大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

シューベルトのオペラ

【題名】シューベルトのオペラ オペラ作曲家としての生涯と作品
【著者】井形ちづる
【出版】水曜社
【発売】2004年9月28日
【値段】2700円
【感想】
明日3月17日は彼岸の入り、3月20日は彼岸の中日(春分の日)で昼と夜の長さがほぼ同じになり、これから徐々に陽が長くなっていきます。これからは仕事や学校が終わっても外が明るくなって行くので、ついつい帰りに寄り道をしてハメハズシがしたくなります。そんな華やいだ気分にさせてくれる好きな季節です。

http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120922/p1

彼岸と言えば「墓参り」ですが、何故、彼岸に「墓参り」なのかと言えば、仏教では「死者は成仏して極楽浄土に迎えられる」と考えられていますが(そのアンチテーゼとして成仏できない霊を鎮めるという中世の怨霊鎮魂の思想を背景に生まれたのが世阿弥の複式夢幻能)、彼岸の時期は太陽が真西に沈むことから西方浄土阿弥陀如来が人々を迎えいれる西の極楽浄土)への祈りを込めて生まれた日本だけの風習です。

さまざまに 春のなかばぞ あはれなる 西の山の端 かすむ夕日に(夫木和歌抄)

そして彼岸と言えば「ぼたもち(おはぎ)」を欠かせません。本来、「ぼたもち(おはぎ)」はご先祖様へのお供え物ですが、仏教では仏様にとって線香の煙が何よりのご馳走なので、最近では自分へのお供え物として有り難く頂戴しています。「墓参り」を欠かしても、「ぼたもち(おはぎ)」だけは欠かせない甘党なのです..(u_u#) なお、春の彼岸の頃は牡丹の花が咲くから「ぼたもち」と言い、秋の彼岸の頃は萩の花が咲くから「おはぎ」と言うのが正式な言い方です(尤も、関東では「ぼたもち」も「おはぎ」と称して販売している商品も多いですが)。昔は秋に収穫したばかりの柔らかい小豆を使った「おはぎ」はつぶあんにして、春まで保存して硬くなった小豆を使った「ぼたもち」はこしあんにしたと言われ、これが現代でも「おはぎ=つぶあん、ぼたもち=こしあん」として残っているようです。どちらかと言えば、僕はこしあん派なので、春の彼岸も秋の彼岸もぼたもちを頂戴しています。因みに、僕はうどんとそばで言えばうどん派、ロースとヒレで言えばロース派、犬と猫で言えば犬派です。なお、ある統計データによれば、男性は器楽曲(抽象表現)を好む傾向があり、女性は声楽曲(具体表現)を好む傾向があるそうです。あなたはどちら派?

さて、少し昔の本になりますが、井形ちづるさんの「シューベルトのオペラ オペラ作曲家としての生涯と作品」(水曜社)を引っ張り出してきて読んでみることにしました。この著書が発行されてから10年が経過していますが、その後の状況はあまり改善しておらず、依然としてシューベルトのオペラが舞台で採り上げられることはなく、(輸入盤も含めて)殆ど音盤もリリースされていない憂慮すべき状況にあります(音盤がリリースされていても、抜粋版や現在入手が困難なものも多いです。)。僕がどんなにシューベルトのオペラを聴いてみたいと切望しても作品に触れることすら叶わず虚しい日々を費やしています。是非、清新な志に燃える若い音楽家の皆さんがシューベルトのオペラを採り上げてくれることを願ってやみません。お金を掛けた舞台でなくて構わないので、シューベルトの心を音にして欲しいという願いを込めて(井形さんの好著の力を拝借して)ブログの記事を投稿します。

シューベルトのオペラ―オペラ作曲家としての生涯と作品

シューベルトのオペラ―オペラ作曲家としての生涯と作品

シューベルトと言えば「歌曲の王」としての評価が定まっていますが、(現代ではあまり知られていませんが)その生涯を通して19曲の劇作品(以下の一覧表を参照。但し、未完成のものや断片しか残されていないものなどもあります。)を残しており、ジングシュピール(歌芝居)9曲、オペラ6曲、メロドラマ(朗読劇)1曲、劇付随音楽1曲、劇挿入曲1曲、宗教劇1曲に加え、その他に計画中の作品が6曲もあったようです。これだけの劇作品を残しているのはドラマチックなリートを数多く書いているシューベルトであれば当然のような気もしますが、何故か上演の機会には恵まれず、現代では音盤も殆ど存在しないという憂慮すべき現状があります(下表参照)。この本はシューベルトの19曲の劇作品を網羅する楽曲概説になっていますが、一般の観客は楽譜を入手することも困難なので、唯一、この本がシューベルトのオペラの一端に触れることができる大変に貴重な資料であり、この本を読みながらシューベルトのオペラの魅力に触れていると何とか音だけでも聴いてみたいというジレンマに苛まれ、クラヲタにとって底知れぬフラストレーションの基に成り得る毒とも薬とも言えそうな妙薬ならぬ名薬です。以下に代表作のうち1曲の作品解説のサマライズを人参としてぶら下げておきますので、どうにも辛抱ならなくなった方がいらっしゃれば、是非、この本をお買い求め頂き、一緒に「シューベルトのオペラが聴いてみたい!」症候群に苦しみましょう。

