大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

新年のご挨拶

あけましてコケコッコー..🐓 今年の干支は「酉」(鶏)ですが、中国、東南アジア(タイ、ベトナム)、インド、ロシア、東ヨーロッパ(トルコ、ベラルーシブルガリア)等にも日本と同じく干支があり、これらの国々でも今年の干支は「酉」(鶏)になります。日本では、神様が新年の挨拶に来た順番に動物のリーダーにしてやると約束したが、神様に新年の挨拶に行く途中で「申」(猿)と「戌」(犬)が喧嘩になったので「酉」(鶏)が仲裁し、その仲を“とりもつ”ように挨拶に来たので「申」と「戌」の間の10番目の干支になったという伝承が残されています。海外でもこれと似た「鼠と猫が喧嘩する話」や「鼠が牛の背に乗ってきて一番になる話」等の伝承が残されており、その由緒は共通していると思われます。昔から甲高い雄鶏の鳴き声は太陽神を呼び覚まして夜を明けさせるものとして神聖視され、神様と人間との間を“とりもつ”役割を持っているとみなされてきました。この点、古事記によれば、神社の鳥居(神域と俗世とを隔てる結界)は、天照大神の岩戸隠れの折に、鶏を止まり木に止まらせて鳴かせたところ天照大神が岩戸から出てきて天上界と地上界に光が戻った故事に由来して生まれたと言われています。また、「通り入る」(とおりいる)という言葉が転じて「鳥居」(とりい)になったとも言われていますが、その背景には生殖器信仰(前回のブログ記事で触れましたが生殖器信仰は古代ギリシャを初めとして世界各地に広く見られる原始的な信仰形態)に基づいて「生を司る神社」(「死を司る寺社」とは正反対の性格)の「鳥居」は女性器を表し、「参道」(産道)を通って「お宮」(子宮)へと至るものとされ、お賽銭箱の上方にぶら下がっている「鈴」と「紐」は男性器を象徴し、神社へお参りする度に新しく生まれ直す(安産、お宮参り、七五三、初詣、合格祈願、結婚式等の人生の節目に深くご縁のある場所)という意味合いがあると言われています。このような鶏の神聖視は日本やアジア圏の国々だけのことではなく、例えば、バッハ「マタイ受難曲」のペテロの否認の場面でも、イエスと共にあることを誓っていたペテロが自分へ危難が降り掛かることを恐れて拷問を受けるイエスを「知らない」と三度否認したところで、イエスが予言したとおり雄鶏が鳴く声を聞いて、ペテロは我に返って激しく後悔の涙(ピッチカートによる涙のモチーフ)を流す場面がありますが、この雌鶏の鳴き声はペテロの信仰を開く役割(夜明け)を与えられており、西洋でも鶏が神聖視されていたことが伺えます。



