ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

Jazz文楽「涅槃に行った猫」✕人形メディア学とオペラ「ホフマン物語」✕人工生命学とキズナアイ<STOP WAR IN UKRAINE>

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去る3月3日は上巳の節句(俗に桃の節句)でした。日本では、女児の健康な成長と幸福を祈って「立春」(2022年2月4日)から「啓蟄」(2022年3月5日)まで「雛人形」を飾る風習がありますが、日本の人形文化とお釈迦様の命日(3月15日)に因んでJazz、ミュージカル、伝統邦楽及び文楽を融合したJazz文楽「涅槃に行った猫」を鑑賞しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。日本の人形文化は歴史が古く、縄文時代から「土偶信仰」(人形の土偶を神の依り代と捉え、地母神として崇める風習)があり、中国から「上巳の節句」(3月上巳の季節の節目に水辺で心身を清める風習)が伝来すると、奈良時代の「身代信仰」(藁や紙で作った人形に災厄を移し、それを川に流して厄払いする風習)へと発展します(祈りのための人形)。その後、平安時代には貴族の子女が紙の人形を飾り遊ぶ「ひいな遊び」が流行し、その様子が「源氏物語」や「枕草子」にも登場しています(遊びのための人形)。
 
源氏物語第十二帖「須磨」/第二段「上巳の祓と嵐」
弥生の朔日に出で来たる巳の日、(中略)陰陽師召して、祓へせさせたまふ。舟にことことしき人形乗せて流す(後略)
 
源氏物語五帖「若紫」/第5段「翌日、迎えの人々と共に帰京」
(前略)、「いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず(後略)
 
◆枕草紙第二七段「過ぎにし方恋しきもの」
過ぎにし方恋しきもの。枯れたる葵。雛あそびの調度。(後略)
 
