大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

未来へと紡ぐ平和への想い・・・映画「海難1890」、映画「杉原地畝 スギハラチウネ」、映画「陽光桜−YOKO THE CHERRY BLOSSOM−」、歌「ハナミズキ」


メリークリスマス♪今年も子供達に夢を運ぶ...Harley-Davidson

今年の干支は「羊」ですが、羊年の最後を飾るに相応しい「義」に生きた人々の生き様を描いた心洗われる以下の3本の映画に出会いました。古く羊は宗教上の儀式において神への生贄として捧げられてきた習慣があり、キリスト教では贖罪のために神(天)から遣わ(降誕)されたイエス・キリストのことを「神の仔羊」といいますが、昔から「羊」は犠牲を象徴する生き物とされ、(今年正月のブログ記事でも書いたとおり)「羊」と「我」を組み合わせて自己犠牲を意味する「義」という文字が生まれています。この3本の映画に描かれている人達の生き様を通して自分にとっての「義」とは何なのかを考えさせられ、自分の人生を見詰め直す良い契機になった心に残る映画です。今年はこの映画3本を観ることができただけでも、僕の人生にとって有意義な1年であったと言えるような気がしています。

映画「海難1890」
http://www.kainan1890.jp/
映画「杉原地畝 スギハラチウネ」
http://www.sugihara-chiune.jp/
映画「陽光桜−YOKO THE CHERRY BLOSSOM−」
http://www.movie-yoko.com/

今年は戦後70年という節目でもあります。俗に戦争の傷跡は半世紀残ると言われていますが、先の世界大戦から半世紀以上の時を経て日常生活の中で「戦後」という言葉があまり使われなくなって久しく、先の世界大戦は現代の我々にとってもはや”痛み”を感じない「歴史」として過去に葬られ、実感を伴って語られる機会は少なくなりました。この3本の映画は、戦後70年という節目に、これまで我々が歩んできた戦後史を振り返り、現代の我々が新たに直面している問題を考えさせてくれるという意味でも色々な人(とりわけこれからの時代を担って行く若い人)に是非観て貰いたい映画です。なお、この3本の映画とのつながりで後述しますが、シンガーソングライターの一青窈さんがアメリカ同時多発テロ事件(9.11)の犠牲者の鎮魂のために作った歌「ハナミズキ」の歌詞には、この事件の犠牲者に代わって世界の平和と我が子の幸せを願う(父親の)気持ちが切々と歌われており、この曲を聴く度に父親世代の僕にとって胸が締め付けられるほど切なくなり平和への想い(”痛み”)を呼び覚ましてくれます。この3本の映画と歌「ハナミズキ」のそれぞれに込められた想いを胸に、街を行き交う子供達の笑顔を眺めながら、この笑顔を永遠に絶やさないために、いま我々大人が何を心掛けなければならないのか、そんなことばかりを考えています。

歌「ハナミズキ」(一青窈
http://j-lyric.net/artist/a000624/l002435.html

…ということで、この3本の映画と歌「ハナミズキ」について簡単に感想を残しておきたいと思います。

【題名】海難1890
【監督】田中光
【脚本】小松江里子
【出演】田村元貞役 内野聖陽
    ムスタファ/ムラト役 ケナン・エジェムスタファ
    ハル/春海役 忽那汐里
    ベキール役 アリジャン・ユジェソイ
    お雪役 夏川結衣
    野村役 永島敏行
    藤本源太郎役 小澤征悦
    サト役 かたせ梨乃
    工藤役 竹中直人
    佐藤役 笹野高史
    オザル首相(トルコ共和国)役 デニズ・オラル     ほか多数
【劇場】成田HUMAXシネマズ 1,300円
【感想】ネタバレ注意!
この映画は、1890年に日本人の義がトルコ人を救った実話(エルトゥールル号海難事故)と、その約100年後の1985年にトルコ人の義が日本人を救った実話(テヘラン邦人救出劇)から作られています。1889年、オスマン帝国が日本への親善使節団としてエルトゥールル号を派遣しますが、翌年、その帰路に台風に遭遇して紀伊大島沖に座礁し沈没します。紀伊大島(和歌山県串本町)の島民たちは台風のなか命懸けでエルトゥールル号の乗組員を救出して負傷者の手当を行いますが、生存者は69名のみで残り587名は殉死するという大海難事故となりました。島民は毎日漁に出なければ食料にも事欠く貧民でしたが、それでも島民は何日も漁を休んで生存者の世話に努め、自らは飲まず食わずで生存者に食料を与えて看護に尽くします。やがて生存者は神戸に搬送され、ドラマ「坂の上の雲」でも知られる秋山真之らが乗船する日本海軍の船でオスマン帝国へ無事に送り届けられます。


