大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

新年のご挨拶

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 謹 賀 新 年 
 
f:id:bravi:20191222184938g:plain漢書 律暦志~自然界の輪廻転生を表現する十二支~
今年も皆さまと共に健やかに新年を慶賀できることを感謝致しますと共に、今年一年も皆さまにとりまして無事多幸な年でありますことを祈念申し上げます。さて、一般的な理解として、干支の「子」(ネズミ)は、神様がマラソン大会を開催して12番目までにゴールした動物を干支にしてあげようと約束し、最初にゴールまでやってきたウシの背中に乗っていたネズミが飛び降りて1位を横取りしたというスポーツマンシップに悖る物語が伝承されています。また、ネズミは嘘の日付をネコに教えてマラソン大会に参加できないようにする悪乗りようで、そのためにネコは十二支に入れず、それ以来、ネズミはネコに追い掛け回されているというオチまでついています(日本ではネコがネズミを捕まえる習性があることから、奈良時代にネコを中国から輸入して首輪や紐でつないで室内で飼っていましたが、1602年に徳川家康が京都で深刻化するネズミ被害の対策として「猫放し飼い令」を発布してネコを野外で放し飼いにすることを推奨したことから、現代でもネコを放し飼いにする習慣が残っています。ネコにとっては不幸チューの幸いと言えるかもしれません。)。しかし、この物語は庶民に十二支を浸透させるために十二支に動物の名前を割り当て(「子」→ネズミ、「丑」→ウシ、「寅」→トラなど)、それを物語風に仕立てた後世の作り話で、もともとは中国の歴史家・班固らが編纂した史書漢書」の律暦志に解説されているとおり、自然界の輪廻転生を植物に擬えて表現したもので、以下のとおり全く別の意味を持っています。
 
漢書 律暦志に見る十二支の本当の意味
「子」:「増」を意味し、種子の状態
「丑」:「曲」を意味し、芽が曲がって地上に出ていない状態
「寅」:「伸」を意味し、草木が伸び始める状態
「卯」:「茂」を意味し、草木が地面を蔽うようになった状態
「辰」:「振」を意味し、草木の形が整った状態
「巳」:「止」を意味し、草木の成長が極限に達した状態
「午」:「終」を意味し、草木が衰えを見せ始めた状態
「未」:「昧」を意味し、果実が熟し切っていない状態
「申」:「味」を意味し、果実が完熟して渋味が出た状態
「酉」:「実」を意味し、果実を収穫できる状態
「戌」:「滅」を意味し、草木が枯れる状態
「亥」:「閉」を意味し、種に生命が宿っている状態
 
今年は、自動車の自動運転が実用化される計画があるなどAI革命が目に見える形で実現する画期的な年ですが、今年の干支「子」が象徴しているように、次の時代の「種子」が蒔かれ、それを来年の干支「丑」に向かって力強く芽吹かせていくための重要な年になりそうです。なお、今年はオリンピックの開催も予定されていますが、もう1つの干支「子」(ネズミ)が姿を現さないように、スポーツマンシップに則ったフェアプレーを期待したいものです。 
 
f:id:bravi:20191222184517g:plain発酵文化人類学~ネズミも愛する多様な社会~
上述のとおり干支の「子」は種子の状態を意味していますが、味噌、醤油や日本酒を製造するために必要な「発酵」に欠かせない麹菌は、米・麦・大豆という種子に生息するカビのことで、このカビが米・麦・大豆のタンパク質等を分解して「うま味」を生成します。なお、1908年に東京帝國大学・池田菊苗教授が「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」とは異なる第5の味として「うま味」(アミノ酸の一種)を発見し、これによってUMAMIは国際公用語になっていますが、その後、西洋料理のソース作りや調味料等にも活かされるようになり、日本の音楽や絵画等だけではなく和食も世界の文化に大きな影響を与えています。
 
