大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

額縁をくぐって物語の中へ「葛飾北斎 “神奈川沖浪裏”」

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「葛飾北斎 “神奈川沖浪裏”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年12月2日(木)20時45分〜21時00分
【司会】池田鉄洋
【感想】
田舎暮しに憧れて、最近、神奈川県の都会(住宅街)から千葉県の田舎(農村)へ引っ越しました。駅前にはスーパーや商店街はおろかコンビニすらないような辺鄙な田舎町です。某チェロ奏者が近隣に住んでいますが、田舎暮しを始めてみて、何故、創作活動を行う芸術家が田舎暮しを始めるのか分かるような気がします。アスファルトに覆われた都会暮しは完全に自然から遮断されていましたが、自然との境界が曖昧な田舎暮しでは自然に触れる機会が多く、都会暮しでは全く感じることがなかったインスピレーションに溢れています。遥か地平線まで遮るものがない広い空、多種多様な生き物の鳴き声、雑木林のざわめきや大地を吹き抜ける風の音(平野が広がる田舎では都会とは風の音が違います)、折々の季節感を運ぶ風の匂い、街灯や都会の喧騒に紛れてしまうことのない感性を研ぎ澄ます暗闇と静寂、この数か月の田舎暮らしは小さな発見と感動の連続で、これまで“便利さ”と引き換えに実に多くの大切なものを犠牲にしてきたように感じられ、都会暮しでは希薄であった“生きている実感”のようなものを日々感じることができるようになりました。


左から、�近所の水田を整地するトラクター、�近所の水田に浮かぶ鴨(おいしそう..)、�春日神社に奉納される能「翁」

今週末から近所の水田で田植えが始まりました。これまで田植えは何度も見たことはありますが、都会暮しが長い僕にとって日常風景の1つとして“田植え”を見る経験は初めてのことです。これまでお米と言えば、年中、精米されて袋詰めされたものがスーパーに山積みされているという程度の貧困なイメージしか持っていませんでしたが、雑草の焼却から、土を細かく砕くための田の耕起が始まり、やがて肥しの匂いが鼻に付くようになると直ぐに田に水がはられ、夜ともなると何百匹とも知れぬカエルが一斉に泣くようになります(カエルの鳴き声が作り出す不協和音で夜空一面が覆われるようですが、やはり自然は不協和音で溢れているのですね…)。そして、今週末辺りから苗代から苗を田に植え替える田植えが始まりました。これから農薬の散布と水田の水管理等が行われ、青々としていた水田が金色に染まる9月中旬頃に収穫となるようです。こうして身近にコメ作りを見ていると、本当は、お米はお金では買えない“自然の恵み”であることが改めて実感でき、こういう些細ですが根源的なこと(自然への畏敬や自然の恵みへの感謝)へ立ち返ることができるところに田舎暮しの素晴らしさ、醍醐味があります。一口に稲作と言っても、技術、神事、文化という様々な切り口で語ることができますが、もともと日本の伝統芸能は五穀豊穣を祈る祭事が発端と言われ、能楽、歌舞伎、日本舞踊などの舞は腰を据えて地面を摺るような横への面的な広がりのある動きが中心ですが、これは農耕民族の名残と言われています(田植えの姿勢を思い起こして貰えれば分かると思います)。これに対し、狩猟民族は獲物を追って地を飛び跳ねるような縦への垂直的な広がりのある動きをしますが、これはオペラやバレエのダンスに共通した動きの特徴です。最近では手植えではなく機会植えが一般的ですが、田植えの風景を見ていると、五穀豊穣を記念する能「翁」の舞いがオーバーラップしてきて興味深いです。


左から、�最近では見掛けなくなった近所の「屋根より高い鯉のぼり」、�200匹の鯉のぼりが泳ぐ橘ふれあい公園(千葉県香取市)の鯉祭り、�西日が落ちてきた日曜夕方のひと気のない近所の水田風景。スマホのカメラでは分かりませんが、静かに吹き抜ける春のそよ風に稲と水面が靡き、これに柔らかい斜陽がキラキラと反射して息を飲むような美しい日本の原風景です。秒針が忙しく刻む人工の時間とは異なって、陽光や風の匂いが穏やかに刻んで行く古より悠久と続く自然の時間がここには残されています。「忘らるる 時しなければ 春の田の かへすがへすぞ 人は恋しき」(古今和歌六帖)


左から、�江戸の名所を描いた歌川広重の浮世絵「水道橋駿河台」(江戸名所百景)、�鯉の滝登りを描いた葛飾北斎の浮世絵「鯉」..浮世絵のデフォルメされた大胆な構図は現代にあっても斬新です。

もう一つ都会暮しではトンと見掛なくなった情景に“鯉のぼり”があります。こんなに大きな鯉のぼりを見るのは実に久しぶりのことですが、先々週あたりから5月5日の端午の節句(3月3日は桃の節句、7月7日は七夕の節句、9月9日は菊の節句)に先立って、あちらこちらの農家で大きな鯉のぼりがあげられています。鯉のぼりがあがっている家は男の子のいる家ですが、鯉のぼりをあげる風習は江戸時代から広まり「鯉の滝登り(鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける=登竜門)」の故事成語にあやかって男の子の健やかな成長と立身出世を祈願してあげられるようになったようです。江戸の狂歌に「江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口は大きし腸(ハラ)はなし」というのがありますが、鯉のぼりは上方ではあまり見られなかった風習だそうなので、五月晴れよろしく何事も腹に溜めないカラッとした気風の良い江戸っ子とは相性が良く好まれたのかもしれません。“吹流し”なんて、粋じゃありませんか。