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【上段】
1〜4枚目日本で唯一の料理の神様を祀る高家神社(千葉県千倉)には日本中の料理関係者が参詣し、絵馬には料理の腕前上達や飲食店の繁盛を祈願するものが多く見れます(今年は焼き鳥屋の参詣は控えた方が良いかもしれません..)。なお、映画「武士の献立」では四条流包丁式を執り行う場面が出てきますが、毎年秋に高家神社では本物の四条流包丁式の奉納が行われ、一般人も見学が可能です。また、毎年、高家神社にはヒゲタ醤油(千葉県銚子)の醤油が奉納されますが(日本料理の調味料に欠かせない「醤油」の文字を良く見ると「酉」の文字が潜んでいます)、千葉県は神様御用達のヒゲタ醤油(千葉県銚子)と宮内庁御用達のキッコウマン醤油(千葉県野田)を育む日本有数の醤油の名産地でもあります。因みに、1900年(パリ万博)にフランスでミシュランガイドによるレストラン・ホテルの評価格付けを始めるよりも昔、江戸時代には相撲の番付に準えて色々なものを番付することが流行していましたが、江戸時代(1839年)に発行された醤油番付にはキッコウマン醤油が「大関」、ヒゲタ醤油が「前頭」に名前を連ね、時代の風雪に耐えて、その味を現代に伝えています。
【下段】1枚目:カメラレンズの屈折で実際よりもかなり小さく映っていますが、肉眼で見ると三浦半島東京湾を挟んだ手前の陸地)と伊豆半島相模湾を挟んだ奥の薄い陸影)越しに富士山の雄大さが一層と際立ちます(千葉県金谷港)。2枚目:酉年に肖って白鳥の湖へ。白鳥のほかにも鴨やその他の野鳥も多く、人間慣れしているのか近付いても逃げません(茨城県北浦)。3〜4枚目武田信玄を祭神とする武田神社山梨県甲府)と第12代市川團十郎が開設した歌舞伎文化資料館山梨県三珠)。初代市川團十郎の五世の祖(本人−父−祖父−曾祖父−高祖父−五世の祖)堀越重定(市川團十郎家の本名は堀越姓)は武田家の能係として一条信竜(信玄の弟)に仕えていましたが、初代市川團十郎の曾祖父堀越十郎家宣は三増峠の戦い(神奈川県愛川)で軍功を挙げて山梨県三郷に地行を賜っています。市川家の家紋が三升紋なのは三増峠の戦いに由来し、一番外側の枡は「信玄枡」、中間の枡は「京枡(一升)」、一番内側の枡は「京枡(半升五号)」と言われており、上洛半ばで病に倒れた信玄の無念を晴らす意匠のようにも感じられます。また、「ますます繁盛(枡桝半升)」に肖ったものとも伝えられています。信玄の子勝頼の代に武田家が滅亡し、堀越十郎家宣は千葉県成田に移住しています。

下表は世界各国の鶏の鳴き声を比較したものですが、日本人(正確には日本語を母国語とする人)は鶏の鳴き声を一様に“コケコッコー”と認識し、撲が知る限り、これについて異論を唱えている日本人を見たことはありません。しかし、その一方で、外国人(正確には外国語を母国語とする人)は鶏の鳴き声を少し異なった音として認識しています。これは人種の違いによって生じるものではなく、日本人であっても外国語を母国語として育てられた人はその外国語を話す外国人が認識するのと同じ音として鶏の鳴き声を認識するそうなので、先天的(又は身体的)な要因による違いではなく、後天的(又は知覚的)な要因による違いではないかと言われています。また、同じ日本人であっても時代によって鶏の鳴き声の認識は変化していますが、この認識の変化は日本語の変化と密接に関係しているのではないかと考えられます。例えば、大鏡平安時代)ではペット供養(愛犬の法事)の話で犬の鳴き声を「ひよ」(びよ)と表記し、また、狂言「二人大名」室町時代)では大名が犬の物真似をさせられる場面で犬の鳴き声を「ウウ、ウウ、ベウベウベウベウベウ」と表記しており、犬の鳴き声が「ワン、ワン」と認識されるようになった江戸時代以降とは大きく異なっています。さらに、今昔物語集平安時代)では動物の鳴き声だけではなく人間の赤ちゃんの泣き声を「イガイガ」と表記し、また、「毛詩抄」室町時代)では人間や動物の鳴き声等の擬音語だけではなく自然の描写等の擬態語として日の出を「つるつる」と表記しており、現代の日本人とは全く異なった音の認識パターン(感覚器官としての耳の違いではなく、認識器官としての脳の違い)を持っていたことが伺えます。

◆世界比較(音源

鶏の鳴き声
日本 コケコッコー
アメリ クックドゥードゥルドゥー
イギリス トゥイートゥイートゥイー
スペイン クィクィリクィ
フランス コックェリコ
イタリア ココリコ
ロシア クカレクー
中国 コーコーケー
韓国 コッキオー
インドネシア クックルーユ

◆時代比較(日本)

