンのピアノ協奏曲の筆致の至らなさを指摘している記事を偶に見掛ますが、その作品やベートーヴェンという作曲家を理解するうえで有害無益な議論のように思われます。なお、小岩さんは、この本の中でベートーヴェンとリストのピアノ協奏曲の本質的な違いについて詳細に分析を加えられていますので、是非、本を購入してお読み下さい。これまで何気なく聞いていたピアノ協奏曲を歴史的な文脈の中で捉え直すことができ、より豊かな鑑賞の手助けとなるはずです。

推薦盤

【現代的な演奏】ビジュアルは暑苦しいですが、音楽は寒々としています。

室内楽的な演奏】音大生の演奏です。当時の演奏様式から楽曲や作曲家の真実が見えてくることがあります。

◆19世紀(ロマン派時代)
− ポスト・ベートーヴェン時代(フンメル、モシュレス、カルクブランナー、ウェーバー
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」からショパンのピアノ協奏曲第1番が誕生するまでの約20年間をポスト・ベートーヴェン時代としてベートーヴェンショパンの狭間に埋もれてしまった、しかし確実にロマン派への橋渡しの役割を演じたフンメル、モシュレス、カルクブランナー、ウェーバーほか同時代に活躍したマイナーな作曲家をあげて、その様式、和声に加え、ピアノ協奏曲の性格(技巧性、ソロ楽節の拡大)などの時代変遷や当時の音楽受容の多様性などの多角的な視点からベートーヴェンショパンをつなぐポスト・ベートーヴェン時代のピアノ協奏曲の特質が解説されています。アルカンの曲などは演奏される機会が増えてきましたが、小岩さんの本を読んでいると、この時代の作曲家と楽曲はまだまだ未開の地であることが分かります。徐々に音盤もリリースされてきているので見逃せません。なお、近くピアニストの小倉貴久子さんがフンメルの曲を採り上げる興味深い演奏会を開催されますのでご興味がある方はいかが。
http://www.h2.dion.ne.jp/~kikukohp/2013.7.25.html

【フンメル】ベートーヴェンからショパンへの橋渡し

【モシュレス】ベートーヴェンからシューマンへの橋渡し

− ロマン派の開花期(ショパンメンデルスゾーンシューマン
ショパンは、フンメル、モシュレス、カルクブランナーなどの同時代の作曲家の影響を受けながら、グランドオペラを意識した声楽(ベルカント、メロディアス)的で繊細な和声変化に富んだピアノ協奏曲を書き上げたことでピアノ協奏曲におけるピアノのプレゼンスを飛躍的に向上させました。しかし、当時はウィーン式のピアノが主流でオーケストラの音量に対してピアノの音量が圧倒的に不足していた状況に変わりなく、このような状況のなか、当時の楽譜は「オーケストラ伴奏付き」以外に「五重奏伴奏付き」「ピアノ独奏用」の3種類が存在していました。尤も、この背景には、当時のピアノの楽器としての性能の制約に加えて、現代と比べてフル・オーケストラの演奏が困難であった時代に、ピアノ協奏曲は(現代で言えばCDの代りに)室内楽版の楽譜を「メディア」として流通していたことが伺えます。ショパンのパリ・デビュー公演(1832年)でもピアノ協奏曲第1番をピアノ六重奏編成で演奏し、そのため独奏楽器であるピアノが総奏楽器としての管楽器の重要パートを演奏した可能性が高いのではないかと指摘されています。上述のとおりピアニストの小倉貴久子さんがショパンのピアノ協奏曲第1番のピアノ六重奏曲版を演奏された演奏会を聴きに行きましたが、この時もピアノがソロのほかにトゥッティに交じって管楽器パートを演奏され、その躍動感ある生々しい響きが大変に面白く新鮮に感じられたことを思い出します。ピアノ協奏曲というよりも室内楽の風情を楽しむことができた演奏でした。偶に、ショパンのピアノ協奏曲はオーケストレーションが不十分であり、ショパンはオーケストラパートの作曲を不得手としていたという批判を耳にすることがありますが、当時はオーケストラの音量がピアノの音量を圧倒していないことが評価され(オーケストラによってピアノが聞こえなくなることが批判され)ていた時代であり、また、当時のピアノは音量が小さく(弦が平行に張られ、様々な素材の弦が音域によって使い分けられていたので)音域によって音色の個性が違うということを前提に作曲が行われたことを考えれば、現代的な視点から上記のような批判を行うことは失当と言わざるを得ないかもしれません。

ショパンのピアノ協奏曲六重奏版より抜粋】

− ロマン派の発展期(リトルフ、リスト)
ショパンの時代からこの時期に、エラールがダブル・エスケープメントという新しいピアノの機構を開発し、それまで鍵盤が重いと批判されていたイギリス式アクションが改して深く沈む弦が完全に元の位置に戻る前に次ぎの打鍵が可能になり、交差弦や鉄鋼のフレームの採用など徐々に音域が広くパワフルな現代のピアノに近い楽器が造られるようになりました。このような状況のなか、リトルフが古典派のシンフォニーの伝統と近代のヴィルトゥオーソ協奏曲とを融合した近代のピアノの総合力を示す完成度の高い作品を書くようになり、やがてリストが(それまでは室内楽的であった)ピアノ協奏曲を現代のようなオーケストラ曲に転換して行ったことが譜例を挙げながら詳述されおり、同じピアノ協奏曲というジャンルでも、様式だけでなく、その質も大きく変化してきた経緯を俯瞰でき、このジャンルの音楽観を新たにさせられる思いで目鱗でした。その後、ブラームスサン=サーンスが単にピアニストの技巧を楽しむだけではなく深い理解を求めるピアノ協奏曲を書くようになり、それが観客の聴取態度の近代化にもつながってきた経緯や、和音楽器から歌う楽器へ、そして現代の打楽器としてのピアノに至る経緯まで言及されています。

【リトルフの交響的協奏曲第4番より第3楽章】最近の“You Tube”はどんな曲でもアップされています。

こうしてピアノ協奏曲の歴史を俯瞰したうえで、色々な時代のピアノ協奏曲の名曲群を聴いてみると、これまでとは違った感慨が湧いてきますし、時代時代にあった響きや演奏スタイルで作品を味わうことの意義を改めて認識させられる思いがします。さらに、ピアノ協奏曲の歴史を縦軸に捉えるばかりではなく横軸への拡がりという視点で捉え直してみると、僕のような拙輩はピアノ協奏曲というジャンルの魅力のごく一部分しか味わえていないことに気付かされ、残された自分の人生の限られた時間のなかで、果たして、このジャンルをどのように攻略、料理してやろうかと楽しみも膨らみます。そんな豊かな芸術ライフを示唆してくれる好著だと思いますので、自信をもって皆さんにお勧めしておきます。