ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

映画「HOKUSAI」とモンテベルディとシェーンベルク

f:id:bravi:20210603081004j:plain2024年に刷新される新千円札の裏面には葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用されますが(因みに、新一万円札の表面:渋沢栄一、裏面:東京駅(丸の内駅舎)、新五千円札の表面:津田梅子、裏面:藤、新千円券の表面:北里柴三郎、裏面:富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」)、それに肖ってのことか映画「HOKUSAI」が公開されたので観に行くことにしました。ドビュッシー交響詩「海」初版譜表紙ドビュッシーの希望によって葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(1823年制作開始、1831年発行)で飾られており、ドビュッシーの書斎に富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が飾られている写真が残されていることなどから、ドビュッシー富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受けて交響詩「海」を作曲した可能性について指摘されていることは有名な話ですが、葛飾北斎が房総を訪れた際に、波の伊八こと、武志伊八郎信由の欄間彫刻「波と宝珠」(1809年完成)からインスピレーションを受けて富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を創作した可能性(Good artists copy, great artists steal.  Pablo Picasso)について指摘されていることは意外と知られていません。この点、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」は本牧沖から見た構図ではないかと言われていますが、その源泉を辿れば、波の伊八が欄間彫刻「波と宝珠」を創作するためにスケッチし、東京オリンピックのサーフィン会場になっている大東崎(日本のサーフィン発祥の地である釣ケ崎海岸)の波富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の生み(海)の親ということになります。もし東京オリンピックが開催されることになれば(その是非は別論として)、世界中のサーファーが「伊八(北斎)の波」に乗りにくることになります。但し、カエルの小便のような小波しかない日もありますので、どうなることやら心配になりますが....。

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①御宿海岸(千葉県夷隅郡御宿町六軒町505−1
源頼朝上陸地の碑(千葉県安房郡鋸南町竜島165−1
九十九里浜千葉県山武郡九十九里町真亀
神明神社千葉県鴨川市東江見332
菱川師宣記念館(千葉県安房郡鋸南町吉浜516
⑥大東岬(釣ケ崎海岸)(千葉県長生郡一宮町東浪見
⑦行元寺(千葉県いすみ市荻原2136
⑧金谷港(千葉県富津市金谷4303
①相棒のハーレーと御宿海岸/風に誘われ、房総半島をツーリング。 源頼朝上陸地と富士源頼朝は石橋山合戦に敗れて房総半島に遁れ、味方を募って再起し、3ケ月後に富士川合戦で平家に大勝。房総は敗者復活の地。 九十九里浜とサーファー源頼朝が1里毎に矢を立てさせて海岸線の長さを図ったところ、99本の矢が必要だったことから九十九里浜命名 ④浅野家屋敷跡(神明神社大石内蔵助切腹6年後、浅野内匠頭長矩の弟・浅野大学長広は幕府から安房国朝夷郡・平郡500石を与えられ御家再興 菱川師宣見返り美人」像/浮世絵の創始者菱川師宣は千葉県鋸南町保田が出身地。狩野派の祖・狩野正信は千葉県いすみ市大野が出身地。
⑥大東岬(釣ケ崎海岸)/波の伊八が波をスケッチした場所。日本のサーフィン発祥の地としても知られ、東京オリンピックのサーフィン会場。 ⑦行元寺(欄間彫刻「波と宝珠」)/大東岬(釣ケ崎海岸)から西へ約10kmの行元寺で、1809年に波の伊八が欄間彫刻「波と宝珠」を完成。 ⑦行元寺(パクリンピック)葛飾北斎は欄間彫刻「波と宝珠」にインスピレーションを受けて、1831年に富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を発行。 ⑧房総半島と富士/富士山の見え方から、葛飾北斎本牧沖から見える富士ではなく房総半島から見える富士を心象風景にして描いた可能性が指摘。 ドビュッシーの書斎と神奈川沖浪裏ドビュッシーストラヴィンスキーが映る背後の壁には葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が掲示

 

