大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

伊八、北斎からドビュッシーへ −日仏文化交流の麗しき円環−

【題名】伊八、北斎からドビュッシーへ −日仏文化交流の麗しき円環−
【著者】栗原浩太郎
【出版】創英社/三省堂書店
【発売】2014年2月28日
【値段】1400円
【感想】
去る6月3日は「ムーミンの日」だそうですが、語呂合わせが大好きな日本人ならではの記念日です(正式には著者のトーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日だとか。因みに、今年はトーベ・ヤンソンの生誕100周年です。)。何故、僕がハンドルネームをスナフキンとしているのかについては、先日、このブログでも紹介したとおりスナフキンの自分自身に素直であろうとする自由な生き方(ボヘニアニズム)に共感していることに由来しますが、(人生の折返し地点を過ぎて僕にはあとどれくらいの時間が残されているのか分かりませんが)死の床にあって自分の人生がマズマズであったと思えるように自分自身の心を欺くことのない人生の選択(人生の折り合いの付け方)をして行きたいものだという心持ちでいます。天文地理学を用いて日本で初めて精巧な日本地図を完成させた伊能忠敬(千葉県九十九里町出身)は51歳(江戸時代の平均寿命は50歳以下なので当に楽隠居の年齢ですが)から天文学の第一人者である高橋至時に師事し、55歳から15年の歳月を掛けて約4万km(≒地球一周分)を踏破して日本地図を完成するという大業を成し遂げていますが、ここまで大きなロマンや情熱を持ち得るかは別として、伊能忠敬の何歳になっても自分の好奇心に忠実であろうとする自由な生き方にシンパシーを感じますし、僕もそのように自分自身に素直に生きたいものだと常々心掛けています。あらゆる人生の問題に対する答えは自分自身の中にこそあり、人生の困難に直面したときは自分の外(他人を含む)に答えを求めようとするのではなく自分自身と向き合って答えを見い出して行く姿勢が大切で、その意味で芸術は自分自身と向き合い自分自身を写す縁として僕にとって掛け替えのないもの(生涯の宝となるもの)なのです。
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130602/p1


左上から、1枚目〜3枚目:よい季節になってきたので水郷として有名な佐原(千葉県佐原市)で水遊び。川面に写る柳の風情と古式ゆかしい町並みが溶け合って独特の雰囲気を湛える本当に魅力的な町です。4枚目:水郷佐原には伊能忠敬が後年に居を構えた旧宅(修復工事中)があり、その近くに伊能忠敬美術館もありますので、是非、お立ち寄り下さい。
左下から、1枚目〜3枚目:九十九里にある伊能忠敬の生家跡(公園)とそこから程近い九十九里海岸。幼少期の伊能忠敬もよく眺めていたであろう九十九里の海岸線を遥かに仰ぎ見ると、晩年に天文地理学を極めて日本地図の作成に着手した伊能忠敬男のロマンの淵源が偲ばれます。因みに、夜の九十九里海岸は太平洋を包み込むように満天の星空が拡がる大パノラマと“日の出”ならぬ“月の出”(水平線から真っ直ぐに海面を照らし出す青白く淡い月光は実に幻想的でロマンチックなので夜のデートにお勧めです❤ 九十九里海岸は車で海岸線まで入れるところも多いので、静かなピアノ曲をBGMに身も心も月光浴に浸ったり、カメラを片手に季節の星座を眺めながら神話の世界を旅してみるなんてお洒落じゃありませんか♪)を拝むことができます。4枚目:川崎大師・西新井大師と並ぶ関東三大厄除大師の一つに数えられる観福寺(千葉県佐原市)には伊能忠敬の墓碑があります(上野の源空寺にも墓碑があります。)。観福寺の有名な枝垂れ梅も見事です。