エルトゥールル号

それから約100年後の1985年、イラクが停戦合意を破ってイランに侵攻し、48時間後からイランの上空を飛行する飛行機を無差別攻撃すると声明を発表したため、イランの在留外国人はそれまでに本国へ帰国しようと空港へ殺到します。イランの日本大使館は日本政府に対して在留邦人が帰国するための救援機を派遣するように要請しますが、空路の安全が保障されず国会の承認にも時間が掛かるという理由で救援機の派遣に難色を示します。自国民の救援を優先する諸外国の救援機は日本人の搭乗を拒否し、在留邦人は絶望的な状態におかれます。そこで、日本大使館らが隣国トルコに救援を要請したところ、トルコのトゥルグト・オザル首相(当時)はこれを快く引き受けて救援機を手配すると約束します。これを受けてトルコ航空では救援機のパイロットを募りますが、その場に居た全てのパイロットが危険を顧みずに志願します。無差別攻撃まで時間がないなか、空港には沢山のトルコ人がトルコの救援機を待っていましたが、約500名のトルコ人は危険を顧みずに陸路でイランを脱出することを選択し、215名の在留邦人を優先して救援機に乗せることに賛成します。


イランの在留邦人を救出したトルコ航空の救援機

この映画では描かれていませんが、後日談として、当時の日本ではトルコが自国民よりも日本人を優先して救出した理由が分かりませんでしたが、在日トルコ大使は「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」と短く理由を発表しています。トルコではエルトゥールル号海難事故が教科書に掲載され、約100年前に日本人が命懸けでトルコ人を救出したことに対する感謝の気持ちを忘れず教え伝えてきたことがテヘラン邦人救出劇につながりました。一般にトルコ人イスラム教の教義で「おもてなしの精神」が旺盛であり見返りを求めない民族と聞いていましたが、その誠実で義理堅い国民性に感銘を覚えます。中国の五経に「道を以て欲を制すれば則ち楽しみて乱れず」とあり、自分の欲(利)を道(義)によって抑制する成熟した精神を持つことができれば心は整えられて迷うことがなくなると説かれています。今年の大河ドラマ「花燃ゆ」明治維新前後の日本人の生き様を通して日本人の「志」を描いたドラマですが、志とは自分が正しいと信じ、自分が歩むべき道のことであり、志が定まれば自ずから生きる指針(義)が定まり、生き方が定まれば自ずから自制心(欲を制する強い精神力)が生まれるということを教えられたような気がします。トルコ人を助けた明治時代の日本人も、日本人を助けた現代のトルコ人も、その義心が危険を顧みず人としての道を歩むことを迷わせなかったのだろうと思われ、その誇らしく美しい生き様が現代の我々に感銘を与えるのかもしれません。テヘラン邦人救出劇でトルコが在留邦人のために救援機として非武装の民間機をイランへ派遣したことを考えると、自国民すら救出することが侭ならなかった日本の対応には、戦後復興を経て高度経済成長を成し遂げた日本人が「志」を失い、自らの使命(義)を顧みることなく打算や事情(都合)に流されて人生をやり過ごしてきた姿が浮彫りになってしまっているように感じられ、昔の日本人から学び直さなければならないことも多いような気がしています。上述のことは商売にも通じる考え方で「儲けるは欲、儲かるは道」と言いますが、「欲と雪が積れば道を失う」の格言のとおり欲(利)に走って道(義)を失えば、やがて商売は儲からなくなり行き(生き)詰るということだと思います。その意味でも、現代に生きる自分にとっての「義」とは何なのかについて、先ずは自分の身近なところから考え直してみたいと思っています。


