大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

映画「王は踊る」(原題:Le Roi danse)

【題名】映画「王は踊る」(原題:Le Roi danse)
【監督】ジェラール・コルビオ
【脚本】エーヴ・ド・カストロ
    アンドリー・コルビオ
    ジェラール・コルビオ
【出演】<ジャン=バティスト・リュリ>ボリス・テラル
    <ルイ14世ブノワ・マジメル
    <モリエール>チェッキー・カリョ
    <アンヌ・ドートリッシュコレット・エマニュエル
    <マザラン枢機卿>セルジュ・フイヤール
    <マデレーン>セシール・ボワ
    <ジュリー>クレール・ケーム
    <ロベール・カンベール>ヨハン・レイセン
    <コンティ公>イドヴィグ・ステファーヌ     ほか
【美術】ユベール・プイユ
【衣装】オリヴィエ・ベリオ
【監修】ラインハルト・ゲーベル
【公開】2001年7月20日
【感想】ネタバレ注意!
実在の名オペラ歌手のホセ・ヴァン・ダム(バス・バリトン)が主演しオペラ歌手の内面を描いたフィクション映画でその中でクラシック音楽がふんだんに使われている「仮面の中のアリア」や伝説的なカストラート(≒ボーイソプラノ)として名高いファリネッリの半生を描いた伝記映画の「カストラート」などで世に知られる名匠コルビオ監督が手掛けた、作曲家リュリ(左の写真)の半生を描いた映画「王は踊る」を鑑賞することにしました。今年で没後300年を迎え、ヴェルサイユ宮殿を建設したルイ14世は15歳でバレエの舞台デビューを果たし(映画「王は踊る」でも描かれていますが、ルイ14世が「夜のバレ」で昇る太陽を演じたことから「太陽王」という異名で呼ばれるようになりました。因みに、千葉県柏市をホームタウンとするJリーグの「柏レイソル」とはレイ(王)とソル(太陽)を合わせて「太陽王」を意味しています。)、その後、プロの舞踊家の養成を目的として1661年に王立舞踏アカデミーを設立します。やがて王立舞踏アカデミーはルイ14世付の宮廷音楽家であったリュリが開設した王立音楽アカデミーオペラ座)に併合され、その専任の舞踏教師としてルイ14世付の舞踊教師であったボーシャン(5つの足の基本ポジションを体系化するなど今日のクラシックバレエの基礎を築いた舞踊家)が任命され、リュリと共に宮廷バレエを創作します。なお、リュリは、ルイ14世の招聘を受けてヴェルサイユ宮殿を度々訪れていたモリエールの台本によるコメディ・バレ(舞踊喜劇)を数多く作曲し、「無理強いの結婚」や「町人貴族」などの作品がヴェルサイユ宮殿のオペラ劇場で上演されています。..ということで、本題に入る前にブログの枕として「舞台」について少し書いておきたいと思います。


ジェローム作「ルイ14世モリエール」(1862年)


