大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

映画「HOKUSAI」とモンテベルディとシェーンベルク

f:id:bravi:20210603081004j:plain2024年に刷新される新千円札の裏面には葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用されますが(因みに、新一万円札の表面:渋沢栄一、裏面:東京駅(丸の内駅舎)、新五千円札の表面:津田梅子、裏面:藤、新千円券の表面:北里柴三郎、裏面:富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」)、それに肖ってのことか映画「HOKUSAI」が公開されたので観に行くことにしました。ドビュッシー交響詩「海」初版譜表紙ドビュッシーの希望によって葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(1823年制作開始、1831年発行)で飾られており、ドビュッシーの書斎に富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が飾られている写真が残されていることなどから、ドビュッシー富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受けて交響詩「海」を作曲した可能性について指摘されていることは有名な話ですが、葛飾北斎が房総を訪れた際に、波の伊八こと、武志伊八郎信由の欄間彫刻「波と宝珠」(1809年完成)からインスピレーションを受けて富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を創作した可能性(Good artists copy, great artists steal.  Pablo Picasso)について指摘されていることは意外と知られていません。この点、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」は本牧沖から見た構図ではないかと言われていますが、その源泉を辿れば、波の伊八が欄間彫刻「波と宝珠」を創作するためにスケッチし、東京オリンピックのサーフィン会場になっている大東崎(日本のサーフィン発祥の地である釣ケ崎海岸)の波富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の生み(海)の親ということになります。もし東京オリンピックが開催されることになれば(その是非は別論として)、世界中のサーファーが「伊八(北斎)の波」に乗りにくることになります。但し、カエルの小便のような小波しかない日もありますので、どうなることやら心配になりますが....。

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①御宿海岸(千葉県夷隅郡御宿町六軒町505−1
源頼朝上陸地の碑(千葉県安房郡鋸南町竜島165−1
九十九里浜千葉県山武郡九十九里町真亀
神明神社千葉県鴨川市東江見332
菱川師宣記念館(千葉県安房郡鋸南町吉浜516
⑥大東岬(釣ケ崎海岸)(千葉県長生郡一宮町東浪見
⑦行元寺(千葉県いすみ市荻原2136
⑧金谷港(千葉県富津市金谷4303
①相棒のハーレーと御宿海岸/風に誘われ、房総半島をツーリング。 源頼朝上陸地と富士源頼朝は石橋山合戦に敗れて房総半島に遁れ、味方を募って再起し、3ケ月後に富士川合戦で平家に大勝。房総は敗者復活の地。 九十九里浜とサーファー源頼朝が1里毎に矢を立てさせて海岸線の長さを図ったところ、99本の矢が必要だったことから九十九里浜命名 ④浅野家屋敷跡(神明神社大石内蔵助切腹6年後、浅野内匠頭長矩の弟・浅野大学長広は幕府から安房国朝夷郡・平郡500石を与えられ御家再興 菱川師宣見返り美人」像/浮世絵の創始者菱川師宣は千葉県鋸南町保田が出身地。狩野派の祖・狩野正信は千葉県いすみ市大野が出身地。
⑥大東岬(釣ケ崎海岸)/波の伊八が波をスケッチした場所。日本のサーフィン発祥の地としても知られ、東京オリンピックのサーフィン会場。 ⑦行元寺(欄間彫刻「波と宝珠」)/大東岬(釣ケ崎海岸)から西へ約10kmの行元寺で、1809年に波の伊八が欄間彫刻「波と宝珠」を完成。 ⑦行元寺(パクリンピック)葛飾北斎は欄間彫刻「波と宝珠」にインスピレーションを受けて、1831年に富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を発行。 ⑧房総半島と富士/富士山の見え方から、葛飾北斎本牧沖から見える富士ではなく房総半島から見える富士を心象風景にして描いた可能性が指摘。 ドビュッシーの書斎と神奈川沖浪裏ドビュッシーストラヴィンスキーが映る背後の壁には葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が掲示

 

【題名】映画「HOKUSAI」
【監督】橋本一
【脚本】河原れん
【撮影】角田真一
【美術】相馬直樹
【音楽】安川午朗
【監修】久保田一洋
【浮世絵指導】向井大祐、松原亜実
【出演】<葛飾北斎(青年期)> 柳楽優弥
    <葛飾北斎(老年期)> 田中泯
    <蔦屋重三郎> 阿部寛
    <柳亭種彦> 永山瑛太
    <喜多川歌麿> 玉木宏
    <滝沢馬琴> 辻本祐樹
    <東洲斎写楽> 浦上晟周 ほか
【感想】

f:id:bravi:20210601044345j:plainネタバレしない範囲で簡単に映画「HOKUSAI」の感想を残したいと思います。この映画を観るにあたり、中学及び高校で習った化政文化時代の概要をお浚いしておくことが有益です。葛飾北斎が活躍した化政文化時代(18世紀後半から19世紀前半)は浮世絵、滑稽本、川柳、歌舞伎など「洒落」や「通」を好む町人文化(同じ町人文化でも、元禄文化ブルジョアジー層の文化、化政文化プロレタリアート層の文化)が華開き、これにより庶民教育が活発になって庶民の間にも政治や社会を風刺する批判的精神が高揚するなか、幕末(近世末期)から明治(近代初期)にかけて活躍する人材が育まれ、2024年に刷新する新紙幣に採用される渋沢栄一、津田梅子や北里柴三郎など日本の近代化を推進する人材を輩出する伏線となりました。この時代は文化(時代)の爛熟期にあたり、庶民は、喜多川歌麿美人画東洲斎写楽の役者絵など「退廃的、那的、享楽的な趣味」の作品に魅了されると共に、十返舎一九滑稽本東海道中膝栗毛」、葛飾北斎の名所絵「富嶽三十六景」、歌川広重の名所絵「東海道五拾三次」などの影響による旅行ブーム、念仏修験行者・播隆による槍ヶ岳初登頂など「未知の世界」への挑戦に胸を熱くし、鶴屋南北の歌舞伎「東海道四谷怪談」、滝沢馬琴の読本「南総里見八犬伝」などに見えられる「異質な世界」への好奇心に心を躍らせていた時代です。

 

f:id:bravi:20210603080809j:plain柳楽優弥さんが演じる葛飾北斎(青年期)は、当初、「目に見えるもの」を描くことのみに執着しますが、遊女の内面や艶を巧みに捉えて独創的に表現する喜多川歌麿美人画や、役者の個性や独特な身体表現を巧みに捉えて独創的に表現する東洲斎写楽の役者絵などに触れ、それらの才能に対抗心や嫉妬心を抱きながらも「目に見えるもの」のみを描くのではなく「心に見えるもの」を描くことで対象(画題)の本質に迫ることを学び、その才能を開花させながら自らの独創的な表現を確立して行く人間味溢れる姿として描かれています。この点、西洋画は「影」を描くのに対し、日本画は「影」を描かないことが特徴的な違いとして挙げられますが、西洋画は写実性を重視し陰影法や線遠近法を利用して絵を描くことを伝統(西洋文化は父なる神による父性原理を基調とし、父と子が肉体的に一体ではなく主客の別があるように全てのものを「区別」する世界観から、対象を外から客観的に捉える視点)とする一方で、日本画は心象風景を重視し平面的な構成のなかでデフォルメした造形や色彩を利用して絵を描くことを伝統(日本文化は女神による母性原理を基調とし、母と子が肉体的に一体であり主客の別がないように全てのものを「包含」する世界観から、対象を内から主観的に捉える視点)としており、このような日本画の特徴からインスピレーションを受けたマネ、モロー、ピカソセザンヌゴーギャンなどは西洋画の伝統である「写実の呪縛」から解放され、新たな創作の視点(I paint objects as I think them, not as I see them. Pablo Picasso)を見い出します。

 

f:id:bravi:20210603080114j:plain田中泯さんが演じる葛飾北斎(老年期)は、絵師として円熟の境地に達し、その研ぎ澄まされた感性や突き詰められた表現の凄みが滲み出てくるような風格が感じられます。この映画の中で、喜多川歌麿東洲斎写楽などを育んだ江戸の名プロヂューサー・蔦屋重三郎が「絵は世の中を変えられる」と葛飾北斎(青年期)を導き、絵師として円熟の境地に達した葛飾北斎(老年期)が猶も「勝負してぇんだ、世の中とよ」と心境を吐露するシーンが印象的に描かれていますが、葛飾北斎時代の価値感に挑戦し、その価値感を刷新する新しい表現を貪欲に模索し続けるなかで生み出された作品が上述のとおり日本ばかりか西洋にまで多大な影響を与え、アメリカの雑誌「LIFE」が1998年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人で唯一選ばれる偉業を成し遂げています。このような時代の価値感を刷新する新しい表現は、その表現が持つ珍しさ(世阿弥の言葉を借りれば「花」)を面白く感じる庶民に熱烈に歓迎される一方で、その時代の価値感を頑なに守ろうとする権力者から疎まれ、それらの斬新な表現は厳しく弾圧されます。この時代の価値感のせめぎ合いは、時代を超えて洋の東西を問わず繰り返されています(江戸幕府の取り締まりと同様の例は、例えば、教会権威に始まり、ヒトラースターリン等の独裁政権に至るまで西洋でも枚挙に暇がありません。)。葛飾北斎などが挿絵を描いた読本の人気作家・柳亭種彦別名・高屋彦四郎という小普請組に属する食録200俵の旗本)は江戸幕府の取り締まりに対して自らの表現意欲に忠実であろうと葛藤しますが、終には天保の改革で譴責されて死亡します(その死因はショックによる病死説が有力ですが、この映画では自殺(惨殺)説が採られています)。葛飾北斎は自らの身にも危険が及ぶ虞があるなかでも筆を折ることはなく命を懸けて絵に向かい続けますが、その田中泯さんが演じる葛飾北斎(老年期)の孤高な姿には絵師の矜持が感じられ、まるで葛飾北斎の魂が息衝いているような迫力があります。この映画の中で、絵師の筆使いがアップで映されるシーンがありますが、役者の目元に繊細な表情を生む東洲斎写楽の精緻な筆使いが出色ですし、波足を描く大胆かつ滑らかな筆致や波の飛沫を描く点描法など葛飾北斎の創作過程を彷彿とさせるものがあり興味深いです。また、普段は目にすることがない彫師や摺師が作品を仕上げるシーンも描かれていますが、絵師だけではなく彫師や摺師の技量が作品の出来栄えを大きく左右することがよく分かります。なお、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の大波を鮮やかに立ち上がらせるベロ藍は、ベルリンで開発された輸入顔料ですが(江戸っ子のべらんめえ調で「ベルリン藍」が「ベロ藍」に訛ったもの)、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の大波の鮮烈な印象から海外では「Japan Blue」とも呼ばれています。新一万円札の表面に採用される渋沢栄一は藍玉を作る農家の出身ですが、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を色彩の面からどのように見ていたのか興味があるところです。因みに、藍は、昔から染料だけではなく薬草として解毒、解熱や消炎等にも利⽤され、ポリフェノール(抗酸化作用)やトリプタンスリン(抗菌作用)を含んでいることから体に良いと言われており、その鮮やかな発色も手伝ってお茶や料理に重用されています。

 

f:id:bravi:20210603132928j:plainなお、上述のアメリカの雑誌「LIFE」が1998年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」(但し、「欧米人から見た」という断り書きが必要と思われる人選)には、86位に葛飾北斎が選ばれているほか、画家では5位にダヴィンチ、59位に范寛、78位にピカソ、84位にラファエロ、彫刻家では36位にミケランジェロ、音楽家では33位にベートーヴェン62位にグイド89位にモンテベルディが選ばれています。この点、並み居る音楽家の中でも、その革新的な業績がなければ、その後のクラシック音楽の発展もなかったと思われる決定的な影響を残したグイド(記譜法の発明や階名唱法の考案)とモンテベルディ(不協和の解放及びオペラの確立)が注目されますので、その業績を讃えるべく、以下で簡単に触れてみたいと思います。

 

f:id:bravi:20210606062215j:plainいまさら説明の必要はないと思いましたが、グイド・ダレッツォは、11世紀前半のイタリアで活躍した音楽教師(修道士)で、4線譜に四角い音符を書く記譜法を発明しました。それまでの音楽は口伝承されていたことから、聖歌を正確に後世に伝えることが難しく、また、殆どの音楽は即興演奏されて再演されることはありませんでした。しかし、音楽を楽譜(紙)に記譜できるようになったことで、聖歌を正確に後世に伝えることが可能になり、また、他人に正しく音楽を演奏して貰うことが容易になったことで「作曲家」が誕生し、後世の偉大な作曲家達を生む伏線となりました。なお、グイドの名前は電子楽譜の商品名にもなっていますが、最近では音を検知して演奏の進行に併せて自動で譜めくりしてくれるアプリなども登場し、コンサートホールの風物詩である目にも止まらぬ譜めくりの神(紙)業は廃れてしまうことになるかもしれません。

イノベーションと音楽への影響
革新 社会 影響
記譜法の発明 中世
近代
①音楽(作曲)の記録➡作曲家の誕生
②近代社会の到来➡作曲家、演奏家、観客の分離
録音技術の発明 現代 ①音楽(演奏)の記録➡音楽受容の変化
現代社会の到来➡音楽需要の多様化
AI(人工知能
ロボット工学
未来 ①音楽(作曲・演奏)の脱人間化➡可能性拡大
未来社会の到来➡職業音楽家の解放
*1 近代社会の到来:演奏会場や交通手段の整備
*2 音楽受容の変化:聴衆の関心が作曲から演奏へ移り、新曲より既存曲の音楽解釈や演奏技量の差異に注目
*3 現代社会の到来:マスメディア、コンピュータやITなどの普及
*4 音楽需要の多様化:BGM、映画・ゲーム・電子音楽やクロスカルチャーなどメディアやシーンが多岐
 

 さらに、グイドは、ヘクサコルド(6音音階)の階名による歌唱法(ソルミゼーション)を考案します。この点、グイドは、「聖ヨハネ賛歌(聖ヨハネの夕べの祈り)」を聖歌隊に教えるにあたって4線譜上の音符(≒ ピアノの白鍵の第1音から第6音)にそれぞれ名前を付けて(即ち、聖ヨハネ賛歌の各小節の最初の音が1小節進む毎に1音づつ上行するように作曲されていることに着目し、各小節の最初の音の音高とそれぞれに対応する小節の最初の歌詞(シラブル)とを結び付けて)音程を取り易くする歌唱法(ソルミゼーション)を考案して効果的な音楽教育を実現しますが、その後、ソルミゼーションはソルフェージュ読譜に限らず聴音等を含む幅広い音楽教育)へと発展します。これらのグイドの発明によってクラシック音楽は世界的に普及しました。

▼聖ヨハネ賛歌とヘクサコルド
原文 訳文 備考
Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve pollute
Labii reatum
Sancte johannes
あなたの僕が
声をあげて
あなたの行いの奇跡を
響かせることができるように
私たちの穢れた唇から
罪を拭い去って下さい
ヨハネ
UtDominus(主)





SjSi
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伊語 : Ut
(Do)
Re Mi Fa Sol Ra Sj
(Si)
Ut
(Do)
Hexa
chordum
日本語 ファ 階名
調名
独語 : Classic
米語 : Jazz

 *5 16世紀頃にUt」(ウト)が発音し難いことから主イエス・キリストを意味する「Dominus」の「Do」(ド)に置き換わります。また、17世紀頃に7番目の音(ピアノの白鍵の第7音)として追加された聖ヨハネを意味する「Sancte johannes」の「Sj」が発音し難いことから「j」を「i」に置き換えて「Si」(シ)が追加されます。

 

f:id:bravi:20210608112724j:plainクラウディオ・モンテベルディは、17世紀前半にイタリアで活躍した音楽家で、不協和の解放による新様式の音楽や劇的な音楽表現によるオペラの確立などによってルネッサンスからバロックへの橋渡しとなる重要な役割を果たしました。この時代の音楽は、キリスト教の教義(歌詞)を伝えることを主な目的とし、音楽はそれを伝えるための補助的な役割を担っているに過ぎないと考えられ、キリスト教の教義(歌詞)を明瞭に発音することが重視されました。また、15世紀頃から発達した複数声部を持つポリフォニー音楽により旋律が複雑になると、音楽によってキリスト教の教義(歌詞)が明瞭に聞き取れなくなることがないように教会から注意が促されました。これに対して、モンテベルディは、キリスト教の教義を伝えることよりも、人間の情感(Affect) を表現することを重視し、より豊かな情感表現を可能とするために、当時、社会的に許容されていなかった不協和の解放に踏み出しました。因みに、モンテベルディが不協和の自由な使用に先鞭をつけたことで、その後に登場する古典派音楽では約5割、ロマン派音楽では約7~8割、現代音楽では9割以上が不協和音程で成り立っていると言われています。

▼時代の価値観に挑戦する音楽の変遷と不協和の解放 
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 モンテべルディは、マドリガーレ集第5巻第1曲「つれないアマリッリ」の第13楽章において、不協和音程である属七の和音(ドミナント・セブン)を使用していますが、不協和音程の予備の法則を無視して、その直前に不協和音程「ファ」と同じ音を緩衝材として用意するのではなく「ラ」という全く関係ない音を使用するという当時の禁じ手を敢えて犯すことで、これまでにない情感豊かな表現を可能にしました(但し、遥かに複雑な音楽に慣れ親しんでいる現代人の耳には、それ程、情感豊かな表現に聴こえないことは仕方がありません。)。この背景には、それまでのキリスト教的な価値観において、神は完全な存在であり、仮にその完全なものから不完全なものが生じたとしても、その不完全なものは直ぐに完全なものに置き換えられて神の秩序は保たれる(全ては神の手中にある)という思想のもと、不完全性を体現する不協和音は完全性を体現する協和音から生じ(不協和音程の予備)、速やかに、完全性を体現する協和音へと解消される(不協和音程の解決)べきであるという音楽理論が確立します。よって、不協和音程を使用するときは、突然、その不協和音程を響かせて人々に動揺を与え、理性を搔き乱さないように配慮することが求められ、その直前の協和音の中にその不協和音程と同じ音を前もって響かせることで衝撃を和らげて人々の動揺を抑えるべきであるという考え方(不協和音程の予備)が長年の伝統として根強く信奉されていました。しかし、ルネッサンス時代に入るとギリシャ神話的な価値観が見直され、キリスト教的な価値観である神聖性(理性)からギリシャ神話的な価値観である人間性(本能)への回復が志向されるなかで、モンテベルディはキリスト教的な価値観に挑戦し、「不協和音程の予備」の法則を打ち破ることでギリシャ神話的な価値観へ刷新する新しい音楽表現を獲得しました。因みに、協和音程(ド・ミ・ソなど)とは、2音間の振動比が単純な音程を言い、完全に調和された澄んだ響きがして安定感があります(理性的:弛緩)。一方、不協和音程(ソ・シ・レ・ファなど)とは、2音間の振動比が複雑な音程を言い、不完全な調和による濁った響きがして不安定感があります(本能的:緊張)。その不協和音程の中でも属七の和音(ドミナント・セブン)は、7度の音(ファ)と1度の音(ソ)が2度の間隔しかなく、その響きのぶつかり合いが耳を不快に刺激し、その濁った響きを協和音程(主音、トニック)の澄んだ響きへ解消したいという心理が強く作用するので、音楽が調和するうえで最も重要な働きをする和音とされています。後世になると、モンテベルディによって不協和音程という音楽の禁断の果実に目覚めた人類は、より豊かな情感表現を求めて属七の和音以外の不協和音程についても「不協和音程の予備」の法則を次々に打ち破るようになります。やがて音楽の禁断の果実を食べ飽きてしまった人類は、その品種改良に着手しますが、その改良された果実は一癖も二癖もあるもので人によって極端に好き嫌いが分かれているというのが現在です。なお、以下の譜例について若干補足すると、属七の和音(ソ・シ・レ・ファ)は、上述のとおり7度の音(ファ)と1度の音(ソ)がぶつかり合う不協和音程であることから、7度の音(ファ)は協和音程の3度の音(ミ)に解消し、また、1度の音(ソ=根音)は五度下行して協和音程の1度の音(ド)に解消することで、不協和音程の解決が図られて安定感(終止感)を生んでいます。さらに、属七の和音(ソ・シ・レ・ファ)は、7度の音(ファ)と3度の音(シ)が三全音キリスト教では理性を搔き乱す不安定な音程として「悪魔の音程」と呼ばれ、メロディーラインへの使用が禁じられていました。)の関係にあり不協和音程であることから、3度の音(シ=導音)は半音上行して協和音程の1度の音(ド=主音)に解消することで、不協和音程の解決が図られて安定感(終止感)を生んでいます。

【譜例】 モンテベルディのマドリガーレ集第5巻/第1曲「つれないアマリッリ」第13小節~
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※第13小節~の該当部分はYouTubeの00:36~00:42あたりです。

 

 なお、その後のクラシック音楽の発展や現代音楽の展開を考えると、1オクターブ12音を主音とする24の長短調で構成される平均律クラヴィーア曲集(但し、バッハは平均律ではなく不均等律として作曲したとする説もありますが、バッハの意図はどうあれ、後世に与えた影響は変わりません。)を作曲したバッハ(これにより転調が容易となるなど音楽表現が飛躍的に豊かになりました。)やピアノを発明したクリストフォリ(これにより音の強弱表現が可能となるなど音楽表現が飛躍的に豊かになりました。)などが選ばれていないことは意外です。因みに、1オクターブを等比数列で12分割する十二平均律を世界で最初に発明したのは16世紀末の中国の音楽学者・朱載堉と言われています。

 

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調性音楽は、主音(協和音、トニック)に始まり、そこから生じた不協和(ドミナントサブドミナント)は主音(協和音、トニック)に解消されて終わる(不協和音程の解決)という予定調和の構造を持っていますが、リストは旋法、ドビュッシー全音音階、ワーグナーは半音音階などを多用することにより不協和(ドミナントサブドミナント)を連ねて主音(協和音、トニック)に解消しないこと(不協和音程の解決の法則を無視)で、その曲の主音を曖昧にして「調性の呪縛」から音楽を解放しようと試みます。その流れはシェーンベルクに引き継がれ、やがて主音を生まないために12音を均等に使って基本音列(セリー)を作り、その基本音列(セリー)を様々に変化させて作曲する十二音技法を発明します。モンテベルディは属七の和音を不協和音程の予備から解放し、不協和音程の解決(主音の終止感)を自由に設定できるようにしましたが、シェーンベルクらは主音の設定や長短の音階を完全に無くして不協和音程の解決(主音の終止感)をも不要として、不協和音を自由に使用することができるようにしました。これによってそれまで調性音楽の分析に使われてきたシェンカー理論(楽典、和声論、対位法等の従来の音楽理論を総合して楽曲を俯瞰し、その楽曲を構成する基本的な動線、骨格や構造を浮かび上がらせることで、その作曲意図を詳らかにする方法論)では無調音楽の分析を行うことはできなくなったので、それに代わる音楽分析の手法としてピッチクラス・セット理論(楽典、和声論、対位法等の従来の音楽理論を使えないことから、12音を等価として扱うことを前提として同じ音名の音を同じ数字で表記し(ピッチクラス)、その数字で表記される音の組み合わせパターン(セット)を使って楽曲を俯瞰し、その楽曲を構成する基本的な動線、骨格や構造を浮かび上がらせることで、その作曲意図を詳らかにする方法論....例えば、ドを「0」とし、そこからピアノの鍵盤に従って12音に順番に数字を割り振ると、シ♭・ラ・ド・シの音列(=BACHの主題は重複する音名なし)は「10(A)・9・0・11(B)」と表記され、このピッチクラス・セットを1つの手掛りとしてその楽曲を構成する基本的な動線、骨格や構造等を分析)が登場します。詳しくは以下の著書をご参照下さい。なお、シェーンベルクは、表現主義の画家としても知られ、その弟子のアルバン・ベクルをモデルにした肖像画「作曲家アルバン・ベルクの肖像」1910年作)を描いています。その作風は写実性よりも特徴的なフォルムや色彩を利用して対象の内面を描き出そうとするもので、葛飾北斎喜多川歌麿東洲斎写楽など日本の絵師が写実性ではなく心象風景を重視し平面的な構成のなかでデフォルメした造形や色彩を利用して絵を描く伝統(外観を描く印象主義だけではなく内面を描く表現主義にも近い測面)と相通じるものが感じられますので、アルバンベルクの創作活動に何らかの影響を与えていた可能性もあり興味深いです。

▼芸術表現の可能性を拡げた解放軍
時代の価値観への挑戦 時代の価値観を刷新 代表的な芸術家
写実の呪縛からの解放
=写実性を重視しない
浮世絵の影響
印象主義
(外観を描く)
マネなど
ドビュッシーなど
象徴主義
(内面を具体的に描く)
モローなど
ワーグナーなど
表現主義
(内面を抽象的に描く)
ムンクなど
シェーンベルクなど
調性の呪縛からの解放
=不協和を自由に使用
不協和音程の予備を不要
(調性音楽)
モンテベルディなど
不協和音程の解決を不要
(無調音楽)
シェーンベルクなど
*6 ※は音楽における象徴主義印象主義)、表現主義の分類

  

 現代は、あらゆるものから解放されて却って手掛りを見失い手詰り感がある状態ですが、人工知能(AI)やロボット工学によるイノベーションによって、その人間の限界を超える試みが始められています。単に、人間が作曲し又は演奏した音楽の構造やパターン等を学習し、それらの素材を数学的に処理して別の音楽を作曲し又は演奏する人工知能(AI)やロボットを開発するだけではその意義は乏しく、人間とは異なる発想から全く新しい音楽を創造し又は全く新しい表現で演奏する人工知能(AI)やロボットを開発するのでなければ、その恩恵は極めて限定的なものになってしまいます。近い将来、芸術の分野でも人間の限界を超えるような創造性を発揮し、人類に新しい地平を切り開くような芸術体験をもたらしてくれる人工知能(AI)やロボットの開発を期待したいです。尤も、光が強ければ影を濃くするのが道理なので、その点への慎重な検討、配慮も欠かせませんが…。

 

◆おまけ

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」でお馴染みの「ドレミの歌」はグイドが聖歌隊に「聖ヨハネ賛歌」を指導するために考案した階名唱法(ソルミゼーション)が原形になっています。なお、日本では、主イエス・キリストが3時のおやつに化けて、最初のドはDonut(ドーナツ)の「Do」になっていますが、これは日本でドレミの歌を広めたペギー葉山さんが食べたかった3時のおやつから採られているそうです。因みに、文明堂のCMでもお馴染みの3時のおやつは「御八つ」と書き、江戸時代の八つ時(PM3時頃)を意味する言葉が由来になっていますが、1日の中でPM3時頃が脂肪細胞に脂肪を溜め込む働きをするタンパク質の量が最も少なくなる時間帯だそうで、この時間帯の間食は太り難いそうです。心の不協和が解決し難い時代に、その不協和を少しでも解決するために、3時のおやつで少し贅沢な時間を過ごてみるのも良いかもしれません。


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オペラは16世紀末にフィレンツェで発明された音楽劇ですが、ペーリ、カッチーニやモンデヴェルディなどの作曲家が相次いでオペラを作曲しています。このなかでもモンデヴェルディが作曲した歌劇「オルフェオ」は、アリアやレチタティーヴォ等の後世のオペラで使用される音楽形式が見られると共に、ライトモチーフや劇的な音楽表現等を採り入れた最初の本格的なオペラで、モンテヴェルディによってオペラが確立されたと言っても過言ではありません。


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シェーンベルクが1921年に初めて全曲を十二音技法で作曲した「ピアノのための組曲」(Op.25 )をグールドによる緊張感の張り詰めた閃き溢れる演奏でお聴き下さい。 


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人工知能「Emmy」(AIソフト)が作曲したバッハ風フーガをお聴き下さい。「人間は見聞きして判断しているのではなく、判断してから見聞きしているのである」という言葉のとおり人工知能(AI)が作曲した曲であるというバイアスがその音楽を心理的に遠ざけてしまっているのかもしれませんが、非常によく出来ている音楽ではあるものの、あくまでも「バッハ風」(人間の延長)であってバッハ(人間の限界)を超えるような音楽とは思われず、人類に新しい地平を切り開くような芸術体験をもたらしてくれるレベルには未だ程遠いという印象を拭えません。


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新年の挨拶(2021年~その②)

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f:id:bravi:20210128150235g:plain旧暦では「節分」が大晦日、「立春」が正月にあたり、節分(冬)に豆(=魔滅)を蒔いて家から魔(=鬼)を追い払い(アニメ「鬼滅の刃」日本アカデミー賞優秀アニメーション賞を受賞しましたが、(=鬼)をぼすことから節分に豆(=魔滅)を蒔くとも言われていますので、さながら「鬼滅の豆」ということになりましょうか。)、その翌日の立春(春)に門松を依代として家へ歳神様(新しい年の豊作を約束してくれる神様)をお迎えするという風習が営まれてきました。しかし、明治政府の近代化政策によって旧暦(太陰太陽暦)から新暦太陽暦)へと移行したこと(即ち、旧暦の明治5年12月3日が新暦の明治6年1月1日になって暦が約1か月ほど早まり、実際の季節と二十四節気及びそれに伴う風習との間にズレが生じたこと)などで、大晦日(12月31日)に除夜の鐘(音)を聞き、正月(1月1日)に初詣に出掛けて神様へ祈願(言葉)するという風習へ変わり、その結果、大晦日に除夜の鐘で煩悩を払ったはずなのにその翌朝の正月にはその煩悩を叶えて欲しいと神様をお賽銭で買収してみたり、未だ春の気配すら感じられない真冬に新春を寿ぐという不思議な光景が繰り返されるようになりました。これこそ近代日本の知性・夏目漱石が看破した「皮相上滑りの開花」の成れの果ての1事例と言えるかもしれません。「立春」こそ、春の気配から歳神様の存在を感じ、心から新春を寿ぎたい気持ちになる季節です。
 
牛嶋神社に続き、今年、僕が煩悩を叶えるためにお賽銭で買収した神様達
布多天神社(東京都調布市調布ケ丘1丁目8−1
下石原八幡神社東京都調布市富士見町2丁目1−11
江北氷川神社東京都足立区江北2丁目43−8
布多天神社調布市名誉市民で漫画家の水木しげるさんの命日である11月30日を「ゲゲゲ忌」として特別に鬼太郎御朱印状が授与されています。なお、来年は水木しげるさんの生誕100周年ですが、これを記念して映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が制作、公開される予定になっています。 布多天神社/御祭神は菅原道真公ですが、その神使である臥牛(撫で牛)が境内に祀られています。 布多天神社/アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」では、神社の裏手にある鎮守の森に鬼太郎が棲んでいる設定になっています。近くの調布市深大寺では、毎年、鬼(妖怪)が人間に豆をまく「鬼太郎豆まき」が行われていますが、人間中心主義ではなく自然尊重主義の立場からすると人間こそ豆をまかれるべきだという帰結になっても不思議ではなく「慎み」の気持ちを呼び覚ましてくれます。 布多天神社アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」(オープニングに布多天神社が登場)は、当初、アニメ「墓場鬼太郎」というタイトルでしたが、そのタイトルとなった墓地のモデルになったのが布多天神社の裏手にある大正寺の墓地です。後方に見える建物は桐朋音大調布キャンパスで、その近所にあるベーカリー&カフェ「FanFare」(店名は桐朋音大へのオマージュ?)の「妖怪焼き」が有名です。
下石原八幡神社/布多天神社の近所にあり、江戸城を築城した大田道灌の子孫が創建した由緒ある神社です。 下石原八幡神社/アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」では、下石原八幡神社の軒下に猫娘が棲んでいる設定になっています。 江北氷川神社/毎年、御朱印状には宮司さん(全国でも数少ない女性の宮司さん)によって新たに詠まれた短歌が書き添えられています。 江北氷川神社/神社では色々な種類のお守りが授与されていますが、その中でもオーケストラ部に所属する女子高生の願いで作られた演奏がうまくなる「音楽守り」が非常にご利益があると話題になっています。
 
f:id:bravi:20210129003531j:plainさて、日本では、除夜の鐘に代表される寺院の鐘の音は仏様の声を象徴するもので、その音を聞く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳がある神聖なものと考えられています。この点、欧米でも、教会の鐘の音は神様の声、人々の祈りや人間の生命を象徴し、悪魔を支配するものとして神聖視されており、かつて教会で年越しに鐘を鳴らす風習があったことからタイムズスクエアのカウントダウンなど新年を祝うイベントのことを「Ring in the new year」と呼んでいます。このように特別な意味を持つ鐘の音は音楽に使用される例も多く、ベルリオーズの「幻想交響曲」第5楽章「魔女の夜宴の夢」では、グレゴリオ聖歌「怒りの日」のモチーフが演奏される部分で弔鐘が印象的に鳴らされますが(Time47:17~)、洋の東西を問わず、弔鐘を含む鐘の音から共通又は類似するイメージ(心象表現的な効果)を感じることがあり、人間には同じ種類の音を聞くと同じようなイメージ(象徴的な意味)を想起する知覚パターンのようなもの(以前のブログ記事で「色のイメージ効果」に関して若干触れた「共感覚」と似たようなもの)があるのかもしれません。しかし、同じようなイメージ(象徴的な意味)を想起する鐘の音でも日本語では「ゴーン」や「カラン・カラン」、英語では「bong」(バン)や「ding dong」(ディング・ドング)と表記します。このような相違は各々の言語特性(例えば、日本語は長音があり、英語は母音が複雑など)から生じる聞き取り能力の違いによるものと言われており、日頃、どのような音を聞き慣れているのかということが聞き取り易い音と聞き取り難い音の差を生んでいます。また、例えば、鶯の鳴き声は日本語で「ホーホケキョ」、英語で「warble」(ワーブル)と表記しますが、自然音を右脳(音楽脳)で聞く欧米人と異なり自然音を左脳(言語脳)で聞く日本人は鶯の鳴き声を音ではなく言葉として「法、法華経」(ホーホケキョ)と認識しており(タモリ倶楽部空耳アワー)、脳の聴覚機能の働きの違いが同じ音でもどのように認識されるのかという差を生んでいます。
 
▼音がどのように認識されているのか(日本語と英語の対比) 
擬声語
(聴覚)
日本語 英語
鐘の音 ゴーン
カランカラン
bong(バン)
ding dong(ディングドング)
鈴の音 チリンチリン tinkle (ティンクル)
雷の音 ゴロゴロ rumble (ランブル)
時計の音 カチカチ ticktack (ティックタック)
拍手の音 パチパチ clap (クラップ)
牛の鳴き声 モー moo (ムー)
豚の鳴き声 ブーブー oink (オインク)
馬の鳴き声 ヒヒーン neigh (ネイ)
犬の鳴き声 キャンキャン yap (ヤップ)
猫の鳴き声 ニャー meow (ミァウ)
擬態語
(聴覚以外の感覚)
日本語 英語
なめらか(触覚) スベスベ smooth(スムース)
かがやき(視覚) キラキラ twinkle (トゥウィンクル)
かいてん(視覚) クルクル twirl (トゥワール)
 
f:id:bravi:20210129210900p:plain以前のブログ記事擬声語に関して若干触れましたが、日本語には擬声語及び擬態語(オノマトペ)が12000種類も存在すると言われています。これに対し、英語にはオノマトペが3000種類程度しかありませんが(上表の例)、これは英語が日本語と比べて動詞の語彙数が豊富でそれぞれの動詞にオノマトペの語感が含まれているため、動詞とは別にオノマトペを使用する必要がなかったためではないかと言われています。一方、日本語は動詞の語彙数が少なくオノマトペで表現を補う必要があったため、非常に多くのオノマトペが生み出されることになりました。とりわけ日本のマンガにはオノマトペが非常に多く使用されており、しかもオノマトペが単に言葉として使用されているだけではなくそのイメージ(象徴的な意味)を生き生きと描写するためのデザインとして作画の一部に組み込まれています。このため、日本のマンガを外国語へ翻訳するにあたってはオノマトペのイメージ(象徴的な意味)が外国人に伝わるようにどのような言葉に翻訳するのが良いのかという問題に加えて、その視覚的な効果を損なわないようにどのようなデザイン(書体や装飾等)で作画に組み込むのが良いのかという難しい課題があるようです。このように日本の「MANGA」を通して外国人にも日本語のオノマトペや新しく作られた外国語のオノマトペが浸透し、外国人も様々なものを「音」(例えば、矢が飛ぶ音は「Hyu-ru-ru-ru-ru」(ひゅるるるる)など)として捉え、表現できるようになってきたと言われています。この点、外国人の間でも非常に人気があると言われる日本のMANGA 「OnePiece」の英訳版(試し読み)を見ると、日本語のオノマトペが原作の作風を損なうことなくどのように効果的に英語へ翻訳され、デザイン化されているのか分かります。
  
オノマトペの多様なモチーフ(フィグール)
種類 オノマトペ
(言葉の配列)
イメージ
(象徴的な意味)
疲れ へとへと ほぼ限界に達し、これ以上動くことができないほど疲れている状態
くたくた 多少休めばまた動けるようになる程度に疲れている状態
酔い ぐでんぐでん 正体がなくなるほど酔っている状態
べろんべろん ろれつが回らないほど酔っている状態
気質 ねちねち しつこく嫌味っぽい小言を言う様子
くどくど いつまでも同じ小言を​繰り返して言う様子
湿感 じとじと 粘りつくように感じられるほど湿り気を帯びた状態
じめじめ 粘りつくほどではないが、湿気、水分などの多い状態
あっさり まだ味が濃くなる前の段階で浅い味
さっぱり くどさやしつこくさがなく爽やかな味
蝕感 すべすべ 触れた感じが滑らかな状態(ex.新しい石鹸、赤ちゃんの肌)
つるつる 見た感じが光沢があって滑らかな状態(ex.濡れた石鹸、おじいちゃんの禿)
 
f:id:bravi:20210203201728j:plainオノマトペのうち、擬声語は人間、自然や物が発する「音」(聴覚)を言葉で模倣したものなので、母語の言語特性から生じる聞き取り能力の違い等から生じる表現の差は生まれますが、基本的に「音」と「言葉の発音」との類似性からどのような表現が適当なのか定まります。擬態語は人間、自然や物の感情、状態や運動など「音以外のもの」(聴覚以外の感覚)を言葉で模倣したものなので、一定の感情、状態や運動等を想起させる「イメージ(象徴的な意味)」と「言葉の配列」を紐付けて表現するという意味では、宛ら一定の思想や感情等を想起させる「イメージ(象徴的な意味)」と「音符の配列」(音型)を紐付けて表現する音楽のモチーフと類似しています。また、オノマトペは4文字(仮名)で構成されているものが多いですが、日本語は仮名1文字を1拍として2拍づつまとめて発音し、字余りの文字は1拍で発音する「日本語のリズム」が存在し(例えば、「せん/せい」「ご/はん」など)、1つの単語が3拍又は4拍で構成されている言葉が多いことが関係しています。例えば、英語のメールアドレスを「メアド」、コラボレーションを「コラボ」、デジタルカメラを「デジカメ」、プレゼンテーションを「プレゼン」など3拍又は4拍に短縮し、日本語の携帯電話を「ケータイ」と4拍に省略して発音する傾向があるのも、そのためです。これと同じようなことは「三々九度」(3拍+3拍+3拍)、「三三七拍子」(3拍+3拍+4拍+3拍)や「和歌(七五調)」(平兼盛の和歌(拾遺集)「しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」は5音=4拍+1拍、7音=3拍+4拍のリズムで構成)などの日本文化の中にも見られます。さらに、日本語の母音は、発音の仕組みから「あ」「お」>「え」>「う」>「い」の順に音が小さくなり、それに伴って言葉から受けるイメージも威嚇的なものから従順的なものへと変化すると言われています。加えて、日本語(仮名)には、濁点が付く「阻害音」(濁音:ざ、だ、ば、ぱ)と濁点が付かない「共鳴音」(清音:な、ま、や、ら、わ、等)に分類され、これらの文字の組み合わせ方によって言葉から受けるイメージが異なってきます。一般的に、阻害音から受けるイメージは大きい、重い、強いなどで、男性や悪役の名前等に好んで使われる傾向があります。一方、共鳴音から受けるイメージは小さい、軽い、弱いなどで、女性の名前等に好んで使われる傾向があります。例えば、コロコロ/ゴロゴロやトントン/ドンドンではいずれも濁音がある後者が重く感じられます。そのうえ、同じ言葉でもアクセントの位置によって言葉のイメージではなく意味そのものが変わるものがあり、例えば、日本語の箸(し)/橋(は)/端(は)、意思(し)/医師(し)/石(い)、雨(め)/飴(あ)、着る(き)/切る(る)や、英語の「バッテリー(battery)」(電池)/「バッテリー(battery)」(投手及び捕手)、「ドライバー(driver)」(ねじまわし)/「ドライバー(driver)」(運転手)などがあります。言葉は、音楽と同様に、そのイメージや意味を伝えるにあたって、リズム、音色や強弱(アクセント)等が重要な働きをしています。 
 
