ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

新年のご挨拶(その①)

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敬頌新禧。2022年は皆様にとりまして健やかな年になりますようにお祈り申し上げます。新年の挨拶には少し気が早いですが、2022年も初詣の分散参拝が呼び掛けられていますので、一足早く「幸先拝」(幸先良い新年を祈るために年内に行う初詣)を済ませるために、2022年の干支に肖って虎ノ門にある金刀比羅宮を参拝しました(金運、商売繁盛の御利益があるため、場所柄、近隣のサラリーマンの参拝が後を絶ちません)。豊臣秀吉が天下を統一した1590年に関東へ国替えとなった徳川家康は、平安京の都造りに倣って四神相応の考え方(中国の神話及び陰陽五行説において天の四方を守護する神獣とされている玄武(北方)、朱雀(南方)、青龍(東方)、白虎(西方)に相応しい地形、即ち、北方に丘陵、南方に湖沼、東方に流水、西方に大道を配置する地形が良いとする考え方)を採り入れ、北方を麹町台地、南方を江戸湾、東方を墨田川、西方を東海道に面して江戸城及びその城下街を整備していますが、東海道へと通じる江戸城外堀の西方の門を西方を守護する神獣である白虎に肖って「虎ノ門」と命名しています。因みに、幕末の会津戦争会津藩が洋式兵制で編成した藩兵を年齢に応じて4つの部隊に分け、それぞれの部隊に四神の名前(50歳以上の部隊に玄武隊、36歳以上の部隊に青龍隊、18歳以上の部隊に朱雀隊、17歳以下の部隊に白虎隊)を命名しています。このように四神相応の考え方を採り入れたものは多く、例えば、横浜中華街では、北方に玄武門(門柱色は黒)南方に朱雀門(門柱色は赤)東方に朝陽門(門柱色は青)西方に延平門(門柱色は白)を配置し、また、大相撲の土俵にある四房は四神の色(横浜中華街の門柱と同色)に対応しており五穀豊穰を祈念しています。なお、明治政府は、陰陽五行説において天の中央を守護する霊獣とされている麒麟の像を五街道の起点である日本橋に設置しましたが(映画「麒麟の翼」)、麒麟及び四神を合せて五神と言います。また、東京スカイツリーのライティングのうち、「青」は東方(墨田川)を守護する神獣である青龍を象徴しており「粋」を表現しています。同じく「紫」は北方の神獣である玄武の色「黒」と南方の神獣である朱雀の色「赤」を混ぜた色で太極(帝王=天皇が鎮座する場所)を象徴しており「雅」を表現しています。
 
金刀比羅宮虎ノ門)(東京都港区虎ノ門1-2-7
②虎門跡碑(東京都港区虎ノ門1-1-28
③鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町川島1898
金刀比羅宮虎ノ門)/虎ノ門琴平タワーの敷地内にある金刀比羅宮の鳥居には、四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)があしらわれています。 ①白虎(金刀比羅宮)/金刀比羅宮の鳥居にあしらわれている四神のうち、今年の干支でもあり江戸城虎ノ門の名前の由来にもなっている白虎です。 ②虎門跡碑/江戸城虎ノ門肥前国佐賀藩主・鍋島勝茂によって築かれましたが、その跡地には虎門跡碑が建立され、虎の像があしらわれています。 ③鬼鎮神社/関東で唯一、鬼を祀る神社です。鬼門は丑寅の方角(北東)なので、鬼の角は牛(丑)の角、鬼の牙は虎(寅)の牙と言われています。 ③金棒のお守り(鬼鎮神社)/鬼鎮神社の境内には鬼の金棒が祀られています。また、鬼鎮神社には宮熾仁親王の揮毫による扁額が掲出されています。
 