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平安時代(1087年)に大江匡房著「傀儡子記」には、大陸から渡来したジプシーが芸能で生計を営む集団になり、その一部は寺社に抱えられた日本初の職業芸能人になっていた様子が記されています。とりわけ西宮神社に散所民(労務を提供する代わりに年貢が免除された浮浪生活者)として抱えられていた人形遣いのことを「傀儡子」(傀儡とは操り人形のことで、傀儡政権の語源になっています。)と呼び、西宮神社の神事として戎(えびす)舞等を演じていましたが、それが全国に広がり人形芝居として発展します(鑑賞のための人形)。なお、西宮神社には傀儡子の始祖とされる百太夫を祀る百太夫神社があり、2003年から世界無形資産に指定されている人形浄瑠璃文楽)発祥の地と言われています。女性の傀儡子は傀儡女と呼ばれ、歌や売春を生業としていましたが(芸者の祖先)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場している後白河天皇(法皇)は傀儡子等によって歌われている流行歌(今様)を集めた歌謡集「梁塵秘抄」を編纂しています。その後、盲僧琵琶の影響から琵琶法師が琵琶の伴奏に合わせて平家物語を物語る「平曲」が流行し、平家物語以外にも題材を求めるようになりますが、やがて琵琶法師が琵琶の伴奏によって独特の節回しで語る浄瑠璃姫物語源義経浄瑠璃姫の悲恋物語)が評判となり、その独特の節回しのことを浄瑠璃姫物語に因んで浄瑠璃(節)と呼ぶようになります。なお、浄瑠璃という言葉は、宗長日記連歌師、宗祇の弟子・宗長が1531年に記した日記)において座頭に浄瑠璃を歌わせたという記録が最古のものと言われいます。浄瑠璃という言葉は、宝石サファイアのことをサンスクリット語で「ヴァイドゥーリヤ」と呼ぶことから、その響きを真似て吠瑠璃(べい(←ヴァイ)るり(←ドゥーリヤ))と呼ぶようになって、それが浄瑠璃(じょうるり)に変化して生まれたものと言われています。やがて沢住検校が浄瑠璃を琵琶ではなく三味線の伴奏で語るようになり、浄瑠璃語りのこと「太夫」と呼ぶようになります。なお、「太夫」とは、芸能や儀式を司る中国の官位のことで、点がつく「太夫」は芸名に使い、点がつかない「大夫」は個人名に使うという伝統がありました。その後、1953年に「太夫」という芸名が「大夫」に改められましたが、2016年に「太夫」という芸名を使う伝統が復活しています。江戸時代、西宮神社に抱えられていた傀儡子が人形芝居と浄瑠璃を融合して人形浄瑠璃が確立しますが、1614年に京都御所西宮神社の夷舁き(傀儡子)が「阿弥陀胸切」という人形浄瑠璃を上演したのが最古の記録と言われています。江戸時代になると世は泰平に定まり庶民が遊興を求めるなか人形浄瑠璃が評判となり、数多くの流派(古浄瑠璃)が誕生しましたが、やがて生来の豊かな声質や豪快・明快な語り口の竹本義太夫が現れ、三味線の竹沢権右衛門と組んで人形浄瑠璃の演劇性や娯楽性を増すために抑揚のある情感豊かな節回しや腹の底から搾り出すような唸りなどを特徴とする義太夫節を生み出して人形浄瑠璃を革新し、大阪道頓堀に竹本座を旗揚げすると歌舞伎を凌ぐ人気を博します。1686年、竹本座で近松門左衛門作「出世景淸」を上演すると大盛況を博し、近松門左衛門井原西鶴等の才能豊かな戯作者に恵まれたことや1703年に竹本義太夫の弟子・豊竹若太夫が大坂道頓堀に豊竹座を旗揚げしたことなどにより江戸時代の庶民から圧倒的に支持され、義太夫節浄瑠璃の代名詞になり古浄瑠璃は衰退しました。その後、人形浄瑠璃江戸幕府の倹約政策や度重なる大火等の影響を受けたこと及び才能ある戯作者に恵まれなかったことなどから次第に凋落し、1767年に豊竹座が、1772年に竹本座が相次いで閉座します。この点、世阿弥が「能の本を書く事、この道の命なり」(風姿花伝)と述べていますが、現代のブロードウェイ・ミュージカルを見ても一部の天才的な台本作家による傑作が人気を支えているのが実情であり、どのような芸術表現であっても新しい作品を生み出しながら常に工夫を怠らずに新しい命を吹き込み続けることが肝要なのだろうと思います。そのような状況のなか、淡路島出身の植村文楽軒が大阪道頓堀に浄瑠璃稽古場を開場して人形浄瑠璃の復興に尽くし、1811年に二代目植村文楽軒が難波神社の境内に創座して人形浄瑠璃を復興します。その後、1872年に三代目植村文楽軒が御霊神社の境内に文楽を旗揚げしますが(いつしか人形浄瑠璃のことを文楽と呼ぶようになり、現在では海外でも「BUNRAKU」として親しまれています。)、丁度、2022年は文楽命名150周年にあたることから記念公演等が催されています。現在、浄瑠璃として、豪快な語り口を特徴とする大阪の義太夫節、上品で艶っぽい語り口を特徴とする京都の一中節、豪壮でありながら艶麗な語り口を特徴とする東京の常磐津節、富本節、清元節(以上、豊後三流)、新内節、宮薗節、河東節、荻江節等が伝承されています。
 
人形芝居(平安)+浄瑠璃(鎌倉)=人形浄瑠璃(室町)➟竹本座・豊竹座(義太夫節)(江戸前期)➟文楽座(江戸後期~)
 
①百太夫神社(兵庫県西宮市社家町1
②傀儡師故跡の碑(兵庫県西宮市産所町10
難波神社大阪府大阪市中央区博労町4-1-3
④御霊神社(大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3
⑤植村文楽軒の墓(円成院)(大阪府大阪市天王寺区下寺町2-2-30
太夫神社(西宮神社西宮神社の境内にあり、傀儡子の始祖である百太夫を祀る百太夫神社。 傀儡師故跡の碑、百太夫銅像/百太夫神社の旧跡地に傀儡師故跡の碑と百太夫銅像を建立。 稲荷社文楽座跡之碑(難波神社/中興の祖・植村文楽軒が難波神社の境内に創座し人形浄瑠璃を再興。 文楽座之碑(御霊神社)/植村文楽軒が御霊神社の境内に文楽座を旗揚げしてから今年で150年。 初代植村文楽軒の墓(円成院)/初代植村文楽軒(俗名、正井与兵衛)の墓が円城院に安置。
 