▼名前に使用されている文字から見る女性の肉食(怪獣)化傾向
  男性 女性 ウルトラマン
の怪獣
2011y 2016y 2011y 2016y
阻害音 あり 64.4% 67.0% 32.7% 44.4% 73.0%
なし 35.6% 33.0% 67.3% 55.6% 27.0%
共鳴音
 
f:id:bravi:20210203204644j:plainシューベルト研究で知られるドイツの音楽学者、故・Walther Duerr(故・ヴァルター・デュル)さんが声楽における言語と音楽の関係を分析している専門書「Sprache und Musik: Geschichte - Gattungen - Analysemodelle」を東京音大教授の村田千尋さんが日本語に翻訳した「声楽曲の作曲原理~言語と音楽の関係をさぐる~」という本が出版されています。プロアマを問わず声楽志向の方は一度は手にしたことがある本ではないかと思いますが、単なる愛好家でしかない僕には非常に難しい内容で殆ど理解できていませんので(苦笑)、正直に言って消化不良やミスリードしている部分が多くかなり腰が引けているのですが、上述の内容と関係がありそうな部分に限ってほんの触りだけご紹介します。詳しい内容や具体的な楽曲分析(アナリーゼ)等は上記の原書又は訳書をお読み下さい。先ず、声楽とは、音楽が言葉と結びついて言葉を読み上げる行為であるとその基本的な性格を明らかにしたうえで、下表のとおり言葉と音楽を音楽層と意味層に分け(下表では現代音楽など最近の音楽シーンを踏まえて映像も追加)、それらの関係性のなかでどこに重点を置きながらどのような方法で声楽曲が作曲されているのかを分析的に明らかにしています。
 
舞台芸術の表現手法の多様化とその基本要素(パフォーマンス等を除く)
素材 音楽層 意味層 視覚層
言葉 発音 語義 書体
(カリグラフィー等)
音楽 発声 動機 楽譜
(図形楽譜等)
映像 共感覚 ビジュアル・アート
(グラフィック等)
 
f:id:bravi:20210203205621p:plain声楽曲の作曲パターンは、大きく以下のとおり分類することができますが、そのなかで最も多いと思われる以下②の作曲パターンについて、言葉の発音(音楽層)を音楽の音響構造の中に反映させる方法(言葉で「音」を表現する擬声語と類似)や、言葉のイメージ(意味層、一定の思想や感情等を想起させる抽象的な意味)と音楽の配列(音型、フィグール)を紐付けする方法(言葉で「音以外のもの」を表現する擬態語と類似)などが典型的なものとして紹介されています。例えば、ラメントバス(半音階的に4度下降する音型)は「嘆き」「苦悩」「死」等のイメージ(象徴的な意味)と紐付けられ、また、シューベルトの歌曲「さすらい人」【譜例1】や歌曲「死と乙女」【譜例2】のダクテュルス・リズム(「タン・タ・タ」)は「旅」「死」等のイメージ(象徴的な意味)と紐付けされています。このほか、言葉に対応した調(基本感情の設定)と楽曲全体の情緒を踏まえた旋法(転調による基本感情の変更、アフェクト)の選択、テンポ(ゆっくり=悲しい、速い=楽しいなど)、音楽的アクセント(アクセントのある音節は長い音、アクセントのない音節は短い音など)や和声(短3度=悲しい、長3度=楽しいなど)の効果的な活用などによって作曲家による言葉の意味解釈を音楽的に表現することが試みられており、これらも具体的な楽曲分析(アナリーゼ)等を通して紹介されています。
 
「言葉」に合わせて「音楽」が添えられるパターン
あまり音楽を意識せずに言葉を朗誦する(民謡など)
(作家の意図>作曲家の意図)
音楽効果により言葉に意味解釈を施しながら朗誦する
(作家の意図<作曲家の意図)
「音楽」に合わせて「言葉」が添えられるパターン
音楽に従って言葉を朗誦する(レチタティーボ
(作家の意図=作曲家の意図)
音楽に従って言葉を新しく創作する(=曲先≠詞先)
(作家の意図<作曲家の意図)
サリエリの歌劇「はじめは音楽、次に言葉」
言葉は独自性を失って音楽そのものになる(音声作曲法など)
(作家の意図<作曲家の意図)
モシ族(無文字文化)の音楽的会話
 
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f:id:bravi:20210203203801j:plain声楽曲は、作家(詩人など)や作曲家だけではなく、声楽家にも主体的な役割が求められますが、この点について、マーラーは「聡明な歌手は、言葉から音を手繰り寄せて創り出そうとすることで、誰にでも伝わる内容と魂を音に吹き込むことができるものだ。そうでない歌手は、言葉をアーティキュレーション(音楽的な息遣い)もなく響きとして発声するだけで、言葉を省みようとせず、表面的に音に沿おうとするだけなので、音に何の意味や重みも込めようとはしない。ただメロディーに沿って歌うだけなので、聴衆は言葉や詩を理解できず、何の興味も示さなくなる。そういう人は、おそらく上手いヴァイオリン弾きになれたとしても、本物の歌手や俳優にはなれない。」と語っています。声楽家は、単に言葉の正しい発音や発声を心掛けるだけでは足りてず、作品(そこに込められている作家(詩人等)及び作曲家の想いを含む。)に対する深い理解と共感がなければ、それらを聴衆へ伝えることは儘なりません。但し、声楽は音楽が言葉と結び付いて言葉を読み上げる行為である以上、言葉の正しい発音や発声がなければ(例えば、ドイツ語は日本語と比べて母音の種類が多くその発音や発声が複雑なので、日本人によるドイツ語の正しい発音や発声は困難を伴うなど)、声楽曲の本質的な構成要素である言葉の正しい発音や発声(響き)、音楽的な特性を再現することは叶いません。とりわけクラシック音楽は聖書の言葉(ロゴス)を音楽に乗せて伝えるために生まれたという歴史的な沿革があることに加えて、東アジアの言葉(日本語を含む)は「形」で意味を伝える表意文字が中心である(よって「書」が重視される)のに対してそれ以外の地域の言語(英語やドイツ語を含む)は「音」で意味を伝える表音文字である(よって「歌」が重視される)という言葉の基本的な性格の違いがありますので、声楽(クラシック音楽)では言葉が正しく伝わるように発声することが特に重要視される傾向が強いと言えます。この点、メトロポリタン歌劇場(MET)では若手の音楽家を育成するためのヤングアーティスト育成プログラムを実施していますが、言葉の正しい発音や発声は音色、音程やフレージング等を改善し、声楽曲の質的な向上につながるという考え方のもと「ディクション」(言葉の発音法等)のレッスンが重視されており、METの本公演でも言語の専門家が本番直前までプロの歌手の発音を徹底的に指導するそうです。器楽と異なり、国際的に通用する日本人の声楽家が育ち難いのは、このような事情(言語特性の相違から生じる外国語の正しい発音の困難さなど)にも原因があるのではないかと、豆を食べながらつらつらと考えていています。
 
 
◆おまけ
サリエリ作曲の歌劇「はじめに音楽、次に言葉」(サンプル視聴)を<Con>ニコラス・アーノンクール、<Orc>ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、<Bar>トーマス・ハンプソン、<Bas>ロバート・ヘイル、<Sop>ロベルタ・アレクサンダー、<Mez>ジュリア・ハマリの演奏でお楽しみ下さい(アーノンクールは同曲を2度録音していますが、個人的には老練精巧な2002年録音盤よりも清廉闊達な1986年録音盤を推薦)。ヨーゼフ2世がイタリア・オペラとドイツ・オペラを競わせるためにサリエリモーツアルトにオペラの作曲を依頼し、同じ日に同じ会場でサリエリ作曲の歌劇「はじめに音楽、次に言葉」とモーツァルト作曲の歌劇「劇場支配人」が競演されました。【あらすじ】伯爵から4日間でオペラを完成させるように命じられた作曲家が、既に音楽は完成しているのでその音楽に合う台本を書くように作家へ依頼することから展開される喜劇(オペラ・ブッフォ)。
 
モーツァルトの歌劇「劇場支配人」序曲(サンプル視聴)を<Con>ニコラス・アーノンクール、<Orc>ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でお楽しみ下さい。映画「アマデウス」サリエリによるモーツァルト毒殺説をベースに作られていますが、最近の研究でもサリエリモーツアルトを毒殺した可能性はないと考えられており、サリエリは映画「アマデウス」によってとんでもない濡れ衣を着せられたばかりか、それに伴ってサリエリの作品まで不当に低く評価されてしまっている現状は非常に残念でなりません(推薦図書)。
 
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を<Pf>エフゲニー・キーシン、<Con>チョン・ミュンフン、<Orc>フランス放送フィルハーモニー管弦楽団でお楽しみ下さい。第1楽章冒頭の和音の連打によって荘厳に打ち鳴らされるロシア正教会の鐘の響き(鐘のモチーフ)が実に印象深いです。
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新年の挨拶(2021年~その①)

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f:id:bravi:20201210132354j:plainモ~いくつ寝るとお正月♬....今年は新型コロナウィルスのためにサンタさんも休業中でクリスマスプレゼントが届かない家もあるのではないかと思いますが、政府から正月休みの分散取得が要請されていることを受けて、少し早めに正月休みに入っている方もいらっしゃるのではないかと思いますので、拙ブログでもクリスマスを飛び越えて正月の挨拶をアップしておきます。昔から「牛」は労働力や家畜として欠かせない存在でしたが、古代の中国では豊作を祈るために労働力として欠かせない「牛」を生贄に捧げる風習があったことから「犠牲」という漢字には「牛」の偏(へん)が使われています。また、家畜として欠かせない「牛」が逃げたり又は盗まれたりしては大変なので小屋や柵囲の中で飼育されていたことから「牢」という漢字には「家」を表す「ウ」の冠(かんむり)の下に「牛」の脚(あし)が使われています。なお、「家」という漢字には「ウ」の冠の下に「豚」の旁(つくり)が使われていますが、漢字の造りからも「牛」や「豚」が大事に飼育されていたことが伺われます。因みに、欧米(キリスト教圏)や中東(ユダヤ教圏)でも、中国と同様に動物を生贄に捧げる風習があり、例えば、旧約聖書レビ記に登場する「贖罪の山羊」(ヤギに人間の罪を負わせて荒野に放ち死に至らしめる儀式)は生贄を意味する英語「スケープゴート」(scapegoat)の語源になり、また、ユダヤ教の祭事「燔祭」(生贄の動物を祭壇で焼いて神に捧げる儀式)は大虐殺を意味する英語「ホロコースト」(holocaust)の語源になっています。
 
漢字の造り~偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)~
 
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例)「保」の偏は人、旁は産着を着た赤ちゃんの姿
例)「安」の冠は家、脚はお母さん
 
☞「保安」とは、生命、身体や財産などを危険から守り安全な状態に保つことを意味する味気ない言葉ですが、その漢字の造りを見ると、家の中でお母さんが赤ちゃんを産着に包んで大切に守っている姿が連想され、この漢字が持つ意味だけではなく想いや温もりまでもが伝わってくるようです。現代の日本語は機能性ばかりが重視されてその形式的な意味しか顧みられなくなっていますが、漢字の造りに思いを馳せるだけで、その言葉から伝わってくる情報量は質的・量的に変化し、昔の日本語が持っていた香気のようなものを取り戻せそうな気がしてきます。心を豊かにするためのコミュニケーションを可能にするために、本来、その言葉に込められている真心を読み解くだけの感受性、洞察力や教養を兼ね備えられるように常々心掛けたいと思っていますし、そうしたことを弁えて情理に通じた言葉を選択し、相手の心を豊かにするようなメッセージを伝えることができればと願っていますが、人生は意の侭にならず裏腹に流されてしまうもののようで、心を砕いてもなかなか及びません。
 
f:id:bravi:20201210151939j:plain日本(儒教・仏教圏)では一元論的な世界観から人間界と自然界とを区別せず、人間も自然の一部として自然を畏敬の対象と捉え、人間は自然と調和しながら生きていかなければならないという考え方が育まれ(母と子が肉体的に一体であり主客の別がないように、全てのものを調和(包含)することにより秩序を保とうとする母性原理→自然尊重主義)、やがて「八百万の神々」(神道)や「山川草木悉皆成仏」(仏教)という宗教思想へと昇華します。これに対し、欧米(キリスト教圏)や中東(イスラム教圏)では二元論的な世界観から人間界と自然界とを区別し、自然は神から人間に与えられた恩恵であり自然を支配の対象と捉えます(父と子が肉体的に一体ではなく主客の別があるように、全てのものを支配(区別)することにより秩序を保とうとする父性原理→人間中心主義)。このような思想的な背景の違いから、日本では自然界に存在する動物を神の使い又は神の化身と捉え(映画「もののけ姫」に登場するシシ神はその例)、これらの動物を神社で祀るようになりますが、欧米(キリスト教圏)や中東(イスラム教圏)では一神教の教えから神以外のものを崇拝することは許されず、自然界に存在する動物が信仰の対象となることはありませんでした。日本で動物を祀る神社として最も代表的な例は、「学問の神様」や「厄除けの神様」で知られる天神様(菅原道真公)を祀る天満宮ですが、天神様(菅原道真公)の使い(神使)として「臥牛の像」(撫でると願いが叶う撫牛)が境内に祀られています。その由緒を紐解けば、菅原道真公が藤原氏の陰謀により太宰府へ左遷されて失意のうちに没した直後、京で疫病流行など天災地変が相次いだことから菅原道真公の祟りであると恐れられ、菅原道真公を天神様として祀ることでその祟りを鎮めようとしたこと(怨霊鎮魂思想)が始まりとされ、また、菅原道真公の生年及び没年が丑年であること、菅原道真公の遺体を乗せた牛車が立ち止まった場所(太宰府天満宮)に菅原道真公の墓所が建立されたこと及び菅原道真公が牛車に乗って太宰府へ下向する途中で刺客に襲われた際に牛に助けられたことなどの逸話から、併せて、牛を天神様(菅原道真公)の使い(神使)として祀るようになったと言われています。映画「もののけ姫」では「シシ神は生命を与えもするし、奪いもする。」というセリフが出てきますが、人間は人知の及ばない自然の不条理に対し、神の怒りや人間、動物の祟りに原因を求め、その原因を取り除くことで天災地変も収まる(神の御加護)という共同幻想を抱き易くし、社会不安を和らげる知恵を働かせていたと思われます。日本人は世界的に見ても不安を和らげるタンパク質「セロトニン」の分泌が少ない人の割引が高い(即ち、日本人は不安症の人が多い傾向にある)と言われていますが、その不安を和らげる社会的な知恵として御霊信仰陰陽道等が利用され、それが明治維新を経て科学技術信仰へと置換されました。しかし、新型コロナウィルス感染症等によって、その科学技術信仰も揺らいでいるのが現代です。近年、人類とウィルス(新型コロナウィルス感染症を含む)の戦いが本格化してきた理由として、南北間の経済格差を解消するために北半球の資本を投入して南半球の開発を急速に進めた結果、これまで自然界に封じ込められていた未知のウィルスが人間界に侵入したことが指摘されていますが、科学技術が発達した現代にあっても自然の不条理をコントロールすることは侭ならず、近代主義的な文明社会に象徴される自然を支配の対象と捉える傲慢な発想(支配により秩序を保とうとする父性原理、人間中心主義)から自然を畏敬の対象と捉える謙虚な発想(調和により秩序を保とうとする母性原理、自然尊重主義)へと転換する必要があるのかもしれません。その意味で、映画「もののけ姫」は、このような近代主義的な文明社会の行き詰まりに警鐘を鳴らす非常に重要なメッセージを含んでいる作品だと思われます。なお、先日のブログ記事でも触れましたが、最近の傾向として、企業ではリーダーシップを発揮する「リード(独奏)」型の管理職(支配により秩序を保とうとする父性原理)よりも、部下の共感形成を通じて組織をまとめあげていく「フォロー(伴奏)」型の管理職(調和により秩序を保とうとする母性原理)の方が持て囃されているそうですが、オーケストラの指揮者も同様でカリスマ性で楽団員をグイグイと引っ張って行くタイプ(支配により秩序を保とうとする父性原理)よりも、楽団員と対話を重ねながらその意向を汲み上げて楽団のポテンシャルを引き出して行くタイプ(調和により秩序を保とうとする母性原理)が好まれる傾向があるそうなので、このような時世が人心にも色濃く影響していると言えるかもしれません。因みに、今年の干支「」は「漢書 律暦志」から採られた言葉ですが、その本来の意味は「芽が種子の中でじっと春の到来を待ちながら(我慢)、今にも地上へ芽吹こうとしている状態(発展の前触れ)」を表しています(但し、日本では庶民が覚え易いように本来の意味とは直接の関係がない動物の「牛」へ置き換えられています)が、2021年の丑年は人類が新型コロナウィルス感染症を克服し(我慢)、新しい時代へと大きく踏み出す(発展の前振れ)ための1年を暗示しているのかもしれません。この点、新型コロナウィルス感染症は、数多くの人命を奪い、数多くの人生を狂わせましたが、その一方で、様々なイノベーションの萌芽を生み出し、新しい社会構造への変革を促す起爆剤としても作用しており、近代主義的な文明社会の行き詰まりから脱却して未来へと大きく飛躍するための助走の年となりそうです。今年の干支「丑」(牛)に因んで、将来に向かって明るい展望が開ける1年となるように、日本各地の天満宮や日本唯一の「狛牛」で有名な牛嶋神社へ(できるだけ正月三が日を避けて)分散初詣に行かれてみてはいかがでしょうか。
 
大宰府天満宮福岡県太宰府市宰府4-7−1
大宰府天満宮/境内には天然記念物の大楠奉献の橘新田氏の祖・新田義重が寄進した石鳥居黒田如水が使用していた井戸などが残されています。 御神牛菅原道真公の生没年が丑年で、菅原道真公の遺骸を牛車に運ばせて牛が臥せた場所に埋葬せよとの遺言などから、牛は御祭神・菅原道真公のお使いとされています。 飛梅/境内には飛梅伝説となった梅が移植されていますが、その飛梅の原木が残されています。また、境内には、梅をこよなく愛した菅原道真公の歌碑が建立されています。 梅花紋(神紋)/日本三大天神である大宰府天満宮梅花紋防府天満宮梅鉢紋北野天満宮星梅紋及び三階松が神紋となっています。 菅公館跡菅原道真公が晩年を過ごした館跡(福岡県太宰府市朱雀6-18−1)。醍醐天皇藤原氏の陰謀で菅原道真公を逆臣と思い込み、901年(昌泰4年)1月25日に大宰へ左遷。以後、1月25日は「左遷の日」となっています。
牛嶋神社東京都墨田区向島1-4−5
牛嶋神社/860年(貞観2年)の創建。天神信仰とは関係ありませんが、古代、この一帯は国営牧場で、また、主祭神素戔鳴尊牛頭天王とされ牛との関係が深い神社です。因みに、東京スカイツリー氏神でもあります。 撫牛/1825年(文政8年)に奉納された撫牛で、自分の悪い部分(但し、顔や頭、性格を除く)を撫でると治ると言われています。この撫牛は江戸時代の人も撫でていたものです。 狛牛狛牛の番い牛嶋神社には狛犬ならぬ狛牛がありますが、この近隣にあった仲之郷村の大工・久次郎さんが江戸時代に奉納したものです。江戸っ子の粋を現代に伝えます。 牛守り/12年に一度、丑年だけ授与される牛のお守りです。こんなご時世ですから、古人の知恵に肖って神頼みしてみるというのも一興です。 包丁塚/村田周魚の川柳「人の世の奉仕に生きる牛黙す」が刻まれていますが、自然と共生する知恵を持ち、自然への畏敬と感謝を抱いていた日本人の心根を現わす川柳です。
 
f:id:bravi:20201218162120j:plain欧州では、ローマ帝国キリスト教を公認し、その教えが広まるまではケルト文化(ドルイド教)が普及しており、とりわけ北欧はキリスト教の普及が遅れたこともあって現代でもケルト文化(ドルイド教)の影響を色濃く残しています。ケルト文化(ドルイド教)は、昔から日本文化(神道)との類似性を指摘されていますが(ケルト文化は文字を持たないことから視覚文化ではなく聴覚文化として発展しましたが、前回のブログ記事で触れたアイヌ文化との類似性がとりわけ多いように感じられます。)、自然崇拝の多神教で、自然界と人間界とを区別せずに一体のものと捉え、万物に霊性を見い出し、そこから霊魂不滅や輪廻転生の考え方が育まれました。それらの思想を反映してケルト文化圏の神話や伝承には妖精(人間の姿をした精霊)が登場し、戯曲「ピーターパン」に登場するティンカー・ベル、アニメ「ムーミン」、映画「ハリーポッター」や映画「ロードオブザリング」に登場する妖精等にその影響が色濃く見られますが、このことは日本における映画「もののけ姫」に登場する精霊「コダマ(木魂)」にも共通しています。また、ケルト文化(ドルイド教)では、全ての神々を生み、育て、包み込む母なる女神「ブリギットを崇拝しますが、日本文化(神道)でも太陽神である女神「天照大神を崇拝し、それらには全てのものを調和(包含)することにより秩序を保とうとする母性原理、自然尊重主義が息衝いています。この点、ケルト文化の渦巻文様は此岸と彼岸とを結んで生命を誕生させる女性の子宮を象徴し、永遠に繰り返される輪廻転生の思想を表していると言われており、母性原理に彩られています。これと同様に、日本の縄文土偶(女神)には渦巻文様が描かれており、また、日本の神社は「鳥居」(女性器)を潜って「参道」(産道)を進み「御宮」(子宮)へと至って心身を清め、再び、「参道」(産道)を経て「鳥居」(女性器)からこの世に生れ直すという母性原理が根底に息衝いています。日本が外国の文化や社会制度等を柔軟に採り入れながら発展してきた歴史(和漢折衷、和洋折衷等)は、このような全てのものを調和(包含)することにより秩序を保とうとする母性原理を礎として育まれてきたことが背景にあると言えるかもしれません。その一方で、キリスト教は父性原理の宗教と言われていますが、父性原理が強く作用する米国と比べて母性原理が強く作用する欧州や日本が環境問題に熱心に取り組んでいるのは、単に経済的な理由ばかりではなく、このような思想的な背景も原因しているのかもしれません。因みに、我々が日常馴染み深く使用している言葉の中にはケルト語が語源になっているものも多く、例えば、「ウィスキー」はケルト語の「イシュケ」(大自然の恵みである聖なる水を意味する言葉)が語源になっています。また、「マクドナルド」は、創業者兄弟の名前ですが、ケルト語の「マク」(息子を意味する言葉)とケルト語の「ドナルド」(世界、支配者を意味する言葉)が語源になっており、その語義のとおりファーストフードの先駆者として世界中を席捲しています。さらに、フランスの「セーヌ川」は、ケルト語の「セクアナ」(川の女神を意味する言葉)が語源になっており、同じ川の名詞でも「ドナウ川」(Le Danube)は男性名詞ですが、「セーヌ川」(La Seine)は女性名詞になっています。
 
▼ 映画「ウルフウォーカー」
ポスト・スタジオジブリと名高いアイルランドのアニメーションスタジオ「カートゥーンサルーン」の最新作映画「ウルフウォーカー」が10月30日に日本で公開されました。第82回及び第87回のアカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされて話題になった第一作映画「ブレンダンとケルズの秘密」及び第二作映画「ソング・オブ・ザ ・シー 海のうた」に続く三部作の完結編ですが、ケルト文化の渦巻文様と共にケルト文化の自然観が描かれた非常に魅力的な映画です。年末年始に上映している映画館もありますので、特に予定がないという方はしっかりと感染対策をしたうえで鑑賞されてみてはいかがでしょうか。
 
f:id:bravi:20201218180442j:plain中国(宋の時代)の禅僧・廓庵師遠禅師は、禅の極意である「悟り」を視覚的に分かり易く説明するために、牛を題材にした十枚の絵を描き、その十枚の絵に頌(漢詩)を添え、さらに、その弟子・慈遠禅師が序(解説)を書き加えて完成させた「十牛図」が残されています。禅の極意である「悟り」とは「本当の自分」に気付くことであり、「本当の自分」を牛に喩えて「悟り」に至る禅の修行の道程を分かり易く説明しています。一見すると、改めて説明されるまでもない当たり前のことが記されているように思われますが、その平易に見える道程(理解)は実際に歩み出してみると(実践)、これを全うすることは非常に難しいものであることが分かります。この点、ピカソは複数枚の版画「牝牛」の摺りを残しており写実主義から抽象主義へと変遷して行く創作過程が分かり易く把握できて非常に興味深いですが、これと同様に「十牛図」の牛(本当の自分)も時代の価値観、社会情勢や自らの心境変化等に応じて常に変化して定まることはなく、無為自然に生きる境地に達することができなければ変幻自在に変化する牛(本当の自分)を直ぐに見失ってしまいます。これは世阿弥能楽論「花鏡」で「無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて、 せぬ隙の前後を綰ぐべし。是則、万能を一心にて綰ぐ感力也。」と芸道の極意を述べていますが、人生に花を感じることと能舞台に花を咲かせることとは相通じるものがあるのかもしれません。これまで流れに任せて人生を過ごしてきたが、どうもしっくりせず、「本当の自分」に背を向けて偽りの自分を演じているようで人生は侭ならないと嘆いている人も少なくないのではないかと思います。世間の理想や周囲の期待から「本当の自分」でないものになろう(煩悩)として人生を迷うのが人間の本性(業)なのかもしれません。人生を改めることは容易なことではありませんが、「本当の自分」に気付こうと意識するだけで、人生の歩幅や歩速は自然と変化し、目に映る人生の風景にも徐々に変化が生じてくるのではないかと思います。新型コロナウィルス感染症の影響で人生に行き詰まりを感じたり、人生に迷いを生じている人も少なくないと思いますが、一度歩みを止めて自分を見直してみる良い機会かもしれません。僕は、人生修行が足りないせいか「見牛」はおろか「見跡」への道程も覚束かず、未だに人生に迷いを生じ、心乱れることも少なくない未熟者であること(「尋牛」)を告白しなければなりませんが、貴兄姉にとって2021年の丑年は「十牛図」のどのあたりの道程を歩まれる予定でしょうか?因みに、紅葉の名所として知られる圓光寺の「十牛之庭」は十牛図をテーマに作庭されていますので、来秋は紅葉狩りがてら「本当の自分」(牛)を探す旅に出てみるのも一興です。また、十牛図を詠んだ和歌集「十牛歌」、菅野由弘さんが作曲した声明「十牛図」や藤家溪子さんが作曲した合唱曲「男性合唱とギターのための十牛図」等も創作されおり、様々な表現方法で十牛図の教えが伝えられていますので、人生修行と大仰に構えることなく十牛図の教えに親しむこともできます。
 
十牛図(牛=本当の自分)
【自分を探す】
1.尋牛:牛を探し始める。
2.見跡:牛を探す手掛りを見付ける。
3.見牛:牛を見付ける。
【自分を得る】
4.得牛:牛を掴まえる。
5.牧牛:牛を手懐ける。
6.騎牛帰家:牛を連れ帰る。
【自分が消える】
7.忘牛存人:牛を意識しなくなる。
8.人牛倶忘:忘我の境地に至る(色即是空)。
9.返本還源:万物を有りのままに受け入れる(空即是色)。
【自分に戻る】
10.入鄽垂手:俗世にあって迷うことなく無為自然に生きる。
 
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◆おまけ① 
アニバーサリー(節度ある50年刻み)を迎える芸術家に関係する演奏会、展覧会や出版物等が目立つ傾向にありますが、今年はこれら「昔」の芸術家ではなく「現代」の芸術家に焦点を当ててみたいと思っています。また、この数年、新作オペラの上演が目立ってきており、新作オペラにも注目して行きたいと考えています。
ジャンル 人物名 アニバーサリー
音楽 アルビノーニ 生誕350年
歴史 ナポレオン・ボナパルト 没後200年
文学 フョードル・ドストエフスキー 生誕200年
音楽 ステーンハンマル 生誕150年
音楽 ツェムリンスキー 生誕150年
絵画 リオネル・ファイニンガー 生誕150年
絵画 ジョルジュ・ルオー 生誕150年
音楽 サン=サーンス 没後100年
絵画 フェルナン・クノップフ 没後100年
音楽 ピアソラ 生誕100年
歴史 ココ・シャネル 没後 50年
音楽 イーゴリ・ストラヴィンスキー 没後 50年
文学 三島由紀夫 没後 50年
 
◆おまけ②
ケルト文化の影響を色濃く残す北欧・アイルランドの聖楽隊により映画「もののけ姫」の主題歌「もののけ姫」をお楽しみ下さい。
 
旧約聖書出エジプト記32章に登場する牛を模った黄金の像(父性原理を象徴する話)は単に偶像崇拝を意味しているだけではなく拝金主義の比喩として登場します。グノーの歌劇「ファウスト」で友人の拝金主義を讃える「金の子牛の歌」をお楽しみ下さい。
 
ミヨーの超現実主義バレエ「屋根の上の牡牛」(シネマ・ファンタジー)(Op. 58b)をギドン・クレーメル(Vn)、オレグ・マイセンベルク(Pf)、 ベルリン・ドイツ交響楽団(Orc)の名演でお楽しみ下さい。
 
異界への鬼門が開く丑三つ時(逢魔が時)の概念が誕生する契機となった藁人形による呪術(丑の刻参り)を陰陽師安倍晴明が調伏する能楽「鉄輪」をお楽しみ下さい。なお、陰陽師安倍晴明は、菅原道真公の祟りと恐れられた清涼殿落雷事件が発生した930年(延長8年)に幼少期を過ごしています。
 
KingGnuの「PrayerX」(MPV)をお楽しみ下さい。このMPVは音楽家、観客及び業界関係者の関係をシニカルに描くことで、現代の時代性を痛烈に風刺していますが、若い音楽家の才能をダメにしてしまうような観客であってはならないという意味で色々と考えさせられます。「生きるための嘘が、もはや本当か嘘か分からなくて、自分の居場所でさえも見失っているの....」という歌詞が出てきますが、「本当の自分」に背かずに無為自然に生きること(十牛図の実践)が難しい時代なのかもしれません。因みに、KingGnuの「Gnu」とはウシ科のヌーのことを意味しています。

TBS情熱大陸「東京フィルハーモニー交響楽団/コロナ禍での再出発!悩みながら前へ」

f:id:bravi:20200715175105p:plain昨夜、TBSの情熱大陸で東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会再開を扱ったドキュメンタリー番組が放送されていたので、その概要を備忘録として残しておきたいと思います。日本では、以下の基準(収容人数又は収容率のうち、いずれか低い方の基準)に従って屋内でのイベント開催の制限が緩和されたことに伴って、在京のプロオケとしては初めて東フィルが6月21日(ステップ2)に観客入りの演奏会を再開しています。
 
制限緩和 収容人数 収容率
ステップ1(5月25日~) 100人以下 50%以内
ステップ2(6月19日~) 1,000人以下 50%以内
ステップ3(7月10日~) 5,000人以下 50%以内
ステップ4(8月1日~) なし 50%以内
 
f:id:bravi:20200707102345p:plain今週末にはステップ3へ進むようですが、来月、ステップ4に移行しても、当面の間(ワクチン開発まで?)は収容率50%の制限は残る予定なので、引き続き、採算面で厳しい状況が続くことに変わりなく、単に感染対策だけではなく生き残り戦略をかけたニューノーマルの模索が続くことになりそうです。このような状況のなか、千歳空港から程近い北海道白老町で7月12日にアイヌ民族をテーマとした日本初の国立博物館「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がオープンすることになり(4月オープン予定がコロナ禍で延期)、新しい観光スポットや修学旅行先として注目を集めています。折しも、明治末期のアイヌの人々を描いたマンガ「ゴールデンカムイ」(野田サトル)が発行部数1,000万部を超える空前のヒットとなって今年10月からTVアニメ放映が決定し、また、同じく10月に北海道阿寒湖のアイヌコタンを舞台にアイヌ民族の現在を描いた映画「アイヌモシリ」(主演の下倉幹人さんはアイヌ民族の血を引く注目の新人俳優)が公開され、さらに、アイヌの人々を描いた小説「熱源」(川越宗一)が今年の直木賞を受賞するなど、かつてない温度感でアイヌ文化への関心が高まっています。ウポポイ(民族共生象徴空間)のアンバサダーを勤めている俳優・宇梶剛士さんの母・宇梶静江さんは「東京ウタリ会」(現、関東ウタリの会)や「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」(千葉県君津市)等の活動を通してアイヌ民族の復権やアイヌ文化の普及等に尽力し、その功績が称えられて第14回(2020年)後藤新平賞を授与された方で、宇梶さんはアイヌ文化に触れながら育った経験を活かして創作したアイヌを舞台にした演劇「永遠ノ矢=トワノアイ」(宇梶剛士)が昨年8月に成功しており、来年、北海道公演も予定されているそうなので見逃せません。先日、某大臣の失言が問題になっていましたが、日本国民(日本の国籍を有する者)は、単一の民族(独自の言語及び宗教を有し、文化の独自性を保持しているなど一定の文化的特徴を基準として区別される共同体)から構成されているのではなく、主要な民族だけを挙げても、北から順に、ウィルタ民族、ニヴフ民族、アイヌ民族、大和民族、琉球民族など複数の民族で構成されており、近年ではゲノム解析等によって各々の民族の特徴的傾向(形質)やその歴史的な関係性等が明らかになってきています。これらの研究結果については学術論文が一般公開されていますので、このブログでは詳しくは触れませんが、この機会に日本国民のうちアイヌ民族と大和民族等との文化的特徴の異同を簡単に整理してみたいと思います。
 
◆世界を動かしたアイヌの人々の想い(最近約10年間の動き)
・2007年 9月 先住民族の権利に関する国連宣言(国連総会)
・2008年 6月 アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議
(衆議院本会議、参議院本会議)
(国連人権委員会)
・2014年 8月 琉球民族に関する国連勧告
(国連人種差別撤廃委員会)
(衆議院内閣委員会)
※政府は尖閣諸島問題への影響を恐れての政治判断か?
・2019年 4月 アイヌ新法成立(衆議院本会議、参議院本会議)
※政府はオリパラまでにウポポイ(民族共生象徴空間)を開館することで国際社会へアピールしたい思惑か?それは兎も角として、マラソンが札幌で開催されることになり国際社会の目が北海道(ウポポイやアイヌ文化など)にも注がれる機会になることは意義深い。
  
 
f:id:bravi:20200711091321p:plain日本列島が大陸と地続きであった約3万年前に南方系アジア人の古モンゴロイド(狩猟採取を行うソース顔の縄文人)が移住して日本列島の全域に分布しています。その後、地殻変動や地球温暖化に伴う海面上昇により日本列島が大陸から分離した後の約3千年前に北方系アジア人の新モンゴロイド(水田稲作を行うしょうゆ顔の弥生人)が大陸から九州、四国及び本州へ移住して古モンゴロイド(縄文人)と新モンゴロイド(弥生人)の混血から大和民族が生まれています。しかし、このとき北海道及び沖縄は地殻変動や海面上昇により海を隔て遠く離れていたことや北海道の寒冷な気候が水田稲作に適さなかったことなどから、これらの地域における新モンゴロイド(弥生人)との混血は少なく、それぞれの地域でアイヌ民族及び琉球民族として発展しています。これにより日本には大きく3つの文化圏が誕生することになりました。日本の食卓を彩る3つの調味料は、それぞれに独自の風味があり、どれが欠けても味気ないものになります。
 