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やがて「陰陽五行説」と「十二支」(地球から肉眼で最も大きく見える太陽系の惑星「木星」が黄道12星座を1年に1つ進み、12年の周期で元の星座に戻るので、その周期に従って12進数で年、月、日、時刻や方位を把握する考え方)が結び付いて、お馴染みの「干支方位神」(下図参照)へと発展します。陰陽五行説では、北東は鬼(邪気)が出入りする不吉な方角とされ、「鬼門」と言われています。鬼門は、十二支の「丑寅」の方位になることから、鬼は「丑(牛)の角」及び「寅(虎)の牙」を持ち、「寅(虎)の皮」のパンツを履いていると言われています。そこで、ゆく年の干支の「丑」とくる年の干支の「寅」に因み、関東で唯一、鬼を祀る鬼鎮神社を参拝しました。鬼鎮神社は武蔵国を本貫地とする畠山氏が鬼門の厄除けとして創建し、金棒を持った鬼の像を奉納したことが始まりとされており、現在でも勝利の神様として鬼を祀り、節分では「福は内、鬼は内、悪魔は外」という独特の掛け声がかけられるそうです。また、陰陽五行説では、鬼門の反対側である南西の方角を「裏鬼門」(人門)と言いますが、この方位に神使である猿(因みに、孫悟空道教の神)の置物等を置くと鬼門の厄除けになるとされています。この点、裏鬼門は、十二支の「羊申」の方位になりますが、陰陽五行説では、羊の方角を守護する朱雀は夏の象徴とされ、夏に収穫される五穀の「」(きび)が体の養生に良いとされています。また、申の方角を守護する白虎は秋の象徴とされ、秋に収穫される五果の「」が体の養生に良いとされています。ここから」太郎が「」団子を携えて鬼退治に行くという昔話を着想し、十二支の「羊」(=)に続く「」(=猿)、「」(=雉)、「」(=犬)を従えて鬼退治を成し遂げるというファンタジー性に優れた干支方位神の物語が完成したようです。昔から鬼は疫病の原因として恐れられていましたが、その辺にいる動物を使って鬼を退治する桃太郎は頼もしい存在として民衆の圧倒的な支持を得ていたのではないかと思います。日本人は鬼を追い払うことに熱心だったようですが、旧暦の大晦日(旧暦の12月は丑、旧暦の1月は寅が割り当てられ、その丑寅の方位が鬼門)に豆(=魔滅)を撒いて鬼を家の外へと追い払い、旧暦の元旦に歳神様を家の内へと迎え入れるための準備を整える儀式が盛んに行われてきました。最近では、鬼(=疫病)を追い払うために裏鬼門にアマビエの置物を置く家もあるそうです。因みに、くる年に生誕100周年を迎える漫画家・水木しげるの代表作であるTVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」(第5作第26話)(鬼太郎は鬼ではなく一つ目小僧の妖怪)でもアマビエが登場し、砂かけ婆にかけられた呪いを解くために大活躍するという物語が話題になっています。ところで、「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という格言がありますが、虎皮のパンツを着用している鬼のイメージは戦後に確立され、それがTVアニメ「うる星やつら」ではブラジャーやブーツまで虎柄で統一されるなど鬼のイメージにも各時代の趣味が色濃く反映されています。この点、室町時代以前の日本絵画に描かれている鬼は単色の褌、腰巻、袴を着用していましたが、江戸時代の日本絵画に描かれている鬼から虎皮の褌、腰巻、袴を着用するようになります。江戸時代の日本人はパンツを着用する習慣はなく、基本的に、男性は褌や腰巻、女性はノーパンや腰巻が主流であった世相を反映しています。明治維新後に欧米からパンツが輸入されると、明治4年に岩倉具視の欧米視察に随行した津田梅子が日本人の女性で初めてパンツを着用しますが、その後も日本ではパンツの着用が定着せず、昭和7年に発生した日本橋白木屋百貨店の火災では多くの女性がノーパンであったことから着物の裾が捲れ上がることを恥ずかしがり命綱を手放して転落死する人が続出したと言われています。この火災を契機として、漸く日本でも女性がパンツを着用する習慣が広まります。その一方、男性は、この事件後も褌やノーパンが主流でしたが、戦後に洋装が普及したことでパンツを着用する習慣が定着したと言われており、この頃に鬼も虎皮のパンツを着用する現代のスタイルが定着するようになったと考えられます。因みに、欧米では、早くから男性はパンツを着用していましたが、女性が男性の服装を真似ることは神の摂理に反して悪魔的であるという理由からノーパンだったようです。しかし、フランス革命を契機として、女性がコルセット(キリスト教では、女性の胸の谷間を悪魔の隠れ家と呼び、女性の胸の膨らみはハシタナイとして胸を締めつけるためのコルセットが誕生)に異を唱えると共に、衛生上の問題や乗馬で洋服が捲れ上がってしまう不都合等があったことから、コルセットの着用を止め、パンツを着用する習慣が徐々に生まれ、とりわけポール・ポワレやココ・シャネルが女性の服装からコルセットを取り外したこと(映画「ココ・シャネル」)が契機となって一般に普及したと言われています。前回のブログ記事で2013年までフランスには女性のズボン着用を禁止する条例が存在していたことに触れましたが(最近、日本でも学校制服で女子生徒はスカート、男子生徒はズボンを指定する慣行を見直す動きが進んでいるそうですが)、現代人の目から見ると随分と滑稽なジェンダー・バイアスが存在していたことが分かります(SDGs:GOAL5)。
 
