大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「バッハ“無伴奏チェロ組曲”」

【題名】クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「バッハ“無伴奏チェロ組曲”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成23年11月23日(水)18時00分〜18時45分
【司会】筧利夫
    黒川芽以
    菅原永二
【出演】河野文昭(東京藝術大学教授 チェロ奏者)
    寺神戸亮桐朋学園大学特任教授 ヴァイオリン奏者)
    古川展生東京都交響楽団 首席チェロ奏者)
【感想】
今日も年末年始に撮り溜めていたテレビ番組を視聴することにしました。NHK−BSプレミアムの名曲探偵アマデウスアを採り上げますが、今回はバッハの無伴奏チェロ組曲です。クラシック音楽の初心者の方には取っ付き難い印象を与えるかもしれませんが、生涯、座右の1曲として味わい通すことができる名曲です。バッハの無伴奏チェロ組曲と落語の対比という切り口で分かり易い内容でしたが、アナリーゼ(楽曲分析)というよりは楽曲解説が中心でした。

ポリフォニー
ご案内のとおり、落語は1人の噺家が複数の人物を演じ、声の張り方、目線の配り方、会話のテンポや間合い等を巧みに使い分けることで、登場人物のキャラクター(情や業など)が滲み出てくる話芸です。この点、バッハの無伴奏チェロ組曲も同じような特徴を持っており、1つの旋律が複数の声部(ポリフォニー)から成り立っています。第1番のプレリュードは3つの声部で構成されており、演奏者は1挺の楽器を使って複数の楽器で演奏しているように立体的に聴かせる必要があります。例えば、下記URLの譜例(自筆譜)の1ページ/1〜2段目の2〜3小節は、以下のとおり3つの声部に分解できます。

(1)低声部
   ソの音(1つ目と3つ目の16分連符の最初の音…)
(2)中声部
   上行形の音階(1小節目のミの音、2小節目のファの音…)
(3)高声部
   上下に動きのある音(中声部の上で、動いている音…)

【楽譜】
http://petrucci.mus.auth.gr/imglnks/usimg/2/21/IMSLP07437-Bach_Suites_Manuscripts.pdf

◆重音
落語は“くすぐり”(落語に差し挟むギャグ)を使って話に起伏(メリハリ)を作るなど最後の“落ち”まで客の心を離さないよう話を繋いで行きます。この点、バッハの無伴奏チェロ組曲も同じような特徴を持っており、重音を使って曲に厚みを加えることで曲の起伏を作り舞曲の躍動感を表現しています。第2番のアルマンドは重音で踊りのステップを表現していますが、あくまでも旋律の流れを壊さないよう自然に演奏する必要があります。例えば、上記URLの譜例(自筆譜)の6ページ/9段目の2〜5小節は、以下のような効果を狙って重音が使われています。

(1)フレーズの輪郭を浮き立たせる重音
   2小節目の冒頭の重音がフレーズの始まり、3小節目の2つ目の8分連符の
   最初の音がフレーズの終わりを示す。
(2)新しいハーモニーを示す重音
   4小節目の冒頭の重音は華々しく新たな展開を示す。
(3)曲想の変化を示す重音
   5小節目の8分連符の最後の重音は少し落ち着いた曲想を示す。

◆開放弦
落語は古典作品が多く現代には通じない言葉や習慣も多いですが、落語に息衝く“情”(笑いに留まらない喜怒哀楽や業など)は時代を超えて伝わる落語の魅力です。この点、バッハの無伴奏チェロ組曲も同じような特徴を持っており、チェロの特徴である太くて長い弦及び大きな箱による豊かな低音とその低音を最も豊潤に響かせる開放弦を活かした作曲が行われています。第3番からプレリュードは保続音(オルゲルプンクト)として開放弦(ソ)を弾かせ、旋律の背後で長く延ばされるベース音として音楽的効果をあげています。例えば、上記URLの譜例(自筆譜)の10ページ/最後の段の途中から11ページ/1〜4段目の途中までは、16分連符の最初の音(ソ)の開放弦が連続して弾かれますが、この開放弦(ソ)の音はハ長調の第5音(ドミナント)なので音楽に緊張をもたらし、この響きが持続することで音楽的な緊張を強調しています。