◉地殻変動や海面上昇が生んだ民族・文化の多様性 
民族 共通の祖先
(大陸と地続き)
+混血度
(大陸から分離)
文化 芸能人
アイヌ 古モンゴロイド 新モンゴロイド 縄文 宇梶剛士
琉球 古モンゴロイド 新モンゴロイド 縄文 小島よしお
大和 古モンゴロイド 新モンゴロイド 弥生 佐々木蔵之介
※ 沖縄出身の小島よしおさんの母は第2代目琉球国王・尚巴志王氏の子孫だそうです。
 
f:id:bravi:20200712045743j:plain上述のとおり大和民族とアイヌ民族及び琉球民族との文化的特徴の異同が生じるのは約3千年前に新モンゴロイド(水田稲作を行うしょうゆ顔の弥生人)が大陸から九州、四国及び本州へ移住して水田稲作を伝えた古代(弥生時代)から中世以降であると考えられます。アイヌ民族は、自然を含む森羅万象を「カムイ」(神)として崇め、また、琉球神道は、万物にセジ(神の霊力)が宿ると考えており、森や川等の自然を神が降臨する聖地「御嶽」(ウタキ)と捉えて祭祀を執り行っていました。このような古モンゴロイドに共通して見られる自然信仰(アニミズム)は、大和民族の古神道(仏教伝来以前から大和民族が信仰していた神道)にも見られ(八百万の神々)、「神」(kam i)と「カムイ」(kamui)の言葉の相似性にも現れているとおり、これらの信仰には相通じる思想が息衝いていると思われます。その後、新モンゴロイドにより大陸から水田稲作が伝えられると、大和民族は多人数で定住するようになって(狩猟採集は少人数で行いますが、水田稲作は多人数で協力する必要)、社会の機能化(米の備蓄による富の集中と紛争発生、紛争回避のルール整備と文字の発達等)が進み、やがて国家が形成されていきました。その後、天皇を中心とする律令国家の構築を目指していた大和政権は、中国大陸から先進の思想(宗教)として仏教(寺院、仏像を含む)が伝来すると、寺院に相当する施設として常設の神殿を持つ神社を創り、仏像に相当する信仰の拠り所として御神体としての鏡を祀ることなどによって対抗し、それまで自然信仰(アニミズム)によって祀られていた「鎮守の森」(自然、万物)は「鎮守の杜(社)」(神社、鏡)へと姿を変えて神社信仰へと変化していきました。やがて神仏習合を通して神社神道が体系化され、伊勢神宮を頂点とする中央集権的な神社制度が確立します。なお、御神体としての鏡(「かがみ」)は、「か〇み」(神)と「が」(我)から成り立っていますが、安易に神に答えを求めるのではなく、我の姿を鏡に映すことで我と向き合って答えを見出すという仏教の悟りに近い考え方が採り入れられますが(和漢折衷)、その思想は剣道、柔道、華道、茶道、香道等の伝統文化にも貫かれています。時代は下って、明治政府は、近代化政策の一環として近世的な社会秩序を構成していた仏教勢力を弱体化させるために神仏分離及び廃物毀釈を推進すると共に、アイヌ民族及び琉球民族に対する同化政策としてアイヌ語ではなく日本語の使用を強い、御嶽に鳥居を設置したことなどにより、アイヌ及び琉球の独自の文化は衰退していきます。やがて神社神道は政治利用されるようになり、天皇や国家を祀る国家神道へと変容していきます。このように古代から中世(神仏習合によって東洋の先進思想に対抗)、近世から近代(神仏分離によって西洋の先進思想に対抗)への時代の転換期に神道が政治利用されてきた歴史がありますが、最近の自然災害(豪雨、森林火災や感染症等)を見るにつけて、明治政府の近代化政策により西洋から輸入された近代合理主義や人間中心主義的な考え方は行き詰まりを見せており、再び、カムイ、琉球神道、古神道等に息衝いている自然と人間の共生を重視する自然信仰(アニミズム)の思想に立ち返って、自然と人間の関係性(将来の都市設計や生活様式等を含む。)を考え直してみる時機が来ているのかもしれず(最近の古代史ブームはこのような時代が求めるものを鋭敏に感じ取ったもの)、その意味でウポポイ(民族共生象徴空間)は民族共生のみならず、自然共生というもう1つ大きなテーマを内包しているのではないかと感じます。
  
◉宗教に見る文化的特徴の異同  
分類 種類
古代 中世以降
教義なし
(道=実践)
行いの宗教
(※)
カムイ
琉球神道
古神道 神社神道
教義あり
(教=言葉)
悟りの宗教
(内発的)
仏教
救いの宗教
(外発的)
キリスト教
※教義や教典がないので厳密には宗教ではありませんが、便宜上、宗教と記載しています。
 
f:id:bravi:20200712210850p:plainウポポイとは、アイヌ語で「大勢で歌う」という意味がありますが、現在、我々が日常的に使用している日本語の中にもアイヌ語が使用されており、例えば、ファッション雑誌「non-no」(ノンノ)はアイヌ語で「花」を表す言葉ですし、また、サッポロビールはアイヌ語で「乾いた大きな川」を表す言葉で、喉を鳴らしながら一気に飲み干すビールのイメージ(日本語の「乾杯」も杯を飲み干すという意味)にピッタリのネーミングです。なお、この機会に、サッポロビールでは「サッポロ クラシック UPOPOY(ウポポイ)オープン記念缶」を発売したようです。それ以外にも、北海道の特産品である鮭、昆布、シシャモ、ホッキ貝や、北海道に生息するラッコ、オットセイ、トナカイなど、我々が愛してやまない食材や動物にもアイヌ語が使用されています。ところで、アイヌ語には文字がありませんが(無文字文化)、中国大陸から漢字が伝わる前の日本語と同様に口承のみによって文化が伝承されてきました。この点、上述したとおりアイヌ民族の自然信仰(カムイ)には教義(言葉)がなく、また、アイヌ民族は少人数で行える狩猟採集を生活の基盤として少人数で構成される村(コタン)を形成して暮らしていたことから、少人数とのコミュニケーションに適している対話の文化(チャランゲ)が発達し、文字を持たない聴覚文化が発展しました。一方、大和民族の自然信仰(神道)にも教義(言葉)はありませんでしたが、中国大陸から伝来した仏教には教義(言葉)があり、また、大和民族は多人数が協力して行う水田稲作を生活の基盤として多人数で構成される大規模な集落(国)を形成して暮らしていたことから、多人数とのコミュニケーションに適している文字の文化が発達する素地があったことに加えて、中国大陸から漢字が流入し、その後、遣唐使の廃止によってより平易な仮名文字が発明されたことで文字を持つ視覚文化が急速に発展し、アイヌ民族と大和民族の間で文化的特徴に顕著な差異を生じています。なお、聴覚文化(対話の文化)の伝承は記憶の承継に頼らざるを得ないことから、対話者の記憶に留まり易い「話し方」や「語り方」が発達することになり(カムイへ語り聞かせる神謡など人々の記憶に残して子孫へ承継すべき語りには特有の節(旋律)が付けられますが、これはウポポ(歌)とは区別されているようです。)、アイヌでも多くの口承文学(ユカラ)が生まれています。しかし、明治政府の同化政策によってアイヌ語ではなく日本語の使用を強いられたことで、口承文学(ユカラ)を含むアイヌ文化は急速に衰退することになり、大正時代、この状況を憂慮した言語学者・金田一京助さんの支援でアイヌ民族の知里幸恵さん)がアイヌの神謡(アイヌユカラ)を日本語におこして「アイヌ神謡集」を出版しています。その序文が心を打つ素晴らしい文章なので、以下に全文を引用しておきます。僕が長々とくだらない御託を並べるよりも、この序文を一読するだけでアイヌ民族について理解や共感が深まると思います。自然をこよなく愛し、大切な人達と囲炉裏を囲んで物語り、実に豊かな詩情を湛えた心根の美しい民族の姿が浮かび上がってきます。是非、知里幸恵さんの心をより多くの人に知って貰うために、その生涯を映画、ドラマ又は舞台にして欲しいと願ってやみません。なお、「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の近くに「知里幸恵 銀のしずく記念館」がありますので、是非、お立ち寄り下さい。銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに・・・・。
 
◉アイヌ神謡集の序文
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鷗の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れ破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。けれど・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。
大正十一年三月一日 知里 幸惠
 
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上述のとおりアイヌでは文字を持たない聴覚文化(外向的)が発展しましたが、アイヌでは文字だけではなく絵を描く習慣もなく、アイヌ語には絵を意味する言葉がありませんでした。この点、アイヌでは写実的に描かれた絵には悪霊が祟る(即ち、自然を写しとることで、そこに潜む悪霊まで招き寄せてしまう)と考えられており、絵の代りに悪霊の祟りを除けるためのデザインとしてのアイヌ文様(悪霊の目を回す「モレウ」(渦巻)、悪霊を刺す「アイウシ」(棘)、これらの組み合わせた悪霊を寄せ付けないように見張る「シク」(目)から構成される幾何学的な模様)を着物に刺繍して身を守っていたと言われています。この点、縄文土器の模様は実用的ではない複雑なものが多いですが、これは縄文人が動物の命を奪う狩猟採取を中心とする生活なので、日々、それら動物の霊を送る(鎮める)ための呪術を目的した複雑な模様(感性的なデザイン)が施され、そこからアイヌ文様も派生したのではないかと思われます。非常にデザイン性に優れており、モダンデザインに通用する新しさを感じます。また、これは尾形光琳「紅白梅林図屏風」の流水紋等にも、その面影が感じられます。これに対し、弥生人は水田稲作を中心とする生活なので、呪術を目的とする必要はなく、質素で実用的な模様(機能的なデザイン)が施されるようになったのではないかと思います。一方、視覚文化(内向的)を発展させた大和や琉球では常に中国大陸の影響を受けながら日本画や琉球絵画が発展しますが、いずれも陰影がなく写実性を追わない画風はアイヌが写実的に描かれた絵を忌避していた文化的特徴と類似しています。但し、その理由はアイヌとは異なり、自分と向き合って悟りを開く仏教文化の影響を受けている為か、自分の外界にあるものを描き写すことに関心は向けられておらず、自分の心と向き合いながら自分の外界にあるものの中に何を見ているのかその心象風景を描くことに関心が向けられていた為ではないかと思われます。例えば、有名な葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」は、波の伊八の欄間彫刻「波と宝珠」(大波に翻弄される宝珠=人間の魂)をパロッたもので、これにインスピレーションを受けたドビュッシーが交響詩「海」を作曲した可能性があることが指摘されているという曰く付きの絵ですが、大波(運命)に翻弄される水夫達の鬼気迫る喧騒と、その大自然に翻弄される人間の姿を悠久の時間の中で見守ってきた悠然たる富士山の静寂とが対比されることで、大自然を前にした人間の無力さ、儚さや無常観のようなものが絵に描き込まれているのではないかと思います。ここでは大波、水夫達や富士山を写実的に描き写すことに関心は向けられておらず、それらに何を見ているのか葛飾北斎の心象風景に関心が向けられており、そこにこの絵の面白さがあるのではないかと思います。なお、アイヌ絵(以下の画像)と言われる絵がありますが、これは大和民族がアイヌ民族の生活風俗等を描いた絵のことで、大和民族が見たアイヌ民族の姿をそのまま描いたものではなく、大和民族が見たいと思うアイヌ民族のイメージが描かれたものなので、アイヌ民族の生活風俗等を正しく描き写しているものではありませんが、アイヌ民族の生活風俗を知る手掛りにはなり得るものではないかと思います。
 
小玉貞良作「アイヌ釣魚之図」(天理大学附属天理図書館所蔵):小玉貞良は、1700年代前半(江戸時代中期)に松前藩で活躍した狩野派の流れを汲む絵師で、アイヌ絵の先駆者として知られる人物です。
 
f:id:bravi:20200712213919j:plain2009年、ウポポ(歌)及びリムセ(舞踊)から構成される「アイヌ古式舞踊」がユネスコ無形文化財に登録されました。上述したとおりアイヌでは聴覚文化(対話の文化)が発達したことから、ウポポ(歌)やアイヌ民族の伝統楽器の演奏では楽譜を使用せず(口承音楽)、リムセ(舞踊)に合せて音高、音色(発声の仕方)やリズム等を自由に組み合わせながら歌い又は演奏されてきました。その一方、上述したとおり大和では中国大陸から伝来した仏教の教義(言葉)があり、また、多人数が協力して行う水田稲作を生活の基盤として大規模な集落(国)を形成し、多人数とのコミュニケーションに適している文字の文化が発達する素地があったことに加えて、中国大陸から漢字が流入し仮名文字も発明されたことで視覚文化(文字の文化)が急速に発展しました。このような背景もあって、能楽(謡曲)では詞章に節づけされた謡本(台本、楽譜)が誕生しますが、ウポポ(歌)と同様に、音高、音色(発声の仕方)やリズム等に及ぶ指示はなく、各々の能楽師の自由に委ねられており、その意味でアイヌ古式舞踊と能楽の文化的特徴には類似性が見られます。この点、謡本(台本、楽譜)がありながら、何故、節以外の音高、音色(発声の仕方)やリズム等に及ぶ指示が行われないのか疑問が残りますが、アイヌ民族及び大和民族に共通する自然信仰(アニミズム)の思想が影響しているのではないかと思われます。自然信仰(アニミズム)は、人間に都合が良いように自然をコントロールするという人間中心主義的な思想ではなく、人間は自然の一部であり自然に対する畏敬の念を持ち自然と調和することが重要であるという自然尊重主義的な思想が根底にあり、西洋のように人間は神から選ばれた自然の支配者であるという一神教的な考え方のもと音高、音色やリズム等を人間がコントロールし易いように人工的に加工し(皆が外部から与えられた共通の規範(教義)を守るという思想性)、人間が均質な発声で音高変化を明確にすること(即ち、讃美歌で歌う聖書の言葉を聞き取り易くすることなど)に価値を求めるのではなく、音高、音色やリズム等を人間がコントロールし易いように人工的に加工することなく自然の秩序に委ねて自然と調和し(個人が自然と向き合いながら自然や自己と折り合いをつける独自の術(信仰、悟り)を獲得するという思想)、自然と共鳴する精妙な音楽を奏でることに価値を見出だしてきました。例えば、能楽では、各々の能楽師が自ら発声できる音域で謡うことを基本とし(鳥の声と同様に人間の声も自然の楽器)、能楽囃子は自然の音を模倣するために敢えて音程が不安定になるように設計されており、また、メトロノームが刻む人工の時間ではなく自然の呼吸が刻む時間の揺らぎを感じながら、一期一会(唯一無二)の音楽を奏でることを重視しています。「一得一失」(漢書)という言葉があるとおり、これは西洋の音楽と日本の音楽の優劣の問題ではなく、それぞれに良し悪しがある多様性の問題であり、選択の問題であって、そのいずれもが我々の人生を豊かなものにしてくれる大切なものだと思います。なお、作曲家・伊福部昭さんがアイヌ音楽に関する本格的な論考をホームページに掲載されており、大変に参考になります。
 
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f:id:bravi:20200715102513p:plain上記で記載したことは舞踊にも言えます。先日のブログ記事で書いたとおり、舞踊(ダンス)は、自然信仰(アニミズム)を背景として人ならぬ者との交流を試みるために肉体を使って行われてきた宗教的なパフォーマンが起源と言われており、日本では「舞」のことを「神迎え」「踊り」のことを「神(霊)送り」と解しています。これに対し、西洋(キリスト教圏)では聖書に書かれた神の言葉(ロゴス)を信仰の拠り所として精神で肉体をコントロールすること(理性)が重んじられ、肉体的な興奮を喚起し、人々を狂気(トランス)させるようなリズムの使用やアニミズムの実践(霊媒、占い等)を禁じてきました。この点、アイヌ古式舞踊のリムセ(舞踊)には、イオマンテ(熊の霊(カムイ)を天国へと送る(「神(霊)送り」)ための「踊り」)などがあり、また、能楽では、巫女が依代や神座の周囲を回りながら徐々に神懸り(神迎え)して行く呪術的な舞を採り入れており(能舞台の鏡板の松、橋掛りの松、本舞台の4本の柱はいずれも神の依代であり、シテがこれらの周囲を回りながら人ならぬ者が顕在(「神迎え」)する「舞」)、これらには自然信仰(アニミズム)や(能楽では)仏教の影響等がみられます。また、チカプウポポ(鶴の舞)は、丹頂鶴が羽を広げて舞う優美な姿を模擬したものですが、能楽も物真似芸として発展しており(能楽の前身である猿楽のネーミングはその名残り)、やはり自然信仰(アニミズム)や(能楽では)仏教に息衝く自然に対する畏敬の念を持ち自然を模倣することで自然と調和(同化)しようとする思想の影響が色濃く感じられます。 
 
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1987年、川上まつ子さん(北海道沙流郡平取町出身)がアイヌ民族博物館で収録した音源をアップしておきます。このような貴重な音源が残されていることを心から感謝します。川上まつ子さんは祖母のウワルスッさんからアイヌ語やアイヌ文化を承継し、この年代の方の中では格段にアイヌ語が堪能であったそうです。これが本当のウポポ(アイヌ語)の響きなんですね。一聴するだけで、その独特な響きの虜となります。明治政府の同化政策によってアイヌ民族からアイヌ語を奪ったことが、アイヌ文化の急速な衰退につながったことが肌感覚で理解できます。なお、アイヌ語資料の公開プロジェクトという興味深いWEBサイトも公開されています。
 
f:id:bravi:20200713160415p:plain北海道の郷土料理「三平汁」や「石狩鍋」のルーツはアイヌ料理のオハウと言われています。北海道で本場の味を楽しむのが一番ですが(新千歳空港ターミナルにある土産店「アイヌモシリ三光」もお勧めです。)、コロナ禍で遠出は控えたいという方も、オハウのレトルトパックが販売われており、また、アイヌ料理のレシピも紹介されていますので、自宅でアイヌ料理を楽しむことも可能です。また、東京でアイヌ料理を食べさせてくれる店「ハルコロ」(新大久保)も有名です。店名は、アイヌ人女性の生涯を描いたマンガ「ハルコロ」(石坂啓)から命名されたそうで、アイヌ語で満腹や飽食という意味です。さらに、アイヌ伝統のお酒「カムイトノト」が復刻し、オンラインで入手可能です。なお、紙片の都合からアイヌ文化の具体的な内容まで十分に踏み込めませんでしたので、ご興味のある方は以下の書籍をご参照下さい。ビジュアル&コンパクトにまとめられており入門用としてお勧めです。また、こちらも紙片の都合から紹介できませんでしたが、オホーツク文化圏に属する少数民族のウィルタ民族やニヴフ民族の文化について紹介している北海道立北方民族博物館にも足を伸ばされることをお勧めします。
 
 
 
f:id:bravi:20200715173153j:plainさて、本題に戻ってTV番組の内容に簡単に触れてみたいと思います。東フィルは、今回(第一波)のコロナ禍で130回の演奏会が中止されて億単位の損失が生じたそうですが、在京のプロオケとしては初めて6月21日にオーチャードホール(渋谷)で観客入りの演奏会が4ケ月振りに再開されました。オーチャードホールの客席数は2,150席なので、上記の基準(ステップ2)に照らせば1,000名まで観客を収容しても問題がありませんが(但し、当面、収容率を50%以下に抑える必要があるので、オーチャードホールではステップ3、ステップ4に移行しても、1,000名以下に観客数を制限しなければなりません)、東フィルは絶対に演奏会で感染者を出さないという意気込みのもと約30%(約650名)まで観客数を減らして演奏会を再開することにしたそうです。しかし、演奏会の運営費の約80%はチケット代で賄われているので、興行収益は赤字(演奏会を開催しても財務状況が悪化してしまう状態)に陥ってしまいます。東フィルでは、感染対策の観点から、通常の演奏会の1/3程度の演奏時間となるように演目数を減らし(交響曲なら1曲程度)、かつ、オーケストラの編成も約10人削減して総数約70人としたそうですが、もともと当日の演目であったドボルザーク交響曲第9番は2管編成 +αが標準的な編成なので、3管編成に近い70人が乗っていたのであれば、それほどオーケストラの編成には変更を加えず(即ち、ホールの大きさは変えられないので、音を犠牲にしないよう)に演奏会に踏み切られたのではないかと思います。それでも楽団員間のソーシャル・ディスタンスを確保するためにステージを目一杯使用し、弦楽器、木管楽器及び打楽器は1.5m、金管楽器は2mの間隔をとって配置すると共に、金管楽器奏者の間は透明のフィルターで遮るなどの感染対策(ベルから縦方向に拡散する飛散は殆ど確認されませんが、マウスピースと唇の隙間や鼻から横方向に拡散する飛沫に対する対策)が講じられましたが、オーケストラの配置は音響に大きな影響を与えますので、感染対策と音響対策を両天秤にかけた試行錯誤を繰り返している姿に、現在のオーケストラが置かれている苦境(音楽面、経営面、健康面)がTV画面からもヒシヒシと伝わってくるようでした。オーボエ奏者の杉本真木さんが自粛期間中に閲覧したインターネットで「日本にはオーケストラが多過ぎるのでこれでつぶれるくらいがちょうどいい」や「音楽なんてそもそも重要じゃない」という心ない書込みが目に入り落ち込んだと仰っていましたが、「人の心に直接働きかける仕事だという自負を持っている」と自らの信条を吐露されていた姿が印象的でした。おそらく情操が貧しい者(情操が豊か否かは年齢の問題ではなく、若年であれ、中高年であれ、年齢とは関係ない個々人の感受性や心根の問題)の書込みなのだろうと思いますが、先日のブログ記事でも書いたとおり、文化芸術(音楽を含む)は人間が尊厳を持って自分らしく生きることができる社会を実現するために必要不可欠なもの(文化芸術基本法の精神)であって、より多くの喜びを人生に見出すために豊かな情操を育みたいと願う数多くの人間にとって文化芸術(音楽を含む)が衰退してしまった社会は生き甲斐を見出し難い実に味気ないものであり、その意味で文化芸術は「生命維持に必要」(メルケル首相)なものだと痛感します。自粛期間中、東フィルの団員は人前で弾けないジレンマ(表現者の本性)を抱えながら忸怩たる思いで過ごしていたようですが、ヴィオラ首席奏者の須田祥子さんは自主製作CD「びおらざんまい」を録音し、また、コンサートマスターの近藤薫さんはジュニアオケを卒団する子供達のためにリモートオーケストラ演奏会を開催するなど、音楽の灯を絶やさないための精力的な活動に取り組まれていたことなどが紹介されており、非常に心強く勇気付けられました。現在、イタリアのオペラ公演では屋外劇場で歌手がマスクを着用して歌っているそうですが、日本の能楽公演でも能面を被らない地謡がマスクを着用して歌うという感染対策が講じられています。また、日本の歌舞伎公演では芝居にテンポを生んで粋に盛り上げる大向こうの掛け声を禁止するという苦渋の感染対策が講じられていますが、ハイブリット公演(オンサイトによるライブ公演と、オフサイトによるライブ公演のオンライン有料配信の同時開催)と併せて、様々な犠牲を強いられながらも生き残りを掛けたニューノーマルの模索が続けられています。
 
びおらざんまい

びおらざんまい

  • アーティスト:SDA48
  • 発売日: 2020/06/03
  • メディア: CD
 
 
◆アイヌ民族に関連する音楽
現在、アンドレア・バッティストーニ指揮@東京フィルハーモニー交響楽団が取り組んでいるプロジェクト「BEYOND THE STANDARD」では、日本人作曲家の作品をレコーディングしていますが、その第一弾としてシンフォニア・タプラーカがリリースされています。曲名の「タプカーラ」はアイヌ語で「立って踊る」という意味で、作曲家・伊福部昭さんが少年期に交流したアイヌ民族へのオマージュとして作曲したクラシック音楽作品です。この作品には伊福部昭さんのアイヌに対する郷愁と共にアイヌの自然や音楽(リズム)が息衝いています。バッティストーニ@東フィルによる作品への共感溢れる名演(タプカーラ/01:40~)でお楽しみ下さい。
 
安東ウメ子「Spirits From Ainu」より「BEKANBE UK」(菱の実採りの歌・座り歌)
ムックリ(口琴)やウポポ(歌)などアイヌ音楽の名主として知られる安東ウメ子さんの代表作の1つですが、アイヌの自然に抱かれているようなフィーリングで心が整えられます。なお、「あはがり」で一世を風靡した朝崎郁恵さんが安東ウメ子さんと共演したことを契機としてアイヌ音楽と奄美民謡のコラボレーション・プロジェクト「Amamiaynu」を立ち上げて精力的に活動されています。アイヌ民族と琉球民族は共通の祖先・古モンゴロイド(縄文人)の血を色濃く受け継ぐ民族なので、お互いに深く共鳴し合うものがあるのかもしれませんが、民族の多様性が育む豊かな文化とそれらの文化が交錯して新しいものが生まれる創造のダイナミズムに触れているような思いに駆られて興奮を禁じ得ません。コロナ禍でも、やはり世の中は面白い。
 
◆アイヌ民族に関連する映画
アイヌ民族として生まれ、アイヌ民族として育ち、アイヌ民族として生きる浦川治造さん(俳優・宇梶剛士さんの叔父)の生き様を通して、アイヌ民族に受け継がれてきた心を現代に伝えるドキュメンタリー映画のPVです。現在、上映している映画館がなく、TUTAYAも扱っていないようなので、コロナ禍も踏まえて、NHKやCATVへ放映をリクエストしています。
 
現在、首都圏には5千~1万人のアイヌ民族が暮らしているそうですが、それらの方々がどのような想いを抱いて暮らしているのかをインタビューを交えながら綴ったドキュメンタリー映画のPVです。上記のドキュメンタリー映画と同様にNHKやCATVへ放映をリクエストしています。

【訃報】作曲家&ピアニストのニコライ・カプースチン

7月2日、8つの演奏会用練習曲などジャジーな超絶技巧曲で人気を博した作曲家&ピアニストのニコライ・カプースチンが亡くなりました。僕がカプースチンの曲を初めて聴いたのは、2008年8月にカワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」における「カプースチンの饗宴」と題する演奏会でしたが、当時、カプースチンの曲が演奏会で採り上げられる機会は皆無に等しく(その意味で、パウゼでは非常に意欲的で面白い企画の演奏会が開催されることが多く)、これまでに聴いたことがない全く新しい音楽に接した興奮が鮮やかに蘇ってきます。爾来、クラヲタの悲しいサガとして、ピアノの鉄人・アムランの音盤(この人なかりせば今日のカプースチン人気はなかったと言っても過言ではない)、カプースチンの自作自演盤やレアな輸入盤などを貪欲に蒐集する羽目になりましたが、その後、カプースチン弾きの川上昌裕さんによる世界初録音などがリリースされるようになり、それに伴って演奏会で採り上げられる機会も増えてきたことを頼もしく感じていました(上記の演奏会のピアニストが演奏前のMCで上手く演奏できるか分からないと素直な心境を吐露していましたが、当時、アムラン等の一部の凄腕を除いてカプースチンの難曲を弾き熟せる人はいなかったと思います)。来月には、輸入盤を含めても非常に珍しい録音「チェロ協奏曲第1番」がリリースされるなど、いよいよ、これからカプースチンの楽曲の真価が広く認識、評価されて本格的な脚光を浴びようという矢先の訃報に接し、本当に残念でなりません。
 
カプースチン ピアノ音楽の新たな扉を開く

カプースチン ピアノ音楽の新たな扉を開く

  • 作者:川上 昌裕
  • 発売日: 2018/08/26
  • メディア: 単行本
 
予てから、個人的に、今日のクラシック音楽界の低迷傾向(演奏会場への来場者数は微増しているように見えても先行きの展望が開けない閉塞感なようなもの)は、産業革命によって作曲家と演奏家の分化が進んでしまったことに遠因しているのではないかと感じることがありますが、カプースチンは作曲家としてもピアニストとしても超一流の芸術家であるという意味で、現代においては稀有な才能ですし(一時はジャズピアニストとしても活躍)、これからのクラシック音楽界の可能性を示唆する存在としても注目していましたので、返す返すも残念です。衷心より、ご冥福をお祈り致します。
 
最後に、ピティナ・ピアノ曲事典に掲載されている動画なので適正に著作権処理が行われていると思いますが、カプースチンの代表作である8つの演奏会用エチュードOp.40から第1番前奏曲をアップしておきます。

にっぽん!歴史鑑定「室町殿と観阿弥・世阿弥」(BS-TBS)

14世紀にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)は大理石の発掘で有名な大理国(現、中国雲南省)で発生したペスト菌モンゴル帝国の西征によってヨーロッパへ持ち込まれ、シルクロードの玄関口であるイタリアから感染が拡大したと言われていますが、(未だCOVID-19の発生源は特定されていませんので根拠なき憶測や感情的な言動は厳に慎まなければなりませんが)COVID-19も一帯一路構想によって中国との経済的な結び付きが強くなっていたイタリアから感染が拡大したと言われていますので、国境を越えて人の移動が活発になり、ある国で発生又は繁殖した菌やウィルス等の微生物が全く風土や食文化等が異なる外国へ運ばれることで、それらに対する免疫力が相対的に弱い外国人に深刻な被害をもたらすという構図があるかもしれません。現在の地球環境は、微生物が光合成によって酸素を作り出すなど地球の環境や気候を大きく変化させてきましたが、COVID-19の感染拡大は不自然に地球環境を破壊し、自然秩序を乱してきた人類に対する微生物からのシッペ返し(自然秩序を回復しようとする力)と言えるもしれません。
 
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
 
昔の日本人は、歌を詠み、茶を点て、花を活け、香を聞き、禅を組み、経を写すなど、様々な遊び方や心を整える術に恵まれていましたが、今回の自粛生活では、それなりに人生経験を積んできたつもりになっているだけで、すっかり文明社会に溺れて「遊び」を心得ていない心細い自分を発見しては打ちのめされる日々の連続でした。そろそろ髭に白いものが混じろうという年齢になっても、自分で自分を楽しませることすら侭なりません(トホホ)。さて、上記の歌が収められている梁塵秘抄は、平安末期の遊女、傀儡子や白拍子等の女芸人によって歌われた流行歌(「今様」)を後白河上皇が編纂した歌謡集で、後白河上皇自身も女芸人に弟子入りして今様を習得するというご執心振りだったと言われています。吉田兼好は「梁塵秘抄郢曲の言葉こそ、又あはれなる事は多かめれ」(徒然草)と書き残しており、その歌(言葉)にはしみじみとした情趣が感じられるものだと目を細めています。また、紫式部は「琴、笛の音などには、たどたどしき若人たちの、読経あらそひ、今様歌どもも、所につけてはをかしかりけり」(紫式部日記)と書き残しており、今様が庶民だけの「遊び」ではなく貴族の「遊び」としても流行していたことを物語っています。
 
 
ホイジンガの古典的な名著「ホモ・ルーデンス」は、人間の文化は「遊び」の中から生まれ、「遊び」こそ人間活動の本質であることを多面的に考察し、その「遊び」を生む創造力が芸術の源泉になっていると説いています。この古典的な名著は1938年に出版されたものですが、梁塵秘抄は1180年頃に編纂されたと言われていますので、ホイジンガが「遊び」の本質を説く約750年も前に名もない女芸人が言葉少なく「遊び」の本質を歌に込めていたことになります。ホイジンガは、近現代の大衆文化が商業主義と不可分一体の関係で支えられ、自己利益の追求が強く意識された結果、合理主義や効率主義が持て囃されて「遊び」を生み難い風潮が生まれていることを嘆いています。コロナ禍の日本でも、恐怖や不安、社会的な抑圧から生まれるストレスなど心の始末の仕方を知らない未熟な大人達が、自粛警察やDV等という形でやり場のない感情を(違法又は不適切な方法で)他人にぶつける醜態を演じていますが、その背景には、心のバランスを保ってきた「遊び」の文化が廃れ、寛容な精神を育む知恵を失ってしまった現代人の脆さのようなものが露呈しているように感じられ、寂しくもあります。
 
 
さて、本題ですが、疫病と能楽の関係について簡単に触れたうえで、僕の先祖が観阿弥世阿弥と関係がありますので、少々、観世氏の出自と能楽の歴史に触れながら、にっぽん!歴史鑑定「室町殿と観阿弥世阿弥」(BS-TBS)の番組内容について備忘録を残しておきたいと思います。
 
①疫病と能舞台
能舞台は、疫病の流行と密接に関係しながら発達しました。例えば、能舞台の鏡板に描かれている松の絵は、春日大社の「影向の松」をモデルとしていますが、昔、疫病が流行したときに、春日大明神が春日大社の「影向の松」を依り代として降臨し疫病を退散させるために翁の姿で万歳楽を舞ったという伝承があり、以後、春日大社を参詣する芸能者は「影向の松」の前で一芸を奉納する風習が生まれます。この風習に倣って能舞台の鏡板に松の絵が描かれていますが、松の絵に向かって能楽を披露すると観客に背を向ける格好になってしまうので、客席に松を拝んで、その松が能舞台の背板に鏡映されているという設えになっており、そこから鏡板と命名されています。能舞台には、能楽が疫病退散を寿ぐ芸能として機能し、発展してきた名残が見てとれます。その実例として、能「皇帝」では、疫病を患う楊貴妃のもとに神霊が現れて病鬼を退治し、御代の長久を言祝ぐという内容になっています。この点、前回の記事で、「人の目には見えない疫病に鬼の姿(邪悪なるもののメタファー)を与えて可視化することで・・(中略)・・いつか神仏のご加護(救い)がもたらされるという共同幻想を抱き易くなり、社会不安を和らげる機能を果たした」と書きましたが、能舞台は現世と異界とを橋掛りで結ぶ仮想空間を設え、そこに目に見えない疫病が鬼に化体した姿を顕在させて、これを鎮め又は退治するための「遊び」の装置として機能し、疫病を荒ぶる神(疫病神)として祀るだけではなく、それを文化芸術(より創造的な精神活動)へ昇華して社会の中に取り込むことで、人々が冷静に疫病や死と向き合う機会を日常的に与え、その「恐れ」(逃げること)を克服して「畏れ」(向き合うこと)に転じることができる心を養うという重要な社会インフラとしての役割も担ってきたのではないかと思います。この点、武士の芸能である能楽だけではなく、庶民の芸能である歌舞伎等でも疫病と向き合う小粋な知恵が息衝いてきました。今年、十三代目市川團十郎が襲名されましたが、代々、市川團十郎不動明王に扮する「神霊事」を得意芸とし、成田不動尊への敬虔な信仰から市川團十郎には霊力が宿っていると崇められ、「不動の見得」は眼力ひとつで邪気を払い、観客の無病息災が約束されると信じられてきました。このように歌舞伎見物は疫病退散という御利益までついてくる目出度いものであると人気を博し、疫病に対する社会不安を和らげる機能も担ってきたと考えられます。また、1889年に流行したインフルエンザは、歌舞伎の演目「新版歌祭文」に登場する商家の娘・お染が丁稚・久松にすぐ惚れることに準えて、すぐ伝染する「お染風邪」と呼ばれるようになり、家の軒先に「久松留守」と書かれたお札を貼って伝染しないように願を掛けたと言われていますが(この洒落た話は、後世、大工と借金取りに姿を変えて「お染め風邪久松留守」という喜劇作品になっています)、医学が発達していない時代に、このような洒落れた「遊び」で疫病への恐れを克服していたのではないかと思われます。また、歌舞伎見物以外にも庶民の楽しみの1つとして、新コロの影響で今年中止になった墨田川の花火大会は1732年に流行した疫病で亡くなった人々の慰霊と疫病退散を依願する目的で始められたものですが、このような「遊び」が疫病によって人々の心まで蝕まれてしまうことを防ぐ社会のワクチンとして重要な役割を担ってきたのではないかと思われます。

  
能楽の歴史(伝統と革新) 
1333年(元弘3年)、観阿弥こと服部(三郎)清次は、伊賀国・服部元就と楠木正成の妹・卯木との間に誕生し、その後、山田猿楽・美濃大夫の養子となって猿楽を承継します。因みに、僕の先祖も楠木氏の血を引いていますので、観阿弥世阿弥とは同じDNAを分けた同根同祖の間柄というのが飲み屋の語り草です。・・・(閑話休題)・・・観阿弥は、当時、乞食の所行と蔑まされていた猿楽の地位を向上することに苦心し、メロディーが中心だった「猿楽」に、拍子の面白さに特徴がある「曲舞」(「今様」から発展した歌謡で、現代のラップ音楽に近い性格のもの)を組み合わせて革新的な改良を加えています。1363年、観阿弥の子・世阿弥が誕生し(鹿島建設元会長・鹿島守之助さんは観阿弥の妻の実家の末裔)、1375年、京都・新熊野神社の観世座興行を見物に来ていた室町幕府3代将軍足利義満世阿弥を気に入り贔屓にします。この点、足利義満世阿弥を贔屓にした背景には、公家に対する影響力を行使するために公家文化を凌駕する革新的な猿楽を利用したかった為であるとも言われています。1385年、観阿弥が巡業先の駿河で急死すると(北朝勢力であった今川氏に暗殺されたという説もあり)、当時、22歳の世阿弥観世大夫名跡を継ぎます。世阿弥は、小柄で足裁きの良い俊敏な演技を得意とし、足を細かく使って地面を踏み鳴らす鬼の演技を得手としていましたが、世阿弥のライバルである近江の猿楽師・犬王優美幽玄な舞足利義満を魅了すると、世阿弥足利義満の趣味に合うように犬王の芸を積極的に採り入れる柔軟さを示しています。世阿弥は、常に革新的なことに挑戦し続けていましたが、日本最初の演劇論である風姿花伝において、同じ曲や得意な曲ばかりを演じるのではなく、常に新しい曲を作って、その先にある新しい芸を目指すことの重要性を説いています。
 
花と面白きと珍しきと、これ三つは、同じ心なり
☞ 花とは、見物が感じる新鮮さのこと。
住する所なきを、まづ花と知るべし
☞ 常に新しい芸を求め続けるところに花は生まれる。
能の本を書くこと、この道の命なり
☞ 新しい曲を作ることが何よりも革新を促すものである。
 
1408年、足利義持が4代将軍に就任すると、予て贔屓にしていた田楽師・増阿弥を重用するようになりますが、世阿弥は増阿弥の淡々としながらも深い味わいを持つ舞が体現する「枯淡の美」に魅了されます。また、世阿弥は、50歳を過ぎてからに深く帰依するようになり、禅画や枯山水が体現する「余白の美」に魅了され、それらの精神を能楽に採り入れます。敢えて描かないことで、観る者のインスピレーションが喚起され、そこに無常の美が生まれるのと同様に、体の動きを抑えること(マイナスの美学)で、却って、心情や情趣等が深く伝わる(見物の内側から感興を引き出す)という新しい境地を見出します。そのようななか、世阿弥は、新たな能楽の表現様式として複式夢幻能を考案します。日本の古典文学や昔話等に取材して、そこに登場する人物(亡者)が舞台に登場し、現世での出来事を物語り、その無念を歌い舞う亡者供養の仏教世界、幽玄な舞台を完成させました。
 
◉花鑑
動十分心、動七分身
☞ 気が充満していながら、それでいて余計な力みがない姿に見物は興趣を感じる。
☞ 「せぬ暇が、面白き」「内心の感、外に匂ひて面白きなり」(花鑑)
 
1422年、世阿弥は、劇作家としての才能に恵まれていた長男の観世(十郎)元雅を後継者に決めます。しかし、6代将軍・足利義教は、養子の観世(三郎)元重の方を贔屓にしており、1433年、観世(十郎)元雅が巡業先の伊勢で急死すると(観阿弥と同様に暗殺されたという説もあり)、足利義教の支援の下で観世(三郎)元重が観世大夫を襲名します。その直後、1434年、世阿弥は70歳のときに、佐渡へ配流となりますが、その理由として世阿弥の後継者問題に端を発する将軍家との確執が挙げられますが、これは江戸時代になって創作され理由で、近年の研究では、その真の理由は観世(十郎)元雅が南朝勢力と繋がっていたことから、その連帯責任を取らされた可能性が指摘されています。1441年、足利義教は観世(三郎)元重の舞台を見物中に暗殺され、これにより世阿弥流罪は赦免されますが、その後の世阿弥の消息は分かっていません。なお、観世大夫の家紋は観世水ですが、これは観阿弥の拝領屋敷(現、観世稲荷神社)にあった井戸(観世井)に龍が降り立って生まれた水紋を象ったものと言われており、現在、その近くに本店を構える鶴屋吉信京銘菓「観世井」として愛されています。因みに、楠木正成は、後醍醐天皇から菊花紋を下賜された際に、このまま家紋として使用するのは恐れ多いとして下半分を水に流して菊水紋にしたという伝承が残されていますが、観世大夫も水紋を用いているのは、もともと水神信仰が盛んであった為ではないかと思われます。
 