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人類による「発酵」の歴史は古く、約8000年前の新石器時代に中近東でワインが作られたのが最初と言われ、日本でも同じく新石器時代縄文時代)から食品を保存するための生活の知恵として「発酵」が利用され始めたと言われています。その背景には日本が高温多湿の気候で食品が腐敗し易い風土にあるという地理的要因に加えて、長らく動物(魚貝類を含む時代もあり)の肉食が禁止されてきた歴史的な伝統が関係していると言われています。即ち、675年に天武天皇が「肉食禁止令の詔」を発布して干支に登場する五畜(牛:農耕牛、馬:農耕馬・軍用馬、犬:番犬、猿:類人猿、鶏:時告げ鳥)の肉食を禁止し、その後、明治政府が欧化政策を推進するために肉食を推奨(横浜の太田なわのれんですき焼きの元祖となる牛鍋が誕生)するまで一貫して肉食の禁止や動物の愛護等の政策がとられてきました。これは日本人が米を主食とし、天皇が稲作儀礼を司る権威的な存在とされてきたことから、天皇を中心とする稲作文化を守るという政治的理由があったことに加えて、動物の血や死を「穢れ」として忌む神道思想(ヒンドゥ-教にも同様の教えあり)や殺生を禁じて功徳を積むことを説く仏教思想を実践するという宗教的理由があったと言われています(必ずしも、徳川綱吉の「生類憐みの令」が歴史的に特異な事例であったとは言えません)。この点、同じ仏教文化圏の国ではインドが肉食を禁止して菜食主義を採ったことから「スパイス文化」(食材との相性を考え、スパイスの配合の妙味を活かして、食材の外側から味を付け足すスパイス料理)が発達しますが、日本では米を主食としたことから「発酵文化」(とりわけ日本の国菌と言われる麹菌・糀菌を使い、発酵から生まれる食材のうま味(出汁等)を活かして、食材の内側から味を引き出す和食)が発達することになり、今日のバイオ技術大国としての礎が築かれることになりました。これは食文化の優劣の問題ではなく食文化の多様性の問題であって、何かを失うことは即ち何かを得ることであり、何かを得ることは即ち何かを失うこと(選択の問題=多様性)の1例ではないかと思います。また、このことは食文化に限らず他の文化にも言えることで、例えば、イギリスの総合科学雑誌「Nature」(2016年7月発刊535号)に掲載されているマサチューセッツ工科大学の論文(Indifference to dissonance in native Amazonians reveals cultural variation in music perception)には、人間がハーモニーを心地よく感じるのは先天的に備わっているもの(聴覚固有の形質)ではなく後天的に備わったもの(音楽的な経験)であり、ハーモニー音楽と無縁な生活を送っているチマネ民族は協和音及び不協和音に対する快感又は不快感の区別が存在せず、協和音及び不協和音を同じように快いと感じ得るという研究結果が発表されています。その一方で、チマネ民族にハーモニーとは関係なく日常的に聞きなれている音(笑い声等)と日常的に聞きなれない音(合成音)を聞かせると、西洋人が感じる快感又は不快感と全く同じような傾向を示したということです。このことは必ずしも人間が音や音楽を快いと感じるためにハーモニーが必要不可欠な要素ではなく、人間は音楽的な経験によって不協和音(自然界に溢れる音)も快いと感じ得る能力(感受性)を備えている(即ち、チマネ民族はハーモニー感が備わっていない代わりにこの能力(感受性)が機能し易い状態にあるのに対し、西洋人はハーモニー感が備わっている代わりにこの能力(感受性)が機能し難い状態にある。)という可能性を示しています。世界で「SAKE」や「SHOYU」が愛好されている(舌が慣らされる)のと同様に、音楽的な経験の積み重ね方によって、より多様な音や音楽を快いと感じ、その真価に触れることができる豊かな能力(感受性)が育まれ(耳が慣らされ)、音楽世界を拡げて行ける可能性を示すものとして興味深い研究結果であると思います。人の嗜好は区々で、例えば、味噌を好む人、味噌を嫌う人と一様ではありませんが、味噌に親しんで味噌の風味が分かる舌を持てればそれだけ食文化は豊かなものとなりますので、何事につけて先入観から食わず嫌いに陥って自ら狭い世界に閉じ籠ってしまうことがないように心掛けて行きたいと思います(今年の抱負①)。「ものさえ分かって来ると、おのずから、趣味は出て来るものである。趣味が出て来ると、面白くなって来る。面白くなって来ると、否応なしに手も足も軽く動くものである。」(魯山人
 
不安定な性質が生む多様性
①グレープジュース
 果汁(糖質)⇒甘味
  ☟
②ワイン
 果汁(糖質)→分解(酵母)⇒アルコール・香り・コク等へ変化
  ☟
③ブランデー
 果汁(糖質)→分解(酵母)→蒸留⇒アルコール・風味等を凝縮
 
※同じぶどう(原材料)を使いながら、片やグレープジュースは甘く、片やワインが甘くないのは、発酵の過程で酵母がぶどう(原材料)に含まれている糖質を殆ど分解してしまうため 
 