<写真の追加 2014/11/30>

蛇足ながら、伊能忠敬が千葉県出身であることに因んで、奈良時代には千葉のことを「上球」と記していたようですが、「球」は「房をなして稔る果実」を意味しています。また、平安時代には麻がよく育つ土地柄からその別名である「総」(ふさ)の名をとって「総の国」とも記していたようで、そこから現代でも使われている「上総」や「房総」の呼称が生まれたようです。さらに、千葉には多くの「茅」(ちがや)が生息していたことから古くは「茅生」(ちぶ)とも呼ばれ、それが「千葉」(ちば)へ転じたとも言われています。このように「千葉」の名前は農産物に恵まれた豊かな大地という土地柄に由来しているようです。因みに、そのような土地柄もあってか、伊能忠敬の生家跡の直ぐ近くには、8代将軍吉宗の御下命を受けた蘭学者青木昆陽が関東地方で初めて甘藷(サツマイモ≒“根”が太くなったもの)と馬鈴薯(ジャガイモ≒“茎”が太くなったもの、ジャガイモは根(栄養分を吸収するところ)ではなく茎(栄養分を蓄えておくところ)なので放っておくと芽が出てきてしまいます)の栽培に成功した「関東地方甘藷栽培発祥の地」(千葉県九十九里町)があります。また、千葉は思想学問(日蓮宗開祖である日蓮聖人や儒学者荻生徂徠などを輩出)や文化芸術(今年刊行200周年を迎えた曲亭馬琴の読本「南総里見八犬伝」を生み、小説「野菊の墓」で有名な伊藤左千夫や日本画家の東山魁夷などを輩出、その他は後述)が非常に栄えた歴史のある土地でもあります。芸術好き・自然好きの僕にとっては京都・滋賀に並ぶ鼻血が止まらない魅力的な場所なのです。


左から、1枚目:千葉に遁世して久しいですが、僕の自宅周辺には見渡す限りの大自然が広がり、早朝、まるで大地が呼吸しているように幻想的な朝霧が立ち込めます。“鞭聲粛々夜河を過る”と詩吟が聞こえて来そうな濃霧に包まれることも珍しくなく、都会では決して感じることができない大自然の息吹を感じます。2枚目:千葉は鋸山などの豊かな採石場があり、江戸時代後期に「鋸山の麓に名工あり、その彫技神妙なり」と称され、厳島神社(千葉県南房総市)にある七福神の石造でも有名な名石工・武田石翁を輩出していますが、現在でも県内には数多くの石材店が軒を連ねています。因みに、鋸山の麓の鋸南町浮世絵の祖、菱川師宣の生誕地でもあるので、後述するとおり葛飾北斎は波の伊八と菱川師宣を生んだ千葉と浅からぬ因縁で結ばれていることになります。そんな土地柄を受けて僕の家の玄関前の石造のお地蔵さんはいつもお世話になっている宅配業者さん&郵便局員さんの交通安全と毎日の無事を祈っています。

さて、本題に移りますが、江戸時代末期の千葉県では“安房の三名工”と称された名彫刻師(1)木造彫刻の武志井八郎信由(俗に“波の伊八”)、(2)木造彫刻の後藤利兵橘義光、(3)石造彫刻の武田石翁を輩出していますが(千葉県は=浮世絵の祖・菱川師宣狩野派の祖・狩野正信なども輩出している文化的に肥沃な土地柄ですが)、とりわけ江戸末期には「関東へ行ったら波を彫るな」とまで言わしめた“波の伊八”が欄間彫刻に数多くの傑作を残し、(下の写真を見てもお分かりのとおり)その代表作の1つである「波と宝珠」(行元寺)に着想を得た葛飾北斎は世界的に有名な浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を創作し(「波と宝珠」は「波」(即ち、運命)に翻弄されて生滅流転する「宝珠」(即ち、人間の魂)を描いていますが、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「宝珠」を「富士山」に置き換えてその代りに荒波に翻弄されて押送舟(房総半島から江戸に魚を運ぶ快速舟)に必死にしがみ付くしかない水夫の鬼気迫る姿を描き込むことで同じテーマを扱っていることが伺えます)、さらに、その浮世絵に多大なインスピレーションを受けたドビュッシーは彼の代表作の1つである交響詩「海」を作曲しています(交響詩「海」の初版譜表紙は浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が使用されていることは有名ですが、富士山がカットされてしまっているので、波の“動”又は“無常なもの”に対照して描かれている山の“静”又は“恒久不変なもの”が生む求心力や緊張感(波の勢いを含む)、遠近感などが削がれてしまっているのは残念です。)。また、この作品はピカソ(絵画「ドラマールの肖像」で用いられている視点移動法など)、ゴッホ(絵画「ローヌ川の星月夜」で用いられている点描法、絵画「アルルの跳ね橋」で用いられている覗き画法など)、モネ、セザンヌ(絵画「サント=ビクトリア山」で用いられている動的遠近法など)、クールベ(絵画「波」で用いられている動的遠近法、点描法など)などの西洋絵画に多大な影響を与えています。このように日本文化及び西洋文化に多大な影響を与えている“波の伊八”ですが、何故か(僕の知る限り)日本の教科書で“波の伊八”が採り上げられることはなく、その作品の芸術的な価値(審美眼をお持ちの諸兄であれば、その作品の生命力、芸術的な価値の高さは一目だと思います。)に反比例して極めて不当に冷遇されています。
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130422/p1
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130715/p1