◉花鑑 
命には終りあり、能には果てあるべからず
 
「能には果てあるべからず」とは、常に革新を試みていた世阿弥の精髄を感じせる言葉であり、常に革新することを怠けてはならないという戒めの言葉だと思います。稀に、能楽は完成された芸能であるという虚言を耳にしますが、上記の世阿弥の言葉に触れる度に、このような考え方は奢った態度であり、創意工夫の足りない者の自己正当化のための逃げ口上なのだろうと感じます。伝統は「承継」するだけでは足りず「革新」を試みながら命を吹き込んで育むべきものであり、常に現代性を意識した創意工夫が積み重ねられなければ、いつか花は枯れ果ててしまうと思います。「能には果てあるべからず」という言葉の持つ重みがずっしりと感じらえる有意義な番組でした。能楽をはじめとした文化芸術の発展は疫病の流行とも密接に関係していますが、(世界中で亡くなられた方が多く、未だ闘病中の方も少なくないなかで些か不謹慎かもしれませんが)COVID-19の流行が、今後、どのような文化芸術や作品を育むことになるのか秘かに期待を寄せています。 
 
世阿弥に因んだ映画紹介 
 鹿島守之助さんが企画・制作した白洲正子さんのムービーエッセイ
 世阿弥生誕650年を記念して製作された能楽史を扱った教育映画
 世阿弥のライバル、能楽師・犬王のアニメ映画(来年公開の予定)
 
【お願い】
フリーランス(=委託関係 ≠ 雇用関係)の方は個人事業主として持続化給付金の給付対象になりますが、何らかの事情で雑所得又は給与所得で確定申告している場合、実際にはフリーランスでも個人事業主とはみなされず、持続化給付金の給付対象にならない可能性があるようです。そこで、これらの方々も持続化給付金の給付対象となるように署名にご賛同下さい。コロナ禍は未曽有の危機であり、これまで感染拡大の防止に多大な犠牲を払って協力してきた方々が少しでも報われるように、政府には肌理細かい対応をお願いしたいです。
 
◆おまけ 
ビゼーのピアノ連弾曲「子供の遊び」(Op.22)をどうぞ。子供達が遊ぶ様子を描いた音のスケッチです。梁塵秘抄に「遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」(今様)と歌われていますが、子供の姿には神仏が宿り、その声は心の強張りを解いて救いを差し伸べてくれているような慈愛に溢れています。

日曜美術館「疫病をこえて人は何を描いてきたか」(NHK Eテレ1)

昨日、政府の諮問機関である専門家会議の記者会見で、長期戦を念頭に置いた新コロの感染対策として「新しい生活様式」の模索が提言されましたが、先日の日曜美術館の番組内容を思い出したので備忘録を残しておきたいと思います。この1ケ月間、人との接触を8割削減するために、テレワークやオンライン授業などインターネットを活用した新しい生活様式が模索され始めています。この点、産業革命を契機とするロンドン型の都市モデルは人口を都市に集中することで規格化された効率性の良い社会を実現してきましたが、これが渋滞、騒音、公害等の弊害を生んで社会問題になってきました。近年、インターネットの普及によって少品種大量生産(規格)から多品種少量生産(独創)へと市場ニーズが変化し、また、本格的な高齢化社会が到来するに伴って、人口を地方に分散すること(スマートシティ構想)で多様な人材を活用できる社会環境を整備して独創性に富む社会を実現することに重点が置かれ始めています(パラダイムシフト)。このような時代の潮流を受けて、もともとテレワークは「時間本位型の労働」から「課題本位型の労働」への切替えを促し、また、オンライン授業は「均質重視の全体教育」から「個性重視の個別教育」への需要に応えるために推進されてきたものですが、今回、ロンドン型の都市モデルが「3密」空間を生んで感染症の温床になり易いという脆弱性を露呈したことで、我々の社会生活や価値観を見直し、これからの社会変容を推進して行く上での新たな問題を提起しています。歴史上も感染症によって新しい生活様式への変容を求められた実例は多く、例えば、14世紀にイタリアから発生した黒死病(ペスト)はヨーロッパ全土へと感染が拡大し、ヨーロッパの人口の3割が死亡したと言われています。黒死病(ペスト)は接触又は飛沫によって感染しますが、16世紀に顕微鏡が発明される前の当時、人の目には見えない黒死病(ペスト)は正体不明の疫病で空気感染すると信じられ、入浴時に衣服を脱ぐと毛穴から空気感染すると言われていたことから、頻繁な入浴が禁止されました。これによってヨーロッパで入浴習慣が廃れ、公衆浴場が閉鎖されましたが、これに代わって体臭を消すための香水が普及し、当時、アルコールベースの香水が公衆衛生上の観点からも注目されるようになり、ヨーロッパで本格的に香水文化が開花しました。入浴習慣がなかった中世日本の貴族が体臭を消すために着物にお香を焚き込めていたのと同様です。日本では紀元後6世紀に中国大陸から仏教文化と共に本格的な入浴文化が輸入されましたが、古代ローマでは紀元前1世紀に公衆浴場の建設が開始されており(映画「テルマエ・ロマエ」)、日本よりも遥かに早く、ヨーロッパで入浴文化が発祥し、かつ、廃れたことになります。因みに、お香や香水は、体臭を消すという実用面に留まらず、香りを楽しむ遊びの文化としても発展しました。日本の香道では「香りを嗅ぐ」(匂いを嗅ぐ)のではなく「香りを聞く」(心が香るのを感じる)ことを重視し、物語や和歌(心)を香りで表現する組香が発展しましたが(香道の精神を香水に採り入れてヨーロッパで活躍する日本人の調香師)、ヨーロッパの香水文化では46種類の香料を7オクターブの音階に当て嵌めた香階(note)によって音楽と香りの共感覚を楽しむ文化が生まれ、それぞれに深い世界観があります。(お香と香水は非常に奥深いテーマなので、改めて別の機会に触れてみたいと思います。)
 
文学+香り=組香(日本)
音楽+香り=香階(ヨーロッパ)
 
【Perfumery Organ】発音している音に対応する香階の香水が入っている瓶の蓋が開いて、音楽と香りを同時に楽しむことができる仕組みです。調香師(パフューマー)が使用する調香台のことをオルガンと言うことから、使用楽器にもオルガンが選ばれています。オルガンに座っている人をオルガニストと呼ぶべきなのか又はパフューマーと呼ぶべきなのかは分かりませんが、音楽と同様に香りにも不協和があるので、微妙な演奏からは微妙な香りが漂ってくることになるのかもしれません....(^^;
 
 
先日、NHK-Eテレ1の日曜美術館で「疫病をこえて人は何を描いてきたか」というタイムリーなテーマで、「疫病」を題材とする日本とヨーロッパの美術作品を採り上げながら人間がどのように疫病と向き合ってきたのかを考察する非常に興味深い番組が放送されていましたので、その概要を多少個人的な考えを加えながら簡単にまとめておきたいと思います。
 
◆◆日本の美術作品◆◆
 
聖徳太子の病気平癒を願って聖徳太子に似せて作らせた仏像ですが、622年に聖徳太子が亡くなった際に、聖徳太子の母や妃も亡くなっていることから遣隋使等によって大陸から運ばれてきた疫病に罹患した可能性が指摘されています。昔の日本人は疫病(自然)と戦うというよりも、人間は自然の一部であるという一元論的世界観から、祭り、歌舞音曲や仏教美術等に祈りを込めることで疫病(自然)との共生を模索していたのではないかと考えられています。これは日本の怨霊鎮魂思想にも顕著に表れ(例えば、菅原道真の祟りを恐れて菅原道真を神として祀ることで、その祟りを鎮めて社会の中に取り込もうとしたことなど)、やがて仏教思想と結び付いた能楽の表現様式(亡者の無念を語り舞い、鎮魂へと誘う複式夢幻能)へと昇華していったものと思われます。
 
【辟邪絵 天刑星(国宝)】
12世紀頃になると、疫病を鬼に見立て、これを退治する神仏が絵に描かれるようになります。人の目には見えない疫病に鬼の姿(邪悪なるもののメタファー)を与えて可視化することで、それまでは人知が及ばないものに対する恐怖に絶望するしかありませんでしたが、その手掛りを与えられたことで、いつか神仏のご加護(救い)がもたらされるという共同幻想を抱き易くなり、社会不安を和らげる機能を果たしたと思われます。
 
【融通念仏縁起絵巻(清涼寺本)】 
融通念仏の功徳を描いた絵巻物の中で、僧侶が門前に集う鬼(疫病=天然痘)に対して融通念仏を唱える信者達の署名を見せて悪さをしないように談判する様子が物語風に描かれています。疫病に抗う術がなくいつまで疫病が続くのか分からない閉塞感が漂う時代に、道理が通じる相手として鬼(疫病)を滑稽に描き、自らの心掛け(信心)によって鬼(疫病)を退散させることができることを示すことで、社会のモラルシステムとしての宗教(様々な不条理に対する心の折り合いを付けてコミュニティーの秩序を維持する仕組み)を機能させ、社会不安を和らげたのではないかと思われます。医者、僧侶、弁護士が忙しい時代はロクな時代ではないと言いますが、仏教の布教にあたって疫病等がもたらす社会不安が巧みに利用されていたことが伺われます。
 
【平家納経(国宝)】
平清盛が世の平安を願って奉納したお経ですが、疫病、災害や内乱等の社会不安が続いて時代の闇が深く影を落としていた時代に人々が時代の光を求めて文化芸術に豪華で美麗なものを求める風潮が生まれた影響から、それを反映するような装飾が施されています。また、当時、疫病を封じ込めるために京都の祇園祭が始まりましたが、疫病の神を鎮めるために豪華で美麗な装飾を施した山鉾の巡行が行われたのも上述の風潮から影響を受けたものではないかと思われます(今年は新コロの影響で山鉾巡行は中止)。疫病を荒ぶる神として祀り鎮めるだけではなく、それを文化芸術(より創造的な精神活動)へと昇華して社会の中に取り込むことで、人々が文化芸術を通して冷静に疫病や死と向き合う機会を与えられ、その恐怖を克服できる心を養ってきたのだろうと思われます。 
 
◆◆ヨーロッパの美術作品◆◆
  
【死の凱旋(ピサ・カンポサント)】
このフレスコ画がピサのカンポサント(納骨堂)に描かれた14世紀は、疫病や飢饉が続いた暗黒の時代ですが、累々と横たわる屍の上をコウモリのような姿をした悪魔が飛び、棺の前に佇む修道士が疫病によって命は儚く奪われると諭す姿が描かれています。キリスト教では、疫病は人間の罪の報いとして神から下された罰であると考え、それを悔い改めるためには神に祈りを捧げて神の許し(救い)を請う生活を続けるべきだと訴えて、(感染症対策としても理に適った)禁欲的な自粛生活を求めています。しかし、14世紀にヨーロッパ全土へ広がった黒死病(ペスト)は、ヨーロッパの人口の3割が死亡するという大惨事となり、これが契機となってルネサンスへと向かう時代の大きなうねりが生まれます。
 
【世界年代記木版画(ハルトマン・シェーデル)】
黒死病(ペスト)の甚大な被害によって、人々は神に祈りを捧げても本当に神の許し(救い)が得られるのかという疑念を抱くようになり信仰が揺らぎ始めます。このような世情を反映して、偽予言者(デマゴーグ)がキリストの存在を否定する悪魔の囁きを行っている美術作品や、キリストを磔にしたユダヤ人が疫病の元凶であるとして火炙りに処している美術作品が創られるようになり、この時代を秩序づけていた価値観の変革(パラダイムシフト)が起こり始めています。新コロの世界的な大流行でも世界中でフェイク・ニュースが飛び交い、排外主義的で暴力的な言動等が後を絶ちませんが、昔の美術は現在の写し絵のようであり、今も昔も変わらない人間の業の深さや愚かしさを教えてくれる戒めと言えます。因みに、1693年(元禄6年)に日本で疫病が流行した際に、梅干と南天の実を煎じて飲めば疫病を防げるというフェイク・ニュースを流して大儲けした罪人が捕らえられましたが、この罪人が落語家の始祖・鹿野武佐衛門の小咄から着想を得て犯行に及んだと自白したことから、落語は風紀紊乱の元として見せしめるために鹿野武佐衛門も連座して流罪となり、以後、100年に亘って落語が停滞することになります。
 
【死の舞踏(エストニア・聖ニコラス堂)】
15世紀には黒死病(ペスト)の感染流行がピークアウトしますが、人々の間では現世で栄耀栄華を極めても疫病の前に人の命は儚く消えるものだという無常観が広がり、人の生を賛歌するルネッサンスへの萌芽が生まれました。現在のヨーロッパにおける状況と同様にあまりの死者の多さから葬儀や埋葬が間に合わずに、死の恐怖と生への執着に憑りつかれた人々が祈祷や埋葬の最中に半狂乱になって踊る姿を「死の舞踏」と呼ぶようになりましたが、このような世相を反映して、国王、教皇及び庶民が身分の隔てなく死者と手を繋ぐ姿を描いた絵が描かれています。なお、後年、サン=サーンスが「死の舞踏」をモチーフにした交響詩を作曲しており(当初、歌曲として作曲したものを交響詩へ編曲)、また、リストも「死の舞踏」をテーマとしたピアノと管弦楽のための曲を作曲すると共に、サン=サーンスの上記の交響詩ピアノ独奏曲に編曲しています。
 
【フィリッポ・リッピの聖母子と天使】
16世紀には黒死病(ペスト)の蔓延によって神へ祈りを捧げても神の許し(救い)を得られないと感じ始めた人々の間に無常観が広がり、死を強く意識した人々が生を謳歌しようとする意識が高まります。これに伴ってキリスト教会の権威は失墜し、キリスト教的な価値観(禁欲主義)の呪縛から解放され、ギリシャ・ローマ時代の価値観(世俗主義)への回帰(ルネサンスする風潮が生まれますが、このような世相を反映して反宗教的、反理性的な性格を帯びた文学作品「デカメロン」が誕生します。また、これまで聖母マリアキリスト教会の象徴として厳粛な姿で描かれてきましたが、ルネサンスの影響を受けて人間味のある親しみ易い姿で描かれるようになりました。人類は食物の輸出入など食物連鎖の広がりによって疫病の脅威に晒されるようになりますが、疫病の蔓延によってギリシャローマ帝国封建制の政治権力を司る勢力)が荒廃し、これに代わってキリスト教封建制の宗教権威を司る勢力)が疫病を神の裁断と位置付けることでヨーロッパに支配的な影響力を持つようになりました。しかし、上述のとおり黒死病(ペスト)の蔓延によってキリスト教会の権威が失墜し、ギリシャ・ローマ時代の価値観へ回帰(ルネサンス)する社会変容が生まれていますが、ヨーロッパの歴史は疫病が社会の価値観や体制の変化に大きな影響を与えてきたとも言えます。その後も、ヨーロッパ列強の植民地政策から始まる本格的なグローバリゼーションの波によって世界中に疫病が拡散し、人類と疫病の戦いは地球規模で激しさを増しています。黒死病(ペスト)はルネサンスという社会変容を生み出しましたが、今後、新コロは我々の生活様式を刷新する本格的な情報革命へ向けた社会変容を後押しすることになるのかもしれません。
 
ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 
京都芸術大学(旧京都造形大学)教授の矢延憲司さんは比叡山延暦寺から彫刻作品の奉納展示を依頼され、守護獣・狛犬を制作して奉納展示しましたが、その後、新コロの感染流行が発生したことから、現在、その終息を願って京都芸術大学の正門に上記の守護獣・狛犬を展示しているそうです。折しも、SNSでは絵を見せると疫病が収まるという半人半魚の妖怪「アマビエ」が話題になっていますが、さすがは妖怪博士の異名で知られる水木しげるさんで、これに先んじて、TVマンガ「ゲゲゲの鬼太郎」(第5作/第26話)で妖怪「アマビエ」が登場しています。科学技術が発達した現代でも、人知を超えた圧倒的な不条理(疫病流行や自然災害等)に対し、同じく人知を超えた存在である神や妖怪等を頼んで不条理なものを条理に適うように正して行く道筋(病気平癒祈願や厄除祈願等)を仮想することで、心の折り合いをつけようとしてきた昔の知恵が活かされています。現代人がこれらを完全に信用できるか否かは別としても、少なくとも不安な心を和ませる効果は期待できそうです。疫病や災害等の度に重ねられてきた人々の切なる祈り()が狛犬や妖怪等の姿となり、そのが文化芸術へと昇華して現代にえられています。「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく」(世阿弥
 
幕末の辻斬りよろしく、自粛警察と呼ばれる人達による過剰(≒ 違法)な言動が社会問題化していますが、人間は怒りによって自分を正当化し、ひとたび自分が正義であると思い込むといくらでも残酷になれる厄介な生き物です(司馬遼太郎)。正義に託けた暴力を振り回わないように、寛容の精神をもって、賢く振る舞える知恵を持ちたいものです。
 
【緊急告知】
南郷サマージャズフェスティバル(青森県八戸市)アーカイブライブ配信する企画「南郷ジャズアーカイブ2020」が次のスケジュールで開催されます。外出自粛で気持ちが塞ぎがちですが、心の自由を求めて、ジャズフェスの雰囲気を満喫してみませんか。こんな時代ですが、いつも音楽は人生がそんなに悪いものではないと勇気付けてくれます♬
 
【訃報】昨日、大蔵流狂言師・善竹富太郎さんが新型コロナウィルスに伴う敗血症で逝去されました。一昨年、30キロの減量に成功したというご連絡を頂戴しましたが、未だ40歳という若さでのご不幸に新型コロナウィルスへの恨みが募ります。狂言の普及のために持ち前のバイタリティで勢力的に取り組まれていたなかでのご不幸なので、本当に残念でなりません。衷心からご冥福をお祈り致します。涙の日(Lacrimosa)....合掌。

クローズアップ現代+「イベント自粛の波紋 文化を守れるか」

昨晩、クローズアップ現代+(NHK総合テレビ)で「イベント自粛の波紋 文化を守れるか」というテーマが採り上げられていたので、その内容について簡単な備忘録を残しておきたいと思います。政府は、新コロの感染対策として、2020年2月20日からイベント自粛を要請していますが、その後の約1ケ月間で中止又は延期されたイベントの数は実に約81,000件にのぼり、仮にこの要請が5月末まで継続すれば、エンタメ業界の市場規模約9,000億円のうち40%に相当する約3,600億円の経済損失が発生すると試算されています。このような状況を受けて、政府及び地方自治体は、新コロの経済対策として、主に、下表のような支援策(日本の文化芸術関係者に対する支援策は文化庁のHPを参照)を公表しています。(下表は2020年4月23日時点の情報で、今後、政府又は地方自治体から新たな文化芸術関係者に対する支援策が追加公表される可能性もあります。)
 
◉日本の文化芸術関係者に対する支援策(概要抜粋) 
  雇用関係
(社員)
委託関係
フリーランス
事業主 貸付制度
税制措置
持続化給付金(中小のみ)
持続化補助金(小のみ)(注1)
休業協力金(地方自治体毎)
被用者 雇用調整助成金
全住民 特別定額給付金(10万円)
(注1)当面開催中止となったイベントをインターネットで配信するための費用や、将来イベントを再開する際に会場にサーモグラフィーを設置するための費用等に対する補助など。
 
このうち、持続化給付金は、前年同月比で売上が50%以上減少している中・小事業者(フリーランスなど個人事業主を含む。)を対象とし、法人は最大200万円、個人は最大100万円を上限として、前年同月比で売上が50%以上減少している月の減少額に相当する額が給付されます。3月から5月までの約3ケ月間に亘ってイベント自粛が継続したと仮定すると1ケ月あたり約33万円の持続化給付金がフリーランスを含む文化芸術関係者へ給付されることになります。これに対し、欧米では、中・小事業者(フリーランスなど個人事業主を含む。)を対象として、下表のような支援策(外国の文化芸術関係者に対する支援策は美術手帖のHPを参照)が講じられているようです。
 
◉外国の文化芸術関係者に対する支援策(概要抜粋) 
  補償額 補償期間
イギリス 1ケ月あたり最大約34万円(最大2550ポンド)を上限として、過去3年分の確定申告に基づいて1ケ月間の平均所得の80%に相当する額 3ケ月間
フランス 一時金として約18万円(1500ユーロ)~約42万円(3500ユーロ)(注2)(注3) 一時金
ドイツ 3ケ月あたり最大約108万円~最大約180万円(最大9000ユーロ~最大15000ユーロ) ※1ケ月あたり最大約36万円~最大約60万円(注3) 3ケ月分
カナダ 1ケ月あたり15万円(2000カナダドル(注4) 4ケ月間
アメリ 0円(0ドル)(注5)
(注2)フランスでは上記の支援策に加えて、アンテルミタン制度(過去10か月間に最低507時間の仕事に従事した文化芸術関係者に対し、翌年、契約が途切れた期間に失業給付金が支払われて最低限の収入が保証されるシステム)の受給条件を緩和しています。
(注3)NHKではフランス最大30万円、ドイツ最大24万円と放送していましたが誤りか?
(注4)文化芸術関係者に限らず、失業保険の対象とならないフリーランスを対象としています。
(注5)アメリカは、日本の特別定額給付金と同じく給付金(年収10万ドル(約1100万円)以下の住民+応募を条件として、大人1人最大1200ドル(約13万円)、子供1人500ドル(約5万5千円))が支給されますが、日本の持続化給付金に相当する文化芸術関係者に対する支援策は講じられておらず、日本はアメリカと比べて新コロの経済対策としての文化芸術関係者に対する支援策は手厚いと言えそうです。なお、全米芸術基金は非営利芸術団体を対象として7500万ドル(約83億円)の緊急支援を行っています。
 
こうして見ると各国の財政事情や文化行政の差異等に応じて文化芸術関係者に対する支援策には濃淡が見られますが、日本は財政健全度ランキング(IMF)で世界最下位の188位(日本の債務残高はGDP比237.7%で、ドイツの58.6%やアメリカの106.2%と比べて悪い)であることを踏まえると、政府の対応が遅いという誹りは免れないとしても、新コロの経済対策としての文化芸術関係者に対する支援策(フランスと同様に、所得保障としての持続化給付金及び一時金としての特別定額給付金の2本建て)については各国との比較から積極的に取り組んでいると相対的に評価できそうです。この番組の中で平田オリザさんがヨーロッパではコンサートホールやミュージアムは教会に準じる社会インフラで、人々が集って意見交換する社交場として民主主義を支える重要な社会機能を担っていると考えられており、文化芸術関係者が他の国や他の職業に流失してしまうことはそのような重要な社会機能を損なうことにつながることから文化芸術関係者に対する支援も手厚いと語っていました。この背景には、中世・近世(封建社会)から近代(市民社会)へと変遷する過程で、王侯貴族や教会以外に富を手に入れた中産階級の勃興により市民社会が形成されるに伴って文化芸術の受容者が王侯貴族や教会から市民へと移り、それまでは王侯貴族や教会(パトロン)の依頼を受けてその趣味に合う作品を創作していたのに対し(ハイドン、ベラスケス等)、王侯貴族や教会から独立して市民(文化芸術分野のマーケット誕生)を相手にして自らの創作意欲に忠実な作品を創造するように変化しました(ベートーヴェンドラクロワ等)。これによって依頼主の趣味に合う一定の品質を備えた作品(作品の均質性)を量産する「職人」(技術が重要)とは別に、それまでの伝統(王侯貴族や教会が体現する封建的な社会秩序や価値観)を否定して、他人が作るもの(伝統)とは異なるオリジナリティのある作品(作品の独創性)を自由に創作する「芸術家」(感性が重要)という概念(市民社会が体現する民主的な社会秩序や価値観)が誕生しました。これに伴ってヨーロッパでは王侯貴族や教会(パトロン)、中世・近世的なギルドへの隷属から芸術家を解放し、その自由な創造を保護することを目的として、芸術家に対する様々な社会支援が行われるようになりました。即ち、ヨーロッパにおける芸術家の保護は、封建社会に代わる市民社会の確立、成熟を図る尺度(象徴)として自由で民主的な社会秩序や価値観を保護することにつながるという考え方(歴史的な文脈)があるのではないかと思われます。
 
◉職人と芸術家の特徴的な違い 
  能力 作品 表現 時代
職人 技術 均質 秩序正しく端正な表現 封建社会
芸術家 感性 独創 多様で変化に富む表現 市民社会
※誤解を恐れずに二項対立で強引に区別してみましたが、当然、職人にも感性等は必要であり、芸術家にも技術等は必要なので、あくまでも分かり易くする為に相対的な違いを強調した表であることをお断りさせて頂きます。
 
 
ドイツのメルケル首相は、文化芸術関係者に対する支援策を公表するにあたって「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」とスピーチして話題になりましたが、日本でもイベント自粛が要請された際に文化芸術の存在意義が話題になりました。この点、文化芸術の存在意義を一義的に捉えることは難しいですが、文化芸術基本法の前文では、文化芸術の存在意義として、①人生の意義の発見②寛容(多様)で平和な社会の醸成アイデンティティの確立の3点が挙げられており、人間が尊厳を持って自分らしく生きることができる社会を実現するために必要不可欠なものであると宣言していますが、これはメルケル首相が言う「生命維持に必要」に通じる崇高な理念であり、現代では、上述の近代市民社会の誕生で果たした役割よりも一層重要な社会的な役割を求められ、期待されているということだと思います。
文化芸術基本法(前文)
文化芸術を創造し、享受し、文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは、人々の変わらない願いである。また、文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。更に、文化芸術は、それ自体が固有の意義と価値を有するとともに、それぞれの国やそれぞれの時代における国民共通のよりどころとして重要な意味を持ち、国際化が進展する中にあって、自己認識の基点となり、文化的な伝統を尊重する心を育てるものである。
 
すっかり外出自粛も板に付き、日頃は家族揃って食卓を囲む機会も少ないので、暇に任せて料理に腕を振うお父さんも多いのではないでしょうか。今晩の献立を考えながら、NHK総合テレビ「きょうの料理」を見ていたら、料理人の土井善晴さんが日本の「和(あ)え」の文化について触れられていました。「和(あ)える」とは、異なる素材同士がお互いの形も残しつつ、お互いの魅力を引き出し合いながら一つに調和することを意味するのに対し、「混ぜる」とは、異なる素材同士が完全に融合して、全く新しいものになることを意味します。よって、「混ぜ物」とはどこを取り分けても均質な料理になりますが、「和(あ)え物」は取り分けるところによってムラ(素材の個性)がある料理になります。学校給食では「和え物」よりも「混ぜ物」が多いのは、全ての生徒に均質(平等)な料理を提供するのが望ましいとされているからだとも言われています。これを音楽に例えると、音(素材)自体の直接的な表現を大切にする伝統邦楽は「和え物」に近い性格であると言え、音(素材)自体の直接的な表情を抑えてながら、旋律、リズム及びハーモニーを使って音の総体(連なり)として表現を構築する伝統洋楽は「混ぜ物」に近い性格であると言えそうです。新コロの感染対策で今年の「GW週間」が「STAY HOME週間」に変更されて外出自粛の徹底が求められていますが、日本では外国と異なって法律上の強制力がない外出自粛の要請でも社会の同調圧力で一夜にして湘南海岸からサーファーが一掃され、渋谷のスクランブル交差点から人影が消えています。しかし、もともと日本人は「和(あ)え」の文化に象徴されるように、多様性を尊重しながら調和する懐の広い風土を持っており、例えば、和漢折衷和洋折衷のように他国の文化(仏教文化、西洋文明等)の優れている点を柔軟に吸収して多様な文化を育んできています。西暦604年、聖徳太子は十七条憲法の冒頭で「和を以て貴しと為す」と定めて国の有様を示していますが、この言葉は論語の「礼の用は和を貴しと為す」を出典とするものと言われており、同じく論語の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(優れた人物は協調するが、主体性を失って、無暗に同調することはない。劣った人物は容易に同調するが、心から協調することなく乱れを生じる。)で「和」の本旨が説かれています。1980年代に日米貿易摩擦が生じた際に「NOと言えない日本人」と揶揄されましたが、古来、日本人は「和を以て貴しと為す」と表現されているとおり調和(=協調 ≠ 同調)を重んじる民族であり、それゆえに日本人のリーダーには「調和型」の人材が多いと言われており、(その良し悪しは別として)こんなところにも「混ぜる」でも「分ける」でもない「和(あ)える」という日本文化の特徴が感じられます。最近、特別定額給付金(一部30万円給付から一律10万円給付へと変更)を巡って政府のリーダーシップの欠如を指摘する記事を目にしますが、これは日本が欧米のように強いリーダーシップを発揮するのではなく他人との調和(和(あ)え)を重視する風土を持っていることが原因していると思われます。この「和(あ)え」の文化「重ね」の文化としても現れ、例えば、色を混ぜるのではなく色を重ねて色彩の調和を生む和服文化(十二一重など)に見ることができます。また、京懐石は、素材(皿)と素材(皿)を取り(重ね)合せて生まれる絶妙な調和(妙味)を楽しむ料理であり、この数を重ねて食すること(お数=おかず)に特徴があります。この取り(重ね)合せて微妙な違いを楽しむという美意識は、物と物との絶妙な調和を生む「しつらえ」の文化(食器、茶器、掛け軸、季節の花や調度品の配置(重ね)によってその時々にふさわしい空間を演出すること)や人と人との絶妙な調和を生む「もてなし」の文化(しつらえによって生まれた空間で束の間の誼を結んで他人の心に叶う(重ね)こと)が生まれています。この番組の中で平田オリザさんは文化芸術を不要不急なものとして排除しようとする社会的な風潮を危惧して「一番目に大切なものは命、二番目に大切なものは人によって異なる」(多様性)と仰っていましたが、最近の日本の状況(とりわけコロナ疲れから生じていると思われる排外的で攻撃的な風潮)を見ていると、時に日本人の調和の精神が行き過ぎてそれが極端な同調圧力を生み、多様性を尊重しながら調和する懐の広い風土が損なわれてしまうことが懸念されます。多様性を尊重しながら調和する懐の広い「和(あ)え」の文化は他人(自分とは異なるもの)を尊重する寛容な精神を育み、それによって他人との平らかな調和(平和)が生まれると思いますが、上述のとおりそのために文化芸術が果す役割は非常に大きく、寧ろ、上述のような最近の日本の状況を見るにつけ、このような危機的な状況だからこそ社会は文化芸術の力を必要としているのではないかと感じます。
 
NHKテキストきょうの料理 2020年 04 月号 [雑誌]

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  • 発売日: 2020/03/21
  • メディア: 雑誌
 
◆おまけ(疫病と芸術)
マーラー交響曲第5番第4楽章「アダージョ
前回のブログ記事でオペラ「黒死病の時代の饗宴」を紹介しましたが、その他にも疫病を題材にした芸術作品は多く、その中でも映画「ベニスに死す」が有名です。ベニスを訪れた老作曲家が偶然に出会った美少年に心を奪われて疫病が流行しているベニスに留まる決意をし、やがて老作曲家は疫病に罹患して恍惚のうちに息を引き取ります。この映画の中では、マーラーアルマへのラブレターとして作曲した交響曲第5番第4楽章「アダージョ」が印象的に使用されています。
 
ストラヴィンスキーのオペラ「エディプス王」 第一幕「疫病が私達に襲い掛かる」
疫病を題材とした芸術作品として、もう1つオペラ「エディプス王」第一幕「疫病が私達に襲い掛かる」をアップしておきます。エディプス・コンプレックスの語源となったソポクレスの戯曲「エディプス王」を台本としたオペラですが、有名なギリシャ悲劇なので改めて内容には触れません。
 
モーツアルトのオペラ「魔笛」序曲
テレワークでも音が違うウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるオペラ「魔笛」序曲テレワーク大賞!)をどうぞ。音楽の友社等で世界中のテレワーク作品を集めてテレワーク大賞を選考する企画(クラウドファンディングで募金を集めて賞金を授与するなど)を立ち上げてみても面白いかもしれません。
 
【緊急告知!!】
「GW週間」改め「STAY HOME週間」の予定はお決まりでしょうか。インターナショナル・ジャズ・デイの2020年4月30日10時から翌朝まで「JAZZ  AUDITORIA  ONLINE」(無料ライブ配信)が開催され、自宅でジャズフェスを堪能できます!たとえ、自宅に軟禁状態でも、芸術と酒があれば、これ以上人生に何を望むことがありましょうか。ハートだけは密にして、大いに人生に酔いたいものです。

【楽曲紹介】武満徹「ピアニストのためのコロナ」

今日、政府から緊急事態宣言が発出され、1ケ月間程度の外出自粛等が要請されましたが、その早期収束を祈念して「コロナ(CORONA)」に因んだ楽曲を紹介します。新型コロナウィルスの「コロナ(CORONA)」とはギリシャ語で王冠や太陽光を意味する言葉ですが、新型コロナウィルスの球状の表面突起が王冠や太陽光の形状に似ていることから「コロナ(CORONA)」と命名されたそうです。1962年に武満徹ジョン・ケージ不確定性の音楽に影響されて「コロナ(CORONA)」の形状の図形楽譜による「ピアニストのためのコロナ」を作曲しましたが、新型コロナウィルスのパンデミクスによって不確実性の時代と形容される先行きの見えない現在の混沌とした状況を予見するかのような音楽になっています。
 
人類と疫病(寄生虫、細菌、ウィルスによる感染病)の戦いの歴史は古く、旧約聖書には疫病に関する記述が見られ、人が神の掟を破る(罪)と神の裁きとして人や家畜に疫病が流行する(罰)と信じられていました。レビ記第13章には疫病に罹患した人を(病院ではなく教会で)「隔離」して経過観察する様子が記述されていますが、未知の疫病に対して有効な対抗手段を持たない人類は将来への見通しが立たない不案な状況(不確実性)の中で、ひたすら禁欲的に自粛しながら神の怒りが収まるのを祈っていた姿が浮かび上がってきます。現代は、抗生物質の開発(人工の秩序)によって細菌に対する優位性を獲得しましたが、未だウィルスに対する有効な対抗手段はなく(ウィルスの研究は電子顕微鏡が開発された1930年代以降に本格化)、ひたすら神の怒りが収まる(即ち、自然の秩序によってウィルスが消滅するか又は人の免疫機能が働く)のを待つしかないという状況に変りはなく、新型コロナウィルスの脅威は科学技術の進歩によって自然界を凌駕したつもりになっている現代人の傲慢さに対する、人ならぬ者からの手厳しい警告と言えるかもしれません。イスラム教の開祖・預言者ムハンマドは疫病対策として「渡航制限」や「外出自粛」を説いて幾多の疫病から数多くの人々を救ってきましたが、これらは現代でもウィルス性の感染病に対する有効にして殆ど唯一の対策と考えられており、現代でも科学技術の進歩(人工の秩序)がウィルスの進化(自然の秩序)に及んでいないことを示しています。一方、日本では、「源氏物語」の第五帖「若紫の巻」において光源氏が瘧病(マラリア)に罹患する場面が登場しますが、遣唐使(人の「移動」)によって中国大陸から仏教と共に寄生虫が日本国内へ持ち込まれたことで疫病が流行していたと考えられます。その後、日本が本格的な国際化を進める契機となった欧米諸国からの相次ぐ外国船の来航によってコレラ菌が日本国内へ持ち込まれ、狐狼狸(ころり=コレラ)が大流行して数万人が死亡したと言われています。産業革命により蒸気機関が発明されたことで国境や海洋を越えて人の「移動」が活発になったことによって、人に寄生した寄生虫、細菌やウィルスが急速に世界中へ広がり、現在も、その脅威に人類は晒されています。
 
イスラム教の開祖・予言者ムハンマド
「汝ら、もしある国に疫病が存在していると知ったならばそこへ⾏ってはならぬ。だが、もし疫病が汝らの今のいる国に発⽣したならば、そこを離れてはならぬ。疫病で斃れるものは殉教者である。」
 
因みに、コロンブスアメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ梅毒を持ち込み、その後、イタリア戦争を契機としてフランス軍がヨーロッパ全土に梅毒を広げ、それ以後20世紀に特効薬ができるまで不治の感染病として恐れられ、数多くの芸術家の才能も蝕まれてきました。梅毒は接触(「3密」のうち「密接」)によって他人へ感染する疫病ですが、昔から人類と疫病の戦いは人の密接が盛んになる夜の歓楽街が主戦場の1つになってきたと言えそうです。有名な話ですが、ロベルト・シューマン(作曲家)はクララ・シューマン(世界初の女性ピアニスト)と結婚する前の独身時代に奔放な生活を送っていたことが祟って当時流行していた梅毒に感染し、その治療に使用されていた水銀が原因となって死亡したと言われています。幸いにクララ・シューマンには感染しなかったようですが、疫病はロベルト・シューマンの若気に付け込む強かさで、おしどり夫婦として知られるロベルト・シューマンとクララ・シューマ及び8人の子供達のささやかな幸せを奪っています。
 
🍑梅毒を罹患した主な芸術家(没年順)
  ♡ レンブラント(1669年没)
  ♡ モーツアルト(1791年没)
  ♡ シューベルト(1828年没)
  ♡ パガニーニ(1840年没)
  ♡ シューマン(1856年没)
  ♡ ゴッホ(1890年没)
  ♡ ニーチェ(1900年没)
  ♡ ロートレック(1901年没)
 
疫病はオペラの題材にも使用されていますが、黒死病(ペスト)を題材としたプーシキンの戯曲「小さな悲劇」を台本にして、ツェーザリ・キュイが作曲したオペラ「黒死病の時代の饗宴」も紹介しておきます。なお、3月23日にオペラ歌手のプラシド・ドミンゴが新型コロナウィルスに罹患したことを発表されましたが、一日も早い快気を祈念します。
 
◆おまけ
演奏しているのは桐朋アカデミーオーケストラ生のようですが、「弦の桐朋」の面目躍如たる秀逸なアンサンブル(@呉羽狂詩曲)をご堪能下さい。テレワークとは思えないような出来映えですが、何回か撮り直したんでしょうか(笑)人々の心が荒んでいるときこそ音楽の力が必要です。音楽に救われる思いがします。やっぱり音楽って良いですね💕

コンサートライブ配信&オンライン美術館に関する情報

新型コロナウィルス感染症は、我々の身体だけでなくコロナヘイトに象徴されるように我々の心を蝕み、さらに、社会機能(経済的及び文化的な営み)まで麻痺させる人類の脅威ですが、その脅威に負けることなく「芸術Xイノベーション」で果敢に挑戦している芸術家の心強い取組みをご紹介します。是非、ご興味のある方はご視聴下さい。
  
【配信場所】P C:https://17.live/live/5382416
      スマホhttps://17media.jp/(APPをDL ➡ eririn0217で検索)
【配信日時】3月30日 11時~
      3月31日 11時~
      4月 1日 11時~
      4月 2日 11時~
 