エルトゥールル号座礁した沖合いにある紀伊大島の樫野埼灯台

なお、紀伊大島にはエルトゥールル号海難事故の犠牲者を慰霊するためにトルコ軍艦遭難慰霊碑が建立され、5年毎に日本とトルコの共催で慰霊祭が行われると共に、日本とトルコの友好親善の証としてトルコ記念館が建設されています。また、2005年、エルトゥールル号海難事故の犠牲者587名の慰霊と、世界の平和につながる「思いやりの精神」を風化させないために、トルコの植物園に映画「陽光桜」の主人公である高岡正明さんの遺志である平和の願いを込めた陽光桜587本が植樹されています。さらに、2015年11月からターキッシュ・エアラインズ(トルコ航空)では関西〜イスタンブール間で当時の機体デザインを施した特別機“KUSHIMOTO号”エルトゥールル号海難事故があった和歌山県串本町から命名)を就航し、日本とトルコの人々の平和で幸せな世界への想いをつないでいます。因みに、トルコ料理は、フランス料理、中華料理と共に世界三大料理に挙げられますが、トルコでは食後等にトルココーヒー(世界文化遺産登録)を飲む習慣があるほどコーヒーが愛飲され、世界で最初にコーヒーハウス(喫茶店)ができたのもトルコのイスタンブールです。昔、ヨーロッパではコーヒーは「悪魔の飲み物」として忌避されていました(∴キリスト教ではキリストの血を象徴する赤い飲み物であるワインが神聖な飲み物とされ、イスラム教徒はその教義により酒(ワインを含む)を飲めないので悪魔から黒い飲み物であるコーヒーを与えられたと揶揄されていました)が、1600年頃、コーヒーにすっかり魅了されてしまったローマ教皇がコーヒーに洗礼を施してキリスト教徒がコーヒーを飲むことを公認したとわれています。このような経緯を経て、トルコでコーヒーを飲む習慣がヨーロッパ全土に広がり、それがアメリカ大陸に渡って世界に広がったと言われています。脱線ついでに、トルコでは、日本と同様に靴を脱いで家に入り椅子ではなく床に座る習慣があり、冬場には“こたつ”で暖をとります。また、洋式のトイレのほかに日本の和式トイレと同じスタイルのトルコ式トイレというものがあり、その国民性ばかりではなく生活様式も日本との共通点が多いように感じられます。もう直ぐ卒業旅行シーズンですが、この機会にトルコを旅行してトルコの人々と触れることで、現代の日本人が失いかけている義について考え直してみることも(人生の航海を誤らないために)有意義かもしれません。

海難1890 (小学館文庫)

海難1890 (小学館文庫)

【題名】杉原千畝 スギハラチウネ
【監督】チェリン・グラック
【脚本】鎌田哲郎
    松尾浩道
【出演】杉原千畝役 唐沢寿明
    杉原幸子役 小雪
    グッジェ役 シェザリ・ウカシェヴィチ
    ペシュ役 ボリス・シッツ
    イリーナ役 アグニェシュカ・グロホウスカ
    ニシェリ役 ミハウ・ジュラフスキ
    大島浩役 小日向文世
    大迫辰雄役 濱田岳
    根井三郎役 二階堂智     ほか多数
【劇場】イオンシネマユーカリが丘 1,800円
【感想】ネタバレ注意!
この映画は、日本の外交官・杉原千畝さんがナチスの迫害を受けるユダヤ人を救うために“命のビザ”を発給してその命を救ったという実話をもとに作られています。1939年、杉原千畝さんはリトアニアの日本領事館へ赴任しますが、その直後にドイツとソ連が東ヨーロッパを分割占領するという密約のもと独ソ不可侵条約を締結して、ドイツはポーランドを侵攻し、ソ連リトアニアを含むバルト三国を併合すると宣言します。ナチスの迫害を逃れてポーランドからリトアニアへ来たユダヤ人はドイツと同盟を結んだソ連からも逃れるためにリトアニアからの脱出を試み、日本を経由してナチスの影響が及ばないアメリカ、カナダや上海へ脱出することを望んで日本領事館にビザの発給を求めます。杉原千畝さんは日本政府からビザの発給を禁止されていましたが、ソ連によるバルト三国の併合を目前に控えてビザの発給を求め群がるユダヤ人の窮状を見兼ねて身の危険を冒して2139枚のビザを発給して約6000人のユダヤ人の命を救います。ウラジオストックの日本領事館・根本三郎さんは杉原千畝さんが発給したビザを持っているユダヤ人を日本行きの船に乗船させないようにとの日本政府の指示を無視してユダヤ人を乗船させる決断をし、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現、JTB)の大迫辰雄さんや日本郵船等の協力を得て数千人のユダヤ人を日本へ運ぶことに成功し、杉原千畝さんが発給したビザがユダヤ人の命の灯を灯し続けることになります。その陰にはリトアニアの日本領事館秘書・グッジェや諜報員のイリーナといった(ユダヤ人を迫害又は冷遇していた当事国の)ドイツ人やロシア人の血の流れを汲む人々の献身的な協力があったことを見逃すことはできず、人種を超えて多くの人々が各々の置かれた立場で各々の使命(義)を全うしたことが数千人のユダヤ人の命を救うことにつながったのだと思います。なお、ユダヤ人のニシェリ役を演じるミハウ・ジェラフスキさんは杉原千畝さんからビザの発給を受けるシーンで“命のビザ”(これらの人々の義)の重さを言葉ではなく目で表現する好演を見せています。


