ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)Copyright (C) 2007-2019 Administrator All Rights Reserved.

新年の挨拶

【お詫び】

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謹賀新年。久しぶりのブログ更新になります。昨年は、人生の「節目」を迎えて、この機会に自分の先祖について調べてみたいと思い立ち、暫く先祖の調査に専念しておりました。今年の干支は「亥」(猪)。人間が食糧を安定的に確保するために野生の「猪」を家畜として飼うようになり「豚」が誕生したと言われていますので、「猪」は「豚」の先祖ということになりますが(どんなに「社畜」として飼い慣らされても「猪」に肖って心の牙はなくさないように心掛けたいものですが....)、我が家は楠木正遠の末裔として観世家と同根同租の間柄にあり大変に名誉なことであると感じています。先祖の事績が風化してしまわないように書籍に纏めて自費出版(非売)し、国立国会図書館へ献本したいと目論んでいます。今回、自分の先祖の調べてみて、各々の先祖が時代の転換期に信念を貫いて誇り高く生きた生き様に触れるにつけ、果たして自分はそれらの先祖に恥じない生き方ができているのかと背筋を正される思いがすると共に、より明確に自分の人生の視座のようなものが定まり、これまでに増して人生の意義深さを感じられるようになりました。年始を迎えて、家族や親戚と共有する時間が増える時期だと思いますが、平成最後の年という時代の「節目」にあたり一年の計に自分の先祖について調べるという目標を追加されてみるのも良いかもしれません。

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

 

今年は平成最後の年賀状になりますが、インターネットの普及や新暦移行に伴う年賀の形骸化(一昨昨年の年始のブログ記事)等に伴って2019年分の年賀葉書の発行枚数は2004年から約40%も減少しており、また、小学生の基礎学力調査でも年賀状のどこに自分と相手の氏名や住所を書くのか分からない生徒が半数に上るそうなので、急速に年賀状が廃れて来ています。日本では奈良時代から「年始の挨拶回り」の習慣が生まれ、平安時代には公家の年中行事として定着します。丁度、この頃、中国の唐の勢力が衰えて遣唐使が下火になり、これに伴って中国から渡来した難解な「漢字」とは別に平易な「仮名」が誕生、普及して日本独自の文化(物語、和歌や書道等)が華開き、これらの文化が公家や武家ばかりでなく身分の低い庶民にも浸透したことで寺社等における「仮名」教育が活発化してキリスト教宣教師が驚くほどの識字率を誇る国になりました。(これにより日本では公式の記録に留まらず、身分の上下を問わず様々なことが手紙、日記や落書等の文字で記録され、それが大量の古文書等として後世に残されたことで自分の先祖を調べる際の大きな手掛りとなっています。閑話休題。)このような時代背景を受けて、平安時代の学者・藤原明衡(約950年前)は日本最古の手紙文例集「明衡往来」を著し、この中で年始の挨拶文例として「春始御悦向貴方先祝申候」(直訳:春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候)を紹介していることから(現存する日本最古の年賀状)、平安時代には年賀状の先祖と言える年始の挨拶文を認めた「手紙」のやりとりがあったものと思われます。その後、鎌倉時代には習字や読本の初級教科書として使用された「庭訓往来」が広く普及し、また、江戸時代には飛脚制度(江戸時代の通信革命)が整備、充実されたことに伴って下級武士や商人等の間にも遠方の親戚や知人に宛て年始の挨拶文を認めた「手紙」をやりとり風習が浸透しました。

年賀状の先祖(現存する日本最古の年賀状)
原文
【意訳】
初春の慶びをお祝い申し上げますと共に、貴殿の益々のご多幸をお祈り申し上げます。
年が明けて直ぐに年始の挨拶を申し上げるべきでしたが、折しも子の日の遊びにあたり、皆さんから野遊びに誘われて心ならずも年始の挨拶が遅くなってしまいました。
さながら軒の梅を心待ちにしている鴬が人家の暖かさに惹かれてその蕾が開きかけているのを忘れているような、あるいは、庭園の胡蝶が春陽の移ろいも知らないで日影で遊んでいるようなものなので、全くもって本意ではございません。
ところで、楊弓・雀小弓の試合、笠懸・小串の会、草鹿・円物の遊び、三々九・手挟・八的等の音楽会を近く開催致します。弓馬の達者な方をお誘い合わせのうえ、お越し頂ければ幸いです。
心に思うことは多いのですが、拙筆なので手紙には認めず、今度、お会いする機会に申し上げることに致します。