【題名】映画「HOKUSAI」
【監督】橋本一
【脚本】河原れん
【撮影】角田真一
【美術】相馬直樹
【音楽】安川午朗
【監修】久保田一洋
【浮世絵指導】向井大祐、松原亜実
【出演】<葛飾北斎(青年期)> 柳楽優弥
    <葛飾北斎(老年期)> 田中泯
    <蔦屋重三郎> 阿部寛
    <柳亭種彦> 永山瑛太
    <喜多川歌麿> 玉木宏
    <滝沢馬琴> 辻本祐樹
    <東洲斎写楽> 浦上晟周 ほか
【感想】

f:id:bravi:20210601044345j:plainネタバレしない範囲で簡単に映画「HOKUSAI」の感想を残したいと思います。この映画を観るにあたり、中学及び高校で習った化政文化時代の概要をお浚いしておくことが有益です。葛飾北斎が活躍した化政文化時代(18世紀後半から19世紀前半)は浮世絵、滑稽本、川柳、歌舞伎など「洒落」や「通」を好む町人文化(同じ町人文化でも、元禄文化ブルジョアジー層の文化、化政文化プロレタリアート層の文化)が華開き、これにより庶民教育が活発になって庶民の間にも政治や社会を風刺する批判的精神が高揚するなか、幕末(近世末期)から明治(近代初期)にかけて活躍する人材が育まれ、2024年に刷新する新紙幣に採用される渋沢栄一、津田梅子や北里柴三郎など日本の近代化を推進する人材を輩出する伏線となりました。この時代は文化(時代)の爛熟期にあたり、庶民は、喜多川歌麿美人画東洲斎写楽の役者絵など「退廃的、那的、享楽的な趣味」の作品に魅了されると共に、十返舎一九滑稽本東海道中膝栗毛」、葛飾北斎の名所絵「富嶽三十六景」、歌川広重の名所絵「東海道五拾三次」などの影響による旅行ブーム、念仏修験行者・播隆による槍ヶ岳初登頂など「未知の世界」への挑戦に胸を熱くし、鶴屋南北の歌舞伎「東海道四谷怪談」、滝沢馬琴の読本「南総里見八犬伝」などに見えられる「異質な世界」への好奇心に心を躍らせていた時代です。

 

f:id:bravi:20210603080809j:plain柳楽優弥さんが演じる葛飾北斎(青年期)は、当初、「目に見えるもの」を描くことのみに執着しますが、遊女の内面や艶を巧みに捉えて独創的に表現する喜多川歌麿美人画や、役者の個性や独特な身体表現を巧みに捉えて独創的に表現する東洲斎写楽の役者絵などに触れ、それらの才能に対抗心や嫉妬心を抱きながらも「目に見えるもの」のみを描くのではなく「心に見えるもの」を描くことで対象(画題)の本質に迫ることを学び、その才能を開花させながら自らの独創的な表現を確立して行く人間味溢れる姿として描かれています。この点、西洋画は「影」を描くのに対し、日本画は「影」を描かないことが特徴的な違いとして挙げられますが、西洋画は写実性を重視し陰影法や線遠近法を利用して絵を描くことを伝統(西洋文化は父なる神による父性原理を基調とし、父と子が肉体的に一体ではなく主客の別があるように全てのものを「区別」する世界観から、対象を外から客観的に捉える視点)とする一方で、日本画は心象風景を重視し平面的な構成のなかでデフォルメした造形や色彩を利用して絵を描くことを伝統(日本文化は女神による母性原理を基調とし、母と子が肉体的に一体であり主客の別がないように全てのものを「包含」する世界観から、対象を内から主観的に捉える視点)としており、このような日本画の特徴からインスピレーションを受けたマネ、モロー、ピカソセザンヌゴーギャンなどは西洋画の伝統である「写実の呪縛」から解放され、新たな創作の視点(I paint objects as I think them, not as I see them. Pablo Picasso)を見い出します。

