ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

ニュー・オペラ・プロダクション第13回公演 オペラ「末摘花」

【演題】ニュー・オペラ・プロダクション
    創立20周年記念 第13回公演
【演目】寺島陸也 オペラ「末摘花」
      <末摘花>塩田美奈子
      <その叔母>巖淵真理
      <少将(乳母)>与田朝子
      <侍従(その娘)>鵜飼文子
      <宰相(執事)>小林由佳
      <右近(奥女中)>日比野景
      <左近(奥女中)>高橋知子
【台本】榊原政常原作「しんしゃく源氏物語
【演出】杉理一
【指揮】寺島陸也
【楽団】東京ニューシティー管弦楽団
    <1stVn>鈴木順
    <2ndVn>清岡優子
    <Va>中山良夫
    <Vc>橋本しのぶ
    <Cb>青山幸成
    <Fl>井ノ上洋
    <Ob>川城恵
    <Cl>松元香
    <Fg>松里俊明
    <Pc>藤城佳之
    <Pf/Cem>斎木ユリ
【会場】紀尾井ホール
【開演】15時〜
【料金】6000円
【感想】
最近は、仕事が忙し過ぎてブログがほったらかし気味になっていますので、反省の意味を込めて平日にアップしてみます。仕事だけではなく人生にも言えることですが、若いうちは色々と手を広げては失敗を繰り返しながら成長していくものですが、人生も後半に差し掛かると何を捨てる(諦める)のかという選択が非常に重要になってきます。世阿弥は芸道論(花鏡)で「命には終りあり、能には果てあるべからず」と芸道の奥深さを説いていますが、仕事も芸道と似たところがありクォリティーを追及し始めればキリがありませんが、その一方で、仕事は無尽蔵に存在し、鮮度も要求されるものなので、どの辺で自分と折り合いを付けて手離れさせるのか(実態は仕事に追い捲られていますので、半ば放棄しているという感覚の方が近いかもしれませんが)、仕事のキリの付け方に難しさを感じます。

源氏物語をオペラ化した作品は多いですが、かなり以前に観たオペラ「末摘花」が面白かったので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。源氏物語の登場人物の中で最も女性読者に人気が高いのは末摘花です。平安時代は女性が容姿や身分(実家の資産)だけで品定めされていましたが、末摘花は光源氏が「紅花」と「紅鼻」を掛けて「末摘花」と愛称を付けるほどの驚異的なブスで、才智も乏しく、垢抜けしない性格で、しかも父宮に先立たれて窮状を極める暮し振りという何の取り柄もない姫君が今を時めく絶世の美男子である光源氏の寵愛を受けるところが女性読者ウケする理由なのかもしれません。源氏物語以前の物語モノでは醜女は悪役として扱われるのが通例でしたが、源氏物語では「美女」(紫の上、明石の君、女三の宮..)ばかりでなく「醜女」(末摘花、花散里、空蝉..)もヒロインとして扱われているところが特徴的であり魅力の1つです。光源氏が末摘花を“いとほし”と感じる男心(単なる憐憫の情だけでは計れない父性のようなもの)は僕の数少ない経験からも何となく分かるような気がします。 以下に、源氏物語の中で末摘花の用紙について触れている箇所を原文のまま再掲します。「普賢菩薩の乗物」とまで言いのける紫式部の容赦ない筆致をお楽しみ下さい。

まづ、居丈の高く、を背長に見えたまふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。「何に残りなう見あらはしつらむ」と思ふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがに、うち見やられたまふ。

さて、このオペラは榊原さんの「しんしゃく源氏物語」が台本として使われていますが、源氏物語<第15帖−蓬生>を題材にして「待つこと」(時の移ろいと共に変化する人々の心理描写)に焦点を当てた内容になっています。全三幕(一幕三場?)仕立てになっており、第一景「冬」では末摘花の境遇と登場人物の紹介、第二景「秋」では窮状を極める暮しのなか明石に流された光源氏の都への帰還を信じて待つ日々、第三景「春」では光源氏が都へ帰還してから光源氏の再訪を待ち侘びる日々を描いています。


なつかしき 色ともなしに なににこの 末摘花を 袖にふりけむ

先ず、第一景「冬」では寂び寂びとした情趣が漂う序奏が素晴らしく、オーボエクラリネットなど木管を効果的に使って日本的な風情を醸し出す繊細な音楽が魅力的に響きます。このオペラは末摘花の描き方がポイントだと思いますが、やや少将と侍従の遣り取りが冗長で末摘花の登場が遅過ぎた為に、舞台上での末摘花のキャラクター形成や共感形成が出来上がる前に最後のアリアを向えてしまった感じで唐突な印象を否めませんでした。なお、塩田さんのデリカシーのある歌唱が素晴らしく、末摘花の古風で奥ゆかしい純真な人柄が伝わってくるようでしたし、末摘花を取り巻く人々の丹念な心理描写も見応えがありました。このオペラは現代語(所々に妙な京訛りが入っていましたが)をベースとして作られていますが、歌詞(台詞)が聴き取り難く、歌詞を聴き取るのに気を取られて音楽に集中できなかったので、字幕を用意(又はパンフレットへ歌詞を掲載)して貰えると有難かったのです..。

次に、第二景「秋」では益々窮状を極める暮しのなか末摘花を取り巻く人々は悲嘆に暮れますが、不思議と悲壮感のようなものはなく、巖淵さんの堂に入った叔母役など却って蓬生の巻の道化色が際立っていました。末摘花が光源氏に宛てて詠んだ和歌がアリアとして歌われましたが(第一景の最後のアリアだったかもしれませんが、どこで歌われたのか忘れてしまいました..苦笑)、この古風で格式ばった和歌のアリアは末摘花の人柄を象徴的に印象付けるものとして非常に効果的だったと思います。源氏物語では末摘花と光源氏との間で何首か和歌が交わされますが、それぞれの人柄が滲み出ている和歌で対比して読んでみると面白いです。

から衣 君がこゝろの つらければ 袂はかくぞ そぼちつゝのみ

なお、このオペラでは強い信念を持って光源氏を待ち続ける末摘花という印象を受けましたが、(あくまでも個人的な思い入れですが)諦観と憧憬との間を揺れ動く末摘花の繊細さのようなものも描き込んで欲しかったような気がします。

最後に、第三景「春」ではやはり序奏が素晴らしく、日本的な春を感じさせる和やかな音楽は十分に聴かせるものでしたし、弦のピッチカートでお琴を表現したところも面白く、西洋の楽器と語法を使って日本的な風情を醸し出す目論見は見事に成功していたのではないかと思います。いよいよ末摘花を見限って周囲の人々が離反していきますが、湿っぽいところはなく、打算的に右往左往する人々の滑稽さが面白く描かれていました。全体的にやや音楽が言葉に引き摺られている印象を否めませんでしたが、(第一景と第三景の序奏が素晴らしかっただけに)もう少し台詞劇ではなく音楽劇という側面を前面に打ち出して音楽で聴かせて欲しかったという気もします。ラストは光源氏の再訪を歓喜して大熱唱する大団円..という終わり方ではなく、全員がお辞儀をして光源氏を出迎えるという控え目な終わり方が印象的でした。お辞儀は「フォルムの文化」である日本文化を象徴するものですが、(作法を指導されていた方がいたようで)そのお辞儀姿が実に美しく、日本的な美(これらの所作や日本的な風情を醸し出す音楽に加えて、中世日本人の優れた色彩感覚を感じさせてくれる衣装なども含めて)を感じさせてくれる可愛らしいオペラでした。

◆おまけ