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知識
 
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干支方位神から生まれた桃太郎の鬼退治と江戸の刻
 
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干支方位神を規律する四思想
 
用語 意味
四神 中国の神話で天の四方を守護する伝説の神獣である「玄武」(黒)「青龍」(青)「朱雀」(赤)、「白虎」(白)のこと。なお、中央を守護する伝説の霊獣である「麒麟」(黄)を加えて五神と言います。

※四神と四季を組み合わせて、何もないところから、芽が吹き、実が成り、実が熟れるまでを人生の四季に準えた言葉が生まれます。
方位 四神 四季 人生の四季
玄冬:少年期
青春:青年期
朱夏:壮年期
西 白秋:壮年期
※「青春」という言葉は上記が語源。
北原白秋の「白秋」という雅号は上記が語源。
※幕末の会津戦争藩士の年齢に応じて4つの部隊に編成されますが、それぞれの年齢層に足りないものを補うために上記の人生の四季とは逆順に命名
陰陽道 宇宙の万物の生成は「」と「」の組合せであるという考え方。偶数は割り切れること(=別れる、死)から縁起が悪いので「陰」、奇数は割り切れないこと(=別れない、生)から縁起が良いので「陽」となります。

陰陽道に従って奇数が並ぶ日又は奇数の年齢は縁起の良いとして祝う風習が生まれます。
節目 慶事
五節句 1月7日(人日の節句 無病息災と五穀豊穣を祈る。
3月3日(上巳の節句 女児の健康な成長を祈る。
5月5日(端午の節句 男児の健康な成長を祈る。
7月7日(七夕の節句 星に願い事を祈る。
9月9日(重陽節句 不老長寿を祈る。
七五三 11月15日 子供の長寿と幸福を祈る。
重陽節句は「菊の日」とれていますが、江戸時代は男色文化が盛んであったことから、菊が重なるにかけて「男色の日」ともされています。
五行説 宇宙の万物の変転は「」「」「」「」「」の五要素で行われるという考え方。なお、地球から肉眼で確認できる太陽系の惑星の五星は、この五要素から命名

五行説に従って体を養生するために必要な五要素である五つの穀物と五つの果実。
五行
五穀
五果
※「五穀豊穣」という言葉は上記が語源。
十二支 地球から肉眼で最も大きく見える太陽系の惑星である「木星」(ジュピター=ギリシャ神話の最高神ゼウス)は、黄道12星座を1年に1つずつ進み、12年の周期で元の星座に戻るので、その周期に従って12進数で年、月、日、時刻や方位を把握する考え方。

※12進数で年、時刻や方位を把握するにあたって自然界の輪廻転生を表す言葉である「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」が割り当てられますが(「漢書 律暦志」)、日本ではそれらを分かり易くするために動物の名前に置換。
 