 
【題名】涅槃(Ne-han)に行った猫
【演目】Jazz文楽「涅槃に行った猫」
【原作】エリザベス・コーツワース著「The Cat Who Went to Heaven」(1931年ニューベリー文学賞受賞)
【脚本】ナンシー・ハーロウ(ジャズシンガー)
【作詞】ナンシー・ハーロウ(ジャズシンガー)
【作曲】ナンシー・ハーロウ(ジャズシンガー)
【演出】ウィル・ポメランツ
【出演】相模人形芝居 下中座(座長:林美禰子)
    <猫(福)>山木良介、市川博之
    <絵師(竹斎)>岡本恵、平井瑚海、松本日奈子
    <女中(お里)>早野里美、鶴貝壮啓、長嶋緑
    <住職>早野航、金窓裕太朗、高橋克明
    <村人>鈴木このは、松本淑江、斎藤秀子
    <口上>倉橋知温
    <後見>小池洋子、坂井弘美、斎藤秀子、倉橋知温、渡辺千紗
【歌手】<猫(福)>ナンシー・ハーロウ
    <絵師(竹斎)>グラディー・テート
    <女中(お里)>グリル・シャーマン
    <住職>アントン・クルコウスキー
【楽器】<Pf>ケニー・バロン
    <Bs>ジョージ・ムラーツ
    <Dr>デニス・マクレル
    <Tp>クラーク・テリー
    <Tr>ジョン・モスカ
    <Sx>チャールズ・ピロー
    <Sx>フランク・ウェス
    <Sx>チャールズ・ピロー
    <St>マーク・フェルドマン弦楽四重奏団
    <和楽器>ロニー・セルディン、高水睦
    <St>マーク・フェルドマン弦楽四重奏団
【字幕】横山眞理子、加藤美穂
【演目】文楽伽羅先代萩 政岡忠義の段」
【原作】松貫四
【演奏】<太夫>入江敦子
    <三味線>竹本土佐子
【出演】相模人形芝居 下中座(座長:林美禰子)
    <政岡>倉橋知温、坂井弘美、松本日奈子
    <栄御前>早野航、岡本恵、小池洋子
    <八汐>市川博之、山木良介、平井瑚海
    <鶴喜代>鶴貝壮啓
    <千松>高橋克明
    <菓子持ち>長嶋緑
    <口上>三上芳範
    <ツケ>林美禰子
    <後見>岸敏江、早野里美、金窓裕太朗、草柳艶子、鈴木このは、斎藤秀子
【字幕】横山眞理子、加藤美穂
【感想】ネタバレ注意!
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▼第一部:涅槃(Ne-han)に行った猫(英語上演・日本語字幕付き)
原作は、1930年にコーツワースが著した「The Cat Who Went to Heaven」で、  その翌年にアメリカで最も権威がある児童文学賞ニューベリー賞」を受賞しています。この作品は、日本を舞台に涅槃図(入滅されるお釈迦さまの姿を描いた絵画)の作成を依頼された絵師と三毛猫の交流を猫いた物語ですが、コーツワースが京都滞在時に見た京都三大涅槃図の1つである東福寺の大涅槃図(俗に、猫入り涅槃図)に着想を得て創作したものです。通常、涅槃図には猫を描かないのが習わしですが、室町時代に画家・明兆がこの大涅槃図を描いていたところ一匹の猫が運んできた絵具で見事な絵が完成し、そのお礼として猫を描いたといわれており、その希少さから魔除けの猫として縁起が良いものとされています。なお、涅槃図に猫を描かない理由としてお釈迦様の遣いである鼠の天敵であるためであるという説明が一般的ですが、昔のインドには猫が繁殖していなかったことに加えて、日本には中国から仏教が伝来する際に経典を鼠害から守るために猫が船に乗せられてきたことで初めて猫が日本に渡来したと言われており、当時、猫は希少な存在だったので貴族に限り猫の飼育が許され、枕草紙第九段には猫に官位が授与されて女官がつけられていた様子が描かれています。