左から、1枚目:武志伊八郎信由(“波の伊八”)の欄間彫刻「波と宝珠」、2枚目:葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」、3枚目:ドビュッシー交響詩「海」の初版譜表紙、4枚目〜5枚目:“波の伊八”が馬に跨って海に入り波をスケッチしたと言われている太東海岸(千葉県夷隅市)の全景とテトラポットに砕ける波の象形。北斎の大胆な構図(デフォルメ)と共にディーテイルに拘った繊細な描写力が作品に活き活きとした生命力、躍動感を与えています。

上述のとおり“波の伊八”の欄間彫刻の傑作「波と宝珠」は運命(波)に翻弄されて生滅流転する人間の魂(宝珠)をテーマとし、それが葛飾北斎の浮世絵の傑作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にも受け継がれていると書きましたが(荒波に翻弄されて舟にしがみつく水夫の表情を描かずに没個性化することで人間の魂をシンボリックに表現し、これが絵のテーマに永遠性、普遍性を与えているように感じられます)、「波と宝珠」や「神奈川沖浪裏」は観る者に強烈なインスピレーションを与える作品であり、その痕跡は交響詩「海」の細部にも発見することができます。例えば、第二楽章「波の戯れ」でハープが掻き鳴らす嬰イ音(以下の楽譜の56(198)ページから、ヴィオラ&チェロからヴァイオリンへと受け継がれて表現される荒波の高なり(楽譜下段、五線譜の左欄外に楽器指定のない段、最下段より低い音を奏でる楽器から高い音を奏でる楽器の順番で記譜され、下から一段づつコントラバス、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンがそれぞれの段を演奏)、その頂点に達したところで「神奈川沖浪裏」に描かれている毛巻のような波が次々と泡沫(水滴)になって潮解して行くイマージュをハープ(楽譜中段、五線譜の左欄外にHarpesと楽器指定のある段)が奏で始める部分は「波と宝珠」そして「神奈川沖浪裏」が持つテーマ性や荒波のモチーフから受けたインスピレーションが見事に音楽へと昇華している部分と言えると思います。但し、この曲で表現されている海(又は波)は描写的(物質的、実体的)なものとは異なり、何もないところ(無)から波(有)が生成されそれと同時に波(有)が泡沫となって消滅(無)して行く間断のない変異のイマージュ、無形の海が無数の有形の波を生成しその無数の有形の波が消滅して無形の海に戻る断続的な変異のイマージュなどが素描され、(意識的か又は無意識的かは別としても)“色即是空、空即是色”や“無常観”といった日本文化のエッセンス(仏教思想)と相通じる世界観(観念)が描かれていると言えるとかもしれません。


左から、1枚目:ドビュッシー、右はストラヴィンスキー。後ろの壁には、葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と喜多川歌麿の浮世絵「当時全盛美人揃 玉屋内しづか」が掛けられています。ストラヴィンスキー北斎歌麿の作品に見られる「遠近法や量感の図式的解決が音楽において何か類似したものを発見」させると語っていることからも、両者の作品から多大なインスピレーションを受けていたことが伺われます。2枚目:ドビュッシーが所蔵していた漆箱の蒔絵、南州「金の魚」の図柄は、映像第2集の第3曲「金色の魚」の作曲にインスピレーションを与えたと言われています。

