大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

拍手のルール―秘伝クラシック鑑賞術

【出版】中央公論新社
【題名】拍手のルール 秘伝クラシック鑑賞術
【著者】茂木大輔
【発売】2008年04月
【値段】1575円
【感想】
かなり昔、書店でオーボエ奏者の茂木大輔さんの著書「拍手のルール」という本を見付け、そのスキャンダラスなタイトルに釣られて購入してみました。僕は典型的なA型人間なので神経質な性格であることは自覚していますが、この著書を読んで意を強くしたので積年の鬱憤を多少なりとも晴らすべく、常の不満を書き散らしてみようと思います。以下に書くことはあくまでも個人的に抱いている不満(或いは怨み言)であって、この本の内容とは直接の関係がないことも含まれていますのであしからず。

拍手のルール―秘伝クラシック鑑賞術

コンサートホールは音楽を聴くために沢山の人が集まってくるところなので、(コンサートホールでの振る舞い方を含めて音楽の嗜み方は千差万別で良いとは思いますが)最低限のマナー、慎むべきことはあると思っています。一言でいえば、他人が音楽を聴くにあって妨げと感じるような言動は慎むということに尽きましょうか。僕は「コンサートホールのマナー=他人への思いやり」だと思っています。自室に篭って一人で音楽を聴いている訳ではないので、他人も気持ち良く音楽を楽しめるような心配りは欠かせませんし、子供ではないのですから、そんなことは指摘されなくても自然と振る舞えるようでなくてはいけません。まあ、これはコンサートホールに限られた話ではありませんが、残念ながら、どこの世界にも大人コドモは存在します…。

①私語:妖怪人間“ペチャ”と“クチャ”
コンサートホールは音楽を聴くための場所なので、プレーヤーが音楽を奏でるために出す音以外は、基本的に、すべて音楽を聴くことを阻害するという意味での騒音となります。しかし、どこのコンサートホールにも騒音おばさんは出没します。今、自分がコンサートホールにいるのか又はカラオケボックスにいるのか弁えていないのかもしれませんが、開演時間になって指揮者が入場してきても仲良しのお友達と“ペチャ、クチャ”とおしゃべりが止まらない人達がいます。コンサートホールは児童館ではありません。この妖怪は必ず2名以上で悪事を働きますが、他人に注意されるまでおしゃべりが止められないようでは、コンサートホールのマナーを云々する以前の問題と言わざるを得ません。開演の予鈴が鳴り会場の照明が落とされると、良識のある観客は心を整えて音楽だけに集中しようとしているはずですが、この騒音おばさんは悪意がない(従って罪悪感もない)だけに救いようがありません。オメカシをして仲良しのお友達とのお出掛けにいくら気分が高揚しているとは言っても、遠足に来た小学生ではないのですから、せめて照明が落とされている間(演奏開始前や楽章間を含む)は私語を慎むくらいの節度はあって欲しいものです。中年から初老の女性に多いタイプです。

②パンフレット:妖怪人間“ペラ”
演奏中の真っ暗な客席でガサゴソと騒音を撒き散らしながらパンフレットやチラシを頻繁に見る人がいます。こんな暗がりでパンフレットやチラシに記載されている小さな文字を読めるのか不思議ですが、“ペラ、ペラ”とページを捲っているだけなので何も読んでいないのかもしれません。そして、何故か会場が明るくなる休憩時間中には全くパンフレットやチラシに見向きもしなくなります。この妖怪はおそらく漫然と席に座っているだけで音楽を聴いて(理解できて)いないのではないかと観察しています。だから気にもせずに演奏中にパンフレットやチラシでガサゴソと騒音を撒き散らしては周囲に迷惑を掛けるような無神経なことができるのでしょう。以前、サントリーホールの館内放送で幼稚園の先生よろしく演奏中にパンフレットやチラシを捲って騒音を撒き散らさないよう注意を喚起をしていましたが、おそらく他の観客から苦情が多いのだろうと思います。クラシック音楽では微弱音が多く、非常に繊細な表現も多いので観客は耳の感度をあげて音楽に集中しようとしていますが、そんな真っ当な音楽愛好家にとっては演奏中にパンフレットやチラシを捲って騒音を撒き散らされると気が散って音楽に入り込めず大変に迷惑をします。例えば、好パフォーマンスを見せたオケの団員を確認するためとか又は声楽曲の歌詞を確認するためにパンフレットを見る程度ならば理解できますが、パンフレットやチラシを読んでいる様子でもなく、ただ意味もなくページを捲っている人が多いのには気が滅入ります。また、わざわざコンサートホールに楽譜を持ち込んで演奏に合わせてページを捲っている人もいますが、楽譜など家でさっと目を通してくるだけで良いものを、この手合いも同類の妖怪です。このタイプは年代性別を問いません。