また、過去のブログ記事で触れましたが、源氏物語第35帖「若菜」/第2段「柏木、女三の宮の猫を預る」では猫の鳴き声を「ねう、ねう」と記しており、平安時代の日本人と現代人の日本人では脳が認識する音世界に違いがあることが分かり非常に興味深いです。その後、1602年に徳川家康が鼠害対策として猫の放飼いを奨励したことから徐々に猫が繁殖しますが、それまでは鼠害対策として希少な猫の代わりに猫の絵画が重宝されていたと言われており、涅槃図にも猫を描いて欲しいという注文が増えたというのが実際ではないかと邪推します。なお、今日3月15日(旧暦2月15日)はお釈迦様の命日にあたり、この日に寺社では涅槃会という法要が行われ、寺社が所蔵している涅槃図が公開されます。因みに、マンガ「天才バカボン」バカボンはお釈迦様のことを示す仏教用語「薄伽梵」(サンスクリット語:Bhagavan)が由来になっており、また、「レレレのおじさん」はお釈迦様の弟子・周利槃徳(お釈迦様に言われて毎日掃除に精を出しているうちに「本当に掃き清めるべきなのは自分の心の中の塵なのだ」と悟った弟子で、欧米の学校では子供達が校舎の掃除をしないのに対して日本の学校では子供達が校舎の掃除をする習慣があるのはこの教えに由来しているそうです。)がモデルで、その口癖になっている「タリラ~リララ~ン」はチベットのターラ菩薩の真言だそうです。さらに、バカボンの弟・はじめちゃんは東京大学名誉教授でインド哲学・仏教学者の中村元博士の名前に由来しているそうなので、色々な意味で非常にディープなマンガと言えそうです。(閑話休題)上述のとおり文楽人形浄瑠璃)と言えば、人形芝居と浄瑠璃義太夫節)から構成されていますが、「相模人形芝居」(国指定重要無形民俗文化財)は上方や江戸で流行していた人形浄瑠璃相模国(小田原、足柄、平塚、厚木、座間等)に伝わり民間に広まったもので、浄瑠璃義太夫や三味線)の伝承はなく人形芝居(三人遣い)のみが伝承されているため、文楽興行にあたっては義太夫協会等の協力を仰いでいるそうです。このような相模人形芝居の興行形態から、浄瑠璃に代えてJAZZを採り入れたJAZZ文楽の興行が可能になったものと考えられます。さて、JAZZ文楽「涅槃に行った猫」の感想ですが、ミュージカル公演としての完成度の高さは感じられたものの、(「文楽」と銘打つ限り)文楽公演としては大きな課題感が残るものでした。文楽は、パペット等と比べて一体の人形を3人の人形遣いが操る三人遣いに特徴があり、それによって精妙な人形の仕草が可能となり肌理細やかな心の機微を表現することができる点に大きな魅力がありますが、その反面として、人形遣い(役者の体)、義太夫(役者の声)及び三味線(役者の心)が分業されていることから人形遣い、三味線及び義太夫の息を合せること(三業一体)が求められ、義太夫節は「息で語る」と言われるように義太夫の息と人形遣いの息が合わなければ人形に命が吹き込まれず、また、三味線は「(心)模様を弾く」と言われるように三味線の息と人形遣いの息が合わなければ人形の心が延えません。この公演は、前回のブログ記事で触れたとおりクロスオーバー(ジャンルの越境)という最近の潮流を反映して、(外国の原作を使用するだけではなく)浄瑠璃に代えてJAZZミュージカル(原語上演)を採り入れた人形芝居という野心的な試みですが、単音節の言葉で構成される日本語による「語り」(物語)を主体とした台詞劇に代えて複音節の言葉で構成される英語による「歌」(音楽)を主体とした歌舞劇としたことで、ミュージシャンの息と人形遣いの息を合せることが相当に難しくなってしまっていたように感じられ、また、英語の台詞を日本語に翻訳してディスプレイしている字幕が人形への感情移入を物理的に阻害する要因になっていたことは否めず、人形芝居とJAZZミュージカルを融合するためには音楽語法、人形操法や上演形態など様々な工夫の余地がありそうです。
 