時代 鶏の鳴き声
奈良時代 コロ、カラ、コロク
鎌倉時代 コカコカ
江戸時代 トーテンコー、トッケイコウ、トッテコウ
現代 コケコッコー

人間の脳は言語脳(左脳)と音楽脳(右脳)に分かれ、左脳は言語音を論理的に捉え、右脳は非言語音(音楽、機械音、雑音など)を感覚的に捉えることに優れています。しかし、自然音(虫や動物の鳴き声、波、風、雨や小川のせせらぎ等)又は自然音に近い伝統邦楽(器)の音(∴基本的に西洋音楽(器)は自然音を人間が扱い易いように人工的に区切られた音で構成されていますが、伝統邦楽(器)はピアノの鍵盤(人工的に区切られた音)と鍵盤(人工的に区切られた音)の間にある自然音も含めて構成されている点が異なります)等は、西欧の言語が持つ音の特徴には似ておらず、西欧人(西欧の言語を母国語とする人)はこれらの音を非言語音と認識して右脳で処理しますが、その一方、日本語が持つ音の特徴とは似ており、日本人(日本語を母国語とする人)はこれらの音を言語音と認識して左脳で処理するという違いがあるようです。このような母国語を基調とする音の捉え方の違いが上表にあるような自然音の認識の違いになって現れていると思います。この点、上表で江戸時代には鶏の鳴き声を「トーテンコー」と認識していたと書きましたが、これを漢字で書くと「東天紅」(朝焼けに染まる東の空)となり、日本人は鶏の鳴き声を左脳で言語音に近い音として認識しそこに何らかの意味を聞き取っていたのかもしれません。松尾芭蕉の俳句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」に代表されるように日本人は自然音を聴いてそこに何らかの意義や情緒を見出す鋭い洞察力や豊かな感受性のようなものを持っており、それが詠歌、伝統芸能、演劇や文学等における自然音(効果音)の巧みな利用という日本人の特徴になって現れているのではないかと思います。しかし、人工物で覆われた街に住む現代の日本人は自然音に触れる機会が圧倒的に減っており、例えば、小学校唱歌「虫の声」は誰でも知っている馴染みの歌でも、この中に登場する5種類の秋の虫の鳴き方(犠音語)を答えられる人は意外と少なく、また、この秋の虫の鳴き方(擬音語)を聞くと違和感を覚える(又はきちんと聞き分けられなくなっている)ことに気付く人も多いのではないかと思います。日本語の変化(豊かな精神世界を育むための言語から経済合理性を追求するための言語へと機能化)のみならずその生活様式の変化も相俟って、現代の日本人の自然音の捉え方も徐々に変化してきているということなのかもしれません。日本人の自然音に対する鋭い洞察力や豊かな感受性のようなものが損なわれて行くことがないように祈るばかりですが...。

第35代横綱双葉山(本名は穐吉定次、木更津甚句以前のブログ記事)で世界的に有名なジャズピアニストの穐吉敏子さんとは親類で両方とも大分県出身)は前人未踏の69連勝という記録を達成しましたが、ついに70戦目で敗れて「われ未だ木鶏足りえず」と洩らしたというエピソードは有名ですが、これは荘子の「木鶏の教え」を引用したもので、何事も「道」を究めた者は心に迷いがなく無為自然な状態(その姿が木鶏に似ている)で事に臨めるので、何もしなくても自と「道」は定まり、それが衆人を従わせる風格や品格となって現れるという教えで、全ての「道」(人生)に通じるものと言えます。そう言えば、あるインタビューでヴィオラ奏者の今井信子さんが「良い演奏をしているときはどんな気持ちですか?」という質問に対し、「無心です」と答えられていたのを思い出しますが、僕が生涯で聴いたシャコンヌの演奏の中で三本の指に入る心に染み入る感銘深い名演奏を聴かせてくれた今井信子さんの無為自然の境地に“木鶏”を見る思いがします。

荘子 外篇 達生第十九「望之似木鶏矣」

紀渻子爲王養鬭鷄。
十日而問、「鷄已乎。」
曰、「未也。方虚憍而恃氣。」
十日又問。曰、「未也。猶應嚮景。」
十日又問。曰、「未也。猶疾視而盛氣。」
十日又問。曰、「幾矣。鷄雖有鳴者、已無變矣。
望之似木鷄矣。其徳全矣。異鷄無敢應者,反走矣。」

