
昨夜、TBSの
情熱大陸で
東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会再開を扱ったドキュメンタリー番組が放送されていたので、その概要を備忘録として残しておきたいと思います。日本では、以下の基準(収容人数又は収容率のうち、いずれか低い方の基準)に従って屋内でのイベント開催の制限が緩和されたことに伴って、在京のプロオケとしては初めて東フィルが6月21日(ステップ2)に観客入りの演奏会を再開しています。
制限緩和 |
収容人数 |
収容率 |
ステップ1(5月25日~) |
100人以下 |
50%以内 |
ステップ2(6月19日~) |
1,000人以下 |
50%以内 |
ステップ3(7月10日~) |
5,000人以下 |
50%以内 |
ステップ4(8月1日~) |
なし |
50%以内 |
◆世界を動かしたアイヌの人々の想い(最近約10年間の動き)
(国連人種差別撤廃委員会)
※政府は尖閣諸島問題への影響を恐れての政治判断か?
※政府はオリパラまでにウポポイ(民族共生象徴空間)を開館することで国際社会へアピールしたい思惑か?それは兎も角として、マラソンが札幌で開催されることになり国際社会の目が北海道(ウポポイやアイヌ文化など)にも注がれる機会になることは意義深い。
日本列島が大陸と地続きであった約3万年前に
南方系アジア人の古モンゴロイド(狩猟採取を行うソース顔の縄文人)が移住して日本列島の全域に分布しています。その後、
地殻変動や
地球温暖化に伴う海面上昇により
日本列島が大陸から分離した後の約3千年前に
北方系アジア人の新モンゴロイド(水田稲作を行うしょうゆ顔の弥生人)が大陸から九州、四国及び本州へ移住して古
モンゴロイド(
縄文人)と新
モンゴロイド(
弥生人)の混血から
大和民族が生まれています。しかし、このとき北海道及び沖縄は
地殻変動や海面上昇により海を隔て遠く離れていたことや北海道の寒冷な気候が
水田稲作に適さなかったことなどから、これらの地域における新
モンゴロイド(
弥生人)との混血は少なく、それぞれの地域で
アイヌ民族及び
琉球民族として発展しています。これにより
日本には大きく3つの文化圏が誕生することになりました。日本の食卓を彩る3つの調味料は、それぞれに独自の風味があり、どれが欠けても味気ないものになります。
※ 沖縄出身の小島よしおさんの母は第2代目琉球国王・尚巴志王氏の子孫だそうです。

上述のとおり
大和民族と
アイヌ民族及び
琉球民族との文化的特徴の異同が生じるのは約3千年前に新
モンゴロイド(
水田稲作を行うしょうゆ顔の
弥生人)が大陸から九州、四国及び本州へ移住して
水田稲作を伝えた古代(
弥生時代)から中世以降であると考えられます。
アイヌ民族は、自然を含む森羅万象を「
カムイ」(神)として崇め、また、
琉球神道は、万物にセジ(神の霊力)が宿ると考えており、森や川等の自然を神が降臨する聖地
「御嶽」(ウタキ)と捉えて祭祀を執り行っていました。このような
古モンゴロイドに共通して見られる自然信仰(アニミズム)は、
大和民族の
古神道(仏教伝来以前から
大和民族が信仰していた
神道)にも見られ(
八百万の神々)、「神」(kam i)と「カムイ」(kamui)の言葉の相似性にも現れているとおり、これらの信仰には相通じる思想が息衝いていると思われます。その後、
新モンゴロイドにより大陸から水田稲作が伝えられると、
大和民族は多人数で定住するようになって(狩猟採集は少人数で行いますが、
水田稲作は多人数で協力する必要)、社会の機能化(米の備蓄による富の集中と紛争発生、紛争回避のルール整備と文字の発達等)が進み、やがて
国家が形成されていきました。その後、
天皇を中心とする
律令国家の構築を目指していた大和政権は、
中国大陸から先進の思想(宗教)として仏教(寺院、仏像を含む)が伝来すると、寺院に相当する施設として常設の神殿を持つ神社を創り、仏像に相当する信仰の拠り所として
御神体としての鏡を祀ることなどによって対抗し、それまで自然信仰(
