大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

名曲喫茶「ライオン」

今日は京橋で野暮用があり折角の土曜日が潰れてしまったので、せめてもの慰みに渋谷で途中下車して名曲喫茶「ライオン」へ立ち寄ることにしました。名曲喫茶「ライオン」は1926年(昭和元年)創業で、もはや文化財と言っても良いような老舗中の老舗です。渋谷の街は表通りに面して一般の商店街が立ち並び、そこから一歩奥へ入ると風俗街、さらにその奥へと分け入るとホテル街が広がっている3層構造になっていますが、道玄坂を登って行く途中、道頓堀劇場のある路地をホテル街へ向かって歩いて行くと、風俗店のネオンの向こう側、丁度、第2層(風俗店)と第3層(ホテル街)の境目のあたりに名曲喫茶「ライオン」の看板が見えてきます。..ということで、決して周囲の雰囲気は良いとは言えませんが、表通りの喧騒と比べるとホテル街は人影も少なく湿っぽい静寂に包まれているのでクラシック音楽を聴くには却って適した環境と言えるかもしれません。今日は、ベルグルント@ボーンマス響によるシベリウスペレアスとメリザンド(LP)と、フルトベングラーBPOによるブラームス交響曲第3番(LP)が流れていました。ベルグルント@ボーンマス響は透明感のある響きで安定感のある演奏を楽しめましたし、フルトベンクラー@BPOはオーケストラが絶叫、嗚咽する彫りの深い演奏(懐かしい時代の香り)を堪能できました。名曲喫茶「ライオン」のステレオは立体感のある豊潤な音響が素晴らしく(そこら辺のコンサートホールで生音を聴くよりも良い音がしているのではないかと思うときも..)、この極上の音響に30分も晒されているとすっかり耳が贅沢になってしまって家でCDを聴く気がしなくなってしまいます。名曲喫茶の楽しみは音楽鑑賞に加えて人物観察にもあります。名曲喫茶にはクラヲタ、文化人(モノカキが多い)、挙動不審な新顔、素性の計り知れない謎の生命体など個性的な客が来ていますので客を観察しているだけでも飽きが来ません。一杯のコーヒー(500円)で最高級の音響設備による超一流の演奏に浸りながら何時間も瞑想に耽る、それに飽きたら客の人物像についてあれこれと空想を巡らせてみるなんていう休日の過し方も面白いのでは..。名曲喫茶は大人の憩いの場です。

http://lion.main.jp/

ところで、憩いの場と言えば、トイレも忘れてはならない重要なスポットです。去る10月10日(トートー)はトイレの日だそうですが、本格的な水洗トイレが誕生したのは約6,000年前と言われています。その後、西洋ではキリスト教的な価値観(排泄は恥ずかしいこと)が普及してトイレの個室化が進み、現代に至っては単に用を足す場からアメニティ(快適さ)を求める場へと変貌してきています。中世のヨーロッパでは下水道が発達していなかったので一般庶民は窓から公道へ汚物をぶちまけていたそうですが(苦笑)、ハイヒールやブーツなど丈の高い靴は公道に散乱している汚物を避けるために考案されたという話は有名です。一方、中世の日本は中世のヨーロッパと較べるとかなり清潔だったようで、ルイス・フロイスやフランツ・シーボルなどは日本の町は清潔だと書き残しています。この背景には日本の地理的な要因が挙げられると思いますが(大陸ではなく島国なので、河川が多く、その流れも速い)、早くから川の水を建物内に引き入れてそこで用を足していたそうです。日本語でトイレのことを「厠(かわや)」と言いますが、これは「川の水を引き入れた小屋」という意味の「川屋」が語源と言われています。また、江戸時代には農民が武家や町民から汚物を買い取ってそれを「下肥」にしていたそうなので、中世の日本では既に汚物を回収する社会的な仕組みが出来上がっていたことになります。江戸全体の下肥の取引総額は現在価値に換算すると約20億円にも上るそうですし、エネルギー換算では1人当たり約10リットル/年の石油に相当するそうなので、何と経済合理性に適ったエコで清潔な都市だったのでしょうか。「下肥」は昭和半ばまで使われていたそうですが、(沿線の方は気を悪くしないで欲しいのですが)西武新宿線(当時、西武農業鉄道)は「下肥」を郊外へ運ぶための鉄道として利用されていたらしく、そのために車両の色が黄色かったのだとか(←車両の色の話はウソ..笑)。トイレに纏わる「ウン」チクでした。お後がよろしいようで..。