 

f:id:bravi:20210603080114j:plain田中泯さんが演じる葛飾北斎(老年期)は、絵師として円熟の境地に達し、その研ぎ澄まされた感性や突き詰められた表現の凄みが滲み出てくるような風格が感じられます。この映画の中で、喜多川歌麿東洲斎写楽などを育んだ江戸の名プロヂューサー・蔦屋重三郎が「絵は世の中を変えられる」と葛飾北斎(青年期)を導き、絵師として円熟の境地に達した葛飾北斎(老年期)が猶も「勝負してぇんだ、世の中とよ」と心境を吐露するシーンが印象的に描かれていますが、葛飾北斎時代の価値感に挑戦し、その価値感を刷新する新しい表現を貪欲に模索し続けるなかで生み出された作品が上述のとおり日本ばかりか西洋にまで多大な影響を与え、アメリカの雑誌「LIFE」が1998年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人で唯一選ばれる偉業を成し遂げています。このような時代の価値感を刷新する新しい表現は、その表現が持つ珍しさ(世阿弥の言葉を借りれば「花」)を面白く感じる庶民に熱烈に歓迎される一方で、その時代の価値感を頑なに守ろうとする権力者から疎まれ、それらの斬新な表現は厳しく弾圧されます。この時代の価値感のせめぎ合いは、時代を超えて洋の東西を問わず繰り返されています(江戸幕府の取り締まりと同様の例は、例えば、教会権威に始まり、ヒトラースターリン等の独裁政権に至るまで西洋でも枚挙に暇がありません。)。葛飾北斎などが挿絵を描いた読本の人気作家・柳亭種彦別名・高屋彦四郎という小普請組に属する食録200俵の旗本)は江戸幕府の取り締まりに対して自らの表現意欲に忠実であろうと葛藤しますが、終には天保の改革で譴責されて死亡します(その死因はショックによる病死説が有力ですが、この映画では自殺(惨殺)説が採られています)。葛飾北斎は自らの身にも危険が及ぶ虞があるなかでも筆を折ることはなく命を懸けて絵に向かい続けますが、その田中泯さんが演じる葛飾北斎(老年期)の孤高な姿には絵師の矜持が感じられ、まるで葛飾北斎の魂が息衝いているような迫力があります。この映画の中で、絵師の筆使いがアップで映されるシーンがありますが、役者の目元に繊細な表情を生む東洲斎写楽の精緻な筆使いが出色ですし、波足を描く大胆かつ滑らかな筆致や波の飛沫を描く点描法など葛飾北斎の創作過程を彷彿とさせるものがあり興味深いです。また、普段は目にすることがない彫師や摺師が作品を仕上げるシーンも描かれていますが、絵師だけではなく彫師や摺師の技量が作品の出来栄えを大きく左右することがよく分かります。なお、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の大波を鮮やかに立ち上がらせるベロ藍は、ベルリンで開発された輸入顔料ですが(江戸っ子のべらんめえ調で「ベルリン藍」が「ベロ藍」に訛ったもの)、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の大波の鮮烈な印象から海外では「Japan Blue」とも呼ばれています。新一万円札の表面に採用される渋沢栄一は藍玉を作る農家の出身ですが、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を色彩の面からどのように見ていたのか興味があるところです。因みに、藍は、昔から染料だけではなく薬草として解毒、解熱や消炎等にも利⽤され、ポリフェノール(抗酸化作用)やトリプタンスリン(抗菌作用)を含んでいることから体に良いと言われており、その鮮やかな発色も手伝ってお茶や料理に重用されています。

 

f:id:bravi:20210603132928j:plainなお、上述のアメリカの雑誌「LIFE」が1998年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」(但し、「欧米人から見た」という断り書きが必要と思われる人選)には、86位に葛飾北斎が選ばれているほか、画家では5位にダヴィンチ、59位に范寛、78位にピカソ、84位にラファエロ、彫刻家では36位にミケランジェロ、音楽家では33位にベートーヴェン62位にグイド89位にモンテベルディが選ばれています。この点、並み居る音楽家の中でも、その革新的な業績がなければ、その後のクラシック音楽の発展もなかったと思われる決定的な影響を残したグイド(記譜法の発明や階名唱法の考案)とモンテベルディ(不協和の解放及びオペラの確立)が注目されますので、その業績を讃えるべく、以下で簡単に触れてみたいと思います。