【楽譜】
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/b/b6/IMSLP15420-Debussy_-_La_Mer__orch._score_.pdf

因みに、ドビュッシーガムラン音楽や日本を含む東洋音楽の影響も色濃く受けており(同時代人のプッチーニ日本民謡川上音二郎貞奴の舞台や越後獅子の演奏等に強い影響を受けていたと言われています)、ドビュッシーの作品には当時行き詰まりを見せていた機能和声法からの脱却、全音音階や五音音階の使用、拍節から自由なリズムの採用などの特徴が顕著に現れています。交響詩「海」に見られる日本の音楽の影響については、後掲「伊八、北斎からドビュッシーへ −日仏文化交流の麗しき円環−」(創英社/栗原浩太郎著)の135ページ以下に詳述されていますので、ご興味のある方はお買い求め下さい。なお、NHK(Eテレ)の日曜美術館等で“波の伊八”の特集を放送して貰えないものかと何度かリクエストを出していますが、いつも大変に良質の番組を作られる懐の深いNHKのことですから、いずれ時機を見てリクエストを叶えて戴けるのではないかと期待しております。

[rakuten:hmvjapan:11192815:detail]


欄間彫刻「波と宝珠」(行元寺)の前掲の写真を裏から見たもの。実際には、こちらが表面で前掲の写真が裏面ですが、葛飾北斎が前掲の浮世絵を「神奈川沖浪」と題しているのはこの欄間の裏面を題材としているからとも言われています。実物を目の当たりにするとその圧倒的な存在感、作品の生命力に息を呑みますが、これだけ繊細でダイナミックな“動き”のある彫塑、しかも波しぶきの“音”までもが聞こえてきそうな鬼気迫る(死を予感させる)活き活きとした波を見せられた葛飾北斎の感嘆たるや如何ばかりのものであったか察するに有り余るものがあるように感じられます。その葛飾北斎が見た作品(実物)が目の前にあると思うと、尚更のこと感興極るものがあります。白洲正子さんがご著書の中で仏像は薄暗い厨子に収められているから恭しく有り難いものに観えるけれども、蛍光灯に煌々と照らされたショー・ウィンドーに収められているとどうも有難味が薄れて興醒めするという趣旨のことを語られていたと記憶していますが、欄間彫刻もその作品が本来の魅力を発揮し最も活き活きとした生命力を宿す「空間」があるという意味で同じことが言えるかもしれません。


欄間彫刻「波と宝珠」は行元寺(千葉県いすみ市)の離れにある客間(下図のとおり3部屋に仕切られ、庭から見て1室目と2室目を区切る襖の上に1つ目の欄間(黒線)、2室目と3室目を区切る襖の上にある2つ目の欄間(赤線)が「波と宝珠」)に設えられていますが、庭から差し込んだ採光が1つ目の欄間を透かして2つ目の欄間「波と宝珠」に差し込むように細工されており、朝夕や天候によって差し込む採光の明度とそれが生み出す陰影の濃淡、色調などが変化し、それが「波と宝珠」に様々な表情を生み出すという名工“波の伊八”の絶妙な計算が隠されています。写真撮影が禁止されているため、その変化の様子を写真に収めることは叶いませんが、子々孫々に受け継ぐべき稀代の名作と言えましょう。