現在、執筆中。



左上から、
1枚目:「房総のむら」の大木戸
江戸時代から明治時代の初期にかけての千葉県の街並みを再現した「房総のむら」(千葉県成田市)の大木戸。江戸時代には興行見物のために木戸を通行する際に徴収した入場料金のことを木戸銭といいましたが、例えば、江戸時代の歌舞伎見物の木戸銭は現代価値で3百円〜3万円程度、落語見物の木戸銭は現代価値で6百円程度、相撲見物の木戸銭は現代価値で4千円〜5万円程度だったそうで、歌舞伎見物や相撲見物の木戸銭は現代と比べるとやや割高のある贅沢な娯楽、落語見物の木戸銭は現代と比べると圧倒的に割安があり庶民の文化として根付いていたということがいえましょうか。
2枚目:「房総のむら」にある江戸後期の千葉県内の街並み
千葉県内に実在した旧家を再現した江戸時代後期の街並み。江戸後期から明治初期の写真を見ると、江戸時代の街並みは(あるいは現代よりも)清潔であったことが伺えます。因みに、中世のフランスでは「Gardy loo!」(ガルディ・ルー)と叫んで窓から外に人間の汚物を投げ捨てる習慣があり女性用ハイヒールはその汚物を踏まないように開発されたという話は有名ですが、日本では川の水流を利用した水洗トイレが早くから普及し又は人間の汚物が堆肥として高く売買されていたので人間の汚物が街を汚すことはなく、下駄はハイヒールとは異なって舗装されていなかった道でぬかるみにはまらないように開発されたものと言われています。また、江戸時代の日本人は小柄(江戸時代の平均身長は男性で155cm前後、女性で145cm前後で、現代の平均身長よりも20cm以上も低かったことになります。また、カメラの性能にもよると思いたくなるくらい胴長短足の人が多かったことは否めず、食生活や生活スタイルの変化によってこれだけ短期間に人間の体型は変化し得るものなのかと驚かされます)。舞踊のスタイル(狩猟民族の多い西洋のバレエは下半身を中心とした垂直的な動き、農耕民族の多い日本の舞踊は上半身を中心とした水平的な動き)にも影響しますが、下半身を使う狩猟民族は足が長く、上半身を使う農耕民族は胴が長い傾向があるのはその生活スタイルが体型に影響を与えている側面があるのかもしれません。
3〜4枚目:「房総のむら」にある農村歌舞伎舞台と桜の借景
江戸時代後期に千葉県香取郡で実際に使用されていた農村歌舞伎舞台。歌舞伎は出雲大社の巫女と自称する阿国(実際は河原者だったと言われています)が風流踊り、念仏踊り、神楽踊りなどを融合して「かぶき踊り」(大きな刀を持ち派手な服装を纏った“かぶき者”に扮し、それまでの踊り主体の芸能に演劇的要素を加えて茶屋遊びに通う伊達男を演じたもの)を生み出したのが始まりと言われています。その後、「かぶき踊り」は遊女らによって盛んに演じられるようになり当時は高級品であった三味線が伴奏する「女歌舞伎」に発展しますが、1629年に風俗取締のために女性の舞台公演が禁止されたことにより、男性だけの「若衆歌舞伎」や「野郎歌舞伎」へと変遷して現在の歌舞伎の上演形態になっています。歌舞伎はドサ回りの旅役者によって全国に伝えられ、その旅役者が地方の農村に住み着いて指導者になり農村歌舞伎が発展したと考えられています。なお、「かぶき踊り」の誕生と同じ頃に阿通によって三味線に合せて物語を謡う「浄瑠璃」(阿通が義経浄瑠璃姫の恋愛を脚色して“浄瑠璃十二段”を作ったことから「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと言われています。)が誕生し、その後、義太夫節などに発展して歌舞伎にも採り入れられています。なお、数年前に平成中村座で借景を用いた演出が話題になったことは記憶に新しいですが、「房総のむら」にある農村歌舞伎舞台の裏には背の低い桜が植えられ、舞台の背扉を開くと桜の借景が舞台を彩る仕掛けになっています。日本の庭園思想は西洋の庭園思想とは異なって、その造形はアシンメトリーな自然の模倣(を憧憬する人工美)であり、人間界(内界)と自然界(外界)との間が明確に区分されない連続性を持った一元論的世界観を体現する空間演出を特徴としますが、舞台演出としての借景は人工的に演出された舞台空間(内界)に凝縮された密度(≒日本庭園)と非人工的に演出された自然空間(外界)の多彩な拡がり(≒借景)とが空間を超越して融合し、舞台に流れる過去に固定された時間(≒日本庭園)と自然に流れる将来に変化していく時間(≒借景)とが時間を超越して交錯して、舞台に切り取られた重層的な「空間」と「時間」の連続性が舞台にダイナミックな奥行を与える効果を生んでいるような気がします。
左下から、
1〜2枚目:歌舞伎座舞台株式会社の松戸工場と歌舞伎座からの銀座の眺め
歌舞伎座舞台株式会社の松戸工場(千葉県松戸市)。歌舞伎座舞台株式会社は歌舞伎座専属の大道具として、松戸工場で歌舞伎座の大道具(舞台装置)を一手に制作しています。歌舞伎座舞台株式会社の前身は長谷川大道具で、1650年頃に初代長谷川勘兵衛が大道具師として中村座をはじめとした江戸三座に出入りしたのが始まりと言われています。長谷川大道具が「廻り舞台」や「セリ」などの歌舞伎を代表する舞台機構を生み出しています。因みに、歌舞伎の廻り舞台がオペラやミュージカルの舞台にも導入された話は有名ですし、メトロポリタン歌劇場が来客数の改善のために松竹が始めた歌舞伎の舞台公演を映画化した歌舞伎シネマを真似てメトロポリタン歌劇場の舞台公演を映画化したMETライブビューイングを開始した話も有名です。実際に、日本のオペラハウス新国立劇場は四面ある舞台を入れ替えることで舞台上のセットを入れ換る仕組みになっていますが、その一面の奥舞台には廻り舞台の機構が備えられています。なお、新国立劇場舞台美術センター(千葉県銚子市)では舞台芸術に関する所蔵品の展示や鑑賞会などのイヴェントも行われていますので、銚子漁港で陸揚げされる新鮮な海の幸(湾内ではなく外洋で採れる魚は身の締りや弾力が違うので頬が落ちます)をご賞味がてら足を運ばれてみてはいかが。
3〜5枚目:名菓、天乃屋の歌舞伎揚
天乃屋の歌舞伎揚は現代を代表する名菓として愛されていますが、商品名のとおり包装紙には歌舞伎で使用されている定式幕(包装紙に使用されている定式幕は萌葱、柿、黒の三色で構成される江戸市村座の定式幕で国立劇場大阪歌舞伎座で使用。因みに、柿、萌葱、黒の三色で構成されるのが江戸森田座の定式幕で歌舞伎座や京都南座で使用。白、柿、黒の三色で構成されるのが江戸中村座の定式幕で平成中村座で使用。)の模様を取入れ、四角いせんべえには「三枡文」(市川團十郎)、丸いせんべえには「丸に二引両紋」(片岡仁左衛門)と歌舞伎役者の家紋が薄っすらと刻印されています。