 

f:id:bravi:20210606062215j:plainいまさら説明の必要はないと思いましたが、グイド・ダレッツォは、11世紀前半のイタリアで活躍した音楽教師(修道士)で、4線譜に四角い音符を書く記譜法を発明しました。それまでの音楽は口伝承されていたことから、聖歌を正確に後世に伝えることが難しく、また、殆どの音楽は即興演奏されて再演されることはありませんでした。しかし、音楽を楽譜(紙)に記譜できるようになったことで、聖歌を正確に後世に伝えることが可能になり、また、他人に正しく音楽を演奏して貰うことが容易になったことで「作曲家」が誕生し、後世の偉大な作曲家達を生む伏線となりました。なお、グイドの名前は電子楽譜の商品名にもなっていますが、最近では音を検知して演奏の進行に併せて自動で譜めくりしてくれるアプリなども登場し、コンサートホールの風物詩である目にも止まらぬ譜めくりの神(紙)業は廃れてしまうことになるかもしれません。

イノベーションと音楽への影響
革新 社会 影響
記譜法の発明 中世
近代
①音楽(作曲)の記録➡作曲家の誕生
②近代社会の到来➡作曲家、演奏家、観客の分離
録音技術の発明 現代 ①音楽(演奏)の記録➡音楽受容の変化
現代社会の到来➡音楽需要の多様化
AI(人工知能
ロボット工学
未来 ①音楽(作曲・演奏)の脱人間化➡可能性拡大
未来社会の到来➡職業音楽家の解放
*1 近代社会の到来:演奏会場や交通手段の整備
*2 音楽受容の変化:聴衆の関心が作曲から演奏へ移り、新曲より既存曲の音楽解釈や演奏技量の差異に注目
*3 現代社会の到来:マスメディア、コンピュータやITなどの普及
*4 音楽需要の多様化:BGM、映画・ゲーム・電子音楽やクロスカルチャーなどメディアやシーンが多岐
 

 さらに、グイドは、ヘクサコルド(6音音階)の階名による歌唱法(ソルミゼーション)を考案します。この点、グイドは、「聖ヨハネ賛歌(聖ヨハネの夕べの祈り)」を聖歌隊に教えるにあたって4線譜上の音符(≒ ピアノの白鍵の第1音から第6音)にそれぞれ名前を付けて(即ち、聖ヨハネ賛歌の各小節の最初の音が1小節進む毎に1音づつ上行するように作曲されていることに着目し、各小節の最初の音の音高とそれぞれに対応する小節の最初の歌詞(シラブル)とを結び付けて)音程を取り易くする歌唱法(ソルミゼーション)を考案して効果的な音楽教育を実現しますが、その後、ソルミゼーションはソルフェージュ読譜に限らず聴音等を含む幅広い音楽教育)へと発展します。これらのグイドの発明によってクラシック音楽は世界的に普及しました。

▼聖ヨハネ賛歌とヘクサコルド
原文 訳文 備考
Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve pollute
Labii reatum
Sancte johannes
あなたの僕が
声をあげて
あなたの行いの奇跡を
響かせることができるように
私たちの穢れた唇から
罪を拭い去って下さい
ヨハネ
UtDominus(主)





SjSi
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伊語 : Ut
(Do)
Re Mi Fa Sol Ra Sj
(Si)
Ut
(Do)
Hexa
chordum
日本語 ファ 階名
調名
独語 : Classic
米語 : Jazz

 *5 16世紀頃にUt」(ウト)が発音し難いことから主イエス・キリストを意味する「Dominus」の「Do」(ド)に置き換わります。また、17世紀頃に7番目の音(ピアノの白鍵の第7音)として追加された聖ヨハネを意味する「Sancte johannes」の「Sj」が発音し難いことから「j」を「i」に置き換えて「Si」(シ)が追加されます。

 

f:id:bravi:20210608112724j:plainクラウディオ・モンテベルディは、17世紀前半にイタリアで活躍した音楽家で、不協和の解放による新様式の音楽や劇的な音楽表現によるオペラの確立などによってルネッサンスからバロックへの橋渡しとなる重要な役割を果たしました。この時代の音楽は、キリスト教の教義(歌詞)を伝えることを主な目的とし、音楽はそれを伝えるための補助的な役割を担っているに過ぎないと考えられ、キリスト教の教義(歌詞)を明瞭に発音することが重視されました。また、15世紀頃から発達した複数声部を持つポリフォニー音楽により旋律が複雑になると、音楽によってキリスト教の教義(歌詞)が明瞭に聞き取れなくなることがないように教会から注意が促されました。これに対して、モンテベルディは、キリスト教の教義を伝えることよりも、人間の情感(Affect) を表現することを重視し、より豊かな情感表現を可能とするために、当時、社会的に許容されていなかった不協和の解放に踏み出しました。因みに、モンテベルディが不協和の自由な使用に先鞭をつけたことで、その後に登場する古典派音楽では約5割、ロマン派音楽では約7~8割、現代音楽では9割以上が不協和音程で成り立っていると言われています。