杉原千畝さんが発給した命のビザ

この映画では描かれていませんが、後日談として、学者の小辻節三さんは、杉原千畝さんが発給したビザで許される日本での滞在日数が僅か10日間であったことからユダヤ人の窮状を救うべく「義を見てせざるは勇なきなり」(孔子)という覚悟で日本政府との交渉にあたりユダヤ人の長期滞在を可能にするなどユダヤ人のために奔走します。後年、これが原因で小辻節三さんは憲兵隊から激しい拷問を受け、ユダヤ人の友人を頼って満州へ逃れます。折しもソ連が日ソ不可侵条約を破って日本への侵攻を開始し大陸に残された数多くの日本人がシベリアに抑留されますが、今度は小辻節三さんがユダヤ人の友人にかくまわれてソ連軍による連行を免れます。この映画の中で杉原千畝さんと根井三郎さんが日露協会学校で学んだ「人のお世話にならぬよう。人をお世話するよう。そして、報いを求めぬよう。」(後藤新平)という教えを反芻するシーンが出てきますが、映画「利休にたずねよ」千利休が「茶の湯の大事とは、人の心に叶うこと」と弟子を諭すシーンを思い出します。この教えは茶の湯の道ばかりではなく、一般に人を思いやるということにも通じる考え方ではないかと思います。「思いやり」という言葉は“思い”と“遣(や)る”から成り立っていますが、この2つの言葉が示すとおり、自らの心に寄り沿うように人に“思い”を“求める”(報いを求める)のではなく、茶の湯の道と同様に、人の心に寄り沿うように自ら“思い”を“遣る”(心を配る)ことを意味しており、これは「おもてなし」の精神にも当て嵌まると思います。このような偉人伝に接すると、現代と比べて昔の日本人は何か見返りを求めることなく自らの使命(義)を全うすることを信条(プリンシプル)として生きていた人が多く、人を思いやることができる強く豊かな心を持っていたように感じられます。人を思いやることができる人間は、自ら(やその子孫)も人から思いやられ、その連鎖が人々の心に義を育み、より平和で幸せな世界を築くための礎となることを改めて教えられた気がします。


オペラ「人道の桜」〜杉原千畝物語〜

なお、2001年、杉原千畝さんの夫人・幸子さんと有志らが映画「陽光桜」の主人公である高岡正明さんの遺志を継いでリトアニア(杉原通り、ネリス河畔、旧日本領事館)に平和の願いを込めて陽光桜を植樹しています。また、2015年、オペラ「人道の桜」〜杉原千畝物語〜(脚本:新南田ゆり、作曲:安藤由布樹)がリトアニア世界初演され、杉原千畝さんらが灯した命の灯に平和の花を結ぶ活動が続けられています。