さて、そろそろ本題に戻りたいと思います。かなり昔に公開された映画になりますが、その感想を簡単に残しておきたいと思います。


現在、執筆中。


この映画の前半でリュリがポケット・ヴァイオリン(16〜18世紀頃は舞踏教師らがポケット・ヴァイオリンを携帯し、これを演奏しながらバレエのレッスンをつけていました。また、19世紀頃までは音楽家と聴衆の分離(音楽家の中でも作曲家と演奏家の分離を含む)が進んでおらず、音楽を媒介するテレビ、ラジオやCDなどのメディアがなく、高速移動手段も整備されていなかったので宮廷貴族以外の一般市民が教会で演奏される宗教音楽以外の演奏に触れる機会は殆どなかった時代にあって、一般市民はポケット・ヴァイオリンを携帯して自分で演奏することで日常的に音楽を楽しむ習慣があったようです。現代のようにメディアが発達し、高速移動手段やコンサートホールが整備されて何時でも何処でも音楽に親しめる環境になったことは、ある面では聴衆による音楽受容を飛躍的に豊かにした反面、ある面では音楽との関わり方を一層と偏狭的なものにしたという側面もあるような気がします。)を演奏しながらバレを指揮するシーンが登場しますのでお見逃しなく(ポケット・ヴァイオリンのことをフランスでは“pochette”(ポシェット)といい、リュリが胸のポシェットにポケット・ヴァイオリンを入れて指揮するシーンが登場しますが、本当に時代考証が優れている映画です)。更に詳しくお知りになられたい方は、ポケット・ヴァイオリのレプリカが展示されている浜松市楽器博物館に足を運ばれることをお勧めします。なお、18〜19世紀に音楽家と聴衆の分離が進んでいく過程で活躍したディレッタントについて書かれている「モーツァルトを「造った」男〜ケッヘルと同時代のウィーン 」(講談社現代新書)は興味深い内容なので、ご興味がある方は併せてどうぞ。

王は踊る [DVD]

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なお、近くバロック・ダンスの講習会がありますので、バロック・ダンスにご興味がある方や鑑賞の参考にされたい方は、是非、この機会にお運び下さい。
http://www.baroquedance.jp/

◆おまけ
スペインの伝説上のプレイボーイ貴族ドン・ファンを題材としたレーナウの詩を基にR.シュトラウスが作曲した交響詩ドン・ファン」をどうぞ。なお、リュリが作曲したコメディ=バレの台本作家としても有名なモリエールドン・ファンを題材として戯曲「ドン・ジュアン」(ドン・ファンのフランス語名)を書いています。

ダ・ポンテがモリエールの「ドン・ジュアン」を参考にして台本を書き、モーツアルトが作曲をした歌劇「ドン・ジョバンニ」(ドン・ファンのイタリア語名)をどうぞ。

リュリがモリエールの戯曲「町人貴族」を台本にして作曲したコメディ・バレ「町人貴族」より行進曲をどうぞ。

R.シュトラウスモリエールの戯曲「町人貴族」に付属音楽を作曲した組曲「町人貴族」より序曲をどうぞ。