大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「マーラー“交響曲 第5番”」

【題名】クラシックミステリー 名曲探偵アマデウスマーラー交響曲 第5番”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成23年11月16日(水)18時00分〜18時45分
【司会】筧利夫
    黒川芽以
    野間口徹
【出演】野本由紀夫(玉川大学芸術学部メディア・アーツ学科准教授)
    斎藤環精神科医、評論家)
    荒井英治(東京フィルハーモニー交響楽団 ソロ・コンサートマスター
【楽団】NHK交響楽団
    <指揮者>エフゲニー・スヴェトラーノフ
【感想】
今日は年末年始に撮り溜めていたテレビ番組を視聴することにしました。ご存知の方も多いと思いますが、NHK−BSプレミアムの名曲探偵アマデウスアという番組で、毎回、様々な名曲のちょっとしたアナリーゼ(楽曲分析)を紹介しています。素人向けに噛み砕いた内容なので、楽器をやったことがない方でも楽譜の読み方(楽曲の解釈の仕方)が分かります。

今回はマーラー交響曲第5番第四楽章のアナリーゼが採り上げられました。この曲の初演時は不評でマーラーが「全く理解されていない」と嘆いたと言われていますが、1971年に映画「ベニスに死す」で第四楽章が使われて再評価されるようになりました。第4楽章はアルマへ捧げた愛の楽章と言われていますが、細かく楽譜を見て行くとマーラーの作曲意図、心情が瑞々しく蘇ってきます。

先ず、提示部では「倚音」(いおん)が多用され(譜例)、これによってどこか満たされない感覚、「悶え」のような吹っ切れない心理的なニュアンスが音楽に与えられています。

【譜例】

♪  ♪  ♪ | ♩  ♩   ・・・メロディー
ド  レ  ミ   ミ   ファ
  [ドソミ]    [ドラファ] ・・・伴奏の和音
            ↑
           倚音:[ドラファ] + ミ  = 不協和
                       ↓(解決)
              [ドラファ] + ファ = 協和

また、マーラーは楽譜の中で非常に肌理細かくテンポと演奏法を指示していますが、これによって人の魂を揺さぶるような音楽的な効果を与えています。例えば、以下のとおり僅か数小節間(02:30〜03:50あたり)で目まぐるしいテンポ設定を行い、人間の揺れ動く感情、溢れ出る思いを巧みに表現しています。“etwas drangend”で波打つように感情が揺れ動き、“flieBend”へ切り替わる直前の“ff”(ラ)の音(荒井英治さんはこの音に「しがみ付く」という表現を使っていらっしゃいましたが)でテンションが最高潮に達し思いが溢れ出るような切迫した高揚感のある表現が胸に迫ってきます。

“etwas drangend”(少しばかり切迫させて)
  ↓
“flieBend”(流れるように)※“viel Bogen wechseln”(弓をたくさん返して)
  ↓
“zuruckhaltend”(ただちにゆくりと)

次に、中間部では「前打音」(装飾音)が多用され、これによって「しゃくりあげる」ような表現効果が生まれ、苦しさや疼きのような内面心理が巧みに表現されています。また、マーラーは“D-saite”(D線で弾く)など敢えて高い音を低い弦で弾くように演奏法を指示していますが(レ→♭ミ)、これによってポルタメントの効果が生まれ、やはり苦しさや疼きのような内面心理が浮き彫りとなり、マーラーの内面的な葛藤や幸せの背後に控えている不安のようなものが巧みに表現されています。

最後に、再現部では主題が変形され、上昇して行く音型に代り音符の長さも二倍に伸びています。これによってゆっくりと天へ召されて行くような静謐さ、甘美さ、陶酔感、さらに濃厚な死の匂いまで音楽に漂ってくるようで、愛も死も超越した世界が音楽的に表現されています。精神科医の斎藤さんがマーラーは幼少期の家庭環境(DV)の影響で脅迫神経症を患っており、彼の心の中で「エロス」(生の本能)と「タナトス」(死の本能)の心理的な葛藤があり、彼の欲求でもあった「タナトス」(死の本能)が勝利し、それが甘美な死の匂い、エクスタシーとなって音楽に表現されているのではないかと分析されていたのが興味を惹きました。

【譜例】
 ♪   ♪   ♪  |  ♩   ♩. ・・・提示部 
ファ  シ ♭ラ    ♭ラ   ソ
           二分音符 付点二分音符 
ファ  ソ ♭ラ    ♭ラ   ソ   ・・・再現部
    ↑
上昇して行く音型へ変更