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陰陽五行説では、「」は「」(邪気、死)が集まったものと考えられていますが、(諸説ありますが)鬼という言葉は物陰に隠れて姿を顕わさない(目には見えないもの)という意味の「隠」(おん)が語源であると言われています(和名類聚抄(巻二))。また、死を象徴する言葉の「陰」(おん)が転訛して鬼になったとも考えられています(日本釈名(巻之中))。人間は、疫病、飢饉や天変地異など人知の及ばない自然の不条理に対し、人を食べる(即ち、人を殺す)異端者としての「鬼」を観念し、それを物語、儀式、芸能、木像や絵馬等に可視化して取り除くこと(例えば、鬼を退治し(桃太郎)、鬼を追い払い(節分)又は鬼を祀る(鬼鎮神社)など)で災難が収まるという共同幻想を抱くことで社会不安を和らげる知恵を働かせてきたと思われます。古来、鬼は、人里近くの山奥や離島等に隠れ棲み、夜になると辻、橋や門など異界との接点と考えられていた場所に現れる(百鬼夜行)と観念されてきましたが、何故、人間は目に見えないもの(隠)を想像し、また、何故、それは暗闇や死期等から生じる不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)と結びついていることが多いのか、これまで神秘やロマンの領域として片付けられてきた問題について、脳科学や心理学の分野の研究が進み、徐々に、その原理が解き明かされています。この点、脳科学では、人間が知覚している世界は、外部に存在する客観的な世界(現実)を忠実に反映したものではなく、人間の脳が作り上げた主観的な世界(虚構)であると考えられています。例えば、同じ洋服に光(無色)の当て方を変えて見ると異なった色の洋服として認知されるという実験結果がありますが、洋服の色(外部に存在する客観的な世界)は変化していませんので、人間の認知(様々な波長の光の合成を知覚して、人間の脳が作り上げた主観的な世界)が変化していることになります。この実験結果によれば、人間の認知能力は非常に精度が低いとも言えそうですが、単に外部に存在する客観的な世界を知覚するだけではなく(自然は人間を騙す)、様々な可能性を模索するために人間の知覚に弾力性を持たせることで生物としての生存可能性を高めているとも言えそうですし、また、人間の多様性や創造性(ひいては進化)を育むうえで非常に重要な機能を担っているとも言えそうです。チューリヒ大学のピーター・ブルッガー博士の研究結果によれば、人間の脳は、その生存本能(即ち、不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態)によって、限られた情報から素早く結論を引き出す必要に迫られ、時に、外部に存在しないもの(隠)を認知してしまうこと(シミュラクラ現象があるそうです。例えば、人間の脳は、他人の顔に表れる非友好的な表情を見分ける能力に優れていますが、その能力が過剰に働いて様々なものを人間の顔であると認知してしまうことがあるそうです。また、人間の脳は、他人の行動の背後にある理由を洞察することに優れていますが(芸術鑑賞に欠かせない能力)、その能力が過剰に働いて全く意味のない現象や刺激に意味(気配)を認知してしまうこと(代理検出装置)があるそうで、超常的な体験をしたことがある人(即ち、これらの能力が過剰に働いたと考えられる人)の脳を調査したところ想像力を司る右脳が活発に働く傾向が顕著であることが分かっています。さらに、認知症患者に幻視や幻聴等の症状が出易いことが確認されていますが、その原因として視覚や空間認識等の機能低下で感覚器官を通して収集される外部の情報が圧倒的に不足し、脳が外部に存在するものを認知することが困難になり(これに伴う不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態)、それを補うために脳の予測機能が働いて幻覚や幻聴等(即ち、本来、感覚器官を通して収集されるはずの外部の情報)を作り出してしまうのではないかと考えられています。前者は能力の過剰な稼働、後者は情報の圧倒的な不足という原因で想像力を司る右脳が活発に働いて外部に存在しないもの(隠)を認知したものと考えられます。映画「ワールド・トレード・センター」では、暗闇の中で死の恐怖に晒される消防隊員がイエス・キリストや愛妻の幻覚を見るシーンが登場しますが、これも同様の理由から想像力を司る右脳が活発に働いたものではないかと思われます。さらに、スイス連邦工科大学のオーラフ・ブランク博士及びジュリオ・ログニニ博士の研究結果及び実験結果によれば、人間の脳は、その認知能力を超える異常な状態(例えば、統合失調症により受動的な感覚(例えば、見る、聞くなど)と能動的な感覚(例えば、話す、動くなど)の間にズレが生じるなど)に陥ると、自ら認知可能な状態に戻すための妄想(例えば、自らの動作を第三者(人ならぬ者を含む)の動作であると認知し(幻覚)、又は自らの心の声を第三者(人ならぬ者を含む)の声であると認知する(幻聴)など)を作り出してしまうことがあるそうです。このように脳は不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態で目に見えないもの(隠)を想像し、それを幻覚や幻聴等として知覚する(脳が自分を騙す)ことで不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態を解消しようとする傾向があると考えられ、(個人差はあると思いますが)そのような体験が経験知として社会に集積されて鬼のような共同幻想認知バイアスを含む)を生み出すのではないかと考えられます。
 