杉原千畝 (小学館文庫)

杉原千畝 (小学館文庫)

【題名】陽光桜−YOKO THE CHERRY BLOSSOM−
【監督】高橋玄
【脚本】高橋玄
【出演】高岡正明役 笹野高史
   (青年時代の高岡正明役 ささの翔太)
    高岡艶子(妻)役 風祭ゆき
    高岡正堂(息子)役 的場浩司
    高岡恵子(嫁)役 宮本真希
    近藤太一役 野村宏伸
    近藤静役 川上麻衣子     ほか多数
【劇場】丸の内TOEI 1,800円
【感想】ネタバレ注意!
この映画は、先の世界大戦中に教員を務めていた故・高岡正明さん(愛媛県出身)が「またこの桜の木の下で会おう」と約束して数多くの教え子達を戦地に送ってしまったことを心から悔い、二度とこのようなことを繰り返してはならないという悲壮な決意から戦死した教え子達の鎮魂と世界平和の願いを込めて桜の新品種開発に取り組んだ実話をもとに作られています。当時、植物遺伝学上、人工受粉(花粉交配)で桜の新品種を開発することは不可能とされていましたが、高岡正明さんは自分の教え子達が命を散らした世界各国の厳しい気候条件でも美しい花を咲かせることができる桜を作ることを決意して私財を投じて桜の新品種開発に取り組み、約30年に及ぶ試行錯誤の末に桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出しました。高岡正明さんは陽光桜の苗木を自分の教え子達が命を散らした国をはじめとして世界各国へ無償で配り、自分の教え子達が散らした命を再び平和の花として世界各国で咲かせるための活動に取り組みます。やがて高岡正明さんの想いが花を結び、高岡正明さんの元には陽光桜の苗木を配ったローマ法王ほか世界の要人をはじめとして世界各国(日本とは気候条件が異なる様々な国)の人々から陽光桜が花を咲かせたという感謝の手紙が届くようになります。この映画では戦中から戦後の様々な出来事を背景としてそんな高岡正明さんの半生が描かれていますが、いまも高岡正明さんの想いは世界の人々の心に平和の花を咲かせ続けています。なお、笹野高史さんは、高岡正明さんが悲しい経験によって周囲の人々に影を落とすのではなく周囲の人々を笑顔に変えながらどんな困難に直面しても世界の人々の心に平和の花を咲かせるという志を曲げることなくその信念を貫いた大らかな人柄と直向な生き様を円熟味ある演技で好演しています。また、的場浩司さんは、父の志に理解を示しながらも現実の問題に直面して苦悩し、その向こう見ずとも言えるほどの情熱に戸惑う高岡正堂さんの姿を熱演し、これによって高岡正明さんの直向な生き様が一層と際立っています。高野正明さんが映画の中で「天に徳を積んでるけん」と言っていた台詞が印象深いですが(単に葬儀費用のことだけを意味しているのではないと思いますが)、何か見返りを求めるのではなく自らの使命(義)を全うすることに生涯を捧げた人の生き様に触れ、我々と同時代をこれだけ大きな人物が生きていた事実に驚かされます。


陽光桜

2001年9月10日、高岡正明さんはその使命を全うされて永眠しますが(享年92歳)、その翌日、世界を震撼させたアメリカ同時多発テロ事件が発生し、世界は「戦後の冷戦」(イデオロギーの対立)から「テロとの戦い」(報復の連鎖)という新しい時代へと突入していきます。この映画は「テロとの時代」に直面した現代の我々に対して、高岡正明さんが陽光桜に込めた平和への想い(遺志)を受け継いで行けるのか、即ち、高岡正明さんが世界の人々の心に咲かせた平和の花を絶やすことなく、これからもより多くの人々の心に平和の花を咲かせていかなければならないというメッセージを投げ掛けているように感じられ、先日のフランス同時多発テロで犠牲になられた皆様のご冥福を衷心よりお祈りすると共に、僕らの世代で報復の連鎖を断ち切っていかなければならないという想いを強くしています。これだけ複雑に組織化された社会に生きていると我々1人1人に大きなことはできないかもしれませんが、我々1人1人が置かれている立場で各々の使命(義)を全うして行くこと、その日常の小さな積み重ねが我々の子供達の世代に本当に平和で幸せな世界を残して行くことにつながると信じたいですし、この3本の映画はそのことを教えてくれているような気がします。

