ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)Copyright (C) 2007-2019 Administrator All Rights Reserved.

かながわ伝統芸能祭 文楽公演

【演題】かながわ伝統芸能祭 文楽公演
【演目】仮名手本忠臣蔵より五段目:二つ玉の段、六段目:身売りの段・早野勘平腹切の段
        二つ玉の段
         <義大夫>竹本津國大夫
         <三味線>鶴澤清丈
         <胡弓>鶴澤清公
        身売りの段
         <義大夫>竹本千歳大夫
         <三味線>鶴澤清志郎
        早勘平腹切の段
         <義大夫>豊竹呂勢大夫
         <三味線>鶴澤清治
        [人形役割]
         <百姓与市兵衛>桐竹亀次
         <斧定九郎>吉田勘緑
         <早野勘平>吉田玉女
         <女房おかる>吉田蓑二郎
         <与市兵衛女房>桐竹勘壽
         <一文字屋才兵衛>吉田玉佳
         <めっぽう弥八>吉田一輔
         <種ヶ島の六>吉田蓑紫郎
         <狸の角兵衛>桐竹紋吉
         <原郷右衛門>吉田玉輝
         <千崎弥五郎>吉田幸
         <駕籠屋>大ぜい
     釣女
         <義大夫(太郎冠者)>豊竹英大夫
         <義大夫(大名)>豊竹芳穂大夫
         <義大夫(美女)>豊竹靖大夫
         <義太夫(醜女)>竹本三輪大夫
         <三味線>鶴澤清二郎
         <三味線>鶴澤清馗
         <三味線>鶴澤清尤
        [人形役割]
         <太郎冠者>豊松清十郎
         <大名>吉田幸
         <美女>吉田一輔
         <醜女>桐竹勘十郎
【会場】神奈川県民青少年センター
【開演】14時〜
【料金】1500円
【感想】
県立図書館の隣にある青少年センターで文楽の公演があったので勉強の合間に観に行くことにしました。昨日までは横濱ジャズプロムナード2010でジャズ一色に染まっていた桜木町界隈ですが、紅一点、今日は文楽の公演があるという懐の広い街です。実は、オーボエ奏者の宮本文昭さんなどクラシックやジャズのプレーヤーの中には文楽好きが結構多いのです。西洋の人形劇(例えば、アリオネットやギニョールなど)は人形遣いが舞台上に姿を現すことはなく、あたかも人形自体が生命(意志)を持っているようなリアルな表現手法がとられていますが、それとは正反対に、文楽(日本の人形劇)は人形遣いが堂々と舞台上に姿を現すのが特徴で、しかし、その人形遣いは「見えない」ものとして扱うという暗黙の了解のもとに舞台が成立するというシンボリックな表現手法がとられています。この特徴は能や狂言、歌舞伎にも共通していますが、これは西洋人と日本人の空間把握の違いが背景の1つとして挙げられるのではないかと思います。例えば、西洋の家屋(部屋)は分厚い壁で外界と完全に遮断された「物理的な空間」(リアルな空間)が作り出されるのに対し、日本の家屋(部屋)は襖や障子、屏風(衝立)などで曖昧に間仕切られた「心理的な空間」(シンボリックな空間)が作り出されるという違いがあると思います。日本人にとっては外界と内界(自然界と人間界、彼岸と此岸)の境界は曖昧に認識され、外界も内界も1つの連続した「間」(日本家屋に特有の縁側などはその象徴)として捉える発想が根本にあるのではないかと思います。そば屋に行くと隣のテーブルとは簡単な衝立で仕切られているだけですが、これによって隣のテーブルとは心理的に遮断された空間が作り出されるのと同じようなことが日本の伝統文化の中でも行われ、その一例として、文楽では舞台上に姿を現す人形遣いは「見えない」ものとして扱うというシンボリックな表現手法、空間把握が成り立ち、文楽ならではの繊細で情感豊かな人形の動きを可能ならしめているのだろうと思います。では、簡単に感想をば。

先ず、「仮名手本忠臣蔵」ですが、これは赤穂浪士の討入りを題材にして作られた十一段の時代物ですが、今日はその中から五段目と六段目が演じられました。早野勘平は妻のおかるの実家に身を寄せながら討入りの資金を工面していましたが、舅の与一兵衛が討入りの資金を工面するために娘のおかるを身売りし、その金を貰って帰宅する途中に山賊の斧定九郎に殺されてその金の入った財布を奪われます。偶然、早野勘平は猪狩りの途中に猪と間違って斧定九郎を射殺してしまいますが、斧定九郎が持っていた財布(斧定九郎が与一兵衛から奪ったもの)を奪って帰宅します。しかし、その財布が舅の与一兵衛のものと気付き、早野勘平は舅の与一兵衛を誤って射殺してしまったと勘違いして切腹して果てるという悲劇です。この段は実在の萱野三平(赤穂浪士の討入りに参加しようとしましたが、実父の反対に合って切腹)をモデルとして作られた創作話ですが、忠義を主題にした話のようでいて、人間の機微に触れる人情悲話が隠れたテーマとして扱われているヒューマンドラマです。物語が架橋に入る早勘平腹切の段における豊竹呂勢大夫の義太夫節は迫真に迫るものがありましたし、鶴澤清治さんの叙情的な三味線と相俟ってドラマチックな展開の中にも情緒纏綿とした悲哀の漂う舞台に惹き込まれました。人形操りでは悲劇に翻弄される与市兵衛女房を桐竹勘壽さんが実に巧みに表現し見せ場になっていました。文楽は能の観賞と似たところがあると思いますが、シテと同化する(シテに溶け込む)のと同じような感覚を人形に対して抱くことがあります。観客は受動的な立場で外側から与えられる刺激を感受するというよりは、より能動的な立場で自らの内側から引き出される感慨を舞台に投影するという感覚と言えば良いでしょうか。その意味で、観客の資質(感受性など)が鑑賞の質を左右するところが大きいと思います。

次に、釣女ですが、これは狂言「釣針」が常盤津「釣女」に翻案され、それが文楽に移植されたものです。ストーリーは単純明快で、ある大名が妻を授けて貰おうと太郎冠者を連れて西宮の恵比須様に詣でます。その夜、夢の中で「妻となるものは西の門にいる」というお告げがあり、早速、西の門へ行ってみると釣竿が落ちています。大名はこれで妻を釣れというお告げであろうと釣糸を垂れてみると絶世の美女が釣れ、二人は結ばれます。これを見た太郎冠者も釣糸を垂れますが、今度は二目と見られぬ醜女が釣れるという分かり易い笑いです。メリハリのある義大夫と三味線が大名と太郎冠者の対照的なキャラクターを浮き立たせて、その二人が織り成す滑稽な遣り取りを面白可笑しく聴かせてくれました。また、人形操りでは吉田幸助さんが操る大名の足運びが狂言さながらで見事でしたし、非常にテンポ感のある動きで舞台に流れを作っていました。外国人にもウケが良い演目だそうですが、万国共通の明快な笑いを楽しめました。