紀悄子は斉王の闘鶏を育てていた。
斉王は10日経過後に「あの闘鶏はどうか?」と問うと、
紀悄子は「未だダメです。勝気に焦って虚勢を張るなど気持ちばかりが空回りしています。」 と答えた。
斉王は20日経過後に同じように問うと、
紀悄子は「未だダメです。他の闘鶏の姿や声を見聞きしただけで興奮してしまいます。」と答えた。
斉王は30日経過後に同じように問うと、
紀悄子は「未だダメです。他の闘鶏を睨み付けて闘志を剥き出しにするなど冷静さを欠いています。」と答えた。
斉王は40日経過後に同じように問うと、
紀悄子は「そろそろ良いでしょう。他の闘鶏の声を聞いても全く動じず、まるで木鶏のように泰然自若としています。その姿には道を究めた者の凛とした品格や堂々たる風格のようなものが漂っていて、どんな闘鶏も逃げてしまうでしょう。」と答えた。

上述のとおり荘子は「無為自然」を重要な教えの1つとし、「且夫乘物以遊心、託不得已以養中、至矣。」(荘子 内篇 人間世第四「乘物以遊心」より)と説いて、人の世をあるがままに受け入れ、自分の心を遊ばせて人生を全うすることが豊かな人生を歩む秘訣であると諭しています。そう言えば、昨年、俳優&画家の榎木孝明さんの勧めで美術家の篠田桃紅さん(映画監督の篠田正浩さんの従姉)の著書「一〇三歳になってわかったこと〜人生は一人でも面白い〜」を読んだことを思い出しましたが、荘子の教えと相通じる点が多く、また、自分の人生観とも共感することが多かったので、新年にあたって自分の人生を見詰め直すという意味で少し紹介してみたいと思います。なお、古今東西、撲の知る限り、“なぜ生きる”という問いに対して有効な回答を示すことに成功した偉人・賢人を知らず、おそらく人間には“なぜ生きる”という問いに対して有効な回答を示せるだけの頭脳(知恵)までは神様から授けられていないのではないかと思われ、せいぜい“どのように生きる”という問いに対して人類普遍の原理としてではなく極めて個人的な信条や価値観として語り得る類の問題ではないかと観念しています。この本は“どのように生きる”という問いに対して篠田さんの個人的な信条や価値観が語られているものであり、自分を映す縁(即ち、この本から“どのように生きる”という問いに対する回答を示して貰うのではなく、自分で考えて悟るための契機とするという意味)として非常に有益なものに成り得るので、是非、ご一読をお勧めしたいと思います。

篠田さんの人生訓(この本から抜粋、要約)
自分の意に染まないことはしないようにしています。無理はしません。杭に結び付けた心のひもを切って、精神の自由を得る。誰か式、誰か風、ではなく、その人にしかできない生き方を自然体と言う。

仏教や荘子の教えに「自然」(じねん)という言葉がありますが、これは「自ら然る」(おのずからしかる)という意味で、作為がない「そのまま」の状態が一番望ましいという考え方です。これを人間の生き方について言い換えると、他人に迷惑をかけない限り【注】らにって生きること自由)が人間のあるべき姿(幸せ=人間が心地よいと感じる状態)であるということになります。篠田さんの言葉は、この教えを自らの人生の中で実践して来られ、自らの信条として実感を込めて語られたものなので、個人的には非常に共感を覚えます。命とは神様から与えられた時間のことだと言いますが、人生はこの限られた時間の中で何を行い又は行わないのかという選択の連続であり、また、何かを得るということは同時に別の何かを失うということでもあって(例えば、家庭を持てば自由な時間が減るなど)、一口に、らにって生きる(自由)と言っても、“自ら”とは何者なのかをよくよく弁えていないと、他人の考え方や世間の価値観等に流されて自らの人生を虚しくすることにもなり兼ねません。前述のとおり、“どのように生きる”という意味では、死の床にあって「自らの人生はまずまずであった」と自分自身と折り合いをつけることができる(よって、その基準は人それぞれ)ような人生経験をどれだけ積み重ねられるのかが重要であって、その観点から人生の選択を誤らないように心掛けなければならないと思います。

