大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−

【題名】観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−
【演目】能「紅葉狩り」鬼揃(作、観世信光)
【出演】<前シテ(上臈)>観世喜正
    <後シテ(鬼女)>観世喜正
    <ツレ(侍女、鬼女)>遠藤喜久、鈴木啓吾、古川充
    <ツレ(鬼女)>佐久間二郎、小島英明
    <ワキ(平維茂)>福王和幸
    <ワキツレ(家来)>福王知登、山本順三
    <アイ(侍女)>高野和憲、深田博治
    <笛> 松田弘
    <小鼓>幸正昭
    <大鼓>安福光雄
    <太鼓>金春國和
    <地謡観世喜之、中森貫太、中所宜夫、遠藤和久 
    <後見>永島忠侈、奥川恒治、長沼範夫
【会場】札幌テレビ メディアパーク・スピカ
【料金】ビクターエンタテインメント
【感想】
能や歌舞伎の演目に「紅葉狩り」(山野で紅葉を散策すること)というものがありますが、日本で「紅葉狩り」の風習が生まれたのは平安時代の頃になります(「大鏡」に嵐山の紅葉祭りの様子が描かれています)。「紅葉狩り」以外にも紅葉を採り上げている作品は多く、能「龍田」は以下の有名な和歌を題材として秋の神「龍田姫」が登場する紅葉に因んだ作品になっています。

竜田川 もみじ乱れて流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ(古今和歌集

以前にこのブログでも書きましたが、中世の日本は現代の日本に比べて外界(自然界)と内界(人間界)との境界が曖昧(西洋の二元論的な世界観とは異なる一元論的な世界観)で、現代よりも遥かに自然が生活の中に溶け込んでいましたが、そのことは平安時代の衣装の色彩美にも色濃く表れており、後世のような「配合の妙」(人工美)ではなく「配色の妙」(自然美)を貴重として着飾ることが主流だったようです(因みに、西洋料理で使われるソースは旨味を造り出す“配合の妙”ですが、日本料理は素材の旨味を引き出す“配色の妙”であり、その意味で“配色の妙”は日本的な美意識の表れとも言えるかもしれません、閑話休題)。即ち、一枚の衣で言えばその表裏の裂地の「重色」、装束で言えばそれらの衣色の「かさねの色目」(色目の調和や対比)を活かして草花の彩りや木葉の色合いなど表し四季折々の季節感を着飾っていましたし、装束のみならず、懐紙、料紙や几帳等の調度品にもこのような色使いが重用されていました。映画「源氏物語」の感想(record芸術)にも書きましたが、平安時代の瑞々しく繊細な色彩感には目を見張るものがあり、現代と比べて繊細な色調(自然の草花等を模倣した精妙な色合いや色名の豊富さ)や配色に対する鋭敏なセンス(季節を感じさせる彩りや豊かな表情を生み出す多彩なコントラスト)など中世の日本人の感受性の豊かさに嫉妬したい衝動に駆られます。現代の日本は外界(自然界)と内界(人間界)とが完全に分離され、日常の中で自然を感受する機会はめっきりと減り、例えば和歌のように花鳥風月を歌に詠み自然を愛でる風流心(文化風俗)も希薄化してしまいましたので、それだけ現代の日本人は自然を感受する能力が退化してしまった(例えば、昔の日本語には、自然の色彩だけではなく、波や風、雨、雲、光など自然を表現するための実に豊富な語彙に恵まれ、自然の繊細な表情の変化を木目細やかに感じ取り、それらを表現していたことが伺われますが、現代ではそれらの言葉は忘れ去られ、同時に自然に対する鋭敏な感覚も失われてしまった)のではないかと感じます。

▼かさねの色目
http://www.mode-japonesque.com/mj/kasane/itiran/fall/itiran.html
▼record芸術(映像作品の寸評を書き溜めているミニログ)
http://video.akahoshitakuya.com/cmt/1089341

...ということで、今週末は神の色彩美を存分に堪能しようと思い立ち、カメラを片手に自宅近傍にある見頃を迎えた紅葉の名所で「紅葉狩り」と洒落込みました。色褪せないうちに、写真をアップしておきます。

本土寺(千葉県松戸市


神のキャンバスを埋め尽くす精妙なグラデーション...配色の妙

◆小松寺(千葉県南房総市

静寂を満たす神の色彩...

◆四万木不動滝(千葉県安房郡)

美しい紅葉に誘われるように急峻な渓谷を降って行くと、不動尊が宿る霊験あらたかな不動滝へ。「若し是の如きの法を成就せんと欲する者は、山林寂静の処に入り、清浄の地を求め、壇場を建立して、諸の梵行を修し、念誦の法をなさば、即ち本尊を見たて祀り、悉地円満すべし。或は滝なる河水に入つて念誦をなし、若しくは山頂樹下塔廟の処に於て、念誦の法をなさば速に成就を得ん。」(聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経より)

◆鴨川にある夕日の綺麗な隠れスポット(プライベートビーチのようなところで場所はヒミツ)

デートの締め括りに...チュッ♥

さて、2004年8月28日に札幌メディアパーク・スピカで開催された蝋燭能の模様を収めたDVDを拝見しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。現在、感想を執筆中。続く。



能楽協会のホームページに年末年始に放送される能楽に関するTV番組が紹介されています。能楽能楽堂に足を運んで生舞台を観なければその魅力は十分に伝わってきませんが、その一方で、能楽堂に足を運びたくても地理的な要因や仕事上の都合などで能楽堂に足を運ぶ機会が殆どない人も多いのではないかと思います。近年は、CS放送の専門チャンネル(歌舞伎チャンネル、京都チャンネルなど)が廃止され、全国ネットでも能楽関係の放送枠が減らされてしまう憂慮すべき状況にありますので、NHKや衛星劇場(CS)へドシドシと能楽に関するTV番組をリクエストし、皆さんの力で能楽に触れる機会を少しでも多くしませう!
http://www.nohgaku.or.jp/

▼おまけ
紅葉に因んだ...と思われる一曲を。楽曲に持つイメージは人それぞれだと思いますが、僕は瞑目しながらラフマニノフのピアノ協奏曲第1番第2楽章(14:50〜21:40)に耳を澄ませていると、広陵たるロシアの大自然と木枯らしに巻かれる金色に染まる落ち葉のイメージが眼前に広がってきます。皆さんはこの楽章を聴いてどんなイメージが広がってきますか。

ロシアの秋をもう1曲。チャイコフスキーの「四季−12の性格的描写」より10月「秋の歌」をどうぞ。

「四季」と言えば、上記で挙げたチャイコフスキーの曲以外にも、ヴィヴァルディ、グラズノフピアソラ、ミヨーなどが同名の曲を書いていますが、もう1人、ハイドンのオラトリオ「四季」より「秋」をどうぞ。