先日、5G通信サービスの提供が開始されましたが、5G通信サービスの大容量、低遅延、多接続という特徴を活かして「8K」+「VR」+「ハイレゾ」の技術を組み合わせたライブ配信サービスの開発が待たれます。折しも東京2020の開催に向けて電子マネーの普及が推進されていますが、より安全かつ簡便にオンライン決済を行うための社会インフラが整いつつあるなかで、ライブ配信サービスがプロによる本格的な商業利用にも耐え得る機能を実装した簡便かつ安価な商用プラットフォームとして普及することが期待されています。このように芸術の受容スタイルが多様化することによって、芸術を受容する層の拡がりや、芸術表現の内容や手法の多様化が一層と促進される効果が生まれることにも期待したいと思っています。
 
★オンライン美術館
 
南北間の経済格差を解消するために北半球の社会資本を投入して南半球の急速な開発が進められた結果として、1980年代頃から南半球の自然界に封じ込められていた未知のウィルスが人間社会に侵入するリスクについて警鐘が鳴らされてきましたが、近年、その警鐘のとおり人類とウィルスの戦いが本格化しており、リモートワークやオンラインMTG等に代表されるようにイノベーション等によってウィルス耐性の高い社会を構築して行く岐路に立たされているのかもしれません。その意味では、今後、上述のようなイノベーションを活用した芸術の受容スタイルの多様化に向けた試みが加速度的に進んで行くのではないかと期待され、何か新しいものが生み出されて行くダイナミズムのようなものが感じられて楽しみです。 
 
★新コロの影響で新日本フィルハーモニー交響楽団が存続の危機に直面しており募金を募集(1口1000円~)しています。新コロは社会機能を遮断してしまいましたが、音楽を愛する心まで遮断することはできないことを募金で新コロに思い知らせてやりましょう。(募金にあたってインターネットによるクレジットカード決済に不安がある方は、口座振込にも対応しているそうです。)
 
★マスコミでも話題になっている「シンニチテレワーク部」の動画をどうぞ。さすがはアンサンブル精度を誇る新日フィルでしてテレワークでも上手いです。
 
【弔意】志村けんさんが新型コロナウェイルス感染症で亡くなられたという悲報に接し、衷心より哀悼の意を表します。本当に残念でなりません。世界中で大切な人を奪って行く新型コロナウィルス。世界中の亡くなれた方々のご冥福をお祈り致します。
 
【追慕】志村けんさんは趣味として津軽三味線奏者・上妻宏光さんに師事していましたが、それが高じてキリン・チューハイのCMで妙技を披露しています。また、志村けんさんはソウル・ミュージック等の造詣が深く、音楽雑誌「jam」にレコード評を掲載していたことが知られていますが、「ヒゲダンス」ではフィリー・ソウルの帝王テディ・ペンダーグラスの「DO ME」をアレンジしてBGMに使用しておりその趣味の良さが偲ばれます。「一芸に秀でる者は多芸に通じる」といいますが、その稀有な才能が惜しまれてなりません。

書籍「ダンスの時代」(若杉実著/リットーミュージック)

【題名】ダンスの時代
【著者】若杉実
【出版】リットーミュジック
【発売】2019年7月29日
【値段】1980円
【感想】
f:id:bravi:20200112104509p:plain2008年に中学校の学習指導要領が改訂され、「運動能力の強化」ではなく「仲間とのコミュニケーションの向上」を目的として、2012年からダンスが義務教育の選択科目から必修科目へと変更になり、その内容についても、①創作ダンス、②フォークダンス、③現代的なリズムのダンス(ヒップホップ、ロック等)と多様なものになっています。この学習指導要領の改訂後に中学校の教育過程を迎えた若者達は、丁度、高校を卒業して大学生又は社会人になっているのではないかと思いますが、益々、ダンス界の人材層に厚みが増し、より面白いダンスが見られることになるのではないかと期待しています。芸術(サブカルチャーを含む)の分野に限らず、あらゆる分野において、近代に確立した「ジャンル」が重要な意義を持たなくなり、色々なものの境界が曖昧になってきているのが現代の時代性ですが、現代の芸術はその時代性を映すように非常に多様で複雑なものとなり、一般の素人には手に余る難解さがあることも事実です。その水先案内の1つとして、久しぶりに面白いと思えた書籍「ダンスの時代」に関する簡単な感想を残しておきたいと思います(但し、未だ出版されたばかりなので、ネタバレしないようにあまり本の内容には触れません。)因みに、群舞(チームプレイ)は日本舞踊や能楽にも存在しますが、一般に、これらは生徒達に馴染みが薄い(即ち、先生が指導し難い)ことや、これらは「型」などの決まり事が多く生徒同士の自発的なコミュニケーションを促す(即ち、誰かに教わる(大量生産・大量消費型の人材観)のではなく自ら創り出す(変革期型の人材観)という姿勢を養う)という観点からはより自由度が高いもの(ニュースクール等)が望ましいことなどの理由から、これらは義務教育の対象に含まれなかったのではないかと推測します。
 
ダンスの時代

ダンスの時代

 
 
ダンスの起源については明確なことは分かっていませんが、最も古い記録として古代エジプトのアルタミラ壁画にベリーダンスを踊る女性が描かれており、また、古代ギリシャでは早くからダンスが教育に採り入れられていたと言われています。日本では古事記及び日本書記の岩戸隠れの伝説で女神・天鈿女命(アメノウズメ)が裸踊りをして八百万の神々を笑わせたという神話(貴志康一作曲のバレエ「天の岩戸」の舞台上演を見てみたいのですが、なかなか叶いません・・涙)が残されていますので(日本最初のダンサー、ストリッパー、宴会芸)、人類は古くから何らかの動機や衝動でダンスを踊っていたと考えられます。この点、日本では、「」のことを「神迎え」、「踊り」のことを「神(霊)送り」というそうですが、「」(能楽)は巫女(個人)が神の依代や神座の周りを回りながら徐々に神懸り(神迎え)して行く呪術的な舞(他力による旋回運動)であるのに対し、「踊り」(歌舞伎踊り)は群衆(集団)がリズミカルに飛び跳ねながら妖精(精霊)や妖怪を共同体の外へと送り出す呪術的な踊り(自力による跳躍運動)と言われており、例えば、アフリカでも神と交信して神意を伝えるために神に選ばれたメッセンジャーが行うダンス(神迎え)と、病人等の周囲をリズミカルに行進しながら悪霊を退散させるために住民が行うダンス(神送り)があるようです。よって、世界各地でダンス(舞踊)はアニミズミ信仰を背景として人ならね者との交流を試みるために肉体を使って行われてきた宗教的なパフォーマンが起源ではないかと思われます。これに対し、キリスト教では精神で肉体をコントロールすること(理性)が重んじられ、聖書に書かれた神の言葉(ロゴス、理性)が信仰の拠り所となり、人々から理性を奪うアニミズムの実践(霊媒、占い等)を固く禁じ、ダンスも神との交流を試みる宗教的なパフォーマンスではなく、人との交流を図る社交的なパフォーマンスとして位置付けられたと思われます。このような背景からキリスト教文化園におけるダンスや音楽は、肉体的な興奮を喚起し、人々を狂気(トランス)させるようなリズムの使用を避けてきた歴史的な伝統があり、ダンスも人ならぬ者の降臨を促す躍動的な跳躍運動ではなく、人との調和(ハーモナイズされた動き)をとりやすい優美な回転運動(社交ダンスなど)を中心として発展したのではないかと思われます(もしかすると各国の伝統音楽のハーモニーの有無も同じような淵源による相違かもしれません)。この相違がやがてレイシズムを背景としてダンスの多様性を育むことになりました(下表)。なお、上記の宗教的な要因に加えて民族的な要因として、農耕民族が農作業する際の動作、即ち、腰を落とし、田から足を引き抜くように膝を高く上げて歩を進め、足を摺るような足運びで回転し、鍬を鋤くように右手と右足が連動する動きなどや、狩猟民族が狩りをする際の動作、即ち、獲物を追い掛けるように軽快にステップし、高く飛び、勢い良く旋回する動きなども、それぞれのダンス(舞踊)の誕生及び発展に大きな影響を与え、それぞれの特徴的な動きとなって現れています。
 
レイシズムから生まれた多様性 
  白人文化 黒人文化
音楽 場所 教会
演奏会場
Hush Harbor
酒場
種類 讃美歌
クラシック
黒人霊歌
ジャズ
ダンス 場所 社交場
歌劇場
ストリート
ダンスホール
種類  社交ダンス
バレエ(※)
スイングダンス
※バレエは、太陽王と言われたルイ14世によって確立されますが(映画「王は踊る」)、フランス革命によって王侯貴族から大衆へと文化の主役が交代するとロマンティック・バレエとして発展し、今日のバレエの様式が確立します。その後、クラシック・バレエからドロップアウトした若者達が伝統的なものを解体してより自由で革新なダンスを求めてモダンダンスやコンテンポラリーダンス等の潮流が生まれています。なお、今回は、あまり長くならないように革新的なものだけを採り上げたいので、以下では伝統的なもの(クラシック・バレエや社交ダンス)は割愛します。
 
日本では戦国時代に中世的な社会体制の崩壊と共にその中心的な存在であった寺社勢力が衰退して寺社勢力から芸能の興行権が解放されたことで(芸能の自由化)、舞踊(ダンス)が宗教的なパフォーマンスから大衆的な娯楽へと性格を変えて活発化します。丁度、この時期に出雲大社の巫女であった阿国が上京して歌舞伎踊りを創始して大衆に熱狂的に支持され、やがて歌舞伎と日本舞踊へと発展していきます。一方、西洋ではキリスト教的な価値観を背景としてダンス(舞踊)が王侯貴族の社交(娯楽)として確立し、その後、市民革命を経て大衆へと受け継がれ、大衆の社交(娯楽)として発展します。なお、西洋では中世の大航海時代に植民地政策(その後、産業革命を経て帝国主義へ)がとられて奴隷売買が盛んに行われましたが、その後、奴隷解放運動や南北戦争等を契機として奴隷が解放されます。しかし、レイシズムによる差別から黒人が教会や社交場等へ出入りすることは許されず、教会ではなくHush Harborや酒場等でヨーロッパの音楽(讃美歌など)とアフリカの音楽(ポリリズムなど)を融合した黒人霊歌(ゴスペルなど)やジャズが誕生し、社交場や歌劇場等ではなくストリートやダンスホール等でヨーロッパのダンス(バレエなど)とアフリカのダンス(コンゴ舞踊など)を融合したスイングダンス(リンディホップ、ジャズダンス等)が誕生するなど、レイシズムという社会の歪みによって黒人に強いられた過酷な境遇(不条理)がやがて黒人の魂の叫びとなって(文化を生み出す「血みどろの母胎の生命や生殖行為」(三島由紀夫))、白人文化の影響を受けながらも白人文化とは異なる独自の黒人文化を育むことになりました。
 
【音 楽】ヨーロッパの音楽+アフリカの音楽=ジャズ
【ダンス】ヨーロッパのダンス+アフリカのダンス=スイングダンス
 
レイシズムに打ち勝つ文化の力
1920年代にジャズの伴奏に合わせて踊るスイングダンスからリンディホップ(黒人がワルツを踊ることを禁止されていたことから誕生したチャールストンダンスとそこから派生したタップダンスの融合)やジャズダンス(バレエとタップダンスの融合)が派生し、ジャズの人気と相俟って大衆を熱狂させます。やがてリンディホップやジャズダンスの人気はレイシズムに打ち勝つという社会的な機運を高め、ニューヨークのハーレムにあった巨大ダンスホールサヴォイ・ボールルーム」では人種に関係なく入場が許され、白人と黒人が一緒にダンスを踊ったと言われています。因みに、リンディホップとは、単独飛行で大西洋横断を成功したチャールズ・リンドバーグに由来していると言われており(「リンディ」はリンドバーグの愛称、「ホップ」は大西洋を飛び越える意味)、大西洋ならぬ人種の壁を乗り越えるという願いが込められているのではないかと思われます。
 
ジャズダンスの誕生に日本人の影
1920年頃にルイジ・ファチュートがバレエとタップダンスを融合したジャズダンスを確立します。ルイジ・ファチュートは交通事故で半身不随になり、そのリハビリのために伊藤道郎に師事して伊藤道郎が発案したジャズに合わせて踊るバレエ・エクササイズを学んでおり、これが基になってジャズダンスを創始したと言われていますので、伊藤道郎が発案したバレエ・エクササイズがなければジャズダンスも確立されていなかったと言えるかもしれません。伊藤道郎は元々は声楽家志望で三浦環(声楽に加えて日本舞踊を学び、その美しい所作も国際的に高い評価)と共演し、パリへ留学してドビュッシー等とも交流を持ちましたが、日本人と西洋人の声量の違いから声楽家を断念してダンス(舞踊)へ転向し、イェイツの能楽研究に参加してイェイツの代表作である戯曲「鷹の井戸」の創作に協力しています。また、伊藤道郎はホルストに依頼して作曲して貰った「日本組曲」日本民謡の旋律がモチーフとして使用されています。また、ホルストは「日本組曲」を作曲するために組曲「惑星」の創作を一時中断しています。)を使って英国でダンス公演を行うなど国際的に活躍し、日本のダンス界の草分け的な存在と言える天才ダンサーです。因みに、伊藤道郎は1964年の東京オリンピックの開会式及び閉会式の総合演出も担当しています。 
 
ダンスブームの到来
1940年代までリンディホップダンスが一世を風靡し、1950年代になるとジャズのブルースやラグタイム等(黒人音楽)とカントリー&ウェスタン(白人音楽)が融合したロックンロールが生まれ、エルヴィス・プレスリービードルズの影響等からリンディホップダンス(黒人ダンス)と社交ダンス(白人ダンス)が融合したツイストダンスが流行します。丁度、この頃にバーンスタイン作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」(1957年~)がジャズダンスを採り入れた舞台として注目を集め成功を収めています。1970年代にダンスTV番組「ソウルトレイン」(1971年~)が全米で人気を博すると、ファンク、R&B、ソウルミュージックやロックンロール等の音楽に合わせて踊るディスコ(現在のクラブの前身)が本格的に流行し、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の公開によってディスコブームは過熱します。因みに、2020年12月にスピルバーグ監督による映画「ウェスト・サイド・ストーリー」のリメイク版が公開予定です。
 
ロックンロール:社会の内部(中産階層)からのドロップアウト
ヒップホップ :社会の外部(貧困階層)からのドロップイン
 
その一方で、1970年~1980年代にディスコに通うお金がない黒人はストリートに集まり(ブロックパーティー)、レコードプレーヤーを持ち込んで、そこに段ボールを敷いてダンスをしていました。DJ(レコード盤を操る人の意味)はブレイク・ビート(曲間のビート部分)でダンスが盛り上がることに気付き、ブレイク・ビートを繰り返して再生するループ、レコード盤を擦る音でビートを生むスクラッチ、リズムに合わせて韻を踏みながら歌うラップ、口や喉を使ってビートを生むヒューマンビートボックス等のヒップホップ音楽が生まれ、ブレイク・ビートに合わせて踊るブレイク・ダンスが誕生します。それまでのダンスは「立ち踊り」が主流でしたが、ブレイクダンスは「立ち踊り」(トップブロック等)だけではなくダンスの支点が下半身から遠ざかり手や体を地面につけて踊る「床踊り」(ネックムーブ等)が特徴的なダイナミックなダンスと言えます。また、体のしなやかさを保ちながら人間離れした動きをするホップダンスや体をピタッと止めて固定することでキレのある動きをするロックダンス(音楽のRockではなく、鍵のLock)等が生まれ、ストリートに集うブロックパーティーからこれまでにない革新的なダンスが誕生しています。これらの最新のダンスをマイケル・ジャクソンが採り入れて世界中に熱狂的に受け入れられ、映画「フラッシュダンス」(1983年)や映画「ブレイクダンス」(1984年)等が相次いで公開されています。
 
▼ ジャズとダンスの発展 
  ~1940年代  1950年
~1970年代
1970年
~1980年代
音楽 ジャズ ファンク
R&B
ヒップホップ
ダンス スイングダンス
リンディホップ
ジャズダンス
etc.
ディスコ
ツイスト
ゴーゴー
etc.
オールドスクール
ブレイクダンス
ホップダンス
ロックダンス
※1940年代のビバップ革命はビバップダンス(ミドルスクール)と関係してきますので下表へ。
※上表は大まかな流れを把握し易くするために作成したものである程度正確性は犠牲にしています。
  
ミドルスクール
1980年代後半~1990年代前半に「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」としてテンポの早いビートに合わせて踊るステップを中心としたダンスが生まれ、ニュージャックスウィング、ランニングマンやロジャー・ラビット等のダイナミックなステップを多用するインターナショナルスタイルダンス、スピンやジャンプ等のアクロバティックなステップを多用するビバップダンス、細かい足さばきを中心としたステップを多用するホーシングダンスなどが誕生します。
 
バップ革命を契機とする「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」への潮流
 
スウィング
白人ミュージシャンによりメロディーを中心にして装飾的に即興演奏する「分かり易いジャズ」へと変質
  ⇩
【バップ革命】
この状況に不満を持った黒人ミュージシャンがジャム・セッション(その場に居合わせた即席メンバーで行う即興演奏)でテクニックの極限に挑戦し、複雑な音楽を創り出す演奏(「踊るための音楽」から「聴くための音楽」へ)
  ⇩
1940年代に黒人ミュージシャンによりメロディーではなくコード進行を中心にしてリズム、メロディーや和声を複雑に変化させながら自由に即興演奏する「分かり難いジャズ」へと変革(1990年代に複雑でテンポが早いビバップの音楽に合わせて踊るためにステップを中心としたビバップダンスが誕生。後年、聴くための音楽であるビバップの即興演奏とクラシック音楽の伝統を融合したジャズ・ピアニストのビル・エヴァンス等も登場)
  ⇩
【客離れ】
ジャズの即興演奏が難解になるにつれて客に敬遠されて一時的に客離れ
  ⇩
ハードバップ(モダン・ジャズ)
1950年代にアート・ブレイキーらによりコード進行を中心にして即興演奏しながら、ある程度、コード進行を犠牲にしてもメロディーに配慮した洗練された即興演奏を行う「バランスの取れたジャズ」へと揺り戻し(その後のフリー・ジャズへの流れ)
 
ビバップの揺り戻しとして登場したクールジャズと、その反動として生まれたハードバップの流れは割愛
 
ニュースクール
1990年代後半にはマスメディア等を通じて貧困階層(肉食系タイプ)だけではなく中産階層(草食系タイプ)にも広くヒップホップ文化が浸透し、ヒップホップ文化の裾野が広がります。これに伴ってオールドスクールのようにパワームーブ等の「床踊り」が中心ではダンス表現の深みに欠けると認識されるようになり、オールドスクールの基本を踏まえつつ、より自由度の高い「立ち踊り」を中心にしたヒップホップダンスが誕生します。また、ミドルスクールを融合して多種多様のステップやスピン等を織り交ぜて曲調やリズムに乗って踊るハウスダンスも誕生します。更に、ニュースクールには含まれないかもしれませんが、2000年代に入るとビヨンセ等によりジャズファンクダンスが流行し、2010年代にはLMFAO等によりEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)が流行しているようですが、もはや瑞々しいとは言えない老憊の感性ではダンスが進化して行くスピードやその多様さに付いていくのは並大抵ではありません(苦笑)。でも面白い。イノベーションによって宗教(聖)と科学(俗)が倒置され(科学によって神秘、即ち、神の秘密とされてきたものが暴かれ)、聖と俗の境が曖昧になってきた現代の世相を映してか、1992年にゴスペルとダンスを取り扱った映画「天使にラブソングを・・」等が公開されていますが、ストリートギャングから生まれたヒップホップ文化(俗)が日本の義務教育(聖)に採り入れられるなど様々な価値観が転換(バラダイムシフト)していく現代の時代性を先取りした映画とも言えます。「落語とは、人間の業の肯定である」という名言を残し、時代に先駆けて聖と俗の倒置を実践して見せてくれた故・立川談志師匠の言葉「本流から必ず亜流が出る。しかしその亜流から本流になるものも出る。それが芸術の本質だ。」は芸術だけではなく広く社会に当て嵌まると思いますが、この言葉の重みが改めて身に染みるこの頃です。また、2018年、ドラッグとEMDによってトランス状態に陥り徐々に理性が剥がれ落ち人間の本能が露わになって行くダンサー達によるトランスダンスを取り扱った問題作、映画「CLIMAX クライマックス」(R18指定)が公開され、第71回カンヌ映画祭監督週間で芸術映画賞を受賞しています。先日、日本でもクラブに通う某女優がドラッグ所持の容疑で逮捕されましたが、科学(俗)によって宗教(聖)の封印が剥がされ、理性から本能が解放され易くなった現代人の姿を赤裸々に描いた興味深い映画です。若杉実さんは著書「ダンスの時代」の中で、表現者の宿命として常に「〇〇ではない」ということに拘るのは重要なことで、例えば、「ダンスではない」ということはダンスの既成概念を壊すという意味で「これまでのダンスを超えた」ことを意味していると仰られています。我々のようなアートを受容する側の人間は、往々にしてステレオタイプ(既成概念)に陥って革新的なもの(亜流、俗)をネガティブに捉えがちですが、この変革の時代にあって、伝統的なもの(本流、聖)ばかりでなく、どのように革新的なもの(亜流、俗)に新しい価値を見出して行けるのか、正しくアートを受容する側にこそ瑞々しく柔軟な感性やジャンルレスの幅広い教養が求められているのではないかと痛感します。
 
「ダンスを芸術として承継していくことよりも、スポーツのように競技化することで進化させていくことの方が若者の目を惹きつけやすい。ゲイカルチャーを起点としたコミュニティ文化を「保存」から「発展」へと移し変えなければ頭打ちは避けられない。」(若杉実さん/著書「ダンスの時代」より抜粋)
※上記の引用文中のボールドは小職が装飾したものです。「伝統と革新」「変わらないために、変わり続ける」という言葉が使われるようになってから久しいですが、芸術文化の分野に限らず、あらゆる分野において、現代に切実に求められていることだと痛感します。過去の成功体験に味を占め、いつまも約束された成功ばかりに安住すれば、やがて時代に見捨てられる運命にあるということだと思います。
 
日本では余り話題になりませんでしたが、2016年に「クラシック」及び「ヒップホップ」の音楽とダンスの融合をテーマとした映画「ハートビート」(原題:High Strung)が公開され、出演者にキーナン・カンパ(アメリカ人初のマリインスキー・バレエ団員)、ニコラス・ガリツィン(英国新進気鋭のヴァイオリニスト)、ソノヤ・ミズノ(英国ロイヤル・バレエ学校出身、日本ではユニクロのCMで有名)、イアン・イーストウッド(ヒップホップダンサー、ASUSが日本語の禅から命名したスマホZenPhone5のCMで有名)やその他世界最高峰のダンサー62人を迎えて圧巻のダンスパフォーマンスが見物の映画で、とりわけ現代の時代性(即ち、伝統的な価値観(体制、権威、聖)と革新的な価値観(反体制、自由、俗)との相克)を映したラストのコンクールシーンでは「クラシック」及び「ヒップホップ」の音楽とダンスが見事に融合した完成度の高い舞台(革新的なもの)が披露されています。また、この映画に対する世界での反響を受けて、昨年11月に続編となる映画「High Strung Free Dance」が全米公開になっています。なお、2017年のLFJでは“踊れない音楽はない”という謳い文句で「ダンスと音楽(躍動のヨーロッパ音楽文化誌)」というテーマが採り上げられたそうですが、上述のとおりクラシック音楽キリスト教的な価値観から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきた歴史的な伝統があるため(ヒップホップ・ダンスは「リズム」(躍動的な跳躍運動)に比重が置かれているのに対し、クラシック・バレエは「メロディー」(優美な回転運動)に比重が置かれています)、必ずしも、クラシック音楽(但し、バーバリズムや民族舞曲を採り入れた曲を除く)はダンス向きではないと思われますが、個人的にはカプースチンなどの超絶技巧曲に振り付けをした舞台も面白いのではないかと秘かに期待しています。若杉実さんが著書「ダンスの時代」の中で「音楽とは世界共通語、ダンスはその通訳だ」と仰っているとおり、複雑で難解になる現代音楽と聴衆との間を媒介する表現手段としてダンスやメディアアート等が効果的に活用される機会が増えてきており、ダンスに期待される意義は益々多様なものになってきています。
 
 
なお、いよいよ世界的に注目されているダムタイプの本公演「ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』」が2020年3月28日(土)及び29日(日)に迫ってきました。それに先立ち、2020年2月16日(日)まで東京美術館で開催しているダムタイプの個展「ダムタイプ―アクション+リフレクション」が開催されていますが、この個展についてダムタイプの芸術監督である高谷史郎さんは「本展では、社会で起きていることに真摯に向き合う批評性と美学、そして新たな世代を迎えた後の活動を紹介したいと思いました。」(「美術手帖」より)とコメントされており、より鑑賞を深めて作品の本質に迫る意味でも見逃せません。
 
 
◆おまけ
2019 World Hip Hop Dance Championshipで、日本代表のKana-Boon!All Starがメガクルー部門で優勝しました!昨年、同大会の中学・高校生部門で優勝したメンバーが再結集した2度目の金星であり、日本のダンス界が世界トップレベルの水準にあることを実証した結果になっています。日本の伝統邦楽(津軽三味線や囃子等)とヒップホップダンスを融合した非常に面白い舞台になっており、その意味でも注目されます。
 
日本で代表的なダンススクール「movement dance school」のPVです。義務教育におけるダンスの必須選択化に伴ってダンススクールに通う若年層が増えているようですが、若い頃に何かを創り上げる喜び、何かを表現する喜びを知っておくことは人生の肥やしになる大変に貴重な経験であり、何かに打ち込んでいる人の姿はそれだけで美しく胸を打つものがあります。 
 
最後にブレイクダンスの至芸をどうぞ。ブレイク・ダンスとは、ブレイク・ビート(曲間のビート部分)で踊ることを意味していますが、エントリー、フットワーク、パワームーブ、フリーズの4つの要素から構成される力強いダンスです。如何に重力から身体を解き放って自由になれるのか、人類創世から続く憧憬と葛藤がこのダンスを美しく魅せるのだと思います。

新年のご挨拶

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 謹 賀 新 年 
 
f:id:bravi:20191222184938g:plain漢書 律暦志~自然界の輪廻転生を表現する十二支~
今年も皆さまと共に健やかに新年を慶賀できることを感謝致しますと共に、今年一年も皆さまにとりまして無事多幸な年でありますことを祈念申し上げます。さて、一般的な理解として、干支の「子」(ネズミ)は、神様がマラソン大会を開催して12番目までにゴールした動物を干支にしてあげようと約束し、最初にゴールまでやってきたウシの背中に乗っていたネズミが飛び降りて1位を横取りしたというスポーツマンシップに悖る物語が伝承されています。また、ネズミは嘘の日付をネコに教えてマラソン大会に参加できないようにする悪乗りようで、そのためにネコは十二支に入れず、それ以来、ネズミはネコに追い掛け回されているというオチまでついています(日本ではネコがネズミを捕まえる習性があることから、奈良時代にネコを中国から輸入して首輪や紐でつないで室内で飼っていましたが、1602年に徳川家康が京都で深刻化するネズミ被害の対策として「猫放し飼い令」を発布してネコを野外で放し飼いにすることを推奨したことから、現代でもネコを放し飼いにする習慣が残っています。ネコにとっては不幸チューの幸いと言えるかもしれません。)。しかし、この物語は庶民に十二支を浸透させるために十二支に動物の名前を割り当て(「子」→ネズミ、「丑」→ウシ、「寅」→トラなど)、それを物語風に仕立てた後世の作り話で、もともとは中国の歴史家・班固らが編纂した史書漢書」の律暦志に解説されているとおり、自然界の輪廻転生を植物に擬えて表現したもので、以下のとおり全く別の意味を持っています。
 
漢書 律暦志に見る十二支の本当の意味
「子」:「増」を意味し、種子の状態
「丑」:「曲」を意味し、芽が曲がって地上に出ていない状態
「寅」:「伸」を意味し、草木が伸び始める状態
「卯」:「茂」を意味し、草木が地面を蔽うようになった状態
「辰」:「振」を意味し、草木の形が整った状態
「巳」:「止」を意味し、草木の成長が極限に達した状態
「午」:「終」を意味し、草木が衰えを見せ始めた状態
「未」:「昧」を意味し、果実が熟し切っていない状態
「申」:「味」を意味し、果実が完熟して渋味が出た状態
「酉」:「実」を意味し、果実を収穫できる状態
「戌」:「滅」を意味し、草木が枯れる状態
「亥」:「閉」を意味し、種に生命が宿っている状態
 
今年は、自動車の自動運転が実用化される計画があるなどAI革命が目に見える形で実現する画期的な年ですが、今年の干支「子」が象徴しているように、次の時代の「種子」が蒔かれ、それを来年の干支「丑」に向かって力強く芽吹かせていくための重要な年になりそうです。なお、今年はオリンピックの開催も予定されていますが、もう1つの干支「子」(ネズミ)が姿を現さないように、スポーツマンシップに則ったフェアプレーを期待したいものです。 
 
f:id:bravi:20191222184517g:plain発酵文化人類学~ネズミも愛する多様な社会~
上述のとおり干支の「子」は種子の状態を意味していますが、味噌、醤油や日本酒を製造するために必要な「発酵」に欠かせない麹菌は、米・麦・大豆という種子に生息するカビのことで、このカビが米・麦・大豆のタンパク質等を分解して「うま味」を生成します。なお、1908年に東京帝國大学・池田菊苗教授が「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」とは異なる第5の味として「うま味」(アミノ酸の一種)を発見し、これによってUMAMIは国際公用語になっていますが、その後、西洋料理のソース作りや調味料等にも活かされるようになり、日本の音楽や絵画等だけではなく和食も世界の文化に大きな影響を与えています。
 
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人類による「発酵」の歴史は古く、約8000年前の新石器時代に中近東でワインが作られたのが最初と言われ、日本でも同じく新石器時代縄文時代)から食品を保存するための生活の知恵として「発酵」が利用され始めたと言われています。その背景には日本が高温多湿の気候で食品が腐敗し易い風土にあるという地理的要因に加えて、長らく動物(魚貝類を含む時代もあり)の肉食が禁止されてきた歴史的な伝統が関係していると言われています。即ち、675年に天武天皇が「肉食禁止令の詔」を発布して干支に登場する五畜(牛:農耕牛、馬:農耕馬・軍用馬、犬:番犬、猿:類人猿、鶏:時告げ鳥)の肉食を禁止し、その後、明治政府が欧化政策を推進するために肉食を推奨(横浜の太田なわのれんですき焼きの元祖となる牛鍋が誕生)するまで一貫して肉食の禁止や動物の愛護等の政策がとられてきました。これは日本人が米を主食とし、天皇が稲作儀礼を司る権威的な存在とされてきたことから、天皇を中心とする稲作文化を守るという政治的理由があったことに加えて、動物の血や死を「穢れ」として忌む神道思想(ヒンドゥ-教にも同様の教えあり)や殺生を禁じて功徳を積むことを説く仏教思想を実践するという宗教的理由があったと言われています(必ずしも、徳川綱吉の「生類憐みの令」が歴史的に特異な事例であったとは言えません)。この点、同じ仏教文化圏の国ではインドが肉食を禁止して菜食主義を採ったことから「スパイス文化」(食材との相性を考え、スパイスの配合の妙味を活かして、食材の外側から味を付け足すスパイス料理)が発達しますが、日本では米を主食としたことから「発酵文化」(とりわけ日本の国菌と言われる麹菌・糀菌を使い、発酵から生まれる食材のうま味(出汁等)を活かして、食材の内側から味を引き出す和食)が発達することになり、今日のバイオ技術大国としての礎が築かれることになりました。これは食文化の優劣の問題ではなく食文化の多様性の問題であって、何かを失うことは即ち何かを得ることであり、何かを得ることは即ち何かを失うこと(選択の問題=多様性)の1例ではないかと思います。また、このことは食文化に限らず他の文化にも言えることで、例えば、イギリスの総合科学雑誌「Nature」(2016年7月発刊535号)に掲載されているマサチューセッツ工科大学の論文(Indifference to dissonance in native Amazonians reveals cultural variation in music perception)には、人間がハーモニーを心地よく感じるのは先天的に備わっているもの(聴覚固有の形質)ではなく後天的に備わったもの(音楽的な経験)であり、ハーモニー音楽と無縁な生活を送っているチマネ民族は協和音及び不協和音に対する快感又は不快感の区別が存在せず、協和音及び不協和音を同じように快いと感じ得るという研究結果が発表されています。その一方で、チマネ民族にハーモニーとは関係なく日常的に聞きなれている音(笑い声等)と日常的に聞きなれない音(合成音)を聞かせると、西洋人が感じる快感又は不快感と全く同じような傾向を示したということです。このことは必ずしも人間が音や音楽を快いと感じるためにハーモニーが必要不可欠な要素ではなく、人間は音楽的な経験によって不協和音(自然界に溢れる音)も快いと感じ得る能力(感受性)を備えている(即ち、チマネ民族はハーモニー感が備わっていない代わりにこの能力(感受性)が機能し易い状態にあるのに対し、西洋人はハーモニー感が備わっている代わりにこの能力(感受性)が機能し難い状態にある。)という可能性を示しています。世界で「SAKE」や「SHOYU」が愛好されている(舌が慣らされる)のと同様に、音楽的な経験の積み重ね方によって、より多様な音や音楽を快いと感じ、その真価に触れることができる豊かな能力(感受性)が育まれ(耳が慣らされ)、音楽世界を拡げて行ける可能性を示すものとして興味深い研究結果であると思います。人の嗜好は区々で、例えば、味噌を好む人、味噌を嫌う人と一様ではありませんが、味噌に親しんで味噌の風味が分かる舌を持てればそれだけ食文化は豊かなものとなりますので、何事につけて先入観から食わず嫌いに陥って自ら狭い世界に閉じ籠ってしまうことがないように心掛けて行きたいと思います(今年の抱負①)。「ものさえ分かって来ると、おのずから、趣味は出て来るものである。趣味が出て来ると、面白くなって来る。面白くなって来ると、否応なしに手も足も軽く動くものである。」(魯山人
 
不安定な性質が生む多様性
①グレープジュース
 果汁(糖質)⇒甘味
  ☟
②ワイン
 果汁(糖質)→分解(酵母)⇒アルコール・香り・コク等へ変化
  ☟
③ブランデー
 果汁(糖質)→分解(酵母)→蒸留⇒アルコール・風味等を凝縮
 
※同じぶどう(原材料)を使いながら、片やグレープジュースは甘く、片やワインが甘くないのは、発酵の過程で酵母がぶどう(原材料)に含まれている糖質を殆ど分解してしまうため 
 
ところで、日本でも愛飲家が多い醸造酒のワインは雑菌、酸化やその他の些細な環境変化等によって「腐敗」し易い非常にデリケートなお酒ですが、17世紀にワインを「腐敗」させることなく輸送するための方法としてワインを蒸留する技術(ワインを蒸発する過程で純度を増してアルコール度数を高めることで殺菌作用等を強めて腐敗し難くすること)が開発され、これによって生まれたのがブランデーであり、ワインがデリケートなお酒であったことが食文化の多様性に重要な役割を果たした1例と言えます。このように発酵食品の「腐敗」し易い不安定な性質が食文化の多様性を育むうえで重要な役割を担っており、「発酵」(微生物が風味や栄養を向上させるなど人間にとって食材を有益に変化させること)と「腐敗」(微生物が風味や栄養を劣化させるなど人間にとって食材を有害に変化させること)の関係は食文化の多様性を考えるうえで欠かせない問題と言えますが、日本の納豆やスウェーデンシュールストレミング等の発酵食品を「腐敗」していると感じる外国人も多く、その関係は極めて曖昧なものと言わざるを得ません。しかし、このような不安定で曖昧なもの(即ち、変化し易く、それが許容される余地が高いもの)が複雑な味を求める多様な嗜好を満たすうえで有効に機能し、食文化の多様性を育みながら何千年にも亘って人類の舌を満足させてきたとも言えそうです。これを音楽に置き換えるならば、昨年の新年の挨拶でも触れたとおり、近代合理主義の行き詰りに伴い、バロック音楽以来の調性システム(人間にとってコントロールし易いように、自然秩序を人工的に加工して簡素で安定的にするための決め事)を使って作曲される音楽の表現可能性の限界が認識されるようになり、この複雑な現代社会を表現し、かつ、音楽受容の多様化に対応することに適した新しい音楽を模索するために、この調性システムから音楽を解放してその表現可能性を広げた現代音楽( ≠ 調性音楽の排除)や新しいジャンルの音楽を時代がより強く求め始めていると感じる機会が多くなりました。「変わらないために、変り続ける」という言葉がありますが、霊長類の長と言われる人間が微生物から学ばされることは多いと思います。今年の干支「子」(種子の状態)に因んで、既に完熟期(干支「酉」)を過ぎた印象のあるベートーヴェン(生誕250年)の音楽ばかりではなく、寧ろ、将来に向かって芽吹き、豊かな実を結ぶ可能性がある現代音楽や新しいジャンルの音楽にも注目していきたいと考えています(今年の抱負②)。「飽きるところから新しい料理は生まれる」(魯山人
 
神の規律である自然秩序(天然醸造、無調音楽等)は多様性の宝庫
 
①麹の種類
米味噌:塩味・酸味が強い(例、信州味噌)
麦味噌:さっぱり甘い(例、薩摩味噌)
豆味噌:コクとクセが出る(例、八丁味噌
     
②麹の量
麹の量:白味噌>九州麦味噌>赤味噌
      ↑     ↑      ↑
      甘味     旨味   コク
 ✕
③麹と塩のバランス
麹>塩=甘味、うま味が増す
麹<塩=コクが増す
 ✕ 
醸造方法
 
f:id:bravi:20200105105221p:plain日本の代表的な発酵食品である味噌は、麹の種類、麹の量、麹と塩のバランス等によって多様な風味になりますが、その醸造方法によって風味が大きく変わると言われています。一般に、天然醸造は、米、麦又は大豆及び塩以外に添加物を使用せず、その土地の気候風土の中で自然の気温変化に任せて長い時間をかけて熟成させるので、その土地に特有の風味を持った味噌に仕上がります。その一方、即醸造は、人工的に加熱して短期間で醸造・熟成させるので、それだけ風味が均質化されて深みのない単調なものになると言われています。この点、日本の伝統音楽は、自然の音を求めて、敢えて邦楽器から奏でられる音が不安定になるように設計されている(一期一会の音)という話を聞いたことがありますが、この背景には人間は八百万の神々が宿る自然の一部であるという自然観があり、神の規律である自然秩序に同化して行こうとする意識が強いと言われており、日本の伝統的な音楽作りと伝統的な味噌作り(生産コストを抑制するために多くの食品メーカーで利用されている即醸造ではなく、蔵元で伝統的な製法として守られている天然醸造)には相通じる精神が息衝いているように感じられます。宛ら人工秩序である調性システムに束縛されていない日本の伝統音楽は、神の規律である自然秩序に同化し、神と人間との対話を通じて生まれる天然醸造味噌と同様に多様性の宝庫と言うことができるかもしれません。しかし、このような多様な発酵食品と上手に付き合うためには相当な教養(経験を通して積まれる知識)も必要であり、そのための水先案内人としてワインのソムリエと同様に味噌にもソムリエが存在します。これと同様に多様で複雑になる現代のアートや音楽とそれを受容する大衆との間を媒介する存在としてキュレーターが注目を浴びるなか、華美な風俗に踊らされてラブリー&イージーなものばかりに飛び付くのではなく、じっくりと腰を据えて多様で複雑になる美の本質を見抜いて深い感動を味わうことができる力を養って行きたいと考えています(今年の抱負③)。「われわれはまず何よりも自然を見る眼を養わなければならぬ。これなくしては、よい芸術は出来ぬ。これなくしては、よい書画も出来ぬ。絵画然り、その他、一切の美、然らざるなしと言える。」(魯山人
 