ところで、日本でも愛飲家が多い醸造酒のワインは雑菌、酸化やその他の些細な環境変化等によって「腐敗」し易い非常にデリケートなお酒ですが、17世紀にワインを「腐敗」させることなく輸送するための方法としてワインを蒸留する技術(ワインを蒸発する過程で純度を増してアルコール度数を高めることで殺菌作用等を強めて腐敗し難くすること)が開発され、これによって生まれたのがブランデーであり、ワインがデリケートなお酒であったことが食文化の多様性に重要な役割を果たした1例と言えます。このように発酵食品の「腐敗」し易い不安定な性質が食文化の多様性を育むうえで重要な役割を担っており、「発酵」(微生物が風味や栄養を向上させるなど人間にとって食材を有益に変化させること)と「腐敗」(微生物が風味や栄養を劣化させるなど人間にとって食材を有害に変化させること)の関係は食文化の多様性を考えるうえで欠かせない問題と言えますが、日本の納豆やスウェーデンシュールストレミング等の発酵食品を「腐敗」していると感じる外国人も多く、その関係は極めて曖昧なものと言わざるを得ません。しかし、このような不安定で曖昧なもの(即ち、変化し易く、それが許容される余地が高いもの)が複雑な味を求める多様な嗜好を満たすうえで有効に機能し、食文化の多様性を育みながら何千年にも亘って人類の舌を満足させてきたとも言えそうです。これを音楽に置き換えるならば、昨年の新年の挨拶でも触れたとおり、近代合理主義の行き詰りに伴い、バロック音楽以来の調性システム(人間にとってコントロールし易いように、自然秩序を人工的に加工して簡素で安定的にするための決め事)を使って作曲される音楽の表現可能性の限界が認識されるようになり、この複雑な現代社会を表現し、かつ、音楽受容の多様化に対応することに適した新しい音楽を模索するために、この調性システムから音楽を解放してその表現可能性を広げた現代音楽( ≠ 調性音楽の排除)や新しいジャンルの音楽を時代がより強く求め始めていると感じる機会が多くなりました。「変わらないために、変り続ける」という言葉がありますが、霊長類の長と言われる人間が微生物から学ばされることは多いと思います。今年の干支「子」(種子の状態)に因んで、既に完熟期(干支「酉」)を過ぎた印象のあるベートーヴェン(生誕250年)の音楽ばかりではなく、寧ろ、将来に向かって芽吹き、豊かな実を結ぶ可能性がある現代音楽や新しいジャンルの音楽にも注目していきたいと考えています(今年の抱負②)。「飽きるところから新しい料理は生まれる」(魯山人
 
神の規律である自然秩序(天然醸造、無調音楽等)は多様性の宝庫
 
①麹の種類
米味噌:塩味・酸味が強い(例、信州味噌)
麦味噌:さっぱり甘い(例、薩摩味噌)
豆味噌:コクとクセが出る(例、八丁味噌
     
②麹の量
麹の量:白味噌>九州麦味噌>赤味噌
      ↑     ↑      ↑
      甘味     旨味   コク
 ✕
③麹と塩のバランス
麹>塩=甘味、うま味が増す
麹<塩=コクが増す
 ✕ 
醸造方法
 
f:id:bravi:20200105105221p:plain日本の代表的な発酵食品である味噌は、麹の種類、麹の量、麹と塩のバランス等によって多様な風味になりますが、その醸造方法によって風味が大きく変わると言われています。一般に、天然醸造は、米、麦又は大豆及び塩以外に添加物を使用せず、その土地の気候風土の中で自然の気温変化に任せて長い時間をかけて熟成させるので、その土地に特有の風味を持った味噌に仕上がります。その一方、即醸造は、人工的に加熱して短期間で醸造・熟成させるので、それだけ風味が均質化されて深みのない単調なものになると言われています。この点、日本の伝統音楽は、自然の音を求めて、敢えて邦楽器から奏でられる音が不安定になるように設計されている(一期一会の音)という話を聞いたことがありますが、この背景には人間は八百万の神々が宿る自然の一部であるという自然観があり、神の規律である自然秩序に同化して行こうとする意識が強いと言われており、日本の伝統的な音楽作りと伝統的な味噌作り(生産コストを抑制するために多くの食品メーカーで利用されている即醸造ではなく、蔵元で伝統的な製法として守られている天然醸造)には相通じる精神が息衝いているように感じられます。宛ら人工秩序である調性システムに束縛されていない日本の伝統音楽は、神の規律である自然秩序に同化し、神と人間との対話を通じて生まれる天然醸造味噌と同様に多様性の宝庫と言うことができるかもしれません。しかし、このような多様な発酵食品と上手に付き合うためには相当な教養(経験を通して積まれる知識)も必要であり、そのための水先案内人としてワインのソムリエと同様に味噌にもソムリエが存在します。これと同様に多様で複雑になる現代のアートや音楽とそれを受容する大衆との間を媒介する存在としてキュレーターが注目を浴びるなか、華美な風俗に踊らされてラブリー&イージーなものばかりに飛び付くのではなく、じっくりと腰を据えて多様で複雑になる美の本質を見抜いて深い感動を味わうことができる力を養って行きたいと考えています(今年の抱負③)。「われわれはまず何よりも自然を見る眼を養わなければならぬ。これなくしては、よい芸術は出来ぬ。これなくしては、よい書画も出来ぬ。絵画然り、その他、一切の美、然らざるなしと言える。」(魯山人
 