【注】人間が自由に生きるためにはお互いに他人の自由を侵害しないことを前提としますが、他人の自由を侵害しないための決まり事を定めたものが法律やその他の社会規範(ルール)であり、これらのルールに反しないように心掛ける態度が“他人に迷惑を掛けない”ということです。このことを当世流に言い換えると、「コンプライアンス」(ルールを守って他人の迷惑を掛けないようにすること)や「ダイバーシティ」(ルールを守っている限りお互いに多様性=自らに由って生きることを尊重すること)という言葉がそれにあたり、これらは人間が幸せに生きて行くために必要なことです。

篠田さんの人生訓(この本から抜粋、要約)
生きているうちに、やりたいことはなるべくしておく。私のような歳になると、やれることとやれないことができてきます。体が丈夫なうちは、自分がやっておきたいと思うことはどんどんやったほうがいいと思います。そうすれば、死ぬとき、思い残すということが少ないかもしれません。やっぱり私はこうでよかったと、自分自身が思える人生が一番いいだろうと思います。

最近、「働き方改革」という言葉を耳にしますが、戦後日本の経済政策(プロパガンダ)によって「豊かな老後」のために「現在」を犠牲にして勤労と貯蓄に励むことを美徳とする価値観が日本人に刷り込まれ、その結果、日本は未曽有の高度経済成長を遂げて資源がなくても世界有数の金融資産と技術力を誇る経済大国へと発展しました。しかし、資本主義市場が成熟すると右肩上がりの経済成長は見込めず、労働時間の多さが経済成長に結びつかない(要するに、必要以上の労働はコストしか生まない)時代になって、漸く【「労働」>「生活」】から【「生活」>「労働」】へと発想が転換され、人生において何を優先すべきなのかその考え方が根本的に変わろうとしています。篠田さんは「自分がやっておきたいと思うことはどんどんやったほうがいい」と仰っていますし、荘子も自分の心を遊ばせて人生を全うすることが豊かな人生を歩む秘訣であると諭しています。これまでのように気力が衰えて体の自由も効かなくなる「老後」のためと称して、気力が十分で体の自由も効く「現在」を犠牲にして働くという考え方はナンセンスになり、如何に「現在」を自らに由って生きる(自分の心を遊ばせる)のか、どのような「現在」を積み重ねるのかによってどのような“死の床”を迎えられるのか定まるという意味で、個人の人生の選択の問題として何を優先して「現在」を生きるのかが益々重要になってくる時代だと思います。

人の世を 楽しむことに 我が力 少し足らずと 嘆かるるかな(与謝野晶子

篠田さんの人生訓(この本から抜粋、要約)
私は作品を描き始めると、一切、なにも思わなくなりました。筆が勝手に描いているという感覚で、なにかを表現したい、想像したい、造形をつくりたい、といった私の意識はどこにもありません。

頼るのではなく、自分の目で見て、考える。絵画を鑑賞するときは、解説を忘れて、絵画が発しているオーラそのものを自分の感覚の一切で包み込み、受け止めるようにしています。このようにして、感覚は、自分で磨けば磨くほど、そのものの真価を深く理解できるようになります。世の中の風潮は、頭で学習することが主体で、自分の感覚を磨く、ということはなおざりにされています。

篠田さんは作品を描くときは無意識に筆が運ぶと仰っていますが、人生における老成円熟の境地と同様に、その無為自然な創作姿勢には迷いや衒いなどがない“木鶏”の凛とした品格のようなものを見る思いがします。時代や大衆に迎合する(作為)のではなく、自然な創作意欲に由って生み出される作品こそが時代の風雪に耐えて愛されることは歴史が証明するところです。