③鈴:妖怪人間“鈴虫”
日本人は鈴が大好きなので、あらゆる物に鈴をつけたがる習性があります。そのため、どんな演奏会場にも妖怪“鈴虫”は出没します。この妖怪は奏者が身を削るようにして繊細な音を紡いでいるときに決まって、どこからともなくリンリンと鈴の音を鳴らして演奏を妨害し、観客の興を覚まさせるという悪事を働きます。そもそも鳴り物を演奏会場に持ち込むことが無神経というか思慮が足りないのであって、状況判断ができないおバカさんの証といえましょう。音が出そうなものをクロークに預けておくなどの機転は利かないのでしょうな。中年から初老の女性に多いタイプですが、稀に若い女性にもみられます。

④飴玉:妖怪人間“えへん虫”
クラシック音楽愛好家には気管支炎を罹患している人が多いのかもしれませんが、どんな演奏会場にも妖怪「えへん虫」が出没します。楽章間の咳払いは時に壮絶を極め、一体、何が喉につかえているのか想像するのも恐ろしくなるほどです。まだ楽章間の咳払いは良いとしても、妖怪「えへん虫」は静寂が欲しいところで決まって、咳き込んでみたり、飴玉の袋をガザゴソとやりはじめます。演奏開始前や楽章間に飴玉を口の中に放り込んでおけば演奏終了まで飴玉がなくなることはありませんが、残念ながら、この妖怪にはそんな気働きはできません。何時か忘れましたが、チッコリーニダイヤモンドダストのように煌めくトリルを聴かせてくれていたとき、前列のご婦人が飴玉の袋をガサゴソとやりだし、その隣に座っていた男性が堪り兼ねてこのご婦人の手を払った為にトラブルになっていたことを思い出します。この男性の対応が適切であったか否かは別としても、この二度と聴くことができないかもしれない奇跡的な瞬間を台無しにしてくれたこのご婦人の無神経な振る舞いに対して周囲の人は一様に腹を立てていたことは言うまでもありません。咳やくしゃみなが我慢できずに出てしまうのは生理現象なので仕方がないとしても、無神経な妖怪“えへん虫”は駆除しなければなりません。このタイプは年齢性別を問いません。

⑤鼻息:妖怪人間“ヒューヒュー”
生きている以上、誰しも多少の騒音は発するものですが、並外れて鼻息が荒い人は困りものです。鼻の穴にトローチでも埋め込んでいるのではないかと思うくらい、“ヒュー、ヒュー”と音がする人がいます。本人は日常的に発している騒音なので気にならないのかもしれませんが、こんな人の隣席となった日は悲惨です。鼻息のリズムと音楽のリズムが一致していないときなどは気になって仕方がありません。身体的な問題を抱えているのかもしれず、不躾な注意をしても後味が悪いので始末が悪いです。中年から初老の男性に多いタイプです。

⑥鼻歌:妖怪人間“桶メン”
演奏中に自分のお気に入りのパッセージに差し掛かると鼻歌を歌い出す輩がいます。しかし、あなたの鼻歌を聴くためにお金を払って来ているのではありません、少なくても僕は…。妖怪人間“ペチャ”と“クチャ”と同類で、コンサートホールにいるのか又は“銭湯”にいるのか弁えていないのかもしれませんが、周囲の迷惑など全く意に介する風でもなく傍若無人厚顔無恥な振る舞いは後を絶ちません。結局、周囲の観客は一緒に銭湯の湯に浸からされる羽目になり、彼の鼻歌にすっかりのぼせてしまいます。この手合いは社会性が欠如しているとしか言いようがありません。中年から初老の男性に多いタイプです。

⑦アラーム:
どこのコンサートホールの館内放送でも腕時計のアラームを解除するようアナウンスしていますが、それでも腕時計のアラームを解除しない破廉恥な輩がいます。すっかり音楽にほろ酔い気分で桃源郷を彷徨っているときに、この無粋なアラーム音で一気に酔いが醒まされて俗世へと引き戻されてしまいます。自分だけなら良いだろうとまるで小学生並みのモラルの低さに呆れてしますが、決まって×時00分になると微妙なタイミング差で一斉にアラーム音が鳴り出すという寸法です。今時、腕時計にアラームをセットしてしまうその感覚が僕の理解を超えていますが、きっと時間の奴隷である彼にとっては一体今何時なのかということが重大事なのかもしれません。初老の男性に多いタイプです。