発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

  • 作者:小倉ヒラク
  • 出版社/メーカー: 木楽舎
  • 発売日: 2017/04/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
 
f:id:bravi:20200101013817p:plain出雲大社へ初詣がてら、もう1つの干支「子」(ネズミ男)に因んで妖怪神社にも初詣へ行ってきました。ゲゲゲの鬼太郎の原作者・水木しげるさんの出身地である鳥取県港境市(水木しげるロード)や隠岐諸島の街頭の諸所には妖怪ブロンズ像が祀られ(サンプル:偶に家で見かけるような気もしますが・・苦笑)、妖気溢れる魅力的な店舗が立ち並び、夜は不気味にライトアップされるなど、街全体が妖怪横丁の風情を湛えたテーマパークのようになっており、外国人観光客にも人気のスポットとなっています。それにしても水木しげるさんの着想の豊かさには興奮を禁じ得ず、妖怪を通じて「人間」というものがよく見えてくるようで、大人も十分に楽しめるテーマ性を備えています。日本では、世の中の不条理を説(解)いて心に折り合いを付けるための仕組み(精神的な支柱)として「仏」(あの世の側)と「神」(この世の側)が観念され、「神」(この世の側)の使いとして「妖精(精霊)」(自然に宿るもの)や「妖怪」(人間に憑依するもの)がこの世に顕在すると信じられてきたことで、長らく社会のモラルシステムとして有効に機能してきました。このような多様な精神世界(イマジネーション)が日本人の創造力を育み、能楽(例、金春善竹「芭蕉」)や浮世絵(例、歌川国芳「相馬の古内裏」)等の沢山の芸術作品に昇華しています。いつか時間があるときに「妖精(精霊)」や「妖怪」をメタファーとして表現されてきた日本人の自然観や宗教思想等を切り口として芸術作品を整理し直してみたいと考えています(今年の抱負④)。「自然に対する素直さだけが美の発見者である。」(魯山人
水木しげるロード
ネズミ男/今年の年男・ネズミ男 妖怪神社/ネズミ年に因んで妖怪神社へ初詣 境港駅前/この世とあの世の境  妖怪ブロンズ像/自分のブロンズ像が見つかるはず ネコ娘ネズミ男の天敵
世界妖怪会議/G20に対抗し妖怪の世界会議 妖怪のグローバル化ネコ娘が温暖化問題で激怒 千代むすび酒造目玉おやじがこよなく愛する地酒 妖怪バス/妖怪の世界にも自動運転が採り入れられる日が来るかも?
今年の抱負⑤ネズミ男のような人間になりなさないと仄めかされているようで考えさせられます
 
◆おまけ
X'masの定番曲、Whamの”Last Christmas”は世界のアーティストにカバーされて様々にアレンジされることで、新しい魅力がクリエイトされていますが、この有能な若者達の磨き上げられた歌唱力とセンスという酵母を加えて発酵させることで、昔馴染みの素材から洗練された新鮮な風味を引き出しています。今時、ダンスなく歌だけで魅せています。
 
上手く発酵されている有名な成功事例として、シェーンベルクが近代的な響きという酵母を加えて立体的な響きと多彩で芳醇な風味を引き出しているバッハ作曲/シェーンベルク編曲「前奏曲とフーガ」(BWV552)オーケストラ版を小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でどうぞ。
ベートーヴェンの記念年を迎えるにあたり、録音技術が発達して沢山の名演奏が記録として残され、最早、これ以上の名演奏は望むべくもない状況にあるなかで、楽譜至上主義というドクトリンに縛られて約束された成功ばかりに安住しても食傷傾向が顕著になるばかりなので、これまで以上に新しいものを付加し又は創造する工夫や冒険も欠かせないのではないかと感じます。時代は大きく変りつつあり、発酵文化人類学が示唆する新しいものを生み出す多様性の創造力に期待したいです。
 
2020年1月24日(金)から映画「いただきます ここは、発酵の楽園です」が公開されます。 映画「いただきます みそをつくる子どもたち」の続編として、田植え、稲刈りや羽釜の炊飯を園児が行っている「畑保育」や子供達と土づくりのワークショップを続けている野菜農家「苗ちゃん先生」など、子供達にとって本当に必要な教育「食育」に焦点を当てたドキュメンタリー映画です。飽食の時代に、今一度、食を「文化」として捉え直す時機に来ているのではないかと痛感します。また、 道の駅「発酵の里こうざき」ではぷくぷく講座と銘打って体験型の講習会が開催されていますので、「食育」にいかが。