アニミズム)によって祀られていた「鎮守の森」(自然、万物)は
「鎮守の杜(社)」(神社、鏡)へと姿を変えて神社信仰へと変化していきました。やがて
神仏習合を通して
神社神道が体系化され、
伊勢神宮を頂点とする中央集権的な神社制度が確立します。なお、
御神体としての鏡(「かがみ」)は、「か〇み」(神)と「が」(我)から成り立っていますが、安易に神に答えを求めるのではなく、我の姿を鏡に映すことで我と向き合って答えを見出すという仏教の悟りに近い考え方が採り入れられますが(
和漢折衷)、その思想は剣道、柔道、華道、茶道、
香道等の伝統文化にも貫かれています。時代は下って、明治政府は、近代化政策の一環として近世的な社会秩序を構成していた仏教勢力を弱体化させるために
神仏分離及び廃物毀釈を推進すると共に、
アイヌ民族及び
琉球民族に対する
同化政策として
アイヌ語ではなく日本語の使用を強い、御嶽に鳥居を設置したことなどにより、
アイヌ及び
琉球の独自の文化は衰退していきます。やがて
神社神道は政治利用されるようになり、
天皇や国家を祀る
国家神道へと変容していきます。このように古代から中世(
神仏習合によって東洋の先進思想に対抗)、近世から近代(
神仏分離によって西洋の先進思想に対抗)への時代の転換期に
神道が政治利用されてきた歴史がありますが、最近の自然災害(豪雨、森林火災や
感染症等)を見るにつけて、明治政府の近代化政策により西洋から輸入された近代合理主義や人間中心主義的な考え方は行き詰まりを見せており、再び、カムイ、
琉球神道、
古神道等に息衝いている自然と人間の共生を重視する自然信仰(
アニミズム)の思想に立ち返って、自然と人間の関係性(将来の都市設計や
生活様式等を含む。)を考え直してみる時機が来ているのかもしれず(最近の古代史ブームはこのような時代が求めるものを鋭敏に感じ取ったもの)、その意味で
ウポポイ(民族共生象徴空間)は民族共生のみならず、自然共生というもう1つ大きなテーマを内包しているのではないかと感じます。
◉宗教に見る文化的特徴の異同
分類 |
種類 |
古代 |
中世以降 |
教義なし (道=実践) |
行いの宗教 (※) |
カムイ 琉球神道 |
古神道 |
神社神道 |
教義あり (教=言葉) |
悟りの宗教 (内発的) |
仏教 |
救いの宗教 (外発的) |
キリスト教 |
※教義や教典がないので厳密には宗教ではありませんが、便宜上、宗教と記載しています。

ウポポイとは、
アイヌ語で「大勢で歌う」という意味がありますが、現在、我々が日常的に使用している日本語の中にも
アイヌ語が使用されており、例えば、
ファッション雑誌「non-no」(ノンノ)は
アイヌ語で「花」を表す言葉ですし、また、
サッポロビールは
アイヌ語で「乾いた大きな川」を表す言葉で、喉を鳴らしながら一気に飲み干すビールのイメージ(日本語の「乾杯」も杯を飲み干すという意味)にピッタリのネーミングです。なお、この機会に、
サッポロビールでは「
サッポロ クラシック UPOPOY(ウポポイ)オープン記念缶」を発売したようです。それ以外にも、北海道の特産品である鮭、昆布、シシャモ、ホッキ貝や、北海道に生息する
ラッコ、オットセイ、
トナカイなど、我々が愛してやまない食材や動物にも
アイヌ語が使用されています。ところで、
アイヌ語には文字がありませんが(
無文字文化)、中国大陸から漢字が伝わる前の日本語と同様に口承のみによって文化が伝承されてきました。この点、上述したとおり
アイヌ民族の自然信仰(カムイ)には教義(言葉)がなく、また、
アイヌ民族は少人数で行える狩猟採集を生活の基盤として少人数で構成される村(コタン)を形成して暮らしていたことから、少人数とのコミュニケーションに適している
対話の文化(チャランゲ)が発達し、
文字を持たない聴覚文化が発展しました。一方、
大和民族の自然信仰(
神道)にも教義(言葉)はありませんでしたが、中国大陸から伝来した仏教には教義(言葉)があり、また、
大和民族は多人数が協力して行う
水田稲作を生活の基盤として多人数で構成される大規模な集落(国)を形成して暮らしていたことから、多人数とのコミュニケーションに適している文字の文化が発達する素地があったことに加えて、中国大陸から