⑧秒針:
僕は時計の秒針がカチカチと刻む音すら気になってしまうA型人間なのです。夜な夜な時計の秒針が刻む音で眠れないことがあるので、家の時計は全て秒針がないタイプの時計に交換するほどナイーブなのです。音楽に耳を澄ませていると、隣席の人の腕時計が刻むカチカチという無機質な人工音が気になり出し、僕の頭を支配し始めます。むきゃー!!しかも、時計の秒針が刻むリズムと音楽のリズムが一致していないときなど気になって気になって仕方がありません。中年の男女に多いタイプです。

⑨買い物袋:
実に気が利いているというのか、コンサートホールに来る前にわざわざ買い物を済ませてビニール袋をさげてくる人がいます。ここまでは良いのですが、寒心なことに、演奏中にこのビニール袋をガサゴソとやりだす人が居て本当に困りものです。演奏が終わるまで足下に置いておけないものなのでしょうか。なお、“袋をさげて”と言っても男性に限りません。このタイプは性別年齢を問いません。

⑩拍手:妖怪変人“フライングマン”
コンサートホールには一番最初に拍手をすることだけに情熱を傾けている変人がいます。未だ演奏が終わっていないのに一人で拍手をして大ヒンシュクを買ってしまうくらい熱心なフライング拍手の信奉者です。この変人は“休符は音楽ではない”という持論を持っているのかもしれませんが、このフライング拍手のために余韻をぶち壊された演奏会は数知れません。茂木さんが著書の中で書かれているとおり指揮者やソリストが構えを解くまでは演奏中なので拍手は慎むべきだと思います。拍手の習慣は時代により国により区々ですが、僕は楽章間も含めてすべて音楽だと思っているので楽章間の拍手(チャイ6の第三楽章など。尤もこれは音楽が終わったと勘違いして拍手している節もあります。)も慎んで欲しい派です。だから第九の第三楽章前にソリストが入場してくる際の拍手も鼻持ちならないと思っていますし、心ある指揮者は拍手をさせないようにわざわざ第三楽章の強奏部分でソリストを入場させたりもしています。このタイプは年齢性別を問いません。

以上、色々と書きましたが、要するに、コンサートホールには音楽を聴きに来ているのだから演奏者以外の者は「音を立てない」ということに尽きます。コンサートホールに通い詰めていると、隣席の人が演奏会慣れしている人なのか、きちんと音楽を聴く(理解する)ことができる人なのかは直ぐにその気配で分かります。そういうお客さんは隣席に座っていても殆ど気配を感じさせません。修行を積んだ禅僧が直ぐに心を整えて瞑想に入ることができるのと一緒で、コンサートホールに通い詰めている人は自然と気配が消えてしまうと言った方が良いかもしれません。なお、茂木さんが服装について書かれていたのが気になりましたが、日本の演奏会場にはドレスコードはありませんので(特に学生の皆さんは)ジーパンやサンダルでも全く問題ありません。僕はサントリーホールにジャージで行った経験もあります。これは極端な例としても、自分がリラックスして音楽に集中できる格好ならば何でも良いと思います。却って、オメカシしている人を見掛ると「クラシックの演奏会は初めてでドキドキしています。今日は精一杯おめかししてきました。」と告白されてしまっているようでこちらが気恥ずかしくなってしまいます。現代のコンサートホールは社交の場ではなく演奏を聴く場に他ならず、他人が不快感を催さない程度の格好であれば何でも構わないと思います。僕は、コンサートホールとはあくまでも音楽を聴くための場所であって、コンサートホールが持つ響きの特性を知り、その日のコンサートホールのコンディションを知り、その日のコンサートホールに漂う雰囲気(ゲネプロの緊張感やプレーヤーの熱意など)を崩さずそれらを整えて行くという心持ちでコンサートホールに接する態度が肝要であり、それがコンサートホール(音響担当)及びプレーヤー、作曲家に対する敬意であると考えます。音楽を聴くためのコンサートホールに音楽以外の余事を持ち込んでコンサートホールの雰囲気を乱すことは無分別な子供の振舞いであって、自分を含む全ての観客が音楽と向き合うために障害となることを慎むことが“思い遣り”(思い遣りとは、自分の善意を施そうとする態度ではなく、他人の思いに寄り添おうとする態度)であり、それが“マナー”ではないかと思います。