【客間】
    □
     
    □
    ↑(採光)
    庭


称念寺(千葉県長生郡)の欄間彫刻「龍三体の図」伊八最晩年の大傑作で、向って右に赤龍、左に白龍を従えて、正面から尾を巻き上げて襲い掛かる青龍(昇り龍)の躍動感ある迫力に息を呑みます。これだけの大傑作にも拘わらず、いつ行っても称念寺は人気がなく、また、本堂は仏事がある時以外は締め切られていますので(一応、ガラス戸になっていますので内部を覗き見ることができるように配慮されていますが、ガラスの乱反射に邪魔されて作品の息吹は全く伝わってきません..。写真集を見る限りでも稀代の名工“波の伊八”が丹精を込め神技を尽した大傑作であることが分かります。)、人類の至宝とも言うべき大傑作が人知れず埋もれてしまっている感を否めず大変に残念でなりません。法的に言えば、この欄間は寺社の所有物であり仏事で檀家が拝む以外は一般に公開しないと言われてしまえば身も蓋もありませんが、その芸術的な価値に着目すれば、人類共有の文化的遺産とも言うべき大傑作であり、檀家のみならず広く一般に公開してこそ作品を活かすことにつながるのではないかと思いますし、また、現代人のみならず子々孫々に受け継がれて行くべきものだと思いますので、その公開の仕方や作品の保存の仕方を含めて一層手厚い公の助成が望まれる、と生意気なことを言いたくなるほど惚れ惚れする作品なのです。


飯綱寺(千葉県いすみ市)の欄間彫刻「天狗と牛若丸」と「波と龍」飯綱寺には源義経伊豆半島から飯綱寺に寄って奥州へ船で逃れたという伝説が残されており、これに主題して「天狗と牛若丸」が彫られたと言われています。本堂の入口には青と赤の天狗の面が掲げられ、本堂内の欄間直上の天井には葛飾北斎の師である堤等淋作の龍の絵が描かれています。また、飯綱寺には嵯峨天皇直筆の般若経や関白近衛信房の和歌(小倉山荘色紙和歌)などが所蔵されている名刹です。なお、飯綱寺の程近くに「いすみ市郷土博物館」があり、波の伊八の欄間彫刻に加えて、千葉県いすみ市狩野派の祖、狩野正信の生誕の地であることから狩野派の作品も数多く展示されていますので、お立ち寄り下さい。

▼鴨川郷土資料館の特別展
真福寺(神奈川県横須賀市)にある波の伊八の欄間彫刻「黄公石と張良」が鴨川郷土資料館に展示されていたときの様子が公開されています。これだけ真近に色々な角度から欄間彫刻を拝見する機会はありませんので、その細部に至るまで波の伊八の神技が冴えわたる傑作を堪能できました。この欄間の裏面には全く異なるモチーフとして激流を縫うように泳ぐ鯉の彫刻が活き活きと彫られていていますが、まるでバッハの「フーガの技法」を彷彿とさせる奇跡的とも言える神技に舌を巻きます。
http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=389

▼波の伊八の作品一覧
http://www.tsuchiura.org/~kokentik/miyadaiku/kanto/ihati.html

▼波の伊八の講談をやられる講談師の神田あおいさんのWebページ
http://kandaaoi.com/

▼波の伊八Tシャツ(特注で“4L”サイズまであるので、男性諸兄にも鯔背に着こなせます。)
http://www.ihachi.com/


左から、1〜2枚目:波の伊八の生誕地&工房跡(千葉県鴨川市)、3枚目:波の伊八の工房跡の直近にある金乗院にある波の伊八の欄間彫刻「酒仙の図」と「向拝の龍」、4枚目:波の伊八の工房近くにある鴨川の海、5枚目:ウフフ❤の結果

チバテレビの「ちば見聞録」で波の伊八を採り上げた番組

◆おまけ
ドビュッシーのベルガマスク組曲より第3番「月の光」。休日の夜、ふらっと九十九里海岸へ一人でドライブ。夜のしじまに包まれ青白く淡い月光に照らされた九十九里の海。浜辺に車を止めて零れ落ちそうな満天の星空を見上げならが静かに打ち寄せる波の音が心地よく響く。カーステレオから流れるドビュッシーの音粒が夜空へと澄み渡って行くようだ。音楽と一体になれる至福のひととき..♪

ショスタコーヴィチ「24の前奏曲とフーガ」。瞑目しながら音と音の間に拡がる深淵な精神世界に耳を傾けていると、自分と音楽だけの悠久の時間に浸れます。

シューマン「ピアノ四重奏曲」より第三楽章。ロベルトの妻クララへの愛に溢れています。おまけのおまけ。

ドビュッシーピアノ三重奏曲」より第三楽章。おまけのおまけ。