シューベルトが生きていた当時のオーストリア帝国は、フランスのナポレオン軍に敗れてウィーン市民を中心に自由思想が広がっていきましたが、劇場は自由思想家の集会場となり易く、また、オペラ作品を自由思想(革命思想)のプロパガンダに使用される虞があったことから警察当局の警戒が厳しく、そのため劇場も革命的な性格とは無縁のイタオペ(とりわけロッシーニの作品)を多く採り上げるようになり、必然、タイトルからして不穏当なシューベルトの作品の上演は敬遠された時代背景などがありました。

【題名】サマランカの友人たち(D326)
【構成】2幕のジングシュピール
      序曲 :6分(以下のYou Tubeを参照)
      第一幕:32分
      第二幕:37分
【作曲】1815年11月18日〜同年12月31日
【上演】1875年12月19日 ウィーン楽友教会 指揮ヨハン・ハルベルク
【人参】
サラマンカ大学の3人の大学生が奇策を弄し恋を成就させて大団円で終わるという他愛のないストーリーで、演劇的というより音楽的に楽しむべき作品かもしれません。そこで、音楽的な聴き所を中心として、(僕は一度も聴いたことがないので)この本から井形さんの解説を引用しますと「シューベルトの作曲技法の長足に進歩したジングシュピールである。オーケストラの雄弁な描写力、転調によるドラマティックな展開、音画的なモティーフの創造、内面的な感情の描出などなど、18歳の若きシューベルトの力作と言えるだろう」という挑発的な誘惑に、諸兄も鼻の下を伸ばさずにはいられないのではないでしょうか。1927年にベートーヴェンが他界していますが(その一週間前にシューベルトベートーヴェンを見舞ったのが両者の初対面)、その翌年にシューベルトも夭折していますので(死因は腸チフス説、梅毒説、梅毒治療に伴う水銀中毒説など諸説あり)、死後約50年を経て漸く初演されたことになります。日本ではこの本が出版された2004年に東京芸大院生によって漸く本邦初演されたということですから如何に不遇な扱いを受けて来たのかが分かりますし、現代でも多くの秘曲が歴史に埋れてしまっているのかということの証左です。

フォーマルな場としてのオペラ劇場に対し、インフォーマルな場としてのサロンの集いであったシューベルティアーデなどにおいて同時代のオペラ作品が(室内楽作品などにアレンジされて)どのように受容されていたのかについて触れてみようかとも思いましたが、別の機会に譲ることにし、シューベルトへのアイロニーたっぷりのオマージュとして“続く(未完成)”にしておきます。

題名 作曲年 音盤
鏡の騎士 1812
悪魔の悦楽城 1814
4年間の哨兵勤務 1815
フェルナンド 1815
ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ 1815
サラマンカの友人たち 1815
人質 1816
双子の兄弟 1819
アドラスト 1819
ラザロ、または復活の祭典 1820
魔法のたて琴 1820
シャクンタラ 1820
魔法の鈴 1821
マルフォンソとエストレッラ 1822
共謀者たち(家庭戦争) 1823
リューディガー 1823
フィエラブラス 1823
ロザムンデ、キプロスの女王 1823
グラインヒュン伯爵 1827

  ※序曲全集はNAXOSから出ています。

◆おまけ
シューベルトのオペラは(輸入盤を含めて)音盤が殆どリリースされておらず、実演でも全く採り上げられない幻の作品群です。僅かに序曲全集がリリースされていますので、その音源をリンクしておきます。2008年のLFJ「シューベルトとウィーン」でもシューベルトのオペラ(又は序曲やアリアのピース)は1曲も採り上げられませんでした..汗

初期:歌劇「サラマンカの友人たち」より序曲

中期:歌劇「魔法のたて琴」より序曲

後期:歌劇「共謀者たち(家庭争議)」より序曲

◆おまけのおまけ
シューベルトはオペラだけでなく未完成のまま食い散らかされたピースが多く残されていますが、その中には秀作と言えるものも多く演奏可能な程度に補筆されて演奏される機会もあります。その代表格としては交響曲第7(8)番「未完成」の第三楽章が挙げられ、この補筆完成版を聴くとこの交響曲が2楽章で完成されているというおセンチな意見には俄かに首肯し難いものを感じます。