マーラーが生きた世紀末のウィーンは、グスタフ・クリムトの「接吻」やエゴン・シーレの「むきだしの肩をいからせる自画像」に見られる退廃的でエロティックな芸術が栄え、人間の深い欲望や心理を表現したいという表現主義(Expression)が時代の潮流であったこともあり、マーラーの音楽も最後の一滴まで感情を絞り出すようにして作曲されています。また、この時代はフロイト精神分析学が脚光を浴び、マーラーも無意識的な欲動や深層心理に強い関心を抱いており、芸術は深層心理の混沌(理不尽、不合理、矛盾)を孕んでいなければ真の人間らしい表現とは言えないという時代感覚のもと、初めて深層心理を音楽に取り入れようとした作曲家と言えるかもしれません。いつも感じるのは「芸術」を理解するということは「その時代」を理解することであって、例えば、クラシック音楽だけを聴いていてもその本質に迫ることは難しく、同時代の絵画、美術、文学、演劇などその時代を俯瞰する広い視野と関心を持たなければ何も見えて来ないことを実感します。

なお、マーラーは手紙の中で「私にとって交響曲とはあらゆる技法をつくして自分自身と向き合うことである」という言葉が紹介されていましたが、これまで何度かこのブログでも書いているとおり芸術家が向き合うのは「観客」ではなく「作品」であり「自分自身」であって、(表現行為は受け手である観客がいなければ成立しないことは言うまでもありませんが)決して「観客のため」ではなく「作品のため」「自分のため」に表現していると思いますし、そのことはマーラーのこの言葉からもはっきりすると思います。例えば、プレーヤーは「作品」や「作者」と向き合いながら表現を行い、観客はそのプレーヤーを介してやはり「作品」や「作者」と向き合っているのであって、決して「プレーヤーと観客」や「観客と観客」が向き合うものではないと思います。先日、某企業による企業ストーカー事件の主犯格が「コンサートホールでは他の観客やプレーヤーに前を見せろ」等と了見違いなことを言っていると書きましたが、プレーヤーが前を見せるべきなのは観客ではなく「作品」や「作者」であるのと同じように、観客が前を見せるべきなのはやはりプレーヤーや他の観客ではなく「作品」や「作者」であるべきだと思います。あまりに失当なので完全に無視していますが、いかにも稚拙なセンチメンタリズムに苦笑してしまします。最後に、この番組の締め括りとして、マーラーの音楽は「究極の精神安定剤であり、その効用は閉ざされた心が開かれることだ」と語っていましたが、この人の心を解き放つ(人の心を自由にする)ということが芸術の存在意義だと思います。

マーラー交響曲第5番第4楽章(You Tube)の音源をリンクしておきますので、以下に記載している上記アナリーゼを踏まえた楽曲解説を参照しながら音楽を聴いてみて下さい。音楽を理解するのに予備知識は必要ないと思いますが、以下に記載していることを意識しながら聴いてみると、より作曲家の心を感じ取れることができると思います。

http://www.youtube.com/watch?v=ov1xwCQULSY

▼提示部(00:00〜03:48)
最愛の女性マルマに捧げた「愛の証し」といわれる第四楽章。冒頭はSehr Langsam(極めてゆっくりと)というテンポが指示され、ハープの美しい響きの中で第一ヴァイオリンが切なく甘美な旋律を奏でます。殆どの小節に「倚音」という非和声音を使うことで心の“悶え”を表現しています。(〜02:20)

マーラーはアルマへのラブレターにこう書いています。

愛するアルマへ
君ができることは、
僕の生涯で最高、最愛の人になること、
そして、
僕の平和、僕の天国になること、
つまり「僕の妻」になることだ。

指揮者であったマーラーはテンポを揺らすことで揺れ動く人間の感情を表現しようとしていました。“etwas drangend” (少しばかり切迫させて)というテンポの指示で音の密度が高まり、一気に感情が高まって行きます。“flieBend”(流れるように)へテンポが切り替わる直前の“ff”(ラ)の音でテンションが最高潮に達し、感情が解放されます(03:48)

▼中間部(03:49〜06:52)
変ト長調の中間部に入るとハープの音が消えます。弦によるねじれて下降する旋律は“焦りの感情”を巻き起こし、前打音を多様して高音を低弦(D線、G線)で演奏させ、音域も広くなり、感情の揺れも激しくなって行きます(〜04:47…)

無意識や深層心理に強い関心を抱いていたマーラーはこんな言葉を残しています。

僕の交響曲は世界がいまだかつて聴いたことがないようなものになるだろう。
それを書いたのが自分でないような気もするのだ。
人が夢の中で予感したかもしれない深い秘密を語るのだ。

▼再現部(06:53〜final)
第一ヴァイオリンは2オクターブ下降して伴奏にまわり、第二ヴァイオリンが微妙に変化した冒頭の主題を奏でます。天上へと向かうかのように旋律はゆるやかに上昇して行き、やがてチェロが旋律を受け継ぎます。

さらに音楽はゆるやかで深い響きを奏でていきます。(08:14〜)

すべての弦楽器が“ff”でクライマックスを迎え(09:01)、やがて消え入るようなエンディングを迎えます。(final)

http://www.cetera.co.jp/mahler/
http://www.nhk.or.jp/amadeus/