 
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このような脳の働きは、目に見えないもの(隠)を創造し、それを誰もが知覚できる形で再現する芸術表現にも類似していると思います。但し、芸術表現は、超常体験のように不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)等を契機とするものは少なく創作意欲や表現意欲等のプラスの感情(陽)等を契機として行われるものが多い点や、超常体験のように必ずしも他人に伝わる必要がないものではなく他人に伝わる必要があるものである点で大きな違いがあると思います。この点、PTNA(全日本ピアノ指導者協会)のWEBページで脳の働きと芸術活動の関係に関する面白い記事が掲載されていたので、これに関係する話題に少し触れてみたいと思います。人間の脳による創造的な営為には発散的思考(思考を拡大する能力)と収束的思考(思考を集約する能力)の2種類があり、前者は芸術的な創造性や統合失調的な傾向と関係があり、後者は科学的な創造性や抑うつ的な傾向と関係があると言われており、芸術的な創造性に優れている人は発散的思考が活発で物事を様々な方法で組み合わせることが得意であるという研究結果があります。この点、上述のとおり、人間が知覚している世界は、外部に存在する客観的な世界(現実)を忠実に反映したものではなく、人間の脳が作り上げた主観的な世界(虚構)であると考えられていますが、それは人間の脳が感覚器官を通して収集された情報を基に外部に存在するものを認知する機能と学習や記憶により脳内に蓄積された過去の経験や知識等を基に予測や想像等を行って外部に存在しないものを創造する機能を持っていることが関係していると考えられています。即ち、人間の脳には、これらの機能に基づいて作られた情報(料理に譬えれば、素材)をニューロンの可塑性(=シナプスの結合を自在に組み替えて脳内の情報ネットワークを構築し直す力)を利用して空間軸(=視覚、聴覚、触覚等の感覚)及び時間軸(=過去の記憶、現在の認知、未来の予測)で自由に組み合わせ(料理に譬えれば、調理)ながら新しいものを創造(表現)する能力が備わっており、そのため動物的な認知機能を上回る知性を有していると考えられています。これらの機能に基づいて作られた情報を空間軸や時間軸で自由に組み合わせて新しいものを創造(表現)する営為が発散的思考であり(リベラルアーツの有用性)、その多様な組合せが得意な人が芸術的な創造性に優れている人だと考えられます。このことは、世阿弥が「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」(風姿花伝)と語っている言葉に表れていると思います。この発散的思考による多様な組合せを自発的な要因(創作意欲、表現意欲等)で行っているのが芸術表現であり、環境的な要因(能力の過剰な稼働、情報の圧倒的な不足等)で無意識的に行われているのが超常体験なのだろうと思います。上述のとおり、統合失調症により受動的な感覚と能動的な感覚の間にズレが生じる例のように精神疾患が独創的な組合せを偶然に生み出す可能性もありますが、芸術表現として成立するためには、単に多様な組合せを生み出すだけでは足りず、その多様な組合せに込められた創作意欲や表現意欲等の意図が他人に伝わり得る方法で表現されているものでなければならないと考えられます。このことは、武満徹が「いかに異質のものを共存させるか(中略)ということが芸術というものの意味であると思います。しかもそれが感覚的な手段にたよってのみなされては、また、ならないのです。なぜなら、芸術はまた人間の科学であり、強靭な論理性をもたなければなりません。」(音楽の余白から)という言葉に尽くされていると思います。これらのことを観客の立場から捉え直せば、人間の脳は学習と記憶を通して成長する器官であることを前提として、新しい組合せや巧みな組合せなどに注意を向けて学習及び記憶しようとする行為(ニューロンの可塑性が活発に促されている状態)が芸術体験であると考えられ、逆に、古い組合せや拙い組合せなどは学習及び記憶する必要が低いので注意を向けようとせず(ニューロンの可塑性があまり促されていない状態)、これが「飽きる」「つまらない」ということなのだろうと思います。また、ニューロンの可塑性が活発に働く観客は、新しい組合せや巧みな組合せなど(例えば、音の組合せが予定調和の範囲内に限られる調性音楽)に留まらず、より斬新な組合せや独創的な組合せなど(例えば、より複雑な音の組合せが可能な無調音楽)を学習及び記憶する能力に優れている可能性があり、より複雑になって行く音楽の発展と人間の脳の関係を垣間見ることができるのではないかと思います。過去のブログ記事でも触れましたが、作曲家・中田ヤスタカポリリズムの技法を使ったPerfumeの「ポリリズム」をリリースするにあたり「今の若い世代はどんどん新しいものを取り入れるから、若い子の音を聴いてそれに合わせるのでは遅い。クリエイター側はそれより先のことを考えて作るくらいでないとダメだ。」と反対する関係者を説得したという有名な逸話がありますが、往々にして時代の正解は若い世代の感性の中にあり、(若い世代に比べてニューロンの可塑性が衰えて新しいことを吸収し難くなっている)年配者は若い世代の斬新な試みを邪魔しないというスタンスが肝要であるということなのかもしれません。