謹言

1月5日 藤原左衛門尉

石見守 殿

殺風景な冬景色から百花繚乱の麗らかな春の到来を寿ぐ筆者の華やいだ気持ちが伝わってくるような季節感の漂う芽出度い正月の挨拶文です。電子メールの同報通信で「あけおめ」等と正月早々から軽口を叩き、ぐうたら寝正月を想起させるような当世流の挨拶文とは大違いです。いくら通信の手段(技術)が発達しても通信の内容(心、即ち、伝達される情報の質や言葉に含まれている情報の量)が空疎になる一方では日本文化は昔と比べて退化していると揶揄されても仕方がありません。

 

その後、明治維新を経て年始の挨拶が「手紙」ではなく「葉書」で送られるようになりますが、これは1869年にオーストリア・ハンガリー帝国で「手紙」より安価な通信手段として発明された世界初の「ポストカード」を郵便の父・前島密が「葉書」と命名して日本にも導入したことに端を発しています。日本では既に戦国時代にはモチノキ科の常緑広葉樹「多羅葉(たらよう)」の葉の裏に爪や枝で文字を刻んだものが簡易な通信手段として利用されていたそうですが(古代インドでブッダの教えを多羅樹(たらじゅ)の葉に刻んで伝承していたことに由来し、日本における葉書の先祖とも言えるもの)、これと「ポストカード」が類似していることから“葉に書く”で「葉書」と命名されたそうです。平成9年に多羅葉は郵便局のシンボルツリーに指定され、全国各地の郵便局では多羅葉を植栽しているところが多く(例、東京中央郵便局)、現在でも多羅葉の葉の裏に宛先を明記して定型外の郵便切手を貼れば配達してくれます。なお、日本の自然信仰の原点である熊野本宮本社の境内には御神木「多羅葉」が植樹され、その横に神の遣いとされる八咫烏(神託を伝えるという意味で「葉書」の由来と同じ)のポストが設置されていますが、熊野本宮創建2050年の「節目」を迎えた記念として2018年12月31日までにこのポストに投函された葉書には八咫烏消印が押印されるというので、初詣がてら熊野詣と洒落込みました。 因みに、八咫烏サッカー日本代表のエンブレムとしてもお馴染みです。古代ギリシャ古代ローマでは紀元前200年頃には足でボールを蹴る遊戯が発明されていたそうですが、日本では飛鳥時代に中国から伝来した蹴鞠(けまり)が平安時代になると宮廷貴族の遊戯として流行し、当時の蹴鞠の名人で「蹴聖」と言われた藤原成道は蹴鞠上達祈願のために50回以上も熊野詣をし、熊野本宮の大神の前で「うしろ鞠」の名技を奉納したという記録が残されていますので(「古今著聞集」より)、日本のプロ・サッカー選手の先祖は藤原成道(約850年前)と言えそうです。そのため、サッカー日本代表の選手や日本サッカー協会の関係者、全国のサッカーファン等がW杯の必勝祈願のために熊野本宮大社へ参詣しています。

 

 