 
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▼第二部:文楽伽羅先代萩 政岡忠義の段」(日本語上演・英語字幕付き)
この演目は、1660年から1671年にかけて仙台藩主・伊達家のお家騒動(伊達騒動)を題材に時代設定を江戸時代から鎌倉時代に置き換えて脚色した歌舞伎「伽羅先代萩」及び歌舞伎「伊達競阿国戯場」を改作し、人形浄瑠璃に仕立てたものです。お家の乗っ取りを企図して幼君・鶴喜代の毒殺を謀る将軍の使者・栄御前(将軍・源頼朝の家臣・梶原景時の妻という設定。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中村獅童が演じる梶原景時源義経と対立して源頼朝に諫言していますが、既に江戸庶民には源義経に同情する判官贔屓が浸透しており、梶原景時は大悪人という世評が定着していました。)及び奸臣の女中・八汐とその陰謀から幼君を守リ抜く忠臣の乳母・政岡の息詰まる攻防を描いた「竹の間の段」、「御殿の段」及び「政岡忠義の段」が抜粋上演される機会が多い演目です。文楽や歌舞伎では、当時、実際に起こった事件等を題材にして当時の時代性を表現する傑作が数多く生み出されており、「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)という演目名もその題材となっている伊達騒動を意識し、「伽羅」(伽羅は沈香を焚く香木うちでも至宝とされる名木で、幼君・鶴喜代の父のモデル・第4代仙台藩伊達綱宗が伽羅で作った下駄を履いて吉原通いしていたという伝説に由来し、「男伊達」という言葉に端的に現れているとおり江戸庶民にとって「伊達」は男の色香(木)の代名詞でした。)+「先代萩」(萩の枕詞は宮城野=仙台ですが、先代と仙台が掛け言葉になっており先代の花である幼君・鶴喜代が仙台の花である萩に喩えられています。)から命名されています。この公演では「政岡忠義の段」のみが上演されましたが、将軍の使者・栄御前及び奸臣の女中・八汐との攻防のなか気丈に振る舞っていた忠臣の乳母・政岡が人目を忍んで幼君・鶴喜代の身代りとなり死んだ我が子・千松を抱き上げながら、母の顔に戻り、忠義のためとは言え、我が子を死に追い遣ることになった自責の念と自らの目の前で我が子を殺されたやり場のない怒りやこみ上げる悲しみなどが入り乱れる複雑な心情を切々と語るクドキでは、義太夫が声を振り絞るような哀切な語り口で「でかしゃった、でかしゃった、でかしゃった・・・」と政岡が我が子を褒める場面を語り、政岡の身を裂かれるような深い悲しみが情緒纏綿として舞台を覆い涙を誘いました。今日は、コロナ禍でソーシャルディスタンスを確保する必要性から二階席で鑑賞する羽目になり、一応、オペラグラスを持参していきましたが、人形の細かい仕草や表情を見物することが侭ならず非常に勿体ないことをしました。やはり文楽能楽の公演では、オペラや演奏会等とは異なって、人形や能面の表情を窺うために舞台を見上げる1階席(とりわけ文楽では義太夫側の席)での鑑賞が欠かせません。なお、2012年に当時の大阪市長橋本徹が市場原理を導入して文楽協会に対する補助金を削減する方針(即ち、大阪の国立文楽劇場の年間来場者が延べ10万5千人未満になった場合は、約2900万円/年の補助金を不足人数に応じて削減)を公表し、如何にも明治政府の洋化政策やGHQの占領政策の影響を色濃く受けた戦後世代の意見ではありますが「人形劇なのに人形遣いの顔が見えるのは腑に落ちない」「全体として演出やプロデュース不足だ」等の注文を付けて物議を醸したことは記憶に古くありません。この騒動は、文楽協会が補助金の使途を透明化することを条件にして大阪市文楽協会に対する補助金の削減方針を撤回して終息していますが、その後、コロナ禍前の2019年の実績では大阪の国立文楽劇場の年間来場者が延べ10万8千人に対し、大阪市から文楽協会に支給されている補助金は1967万円/年なので、年間来場者数に拘らず、大阪市から文楽協会に対する補助金は大幅に削減されています。この点、東京の国立劇場の年間来場者を加算しても年間来場者は延べ18万4千程度と少なく(天王寺動物園:168万人、東京国立博物館:160万人、江の島水族館:161万人等と比べると桁違い)、橋本徹のやり方は乱暴でしたが、日本の伝統芸能が抱えている問題は数字にも客観的に現れています。現在は社会の変革期(パラダイムシフト)の真只中にあって、その社会に息衝く文化芸術(伝統芸能を含む)も例外なく大きな変化の波に晒されています。歴史を振り返っても文化芸術は常に革新や工夫を続けるなかで新しいものを生み出してきており、文楽も人形芝居と浄瑠璃を融合して生み出され、これに義太夫節などの工夫を加えながら人気を得てきたものです。伝統芸能は完成された表現様式であると言われますが、どんなに完成された表現様式であっても変わらないために変り続ける努力や工夫を怠れば、いつか変り果ててしまいます。その意味で、今回のような相模文楽下中座の意欲的な試みは有意義なものであり、失敗を重ねても変り続ける努力や工夫を怠らない姿勢が重要なのではないかと感じます。この点、歴史上に名を残す偉大な芸術家は、「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」「住する所なきを、まず花と知るべし」(世阿弥)、「完全であること自体が不完全なのだ。」(ホロヴィッツ)、「本流から必ず亜流が出る。しかしその亜流から本流になるものも出る。それが芸術の本質だ。」(立川談志)等と表現こそ違え、皆同じことを言っています。
 