発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

  • 作者:小倉ヒラク
  • 出版社/メーカー: 木楽舎
  • 発売日: 2017/04/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
 
f:id:bravi:20200101013817p:plain出雲大社へ初詣がてら、もう1つの干支「子」(ネズミ男)に因んで妖怪神社にも初詣へ行ってきました。ゲゲゲの鬼太郎の原作者・水木しげるさんの出身地である鳥取県港境市(水木しげるロード)や隠岐諸島の街頭の諸所には妖怪ブロンズ像が祀られ(サンプル:偶に家で見かけるような気もしますが・・苦笑)、妖気溢れる魅力的な店舗が立ち並び、夜は不気味にライトアップされるなど、街全体が妖怪横丁の風情を湛えたテーマパークのようになっており、外国人観光客にも人気のスポットとなっています。それにしても水木しげるさんの着想の豊かさには興奮を禁じ得ず、妖怪を通じて「人間」というものがよく見えてくるようで、大人も十分に楽しめるテーマ性を備えています。日本では、世の中の不条理を説(解)いて心に折り合いを付けるための仕組み(精神的な支柱)として「仏」(あの世の側)と「神」(この世の側)が観念され、「神」(この世の側)の使いとして「妖精(精霊)」(自然に宿るもの)や「妖怪」(人間に憑依するもの)がこの世に顕在すると信じられてきたことで、長らく社会のモラルシステムとして有効に機能してきました。このような多様な精神世界(イマジネーション)が日本人の創造力を育み、能楽(例、金春善竹「芭蕉」)や浮世絵(例、歌川国芳「相馬の古内裏」)等の沢山の芸術作品に昇華しています。いつか時間があるときに「妖精(精霊)」や「妖怪」をメタファーとして表現されてきた日本人の自然観や宗教思想等を切り口として芸術作品を整理し直してみたいと考えています(今年の抱負④)。「自然に対する素直さだけが美の発見者である。」(魯山人
水木しげるロード
ネズミ男/今年の年男・ネズミ男 妖怪神社/ネズミ年に因んで妖怪神社へ初詣 境港駅前/この世とあの世の境  妖怪ブロンズ像/自分のブロンズ像が見つかるはず ネコ娘ネズミ男の天敵
世界妖怪会議/G20に対抗し妖怪の世界会議 妖怪のグローバル化ネコ娘が温暖化問題で激怒 千代むすび酒造目玉おやじがこよなく愛する地酒 妖怪バス/妖怪の世界にも自動運転が採り入れられる日が来るかも?
今年の抱負⑤ネズミ男のような人間になりなさないと仄めかされているようで考えさせられます
 
◆おまけ
X'masの定番曲、Whamの”Last Christmas”は世界のアーティストにカバーされて様々にアレンジされることで、新しい魅力がクリエイトされていますが、この有能な若者達の磨き上げられた歌唱力とセンスという酵母を加えて発酵させることで、昔馴染みの素材から洗練された新鮮な風味を引き出しています。今時、ダンスなく歌だけで魅せています。
 
上手く発酵されている有名な成功事例として、シェーンベルクが近代的な響きという酵母を加えて立体的な響きと多彩で芳醇な風味を引き出しているバッハ作曲/シェーンベルク編曲「前奏曲とフーガ」(BWV552)オーケストラ版を小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でどうぞ。
ベートーヴェンの記念年を迎えるにあたり、録音技術が発達して沢山の名演奏が記録として残され、最早、これ以上の名演奏は望むべくもない状況にあるなかで、楽譜至上主義というドクトリンに縛られて約束された成功ばかりに安住しても食傷傾向が顕著になるばかりなので、これまで以上に新しいものを付加し又は創造する工夫や冒険も欠かせないのではないかと感じます。時代は大きく変りつつあり、発酵文化人類学が示唆する新しいものを生み出す多様性の創造力に期待したいです。
 
2020年1月24日(金)から映画「いただきます ここは、発酵の楽園です」が公開されます。 映画「いただきます みそをつくる子どもたち」の続編として、田植え、稲刈りや羽釜の炊飯を園児が行っている「畑保育」や子供達と土づくりのワークショップを続けている野菜農家「苗ちゃん先生」など、子供達にとって本当に必要な教育「食育」に焦点を当てたドキュメンタリー映画です。飽食の時代に、今一度、食を「文化」として捉え直す時機に来ているのではないかと痛感します。また、 道の駅「発酵の里こうざき」ではぷくぷく講座と銘打って体験型の講習会が開催されていますので、「食育」にいかが。

映画「津軽のカマリ」

f:id:bravi:20191006095057j:plain5インチの狭い世界の中にしか人生を見出せなくなった現代人。平成の時代になってから駅構内等を行き交う人々が何かに取り憑かれたように一斉に5インチのスマホ画面を覗き込み、その人生に疲れ切ったような顔がスマホ画面の光に照らし出されてまるで亡霊のように浮かび上がっている光景を気味悪く感じるようになってから久しいような気がします。そのような状況のなか「歩きスマホ」「ながら運転」(自転車を含む)による事故が増加して社会問題化していますが、昨年11月から鉄道各社及び通信各社が「やめましょう、歩きスマホ。」キャンペーンを展開していた成果が出始めて来たのか、令和の時代になってから駅構内やその他の公共施設等で「歩きスマホ」をしている人の姿がめっきりと減っている光景(公共安全)を見るにつけて、そう言えば、昭和の時代に街中でよく見かけた道端で立ち小便をしているおじさんの姿が平成の時代になってからコンビニエンスストアの普及も手伝ってめっきりと減った光景(公共衛生)とよく似ているなと目を細めて関心しております。日本は自由主義の国なのでらの意思のみにって行動することを妨げられないことが保障されていますが、それは無制限、無制約に認められている訳ではなく、他人に迷惑をかけない範囲(即ち、他人の自由を不当に侵害し又はその可能性があるものとして法律やその他の社会規範で禁止し又は制約していることに違反しない範囲 ≒ 社会性)でしか認められていません。この範囲を逸脱して行動する人達のことを、社会性する人達ということで「反社会的勢力」と呼んで社会から追い出そうとしています。しかし、「歩きスマホ」が減ってラッシュ時等に他人と衝突してしまう危険等が減ったと安堵していたのも束の間、最近、目を丸くしてしまうような光景に触れて心を痛めています。幼児と手を繋いで並んでエスカレーターに乗っていた若いお母さんの後ろから、エスカレーターを歩いて昇ってきたおじさんがその若いお母さんの横を無理に通り抜けようとして肩に接触し、その若いお母さんがバランスを崩して危うく大事故につながり兼ねない場面に出くわしました。一般的に、エスカレーターでは片側の一列(関東では左側、関西では右側)に寄って乗り、反対側の一列はエスカレーターを歩いて昇る人のために空けておくというのが社会の暗黙の不文律として蔓延していますが、日本ではエスカレーター事故が絶えない状況(日本エレベーター協会によれば、駅構内やその他の公共施設がバリアフリー化の一環としてエレベーターの設置を推進したことなどを背景として、エスカレーター事故が420件/年(平成10年度)から1475件/年(平成25年度)へと約3倍に急増)を受けて2004年頃からエレベーターメーカー及び駅やその他の公共施設の施設管理者がエスカレーターを歩いてはいけないというルール(社会規範)を定めて啓蒙教化に力を入れています。エスカレーターを歩いて昇る習慣は1944年頃(第二次世界大戦中)にロンドンの地下鉄で混雑緩和のために考案され、それが全世界に広がったものと言われており、海外では日本とは正反対にエレベーターを歩いて昇る人のために片側に寄って乗るように指導している地域もあります。しかし、最近、ロンドン交通局がラッシュ時にエスカレーターの片側に寄って乗る場合とエスカレーターの両側に乗る場合とでどれくらいエスカレーターの運転効率に差が生じるのかを実験したところ、エスカレーターの片側に寄って乗る場合は1時間あたりの利用者数が約2,500人、エスカレーターの両側に乗る場合は1時間あたりの利用者数が約3,500人と全く正反対の結果(前者に比べて約30%も運転効率がアップし、エスカレーターの片側に寄って乗る場合は混雑緩和どころか混雑増加につながってしまう結果)が公表されました。その理由として、日本でもラッシュ時の風物詩になっていますが、エレベーターの片側に寄って乗ろうとする人が多いので片側だけに長蛇の列ができ、反対側はガラガラになってしまうことでエスカレーターの運転効率が著しく低下してしまうそうです。この点、日本では、単に運転効率の問題だけではなく、幼児、老人やハンディーキャップがある人等は保護者や介護者が横に付き添ってエスカレーターに乗る必要があることや、ハンディーキャップがある人の中にはエスカレーターの片側(関東では右側、関西では左側)にあるベルトしか掴めない人がいること、更に、エスカレーターの片側だけに荷重が加わることで動作不良による事故の原因となり得ることなど、ハンディーキャップがある人への合理的な配慮やエスカレーターの耐久性等も考慮したエスカレーターの安全確保が考えられています。イギリスで生まれた近代合理主義が破綻を迎えようとしているなか、寧ろ、このような日本の安全確保に関する思慮の行き届いた考え方を世界へ発信していく必要があるのではないかと感じます。僕もCO2の少女に負けないように、敢えて、エスカレーターの右側に立ち止まって乗る運動(ラッシュ時を含む)を細々と展開していますが、少しづつでも、そのような人が増えてマジョリティになること(ハンディーキャップがある人も暮らし易い懐の広い社会が実現すること)を願いたいです。なお、1人前の社会人と言えるためには適切な時間管理は基本中の基本と言えますが、それでも時間管理が儘ならないという人は(急いでいるからと言って狭い了見で「あおり運転」をしてはいけないのと同様に)他人に迷惑をかけないようにエスカレーターではなく階段を利用するなどの分別、良識を期待したいところです。どのような社会を子供達の世代に残して行けるのか、先ずは身近なところから考えてみたいと心掛けています。
 
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さて、ハンディーキャップがある人のなかには、とりわけ芸術文化の分野で秀でた才覚を開花させる人が多く誕生し(この背景には江戸時代に目にハンディーキャップがある人達に対する幕府の社会福祉政策として「当道座」に所属している男性(検校、別当、勾当、座頭)や「瞽女座」に所属している女性が琵琶、三弦、筝等の職業の専有を許されていたことなどが挙げられます。)、例えば、近代筝曲の祖・八橋検校など日本の芸術文化史に欠くことができない著名人が輩出しています。....ということで、今日は津軽三味線の名人・高橋竹山(故人)の半生を描いたドキュメンタリー映画「津軽のカマリ」について備忘録を残しつつ、津軽三味線の源流となった越後瞽女にして無形重要文化財小林ハル(故人)や杉本シズ(故人)について少し触れておきたいと思います。因みに、映画「座頭市」は江戸時代に千葉県飯岡を縄張りにした侠客・飯岡助五郎の子分として実在した人物茨城県笠間出身の座頭の市)をモデルにしていますが、そのなかで津軽三味線の伴奏による津軽民謡「津軽じょんがら節」(演歌歌手・松村和子)が登場します(このシーンは松村和子の歌唱力が津軽じょんがら節の魅力を際立たせていることに加えて、1階の喧騒と対比された2階の静寂のなかで水の音(雨、水筒)、金属の音(刀の身)、木の音(刀の柄、柱)、座頭市が足で刻むリズム等によって座頭市が生きる「音の世界」(音が構築する多層で立体的な世界)が見事に描き出されている点で出色です)。また、TVシリーズ「座頭市物語」第23作では瞽女(女優・浅丘ルリ子)が登場します。なお、勝新太郎が主演した座頭市シリーズは海外での評価も高く、勝新太郎以降に別の俳優によるリメイク作品が数多く作られていますが、いずれも駄作続きで大変に残念です。
 
【題名】映画「津軽のカマリ」
【監督】大西功一
【撮影】大西功一
【出演】高橋竹山(初代)
    高橋竹山(二代目)
    高橋哲子(孫)
    西川洋子(最初の弟子)
    八戸竹清(弟子)
    高橋栄山(弟子)
    須藤雲栄(民謡歌手)
    高橋竹童(最後の内弟子) ほか
【感想】
「破れ単衣に、三味線抱けば、よされ、よされと、雪が降る・・・♩」の名フレーズで始まる演歌「風雪ながれ旅」(歌手:北島三郎、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)は、津軽三味線の名人・高橋竹山をモデルとして作詞されたものです。高橋定蔵(高橋竹山)は2歳のときに麻疹を患って失明し、生きるために東北地方や北海道で門付け(民家の門口に立って三味線を弾いては米などを貰うこと)をしながら放浪しますが、冒頭フレーズの僅か26文字で津軽の身を割くような厳しい冬や地吹雪と共に、高橋定蔵(高橋竹山)の壮絶な人生やその生き様までもが伝わってきます(映画「竹山ひとり旅」)。歌詞の中で登場する「よされ」とは東北民謡の囃し言葉に由来しますが、「世去れ」「余去れ」にも通じる語感から凶作の口減らしで「世を去れ」「余り者は去れ」という意味の方言として使われるようになり、やがて人の泣き声、雪が降る様子や三味線の音の擬声語や擬態語としても使われるようになりました。これを踏まえて改めて冒頭フレーズを見ると、高橋竹山の境遇と世間の世知辛さ(世去れ)とが相俟って非常に重々しく含蓄のある言葉として心を捉えます。 
 
津軽三味線 超高音質リマスターアルバム

津軽三味線 超高音質リマスターアルバム

 
津軽三味線は、岩木川の河原(青森県五所川原市金木町神原)に住む船頭・三太郎の息子・仁太郎(仁太坊)により生み出されました(映画「NITABOH」)。仁太郎(仁太坊)は、生まれて間もなく母を亡くし、さらに、8歳のときに天然痘を患って失明しますが、生きる術を身に着けるために越後瞽女・タマナに三味線の手解きを受けます。その後、11歳のときに父・三太郎が水難事故で亡くなったことから、日々の糧を得るために三味線で門付けをしながら身を立てる決意をします。仁太坊は、他のボサマ(青森県では門付けをしながら日々の糧を得る盲目の旅芸人のことを坊様=ボサマと呼んでいました)よりも目立つようにより大きな音で派手な技を求めるようになり、瞽女が使う細棹の三味線ではなく義太夫が使う太棹の三味線に持ち替えて撥を叩きつけるように弾く「叩き三味線」を生み出し、オリジナルの三味線芸を確立します(津軽三味線の原型)。やがて仁太坊の弟子で「曲弾き三味線」(超絶技巧を織り交ぜた三味線の独奏)を生み出した白川軍八郎の弟子(仁太坊の孫弟子)で演歌歌手・三橋美智也が「津軽三味線」と命名してリサイタルで三味線を演奏したことで全国へと広がります。なお、津軽三味線の源流となった越後瞽女は、静御前のように歌舞音曲を披露しながら各地を流浪する旅芸人であったことから「御前」(ごぜん)が訛って「瞽女」(ごぜ)と呼ばれるようになり、新潟県上超市で座元制(親方が家を構えて弟子を養女に入れ、複数の親方が集まって「座」を作り、そのうち修業年数の一番長い親方が座元となって座に所属する瞽女を統率する仕組み。親方は弟子を養女に入れることで一生同じ家(世襲型)で生活するのが特徴。)を中心にして組織された「高田瞽女映画「ふみ子の海」)や、新潟県長岡市で家元制(大親方が瞽女屋を構えて、そこで修行して免許を受けた親方が各地で弟子をとって「組」を作り組に所属する瞽女を統率する仕組み。大親方から免許を受ければ独立(のれん分け型)して弟子をとるのが特徴。)を中心にして組織された「長岡瞽女映画「瞽女GOZE」2020年春公開予定)が注目されるようになります。瞽女には厳しい掟があり、その中で最も重い罪とされたのは男性と関係を持つことで、この罪を犯した瞽女は仲間から離れて「はなれ瞽女映画「はなれ瞽女おりん」)として一人で生きていかなければなりませんでした。仁太坊が三味線の手解きを受けた越後瞽女・タマナには娘がいたと言われていますので、はなれ瞽女であった可能性があります。維新後の近代化、戦後の高度経済成長やマスメディアの発達等を契機として越後瞽女を支えていた社会体制が崩壊又は大きく変容したことで瞽女は廃業を余儀なくされますが、1955年(昭和30年)にウィーン国立音楽大学教授にして古楽奏者の草分け的な存在であるエータ・ハーリヒ=シュナイダー(チェンバロ奏者)が高田瞽女・杉本キクイの瞽女唄を聴いて「雅楽奏者は現代人なので古典音楽の精神が伝わって来ないが、高田瞽女瞽女唄と同じように古い生活を守っている」と感激したという逸話が残され、1970年(昭和45年)に高田瞽女・杉本キクイは国の無形文化財に指定されます。また、1987年(昭和53年)に長岡瞽女小林ハルも国の無形文化財に指定されますが、当時、オペラ歌手を目指していた竹下玲子は小林ハル瞽女唄を聞いて弟子入りを決意しています。現在、高田瞽女瞽女唄は小竹勇生山小竹栄子月岡祐紀子等が伝承し、また、長岡瞽女瞽女唄は竹下玲子萱森直子金川真美子等が伝承しています。作家・三島由紀夫の言葉を借りれば、文化とは「血みどろの母胎の生命や生殖行為」(「文化防衛論」より)から生み出される生々しく残酷な側面を持つものであって、決して現代の教養主義で持て囃されている一切の血生臭いものを抜き去った剥製のようなものではないことを、小林ハル高橋竹山の生涯やそれを体現する音楽が思い出させてくれます。
 
鋼の女 最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫)

鋼の女 最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫)

 
「泣きの十六、短かい指に、息を吹きかけ、越えてきた・・・♩」演歌「風雪ながれ旅」より)と歌われていますが、高橋定蔵(高橋竹山)は16~17歳頃からボサマとして門付けをしながら東北地方や北海道を放浪し、1933年(昭和8年)に三陸海岸を巡業していたときに昭和三陸地震(規模:M8.1、津波:海抜28.7m)で被災して高橋定蔵(高橋竹山)が宿泊していた宿が津波で全壊するなか命からがら裏山へ避難して一命をとりとめます。このときに津波対策として築かれた潮防堤は1960年(昭和35年)のチリ地震で威力を発揮しますが、2011年(平成23年)の東日本大震災津波が潮防堤を超える映像なので閲覧注意)では津波を食い止めることができずに甚大な被害が発生したことは未だ記憶に新しいところです。その後、高橋定蔵(高橋竹山)は津軽民謡の大家・成田雲竹の伴奏を務めて名声を博し(高橋竹山と改名)、やがて津軽三味線の独奏者としての地位を確立して日本だけではなく海外でも高い評価を受けるようになりますが(「彼の音楽は、まるで霊魂探知機でもあるかのように、我々の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」(ニューヨークタイムズ評))、高橋竹山が奏でる津軽三味線からはオイストラフが奏でるヴァイオリンを彷彿とさせるような揺るぎない大きな音楽が聴こえてきます。1998(平成10年)に高橋竹山は87歳の生涯を終えますが、現在、その後進として二代目高橋竹山西川竹苑高橋栄山高橋竹味八戸竹清高橋竹音高橋竹子高橋竹大高橋竹童等が活躍し、また、その孫・高橋哲子津軽民謡の歌手として活動しています。
 

正調民謡の店 甚太古】(2019年12月30日閉店予定)

囲炉裏のあるお座敷で青森の雪景と絶品の郷土料理を楽しみながら、高橋竹山の最初の弟子・西川洋子(竹宛)さんによる三味線の生演奏が聴ける店(青森県青森市安方1丁目6−16) 

 
「音の出るもの、何でも好きで、カモメ啼く声、ききながら・・・♩」演歌「風雪ながれ旅」より)と歌われていますが、生前に高橋竹山が「津軽のカマリ(匂い)がわきでるような音をだしたい」と語っていたことが映画「津軽のカマリ」のタイトルになっています。この映画の中で高橋竹山が山野を巡り津軽の自然に耳を傾けていたことを二代目高橋竹山が回想するシーンが登場しますが、「津軽のカマリ(匂い)」とは高橋竹山が全身で感じていた津軽の自然(心象風景)のことを意味し、そこから得られるインスピレーションが高橋竹山津軽三味線)の独特の音楽性を育む重要な源泉になっていたことを伺わせるエピソードとして紹介されています。上述のとおり津軽三味線は目にハンディーキャップを負った人の芸能として誕生していることから基本的に楽譜を使用せず、師匠から弟子へと口頭又は実演により伝承され、それ故に一定の決められたフレーズ以外は演奏者のインスピレーションで自由に変化させ又は即興しながら演奏するスタイルが採られ(ソウルフルな音楽)、同じ楽曲でも演奏者により又は演奏する都度にその構成や内容が異なり(楽譜に縛られない音楽)、それが津軽三味線の大きな魅力の1つ(再現性よりも即興性)となっています。その意味では津軽三味線はジャズに近い演奏スタイルと言え、近年では津軽三味線とジャズ等とのコラボレーションも盛んに行われています。しかし、このように表現可能性が広がっている一方で、現代は高速移動手段の発達、マスメディアやインターネットの普及、経済の成長とグローバル化等を背景として社会の規格化・均質化が進み(効率的で平等な社会の到来)、その結果としてローカル性(独自性)や時代のムラ(多様性)のようなものが損なわれ、「津軽のカマリ(匂い)」のような独特の個性や質感等が生まれ難い環境になってしまったことは非常に残念です。尤も、このような近代合理主義の副作用を嘆いていても始まりませんので、現状の良い面を肯定的に捉えれば、2002年から義務教育で和楽器を使用した伝統音楽の教育が開始され(これに伴って邦楽コンクールも開催されるようになり)、また、表現スタイルが多様化し、和楽器の改良や新しい和楽器の開発等が活発に行われていること(動物愛護への対応を含む)などを背景として、様々な和楽器ユニットが注目され、そこで模索される新しい音楽や表現スタイル(創意工夫から創造されるオリジナリティ)の可能性に期待が集まるなか、それを契機として伝統音楽への関心(温故知新から発見されるオリジナリティ)も徐々に高まりつつある状況は歓迎すべきことであり、今後も若い世代による意欲的な活動を応援していきたいと頼もしく感じています。
 
【参考】伝統音楽の失われた100年とその復興

(1)文明開花と文化主義による欧化政策

「音樂取調成績申報書」(1884年、音楽取調掛から文部卿へ提出)より抜粋
本邦俗曲ハ古来識者ノ為ニ放擲セラレ擧ケテ之ヲ無学ノ輩ノ手ニ委スルヨリ音樂ノ本旨ニ悖人事至底ノ用途ニ歸シ随テ野卑ニ流レ其歌曲ノ成立ハ今日最モ下流ノ極ニ達セリ是ヲ以テ其弊害勝テ言フベカラザルモノアリ試ニ其一二ヲ述ベンニ俗曲ノ淫奔猥褻ナルハ風教ノ酖毒ヲ為ス是其一也,俗曲ノ旋律淫風ヲ極ムルハ士人ノ趣味ヲ淫俟ニ導キ爲メニ雅正善良ナル音樂ノ振興ヲ妨害スル是其二也,俗曲ノ淫邪ナルハ誘惑ノ途ヲ開キ徳教ノ涵養ヲ妨害スル是其三也,外交日新ニ際シ彼此ノ文物相融通スルノ今日ニ在テナホ此ノ如キ音曲ノ盛ニ行ハルヽハ國家ノ体面ヲ毀損スル是其四也
☞ 音楽取調掛による日本音楽の分類: 雅楽天皇、寺社、武士が嗜む音楽(雅楽、声明、普化尺八等の宗教音楽、能楽、筑紫筝、薩摩琵琶等の教養音楽)、俗楽:庶民が嗜む音楽(箏曲長唄、三味線、浄瑠璃、民謡、流行歌、童謡等の大衆音楽) 、淫楽:俗楽のうち三味線、浄瑠璃など男女の色恋沙汰を歌う音楽。 
☞ 「俗曲」の例:江戸端唄「梅は咲いたか」は江戸時代に流行した俗謡で花柳界の芸妓達を季節の花や貝に喩えて浮名を流す客の浮気心を三味線の伴奏に乗せて艶っぽく歌うお座敷唄。季節の花や貝を隠語として男女関係の機微を匂わす小粋な歌詞や色香などを「淫奔猥褻」「淫風」「淫邪」と形容。 

「音樂利害」(1891年、神津專三郎著)より抜粋
樂記ニ鄭衛ノ音ハ亂世ノ音ナリ,桑間,濮上ノ音ハ亡國ノ音ナリトハ,淫聲ニ世ヲ亂シ,國ヲ亡スノ理アルヲイヘリ,今ノ妓樂,三線浄瑠璃ハ,遙ニ古ヘノ鄭衛,桑間,濮上ノ淫聲ニ過クベシ
☞ 「鄭衛」「桑間」「濮上」:春秋時代の中国の国名又は地名で、これらの国又は地域では儒教が理想とする礼の音楽ではなく男女の出会いなどを扱った謡が流行(「桑間濮上之音、亡國之音也」(礼記))。
☞ 「淫聲」:性行為のときに発する声
<文明開化に対する明治時代の文化人の批評>
夏目漱石は、文明開化の危さを「日本の現代の開化は外発的である」と看破したうえで「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」と批判し(「現代日本の開花」より)、「伝統音楽の失われた100年」とでも形容すべき悲劇を予見。 
<文化主義に対する昭和時代の文化人の批評>
三島由紀夫は、文化主義の危さを「市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧すること」と看破したうえで「文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向」と批判し、「近松西鶴芭蕉もいない昭和元禄」を「華美な風俗」ばかりが氾濫する「見せかけの文化尊重」だと悲観(「文化防衛論」より)。

「動物愛護及び管理に関する法律」(1999年、改正法)より抜粋
第44条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。(中略)
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
 一 牛、、豚、めん羊、山羊、、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
☞ 三味線の胴に張ってある皮:野良猫の皮(細棹三味線、中棹三味線)、野良犬の皮(太棹三味線)の皮。
☞ 大鼓、小鼓に張ってある皮:馬の皮。
☞ 改正法の付帯決議:日本の伝統芸能に係る三味線等の製造に支障をきたさないよう、伝統文化の保護の行政とも連携して、都道府県等に引き取られ殺処分に付されている犬及びねこの活用などにおいて適切な配慮がなされるよう措置すること。(但し、現在では保健所で殺処分された野良猫や野良犬の皮の使用も中止。) 
<動物愛護政策に対する平成時代の文化人の批評>
永六輔は、動物愛護法改正を受けて「古典芸能は、みんな三味線を使うじゃないですか。プラスチックで作ると、全然音が違う。日本の伝統芸能を守るためには、どうしても猫の皮が必要」と必要性を説いたうえで、「保健所が処分する野良猫は相当数にのぼっているのだから、矛盾」と許容性に関する問題を提起し、「僕は、「伝統芸能にかかわる三味線、太鼓、鼓など楽器の製造に使う場合は、これに当てはまらない」という付則をつけなさい、という運動をしています」と自らの立場を表明(「WEBサイト」より)。
☞ 現在は楽器に使用する皮の殆どを輸入に頼るか又は(音色は落ちますが)合成皮が使用されているのが実態。最近ではエレキ三味線など新しい表現スタイルに適した楽器の改良と併せてエレクトリック三味線など動物愛護に配慮した新しい楽器の開発も活発。その一方で、三味線の年間製造数は18,000棹(1970年)から3,400棹(2017年)まで落ち込み(全邦連)、三味線の製造技術の伝承が危機的な状況。


(2)グローバル化によるアイデンティティの回復

「教育課程審議会答申」(1998年7月29日)より抜粋
中学(音楽) 我が国の伝統的な音楽文化の良さに気付き、尊重しようとする態度を育成する観点から、和楽器などを活用した表現や鑑賞の活動を通して、我が国や郷土の伝統音楽を体験できるようにする。
☞ これを契機にして邦楽コンクールが開催されるようになり若い邦楽演奏者を育成する気運。それに伴って和楽器ユニットの活躍が活発化し、その活動が注目されるなど邦楽ブームの兆し。
 
【資料】
津軽三味線の系譜 ※以下の画像をクリックすると拡大表示
 
津軽三味線にゆかりの地(CDを片手に史跡を巡る音楽の旅) 
信濃追分 高田瞽女 長岡瞽女
碓氷関所跡碓氷峠の入り口にある安中藩の碓氷関所跡(群馬県安中市松井田町横川573)で、日本で最初のマラソン大会である安中藩の「遠足」を題材とした映画「サムライマラソン」の舞台。碓氷峠は片峠で上野国から信濃国へ向かう中山道は上り坂のみで、軽井沢バス転落事故の現場(長野県北佐久郡軽井沢町1045−1)。 信濃追分発祥の地碑碓氷峠を越えた追分宿跡(分去れ長野県北佐久郡軽井沢町大字追分559)の左方が中山道(至、滋賀県)、右方が北國街道(至、新潟県)、後方が中山道(至、東京都))にある信濃追分発祥の地碑(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分1155−8)。碓氷峠を越える際に唄われた馬子唄が信濃追分節で、越後瞽女により津軽に伝わって津軽三味線を発祥する契機となっています。追分宿跡には枡形の茶屋と呼ばれる「つがるや」(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分568)の歴史的建造物(ほぼ原型のまま現存)等があり。なお、左方の中山道方面へ行くと信州味噌(安養寺味噌)発祥の地である安養寺長野県佐久市安原1687)があり、安養寺味噌(信州味噌)で作った安養寺ラーメン麺匠文蔵本店)が名物。 高田瞽女・杉本シズの墓/善念寺(新潟県上越市東本町3-2-51 には、高田瞽女の墓が安置されています。高田瞽女は弟子を養子にして相伝されたので、同じ墓に杉本シズの師匠・杉本キクイ(無形文化財)を含む高田瞽女の先代3名の菩提も弔われています。  瞽女ミュージアム高田/善念寺の近くにある瞽女ミュージアム高田(新潟県上越市東本町1-2-33)では、高田瞽女の文化を保存し、現代に伝えています。2020年春に映画「瞽女GOZE」の公開も予定されています。 長岡瞽女・小林ハル(無形文化財)の墓小林ハルさんが晩年を過ごした胎内やすらぎの家(新潟県胎内市熱田坂881−86)を背にして胎内フィッシングセンターを右手に見ながら道沿いに進むと左手の私設の墓地に小林ハルさんの墓があります(地図)。また、胎内やすらぎの家の敷地内には瞽女顕彰碑が建立されています。また、小林ハルさんの生涯を描いた映画「瞽女GOZE」が2020年春に公開予定であり、さらに、瞽女唄ネットワークが長岡瞽女唄を保存し、その伝承を支援するための取組みを行っています。
津軽三味線
仁太坊之里碑青森県五所川原市金木町神原の出身で、はぐれ越後瞽女の後に付いて三味線を学んで津軽三味線創始者した仁太坊(本名、秋元仁太郎・1857年(安政4年)~1928年(昭和3年)の生誕地で、津軽三味線発祥の地(青森県五所川原市金木町神原桜元29)になります。この近くには津軽三味線会館青森県五所川原市金木町朝日山189-3)があり、その向かいには同地が生誕地である太宰治のミュージアムがあります(映画「太宰治」が現在公開中)。 仁太坊生誕150周年記念碑/仁太坊生誕150周年祈念碑(青森県五所川原市金木町神原小泉126ー77)。仁太坊ははぐれ越後瞽女に影響を受けながら津軽三味線に特徴である「叩き奏法」を編み出します。 津軽三味線発祥之地碑文豪・太宰治青森県五所川原市金木町の出身で、津軽三味線発祥之地碑(青森県五所川原市金木町芦野234−219)がある芦野公園には太宰治の銅像もあります。 三味線塚津軽三味線の祖・仁太坊を顕彰した三味線塚(青森県五所川原市金木町川倉七夕野426−1)です。現在、津軽三味線の名人・高橋竹山の半生を描いた映画「津軽のマガリ」が上映されています。
高橋竹山顕彰碑津軽三味線の名人・高橋竹山青森県平内町小湊の出身で、平内町歴史民俗資料館(青森県弘前市西茂森1-23-8)には高橋竹山顕彰碑が建立されています。現在、高橋竹山の半生を描いた映画「津軽のカマリ」が公開されていますが、その音楽(演奏)の“凄さ”に圧倒されます。なお、現在、民族資料館では「初代高橋竹山資料展示」が行われ、実際に高橋竹山が使用されていた三味線や尺八等が展示されています。
 
【おまけ】
♬ 映画「津軽のカマリ」(津軽三味線高橋竹山
映画の予告編に収録されている高橋竹山の演奏を一聴すれば、(ジャンルを問わず)音楽を好むものであれば、その音楽(演奏)の“凄さ”に圧倒されるはずです。いくつか音源が残されているとは言え、高橋竹山の生演奏に触れる機会に一度も恵まれなかった不遇が心から悔やまれてなりません。
 
♬ 映画「瞽女GOZE」(2020年春公開予定)
2005年(平成17年)に105歳の生涯を閉じた最後の瞽女小林ハル無形文化財)の生涯を描いた伝記映画です。なかでも小林ハルの子供時代を演じた川北のんの熱演には目を見張るものがあり、その迫真の演技によって小林ハルの壮絶な人生をまざまざと突き付けられているようで打ちのめされます。
 
♬ 映画「海山 たけのおと」(都山流尺八:ジョン・海山・ネプチューン
尺八に人生を捧げたジョン・海山・ネプチューン(カリフォルニア出身、千葉県鴨川市在住)を題材としたドキュメンタリー映画「海山 たけのおと」が公開中です。1977年に都山流尺八の師範免許を取得して「海山」の号を受け、1980年にはアルバム「BAMBOO」が文化庁芸術祭優秀賞を受賞しています。

 

映画「レディ・マエストロ」

元号が令和に改まってから最初の更新となります。さて、何やら日本音楽コンクールが滑稽なことになっているようなので、少し触れておきたいと思います。基本的にコンクールの運営方針はコンクールの主催者の自由に委ねられるべき問題ではありますが、日本音楽コンクールに限っては国営放送である日本放送協会が主催者の1社となっており、その公共的な性格から国民(かつ、受信料を納める契約者)の立場として簡単に個人的な所感を述べてみたいと思います。先日、日本現代音楽協会が日本音楽コンクール事務局に対して日本音楽コンクール作曲部門の運営方針に関する抗議を行い、それに対して日本音楽コンクール事務局が木で鼻を括ったような回答を返送したことから再度の抗議再々度の抗議に発展しているようです。2018年3月6日付毎日新聞東京版夕刊の8面に「日本音楽コンクール 作曲部門を大改革」と題する記事が掲載されていますが、その記事では以下の3点の理由から日本音楽コンクール作曲部門の第1予選及び第2予選だけでなく本選会についても従来の公開演奏審査を中止して譜面審査のみに改めるという趣旨のことが掲載されています(以下、2018年3月6日付毎日新聞東京版夕刊の8面より要旨抜粋)。
 
①本選の演奏において譜面通りに演奏されないことが起こり得る。
②譜面審査の点数と、演奏を聴いての点数に開きが出る場合がある。
③作曲部門の本選に残った作品を全曲演奏すると、指揮者、オーケストラや演奏団体の起用、パート譜の作成等、膨大な費用がかかる。
 
この点、上記③のみが理由として掲載されていれば、敢えて、この話題を採り上げるつもりはありませんでしたが、上記①及び上記②を主要な理由として掲載しており(名目上は審査の公平性を担保するということのようですが)、その内容にあまり合理性が感じられませんでしたので異論を挟みたくなりました。言うまでもないことですが、「音」にして表現することを前提とする音楽は実際に響いている「音」(無音を含む)がすべてのはずで、実際に「音」にすることなく譜面のみで審査することは、例えれば、実際に料理を試食することなく、そのレシピだけを見て料理の良し悪しを論評しているような不誠実さが感じられます。作曲家は初演時に演奏者と協力しながらどのように「音」にして表現することができるのかを問われており、それによって作品の評価が定まるのであって、どんなに優れている作品でもそれを実際に「音」にして表現することできなければ「画餅」でしかなく音楽的な価値を見出すことはできません。本選会ではプロの演奏家に演奏を依頼し、作曲家はその演奏能力の限界(「現実」)も踏まえながらどのように自らの創作意欲(「理想」)に叶う作品として仕上げることができるのか、リハーサル等を通じて実際に「音」にして表現することができるのかという技量(作曲家と演奏家が分業された時代から不可避的に内在する課題)も問われるべきであって、(芸術家に限らず全ての職業に共通して)それが他人からお金を頂戴するプロとして求められる責任(資質)だと思います。上記の新聞記事には「ある応募作品に譜面審査で低い評価をした審査員が、当該曲が本選で演奏された際の審査では高い点数をつけ(その逆もある)、評価点数に予選と本選で極端な違いの生じることがあった。」と掲載していますが、このことは審査員が譜面審査のみでは作品の魅力(真価)に十分に気付き得ない虞があり公開演奏審査等を経て初めて作品の魅力(真価)に気付くことがあり得るということの証左であって、寧ろ、譜面審査だけではなく公開演奏審査も実施して多面的かつ慎重に作品を評価する必要性が高いと言うべきではないかと思います。また、(これもまた芸術家に限らず全ての職業に共通して)社会的な分業体制を前提としてどのように「理想」と「現実」の間に生じるギャップに折り合いをつけながら作品(商品やサービス)の質を高めていけるのかという次元で勝負し、評価されているのであって、寧ろ、上記の新聞記事のように「理想」と「現実」の間にギャップを生じる可能性があるのであれば、作品の再現性に濃淡があり、また、作品が作曲家と初演者の手を離れて行くとしても、それが「音」にして表現することを前提としているものである限り、作曲家が演奏家と協力しながら実際に「音」にして表現するプロセスも評価の対象から除外すべきではなく、安易に流されて、実際に「音」(無音を含む)にすることなく譜面のみで審査して順位(一種の社会的信用を生む効果)を付けてしまう姿勢は無責任の誹りを免れないのではないかという憂慮を覚えます。なお、(上記のとおり実際に「音」にして表現するプロセスも評価の対象から除外すべきではないと思いますが)もし上記③のコスト面の問題が大きいのであれば、例えば、現代音楽の演奏困難性を克服し、かつ、コストを抑制する観点からは、次善の対応として、コンピュータを利用した公開演奏審査の併用等を検討しても良いのではないかと思います。いずれにしても日本音楽コンクール事務局は主催者の1社に国営放送である日本放送協会が含まれている点を踏まえれば、もう少し真摯な姿勢で十分な議論と説明責任を尽くす社会的な責任があるのではないかと思います。
 