ところで、熊野本宮本社の近くには、映画「海難1890」の舞台となった船甲羅岩礁和歌山県串本町)があります。1874年に第一次世界大戦の原因となった普仏戦争に勝利して成立したドイツ帝国が中心となって万国郵便連合が結成されたことで国際郵便制度が整備され、その結果、国際的な通信・物流革命が実現しました。このような国際情勢のなか、1889年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号明治天皇宛ての親書を携えた親善使節団を乗せて日本へ来航しますが、その帰路に台風で船甲羅岩礁座礁して沈没し、地域住民の決死の救出活動により乗組員69名が救出され、残る578名が死亡するという大海難事故が発生しました。それから約100年後の1985年に勃発したイラン・イラク戦争に巻き込まれたテヘラン駐在の日本人は(日本政府が自国民の救出に躊躇する一方で)トルコ共和国の厚意によって無事に救出されました(テヘラン邦人救出事件)。エルトゥールル号遭難事件はオスマン帝国の元首から大日本帝国の元首への親書(手紙)を契機として発生した悲劇ですが、1通の手紙が人の運命を変え、歴史を作る力を持ち、それらが様々な物語や歌として語り、歌い継がれてきています。「先義後利」(孟子)という言葉がありますが、果たして自分は利得に心を曇らせて信義に惑うことなく、たとえどのような状況にあっても他人(又は社会)に対して誠実に尽くすことができる「真実な方達」(映画「雨あがる」より)たり得ているのかということが心に掛かる今日この頃です。因みに、先日、アメリカは万国郵便連合からの離脱を表明しましたが、これは万国郵便連合によってアメリカが中国からの輸入荷物をアメリカ国内で無料配達しなければならない義務(発展途上国への優遇措置)を課されおり、それがアメリカ国内の流通業者の負担になっていることを忌避するものです。トランプ・ショック(アメリカ・ファーストに象徴される保護主義的な傾向)を非難することは簡単ですが、中国の台頭が目覚ましく国際社会の勢力地図が塗り替えられようとしているなか、そろそろアメリカが国際社会のリーダーとして余計に負担してきたコストを見直す時期に来ているのかもしれません。

 

 

さて、「節目」と言えば、昨年は明治維新150周年及び第一世界大戦終戦100周年の節目にあたり、また、今年は実用化フェーズに入ったAI技術の本格的な普及(例えば、自動運転無人小売店舗等の商用化と、それらを支える通信の大容量・高速化キャッシュレス化等の社会インフラの整備など)により新たな時代の転換期(産業革命は人類を「重労働」から解放し、AI革命は人類を「労働」そのものから解放するイノベーション)を迎えようとしていますが、これらに伴って社会の価値観が大きく変化(パラダイムシフト)しようとしています。このような時代の転換期を迎えて、巷では人類の歴史を大きなトレンドとして俯瞰し、将来の変化を見通そうとする試みが持て囃され、時代を写す鏡である「芸術」(その創作と受容)の分野についても、過去にどのように変容してきたのかを俯瞰し、それを手掛りにして現代の「芸術」の意義を読み解こうとする映画や書籍等が次々とリリースされています。先日も、NHK-BS1で『映像の世紀プレミアム 第1集「世界を震わせた芸術家たち」』やクラシカジャパンで『楽しく分かる音楽の歴史Vol.4「20世紀以降」』と題する番組が放映されていましたが、第一次世界大戦によって中世的な社会体制や価値観等が破壊されたことで「芸術」も大きく変容し、その後、第二次世界大戦と冷戦を経て「平成」(「内」(史記)や「知」(書経)に由来)という言葉を体現するようにグローバリゼーション(交通と通信の革命による人、物、金、情報のダイナミックな流通)が急速に進展したことで「芸術」が更に大きく変容しようとしている状況が記録映像と共に紹介されていました。そこで、時代の転換期にある年の始めにあたり、現代音楽を含むアヴァンギャルド芸術が(過去となりつつある時代を写す鏡である芸術という意味での古典作品として)市民権を得つつある現状を踏まえて、「芸術」の来し方行く末について考えてみたいと思います。なお、本当は現代社会(とりわけ科学技術の進展を含む)との関係性を踏まえつつボーダレス及びジャンルレスに幅広い「芸術」(全世界の音楽、舞踊、絵画、文学、芸道等)を俯瞰しなければ、多種多様に変容し、それ故に難解になっている現代の「芸術」の意義を読み解くことは難しいと思いますが、僕のような素人には手に余るテーマなので(また、未だ専門教育機関等でもそのような広範多岐に亘る分野を網羅するカリキュラム、とりわけ中近東やアフリカまで漏れなく射程としているものは殆ど存在しないようなので)、非常に歯がゆく口惜しい限りですが、今回は「芸術」のうち「音楽」、さらに、その「音楽」のうちでも上記のテレビ番組で採り上げられていたヨーロッパの「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)の崩壊と20世紀以降の「前衛音楽」(近代以降の無調音楽)の誕生というごくごく限られた狭い分野について簡単に概観するに留めたいと思います。