 

 
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正月から鬼の話題ばかりで恐縮すが、鬼を扱った芸術作品の代表例を挙げておきます。能「鉄輪」は、ある都の女(宇治の橋姫がモデル)が自分を捨て後妻を娶った元夫に対する嫉妬心に身を焦がし、その元夫へ怨みを晴らそうと貴船神社へ「丑の刻参り」をするうち、その情念()が祟って「」になり元夫と後妻を呪おうとしますが、ついには神力で退治されるという話です。いつまでも執心に囚われていると心に「」れている「」が呼び覚まされて身を亡ぼすという教訓ですが、例えば、「仕事の鬼」という言葉のように過度な執心は身の為にならないという現代にも相通じるものがあるようにも思われます。貴船神社には「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が降臨したという伝承があったことから、丑の刻に貴船神社へ参詣すると願い事が叶うと言われてきましたが、それが呪い事も叶うとして信じられるようになり、鉄輪(ガスコンロにある鍋を置くための脚が付いている金具)に蝋燭を立て頭に被り(鬼の角)、丑の刻に貴船神社を参詣して御神木に釘で藁人形を打ち付けるという呪詛の儀式が行われてきました。なお、「丑三つ時」とは丑の刻を四つに分割した三つ目の時間帯(午前2時00分から午前2時30分)を指し、陰陽五行説では鬼門と同じ北東の方角を意味する丑三つ時に鬼門が開いて死者や魔物が顕在するとされてきました。この点、草木も眠る丑三つ時と言いますが、暗闇や静寂に包まれる丑三つ時は脳が外部に存在するものを認知することが困難となり(これに伴う不安や恐怖等のマイナスの感情()に満たされた状態)、それを補うために脳の予測機能が働いて(即ち、感性が研ぎ澄まされた状態で)目に見えないもの()を幻想させるのかもしれません。現代では、藁人形による呪詛で殺人罪等に問われることはありませんが、脅迫罪に問われた事件はあります。ご参考にして下さい。因みに、江戸時代、参勤交代等で江戸から日没前に次の宿場町東海道では戸塚宿)へ着くために東海道の起点である日本橋を七つ刻(午前4時頃)に出発する必要があったことから、これを「日本橋七つ立ち」と呼んでいました。また、江戸時代、未だ1日2食が当たり前であった時代に八つ刻(15時前後)に間食(軽食)をとる習慣があり(1日3食の習慣は明暦の大火で江戸の街の復旧工事に当たった職人が精力を付けるために1日3食にしたのが始まり)、明治時代になって3時のおやつ(御八つ)という習慣として受け継がれています。
 