陽光桜 非戦の誓いを桜に託した、知られざる偉人の物語

陽光桜 非戦の誓いを桜に託した、知られざる偉人の物語

歌「ハナミズキ」は、一青窈さんがニューヨークの友人からアメリカ同時多発テロ事件(9.11)の真実を知らされ、この事件の犠牲になった父親が子供との別れを惜しみ、その幸せを願う気持ちを平和への祈りと共に歌詞に込めて作った曲です。この歌詞の解釈は聴く人によって色々とあって良いと思いますが、この歌詞に用いられている比喩や全体の構成などは本当に良く考えられていて、これほど人々の想いと平和への祈りを切々と歌い上げている曲は珍しいのではないかと思います。歌詞の冒頭から“過去(永遠に続くはずだった幸せ)”と“現在(一瞬にして奪われた幸せ)”という時間軸で「空を押し上げて」(広く清々しい五月の青空)と「水際まで来てほしい」(狭く薄暗い瓦礫の下)という正反対の境遇を対置することで、この事件が人々の幸せを一瞬にして奪い去った悲劇性と人々の無念を歌い、瓦礫の下に埋もれた父親が子供に最後の想いを伝えたいという気持ちで「水際まで来てほしい」と哀願する切なさに胸が締め付けられるような思いがします。これに続いて、“現在(一瞬にして奪われた幸せ)”と“未来(永遠に続くことを願う子供の幸せ)”という時間軸で「水際まで来てほしい」と「どうぞゆきなさい」「知らなくてもいいよ」という一見矛盾するような父親の気持ちを対置することで、“この溢れるような想いを最後に伝えたい、でもそれは叶えられそうにないからただ子供の幸せだけを願う”という父親の愛の深さが胸に響いてきます。子供の幸せと世界の平和を願いながら死んでいった父親の想いがハナミズキに託して切々と歌われている心に染みる名曲で、いつもこの曲を聴きながら平和への祈りと共にこのような悲劇が繰り返されることのない世界を僕らの子供達の世代に残さなければならないという想いを新たにしています。戦後70年という節目に上記の3本の映画を観たことで、その想いを改めて強くしています。君と好きな人が百年続きますように...。


ハナミズキ(花水木)

」=アメリカ同時多発テロ事件(9.11)の犠牲になった父親
」=その子供
水際」=あの世とこの世の境(ニューヨークはウォーターフロントの都市)
ハナミズキ」=5月の花(母の日に咲く花)、花言葉:永遠、私の想いを受けて下さい
」=幸せの予兆(ハナミズキへと舞う蝶)

【過去】庭に咲く5月の花“ハナミズキ”と共に蘇る君との幸せな想い出
空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと

【現在】いまは瓦礫の下に埋もれてしまった僕の君に伝えたい最後の想い
どうか来てほしい
水際まで来てほしい

夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて

【未来】もう僕の想いは君に伝えられないけれど君の幸せだけを願う
ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて

どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい

待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【僕の果せなかった想い】いま君と一緒に咲かせようと思っていた幸せはつぼみのまま(ちゃんと終わらないまま)で潰えてしまうけれど、どうか君には僕の分まで幸せになって欲しい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ

【平和への祈り】僕の犠牲によって報復の連鎖(波)が止まりやがて世界に平和が訪れることを祈る
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように

【君の幸せを願う】そして庭にハナミズキが咲いて君の幸せが永遠に続くことを願う、そのときは僕に代わってその幸せの一部を君の母にも届けてやって欲しい
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい

世阿弥が著した日本最初の芸能論「風姿花伝」の中で、その書名の由来について「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく」と書き記していますが、映画「陽光桜」と歌「ハナミズキ」は花に託した平和への祈りが(これらの花を愛でる人はもとより)この映画を観る人、この曲を聴く人の心に平和の花を咲かせるという意味で「心より心に伝ふる花」と言えるかもしれません。

