大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

團十郎の歌舞伎案内

【題名】團十郎の歌舞伎案内
【出版】PHP新書
【発売】2008年4月30日
【値段】740円
【感想】
この三連休はいかがお過ごしだったでしょうか。僕は田舎暮しに憧れて昨年末に神奈川県から千葉県へ引っ越したので、先ずは近傍散策に銚子港までドライブと洒落込みました。銚子港と言えば「金目鯛」が特産でこの時期が一番脂の乗った旬の魚ですが、銚子港の真ん前にある魚料理「常陸」では珍しい金目鯛の刺身を使った名物「きんめ丼」を食べさせてくれます。東京で金目鯛の刺身を食べさせてくれるところは少ない(スーパーで金目鯛の刺身を置いているところも少ない)と思いますが、この魚料理「常陸」は銚子港の真ん前にあるだけあって水揚げしたばかりの新鮮な金目鯛の刺身をいただくことができます。写真を見てもお分かりのとおり、酢飯に乗せられた肉厚の切り身は本当に鮮度の良く、身の締まった “こりこり”“ぷりぷり”とした食感がタマリマセン!本当に美味しい物を食べたときの「胃袋が溶ける」感覚を味わえます。一度、食すると忘れられない味なのでまた足を運びたいと思っていますが、杉良太郎さん、田中邦衛さん、萬田久子さん、志村けんさん、桂米助さんなど芸能人がお忍びでやって来る知る人ぞ知る隠れた名店なので、千葉県にお越しになられたときは少し足を延ばしてお立ち寄り下さい。その甲斐はあると思います。


魚料理「常陸」の名物「きんめ丼」。千葉県知事森田健作さんも是非食してみたいと仰っているとか。
http://www.pagebank.net/choshi/html/cafe/139hitachi.html

もう一品、千葉県の特産品「黒米」をご紹介します。「松阪ポーク」(松阪牛ではなく松阪豚です。最初は僕も間違えました。(ノД`)テヘへ)というキャッチーな看板を掲げて千葉県&茨城県でチェーン展開している「とん膳」で食べることができます。「黒米」は、皇室御用米として献納されていたことがある古代米で、白米と比べて栄養価が高くブルーベリーに含まれているアントシアニンを多く含有し、体にいいアンチエイジング米として評判です。写真を見ると小豆ご飯のように見えますが、麦ご飯と比べて味や食感は白米に近く、目を瞑ってテイスティングすると白米と区別が付かないと思います。千葉県にお越しの際は「黒米」もご賞味下さい。


東京では見掛ない松阪ポーク「とん膳」。ご飯、味噌汁、キャベツのお替りが自由なので、必ず、とんかつ屋ではご飯を2杯はお替りしないと食べた気がしないという向きには安心。
http://www.ju-kou.com/home/tenpo03.html

ブログの枕はこれまで。

さて、先週、歌舞伎の大名跡、第十二代市川團十郎さんが急逝されたとの訃報が飛び込んできました。團十郎さんは中村勘三郎さんの葬儀の頃から体調不良を訴えられ入院されたとのことなので、奇しき因縁めいたものを感じます。2010年10月に歌舞伎座の建替工事が始まってから、中村富十郎さん、中村芝翫さん、中村雀右衛門さん(いずれも人間国宝)、そして、昨年12月に中村勘三郎さん、これに続いて今度は市川團十郎さんが急逝され、新しい歌舞伎座の竣工を前にして看板役者に続く不幸に「歌舞伎稲荷」の祟りではないか(歌舞伎座の脇に祭っていた「歌舞伎稲荷」の上に地上29階建てのタワービルが建ち、これが邪魔でお稲荷さまがお社に降りられずに怒っている)という実しやかな噂まで流れるほどです(将門の首塚に次ぐ都市伝説!)。僕が團十郎さんの舞台を最後に観たのは、勘三郎さんと同様にさよなら歌舞伎座公演だったと記憶していますが、新しい歌舞伎座のこけら落し公演で華々しく舞台を飾るはずであった(世代交代というには早過ぎる)看板役者の相次ぐ不幸に大きな喪失感と共に戸惑いを禁じ得ません。


昭和33年(第十二代團十郎さんが市川新之助を襲名した年)の歌舞伎座
http://www.kabuki-za.co.jp/

さて、第十二代市川團十郎さんが歴代の「團十郎」について平明な言葉で語った、しかも歌舞伎の醍醐味に迫る充実した内容の本の感想を認めることで團十郎さんへのオマージュにしたいと思います。因みに、僕は昨年10月に“iPhone5”に買い替えたときからカバーケースと待受画面の壁紙を「隈取り」と「三升紋(成田屋)」をデザインにあしらった歌舞伎装束にしていますが、新しい歌舞伎座のこけら落し公演の前にこんなことになってしまうとは返す返すも残念です。