漢字が流入し、その後、
遣唐使の廃止によってより平易な
仮名文字が発明されたことで
文字を持つ視覚文化が急速に発展し、
アイヌ民族と
大和民族の間で文化的特徴に顕著な差異を生じています。なお、聴覚文化(対話の文化)の伝承は記憶の承継に頼らざるを得ないことから、対話者の記憶に留まり易い「話し方」や「語り方」が発達することになり(カムイへ語り聞かせる神謡など人々の記憶に残して子孫へ承継すべき語りには特有の節(旋律)が付けられますが、これはウポポ(歌)とは区別されているようです。)、
アイヌでも多くの口承文学(ユカラ)が生まれています。しかし、明治政府の
同化政策によって
アイヌ語ではなく日本語の使用を強いられたことで、口承文学(ユカラ)を含む
アイヌ文化は急速に衰退することになり、大正時代、この状況を憂慮した
言語学者・
金田一京助さんの支援で
アイヌ民族の知里幸恵さん(
①②③)が
アイヌの神謡(
アイヌユカラ)を日本語におこして「
アイヌ神謡集」を出版しています。その序文が心を打つ素晴らしい文章なので、以下に全文を引用しておきます。僕が長々とくだらない御託を並べるよりも、この序文を一読するだけで
アイヌ民族について理解や共感が深まると思います。自然をこよなく愛し、大切な人達と囲炉裏を囲んで物語り、実に豊かな詩情を湛えた心根の美しい民族の姿が浮かび上がってきます。是非、
知里幸恵さんの心をより多くの人に知って貰うために、その生涯を映画、ドラマ又は舞台にして欲しいと願ってやみません。なお、「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の近くに「
知里幸恵 銀のしずく記念館」がありますので、是非、お立ち寄り下さい。銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに・・・・。
◉アイヌ神謡集の序文 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい
大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鷗の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れ破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に
山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めな
ありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。けれど・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。
アイヌに生れ
アイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

上述のとおり
アイヌでは文字を持たない
聴覚文化(外向的)が発展しましたが、
アイヌでは文字だけではなく絵を描く習慣もなく、
アイヌ語には絵を意味する言葉がありませんでした。この点、
アイヌでは
写実的に描かれた絵には悪霊が祟る(即ち、自然を写しとることで、そこに潜む悪霊まで招き寄せてしまう)と考えられており、絵の代りに
悪霊の祟りを除けるためのデザインとしてのアイヌ文様(悪霊の目を回す
「モレウ」(渦巻)、悪霊を刺す
「アイウシ」(棘)、これらの組み合わせた悪霊を寄せ付けないように見張る
「シク」(目)から構成される
幾何学的な模様)を着物に刺繍して身を守っていたと言われています。この点、
縄文土器の模様は実用的ではない複雑なものが多いですが、これは
縄文人が動物の命を奪う狩猟採取を中心とする生活なので、日々、それら動物の霊を送る(鎮める)ための呪術を目的した複雑な模様(感性的なデザイン)が施され、そこから
アイヌ文様も派生したのではないかと思われます。非常にデザイン性に優れており、
