大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

NHK教育テレビ「茂山千作さんをしのんで」

【題名】茂山千作さんをしのんで
【放送】NHK教育テレビ
    平成25年6月8日(土)14時00分〜15時59分
【出演】演劇評論家 権藤芳一
    和泉流狂言師 野村萬人間国宝
    女優、落語家 三林京子
    観世流能楽師 片山幽雪(人間国宝
    和泉流狂言師 野村万作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千之丞
    大蔵流狂言師 茂山忠三郎
    大蔵流狂言師 茂山千五郎
    大蔵流狂言師 茂山七五三
    司会 古谷敏郎
【曲目】狂言「素袍落」(大蔵流
      <太郎冠者>茂山千作
      <伯父>茂山忠三郎
      <主>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山千三郎
    狂言「唐相撲」(大蔵流
      <帝王>茂山千作、茂山狂言会の皆さん
    狂言「棒縛」(大蔵流
      <次郎冠者>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <後見>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山七五三(二世)
    狂言「千切木」(大蔵流
      <太郎>茂山千作
      <亭主>茂山忠三郎
      <女房>茂山千之丞
      <太郎冠者>茂山千三郎
      <立衆>茂山千五郎(十三世)、茂山七五三(二世)
          茂山あきら、丸石やすし、松本薫、茂山正邦
    狂言「萩大名」(大蔵流
      <大名>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <庭の亭主>茂山忠三郎
      <後見>茂山あきら、茂山良暢
    新作狂言「彦市ばなし」
      <彦市>茂山千之丞
      <殿様>茂山千作
      <後見>山本則俊
    ドラマ「なにわの源蔵事件帳」(第20話)
      <駒千根>三林京子
      <猫田久松>茂山千作
    狂言「千鳥」(大蔵流和泉流)」
      <太郎冠者>野村萬
      <酒屋>茂山千作
      <後見>茂山千三郎、野村扇丞
    スーパー狂言「ムツゴロウ」
      <社長>茂山千作
      <サラリーマン>茂山七五三、茂山狂言会の皆さん
      <笛>藤田六郎兵衛
      <小鼓>古賀裕己
      <大鼓>亀井広忠
      <太鼓>三島元太郎
    狂言「枕物狂(大蔵流)」
      <祖父>茂山千作
      <後見>木村正雄
      <地謡(地頭)>茂山千之丞
      <地謡>茂山七五三
      <地謡>茂山あきら
      <地謡松本薫
      <地謡茂山宗彦
      <地謡>茂山茂
      <小鼓>鵜澤寿
      <大鼓>安福建雄
    狂言「花子(大蔵流)」
      <夫>茂山千作
      <妻>茂山千之丞
      <後見>大藏彌右衛門
      <後見>茂山千五郎(十三世)
【感想】
去る5月23日に人間国宝にして狂言界初の文化勲章受章者である大蔵流狂言師茂山千作さんが他界されてから早くも3ケ月が経ちましたが、思えば、この僅か半年の間に時代を代表する歌舞伎俳優の中村勘三郎さん、市川團十郎さん、そして狂言役者の茂山千作さんと不幸が続き、その意味で今年は大きな時代の転換点、節目にあたる年であるとも言えそうです。今日は久しぶりに千作さんの舞台を観たいと思い立ち、予てから録り溜めていた千作さんの追悼番組を拝見しましたが、千作さんの懐の広い大らかな芸風と笑い声が鮮やかに記憶に蘇り、改めて掛け替えのない役者さんを失ってしまったという寂寥感、喪失感に打ちのめされる思いがします。


左は千作さん、右は弟の千之丞さん。「情の千作、知の千之丞」と言われていたとおり、ユニークな芸風と阿吽の呼吸でお互いを引き立たせて持ちつ持たれつの名コンビ振りが懐かしく偲ばれます。

この番組の中で、和泉流狂言師野村万作さんが千作さんの芸風について「“破格な” “型破りな” “大らかな” “発散する”芸風であり、聴衆の中に入り込んだ芸である」と評されていましたが、その意味では千作さんは肩肘を張らず気取らない誰にでも親しみ易い舞台が魅力であったと思いますし、また、和泉流狂言師野村萬さんは「千作さんは西で演技するときは柔らかく東で演技するときは固くやる」と語られていましたが、顧客の気質を見極めて硬軟の演技を使い分け、どこか気さくで茶目っ気を感じさせる人間味ある芸でいつも舞台を和やかなものにしていたと思います。萬さんは「能は謡、狂言は台詞が命脈だ」と語られていましたが、