 
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毎年、立春や彼岸になると日本全国で人形供養が行われる風習がありますが、日本の古神道では「万物に神が宿る」という付喪神」信仰があり、日頃から愛用していた道具等にも神が宿っていると考えていたので、その使命を終えた道具等を供養するために埋葬した包丁塚、針塚、文塚や人形塚等が全国各地に存在します。因みに、ゲーム「刀剣乱舞」に登場する刀剣男士は刀剣に宿る「付喪神」が人間の姿に権化したという設定です。なお、キリスト教が布教された後のヨーロッパでは日本の古神道のような万物に神が宿るというアニミズム信仰はなく、また、キリスト教の教義では偶像崇拝が禁じられていましたが、それでも宗教改革前は聖像に霊力が宿ると信じられ、血の涙を流す聖母マリア像を崇敬していましたので、聖像に神性を感じていたことが窺がえます。この点、神道や仏教では人間の本性は肉体、魂、「霊」の三つの部分から成り立っており(三分法)、神とつながる霊性は人間の内側に宿るものという世界観を持っていますが、オーストリアの哲学者・シュタイナーが提唱した霊的宇宙論等によれば、キリスト教では人間の本性は肉体と魂の2つの部分から成っており(ニ分法)、キリスト教の三位一体(父と子と精霊)に象徴されるように、神とつながる霊性は人間の外側にあるものという世界観を持っています。以前のブログ記事でも触れましたが、この背景には、日本は農耕社会(主に神の恵みである作物の収穫を待つ社会)を中心に発展してきたことから肉体を依り代として神霊の憑依を待つ憑霊型シャーマニズムが広がり、キリスト教が布教される前のヨーロッパでは狩猟社会(主に神の恵みである獲物を追う社会)を中心に発展してきたことから肉体から魂が離脱して神霊を追う脱魂型シャーマニズムが広がったという歴史的及び文化的な伝統の違いがあるものと思われます。これらのことから、キリスト教が布教された後のヨーロッパでは人形に神が宿る(偶像崇拝)という考え方は好まれず、日本では人形にも神が宿る(偶像崇拝)という考え方が好まれ、それにより人形供養という日本独自の習俗が発展したものと考えられます。このような文化思想的な違いは言葉の面にも表れており、例えば、日本語の「自ら」という言葉には「みずから」(自律、人間)と「おのずから」(他律、自然)という2通りの読み方があります。この点、生老病死に象徴される自然の「おのずから」を起点(自然尊重主義)とすると、これに抗えない人間の「みずから」は自然の「おのずから」の「内」(母性社会:調和の論理)にあるという思想につながります。このことは、日本語の「自分」(みずから)という言葉が「自」(おのずから)+「分」(分けられたもの)から成り立っていることからも伺えます。その一方、人間の「みずから」を起点(人間中心主義)とすると、自然の「おのずから」はあくまでも人間の「みずから」の「外」(父性社会:支配の論理)にあるという思想につながり、これに抗うために科学を発展させてこれをコントロールしようとする発想が生まれます。欧米が新型コロナウィルスのワクチン開発を行えても、日本が新型コロナウィルスのワクチン開発を行えない理由には、日本が基礎技術に弱く革新的な技術開発を不得手としていることに加えて、このような文化思想的な背景(欧米は後者、日本は前者)もあると言えるかもしれません。このことからも、日本では「おのずから」という性格が強い「霊」を内にあるもの(調和)と捉え、西欧では「おのずから」という性格が強い「霊」を外にあるもの(支配)と捉えているのではないかと考えられます。なお、三島由紀夫は「極東の島国である日本にはオリジナルなものは何もない」と看破したうえで、日本には外から採り入れたものを洗練させて新しい価値を加えるメタモーフィズム(変成力)に優れていると語っているとおり(母性社会:調和の論理)、後述のキズナアイを含めて世界から注目されている日本のサブカルチャーも日本のメタモーフィズムから生まれたものと言えます。
 