モダンデザインに通用する新しさを感じます。また、これは
尾形光琳「紅白梅林図屏風」の流水紋等にも、その面影が感じられます。これに対し、
弥生人は
水田稲作を中心とする生活なので、呪術を目的とする必要はなく、質素で実用的な模様(機能的なデザイン)が施されるようになったのではないかと思います。一方、
視覚文化(内向的)を発展させた大和や
琉球では常に中国大陸の影響を受けながら
日本画や
琉球絵画が発展しますが、いずれも陰影がなく写実性を追わない画風は
アイヌが写実的に描かれた絵を忌避していた文化的特徴と類似しています。但し、その理由は
アイヌとは異なり、自分と向き合って悟りを開く
仏教文化の影響を受けている為か、自分の外界にあるものを描き写すことに関心は向けられておらず、
自分の心と向き合いながら自分の外界にあるものの中に何を見ているのかその心象風景を描くことに関心が向けられていた為ではないかと思われます。例えば、有名な
葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」は、
波の伊八の欄間彫刻「波と宝珠」(大波に翻弄される宝珠=人間の魂)をパロッたもので、これにインスピレーションを受けた
ドビュッシーが交響詩「海」を作曲した可能性があることが指摘されているという曰く付きの絵ですが、大波(運命)に翻弄される水夫達の鬼気迫る喧騒と、その
大自然に翻弄される人間の姿を悠久の時間の中で見守ってきた悠然たる富士山の静寂とが対比されることで、
大自然を前にした人間の無力さ、儚さや無常観のようなものが絵に描き込まれているのではないかと思います。ここでは大波、水夫達や富士山を写実的に描き写すことに関心は向けられておらず、それらに何を見ているのか
葛飾北斎の心象風景に関心が向けられており、そこにこの絵の面白さがあるのではないかと思います。なお、
アイヌ絵(以下の画像)と言われる絵がありますが、これは
大和民族が
アイヌ民族の生活風俗等を描いた絵のことで、
大和民族が見た
アイヌ民族の姿をそのまま描いたものではなく、
大和民族が見たいと思う
アイヌ民族のイメージが描かれたものなので、
アイヌ民族の生活風俗等を正しく描き写しているものではありませんが、
アイヌ民族の生活風俗を知る手掛りにはなり得るものではないかと思います。

2009年、ウポポ(歌)及びリムセ(舞踊)から構成される「
アイヌ古式舞踊」が
ユネスコ無形文化財に登録されました。上述したとおり
アイヌでは
聴覚文化(対話の文化)が発達したことから、ウポポ(歌)や
アイヌ民族の伝統楽器の演奏では楽譜を使用せず(
口承音楽)、リムセ(舞踊)に合せて音高、音色(発声の仕方)やリズム等を自由に組み合わせながら歌い又は演奏されてきました。その一方、上述したとおり大和では中国大陸から伝来した仏教の教義(言葉)があり、また、多人数が協力して行う
水田稲作を生活の基盤として大規模な集落(国)を形成し、多人数とのコミュニケーションに適している文字の文化が発達する素地があったことに加えて、中国大陸から漢字が
流入し仮名文字も発明されたことで
視覚文化(文字の文化)が急速に発展しました。このような背景もあって、
能楽(
謡曲)では詞章に節づけされた謡本(台本、楽譜)が誕生しますが、ウポポ(歌)と同様に、音高、音色(発声の仕方)やリズム等に及ぶ指示はなく、各々の
能楽師の自由に委ねられており、その意味で
アイヌ古式舞踊と
能楽の文化的特徴には類似性が見られます。この点、謡本(台本、楽譜)がありながら、何故、節以外の音高、音色(発声の仕方)やリズム等に及ぶ指示が行われないのか疑問が残りますが、
アイヌ民族及び
大和民族に共通する
自然信仰(アニミズム)の思想が影響しているのではないかと思われます。自然信仰(
アニミズム)は、人間に都合が良いように
自然をコントロールするという人間中心主義的な思想ではなく、人間は自然の一部であり
自然に対する畏敬の念を持ち自然と調和することが重要であるという自然尊重主義的な思想が根底にあり、西洋のように人間は神から選ばれた自然の支配者であるという