人類は近代合理主義の大いなる恩恵を享受すると共に、その大いなる代償も支払わされてきたことを忘れてはいけないと思います。「無駄を省くこと」(≒ その人にとって苦しいこと)と「手間を惜しむこと」(≒ その人にとって楽なこと)は似て非なるもので、人間は「手間を惜しむ」ために「無駄を省く」という尤もらしい口実を挙げて大きなロスを招くという失敗を繰り返してきた苦い歴史があります。今年で34年目を迎えますが、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故(ボーイング747)もその大きな代償の1つで航空機の単独事故としては史上最多の犠牲者を数えましたが(飛行機事故をリアルに感じ、空の安全に関心を持てるように再現映像を紹介します。)、未だ人類にとって「過去」のことにはなっていません(注)。その後も大小様々な航空機事故が後を絶たず、つい最近も、2018年10月29日にライオン・エア610便墜落事故(ボーイング737MAX)及び2019年3月10日にエチオピア航空302便墜落事故(ボーイング737MAX)が発生したことは記憶に新しく、この事故によって数多くの方が犠牲になられています(飛行機事故をリアルに感じ、空の安全に関心を持てるように再現映像を紹介します。)。衷心より犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。現在、事故原因を調査中ですが、いずれの事故もオートパイロット・システム「MCAS(エムキャス)」(航空機の機首が上がり過ぎると前方への推進力を失って墜落するので、自動的に航空機の抑角を検知して前方への推進力を失わないように機首を下げるシステム)の誤作動による可能性が高いのではないかと言われています。この背景には、航空機のランニングコスト(燃費や保守費等)を抑制するために、エンジンを3基又は4基から2基に減らしてその分をエンジンの大型化で補うようになったことで、エンジンを翼の下に設置することが難しくなり翼の前に設置するように設計変更されました。しかし、これによって航空機の機首が上がり易くなってしまったことから、その不都合を解消するために開発されたのがオートパイロット・システム「MCAS(エムキャス)」です。エアバス社(仏国)との航空機の開発・販売競争を背景として、ボーイング社(米国)が経済性を優先するあまり無理な開発を続けたことにより発生した事故である可能性が指摘されています。現在も、日本航空123便墜落事故の犠牲者のご家族が中心となり「8・12連絡会」(旧ホームページ)や「いのちを織る会」等が空の安全を含む安心・安全な社会の実現に向けた活動を続けられており、また、日本航空でも日本航空123便墜落事故を風化させずにその教訓を空の安全に活かすための継続的な取組みとして安全啓発センター(羽田)を開設して一般に公開しています(注)。秋は祝日が多いので、子供たちを連れて昇魂之碑への慰霊登山(以下に写真で紹介するとおり駐車場から昇魂之碑までは800Mで登山道が整備されていますので登山装備は必要なく普段着で十分です。)や安全啓発センター(羽田)の見学に出掛けられてみてはいかがでしょうか。とりわけ御巣鷹の尾根には犠牲者の墓碑が建てられ、ご家族や親類、友人の方々の切ない想いが詰った特別な場所であり、その真心に触れるだけで何か得るものがあるのではないかと思います。また、この周辺は自然豊かな観光地でもありますので、子供たちを伸び伸びと遊ばせるのにもお勧めです。なお、日本航空123便墜落事故の犠牲者のご家族が「パパの柿の木」という絵本を出版されており、子供たちが日本航空123便墜落事故を理解し、そこから何かを学び取るための教材として最適です。
 
①昇魂之碑(御巣鷹の尾根)群馬県多野郡上野村楢原323−8
慰霊の園群馬県多野郡上野村楢原2218
③祈りの碑長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1046-5
【①昇魂之碑駐車場(御巣鷹山の登山道入口)】
楢原郵便局から昇魂之碑駐車場までは神流川沿いの舗装道を南下して車で約20分。昇魂之碑駐車場から昇魂之碑までは徒歩で約800m。御巣鷹山の登山道が整備されていますので、緩やかに続く階段をゆっくり登って片道20分程度です。
【①すげの沢のささやき】
当時、米国・国家運輸安全委員会委員長・ジム・バーネット氏の言葉がすげの沢のささやきとして刻まれています。昭和から平成、令和へと時代は移ろいますが、この言葉は決して事故のことを風化させてはいけないという思いを強くします。"It is my hope that the memories of those who died on that mountain side and every other crush site across seven continents will forever water our efforts to prevent these things from happening."
【①昇魂之碑】
昇魂之碑の裏側にある救助活動の起点(墜落地点)となったバツ岩、昇魂之碑の表側にあるバツ岩と向かい合う位置にある峰に日本航空123便の機体後部が接触したU字溝が未だに当時の傷跡を残しています。また、バツ岩の裏側には操縦士3名の墓があります。バツ岩の近くにある沈黙の木は事故の爪痕を現代に残し、その周辺には御巣鷹茜観音と慰霊碑遺品埋設場所などがあります。このような事故を繰り返さないためにも、決して事故のことを風化させてはならないと思います。
【①すげの沢】
この場所で4名の生存者の方が発見されています。なお、御巣鷹の尾根には犠牲者の方が発見された場所にその方の墓碑が建立されていますが、その場所はご家族の方の想いが詰められたご家族のための特別な場所であり、また、ご家族の方は新しい生活を営まれていますので、そのプライバシーに最大限配慮する趣旨から、敢えて、その墓碑の写真は掲載しておりません。なお、すべての犠牲者の墓碑をゆっくり歩いて巡ると一周約1時間30分です。
【②慰霊の園
慰霊の園には両手で合掌している形を象ったモニュメントが建てられていますが、合掌の隙間から直線で約10kmの先に昇魂之碑があります。当時の救出活動の記録等が展示されている資料館もありますので、こちらにも立ち寄られることをお勧め致します。現在も続く地元の方々の献身的なご努力には頭が下がります。
【③祈りの碑】
昇魂之碑の近くに軽井沢スキーバス転落事故の現場があり、そこに軽井沢スキーバス転落事故JR福知山線脱線事故笹子トンネル天井板落下事故の犠牲者のご家族らが事故の風化防止と交通安全を願って祈りの碑を建立されています。なお、JR福知山線脱線事故では日本航空123便墜落事故で御尊父を亡くされた歯科医師の方が検視で協力され、その実話が「尾根のかなたに~父と息子の日航機墜落事故」というドラマになっています。また、笹子トンネル天井板落下事故の犠牲者のご家族による悲痛な訴えがあります。著作権の使用許諾を得ているのだろうと思いますが、その前提で、この訴えは重く受け止めなければならないと思いますのでリンクしておきます(注)。
(注)安全啓発センター(羽田)は、2005年に日本航空国土交通省から重大インシデントの発生に対する業務改善命令を受けたことを契機として設置され、既に約24万人超の方が見学に見えられているそうなので関心の高さが伺えます。僕が安全啓発センター(羽田)を見学した際に応対して下さった日本航空の社員の方は日本航空350便墜落事故(1982年及び日本航空123便墜落事故(1985年)が発生した当時に羽田空港で旅客サービスを担当されていた方でしたが、現在、日本航空の社員の約95%が日本航空123便墜落事故後に入社した社員で占められているそうなので、当時のことを知る数少ない社員による非常に貴重な証言(体験)を伺うことができ、この事故をどのように事故後に入社した社員に伝えて教訓として活かして行くことができるのかに心を砕かれている姿勢がよく分かりました。その一方で、2018年10月28日、日本航空の副操縦士がロンドン・ヒースロー空港で基準値を超えるアルコールが検知されて逮捕されるという事件が発生しており、日本航空アンカレッジ墜落事故(1977年の教訓(この事故を契機として操縦士のアルコール検査を開始)が十分に活かさていないと言わざるを得ず、今後、日本航空は安全・安心の取組みをどのように実質化して信頼回復できるのか深刻な問題を抱えていますパイロットの飲酒は時差やストレスなど色々な理由があるようですが、どのような事情があるとしても翌日にフライト予定があることを知りながら飲酒してしまうのは、その時点でパイロットとしての適性や資質(体質を含む)に欠けていると言わざるを得ません。感傷的な態度で根拠なく人間を信頼するばかりではなく、謙虚な姿勢で人間の限界(脆弱性)を見極めて「脱」人間的な対策とその対策の信頼性を高めて行く取組みにも期待したいです(談志の名言)。
 
-->ここから本題
 
【題名】映画「レディ・マエストロ」(原題:De dirigen/The conductor)
【監督】マリア・ペーテルス
【脚本】マリア・ペーテルス
【撮影】ロルフ・デケンズ
【演奏】バス・ヴィーヘルズ指揮/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
【出演】<アントニア・ブリコ>クリスタン・デ・ブラーン
    <フランク・トムセン>ベンジャミン・ウェインライト
    <ロビン>スコット・ターナー・スコフィールド
    <メンデルベルク>ハイス・ショールテン・ヴァン・アシャット
    <コンサートマスター>ピーター・バーシャム ほか
【感想】
丁度、若手指揮者の登竜門である第56回ブサンソン国際指揮者コンクールで沖澤のどかさんが優勝したというニュースが飛び込んできましたが、今日は女性指揮者のパイオニアであるアントニア・ブリコの半生を描いた映画「レディ・マエストロ」の簡単な備忘録(但し、この映画は公開されたばかりなので内容に触れることは控えます。)を残しておきたいと思います。先日、小泉進次郎氏の育休取得宣言が話題になりましたが、現代はジェット旅客機やマスメディアの普及によって急速にグローバル化が進展したことで文化の地域的な独自性が損なわれ文化の均質化が顕著になる一方で、インターネットの普及に伴って標準化の時代(近代)から個別化の時代(現代)へと変化し、徐々に地域の格差や男女の性差等(カテゴリー)から個人の個性等(ユニーク)が重視されるようになり、人々の意識、社会の制度や技術の革新等から男性だけではなく女性も自分らしいやり方で社会進出し易い環境が整いつつあります。しかし、未だ家事・育児の負担率は女性の方が高いというデータも存在しており(夫婦共働きのデータを見ても同じ傾向を示しており)、また、2019年7月にアメリカ・バークレー市議会で性差別的な表現として「マンホール(man+hole)」を「メンテナンスホール(maintenance+hole)」、「マンパワーman+powar)」を「ヒューマンエフォート(human+effort)」等に改める条例が制定されるなど、依然として社会(とりわけ文化)の中に男女の性差別的な因習等が残っていることも現実です(尤も、皇室典範の改正論議など、あらゆる分野について男女の性差をなくすことについては社会的な議論がありますが、ここでは深入りしません。)。アントニア・ブリコが活躍した1900年代の前半は歴史的及び社会的に女性差別的な風潮が色濃く(完全な女性参政権が認められたのは、アメリカでは1920年、イギリスでは1928年、日本では1945年。映画「未来を花束にして」)、女性が社会進出することに対する社会的な理解(同性である女性からの理解を含む)がなく、また、女性が社会進出するにあたっては男性的なやり方しか受け入れられないなど、非常に厳しい社会環境にありました。この映画に描かれているアントニア・ブリコの逆境(但し、個人的な家庭環境の問題を除く。)は、女性指揮者のパイオニアとしてのアントニア・ブリコに特有の問題ではなく、現代でも直面し得る問題(女性だけではなく男性にも当て嵌まるもの)が多く描かれていますが、上述のとおり当時の社会環境を踏まえれば、アントニア・ブリコは非常に強い社会的なストレス(不条理)を感じていたと思われ、強靭な意志力がなければそれらに抗って乗り越えて行くことは困難であったことは想像に難くありません。ご案内のとおりクラシック音楽キリスト教音楽として発展してきた歴史的な経緯がありますが、キリスト教会ではイブ(女性)が蛇にそそのかされて禁断の果実を食べ、それをアダム(男性)に分け与えたことから女性は男性に比べて罪深く、また、月に一度不浄な血を流すと考えられていたことからキリスト教会への立ち入りを禁止され、又はキリスト教会で歌うことを禁じられていた時期がありましたので(第一コリント14章34~35「婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼女らは語ることが許されていない。だから律法も命じているように服従すべきである。/もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは婦人にとって恥ずべきことである。」)、キリスト教会では男性のみが歌うことが伝統となり、ソプラノパートを歌う男性歌手としてカストラートボーイ・ソプラノ)も誕生しました(映画「カストラート」)。このような歴史的な経緯によってクラシック音楽界では伝統的に男性優位の状態が続くことになりましたが、1900年代の後半になって漸くオーケストラの演奏者として女性が採用されるようになります(ザビーネ・マイヤー事件)。しかし、上述のような歴史的な経緯から指導的な役割を担う指揮者や作曲家への女性の進出は社会的に認められず(指揮者や作曲家に必要な体力、空間把握力や論理的思考力等は女性に比べて男性が優位しているという理由を挙げるものもありますが、これらは女性を排除するための後付けの理屈)、被指導的な役割を担う演奏者のみに女性の進出が認められてきました。例えば、今年で生誕200年を迎えたクララ・シューマンは作曲を得意としていましたが(クララ・シューマンの作品はフランツ・リストロベルト・シューマンに高く評価され、ピアノ曲等に編曲されています。)、当時は女性の作品というだけで社会的に正当な評価を受けられず、37歳のときに作曲家からピアニストへと転向して成功しています(映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」)。映画「レディ・マエストロ」では音楽家を志し胸にコルセットを付けて男装している女性・ロビンが登場しますが、当時は音楽界に限らず文学界でも同様の状況があり、ショパンの恋人であったジョルジュ・サンドも男性名で文学作品を発表していました(映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」)。
 
女性作曲家列伝 (平凡社選書 (189))

女性作曲家列伝 (平凡社選書 (189))

 
性別に関係なく人間には様々なタイプがいますので紋切型に性差で論じることはナンセンスですが、一つの特徴的な傾向として捉えれば、一般的に、男性は「システム脳」(論理力に優れ、問題解決型思考)、女性は「共感脳」(観察力に優れ、共感形成型思考)が多いと言われています。この点、なでしこジャパンの元監督・佐々木則夫さんは男性の選手には戦術的なアドバイス(問題解決型)が有効であるのに対し、女性の選手には戦術的なアドバイスよりもその選手を必要とし期待しているというメッセージを送ること(共感形成型)の方が有効だと語っています。また、企業でも男性管理職はリーダーシップを発揮したがるタイプが多いのに対し、女性管理職は「リード(独奏)」ではなく「フォロー(伴奏)」に重点を置いて強力なリーダーシップではなく共感形成を通じて組織をまとめあげて行くタイプが多いと言われています。女性指揮者・三ツ橋敬子さんが何かのインタビューに答えているのを読んだことがありますが、現代では昔のようにカリスマ性で楽団員をグイグイと引っ張って行くタイプ(上命下達)の指揮者は持て囃されず、楽団員と対話を重ねながらその意向を汲み上げて楽団のポテンシャルを引き出して行くタイプ(下意上達)が持て囃されているそうです。その意味では、現代のように個人の個性等(ユニーク)が尊重される時代にあっては男性的な問題解決型思考よりも女性的な共感形成型思考の方が組織運営に有効であると言えるかもしれません。映画「レディ・マエストロ」に描かれている家庭環境(家族の理解、家庭の経済力等)、社会偏見(キャリアと家庭の選択、機会の平等、ヘイトスピーチ等)やセクハラ問題などの逆境は、女性指揮者のパイオニアとしてのアントニア・ブリコに特有の問題ではなく、現代でも直面し得る問題(その多くが女性だけではなく男性にも当て嵌まるもの)と言えます。この映画の中でアントニア・ブリコがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューするシーンが女性の社会進出の難しさを象徴するエピソードとして印象的に描かれていますが、師匠のカール・マック(ハンブルクフィルハーモニー管弦楽団指揮者)からアドバイスされた強力なイニシアティブで楽団員を統率して行く男性的なやり方が楽団員から猛反発を買います。上述のとおり、一般的に、男性はリーダシップを発揮したがるタイプが多く他人(女性に限らず男性を含む)からコントロールされること(とりわけ他人から誤りを指摘されること)を嫌う傾向があると言われていますので、往々にして共感形成を促す女性的なやり方の方がスムーズに行くケースも少なくないのではないかと思われます。当時、アントニア・ブリコは辣腕を奮って強力なイニシアティブで楽団員を統率して行く男性的なやり方で演奏会を成功に導いていますが、その苦労や困難は女性であるが故に一入のものであったことは想像に難くありません。この問題は女性だけではなく男性にも当て嵌まり、また、現代にも通じる普遍的なものなので、組織(人間関係)の縮図であるオーケストラと指揮者の関係を通じて色々と考えさせられる映画でした。(ネタバレしないように、これ以上は踏み込んで書かないことにします。)
 
一人になりたい男、話を聞いてほしい女

一人になりたい男、話を聞いてほしい女

 
最後に、誰が数えたのか知りませんが、現在、世界で活躍している女性指揮者は30名程度だそうですが、僕が思い付く限りで現役の常任指揮者等として活動している女性指揮者を紹介してみたいと思います(順不同)。こうして見ると女性指揮者は男性指揮者に劣らぬ活躍振りですし、撲が経験した限りで女性指揮者の演奏は男性指揮者の演奏と比べて何ら遜色がありませんので、昔、まことしやかに語られていた女性指揮者は男性指揮者に比べてオーケストラを指揮するために必要な体力、空間把握力や論理的思考力等が劣るという説が失当であること(性差ではなく個差)が既に実証されていると言って過言ではありません。

【主要な外国人の女性指揮者】

シモーネ・ヤング:世界で初めて女性指揮者としてウィーン国立歌劇場及びウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、世界のメジャー・オーケストラや歌劇場で指揮する華々しいキャリアの持ち主。現代の女性指揮者の中では傑出した存在。

マリン・オールソップ小澤征爾さんの弟子で、ボルティモア交響楽団の首席指揮者。小澤征爾さんの弟子には将来有望な若手指揮者が数多く育っており楽しみです。

カリーナ・カネラキスショルティ指揮者コンクールに優勝。ベルリン放送交響楽団の首席客演指揮者、オランダ放送フィルの首席指揮者。

ミルガ・グラジニーテ=ティーバーミンガム交響楽団音楽監督

ヨウ・エイシ(葉詠詩):香港小交響楽団の音楽総監督。

アロンドラ・デ・ラ・パーラクイーンズランド交響楽団の首席指揮者。

ソン・シヨン:京畿フィルハーモニックオーケストラの芸術監督兼常任指揮者。

チェン・メイアン:シカゴ・シンフォニエッタ音楽監督

アヌ・タリ:サラソタオーケストラの音楽監督

ナタリー・シュトゥッツマンオルフェオ55の芸術監督

シャン・ジャン:世界で初めて女性指揮者としてニュージャージ交響楽団音楽監督

ジョアン・ファレッタバッファロー・フィルとヴァージニア交響楽団音楽監督

スザンナ・マルッキヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者。

イヴ・クウェラー:オペラ・オーケストラ・オブ・ニューヨークの桂冠指揮者(元音楽監督)。

ベアトリーチェ・ヴェネツィ:オーケストラ・スカルラッティ・ヤングの首席指揮者、プッチーニ音楽祭首席客演指揮者、アルメニア国立交響楽団の副指揮者。

シーヨン・ソン:サー・ゲオルグショルティ国際指揮者コンクールで優勝。ソウルフィルハーモニー交響楽団のアソシエイト・コンダクター。 

アグニェシュカ・ドゥチマルヘルベルト・フォン・カラヤン国際指揮者コンクールで名誉賞を受賞。世界で初めて女性指揮者としてスカラ座に登壇。

クレール・ジボー:世界で初めて女性指揮者としてミラノ・スカラ座管弦楽団を指揮。

エマニュエル・アイム古楽系指揮者、チェンバロ奏者。バロックアンサンブル”Le Concert d'Astrée”を結成して指揮活動を開始、最近ではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して話題に。

 

【主要な日本人の女性指揮者】

松尾葉子小澤征爾さんの弟子で、ブザンソン指揮者コンクールで女性初の優勝。セントラル愛知交響楽団の特別客演指揮者。

西本智美:イルミナートフィルハーモニーオーケストラの芸術監督兼首席指揮者、ロイヤルチェンバーオーケストラの音楽監督兼首席指揮者。

新田ユリ:愛知室内オーケストラの常任指揮者。

田中祐子オーケストラ・アンサンブル金沢の常任指揮者。

三ツ橋敬子小澤征爾さんの弟子で、アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで女性初の優勝、アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで第2位。

齋藤友香理小澤征爾さんの弟子で、ブザンソン国際指揮者コンクールで観客とオーケストラが選ぶ最優秀賞。

石﨑真弥奈ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールで優勝(聴衆賞)。

沖澤のどかブザンソン指揮者コンクールで優勝、東京国際音楽コンクールで女性初の優勝。 

富田淳子陸上自衛隊第14音楽隊1等陸尉、自衛隊初の女性指揮者。

 

【その他】

アルベナ・ダナイローウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で女性初のコンサートマスター(VPOの楽団員は1990年までドイツ系オーストリア人又は旧ハプスブルク帝国支配地域出身の男性で占められていましたが、1997年から女性楽団員を採用し始め、現在では楽団員の約10%が女性楽団員になっています。)
 
♬ 「In My Hand」
日本航空123便墜落事故で犠牲になった日本人の実業家の父と、英国人のバレエダンサーの母の間に生まれ、現在、英国で活躍しているヴァイオリニスト・ダイアナ湯川さんが亡父の鎮魂のために作曲した「In My Hand」をご紹介します。なお、お姉さんは英国で活躍しているピアニスト・キャシー湯川さんです。
 
♬ 「エナジー風呂」(Energy Flo)
坂本龍一の「Energy Flow」に、②U-zhaanが演奏するインド伝統楽器「タブラ」が持つ独特の風情を組み合わせて、③これに現代音楽の作曲技法であるループ・ミュージックやミュージック・コンクリート等を採り入れながら、④環ROY鎮座DOPENESSによるラップ・ミュージックと融合することで、文明社会の日常的な気だるさのようなものを醸し出す軽妙ポップな作風に仕上げられた面白い作品になっています。裏付けのある確かな弛緩とでも言うべきような圧倒的な何かを感じます。 (【参考】ラップ文化とタブラ文化の歴史オサライ「BUNKA」
 
♬  マクドナルド+ブックオフ+ファミリーマートでミニマル音楽(略して「マクド・ブッファ」)
マクドナルド、ブックオフファミリーマートのCMソングを素材にして現代音楽の作曲技法であるミニマル・ミュージックに仕立てた面白い作品を紹介します。「日常」の中にも価値あるものは溢れており、それをどのように活かして面白さを見出して行けるのかは才能です。音楽で何を表現するのかは多様になっており、時代が音楽に求めるものも大きく変化しています。既に評価が定まった古いものだけに価値を見出すのではなく、現代に芽吹き、息衝いているものを的確に捉えて新しい価値を理解する感性や教養が問われる時代であることを痛感します。もっと世の中を面白いと感じられるように精進せねば...。

新年の挨拶

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謹賀新年。久しぶりのブログ更新になります。昨年は、人生の「節目」を迎えて、この機会に自分の先祖について調べてみたいと思い立ち、暫く先祖の調査に専念しておりました。今年の干支は「亥」(猪)。人間が食糧を安定的に確保するために野生の「猪」を家畜として飼うようになり「豚」が誕生したと言われていますので、「猪」は「豚」の先祖ということになりますが(どんなに「社畜」として飼い慣らされても「猪」に肖って心の牙はなくさないように心掛けたいものですが....)、我が家は楠木正遠の末裔として観世家と同根同租の間柄にあり大変に名誉なことであると感じています。先祖の事績が風化してしまわないように書籍に纏めて自費出版(非売)し、国立国会図書館へ献本したいと目論んでいます。今回、自分の先祖の調べてみて、各々の先祖が時代の転換期に信念を貫いて誇り高く生きた生き様に触れるにつけ、果たして自分はそれらの先祖に恥じない生き方ができているのかと背筋を正される思いがすると共に、より明確に自分の人生の視座のようなものが定まり、これまでに増して人生の意義深さを感じられるようになりました。年始を迎えて、家族や親戚と共有する時間が増える時期だと思いますが、平成最後の年という時代の「節目」にあたり一年の計に自分の先祖について調べるという目標を追加されてみるのも良いかもしれません。

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

 

今年は平成最後の年賀状になりますが、インターネットの普及や新暦移行に伴う年賀の形骸化(一昨昨年の年始のブログ記事)等に伴って2019年分の年賀葉書の発行枚数は2004年から約40%も減少しており、また、小学生の基礎学力調査でも年賀状のどこに自分と相手の氏名や住所を書くのか分からない生徒が半数に上るそうなので、急速に年賀状が廃れて来ています。日本では奈良時代から「年始の挨拶回り」の習慣が生まれ、平安時代には公家の年中行事として定着します。丁度、この頃、中国の唐の勢力が衰えて遣唐使が下火になり、これに伴って中国から渡来した難解な「漢字」とは別に平易な「仮名」が誕生、普及して日本独自の文化(物語、和歌や書道等)が華開き、これらの文化が公家や武家ばかりでなく身分の低い庶民にも浸透したことで寺社等における「仮名」教育が活発化してキリスト教宣教師が驚くほどの識字率を誇る国になりました。(これにより日本では公式の記録に留まらず、身分の上下を問わず様々なことが手紙、日記や落書等の文字で記録され、それが大量の古文書等として後世に残されたことで自分の先祖を調べる際の大きな手掛りとなっています。閑話休題。)このような時代背景を受けて、平安時代の学者・藤原明衡(約950年前)は日本最古の手紙文例集「明衡往来」を著し、この中で年始の挨拶文例として「春始御悦向貴方先祝申候」(直訳:春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候)を紹介していることから(現存する日本最古の年賀状)、平安時代には年賀状の先祖と言える年始の挨拶文を認めた「手紙」のやりとりがあったものと思われます。その後、鎌倉時代には習字や読本の初級教科書として使用された「庭訓往来」が広く普及し、また、江戸時代には飛脚制度(江戸時代の通信革命)が整備、充実されたことに伴って下級武士や商人等の間にも遠方の親戚や知人に宛て年始の挨拶文を認めた「手紙」をやりとり風習が浸透しました。

年賀状の先祖(現存する日本最古の年賀状)
原文
【意訳】
初春の慶びをお祝い申し上げますと共に、貴殿の益々のご多幸をお祈り申し上げます。
年が明けて直ぐに年始の挨拶を申し上げるべきでしたが、折しも子の日の遊びにあたり、皆さんから野遊びに誘われて心ならずも年始の挨拶が遅くなってしまいました。
さながら軒の梅を心待ちにしている鴬が人家の暖かさに惹かれてその蕾が開きかけているのを忘れているような、あるいは、庭園の胡蝶が春陽の移ろいも知らないで日影で遊んでいるようなものなので、全くもって本意ではございません。
ところで、楊弓・雀小弓の試合、笠懸・小串の会、草鹿・円物の遊び、三々九・手挟・八的等の音楽会を近く開催致します。弓馬の達者な方をお誘い合わせのうえ、お越し頂ければ幸いです。
心に思うことは多いのですが、拙筆なので手紙には認めず、今度、お会いする機会に申し上げることに致します。

謹言

1月5日 藤原左衛門尉

石見守 殿

殺風景な冬景色から百花繚乱の麗らかな春の到来を寿ぐ筆者の華やいだ気持ちが伝わってくるような季節感の漂う芽出度い正月の挨拶文です。電子メールの同報通信で「あけおめ」等と正月早々から軽口を叩き、ぐうたら寝正月を想起させるような当世流の挨拶文とは大違いです。いくら通信の手段(技術)が発達しても通信の内容(心、即ち、伝達される情報の質や言葉に含まれている情報の量)が空疎になる一方では日本文化は昔と比べて退化していると揶揄されても仕方がありません。

 

その後、明治維新を経て年始の挨拶が「手紙」ではなく「葉書」で送られるようになりますが、これは1869年にオーストリア・ハンガリー帝国で「手紙」より安価な通信手段として発明された世界初の「ポストカード」を郵便の父・前島密が「葉書」と命名して日本にも導入したことに端を発しています。日本では既に戦国時代にはモチノキ科の常緑広葉樹「多羅葉(たらよう)」の葉の裏に爪や枝で文字を刻んだものが簡易な通信手段として利用されていたそうですが(古代インドでブッダの教えを多羅樹(たらじゅ)の葉に刻んで伝承していたことに由来し、日本における葉書の先祖とも言えるもの)、これと「ポストカード」が類似していることから“葉に書く”で「葉書」と命名されたそうです。平成9年に多羅葉は郵便局のシンボルツリーに指定され、全国各地の郵便局では多羅葉を植栽しているところが多く(例、東京中央郵便局)、現在でも多羅葉の葉の裏に宛先を明記して定型外の郵便切手を貼れば配達してくれます。なお、日本の自然信仰の原点である熊野本宮本社の境内には御神木「多羅葉」が植樹され、その横に神の遣いとされる八咫烏(神託を伝えるという意味で「葉書」の由来と同じ)のポストが設置されていますが、熊野本宮創建2050年の「節目」を迎えた記念として2018年12月31日までにこのポストに投函された葉書には八咫烏消印が押印されるというので、初詣がてら熊野詣と洒落込みました。 因みに、八咫烏サッカー日本代表のエンブレムとしてもお馴染みです。古代ギリシャ古代ローマでは紀元前200年頃には足でボールを蹴る遊戯が発明されていたそうですが、日本では飛鳥時代に中国から伝来した蹴鞠(けまり)が平安時代になると宮廷貴族の遊戯として流行し、当時の蹴鞠の名人で「蹴聖」と言われた藤原成道は蹴鞠上達祈願のために50回以上も熊野詣をし、熊野本宮の大神の前で「うしろ鞠」の名技を奉納したという記録が残されていますので(「古今著聞集」より)、日本のプロ・サッカー選手の先祖は藤原成道(約850年前)と言えそうです。そのため、サッカー日本代表の選手や日本サッカー協会の関係者、全国のサッカーファン等がW杯の必勝祈願やサッカーの上達祈願のために熊野本宮大社へ参詣しています。

 

 

ところで、熊野本宮本社の近くには、映画「海難1890」の舞台となった船甲羅岩礁和歌山県串本町)があります。1874年に第一次世界大戦の原因となった普仏戦争に勝利して成立したドイツ帝国が中心となって万国郵便連合が結成されたことで国際郵便制度が整備され、その結果、国際的な通信・物流革命が実現しました。このような国際情勢のなか、1889年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号明治天皇宛ての親書を携えた親善使節団を乗せて日本へ来航しますが、その帰路に台風で船甲羅岩礁座礁して沈没し、地域住民の決死の救出活動により乗組員69名が救出され、残る578名が死亡するという大海難事故が発生しました。それから約100年後の1985年に勃発したイラン・イラク戦争に巻き込まれたテヘラン駐在の日本人は(日本政府が自国民の救出に躊躇する一方で)トルコ共和国の厚意によって無事に救出されました(テヘラン邦人救出事件)。エルトゥールル号遭難事件はオスマン帝国の元首から大日本帝国の元首への親書(手紙)を契機として発生した悲劇ですが、1通の手紙が人の運命を変え、歴史を作る力を持ち、それらが様々な物語や歌として語り、歌い継がれてきています。「先義後利」(孟子)という言葉がありますが、果たして自分は利得に心を曇らせて信義に惑うことなく、たとえどのような状況にあっても他人(又は社会)に対して誠実に尽くすことができる「真実な方達」(映画「雨あがる」より)たり得ているのかということが心に掛かる今日この頃です。因みに、先日、アメリカは万国郵便連合からの離脱を表明しましたが、これは万国郵便連合によってアメリカが中国からの輸入荷物をアメリカ国内で無料配達しなければならない義務(発展途上国への優遇措置)を課されおり、それがアメリカ国内の流通業者の負担になっていることを忌避するものです。トランプ・ショック(アメリカ・ファーストに象徴される保護主義的な傾向)を非難することは簡単ですが、中国の台頭が目覚ましく国際社会の勢力地図が塗り替えられようとしているなか、そろそろアメリカが国際社会のリーダーとして余計に負担してきたコストを見直す時期に来ているのかもしれません。(イギリスのEU脱退もイギリスが余計に負担を強いられることなどを巡る問題という意味では同じ文脈です。)

 

 

さて、「節目」と言えば、昨年は明治維新150周年及び第一世界大戦終戦100周年の節目にあたり、また、今年は実用化フェーズに入ったAI技術の本格的な普及(例えば、自動運転無人小売店舗等の商用化と、それらを支える通信の大容量・高速化キャッシュレス化等の社会インフラの整備など)により新たな時代の転換期(産業革命は人類を「重労働」から解放し、AI革命は人類を「労働」そのものから解放するイノベーション)を迎えようとしていますが、これらに伴って社会の価値観が大きく変化(パラダイムシフト)しようとしています。このような時代の転換期を迎えて、巷では人類の歴史を大きなトレンドとして俯瞰し、将来の変化を見通そうとする試みが持て囃され、時代を写す鏡である「芸術」(その創作と受容)の分野についても、過去にどのように変容してきたのかを俯瞰し、それを手掛りにして現代の「芸術」の意義を読み解こうとする映画や書籍等が次々とリリースされています。先日も、NHK-BS1で『映像の世紀プレミアム 第1集「世界を震わせた芸術家たち」』やクラシカジャパンで『楽しく分かる音楽の歴史Vol.4「20世紀以降」』と題する番組が放映されていましたが、第一次世界大戦によって近世的な社会体制や価値観等が破壊されたことで「芸術」も大きく変容し、その後、第二次世界大戦と冷戦を経て「平成」(「内」(史記)や「知」(書経)に由来)という言葉を体現するようにグローバリゼーション(交通と通信の革命による人、物、金、情報のダイナミックな流通)が急速に進展したことで「芸術」が更に大きく変容しようとしている状況が記録映像と共に紹介されていました。そこで、時代の転換期にある年の始めにあたり、現代音楽を含むアヴァンギャルド芸術が市民権を得つつある現状を踏まえて、「芸術」の来し方行く末について考えてみたいと思います。なお、本当は現代社会との関係性(とりわけ科学技術の進展)を踏まえつつボーダレス及びジャンルレスに幅広い「芸術」(全世界の音楽、舞踊、絵画、文学、芸道等)を俯瞰しなければ、多種多様に変容し、それ故に難解になっている現代の「芸術」の意義を読み解くことは難しいと思いますが、僕のような素人には手に余るテーマなので(また、未だ専門教育機関等でもそのような広範多岐に亘る分野を網羅するカリキュラム、とりわけ中近東やアフリカまで漏れなく射程としているものは殆ど存在しないようなので)、非常に歯がゆく口惜しい限りですが、今回は「芸術」のうち「音楽」、さらに、その「音楽」のうちでも上記のテレビ番組で採り上げられていたヨーロッパの「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)の崩壊と20世紀以降の「前衛音楽」(近代以降の無調音楽)の誕生(但し21世紀の混沌状態を除く)というごくごく限られた狭い分野について簡単に概観するに留めたいと思います。

 

変革の時代にあって「知識」よりも「視点」(物の見方)を整理した方が刻々と移ろう時代を見通すための応用につながると思いますので、例えば、国民楽派5人組や新ウィーン楽派3人組(who、when、where、what)等の教科書的な知識を追うのではなく(それらを詳説したWebサイト書籍は巷に多く溢れていますので)、過去の時代の変容(trend)を機軸として、それに伴って音楽がどのように変容してきたのか(why、how)を大掴みにすることで、自分なりに時代との関係性の中で前衛音楽の意義を把握するように努め、それを手掛りとして聴衆の立場から前衛音楽へのアプローチの仕方(但し、方法論のような本格的なものではなく漠然としたもの)を考えてみたいと思います。「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)と異なって「前衛音楽」(近代以降の無調音楽)は人間の感情に根差さず、物語性など音楽的な文脈を持たず、また、耳慣れない複雑な語法や音響が使用されているなど見通しの効き難いものが多いので、一体、何を手掛りに音楽に寄り添えば良いのか途方に暮れることが少なくないですが、多様な前衛音楽についてそれぞれの「時代」背景との関係性の中から表現の意義を見出すことで、そこで何が考えられ、行われているのかを自分なりに理解する手掛りとすることができるのではないかと考えています。現代の大衆消費社会ではSNSの「いいね!」に象徴されるように人間の刹那的な欲求を手っ取り早く満たすことができる(即ち、消費行動に結び付き易い)ラブリー&イージーなものばかりが持て囃される風潮が根強く、それ故に却って調性という麻薬が中毒症(但し、それは音楽の可能性を狭めてしまう副作用)を持ち易い環境にあると言えるかもしれませんが、いつまでも安易に流されて「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)を消費しているだけの状態に留まっているようでは、いずれ時代の変革に伴って音楽的な欲求を十分に満すことができなくなるのではないかとも感じています。その意味で、遅ればせながら、今年は自分の中で音楽のパラダイムをシフトしてみたいと企図しています。

 

昨年で終戦100周年の「節目」を迎えた第一次世界大戦を契機として「クラシック音楽」から「前衛音楽」に至る音楽の変容を大雑把に俯瞰するにあたり、近世から近代に亘ってルネサンス音楽(旋法音楽)~バロック音楽(調性音楽の確立期)~古典派音楽(調性音楽の発展期)~ロマン派音楽(調性音楽の爛熟期)へと至る音楽の変容を時代(社会の価値観や体制)の変容と共に大掴み(....なので楽器の進化や受容環境の変化が音楽の創作に与えた影響等の諸要素は思い切って割愛)しておきたいと思います。なお、何でも物事を二項対立の図式に単純化して捉える危険性は十分に認識していますが、残念ながら人間の脳は正確な対象(即ち、物事を緻密に分ける(=分かる)ための属性を多く備えた複雑な対象)から「視点」(物の見方)を抽出できるほど有能にはできていませんので、敢えて二項対立の図式に単純化して捉え直してみるということも必要ではないかと思います。この点、本来、時代は色々な要素が絡み合いながら行きつ戻りつマダラ模様に展開して行くものなので定規で線を引いたように綺麗に整理することはできませんが、上述の理由から何を基軸に整理するのかによって多少は時代認識の先後などがありますのでご了見下さい。

 

ルネサンス(近世):中世的な価値観からの解放(ルネサンス音楽バロック音楽:旋法音楽の崩壊と調性音楽の萌芽)