▼人間の本性と人形の問題との関係性
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月9ドラマ「ミステリと言う勿れ」(フジテレビ系)の主題歌に起用されたKing Gnuの「カメレオン」(MV)ではマリオネット(操り人形)が登場しますが、さながら人形が白いキャンバスであるかのように撲の目に映る君はいつも捉えどころなく色変わりして行くカメレオンのようだという切ない気持ちを歌に込めています。これは人形がそれを見る人間の心理を映し出すメディアとして機能し、その心理と人形の繊細な表情や仕草等が重なることで、あたかも人形に「魂」が宿っているように感じられ、人形が「モノ」(物質、無機、死、俗等)と「魂」(精神、有機、生、聖等)の境界の狭間を揺らぐハイブリットな存在として顕在します。上述の「カメレオン」もアコースティック・サウンドとエレクトリック・サウンドを重ね合わるハイブリットな音楽創りをしており、リアルなアナログ世界とバーチャルなデジタル世界が交錯する現代の時代性を音楽的に表現しているように感じられます。その意味で、人形はそれらの境界の狭間である中間領域(あわい)に属し、人間の精神世界を拡張する機能を担っていると言えそうです。人形の歴史を紐解くと、人形が「遊びのための人形」(例えば、雛遊びという「モノ」と結び付く側面)であると同時に「祈りのための人形」(例えば、女児の健全な育成を祈るための雛人形という「魂」と結び付く側面)である例が多いのは、そのためなのだろうと思われます。この点、人形劇は、人形に「魂」が宿っているように見せるために人間の仕草に似せた精妙な人形操法により人形から「モノ」としての側面を消し去ろうとする試みですが、文楽は人形の三人遣いによる洗練された舞台表現によってこれを高次元で達成しており、後に西洋人形劇の第一人者であるヘンソンが文楽の三人遣いによる精妙な人形操法に感化されて二人以上で人形を操るマペット(マリオネットとパペットを組み合わせた造語)を考案して、これによりセサミストリートディズニー映画「ザ・マペッツ」などが生まれています。先述のオーストリアの哲学者・シュタイナーは、芸術とは感覚で捉えることができる世界における超感覚的世界の表現だと語っていますが、芸術表現等で用いられる人形は、概ね、①誰かの身代りになるもの又は②魂が宿るものに分けられます。前者の例としては先述の源氏物語第十二帖「須磨」/第二段「上巳の祓と嵐」などが挙げられ、後者の例としては映画「ほんとうのピノッキオ」ピノッキオの物語をベースにした映画「A.I.」舞踊「銘作左小刀京人形」などが挙げられます。また、今年、没後200年を迎えた作家・ホフマンの小説「砂男」を原作とするオペラ「ホフマン物語」(第2幕)バレエ「コッペリア」は、主人公が自動人形を人間と思い込んで恋をする話です。オペラ「ホフマン物語」を作曲したオッフェンバックは、この作品について「オペラ・コミック」や「グランドオペラ」など複数の版を残していますが、この作品は主人公の目には「人間のように映る人形」を人間が演じるという点が大きな見所となります。あくまでも「人間のように映る人形」でありながら「魂」は宿っていませんので、人形の「モノ」としての側面を消し去るのではなく、逆に、それをどのように舞台表現に取り込むのかが重要になります。この点、オッフェンバックは、コロラトゥーラ・ソプラノによる超絶技巧を「人間のように映る人形」に歌わせて、その発声のぎこちなさやその人間離れした技巧等により「モノ」としての側面を音楽的に表現することに成功していると思います。
 