◆使用楽器
バッハの無伴奏チェロ組曲は楽器の指定がなくどんな楽器で弾いていたのか分かりませんが、第4番以降は現代のチェロを使って当時の演奏法で弾くことは難しいので(第6番のサラバンドでは現代のチェロにないE弦の音が重音に含まれており現代の演奏法を使っても弾くことができないのでその音を省いて演奏されています)、現代のチェロとは違う楽器で弾いていた可能性が高いと言われています。また、第6番は5弦で弾くように指示されていますので(上記のURLの譜例(自筆譜)の29ページ冒頭)、現代のチェロ以外の楽器で演奏されていたことが伺えます。この点、トレッリ作曲「小さな室内協奏曲集」(1687年)のチェロ・パートに添えられた挿絵には横型のチェロ(肩から掛けて演奏した5弦のチェロである“ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ”)が描かれており、第6番はこの楽器を使用して演奏されていた可能性があります。ヴァイオリニストの寺神戸亮さんは“ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ”を使って演奏したバッハの無伴奏チェロ組曲の音盤をリリースして話題になりましたが、現在のチェロではブーレやガボットのような早いテンポの舞曲の演奏が難しく、“ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ”を使うことで舞曲本来の性格やテンポで演奏することが可能となり、この曲が持つ舞曲としての魅力を引き出すのに有効です。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2703409

◆演奏者
バッハの無伴奏チェロ組曲はチェロ用練習曲と看做され長く歴史の中に埋もれてきましたが、1889年にスペイン・バルセロナの楽器店で当時13歳のパブロ・カザルスが偶然にこの曲の楽譜を見付けてその真価を見出したことでこの曲は再評価されるようになりました。ご案内のとおり、パブロ・カザルスは、生涯、無伴奏チェロ組曲と向き合い続けた至高の名チェリストで、彼なくして無伴奏チェロ組曲は語れず、無伴奏チェロ組曲なくして彼を語れないと言えるほど深い因縁で結ばれています。以下のURL(You Tube)のパブロ・カザルスによる無伴奏チェロ組曲の演奏をお聴き戴ければ分かるとおり、楽曲の中に溶け込んで一体となっているような自然な息遣い、それでいて音楽的な表情は豊か、気位が高いところはないのに語られる言葉は思慮深く味わい深い、そんな含蓄のある演奏です。“左手はテクニック、右手は芸術”と言いますが、カザルスの滑らかで無駄のないボーイングもお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=KX1YtvFZOj0&feature

<ガザルスの言葉>

“わたしは驚きの目をみはった
 なんという魔術と神秘が
 秘められているのか”

“80年間、発見の驚きは増し続けている
 あの組曲が私に新天地を開いてくれた”

“楽譜には美しい音符が記されていた
 わたしにとってそれは
 王冠を創る宝石のように思えた
 バッハの組曲は新しい世界に入る
 扉を開いてくれたのだ”

“この組曲
 バッハの本質であり
 バッハは音楽の本質だ”

▼第1番のプレリュード
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=S6yuR8efotI&NR
美しい音の流れの中に3つの声が分散して現れる
豊かな低音の響きが特徴のチェロ
それゆえ単旋律ながらポリフォニー(多声)を感じさせる
開放弦を“保続音”にして上昇への期待が高まる
そしてクライマックスへ

▼第2番のアルマンド
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=OeQWjzeKjxo&feature
時おり現れる重音は旋律のアクセント
重音が曲の展開を印象づける
重音は舞曲の特徴も表現している
アルマンドは2拍子のドイツ舞曲
1拍子目は重く2拍子目は重く
舞曲らしい表現が求められえる

▼第6番のサラバンド
http://www.youtube.com/watch?v=RxvRKyWsmr8&feature=results_video&playnext=1&list=PL46F35F1332A782BA
3拍子の優美な舞曲
本来5弦のチェロのために書かれたこの曲
他の曲よりも高い音が使われている
飛翔する指の運び連続する重音
4弦チェロでの演奏には高度な技巧が要求される