 

変革の時代にあって「知識」よりも「視点」(物の見方)を整理した方が刻々と移ろう時代を見通すための応用につながると思いますので、例えば、国民楽派5人組やら新ウィーン楽派3人組(who、where)等の教科書的な知識を追うのではなく(それらを詳説したWebサイトや書籍は巷に多く溢れていますので)、過去の時代の変容(when)を機軸として、それに伴って音楽がどのように変容してきたのか(why、what、how)を大掴みにすることで、自分なりに時代との関係性の中で前衛音楽の意義を把握するように努め、それを手掛りとして聴衆の立場から前衛音楽へのアプローチの仕方(但し、方法論のような本格的なものではなく心構えのような漠然としたもの)を考えてみたいと思います。「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)と異なって「前衛音楽」(近代以降の無調音楽)は人間の感情に根差さず、物語性など音楽的な文脈を持たず、又は耳慣れない複雑な語法や音響が使用されているなど見通しの効き難いものが多いので、一体、何を手掛りに音楽に寄り添えば良いのか途方に暮れることが少なくないですが、多様な前衛音楽の其々に時代との関係性を背景とした表現の意義を見出すことで、そこで何が行われているのかを自分なりに理解する手掛りとすることができるのではないかと考えています。人間は言葉=概念がないものを理解することはできませんが、(たとえ不十分又は不完全であっても)前衛音楽を理解するための言葉=概念を用意することで前衛音楽を聴く力を養うことは(昔の日本人が日本の伝統芸能で実演されていた前衛音楽を理解していたように)可能ではないかと思われます。現代の大衆消費社会では人間の刹那的な欲求を手っ取り早く満たすことができる(即ち、消費行動に結び付き易い)ラブリー&イージーなものばかりが持て囃される風潮が根強く調性という麻薬が中毒症(但し、それは音楽の可能性を狭めてしまう副作用)を持ち易い環境にあると言えますが、いつまでも安易に流されて「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)を消費しているだけの状態に留まっているようでは、いずれ時代の変革に伴って音楽的な欲求を十分に満すことができなくなるのではないかとも感じています。その意味で、今年は自分の中で音楽のパラダイムをシフトしてみたいと企図しています。

 

昨年で終戦100周年の「節目」を迎えた第一次世界大戦を契機として「クラシック音楽」から「前衛音楽」に至る音楽の変容を大雑把に俯瞰するにあたり、先ず、近世から近代に亘ってルネサンス音楽(旋法音楽)~バロック音楽(調性音楽の確立期)~古典派音楽(調性音楽の発展期)~ロマン派音楽(調性音楽の爛熟期)へと音楽の変容を辿っていった時代の流れを社会の変容に共に大掴みにお浚いしておきたいと思います。

 

ルネサンス(近世):中世的な価値観からの解放

宗教改革により主権が教会から国王へ移行すると、ローマ・カトリック時代のキリスト教的な価値観(肉体的な本能から生じる欲望を抑制し、肉体より精神性を重んじる価値観=神聖性)から解放されて古代ギリシャ時代のギリシャ的な価値観(肉体的な本能から生じる欲望を肯定し、精神と肉体のバランスを重んじる価値観=人間性)を見直す方向にパラダイムシフトします。このような時代の変容を受け、絶対王政に基づく封建制の階(重)層的な社会体制を背景として複雑なポリフォニー(複数の独立した声部が重層的に絡み合う音楽)による均整がとれた秩序だった美しさが持て囃されるルネサンス音楽(旋法音楽)から徐々に人間性に富むドラマチックな表現が可能な独唱形式を採用するバロック音楽へと移行して行きました。バロック音楽古典派音楽の端境期に活躍した宮廷音楽家ハイドンは、自らの創作意欲に忠実であること(芸術家気質)よりも、自らのパトロンである王侯貴族の趣味に合わせた音楽を量産すること(職人気質)に創作活動の主眼が置かれ、その結果として108曲もの交響曲が量産されることになりました。