さて、今日は、神奈川県から千葉県へ引っ越してきたこともあり、神奈川県へのオマージュという意味で、NHK−BS「額縁をくぐって物語の中へ」で上記の鯉の浮世絵でも知られる葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」が採り上げられたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。ご存知のとおり浮世絵「神奈川沖浪裏」はドビュッシー交響詩「海」の初版譜の表紙にも使われ、ドビュッシーをはじめとして多くの芸術家にインスピレーションを与えた傑作です。


葛飾北斎 富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」


ドビュッシー 交響詩「海」の初版譜表紙(1905年)です。富士山と小舟は消され、この版画の魅力であるダイナミックな遠近感が削がれてしまっています。この版画はデフォルメされた大胆な構図の中で手前の「動」と奥の「静」、周囲を覆う荒々しい波と中央に描かれた空間との対比によって見る者の視点が一番奥に描かれた富士山へと収斂していくように描かれていますが、だからこそ、この交響詩の標題性を強調した図案とするために施された措置だったのかもしれません。

最初にヨーロッパに渡った葛飾北斎の版画は「北斎漫画」と言われています。これは日本からフランスへ運ばれる焼き物を梱包するために使われていた紙が北斎漫画だったことによると言われています。この北斎漫画がヨーロッパで広がり、北斎の浮世絵が注目されるようになっていったようです。モネやドガは神奈川沖浪裏の大胆な構図に驚き、大いに影響を受けたと言われていますが、これは北斎が大きな波を描きながら、その一方で絵全体のバランスが崩れないように緻密に計算して構図を組み立てていたことによります。神奈川沖浪裏の絵を対角線で結び、それを半径としてコンパスで円を描くと、丁度、波の先端と富士山の頂上がその円周で交わるように描かれています。また、波が描かれている部分を切り取ってその残りの部分を180度反転させると、丁度、波の描かれている部分とぴったりと一致するような反鏡形の構図になっており、それが画面全体を回転させるような勢いを生んで浪に躍動感を与えています。さらに、大しけの中に人が乗っている舟が描かれていることが絵全体の緊迫感を増しており、それがこの浮世絵の並々ならぬ生命力を生んでいると言えるかもしれません。なお、手前の小さな波の輪郭は富士山(奥に描かれている富士山と比べて実際の富士山の形に近い)が象られており、この浮世絵にアクセント(面白さ)を与えています。


北斎漫画

ゴッホは、弟テオへの手紙の中で神奈川沖浪裏について『君が大波の絵を見て「この浪は鍵爪だ、船がその中に捕まえられた感じだ」と感動の叫び声をあげたのは、北斎が描き出した線とデッサンが素晴らしさからだ』と激賞しており、北斎の並外れた画力と色彩に驚いています。とりわけベルリンで作られた顔料「ベロ藍」が波裏に使っていますが、これはゴッホの絵画「種まく人」にも使われており、神奈川沖浪裏はゴッホへの作風にも影響を与えています。また、北斎は、今にも砕け散る瞬間の迫力のある浪を描くために、何日も馬で海に入り観察したと言われています。なお、この番組では紹介されていませんでしたが、北斎は神奈川沖浪裏を作成するにあたって当時“浪の伊八”として知られていた彫刻家 武志伊八郎信由の彫刻から着想を得たのではないかと言われています。その証拠に“浪の伊八”の作品が行元寺(千葉県いずみ市)の欄間彫刻「波に宝珠」に残されていますが、その裏面の宝珠を富士山に置き換えると神奈川沖浪裏と同じ構図になります。ゴッホがミレーの作品からインスピレーションを受けたのと同様に、北斎も“浪の伊八”からインスピレーションを得て浮世絵の傑作を生みだしたと言えるかもしれません。


左から、�ゴッホ「種まく人」、�行元寺(千葉県いずみ市)の欄間彫刻「波に宝珠」(彫刻家 武志伊八郎信由)
http://www18.ocn.ne.jp/~gyoganji/


北斎はこんな浪を見て着想を膨らませていたのでしょうか。尤も、神奈川沖とは東京湾のことなので、こんなビックウェーブがあったとは思えず、やはり北斎のイメージが作った大波と言えるかもしれません。

◆おまけ
昨日、Yahoo! ニュースにBPOのデジタルコンサートホールの記事が掲載されていたので、無料画像をアップしておきます。BPOのチケットを取るために狂ったように何百回もリダイヤルしなくても、自宅にいながらにして驚くべき廉価でBPOの最新演奏が聴けてしまうハイコストパフォーマンスのWebサービスです。ネットワークオーディオが欠かせません。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130421-00010000-wired-musi

去る4月15日に永眠された指揮者のサー・コリン・デイヴィスさんへ哀悼の意を込めて、同じニムロットの演奏をアップしておきます。同じ曲でも指揮者によって味付けが異なれば、これだけ違った表情を見せてくれます。これぞ再現芸術の醍醐味です。衷心よりご冥福をお祈り致します。

葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」に着想を得たのではないかと言われているドビュッシー交響詩「海」をお楽しみあれ。波のうねり、海面の煌めき、潮の香りなどをイメージしながら聴いてみて下さい。