 
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鬼鎮神社では、節分に「福は内、鬼は内、悪魔は外」という独特の掛け声がかけられますが、日本の鬼に相当する悪魔が西洋の芸術作品においてどのように表現されているのかも挙げておきたいと思います。神の栄光のための音楽(殆どの自筆譜に「SDG」(Soli Deo Gloriaの略)とサインされていますので、当世流に言えば「SDGs」な音楽)を書いたバッハは、悪魔の修辞にも卓抜したものが感じられます。バッハは、現代に伝わるスタイルの「丑の刻参り」が確立した江戸時代と同時代に活躍した作曲家ですが、日本では陰陽五行説に従って神に対置する存在として鬼が観念されたように、西洋ではキリスト教に従って神に対置する存在として悪魔が観念されました。過去のブログ記事でも触れましたが、中世のキリスト教では、調和のとれた完全な世界を表す協和音は神の世界を体現するものであり、調和のとれない不完全な世界を表す不協和音は悪魔の世界を体現するものであると考えられ、不協和音の中でも最も不快な響きを持つ「三全音」(三つの隣接する全音を跨る音程)は理性を乱す音程として「悪魔の音程」と呼び、教会音楽のメロディーラインへの使用を禁止しましたが、ルネッサンス時代に入るとキリスト教的な価値観である神聖性(理性)からギリシャ神話的な価値観である人間性(本能)への回復が試みられるようになり(パラダイムシフト)、バロック時代には教会音楽のメロディーラインにも三全音が使用されるようになりました。その先鋭的な存在であるバッハは、キリスト教会で演奏されることを前提として作曲した宗教音楽で悪魔、罪や死の修辞として三全音を効果的に使用しています。例えば、バッハ作曲の教会カンタータ第19番(BWV19)の冒頭合唱では、聖ミカエルが率いる天使の群れ(Schar)が大蛇や龍になって天に攻め寄せる悪魔と闘う場面が描かれていますが、第69小節(【譜例1】)では天使の群れを象徴する十六分音符及び悪魔を象徴する三全音が散りばめられ、天使の群れと悪魔が闘う様子が音楽的に活写されています。また、バッハ作曲のヨハネ受難曲(BWV245)の冒頭楽章では、受難の成就によるイエス・キリストの栄光を讃えていますが、第11小節(【譜例2】)から三全音が連続し、ユダの裏切り(ユダの心に潜む悪魔)によって受難(贖罪)が迫っていることを暗示しています。この他にも、バッハは教会カンタータ第4番(BWV4)教会カンタータ第60番(BWV60)マタイ受難曲(244)等の宗教音楽でも三全音を効果的に使用しています。ヨハネ受難曲の冒頭合唱に代表されるようにバッハの音楽は前衛的な響きを持つものも少なくなく、その音の組合せの革新性がバッハの音楽を陳腐化させず、現代人が聴いても新鮮な驚きに満ちていると感じられる音楽であり続けさせているのではないかと思されますが、この独特な感興はバッハの音楽が現代人のニューロンの可塑性を活発に促しているためではないかと考えられます。
 