宗教改革により主権が教会から国王へ移行すると、ローマ・カトリック時代のキリスト教的な価値観(肉体的な本能から生じる欲望を抑制し、肉体より精神性を重んじる価値観=神聖性)から解放されて古代ギリシャ時代のギリシャ神話的な価値観(肉体的な本能から生じる欲望を肯定し、精神と肉体のバランスを重んじる価値観=人間性)を見直す方向にパラダイムシフトします。このような時代の変容を受け、絶対王政に基づく封建制の重層的な社会体制を背景として複雑なポリフォニー(複数の独立した声部が重層的に絡み合う音楽)による秩序(決して交わらない絶対的な身分関係により規律される社会)だてられた均整のとれた美しさが持て囃されるルネサンス音楽(旋法音楽)から徐々に人間性に富むドラマチックな表現が可能な独唱形式(モノフォニーの萌芽)を採用するバロック音楽(調性音楽)へと移行して行きました。バロック音楽古典派音楽の端境期に活躍した宮廷音楽家ハイドン(イギリス)は、自らの創作意欲に忠実であること(芸術家気質)よりも、自らのパトロンである王侯貴族の趣味に合わせた音楽を量産すること(職人気質)に創作活動の主眼が置かれ、その結果として108曲もの交響曲が創作されることになりました。 

 

②市民革命・産業革命(近代前半):近世的な価値観からの解放(古典派音楽~前期ロマン派音楽:調性音楽の発展とその爛熟)

市民革命により主権が国王から市民へ移行すると、ギリシャ神話的な価値観がより一層重視されるようになります。絶対王政に基づく封建的な社会体制から市民の自由や平等が確立された社会体制を背景として一般市民にも親しみ易い単純なモノフォニーによる美しい響きの調和(平等な人間が相互に交わり合いながら協調する単層的な社会)を求める古典派音楽(明快な和声による調性音楽)が隆盛となり、やがて近代市民社会の定着により社会が複雑化するにつれて人間の感情をより豊かに表現するための個性的な響きが求められるロマン派音楽(複雑な和声による調性音楽)へと進化します。古典派音楽とロマン派音楽の端境期に活躍したベートーヴェン(ドイツ)は宮廷から解放されたフリーランスとして作曲活動を行ったことにより、注文主の趣味に合わせた音楽を創作するのではなく、自らの創作意欲に忠実であること(芸術家気質)に創作活動の主観が置かれ、その結果として9曲しか交響曲が創作されていません。

 

帝国主義・世界大戦(近代後半):近代的な価値観の破綻(後期ロマン派音楽~調性音楽の崩壊と前衛音楽の萌芽)

産業革命を経て資本の独占が進む一方で、都市部に集中した労働者は過酷な労働条件下で搾取されて貧困を強いられるという社会の歪み(個人レベルでの格差)が深刻化し、自由で平等な市民社会の理想が破綻を来します。また、大量生産される商品の消費市場と生産資源を確保するために、資本家と国家権力が結び付いて軍事力を背景とした植民地政策(帝国主義)(国家レベルでの格差)が本格化します。このような近代社会の矛盾が露呈するのと併せて、中心となる音(資本家、帝国主義宗主国)との関係で他の音(労働者、帝国主義の従属国)が規律、構成される調性音楽(合理的な秩序)による理想的な美(平等な人間が相互に交わり合いながら協調する社会の調和)を表現するだけではその時代を上手く表現できないという行き詰りを見せ、その行き詰りを打開するために中心となる音(資本家、帝国主義宗主国)によって規律、構成される調性からの解放を目指して新しい世界を表現するための音楽の模索が始まります。後期ロマン派音楽と前衛音楽の端境期に活躍したワーグナー(ドイツ)は半音階的転調により調性の内側から調性(中心となる音)を崩すことで音楽を調性から解放することで新しい世界を表現するための音楽(トリスタン和音)を模索します。また、これと同時期にドビュッシー(フランス)は旋法音楽等を使って調性の外側から調性(中心となる音)を崩すことで音楽を調性から解放することで新しい世界を表現するための音楽(印象主義音楽)を模索します。

<調性音楽の特徴:縦の主従関係による秩序>

音の関係 特徴的な傾向
音の縦関係(音の色彩) 【制約:和声等】
和声や対位法に規律され、主題に対する関係で伴奏や対旋律は制約度が高い。
音の横関係(音の運動) 【自由】
和声や対位法に規律されず、主題は比較的に自由度が高い。

ナショナリズムと音楽
市民革命により絶対王政や宗教権威の秩序(束縛)から解放されて市民が自由と平等を手にする一方で、産業革命によって工場がある都市部へ人口が集中して市民が大衆化すると市民の間に一体感のようなものが生まれて個人主義から集団主義へと市民の意識が変化していき、やがて第一次世界大戦の勃発により危機的な状況に陥るとその傾向に拍車がかかります。このような社会の変容を受け、市民(個人)を全体(集団)へと統合するための音楽としてベートーヴェン交響曲第9番等が政治利用されます。ベートーヴェン交響曲第9番は第三楽章で天上の音楽(王侯貴族や教会の音楽)を奏でた後に、我らが理想とする音楽(世界)はこのような権威的又は禁欲的な音楽(世界)ではないと否定して第四楽章の世俗の音楽(良き市民の集いと酒盛りの歌の熱狂を思わせる大衆の音楽)へと突入します(そのためなのか第四楽章の合唱は誰でも歌い易いように作られています)が、良き市民の集いとその陶酔的な熱狂(歓喜)はナチスドイツを生むという苦い教訓を人類に残す結果となり、現代ではベートーヴェン交響曲第9番は耳障りの良い言葉を無批判、無責任に受け入れる良き市民の集い(感傷的なムード)が陥り易い愚衆性や偽善性を省みるための戒めの音楽(年末に煩悩を祓う除夜の鐘の如きもの)としても機能しています。

 

その後、植民地政策(帝国主義)は、これに先行していたイギリス、フランス、ロシア(三国協定)とこれに出遅れていたドイツ、オーストリア、イタリア(三国同盟)の間で利害衝突(帝国レベルでの格差)を生じ、これが契機となり第一次世界大戦が勃発してロシア、ドイツ、オーストリア及びオスマンの四大帝国とブルジョア文化(貧富の格差の象徴であった社交場を含む)など近世的な社会体制の一部が破壊されます。これに伴って王侯貴族(特権階級)やブルジョアジー(有産階級)など階級社会が支援し、受容してきた調性音楽(クラシック音楽)も終焉を迎えます。やがて第一次世界大戦で植民地(市場)を失った敗戦国のドイツ及びイタリアや十分な植民地(資源)を持っていなかった後発国の日本の経済的な行き詰りから再び植民地政策を積極的に展開したことで第一次世界大戦戦勝国との間で利害衝突を生じ、第二次世界大戦が勃発して帝国主義など近世的な社会体制が完全に破壊されます。これにより産業革命の副産物である植民地政策(帝国主義)とこれを原因として発生した2度の世界大戦に対する反省から、国家が「平等」に富を分配すること(人工秩序)によってバランスする社会を理想とする社会主義的な考え方と、公正で「自由」に競争すること(自然秩序、いわば神の見えざる手)によってバランスする社会を理想とする資本主義的な考え方の2つのイデオロギーが対立する冷戦時代を迎えます。このような時代の変容を受け、シェーンベルクオーストリア Rotes Wien)は音(富)の中心や偏りを排除するために1オクターブの中に含まれる12の音を1回づつ均等に使った音列(セリー)(人工秩序による平等を理想とする社会)を組み合わせて作曲する十二音技法(無調音楽)を発明します(但し、現実には、ソ連スターリン主義のもと音楽の政治利用を企図して社会主義リアリズム音楽へと傾倒)。その一方で、ケージ(アメリカ)は作曲者の意図(国家の介入)を排除するために偶発的な要素(例えば、プリペアド・ピアノ、占いやサイコロなど、いわば神の見えざる手)(自然秩序による自由を理想とする社会)を採り入れて作曲する偶然性・不確定性の音楽を考案します(但し、偶然性の音楽はモーツァルトの「音楽のサイコロ遊び」(K516f)等に代表されるように比較的に古くから使われていた作曲技法です)。 

<無調音楽の特徴:横の調整関係による秩序>

音の関係 特徴的な傾向
音の縦関係(音の色彩) 【自由】
伴奏や対旋律も音列(セリー)に影響されるが、和声や対位法には規律せれないので自由度が高い。
音の横関係(音の運動) 【制約:音列】
音列(セリー)に規律されるので制約度が高い。

自然秩序による自由のグラデーション(統制から規制、規制から緩和、緩和からトレンドへ)
一見、偶然性の音楽と不確定性の音楽は相似しているように見えますが、偶然性の音楽作曲(統制)の過程で偶然の要素が加わって創作される音楽である(即ち、演奏の過程では偶然の要素はない)のに対し、不確定性の音楽演奏(行動)の過程で不確定の要素が加わって創作される音楽なので(即ち、再現可能性が低く録音(確定)に馴染まない)、両者は本質的に異なる音楽です。また、演奏の過程で不確定の要素が加わるという意味で不確定性の音楽と即興演奏は相似しているように見えますが、不確定性の音楽演奏者の自由を排除(規制)して占いやサイコロ等によって音符を選ぶなど音楽的に制約されているのに対し、即興演奏は殆ど音楽的な制約がなく演奏者の自由に委ね(緩和)られているので、両者は本質的に異なる音楽です。即興演奏
演奏者の自由に詩、言葉や記号等のインスピレーションを与える(流行、アイディア、目標等)フルクサスになります。

 

④大衆消費社会・ボーダレス社会・イノベーション(現代):現代的な価値観の勃興(前衛音楽の展開と軽音楽の台頭)

前述のとおり産業革命によって植民地政策(帝国主義)が本格化し、帝国レベルでの格差が原因となって二度の世界大戦を引き起しますが、国家レベルの格差によって従属国(植民地)では宗主国からの独立を求める気運(民族主義)が高まり、二度の世界大戦を経て民族の独立運動(脱植民地主義)へと発展します。このような時代背景を受け、宗主国側のワーグナー(ドイツ)、ドビュッシー(フランス)、シェーンベルクオーストリア)等による調性(中心となる音=宗主国)からの解放の動き(前述)に加え、従属国側のバルトークハンガリー)等は民族のアイデンティティを求めて帝国主義を推進していたブルジョアジー(有産階級)が支援し、受容してきた調性音楽に民族音楽の音階、和声、リズム、拍子等をそのまま採り入れて、調性音楽(宗主国)と民族音楽(従属国)を対等の立場で融合する音楽(新古典主義音楽)を模索します(その後のEU統合を暗示するメンタリティ)。また、これと同時期にストラヴィンスキー(ロシア)は調性音楽と民族音楽を融合するのではなくそれぞれを独立した素材として各々の個性(独自性)を尊重する音楽(コラージュ的な音楽)を模索します(その後のソ連崩壊を暗示するメンタリティ)。また、ストラヴィンスキーキリスト教的な価値観(精神で肉体をコントロールすること(=理性)を重視)から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきた調性音楽(クラシック音楽)に民族音楽の本能的・野性的なリズム等を採り入れて調性音楽(クラシック音楽)の理性的・禁欲的なリズムを破壊する新しい音楽(バレエ音楽「春の祭典」など、いわゆるバーバリズム)を創作しますが、シェーンベルク調性を解放して音の縦関係(音の色彩)を自由にし、ストラヴィンスキーリズムを解放して音の横関係(音の運動)を自由にしたこと(美のパラダイムシフト)で近代までの調性音楽(クラシック音楽)は終焉を迎えます。

ミクロコスモス I

ミクロコスモス I

アメリカナイゼーションと音楽
アメリカの南北戦争後に奴隷解放された黒人によってヨーロッパの讃美歌等(白人音楽)にアフリカの民族音楽(黒人音楽)のリズムを融合したジャズが誕生しますが(その後、ジャズのブルースやラグタイム等(黒人音楽)とカントリー&ウェスタ(白人音楽)が融合してロックンロールへと発展。また、プロテスタント牧師の説教からトーキング・ブルースが生まれてヒップホップ文化等の影響を受けながらラップへと発展)、第一次世界大戦アメリカからヨーロッパへ派遣された黒人部隊がヨーロッパ各地でジャズを演奏したことや、電気録音(レコード)、テレビジョン放送やジェット旅客機等の発明によって本格的なグローバリゼーションが進展するにつれてジャズやロックンロール等を始めとしたアメリカのポピュラー音楽が全世界へと広がります。これによりバルトークストラヴィンスキーガーシュイン等はジャズをクラシック音楽に採り入れ、また、バルトークは電気録音の発明によって世界の民族音楽を採集、分析することが可能になり、その後の創作活動に重要な影響を与えています。なお、アメリカのポピュラー音楽が全世界へと広がった背景には、
第一次世界大戦後にイギリスがドイツから支払われる賠償金をアメリカへの多額のドル借款の返済に充当したことでアメリカに世界の富が集中したこと(この富の偏在が第二次世界大戦の引金)や、第二次世界大戦後にアメリカが中心となって新しい国際協調の枠組みとして国際連合が設立されたことなどにより、ヨーロッパを中心とした世界秩序からアメリカを中心とする新しい世界秩序へと構築し直されたことが挙げられます。現在、世界の富の約半分がアメリカへ集中していますが、再び、時代の転換期を迎えてアメリカを中心とした世界秩序が揺らぎ始めています(前述)。古今東西を問わず人類の歴史で繰り返されてきた新しい秩序を模索するための戦争が経済の高度化により土地の奪い合いから金の奪い合いに姿を変えて軍事力の行使から経済力の行使(経済制裁等)へと様変わりしつつあるなか、日欧を巻き込んだ米中貿易戦争やイギリスのEU脱退等の混乱状況を招いているのが現在ではないかと思います。人類の歴史は非常に単純な力学で動いており同じようなことを繰り返しながら技術革新を重ねて徐々に発展してきているに過ぎませんが、その文脈に照らして前衛音楽を捉え直すと、一見、複雑難解と思われがちな前衛音楽も非常に単純なことを試み、些細な変化を生んでいるに過ぎない(その意味で身構えるほどハードルは高くない)ように思われ、何やら思わせ振りに「音楽とは何か」と眉間に皺を寄せて論じてみることの滑稽さが微笑ましくさえ感じられます。

 

前述のとおり産業革命及び植民地政策(帝国主義)による富の格差が世界大戦の引金となったことを教訓として、戦後、国又は国際機関が規制を強化すること(人工秩序)で富を平等に分配する政策(社会主義のみならず、資本主義における富の再分配としての社会福祉政策や富の集中防止としての公正競争政策等を含む。)がとられますが、やがて規制の強化による経済発展は行き詰まりを見せるようになり、これを打開するために国又は国際機関が規制を緩和すること(自然秩序、神の見えざる手)で自由に競争する政策へと転換します。即ち、資本主義では経済発展を遂げて富を平等に分配するよりも規制を緩和して自由に競争することで経済を活性化させることが重視され、また、社会主義では経済政策の失敗と情報化社会の到来によって資本主義社会との間で富の格差が生じていることが明らかとなり資本主義を実験的に導入する方向に政策転換して冷戦が終結します。このような社会の変容を反映するように、十二音技法(セリエリズム)は音高のみを対象として音列(セリー)技法により作曲する方法(12音を平等に1回づつ用いた音列を原形として、その逆行形、反行形、逆反行形と派生し、また、それぞれの形の移高や組合等で作曲)からリズム、音色、音価、強弱、アーティキュレーション等も対象として音列技法により作曲するトータル・セリエリズムへと発展しますが(規制の強化)、その結果、音楽が複雑化して演奏や鑑賞が困難となり行き詰まりを見せるようになったことから、これを打開するために12音の全部が使用されていなくても一度使用した音譜を反復して使用しても良い(反復性)又は音列に調性を感じさせても良い(物語性)など音列技法のルールを緩和して自由に作曲するポスト・セリエリズムへと移行し(規制の緩和)、これに伴って無調音楽(自然の音、前衛性)と調性音楽(人工の音、大衆性)がボーダレスになりゲームソフト、アニメや映画等の商業音楽でも使用されるようになります。また、トータル・セリエリズムにより音楽が複雑化して演奏又は鑑賞が困難になると「楽譜に書かれている音楽」(理想)と「実際に聞えてくる音楽=響き」(現実)の間に大きな乖離を生じ、徐々に「楽譜に書かれている音楽」(理想、社会思想)よりも「実際に聞えてくる音楽=響き」(現実、経済実態)が注目されるようになって響きの探究(後述)が盛んに行われるようになります。これに伴って調性音楽(クラシック音楽)がキリスト教的な価値観(理想)から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきたのと同様に理性によってコントロールできない響き(周期的な振動ではなく非周期的な振動からなる響き=ノイズ)の使用を忌避してきた伝統が徐々に破壊され、ノイズを解放して音の構成物(音の素材)を自由にし(美のパラダイムシフト)、やがてロックンロールやハードコア・パンク等へと応用されます。

<音楽の解放①~西洋音楽の伝統へのアンチテーゼと美のパラダイ ムシフト~>

音楽の解放 調性音楽 無調音楽
音の縦関係
(音の色彩)
調性の解放
【制約】
和声や対位法に規律される。
【自由】
和声や対位法に規律されない。
音の横関係
(音の運動)
【自由】
音列(セリー)に規律されない。
【制約】
音列(セリー)に規律される。
音の構成物
音の素材)
ノイズの解放
【制約】
周期的な振動からなる音程(楽音)のみを使用。
【自由】
非周期的な振動からなる音程(噪音)も使用。

 

第二次世界大戦後の経済発展により大衆消費社会が本格化するにつれて人手のみで大量生産を支え、複雑化する社会に対応することが人間の能力の限界に達したので、技術革新を重ねて工業機械やコンピュータ等によるオートメーション(省人間)化が進み、やがて都市には工場生産、物資輸送や建物建設等によって人工的に生み出される騒音(五線譜上の音程で表すことが困難で物語性を持たない響き)が溢れて社会問題化します。このような時代の変容を受け、コンピュータ等によって録音や編集の技術が飛躍的に向上し、既存の音を録音して並べ替えたり又は加工するたりして音楽を創作するミュージック・コンクレート(既存の音の発生原因や意味等を省みず物語性や目的性を持たない響きのみを重視し、最初に出てくる既存の音を主題として様々なリズムで展開する音楽で、サンプリング・ミュージックからヒップホップやテクノ等のクラブ音楽へと発展)が誕生します。また、音楽の録音技術の向上によりレコード芸術が普及したことにより音楽の受容シーンが多様化(バックグラウンド・ミュージック、サウンド・エフェクト等)し、社会には音楽が溢れて音楽の大衆化が進みます。さらに、音そのものを人工的に作り出す電子音楽(ロック、ポップス、ゲームや映画等の商業音楽へと発展し、大衆消費社会を背景として騒音問題に配慮して消音機能を備えた電子楽器として一般人にも普及)が誕生し、トータル・セリエリズム(前述)やスペクトル音楽(後述)など人間の能力の限界(人間の声を含む楽器の性能や演奏の技術)を超えて複雑化し演奏が困難になった音楽(社会)を人間に代わって実演するための手段(省人間)としても持て囃され、やがて五線譜上の音程で表すことが困難な微分音(半音以下の音)等の周波数を解析して音程に置き換えるスペクトル音楽へと進化します(Open Music等)。また、都市に騒音が溢れたことから、騒音対策として日常の音をコーディネートするサウンド・デザイン、バリアフリーとして視覚障害者のためのサウンドマップや健常者にとってのリラクゼーション、防犯等を企図して音をアレンジするユニバーサル・デザイン等を行うサウンドスケープが誕生します。さらに、科学技術の進歩に伴ってコンピュータを利用して遺伝子の塩基配列を音符に変換する遺伝子ミュージック音楽療法等の目的のために脳波に良い影響を与えるバイオミュージック等も登場します。

 

産業革命により工場のある都市部へ人口が集中したことで市民が「大衆」化すると市民の間に一体感のようなものが生まれて市民の意識が個人主義から集団主義へと変容し、世界大戦の勃発による危機的な状況が相俟ってその傾向に拍車がかかります。戦後、新しい国際秩序が構築されてグローバリズムが進展すると、その集団主義が企業主義へと姿を変えて飛躍的に経済が発展します。また、経済の発達に伴って社会の分業体制が確立し大量生産・大量消費を支える社会インフラが整備されてマス・メディアが重要な役割を担うようになると、1人1人の市民(個性)に着目するのではなく市民を没個性的な大衆(mass)として捉える大衆消費社会が本格化します。このような時代の変容を反映するように、トータル・セリエリズムによって複雑化した音楽から生み出される響きは音列(セリー)が織り成す多声部(個性的な市民)としては認識できず、1つの音塊(sound mass)(没個性的な大衆)として認識されるようになり、1つ1つの音の音程関係を厳格に管理する作曲技法トータル・セリエリズムではなく、1つ1つの音の音程関係を重視せずにぼんやりとした音塊として捉えて、ある2つの音の間を響きで埋め尽くす作曲技法トーン・クラスタ(密集音群)が生み出され(ペンデレツキ「広島の犠牲者のための哀歌」が有名)、ジャズの奏法等に応用されます。また、細かく分割された楽器パートが各々異なった動き(分業)を行いながらそれらが1つのまとまった雰囲気(社会、集団)を織り成す作曲技法ミクロ・ポリフォニーが生み出されるなど、トータル・セリエリズムのように理論(社会思想)を重視するのではなく実際に耳から聴こえてくる響き(経済実態)を重視する音楽を模索する動きが活発になります。

 

経済の発展に伴って社会の分業体制が確立し、社会が高度に構造化(規格化、単位化、システム化等)して社会が安定してくると、何の物語性や目的性を持たないルーティンな日常が続き、都市は無機質に反復する機械音や電子音で溢れます。大衆はこのように安定した社会状態を是認する立場の保守派とその変革を望む立場の革新派に二分されていきます。このような社会の変容を反映するように、最小単位のモチーフ(日常、機械音等)を反復するミニマル・ミュージックが誕生し(その萌芽は既にサティ「家具の音楽」等に見られ)、常に鳴り響く音楽の“今”(日常)を重視し、その結果、音楽(人生)がどのような物語を紡ぎ又はどのような目的を持っているのかということはあまり重視されなくなります。ミニマル・ミュージックモチーフを小さく変化させながら(音楽への集中を生みながら)反復する音楽なのでシャーマニスティックな効果によりトランス状態(陶酔感、恍惚感)を喚起する音楽(革新的な性格)であるのに対し、最小単位のモチーフを変化させずに反復することでトランス状態の喚起など心理的な変化を避けるアンビエントが誕生し、日常に埋没するかのような「意識されない音楽」(保守的な性格)が創作されます。やがてこれらはミニマル・テクノ(例えば、ピコ太郎「PPAP」等)やアンビエント・テクノ(例えば、クラブの休憩中に流れるBGM等)等のクラブ音楽へと応用されます。なお、調性音楽にも最小単位のモチーフを反復する音楽は存在しますが(例えば、ベートーヴェン交響曲第5番」の運命のモチーフ等)、前述のとおりクラシック音楽ではキリスト教的な価値観からシャーマニスティックな効果により肉体的な興奮(精神で肉体をコントロールすること(=理性)ができなくなる状態)を喚起することを忌避する傾向が強いので、ミニマル・ミュージックに比べてモチーフを大きく変化(展開)させていますので(革命的(≧ 革新的)な性格)、トランス効果の喚起等は起こり難いと言えるかもしれまません。 

<音楽の解放②~西洋音楽の伝統へのアンチテーゼと美のパラダイムシフト~>

音楽の解放 クラシック音楽
調性音楽
現代音楽
調性音楽 & 無調音楽
音の横関係
(音の運動)
リズムの解放 【制約】
肉体的な興奮を喚起するリズムを忌避し、理性的・禁欲的なリズムを使用。
【自由】
シャーマニスティックな効果を生む野性的・本能的なリズムも許容。
構造の解放 【制約】
単調な反復を忌避し、主題を大きく変化させながら展開。
【自由】
主題を殆ど変化させずに単調な反復によるトランス効果。

 

経済発展が一段落して社会が安定すると生活に必要なもの(本来価値)が全て満たされて機能性や合理性を追求する規制社会(モダニズム)は行き詰まりを見せるようになり、この閉塞状況を打開するために新たな豊かさ(付加価値)を生む多様性や過剰性等を促す規制緩和の動き(ポスト・モダニズム)が登場し、バブル経済へと突入します。その後、バブル経済は崩壊し、また、ITの普及等による情報通信革命(第四次産業革命)が起こったことでモダニズムを支えてきた社会構造が徐々に崩壊して再び社会が大きく変容しています。このような時代の変容を反映するように、常に新しいもの(新しいものが生む本来価値)を求め続けて来た前衛音楽はモダニズムと共に行き詰まりを見せ、ポスト・モダニズムの潮流と共に過去のもの(調性音楽等)を自由に採り入れながら創作(既存のものに追加される付加価値=バブル)するロマン主義が誕生します。また、このような状況に加えて、音楽のデジタル化が進むと音楽のアレンジが容易になって音楽のオリジナル信仰が希薄となり既存の音楽をアレンジして作曲する多様式主義が盛んになります。これによって既存のもの(音楽を含む)がジャンル(社会の分業体制)を超えて融合されるようになり(例えば、映像と音楽やパフォーマンスのコラボレーションによるメディアアートなど)、それぞれのジャンルの違いが曖昧になって表現が個別化・細分化し、何でも許されるカオスの状態(権威主義的なモードは廃れ、SNS等に象徴される個別化されたムーブメントとしてのスタイル)が生まれて現在の混沌とした停滞感を生んでいると言えるかもしれません。また、既存のものをアレンジして生まれる付加価値に「新しさ」(本来価値に昇華し得るもの)を求めてきたポスト・モダニズムの潮流にも手詰り感が生まれてきているように感じられます。そんななか、2015年にAI囲碁ソフト「AlphaGo」が初めて人間のプロ棋士に勝利して人工知能(AI)が注目を集め、人間の限界を超えて新しいもの(本来価値)を生み出す可能性があるものとして期待が高まり、これまでの人間本位の社会から脱人間(≠ 非人間的)の社会への移行(近代産業革命によって人類は重労働から解放され、AI革命によって人類は労働そのものからも解放!?)が予想されています。現在、AI自動作曲ソフトとしては「Flow Machines」(Sonny CSL)「Amper Music」(AMPER)「AIVA」(AIVA)等が商用化されていますが(各々の代表作と思われる曲をリンクしており、「AIVA」  はフルオーケストラ曲も作曲しています。)、これらの曲を聴く限り(非常によく出来ていますが)優等生的な作風の域を出るものではなく、今一つ面白味に欠けて筆致が及んでいない印象を否めませんので、今後の進化が期待されます。また、人間の演奏者と息の合った合奏を行うAI自動演奏システム「YAMAHA MuEns」(YAMAHA)が開発され、その演奏を瞑目して聴いていると人間によるアコースティック楽器の演奏と殆ど遜色を感じません。また、AI(人工知能)とAL(人工生命)によるアンドロイド「オルタ3」がオーケストラを指揮し、舞台で歌うオペラ公演も計画されていますが、弦楽器の自動演奏は今後のロボット工学の進歩を待つ必要があるかもしれません。その一方で、マスタリングやトラックダウン等の音楽制作工程では音楽エンジニアやアレンジャーに代ってAIソフト(LANDR、IZOTOPE NEUTRON等)が活躍し始めています。さらに、最新の研究では、大阪大学人間の脳波を読み取りながらどのような音楽を聞かせれば脳を活性化させて快感を覚えるのかを考えて自動作曲するAIソフトが開発され(バイオミュージックの進化系)、音楽の創作や受容のあり方に一大変革を巻き起こす可能性を示唆するものとして注目されています。10年後には誰でもAI作曲支援ソフトを使って簡単に作曲することができるようになるという予測もあるようですが、バッハであればきっとこのように作曲したに違いないと思えるような「フーガの技法」の補筆完成版を楽しめる日も遠からずやって来るのではないかと楽しみです。これから数十年の第四次産業革命による社会の変容に伴って、社会を映す鏡である音楽を含む芸術のあり方も大きく変容する可能性があり、とても面白い時代に生きていると言えるかもしれません。なお、21世紀以降の現代音楽の最新動向はキャッチアップし切れておらず、NEW COMPOSERELE-KING等から情報を入手しているところですが、元号も変わることですし、そのうち機会を見つけて整理してみたいと目論んでいます。因みに京都市立芸術大学が中心に結成し、メディアアートの分野で国際的に高い評価を受けているアーティストグループ「ダムタイプ」(Dump(唖)+Type(型))の新作が「KYOTO STEAM-世界から文化交流祭-2020」で発表される予定ですが、その制作過程の一部を先行公開する「NEW PROJECT WORK IN PROGRESS 2019」が2019年3月24日(日)に開催されますので見逃せません。

はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

 

 

前衛音楽のアプローチの仕方(対策)を考えるにあたっては、どうして調性音楽と比べて前衛音楽を難解に感じるのか(原因)を簡単にお浚いしておく必要があると思います。前述のとおりバロック音楽から古典音楽の時代にかけて個人の内面を音楽的に表現するための方法(このように作曲すれば、このように聴いて貰えるという一種の決まり事)として調性システム(調性、リズム、拍子、メロディーやハーモニーの理論的体系等)が確立し、長年に亘って、この調性システムを深化させながら音楽を創作する側としての宮廷作曲家及びカントル等と、音楽を受容する側としての王侯貴族及び教会等との間で音楽的なコミュニケーションが重ねられてきました。しかし、市民革命により音楽を受容する側は王侯貴族及び教会等から市民(有産階級)へと主役が移り、その後、産業革命を契機として第一次世界大戦が勃発すると調性音楽を受容してきた社交界(王侯貴族及び教会等から遺産を引き継いだ有産階級の集い)等の社会システムが完全に破壊され、これに伴って調性システムも崩壊します。戦後、その反省に立って古い社会システムの再建を目指すのではなくそのアンチテーゼとして新しい社会システムの構築が模索され、音楽の分野でも調性システムの使用を意図的に排除する方法として十二音技法等の無調音楽が誕生します。これにより音楽を受容する側(大衆)はどのような方法で音楽を創作する側(作曲家の作品)との間で音楽的なコミュニケーションをとれば良いのか手掛りを失い、長年に亘って、音楽を創作する側(作曲家)と音楽を受容する側(大衆)との間で音楽的なコミュニケーションの断絶とも言える状態に陥ってきました。これを言語に例えれば、これまでは日本語でコミュニケーションをとっていたところ、突然、相手が英語で話し始めたので、英語が話せる人は理解できるが、英語が話せない人は全く理解できない状態が続いたと言えるかもしれません。現在、前衛音楽がゲームや映画等の商業音楽で使用される機会が多いのは、英語(前衛音楽)がよく分からなくもジェスチャー(映像やシチュエーション等)を交えると何となく「伝わる」という状況が生まれているではないかと思います。この点、ジェスチャーを交えずに英語を理解するためには英語を日本語に翻訳しようとするのではなく英語を英語として理解する姿勢が求められますが、直ぐに英語を英語として理解することは難しいのでジェスチャーに頼りながら徐々に英語に慣れ親しんで英語を英語として理解し始めているというのが現在の状況ではないかと思います。無論、これまで使い慣れてきた日本語のみを使って日本人のみとコミュニケーションをとりながら狭い世界の中で生きて行くという考え方は人生の選択の問題なので議論の外ですが、僕は狭い世界(過去の遺産を消費しながらその中で約束された娯楽や癒し等を求めて満足する世界)の中だけで生きて行くのは面白くないと感じています。前述のとおり前衛音楽は言葉を変えたほかにも、文法を変え(言葉を変えれば、自ずと文法も変わります)、文章の機能を変え(小説ではなくクロスワードパズルなど)、或いは言葉以外の方法(絵文字など)を用いて、これまでの約束された娯楽や癒し等から新しい表現世界を開きましたが、それ故にその表現は多種多様で複雑なものになってしまい、例えば、日本語の小説を読むつもりで英語のクロスワードパズルを前にしても何をどうしたら良いか分からずに途方に暮れてしまうのは当然とも言えます。後掲「現代音楽の行方 黄昏の調べ」の著者の大久保賢さんが前衛音楽について「楽譜を見せて貰って解説を受けないと、耳を通してだけ聴き取るのが難しい音楽」と語られていますが、後述のとおり美術の分野で一般的に普及している客と作品との間を媒介(通訳)するキュレーターのような存在が前衛音楽にも必要ではないかと感じます。クラシック音楽(調性音楽)では音楽を創作する側の「伝える」と音楽を受容する側の「伝わる」との間の相互往還があり、日常会話と同様に正しく理解できているかは別として「伝わる」という状態(漠然と理解できた状態や理解できたと誤解している状態等を含む)に至ってコミュニケーションが成立し、そこに共感(約束された娯楽や癒し等)を形成するという一連のプロセスがあると思います。この点、英語のクロスワードパズルを理解するためには日本語の小説とは自ずと異なるコミュニケーションの有り様とそれに応じた「伝わる」という状態(但し「伝わらない」ことが全く無益であるのかは別論)について、音楽を受容する側が認識を広げることが第一歩ではないかと感じます。もともと日本の伝統音楽は、音程や音色が不安定で調性音楽(クラシック音楽の調性システムに基づく音楽)のような調性感はなく、リズムも精妙で複雑なものが多いなど前衛的な性格が色濃いものでしたが、明治維新後の近代化政策によって調性音楽のみを義務教育で扱うようになり(2002年から義務教育で和楽器を教えるようになりましたが、現状、和楽器を使用した曲でも日本の伝統音楽の言葉や文法等ではなくクラシック音楽の言葉や文法等を使って創作された作品が多いのが現状で)、長年に亘って、義務教育及び日常生活で調性音楽のみを学び(即ち、クラシック音楽等の調性音楽の抽象表現を理解する素養を身に着けるための教育的な機会は与えられてきましたが、日本の伝統音楽等の前衛的な音楽を理解する素養を身に着けるための教育的な機会は与えられず)、これに慣れ親しんできたこと(即ち、日本では明治維新を契機として前近代的であるという理由から事実上前衛的な性格を有する日本の伝統音楽の殆どが事実上折衷というより破棄に近い状態に置かれてきたこと、西洋ではルネサンスを契機としてキリスト教的な価値観である神聖性(精神、理性)からギリシャ神話的な価値観である人間性(肉体、本能)を回復するために教会旋法を破棄して調性音楽を導入したこと)が原因として挙げられます。よって、(最新の脳科学の研究に照らして同じような結論に達し得るのかは分かりませんが、その観点からの整理は次回に回すとして)前衛音楽を理解するためには意識的に前衛音楽を学ぶ機会を設け、これに慣れ親しむ自助努力が必要ではないかと感じます。そのためには、例えば、英語のクロスワードパズルを理解するためのコミュニケーションの有り様を認識する必要があり、「調性音楽の義務教育」に相当するものを補うために作曲者による解説やキュレーターによる媒介は必要的又は有効ですし、これに慣れ親しむためには先述したとおりジャスチャー等の助けを借りて前衛音楽に慣れ親しみながら自学自習すること(今回のブログは前衛音楽の代表的な作曲技法の意義を社会の変容との関係性の中で整理して前衛音楽のアプローチの仕方の1つの手掛りを模索し、調性音楽における感情表現への共感に代り得る何かを見出だしたかったというのが趣旨)など地道な方法しかないと感じています。また、最近では、調性音楽への回帰など音楽を受容する側にとって認識し易いコミュニケーションの有り様を採り入れて音楽を受容する側の現状に歩み寄る創作が増えているようです。個人的には「〇〇音楽」というカテゴリーに狭く閉じ籠るのではなく、そのフィールドをシームレスに広げて社会の変容をキャッチアップして(もって自分の世界も広げて)行けるような柔軟性を身に着けたいと心掛けている最近です。なお、先程、美術の分野ではキュレーターが普及していると申し上げましたが、音楽の分野でも、例えば、音楽を聴く行為と身体の関係について研究されている堀内彩虹さん(東京大学大学院後期博士課程、2017年柴田南雄音楽賞受賞)が最新の研究成果を踏まえて現代音楽のアプローチの仕方を指南する体験型ワークショップの開催を企画されており(クラウドファンディングに挑戦中)、また、NHK-FMで作曲家の西村朗さんが現代音楽を分かり易く解説しながら紹介するラジオ番組「現代の音楽」(日曜AM8:10~)を放送されており、現代音楽について何を又はどのように聴いたら良いのか分からないという方にとっては絶好の水先案内人となっています。鑑賞の世界を過去から現在、未来へと拡げてみませんか? 

黄昏の調べ: 現代音楽の行方

黄昏の調べ: 現代音楽の行方

▼現代音楽史の俯瞰(社会を映す鏡としての音楽)

 

【おまけ】

最近は著作権保護が厳しく、ブログに貼り付けられる動画も限られてきます。著作物は頒布(使用)されてその価値を生むものなので、著作権を保護するために著作物の頒布(使用)を制限するのは「正解」とは言い難く、その頒布(使用)にあたって適正な対価が著作権者に支払われる仕組みを考えて、寧ろ、どのようにすれば著作物の頒布(使用)が促進されるのかという方向で知恵が絞られるべきではないかと思います。著作物の頒布(使用)を制限することで事足れりとする現代の風潮が残念でなりません。

♬ 加古隆作曲「パリは燃えているか」(映像の世紀プレミアムのテーマ曲)

この曲を聴きながら産業革命に端を発する激動の近現代史は僅か100年間に繰り広げられた歴史なのだと思うと感慨深くも、これから生じ得る時代の変化の激しさを思うと恐ろしくも感じられます。2019年1月31日(水)にNHKスペシャル「映像の世紀コンサート」が開催されますので、ご興味のある方はいかが。


加古隆クァルテット『パリは燃えているか [Takashi Kako Quartet / Is Paris Burning]』

♬ シェーンベルク作曲「浄夜」(弦楽合奏版)

未だ調性感が残されているシェーンベルクの初期作品ですが、「クラシック音楽」(中世の調性音楽)の終焉を告げる音楽の1つとして採り上げておきます。なお、画像中央のチェック柄のワンピースを着ている女性はヒラリー・ハーンです。


Arnold Schoenberg "Verklarte Nacht" (Transfigured Night) Op. 4 for String Orchestra 

♬ シェーンベルク作曲「弦楽三重奏曲」

シェーンベルクが十二音技法を考案(発明)して「クラシック音楽」(中世の調性音楽)から「前衛音楽」(近代の無調音楽)へと羽搏きますが、その傑作品の1つを採り上げておきます。十二音技法が考案(開発)されてから約100年が経過しておりその間の現代音楽の目まぐるしい変容を顧みると、最早、十二音技法はコンテンポラリーではなく古典的な風情を湛えていると言えるかもしれません。


Trio Arkel, Die Forelle Concert, Schoenberg String Trio Op 45

  【今日のイチオシ】

エリス・マルサリス国際ジャズ・ピアノ・コンペティション第2位及び最優秀作曲賞を受賞し、また、ボストンミュージックアワード2018のジャズ・アーティスト・オブ・イヤー部門にノミネートされたジャズピアニスト・山崎梨奈さん(バークリー音大卒)の演奏をどうぞ。いま最も注目される若手ジャズピアニストの1人です...らぶ💖2019年2月11日(月祝)及び2月13日(水)山崎梨奈トリオとして凱旋ライブが開催されますので、これは聴き逃せません。


Rina Yamazaki- Cherokee