②市民革命・産業革命(近代):近世的な価値観からの解放

 

③世界大戦(現代):近世的な価値観の破壊+新しい世界の創造(横方向)

 

イノベーション(近未来):現代的な価値観の破壊+新しい世界の創造(縦方向)

 

  

現代音楽史の概要について、執筆中。

 

 

 

  

 

 

現代音楽の種類と聴き方について、執筆中。

 

黄昏の調べ: 現代音楽の行方

黄昏の調べ: 現代音楽の行方

 ▼現代音楽史の俯瞰(革命と戦争による中世社会(調性音楽)の崩壊)

 

【おまけ】

最近は著作権保護が厳しく、ブログに貼り付けられる動画も限られてきます。著作物は頒布(使用)されてその価値を生むものなので、著作権を保護するために著作物の頒布(使用)を制限するのは「正解」とは言い難く、その頒布(使用)にあたって適正な対価が著作権者に支払われる仕組みを考えて、寧ろ、どのようにすれば著作物の頒布(使用)が促進されるのかという方向で知恵が絞られるべきではないかと思います。著作物の頒布(使用)を制限することで事足れりとする現代の風潮が残念でなりません。

♬ 加古隆作曲「パリは燃えているか」(映像の世紀プレミアムのテーマ曲)

この曲を聴きながら産業革命に端を発する激動の近現代史は僅か100年間に繰り広げられた歴史なのだと思うと感慨深くも、これから生じ得る時代の変化の激しさを思うと恐ろしくも感じられます。2019年1月31日(水)にNHKスペシャル「映像の世紀コンサート」が開催されますので、ご興味のある方はいかが。


加古隆クァルテット『パリは燃えているか [Takashi Kako Quartet / Is Paris Burning]』

♬ シェーンベルク作曲「浄夜」(弦楽合奏版)

未だ調性感が残されているシェーンベルクの初期作品ですが、「クラシック音楽」(中世の調性音楽)の終焉を告げる音楽の1つとして採り上げておきます。なお、画像中央のチェック柄のワンピースを着ている女性はヒラリー・ハーンです。


Arnold Schoenberg "Verklarte Nacht" (Transfigured Night) Op. 4 for String Orchestra 

♬ シェーンベルク作曲「弦楽三重奏曲」

シェーンベルクが十二音技法を考案(発明)して「クラシック音楽」(中世の調性音楽)から「前衛音楽」(近代の無調音楽)へと羽搏きますが、その傑作品の1つを採り上げておきます。十二音技法が考案(開発)されてから約100年が経過しておりその間の現代音楽の目まぐるしい変容を顧みると、最早、十二音技法はコンテンポラリーではなく古典的な風情を湛えていると言えるかもしれません。


Trio Arkel, Die Forelle Concert, Schoenberg String Trio Op 45

  【今日のイチオシ】

エリス・マルサリス国際ジャズ・ピアノ・コンペティション第2位及び最優秀作曲賞を受賞し、また、ボストンミュージックアワード2018のジャズ・アーティスト・オブ・イヤー部門にノミネートされたジャズピアニスト・山崎梨奈さん(バークリー音大卒)の演奏をどうぞ。いま最も注目される若手ジャズピアニストの1人です...らぶ💖2019年2月11日(月祝)及び2月13日(水)に山崎梨奈トリオとして凱旋ライブが開催されますので、これは聴き逃せません。


Rina Yamazaki- Cherokee