▼時代の価値観に挑戦する音楽の変遷と不協和の解放 
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 モンテべルディは、マドリガーレ集第5巻第1曲「つれないアマリッリ」の第13楽章において、不協和音程である属七の和音(ドミナント・セブン)を使用していますが、不協和音程の予備の法則を無視して、その直前に不協和音程「ファ」と同じ音を緩衝材として用意するのではなく「ラ」という全く関係ない音を使用するという当時の禁じ手を敢えて犯すことで、これまでにない情感豊かな表現を可能にしました(但し、遥かに複雑な音楽に慣れ親しんでいる現代人の耳には、それ程、情感豊かな表現に聴こえないことは仕方がありません。)。この背景には、それまでのキリスト教的な価値観において、神は完全な存在であり、仮にその完全なものから不完全なものが生じたとしても、その不完全なものは直ぐに完全なものに置き換えられて神の秩序は保たれる(全ては神の手中にある)という思想のもと、不完全性を体現する不協和音は完全性を体現する協和音から生じ(不協和音程の予備)、速やかに、完全性を体現する協和音へと解消される(不協和音程の解決)べきであるという音楽理論が確立します。よって、不協和音程を使用するときは、突然、その不協和音程を響かせて人々に動揺を与え、理性を搔き乱さないように配慮することが求められ、その直前の協和音の中にその不協和音程と同じ音を前もって響かせることで衝撃を和らげて人々の動揺を抑えるべきであるという考え方(不協和音程の予備)が長年の伝統として根強く信奉されていました。しかし、ルネッサンス時代に入るとギリシャ神話的な価値観が見直され、キリスト教的な価値観である神聖性(理性)からギリシャ神話的な価値観である人間性(本能)への回復が志向されるなかで、モンテベルディはキリスト教的な価値観に挑戦し、「不協和音程の予備」の法則を打ち破ることでギリシャ神話的な価値観へ刷新する新しい音楽表現を獲得しました。因みに、協和音程(ド・ミ・ソなど)とは、2音間の振動比が単純な音程を言い、完全に調和された澄んだ響きがして安定感があります(理性的:弛緩)。一方、不協和音程(ソ・シ・レ・ファなど)とは、2音間の振動比が複雑な音程を言い、不完全な調和による濁った響きがして不安定感があります(本能的:緊張)。その不協和音程の中でも属七の和音(ドミナント・セブン)は、7度の音(ファ)と1度の音(ソ)が2度の間隔しかなく、その響きのぶつかり合いが耳を不快に刺激し、その濁った響きを協和音程(主音、トニック)の澄んだ響きへ解消したいという心理が強く作用するので、音楽が調和するうえで最も重要な働きをする和音とされています。後世になると、モンテベルディによって不協和音程という音楽の禁断の果実に目覚めた人類は、より豊かな情感表現を求めて属七の和音以外の不協和音程についても「不協和音程の予備」の法則を次々に打ち破るようになります。やがて音楽の禁断の果実を食べ飽きてしまった人類は、その品種改良に着手しますが、その改良された果実は一癖も二癖もあるもので人によって極端に好き嫌いが分かれているというのが現在です。なお、以下の譜例について若干補足すると、属七の和音(ソ・シ・レ・ファ)は、上述のとおり7度の音(ファ)と1度の音(ソ)がぶつかり合う不協和音程であることから、7度の音(ファ)は協和音程の3度の音(ミ)に解消し、また、1度の音(ソ=根音)は五度下行して協和音程の1度の音(ド)に解消することで、不協和音程の解決が図られて安定感(終止感)を生んでいます。さらに、属七の和音(ソ・シ・レ・ファ)は、7度の音(ファ)と3度の音(シ)が三全音キリスト教では理性を搔き乱す不安定な音程として「悪魔の音程」と呼ばれ、メロディーラインへの使用が禁じられていました。)の関係にあり不協和音程であることから、3度の音(シ=導音)は半音上行して協和音程の1度の音(ド=主音)に解消することで、不協和音程の解決が図られて安定感(終止感)を生んでいます。