一神教的な考え方のもと音高、音色やリズム等を人間がコン
トロールし易いように人工的に加工し(皆が外部から与えられた共通の規範(教義)を守るという思想性)、人間が均質な発声で音高変化を明確にすること(即ち、讃美歌で歌う聖書の言葉を聞き取り易くすることなど)に価値を求めるのではなく、音高、音色やリズム等を人間がコン
トロールし易いように人工的に加工することなく自然の秩序に委ねて自然と調和し(個人が自然と向き合いながら自然や自己と折り合いをつける独自の術(信仰、悟り)を獲得するという思想)、自然と共鳴する精妙な音楽を奏でることに価値を見出だしてきました。例えば、
能楽では、各々の
能楽師が自ら発声できる音域で謡うことを基本とし(鳥の声と同様に人間の声も自然の楽器)、
能楽囃子は自然の音を模倣するために敢えて音程が不安定になるように設計されており、また、
メトロノームが刻む人工の時間ではなく自然の呼吸が刻む時間の揺らぎを感じながら、一期一会(唯一無二)の音楽を奏でることを重視しています。「一得一失」(
漢書)という言葉があるとおり、これは西洋の音楽と日本の音楽の優劣の問題ではなく、それぞれに良し悪しがある多様性の問題であり、選択の問題であって、そのいずれもが我々の人生を豊かなものにしてくれる大切なものだと思います。なお、作曲家・
伊福部昭さんが
アイヌ音楽に関する本格的な論考をホームページに掲載されており、大変に参考になります。


上記で記載したことは舞踊にも言えます。
先日のブログ記事で書いたとおり、舞踊(ダンス)は、自然信仰(
アニミズム)を背景として
人ならぬ者との交流を試みるために肉体を使って行われてきた宗教的なパフォーマンが起源と言われており、日本では
「舞」のことを「神迎え」、
「踊り」のことを「神(霊)送り」と解しています。これに対し、西洋(
キリスト教圏)では聖書に書かれた神の言葉(ロゴス)を信仰の拠り所として精神で肉体をコン
トロールすること(理性)が重んじられ、肉体的な興奮を喚起し、人々を狂気(トランス)させるようなリズムの使用や
アニミズムの実践(
霊媒、占い等)を禁じてきました。この点、
アイヌ古式舞踊のリムセ(舞踊)には、
イオマンテ(熊の霊(カムイ)を天国へと送る(「神(霊)送り」)ための「踊り」)などがあり、また、
能楽では、巫女が
依代や神座の周囲を回りながら徐々に神懸り(神迎え)して行く呪術的な舞を採り入れており(
能舞台の鏡板の松、橋掛りの松、本舞台の4本の柱はいずれも神の依代であり、シテがこれらの周囲を回りながら人ならぬ者が顕在(「神迎え」)する「舞」)、これらには自然信仰(
アニミズム)や(
能楽では)仏教の影響等がみられます。また、
チカプウポポ(鶴の舞)は、丹頂鶴が羽を広げて舞う優美な姿を模擬したものですが、
能楽も物真似芸として発展しており(
能楽の前身である猿楽のネーミングはその名残り)、やはり自然信仰(
アニミズム)や(
能楽では)仏教に
息衝く自然に対する畏敬の念を持ち自然を模倣することで自然と調和(同化)しようとする思想の影響が色濃く感じられます。
1987年、川上まつ子さん(北海道
沙流郡平取町出身)が
アイヌ民族博物館で収録した音源をアップしておきます。このような貴重な音源が残されていることを心から感謝します。川上まつ子さんは祖母のウワルスッさんから
アイヌ語や
アイヌ文化を承継し、この年代の方の中では格段に
アイヌ語が堪能であったそうです。これが本当のウポポ(
アイヌ語)の響きなんですね。一聴するだけで、その独特な響きの虜となります。明治政府の
同化政策によって
アイヌ民族から
アイヌ語を奪ったことが、
アイヌ文化の急速な衰退につながったことが肌感覚で理解できます。なお、
アイヌ語資料の公開プロジェクトという興味深いWEBサイトも公開されています。

さて、本題に戻ってTV番組の内容に簡単に触れてみたいと思います。東フィルは、今回(第一波)のコロナ禍で130回の演奏会が中止されて億単位の損失が生じたそうですが、在京のプロオケとしては初めて6月21日に
オーチャードホール(渋谷)で観客入りの演奏会が4ケ月振りに再開されました。