【譜例1】(バッハ作曲/教会カンタータ第19番(BWV19)/第68小節~)
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【譜例2】(バッハ作曲/ヨハネ受難曲(BWV245)/第9小節~)
 
最後に、2022年で生誕100年を迎える水木しげるの代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」(上述のとおり鬼太郎は鬼ではなく一つ目小僧の妖怪)には、鬼(牛鬼さざえ鬼など)や悪魔(ルキフェル(ルシファー)、メフィストメフィストフェレス)など)が登場し、そのテーマ曲には三全音が効果的に使用されています。冒頭の「、ゲ、ゲゲゲのゲー♩」の歌い出しで赤字の音(D)と青字の音(Gシャープ)は三全音の関係になり不気味さを醸し出しています。なお、生誕100年を記念して水木しげるの出身地である島根県松江市ゲゲゲの鬼太郎の発祥地である東京都調布市では様々なイベントが企画されているようなので、「目がない人」には楽しい1年になりそうです。
 
▼2022年がアニバーサリー(節度ある50年刻み)なもの
◆音楽家
シュッツ 没後350年
フランク 生誕200年
ヴォーン=ウィリアムズ 生誕150年
スクリャービン 生誕150年
クセナキス 生誕100年
◆文学家
ホフマン 没後200年
森鴎外 没後100年
川端康成 没後50年
◆絵画家
鏑木清方 没後50年
◆漫画家
水木しげる 生誕100年
文化施設
関蝉丸神社 創建1200年(蝉丸は平安歌人&琵琶奏者)
東京国立博物館 創立150年
◆その他
沖縄本土復帰 50周年
プッチンプリン(グリコ) 発売50年(ギネス記録:累計販売個数)
資生堂 創業150年
モスバーガー 創業50年
 
◆おまけ
モーツアルト作曲/歌劇「魔笛」(K.620)
能「鉄輪」で描かれている女の情念()は、歌劇「魔笛」でもメルヘンチックなタッチで描かれています。歌劇「魔笛」は、夜の世界(悪魔の象徴)の女王が昼の世界の王(神の象徴)との間に生まれた娘(人間の象徴)を昼の世界の王の後継者に奪われたことに対する復讐心に身を焦がし、昼の世界の王の後継者へ怨みを晴らそうと殺害を企てるうち、その情念()が祟って地獄に落ちるという話です。男性社会の能楽界及び男性優位のクラシック音楽界にあって、特に女性の情念は恐ろしいということを印象付けるジェンダー・バイアスが感じられる作品とも言えそうです。
 
リスト作曲/ファウスト交響曲(S.108)
リストは、ベルリオーズからゲーテの戯曲「ファウスト」を紹介されて「ファウスト交響曲」の作曲を着想します。「ファウスト交響曲」には「3人の人物描写による」という副題が付されていますが、その第三楽章は悪魔「メフィストフェレス」を題材とし、第8小節(【譜例3】)から全音が連続し、徐々に、ファウストの心に悪魔「メフィストフェレス」が影を落として行く様子が描かれています。第三楽章では、第一楽章で提示されたファウストの主題が歪に変形して登場しますが、鬼と同様に人間の心にれている悪魔が本性を表すということなのかもしれません。
【譜例3】(リスト作曲/ファウスト交響曲/第8小節~)
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ヘンデル作曲/オラトリオ「エジプトのイスラエル人」(HWV54)
正月から悪魔を題材とした曲ばかりでは魔が差しますので、邪気払いに健康的な神を讃える終曲合唱をアップしておきます。旧約聖書出エジプト記」をテキストにしていますが、グノー作曲の歌劇「ファウスト」の1場面「金の子牛の歌」(異教の神=悪魔)も「出エジプト記」を題材にしています。また、南北戦争奴隷解放運動ではアメリカ南部から脱出する黒人労働者の姿と「出エジプト記」でエジプトから脱出するヘブライ人の姿を重ねて「出エジプト記」の一部を歌う黒人霊歌「Go Down Moses」が作曲され、それがゴスペルクラシック音楽に編曲されています。