大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ

【題名】ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ
【監督】アナンド・タッカー
【脚本】フランク・コルトレ・ボイス
【原作】ヒラリー・デュ・プレ
【出演】エミリー・ワトソンジャクリーヌ・デュ・プレ
    レイチェル・グリフィス(ヒラリー・デュ・プレ)
    ジェームズ・フレインダニエル・バレンボイム
    デイヴィド・モリッセー(キファー)
    チャールズ・ダンス(デレック・デュ・プレ)
    セリア・イムリー(アイリス・デュ・プレ)
    セル・パターソン(ウィリアム・プリーゼ) ほか
【料金】TUTAYA 旧作100円
【感想】
現在、病気療養中で演奏会等へ足を運ぶことができませんので、本日も映画の感想をアップします。これまで何度も観た映画ですが、久しぶりにTUTAYAの旧作100円レンタルで借りてきて再視聴したので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。

ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ デラックス版 [DVD]

この映画は、ジャッキー(ジャクリーヌの愛称)と親交のあった演奏家等から「本当の彼女はこんな人ではなかった」と抗議されたことで知られていますが、敢えて、邦題を「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」とした企画担当者の意図には俄かに共感できません。この映画の原題は「Hilary and Jackie」ですが、おそらく(上記の事情を別として)この映画の内容から言っても邦題より原題の方が適切ではないかと思います。邦題が映画に変な先入観を与えることが少なくなく(企画担当者は集客力のことしか頭にないでしょうから)、必ず、僕は映画を観る際に作者の創作意図に忠実な原題を確認することにしています。

さて、この映画は、原題にあるとおりヒラリー(姉)とジャッキー(妹)の対照的な生き様が描かれています。音楽の才能に恵まれず平凡な女性としての幸せを掴む姉のヒラリー、音楽の才能を開花させて世界的な音楽家として成功を収める妹のジャッキーの複雑な思いが交錯していきます。ジャッキーは世界的な音楽家としての成功を収めるに従って演奏旅行に継ぐ演奏旅行で世界中を巡らなければならない多忙を極める生活に疲れ、平凡な女性としての幸せを掴んだ姉のヒラリーの生き方、愛のある家庭を羨むようになります。ジャッキーもピアニスト(兼 指揮者)のダニエル・バレンボイムと結婚し、鴛鴦夫婦と噂されるほど仲睦まじい評判の夫婦でしたが、ジャッキーが多発性硬化症を発症してから夫婦仲は疎遠になり、ジャッキーが他界する前に離縁していますので、(この映画がどこまで客観的に描かれているのか分かりませんが)ジャッキーにとってバレンボイムとの夫婦生活には満たされないものを感じていたということなのかもしれません。なお、この一件でバレンボイムは男を下げる結果になり、現在でもバレンボイムの薄情さ(男女の仲のことなので周囲が無責任に口を挟むべき事柄ではありませんが、人生のパートナーと決めた人が最も辛い時に支えになれず、その現実から逃げたように他人の目には写ります。)を忌み嫌う人は少なくありません。やがて多発性硬化症が悪化し(演奏中に弓を落としたり、演奏会場で失禁してしまうようになり、この病気の発症に気が付きます。)、そのうち演奏自体が困難になっていきます。不世出の天才チェリストとまで言われて将来を嘱望され、名声を欲しい侭にしていていた絶頂期に、突如として音楽を奪われてしまうという余りに壮絶で悲劇的な人生に胸を締め付けらる思いです。神は「与え」もするが「奪い」もする、ジャッキーが弾くエルガーのチェロコンが胸に染みる映画です。エミリー・ワトソンが迫真の演技でジャッキーの心の葛藤をありありと抉り出す好演です。

ジャッキーは演奏活動が困難になった晩年は42歳で夭折するまで後進の育成等に注力していましたが、本当に惜しい才能を失ってしまったと残念でなりません。なお、彼女が使用していた銘器ダヴィドフ・ストラディヴァリウスは、現在、ヨー・ヨー・マに受け継がれています。

◆映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」(合法的なものか分かりませんが、フル映像をアップしておきます。)

◆おまけ
映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」からエルガーのチェロ協奏曲。映画のシーンではなく、本人の演奏による実際の映像です。(指揮:ダニエル・バレンボイム、独奏チェロ:ジャクリーヌ・デュ・プレ