大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

【訃報】歌舞伎役者の中村勘三郎さん

今日、歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎さん(本名、波野哲明さん、享年57歳)が急性呼吸窮迫症候群のために逝去されたとの訃報が飛び込んで来ました。7月に食道がんの手術が成功して病室を歩き回れるまでに回復し、その後、体調を崩されていたとは聞いていましたが、まさかこんなに早く夭折されてしまうとは、あまりに突然の訃報に驚くと共に、その喪失感の大きさに打ちのめされています。来春の舞台復帰を心待ちにされていたそうですから、さぞや無念であったろうと思います。確か僕が勘三郎さんの生舞台を最後に拝見したのは、歌舞伎座さよなら公演二月大歌舞伎十七代目中村勘三郎二十三回忌追善公演(2010年)だったと記憶しています。新しい歌舞伎座でも一時代を築かれる稀代の名俳優だと思っていたのに、まさか新しい歌舞伎座が落成する前に他界されてしまうとは。昨年、立川談志さんが他界されたばかりですが、天性のセンスの良さと磨き抜かれた至芸で「江戸の粋」を現代に伝えてくれる数少ない舞台芸術家の1人が今また夭折し、本当に世の中が詰まらなくなってしまったなという寂寥感で一杯です。勘三郎さんともっと色々な夢を見てみたかったのですが、言葉なく涙が滲むばかりです。これからは当代の勘九郎さんを盛り立て先代に負けない立派な名役者に成長するのを見守って行くことが勘三郎さんへの何よりの供養になると思いますし、また、それを心の張りにして行きたいとも思っています。まだ気持ちの整理ができず、正直、信じられない(信じたくない)という気持ちを引き摺っていますが、いまはただ衷心よりご冥福をお祈りします。本当に沢山の夢をありがとうございました。合掌。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121205-00000302-oric-ent

中村勘三郎さんの追悼番組
稀代の名役者中村勘三郎さんの舞台を永遠に心に刻み付け、生涯、勘三郎さんと共に見た夢を忘れないために。

日 時:12月7日 21時00分〜 
放送局:フジテレビ
番組名:「さようなら勘三郎さん 独占密着・・・最後の日々」

日 時:12月9日 9時45分〜 
放送局:WOWOWライブ
番組名:中村勘三郎さん追悼番組 平成中村座明恵和合取組 「め組の喧嘩」

日 時:12月9日 13時05分〜
放送局:NHK総合
番組名:NHKアーカイブス「さよなら中村勘三郎さん〜芸に生きた日々」

日 時:12月9日 21時00分〜
放送局:Eテレ
番組名:十八世中村勘三郎の至芸

日 時:12月10日 15時15分〜
放送局:BSプレミアム
番組名:中村勘九郎がニューヨークに挑む!「夏祭浪花鑑」

日 時:12月10日 21時00分〜
放送局:BSプレミアム
番組名:やじきた道中 てれすこ

日 時:12月15日 16時00〜
放送局:WOWOWプライム
番組名:中村勘三郎さん追悼番組 平成中村座 「法界坊 串田戯場」

ほか多数
http://www.kabuki-bito.jp/news/2012/12/1128.html

7日、フジテレビ「さようなら勘三郎さん 独占密着・・・最後の日々」を観ましたので、一言だけ触れておきたいと思います。勘三郎さんが役者生命を奪われるかもしれない(実際には命まで奪われてしまいましたが)手術を控えて複雑な心境を吐露するインタビューが放映されていましたが、勘三郎さんの無念は如何ばかりであったろうかと察するに余りあるものがあり胸が締め付けられる思いで拝見しておりました。勘三郎さんが逝去されたその日の舞台の口上で勘九郎さんが語られた父勘三郎さんへの想いが胸に深く響き、目頭が熱くなるのを抑えられませんでした。この番組の中で若い頃の勘三郎さんが「型があるから『型破り』、型がないのは唯の『カタナシ』だ」と仰っていましたが、基本に忠実に『型』を習得することが如何に大切なのかということを語られていたシーンが印象的でした。『型破り』だからそこに「面白さ」が生まれるのであって、唯の『カタナシ』ではそこに芸はなく観客を魅了することなど遠く及びません。この考え方のエッセンスは能楽等の他の演劇にも共通することですが、これだけに限らず、例えば、音楽やその他の再現芸術、更にはスポーツ等にも当て嵌まると思います。そう言えば、映画「ドラゴン・キングダム」で功夫(カンフー)の極意について「型を学んで、型を追わず」という言葉が出てきますが、『型』を自分のものにして初めて『型』から自由になれる、『型』がしっかりと身に付いているからこそ『型』から離れても破綻がない、その境地を目指すべきだと言っているのだろうと思います。立川談志さんの言葉を借りれば「イリュージョン」ということになりましょうか。

▼おまけ


モーツァルトが亡くなったのも1971年の今日12月5日。「その日こそ、涙の日」...衷心よりお悔みを申し上げます。