【譜例】 モンテベルディのマドリガーレ集第5巻/第1曲「つれないアマリッリ」第13小節~
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※第13小節~の該当部分はYouTubeの00:36~00:42あたりです。

 

 なお、その後のクラシック音楽の発展や現代音楽の展開を考えると、1オクターブ12音を主音とする24の長短調で構成される平均律クラヴィーア曲集(但し、バッハは平均律ではなく不均等律として作曲したとする説もありますが、バッハの意図はどうあれ、後世に与えた影響は変わりません。)を作曲したバッハ(これにより転調が容易となるなど音楽表現が飛躍的に豊かになりました。)やピアノを発明したクリストフォリ(これにより音の強弱表現が可能となるなど音楽表現が飛躍的に豊かになりました。)などが選ばれていないことは意外です。因みに、1オクターブを等比数列で12分割する十二平均律を世界で最初に発明したのは16世紀末の中国の音楽学者・朱載堉と言われています。

 

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調性音楽は、主音(協和音、トニック)に始まり、そこから生じた不協和(ドミナントサブドミナント)は主音(協和音、トニック)に解消されて終わる(不協和音程の解決)という予定調和の構造を持っていますが、リストは旋法、ドビュッシー全音音階、ワーグナーは半音音階などを多用することにより不協和(ドミナントサブドミナント)を連ねて主音(協和音、トニック)に解消しないこと(不協和音程の解決の法則を無視)で、その曲の主音を曖昧にして「調性の呪縛」から音楽を解放しようと試みます。その流れはシェーンベルクに引き継がれ、やがて主音を生まないために12音を均等に使って基本音列(セリー)を作り、その基本音列(セリー)を様々に変化させて作曲する十二音技法を発明します。モンテベルディは属七の和音を不協和音程の予備から解放し、不協和音程の解決(主音の終止感)を自由に設定できるようにしましたが、シェーンベルクらは主音の設定や長短の音階を完全に無くして不協和音程の解決(主音の終止感)をも不要として、不協和音を自由に使用することができるようにしました。これによってそれまで調性音楽の分析に使われてきたシェンカー理論(楽典、和声論、対位法等の従来の音楽理論を総合して楽曲を俯瞰し、その楽曲を構成する基本的な動線、骨格や構造を浮かび上がらせることで、その作曲意図を詳らかにする方法論)では無調音楽の分析を行うことはできなくなったので、それに代わる音楽分析の手法としてピッチクラス・セット理論(楽典、和声論、対位法等の従来の音楽理論を使えないことから、12音を等価として扱うことを前提として同じ音名の音を同じ数字で表記し(ピッチクラス)、その数字で表記される音の組み合わせパターン(セット)を使って楽曲を俯瞰し、その楽曲を構成する基本的な動線、骨格や構造を浮かび上がらせることで、その作曲意図を詳らかにする方法論....例えば、ドを「0」とし、そこからピアノの鍵盤に従って12音に順番に数字を割り振ると、シ♭・ラ・ド・シの音列(=BACHの主題は重複する音名なし)は「10(A)・9・0・11(B)」と表記され、このピッチクラス・セットを1つの手掛りとしてその楽曲を構成する基本的な動線、骨格や構造等を分析)が登場します。詳しくは以下の著書をご参照下さい。なお、シェーンベルクは、表現主義の画家としても知られ、その弟子のアルバン・ベクルをモデルにした肖像画「作曲家アルバン・ベルクの肖像」1910年作)を描いています。その作風は写実性よりも特徴的なフォルムや色彩を利用して対象の内面を描き出そうとするもので、葛飾北斎喜多川歌麿東洲斎写楽など日本の絵師が写実性ではなく心象風景を重視し平面的な構成のなかでデフォルメした造形や色彩を利用して絵を描く伝統(外観を描く印象主義だけではなく内面を描く表現主義にも近い測面)と相通じるものが感じられますので、アルバンベルクの創作活動に何らかの影響を与えていた可能性もあり興味深いです。