オーチャードホールの客席数は2,150席なので、上記の基準(ステップ2)に照らせば1,000名まで観客を収容しても問題がありませんが(但し、当面、収容率を50%以下に抑える必要があるので、
オーチャードホールではステップ3、ステップ4に移行しても、1,000名以下に観客数を制限しなければなりません)、東フィルは絶対に演奏会で感染者を出さないという意気込みのもと約30%(約650名)まで観客数を減らして演奏会を再開することにしたそうです。しかし、演奏会の運営費の約80%はチケット代で賄われているので、興行収益は赤字(演奏会を開催しても財務状況が悪化してしまう状態)に陥ってしまいます。東フィルでは、感染対策の観点から、通常の演奏会の1/3程度の演奏時間となるように演目数を減らし(
交響曲なら1曲程度)、かつ、オーケストラの編成も約10人削減して総数約70人としたそうですが、もともと当日の演目であった
ドボルザーク交響曲第9番は2管編成 +αが標準的な編成なので、3管編成に近い70人が乗っていたのであれば、それほどオーケストラの編成には変更を加えず(即ち、ホールの大きさは変えられないので、音を犠牲にしないよう)に演奏会に踏み切られたのではないかと思います。それでも楽団員間のソーシャル・ディスタンスを確保するためにステージを目一杯使用し、弦楽器、
木管楽器及び打楽器は1.5m、
金管楽器は2mの間隔をとって配置すると共に、
金管楽器奏者の間は透明のフィルターで遮るなどの感染対策(ベルから縦方向に拡散する飛散は殆ど確認されませんが、マウスピースと唇の隙間や鼻から横方向に拡散する飛沫に対する対策)が講じられましたが、オーケストラの配置は音響に大きな影響を与えますので、感染対策と音響対策を両天秤にかけた試行錯誤を繰り返している姿に、現在のオーケストラが置かれている苦境(音楽面、経営面、健康面)がTV画面からもヒシヒシと伝わってくるようでした。
オーボエ奏者の
杉本真木さんが自粛期間中に閲覧したインターネットで「日本にはオーケストラが多過ぎるのでこれでつぶれるくらいがちょうどいい」や「音楽なんてそもそも重要じゃない」という心ない書込みが目に入り落ち込んだと仰っていましたが、「人の心に直接働きかける仕事だという自負を持っている」と自らの信条を吐露されていた姿が印象的でした。おそらく情操が貧しい者(情操が豊か否かは年齢の問題ではなく、若年であれ、中高年であれ、年齢とは関係ない個々人の感受性や心根の問題)の書込みなのだろうと思いますが、
先日のブログ記事でも書いたとおり、文化芸術(音楽を含む)は人間が尊厳を持って自分らしく生きることができる社会を実現するために必要不可欠なもの(
文化芸術基本法の精神)であって、より多くの喜びを人生に見出すために豊かな情操を育みたいと願う数多くの人間にとって文化芸術(音楽を含む)が衰退してしまった社会は生き甲斐を見出し難い実に味気ないものであり、その意味で文化芸術は「生命維持に必要」(
メルケル首相)なものだと痛感します。自粛期間中、東フィルの団員は人前で弾けないジレンマ(
表現者の本性)を抱えながら忸怩たる思いで過ごしていたようですが、
ヴィオラ首席奏者の須田祥子さんは自主製作
CD「びおらざんまい」を録音し、また、
コンサートマスターの
近藤薫さんはジュニアオケを卒団する子供達のために
リモートオーケストラ演奏会を開催するなど、音楽の灯を絶やさないための精力的な活動に取り組まれていたことなどが紹介されており、非常に心強く勇気付けられました。現在、
イタリアのオペラ公演では屋外劇場で歌手がマスクを着用して歌っているそうですが、
日本の能楽公演でも能面を被らない
地謡がマスクを着用して歌うという感染対策が講じられています。また、
日本の歌舞伎公演では芝居にテンポを生んで粋に盛り上げる大向こうの掛け声を禁止するという苦渋の感染対策が講じられていますが、ハイブリット公演(オンサイトによるライブ公演と、オフサイトによるライブ公演のオンライン有料配信の同時開催)と併せて、様々な犠牲を強いられながらも生き残りを掛けた
ニューノーマルの模索が続けられています。