團十郎」を代表とする江戸歌舞伎が荒事芸なのに対し、どうして「藤十郎」を代表とする上方歌舞伎が和事芸なのか、第十二代團十郎さん(便宜上、以下「当代」といいます。)はその原因が関ヶ原の戦いにあるのではないかと分析しています。戦に勝った東軍の江戸方は英雄を好み、戦に負けた西軍の上方は英雄を好まなくなった、天下分目の合戦が東西の人々の考え方、生き方、そして歌舞伎の特色に影響を及ぼしたのではないかと面白い論を展開されています。そのような気質を持った江戸の庶民は三度の飯より喧嘩が好きで、その喧嘩をうまく采配する男伊達、侠客、地回り衆などが現れ、さらに、(喧嘩は商売や行商の場所取りに端を発するものが多く)良い場所を取る為にこれらの者に上納金を渡す者が現れ、それがやがて(命掛けで庶民を守る任侠としての)「ヤクザ」へと変質していったようです。男伊達の集団の中から初代市川團十郎の祖先が生まれたそうなので、團十郎の荒事芸の素地が何となく垣間見えるような気がします。“しばらく~!”“待ってました、成田屋!”

当代が歴代の「團十郎」を一言で評すると以下のとおりになるそうですが、詳しくは本を読んで頂きたいと思います。映像が残されている訳ではありませんので、当時の文献や浮世絵などを参考に語られているものだと思いますが、歴代の「團十郎」の変遷と共に、江戸歌舞伎の変遷、トリビアチックな薀蓄話、そして当代ならではの示唆に富む独特の知見が紹介されていて読み応えがあります。当代の芸風は「鷹揚」「品格」といった感じですが、是非、本を買って読んで下さい。

◆当代による歴代「團十郎」の一寸評

 初代:豪快
 二代:話術
 四代:実悪
 五代:洒脱
 七代:革新(團十郎型、歌舞伎十八番の誕生)
 九代:信念
 十一代:朴訥


左から、先代團十郎、第十二代團十郎、当代海老蔵

当代が折口信夫さんの説として「舞」は廻ることを中心に構成されていてるのに対し「踊り」は上下に飛び跳ねるもの、また、「舞」は弾み(跳躍のための伸縮)がないのに対し「踊り」には弾みがあるということを書かれていますが、西洋のバレエと歌舞伎や能楽、日本舞踊の違いは、西洋のバレエが真っ直ぐに腰を伸ばして上へ上へとアピールして行く(縦方向の動き、踊り)のに対し、歌舞伎や能楽、日本舞踊では腰を据えて地を擦るように下へ下へアピールして行く(横方向の動き、舞)という特徴に顕著だと思います。これは西洋が狩猟社会、日本が農耕社会として発展してきた歴史的背景があり、西洋では鳥や獣を追って空を見上げて飛び跳ねていたのに対し、日本では田植えに代表されるように腰を屈めて土地を耕していたという違いに由来するのではないかと思われます。その違いが西洋と日本の宗教観にも表れていて、キリスト教などの唯一絶対神(昇天)を信仰する西洋と、神道などの多神教(帰土)を信仰する日本の思想性の違いにつながり、それが芸能文化、風俗習慣等にも色濃く影響しているのだろうと当代の示唆に富む文書を読みながらウツラウツラと考えを巡らせます。なお、当代は旋律を奏でられる三味線が登場したことでそれまではリズム楽器(太鼓などの鳴り物と琵琶などの弦楽器)が主体であった日本の芸能は一変したと書かれていましたが、以前、永六輔さんが日本の義務教育では三味線を「淫楽」として教えないと憤慨されていたことを思い出しました。もし本当にこんな失当なことを考えている教育関係者がいるのだとすれば、現代に生きる我々が次世代への責任として考えを改めさせて行く努力を続けていなければならないように思われます。まことにけしからん、かっっ(睨み)。

この本を読みながら当代のおっとりとした独特な口調が頭を巡っていましたが、改めて、当代の示唆に富む知見に触れながら面白い人を亡くしてしまったなという寂寥感がジワジワと込み上げてきます。まだまだ当代の追悼番組も放映されますので、その大きな芝居を心に刻み付けておきたいと思っています。たくさんの夢をありがとうございました。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

▼第十二代團十郎海老蔵親子のパリ・オペラ座での勧進帳です。

フォーレのレクイエムから「アニュス・デイ」。第十代團十郎の御霊が安らかに召されますように..。

▼歌舞伎は日本のミュージカル...そう言えば、既にレミゼ(映画)は公開されてから半年以上のロングランですが、皆さんのご案内のとおり諸事情により未だ観に行けません。早く映画館で観てみたいです。