大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

ラフマニノフ(ヴァレンベルグ編曲) ピアノ協奏曲第5番

【楽曲】ラフマニノフ(ヴァレンベルグ編曲) ピアノ協奏曲第5番
               <Pf>ヴォルフラム・シュミット=レオナルディ
               <Con>テオドーレ・クチャル
               <Orc>ヤナーチェクフィルハーモニー管弦楽団               
【録音】2007年6月
【音盤】Brilliant Classics
【値段】2,115円
【感想】
本格的な食欲の秋の到来...今日からミスタードーナツの半額セールが始まりますが、ミスドが安売りを開始するようになってから会社帰りのお父さんが子供のお土産にドーナツを買って帰る姿をよく見掛けるようになりました。僕はオールドファッションが好物で、とりわけ抹茶味のオールドファッションに目がありません。因みに、ドーナツ(生地という意味の「Dough(ドウ)」+木の実(クルミ)という意味の「Nut(ナッツ)」=生地で作った木の実「ドウナッツ」)の真ん中が空洞になっているのは、丸いままでは火が通り難く生焼けになるために真ん中を空洞にして火が通り易くしているそうです。確かに、ドーナツの美味しさの1つは生地表面のサクサク、カリカリとした食感にあり、コーヒーと一緒に食すとドーナツの生地がコーヒーをよく吸って口の中に広がり香り高いです。丁度、給料が出る時期なので、お父さんの威厳を示すためにも、子供たちにドーナッツのお土産はいかが。

http://www.misterdonut.jp/

さて、少し昔になりますが、ヴァレンベルグさんがラフマニノフ交響曲第2番第1、3、4楽章をピアノ協奏曲に編曲したことで話題になってCDを購入してみましたので、その感想を簡単に残しておきましょう。もともとラフマニノフの作品はピアニスティックな性格を持っているとは言っても、ラフマニノフ交響曲第2番をピアノ協奏曲に編曲することを予定していたという事実はなく、また、ピアノ協奏曲第5番を作曲しようとしていた形跡(スケッチなど)もない訳ですから、この編曲版を「ピアノ協奏曲第5番」と名付けてしまうのは烏滸がましい限りで、せいぜい「交響曲第2番(ピアノ協奏曲編曲版)」とでも呼ぶべきゲテモノではないかと思います。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第5番(交響曲第2番から編曲)

さて、このゲテモノにどれだけ期待していたのかによってCDを聴いたときの印象が違ってくると思いますが、僕はこの種の企画に全く幻想を抱かないことにしているので、それが故に「思ったりよりも良かった」「これならアリかもしれない」という好印象に傾いてしまう傾向があります。ラフマニノフの独特の口調を意識した編曲にはなっていますが、やや筆が及んでいないかなという印象も否めません。それでも未完のスケッチの断片に書き足して完成させた類の編曲版に見られる添加物・不純物まみれという印象とは異なり、実際にラフマニノフが書いた楽譜が下敷きになっているだけあってラフマニノフ独特の体臭のようなものが紛々としてきます。第1楽章が最もラフマニノフのピアノ協奏曲らしい雰囲気を持っているように感じられますが、第3楽章や第4楽章もピアニスティックな美しさに溢れています。但し、それは原曲が持っている魅力を超えるものではなく(というより既に原曲が十分に美し過ぎる!)、果たして交響曲第2番をピアノ協奏曲に編曲する意義がどこにあったのかという気もしてきます。が、そんな無粋なことを言い始めると身も蓋もない訳で、賛否両論、好不評は色々とあると思いますが、僕は予想とおり交響曲第2番はピアノとの相性が良く、また、(先日聴いたバッハのシャコンヌメンデルスゾーン編曲版などに比べれば)この編曲のスタンス(素材の旨みを活かそうする謙虚さ)は余程良心的ではないかと思ったりもします。だからと言って、これ以上のゲテモノの登場を望んでいる訳でもありませんが..。ラフマニノフが好きな人なら持っていて損はない1枚だと思います。

◆おまけ
オリジナル版

ピアノソロ版

ベートーベン 交響曲第10番断片
上記は既に完成されている曲のアレンジですが、バッハ「フーガの技法」、モーツアルト「レクイエム」、シューベルト「未完成」、エルガー交響曲第3番」など絶筆となっている名曲の未完成部分の断片を使って補筆、再現する試みも数多く行われていますが、編曲者のスタンスによってその出来の良し悪しは大きく左右されます(多くの場合、失敗に終わる)。しかし、その一方で、未完成部分について作曲家の頭の中でどのような音楽が鳴っていたのかそのイメージ、アイディアを知ることもできて、大変に興味深いものがあります。特に、シューベルト「未完成」の第3楽章断片を聴くと、この曲は二楽章で完成しているなどと生意気な口はきけなくなると思います。