◆おまけ
映画「シンドラーのリスト」のテーマ曲をパールマンの情感豊かな演奏でどうぞ。

戦後70年の節目にこちらの映画もいかが。

ちょっと湿っぽくなってしまいましたのでお口直しに、バッハの世俗カンタータから「コーヒー・カンタータ」(BWV211)をどうぞ。コーヒー党の娘とアンチ・コーヒー党の父親が言い争う曲です。因みに、バッハはコーヒー党でした。

トルコへのオマージュとしてトルコ行進曲をJAZZYなテイストにアレンジしたファジル・サイ編曲版を、ピアニスト白川優希さん(しらてぃー)による即興感のある小粋な演奏でお楽しみ下さい。

陽光桜とハナミズキに因んで、西行の墨染桜(千葉県東金市)をご紹介します。百夜を超えて千夜に亘り、桜の花びらと共に運ぶ深草少将の儚い想い...。

【マメ知識:百夜通い伝説と西行の墨染桜】
小野小町仁明天皇の更衣として宮仕えし、六歌仙の一人として数多くの和歌を残しています。絶世の美女と言われ、数多くの男性から求愛されますが、これを頑なに拒み続け、晩年は京都山科に隠棲したと言われています。小野小町には数多くの伝説が残されていますが、その中でも能「通小町」や能「卒塔婆小町」等の題材になっている百夜通い伝説が有名です。

小野小町に深く思いを寄せる深草少将は小野小町に熱心に求愛していましたが、その直向きで一途な想いに心動かされた小野小町は「百夜、私のもとに通い続けたら貴方と契りを結びましょう」と約束し、深草少将は自らが住む深草(現、欣浄寺)から小野小町が住む山科(現、随心院)までの約5kmの道程(現、京都府道35号線)を毎晩通い続けました。小野小町は深草少将が毎晩1個づつ置いて行くカヤの実を数えて百夜目を待ち焦がれますが、九十九日目の雪の日に深草少将は寒さと疲労のためにカヤの実を手にしたまま死んでしまいます。小野小町はあと一夜を残して想いを実らせることができなかった深草少将の死を心から悲しんで、深草少将が通った道すがらカヤの実を蒔いたところカヤの木が育ち、毎年、カヤの実(深草少将が九十九夜運んだ小野小町への直向きで一途な想い)を実らせたと言われており、その1つが随心院の周辺に小町カヤ(樹齢約1000年)として残されています。

百夜通いの伝説から約300年後に西行東大寺再建のための砂金勧進に奥州藤原氏を訪れる途中で小野小町山辺(部)赤人のゆかりの地(上総国と呼ばれていた千葉県東金市は、小野小町の出身地で、山辺(部)氏の領国)に立ち寄り、深草少将が住んでいた京都深草にある墨染桜の枝を小町小町のゆかりの地と向かい合う丘陵に植樹して「深草の 野辺の桜木 心あらば 亦この里に すみぞめに咲け」と詠んでいます。"心あらば"...それから約800年後に現代の我々が西行が立ったであろう場所と同じ場所に立って今も美しい花を咲かせる墨染桜を眺めながら、西行がこの地に立ち寄って墨染桜を植樹したその心に想いを馳せてみると、百夜通いで儚く散った深草少将の想いが千年の時を経て今もなお絶えることなく墨染桜に美しい花を咲かせ、百夜を超えて千夜に亘り、その花びらと共に深草少将の想いを小野小町のもとに運び続けているように感じられ、その歴史ロマンに想いを馳せる現代の我々の心にも美しい花を咲かせてくれます。これも「心より心に伝ふる花」と言って良いかもしれません。因みに、千葉県東金市の墨染桜は京都深草の墨染桜と同じ品種のウバヒガンです。ウバヒガンは全国でも珍しい品種で、国の天然記念物に指定されています。なお、千葉県東金市の墨染桜は、同人ゲーム『東方妖々夢』の6面ボス 、西行寺幽々子のテーマ曲「幽雅に咲かせ、墨染の桜〜Border_of_Life」としてゲーム音楽にもなっています。

◆おまけのおまけ
ボーイソプラノの透徹な響き、神が仔羊に恵み給うた天上の調べ。心静かにクリスマスを祝いましょう..(u_u#)