▼芸術表現の可能性を拡げた解放軍
時代の価値観への挑戦 時代の価値観を刷新 代表的な芸術家
写実の呪縛からの解放
=写実性を重視しない
浮世絵の影響
印象主義
(外観を描く)
マネなど
ドビュッシーなど
象徴主義
(内面を具体的に描く)
モローなど
ワーグナーなど
表現主義
(内面を抽象的に描く)
ムンクなど
シェーンベルクなど
調性の呪縛からの解放
=不協和を自由に使用
不協和音程の予備を不要
(調性音楽)
モンテベルディなど
不協和音程の解決を不要
(無調音楽)
シェーンベルクなど
*6 ※は音楽における象徴主義印象主義)、表現主義の分類

  

 現代は、あらゆるものから解放されて却って手掛りを見失い手詰り感がある状態ですが、人工知能(AI)やロボット工学によるイノベーションによって、その人間の限界を超える試みが始められています。単に、人間が作曲し又は演奏した音楽の構造やパターン等を学習し、それらの素材を数学的に処理して別の音楽を作曲し又は演奏する人工知能(AI)やロボットを開発するだけではその意義は乏しく、人間とは異なる発想から全く新しい音楽を創造し又は全く新しい表現で演奏する人工知能(AI)やロボットを開発するのでなければ、その恩恵は極めて限定的なものになってしまいます。近い将来、芸術の分野でも人間の限界を超えるような創造性を発揮し、人類に新しい地平を切り開くような芸術体験をもたらしてくれる人工知能(AI)やロボットの開発を期待したいです。尤も、光が強ければ影を濃くするのが道理なので、その点への慎重な検討、配慮も欠かせませんが…。

 

◆おまけ

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」でお馴染みの「ドレミの歌」はグイドが聖歌隊に「聖ヨハネ賛歌」を指導するために考案した階名唱法(ソルミゼーション)が原形になっています。なお、日本では、主イエス・キリストが3時のおやつに化けて、最初のドはDonut(ドーナツ)の「Do」になっていますが、これは日本でドレミの歌を広めたペギー葉山さんが食べたかった3時のおやつから採られているそうです。因みに、文明堂のCMでもお馴染みの3時のおやつは「御八つ」と書き、江戸時代の八つ時(PM3時頃)を意味する言葉が由来になっていますが、1日の中でPM3時頃が脂肪細胞に脂肪を溜め込む働きをするタンパク質の量が最も少なくなる時間帯だそうで、この時間帯の間食は太り難いそうです。心の不協和が解決し難い時代に、その不協和を少しでも解決するために、3時のおやつで少し贅沢な時間を過ごてみるのも良いかもしれません。


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オペラは16世紀末にフィレンツェで発明された音楽劇ですが、ペーリ、カッチーニやモンデヴェルディなどの作曲家が相次いでオペラを作曲しています。このなかでもモンデヴェルディが作曲した歌劇「オルフェオ」は、アリアやレチタティーヴォ等の後世のオペラで使用される音楽形式が見られると共に、ライトモチーフや劇的な音楽表現等を採り入れた最初の本格的なオペラで、モンテヴェルディによってオペラが確立されたと言っても過言ではありません。


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シェーンベルクが1921年に初めて全曲を十二音技法で作曲した「ピアノのための組曲」(Op.25 )をグールドによる緊張感の張り詰めた閃き溢れる演奏でお聴き下さい。 


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人工知能「Emmy」(AIソフト)が作曲したバッハ風フーガをお聴き下さい。「人間は見聞きして判断しているのではなく、判断してから見聞きしているのである」という言葉のとおり人工知能(AI)が作曲した曲であるというバイアスがその音楽を心理的に遠ざけてしまっているのかもしれませんが、非常によく出来ている音楽ではあるものの、あくまでも「バッハ風」(人間の延長)であってバッハ(人間の限界)を超えるような音楽とは思われず、人類に新しい地平を切り開くような芸術体験をもたらしてくれるレベルには未だ程遠いという印象を拭えません。


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