大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月9日(木)19時15分〜19時30分
【司会】ふせえり
【感想】
ここ数日、肌寒い日が続いていますが、もう直にジメジメと湿気の多い梅雨の季節になるのかと思うと、うっとおしい限りです。雨の日は美術館の来場者が減ってゆっくり絵画を鑑賞することができることが多いので、個人的に雨の日の美術館巡りを好んでいます。未だ病気が完全に本復した訳ではないので、家で美術館関係の映像を見て過しています。


エゴン・シーレ作「死と乙女」(1915年)

先日、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」等の作品について記事を書きましたが、今日はクリムトの愛弟子で世紀末ウィーンで活躍した表現主義の画家エゴン・シーレの「死と乙女」について書きたいと思います。最愛の恋人との別離を描いた「死と乙女」はエゴン・シーレの最高傑作と言われ、ゴツゴツした岩の上で抱き合う二人はシーレと彼のモデルで恋人でもあったヴァリー・ノイツィルを描いたものですが、1911年にシーレはクリムトから彼のモデルであったヴァリーを譲り受け、その後4年間に亘ってシーレのモデルを務めますが、この間にバリーの代表作の殆どが創作されています。


エゴン・シーレ

上述のとおり、この絵は最愛の恋人との別離を描いたもので、死と別離がテーマになっています。この絵の男性はシーレで「死」を象徴し、女性はヴァリーで「女神」(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)を象徴しています。シーレは跪いている男性モデルを正面から描写していますが、寝そべっている女性モデルは脚立の上から描写しています。この2つの異なる視点から描いた男性モデルと女性モデルを1つの絵として合体することによって、この絵を見る者に不安定な印象を与えています。これは2人の別れを暗示するために意図的にこのような描き方がされたものです。なお、この絵はシーレがヴァリーに別れを告げて、ヴァリーがシーレに泣きついているところを描いたものですが、男性の右手は女性を突き放そうとし、また、男性の背中に回している女性の両指はきつく結ばれず別れを拒絶していないように見えます。シーレは、他の資産家の娘(エディット)と結婚するためにヴァリーに別れを告げていますが、その際、毎年夏に一緒に休暇を過そう(即ち、愛人として関係を続けよう)とヴァリーに持ち掛けたところ、ヴァリーはこの提案をきっぱりと断って涙を見せずに立ち去ったそうです。これにシーレはショックを受けますが、この絵の男性モデルの見開かれた目はその時の驚きを表現したものです。このようにシーレは被写体の内面までもキャンバスに描き込んだ作家であり、この絵が見る者に強い印象(メッセージ性)を与える理由はそこにあるのかもしれません。


エゴン・シーレ作「縞模様の服を着たエディット・シーレ」(1915年)
※上掲の「死と乙女」と比べると、同じ作家が描いたとは思えないほど被写体によって画力に違いがあります。

なお、「死と乙女」という標題は、若い娘が清らかなままあの世に召されることを意味し、当時、絵画や文学の主題として数多く用いられてきましたが、その標題のとおり1917年にヴァリーは23歳の若さで従軍看護婦として戦地で病死します。(因みに、同年にクリムトも他界しています。)更に、その翌年、シーレの妻エディットがスペイン風邪で病死し、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去っており、この絵はシーレとヴァリーの運命も占っていた怖い絵とも言えそうです。「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、この絵はシーレとヴァリーの人生をも語る含蓄深い一枚と言えると思います。

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シーレの半生を描いたDVD

ところで、怖い絵と言えば、現在、中野京子さんの「怖い絵 泣く女篇」という本を読んでいます。この本の冒頭で紹介されているポール・ドラローシュ作「レディ・ジェーン・グレイの処刑」は実話を題材としたものですが、花嫁衣裳を思わせる純白のドレスと首切台(又は斧)とのコントラストが「死と乙女」を象徴しているようで、これもまた(もっとグロテスクな意味で)強いインパクトを受ける絵です。

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シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
この曲にはマティアス・クラウディウスの詩(病の床に伏す乙女と死神の対話を描いた作品)に音楽を付したシューベルトの歌曲「死と乙女」のモチーフが用いられていることから「死と乙女」という標題が付されています。

シューベルト 弦楽四重奏曲第9番
シューベルト弦楽四重奏曲と言えば、殆ど第13番、第14番、第15番しか演奏されませんが、第12番以前の曲にも傑作が多く、何故、これらの作品が顧みられないのか不思議でなりません。先日、このブログでも書いた有名曲しか演奏されないという偏頗傾向の1例ですが、この他にもドボルザーク交響曲第6番以前の曲などその例を挙げればキリがありません。

◆おまけ
「死と乙女」の「死」に因んで、世界三大レクイエム(死者のための鎮魂ミサ曲)をご紹介します。レクイエム(死者のための鎮魂ミサ曲)なのでラブリー&イージーでメロディアスな曲はありませんが、静謐で深い祈りの込められた音楽に耳を傾けてみて下さい。

モーツァルトのレクイエム
僕がクラシック音楽を本格的に聴くようになったのは、小学生又は中学生の頃にこの曲を聴いたのがキッカケでした。(iPhoneでは上手く視聴できないようなので、PCで視聴して下さい。)

フォーレのレクイエム
LFJでお馴染みの方も多いと思いますが、色彩感や透明感のある美しい響きに溢れる音楽です。

ヴェルディのレクイエム
どことなくオペラチックな雰囲気が漂う表情豊かな曲で、ドラマチックに音楽が展開されて行きます。