大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

ピナ・バウシュ 夢の教室(原題:Tanztraume - Jugendliche tanzen Kontakthof von Pina Bausch)

【演題】ピナ・バウシュ 夢の教室(原題:Tanztraume - Jugendliche tanzen Kontakthof von Pina Bausch
【監督】アン・リンセル
【出演】ピナ・バウシュ
    ベネディクト・ビリエ
    ジョセフィン=アン・エンディコット ほか
【会場】シネマ・ジャック&ベティー 16時15分
【料金】1,500円
【感想】
昼間に映画「フラメンコ・フラメンコ」を観てから、午後に映画「ピナ・バウシュ 夢の教室」を観ることにしました。この映画は、現在、横浜で開催されている“ダンス・ダンス・ダンス ヨコハマ 2012”の協賛イヴェントに位置付けられ、ダンス好きには見逃せない映画だと思います。映画「フラメンコ・フラメンコ」の客層は高齢層の夫婦の姿が多く見られましたが、映画「ピナ・バウシュ 夢の教室」の客層は若年層のカップル(ファッションからしてダンスを嗜んでいる風情)の姿が多く見られ、同じ舞踊でも微妙にターゲット層の違いがあるのは興味深いです。

http://dance-yokohama.jp/

さて、ヴッパタール舞踊団の芸術監督だったピナ・バウシュは、それまで支配的であった伝統的な物語バレエの美学とは一線を画し、ダンサーの日常的な経験を断片的に繋ぎ合せて作品を創作して行く演劇的な要素が稀薄な独特の表現形式を持った“タンツテアター(ダンス演劇)”という考え方を提唱しました。これは日常生活から生まれる個人的な感情を自由に表現し、これに演劇や美術を融合させて1つの作品として創造して行く極めてユニークな表現スタイルです。この映画はその創作過程をドキュメンタリーとして記録したもので、ピナ・バウシュがどのようにして作品を完成させるのか創作過程を窺い知ることができる興味深い映画です。

ピナ・バウシュ―タンツテアターとともに

この映画は、バレエやダンスの経験がないティーンエイジャー40人を集めて10ケ月間の特訓でピナ・バウシュの代表作である「コンタクトホーフ」の舞台を成功させるというドキュメンタリーです。ヴッパタール舞踊団の元団員がレッスンを担当し、ピナ・バウシュが定期的にレッスンの進捗をチェックする形で進められましたが(ピナ・バウシュの露出が少ないのは残念です。)、バレエやダンスが未経験のため、身体表現の基礎を身に付けていないだけではなく、そもそも表現するということ自体に不慣れで、感情を表出することや他人と身体を接触することに羞恥心を抱いており、その精神的なバリアを取り除くところからレッスンが始まります。ピナ・バウシュは「踊るということは自分を解き放つことだ」と語っていますが、これは舞踊に限らず、あらゆる舞台芸表現(芸術)に共通して当て嵌まることでもありますし、また、タンツテアターの創作にとって不可欠の前提でもあるとも思います。この映画では、子供達にバレエやダンスの基礎を叩き込むのではなく、子供達の主体性を引き出すように振付(所作)の意味を考えさせ、子供達の経験や潜在意識に働き掛けることで舞台で感情表出ができるようになるレベルまで子供達(表現)を追い込んで行くことにウェイトが置かれています。この点、コンタクトホーフは日常的な断片を様々な角度から切り出して、そこにコミカルな寸劇、チャーミングな群舞、先鋭的な所作を通して子供達の個人的な感情を照射することで創作されて行く作品で、ダンサーを極限まで追い詰めてその内面を引き出すことで現代という時代性、人間の本性を浮き彫りにすることに特に重点が向けられていることが分かります。その意味で作品の成立や内実は各々の子供達の素養や個性に依拠する部分が多く実験的、教育的なプログラムという側面を持った作品であると言えるのではないかと思います。実際に子供達が「ピナに出会って自分を変えることができた」と語っていたとおり、子供達が人間的にも成長して行く過程が描かれています。ピナ・バウシュのダンス観、その信念や美学が伝わってくる映画です。

「私に興味があるのは、人がどう動くかではなく、何が人を動かすのか、ということ」〜ピナ・バウシュ


http://www.pina-yume.com/

◆おまけ
コンタクトホーフの冒頭シーン。この映画ではティーンエイジャーが出演していますが、アッパーミドルが出演している舞台もあります。ダンサーの年齢層が変わることで、同じ作品でもそこで表現される内容や意味は変わってきます。

何の脈絡もありませんが、適当に、チレーアの歌劇「アルルの女」よりアリア“フェデリコの嘆き”をどうぞ。