http://www.soja.gr.jp/

因みに、僕が千作さんの舞台を最後に拝見したのは2008年3月20日の国立能楽堂に於ける狂言「月見座頭」だったと記憶しています。もう直ぐ仲秋の名月ですが、狂言「月見座頭」は座頭(盲人)が仲秋の名月にお月見をするという洒落た話で、座頭が野辺に出て虫の音に月見の風情を感じていると、そこへ通り掛った男と意気投合して酒宴となります。しかし、この男は座頭に悪戯をしてやろうと思い立ち、酒宴が終わって別れた後に再び座頭のもとへ引き返して別人を装って座頭を突き倒して逃げます。しかし、座頭は、突き倒して逃げた男と酒宴を楽しんだ男とは別人であると思い込み、突き倒して逃げた男は酒宴を楽しんだ男とは違って情けもない奴だと憤慨し、大きなくしゃみをして終曲になるという話です。前半の酒宴の場面は千作さんの大らかな芸が後半の悪戯の場面の千之丞さんの狡猾さを一層と引き立たせており、人間の業(暗黒面)に抗うことができない男の小悪党振りとそれに気付かない座頭の悲哀とがバランスよく絡み合って世の中の不条理と人間の滑稽さが浮き彫りとなって、思わず身につまされて苦笑いしてしまうような味わい深い舞台であったと記憶しています。この日は偶々橋掛り横の席に着座していましたが、千作さんが座頭に扮したまま揚げ幕へ引き上げられるときも非常に荒い息遣いが聞こえてきて、一曲一曲、命を削りながら舞台に立たれている姿を目の当たりにしたようで感服したことを思い出します。この頃になると千作さんの足腰も弱られた様子で、後見の支えがなければ着座した姿勢から立ち上がることが侭ならないようでしたので、生涯を舞台の上で全うされた役者人生だったんだなと感慨深く思い出されます。番組の最後に萬さんが以下の世阿弥の言葉を引用して千作さんを偲んでいらっしゃいましたが、生まれながらにして多くの観客に愛される愛嬌とは、正しく千作さんを一言で評するに相応しい言葉だと思われます。

「数人哀憐の愛嬌を持ちたらん生得は、芸人の冥加なるべし」世阿弥著「習道書」より)


左から月見座頭に因んで魚見塚展望台からの満月の夜のムーンライト、鴨川の夜景、漁師が沖合から来る魚の群れを見張っていたことから魚見塚と呼ばれています、誓いの丘には恋の成就を願って錠前が♥

なお、余談ですが、「座頭」とは、室町時代に形成された琵琶法師の「座」(芸能集団)の中の階級のことで、上から「検校」(けんぎよう),「別当」(べっとう),「勾当」(こうとう),「座頭」という4つの位が設けられていました。その後、江戸時代に入って幕府の障害者保護政策として「座」が利用されるようになり、障害者に対して按摩、鍼灸又は音楽家(琵琶、地歌三味線、箏曲、胡弓の演奏家、作曲家)の職業を排他的かつ独占的に許容しました。「六段の調べ」で有名な近世筝曲の開祖である八橋検校さんはご存知の方も多いと思いますし(京銘菓「八つ橋」は筝を象ったもので、八橋検校さんの名前に由来していることは有名)、俳優の勝新太郎が主演した映画「座頭市物語」の主人公である座頭の市なども有名です。因みに、座頭の市は実在の人物で、講談や浪曲でも有名な「天保水滸伝」にも登場する千葉県旭市飯岡町の侠客、飯岡助五郎(1859年没)の子分だったと言われていますが、学校で教えない歴史が文化、芸術の創作の源になっている好例ですな。(八橋検校座頭市については、改めて詳しく採り上げたいと思っています。)



左上から座頭市の住居跡(現在は水没していますが、150年前は海岸線だった龍王岬のあたりには出稼ぎ漁師が住む納屋が立ち並び、茨城県笠間から流れ着いた座頭市もここに住んでいたようです。「波止に喧嘩に強い盲人がいる」と恐れられていたという伝承が残されています。)、飯岡海岸に立つ天保水滸伝の碑、飯岡助五郎の墓、月岡芳年の浮世絵「飯岡助五郎」、飯岡海岸に立つ力石徹の像(漫画「あしたのジョー」のちばてつやさんは飯岡出身)、左下から飯岡灯台から見た飯岡の海、大利根河原の決闘の案内図、笹川繁蔵や平手造酒等の墓、清水次郎長国定忠治など関八州の大親分が一堂に会して花会を行った料亭「十一屋」
【地図】http://yahoo.jp/EygQF5

◆おまけ
月見座頭がなかったので、千作さんと千之丞さんの共演で素襖落を。

多少の脚色はありますが、史実、大利根河原の決闘を題材に描かれた座頭市物語。座頭の市をはじめとして飯岡助五郎、笹川繁蔵、平手造酒は実在した人物。

盲人を題材にしたオペラが見当たらないので適当に。

永遠に我々の記憶の中に...。衷心よりご冥福をお祈りします。フォーレのレクイエムより。