 
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2022年2月26日、VTuberの草分け的な存在で日本だけではなく中国、韓国やアメリカなど世界各国に数多くのファンを持つバーチャル・タレント「キズナアイ(Kizuna AI)」がスーパーAIへアップデートするために無期限の活動休止(スリープ)状態に入りました。キズナアイには「中の人」(「魂」とも呼ばれています)と言われる声優・春日望のボイス・データ、モーション・データやその他のパーソナリティ・データ等が組み込まれていますが、人気を博するにつれ、声優・春日望以外の人のデータ等も組み込まれるようになったことで、キズナアイのキャラクターの統一感が保てなくなったことも活動休止の伏線になったのではないかと噂されています。この点、バーチャル・アイドルの元祖であるバーチャル・シンガー「初音ミク」とは、その性格が大きく異なっています。
 
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初音ミクは、リアル空間(三次元)に存在する人間とバーチャル空間(二次元)に電子メディアを媒介して存在するアバターが次元を超えて関係性を構築することを可能とし、人間の精神世界のみならず肉体世界をも拡張する機能を担っている点が革新的であると言えます。ご案内のとおり、初音ミクは、ユーザーが音声合成ソフトを使って歌を作成し、これにキャラクターを付与してユーザーだけの初音ミクを育成するもので、ユーザーは育ての親となり、多種多様な初音ミクがパフォーマンスを披露します。初音ミクは日本で開発されたバーチャル・アイドル(ソフトウェア)ですが、義太夫の語り及び三味線の演奏に合わせて人形遣いが人形を操ることで人形に「魂」が宿る文楽の舞台表現に影響を受けており、文楽よろしく、ユーザー(人形遣い)が自分で作成した歌に合わせて初音ミク(人形)を調教(稽古)し、これを操ることで初音ミク(人形)に「魂」が宿る舞台(バーチャルなコミュニティー)表現と言えます。これに対し、キズナアイには「中の人」のパーソナリティ・データが組み込まれ、そのキャラクターが確立している唯一無二の存在としてのキズナアイが圧倒的な支持を受けており、上述のとおり多種多様なキャラクターのキズナアイの存在(上述のカメレオン)は受容されず、それを見る人間の心理を映し出すメディア(上述の白いキャンバスたる人形)にはなり得ません。この点、人形劇は、上述のとおり人形に「魂」が宿っているように見せるために人間の仕草に似せた精妙な人形操法によって人形から「モノ」としての側面を消し去ろうとする試みですが、もはやキズナアイは「モノ」としての側面を超越した人工生命とも言うべき存在であり、人形よりも人間に近い存在と言えるかもしれません。伝統的な生物学では、①自己複製、②エネルギー代謝及び③細胞構造(外部との境界を画する構造体)を「生命」の3要件として定義しています。上述のとおり人形は上記①及び②の要件を充足していませんが、物質波理論を前提とすると、アバター有機的生命体とは異なる位相における物質的な現象として上記①乃至③の要件を充足する無機的生命体と解することも不可能ではないのではないかと思われます。最近、有機的生命体を構成する細胞やDNA等の物質そのものに囚われることなく、コンピュータ等から無機的生命体を創り出そうとする試みを通して、その背景にある生命の成り立ちや仕組みなど生命現象の普遍的な原理を探求する「人工生命」(Alife)という研究分野が注目を集めています。人工生命は自律的に進化するメタ的な生命体とも言え、その先駆的な存在としてキズナアイを位置付けることが可能かもしれませんが、現在、人工生命を実現するうえでオープンエンドな進化を創り出すことが大きな課題になっています。最近では、ディープラーニングによる効率的な学習を通して自律的に進化する人工知能(AI)と環境変化に適応して自律的だけではなく他律的にも進化する人工生命(AL)の研究成果を補完的に組み合わせる研究等も盛んになっており、その研究成果は、例えば、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のオークの襲撃シーン等にも応用され、CGアニメーションに革命的な変化をもたらしています。もし人工生命が実現すれば、初めて人類は人類以外の知的生命体に接することになりますが、これまで人類が憧憬と畏怖を持って空想していた未知の知的生命体は地球外から来訪するものではなく、人類が創造主となって自ら地球上で創造するものということになるかもしれません。これまで人間が想像力を逞しくしていた神秘の世界は、徐々に宗教や芸術の領域から科学の領域へと置き換わろうとしています。
 
 
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ウクライナ人道支援のご案内(~STOP WAR IN UKRAINE~)
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現在、以下の公的機関でウクライナ人道支援を受け付けています。
 
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全ての人々の平和を祈りつつ、ムゾルフスキーのピアノ組曲展覧会の絵」より「キーウの大門」ジョージア(グルジア)人ピアニスト・ブニアティシヴィリの演奏でお聴き下さい。2008年にロシアは新ロシア派を支援する名目でNATO加盟を模索するジョージアグルジア)に侵攻していますが、今回のウクライナ侵攻も同じ構図です。
 
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ロシア人作曲家・リャプノフがウクライナ民謡を主題にしたピアノと管弦楽のための「ウクライナの主題による狂詩曲」日本人ピアニスト・丹千尋による演奏でお聴き下さい。キエフバレエで有名な芸術の都・ウクライナは、プロコフィエフスクリャービンホロビッツリヒテル、ギレリス、オイストラフ、スターン等の巨匠を輩出しています。
 
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ロシア人作曲家・リャプノフと同時代に活躍したウクライナ人作曲家・ルイセンコのピアノのための「ウクライナの主題による組曲(Op.2)をウクライナ人ピアニスト・シェレストの演奏でお聴き下さい。なお、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者ペトレンコ(ロシア人)がロシアによるウクライナ侵攻に抗議することを表明しています。
 
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ソビエト連邦が崩壊した翌年の1992年に、ウクライナを代表する現代音楽家・スコリークが米国で作曲した二連祭壇画のための弦楽四重奏曲をVn:ヴォルコヴァ(ロシア)、Vn:オレクサンドラ(ウクライナ)、Va:エリザヴェータ(ロシア)、Cel:コベキナ(ロシア)の演奏でお聴き下さい。スコークは映画音楽でも数多くの作品を残しています。