篠田さんの言葉を読んでいて、昨年亡くなられた能楽師人間国宝)の宝生閑さんが「能の鑑賞に一番大切なのはその作品に関する知識ではなく花鳥風月を愛でる“風流心”だ」と語られていたのを思い出しました。芸術は自分自身と向き合うための縁であり、そこに芸術鑑賞の醍醐味があると思います。そのためには芸術鑑賞の手掛りを専ら自分の外(知識)に求めるのではなく、自分の内(感受性)に求める姿勢が重要であり、(芸術鑑賞が極めて個人的な体験であることを踏まえれば)その作品の鑑賞を深めて本質に迫って行くためにも有効な姿勢ではないかと感じています。これは人生にも同様のことが言え、自分の人生の諸問題に対する答えは全て自分の中にあり、それを自ら見出すために他人の力を借りることはあっても、それを他人の中に探し求めているうちは自律した大人とは言えないのだろうと思います。人間は一人で生まれ、一人で死んで行く訳ですから、遅くても40歳位までには自分の人生の始末は自分一人でつけられるようになっていたいものです(“四十而不惑”)。前述のとおり、これからは働き方改革で人生の選択の余地が拡がり自分自身と向き合う時間が増えてくると思いますが、自分自身と向き合うための縁としての芸術は人生(心)を豊かにしてくれるものであり、これまで以上に芸術との濃密な関わりを求める人が増え、益々、芸術の存在意義が大きく捉えられるようになるのではないかと思います。

ところで、今年は日本のアニメーション100周年だそうですが、これに関連して、前回のブログ記事で紹介したジャズマンガ「BLUE GIANT」を含めて撲も愛読しているクラシックマンガ「のだめカンタービレ」、茶道マンガ「へうげもの」、バレエマンガ「SWAN−白鳥−」、能楽マンガ「花よりも花の如く」、落語マンガ「昭和元禄落語心中」、古典マンガ「あさきゆめみし」、美術マンガ「GALLERY FAKE」などを「学習マンガ」と言うそうですが、日本のマンガのクオリティ(実写に劣らない空気感までも伝える作画力のみならず、丹念な取材に基づく題材の掘下げなどを含む)の高さは酉肌物です。未だお年玉の使い道が決まっていない良い子の皆さんは、どうせ貯金しても将来ロクなことには使いませんので、できるだけ若いうちに、一生の財産になるようなものを見付けられるかもしれない「学習マンガ」に散財してみるのも一興かと思います。

🐣 2017年のアニバーサリー(50年刻み)

【芸術】

【音楽家

【画家】

【作家】

【施設】

【番外】

酉年は十二支の十番目に位置し、秋を示す干支と言われていますが、丁度、新米の収穫が終わった秋から酒の醸造が行われることから、「酒」という文字の旁の「酉」(酒壷の象形文字)が干支の文字に当てられたと言われています。そこで、トリとして酉年に因み、宗教改革500年を記念してルターの酒にまつわる福飲と、自らに酔って生きた談志師匠の酒にまつわるコッケイ噺をご紹介しておきます。

「私がここに座って美味いヴィッテンベルクのビールを飲む、するとひとりでに神の国がやってくる。」(マルティン・ルターが説く宗(酒)教改革)

「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。」(立川談志

◆おまけ
酉年に因んで。雄鶏の話題ばかりでしたので、ラモーの「新クラブサン曲集」第二組曲より「雌鶏」をどうぞ。

雌鶏の機嫌を“とりもつ”ために、もう一曲、ハイドン交響曲第83番「めんどり」より第一楽章をどうぞ。

ジャズ誕生100年にオマージュを捧げる意味で、サンサーンスの「動物の謝肉祭」から「白鳥」を渡辺かづきTrio+里見紀子Stringsによるジャズアレンジの演奏でどうぞ。

◆おまけのおまけ
スメタナ弦楽四重奏曲第1番「わが生涯」から第三楽章をどうぞ。