大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

新年の挨拶(その1)と2つの演奏会(演奏会「第一回藤舎花帆リサイタル 月をめでる」と演奏会「安嶋三保子 第一回箏ソロリサイタル」)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼「市三伝」から「鳶目耳」(ブログの枕の前編)
旧年中は、拙ブログをご愛顧賜り誠にありがとうございました。皆様にとりまして幸多い新年になりますことを衷心より祈願しております。アフターコロナやニューノーマルという言葉が全く聞かれなくなりましたが、今年も分散初詣に出掛けることにしましたので、少し早めに新年の挨拶(その1)をアップしておきたいと思います。なお、改めて、新年を寿ぐために新年の挨拶(その2)をアップしたいと思いますので、新年も変わらぬご愛顧を賜れれば幸甚に存じます。2022年はウクライナ侵攻に明け暮れた一年でしたが、人々の疑心暗鬼が生んだ様々なフェイクニュース(情報戦、コロナ関連情報や災害被害などを含む)が世間を騒がした一年であったと印象深く振り返っています。「市三伝」(「ある人が市中に虎が出没したと言ったら信じるか」と尋ねると「信じない」と答え、「それならばもう一人別の人が同じことを言ったら信じるか」と尋ねると「わからない」と答え、「三人ならどうか」と聞くと「信じるだろう」と答えたという故事から、真実ではないことでも多くの人が言えばいつの間にか真実として広まるという意味)という言葉がありますが、虎年から兎年に改まる新年は「鳶目耳」(鳶の目は遠くの物まで見ることができ、兎の耳は遠くの音まで聞くことができるという意味から、情報を収集して見極める能力に長けているという意味)という言葉のとおり賢く振る舞うべく心掛けたいと思っています。と、ここまでは正月の建前で、最近は「ファクトフルネス」(10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣)が持て囃されていますが、社会を混乱させ、又は人々を対立させるようなフェイクニュースは願い下げだとしても、世界はデータ(理性)に基づく合理的な正しさだけでは割り切れない人間的なもの(本能)に基づく不合理な多様さがダイナミズムを生んでいる側面もあるのではないかと思われますので、ファッションデザイナーのダイアナ・ヴリーランドが言うとおり「ファクト」に適度な「フィクション」を織り交ぜて人々の心を躍らせる面白味(洒落を解する遊び心)を大らかに許容する「ファクション」(虚実皮膜の間)がもう少し見直されてもよいのではないかと感じています。
 
①戸越八幡神社(夢叶うさぎ)(東京都品川区戸越2-6-31
調神社(狛兎)(埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
戸越八幡神社(夢叶うさぎ)東海道五十三次の1番目の宿場「品川宿」があった場所の地名を「戸越」と言いますが、この地名は「江戸越え」が由来になっており、この宿場を過ぎると「川崎宿」(相模国)になります。 夢叶うさぎ(戸越八幡神社/戸越八幡神社のご神体が出現した泉に住み着いていた猿と兎が「福分け猿と夢叶うさぎ」として祀られています。なお、境内には猫が多いので「にゃまびえ様」の御朱印状が人気になっています。 調神社(狛兎)/この社名は、伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)を納めた場所に造営されたことに由来し、貢(調)物の搬入出の支障とならないように鳥居が設けられなかったことから鳥居がない神社として有名です。 狛兎(調神社/この社名の「調」は「みつぎ」のほかに「つき」とも読み、神の使いとされている兎が月の生き物であることから月待信仰と結び付いて月読社と呼ばれ、狛兎のほかにも手水舎などにも安置されています。
 
▼金烏玉兎とデザイン(ブログの枕の後編)
全国各地には今年の干支の兎に因んだ通称「うさぎ神社」が祀られていますが、兎が一度に10羽前後の赤ちゃんを出産する多産な動物であることに肖って安産や縁結びなどに御利益があると言われています。個人的にはいずれの御利益も直接の関係はありませんが、首都圏で兎に因んだ神社として有名な「戸越八幡神社」(品川)及び「調神社」(浦和)へ一足早い分散初詣に行ってきました。兎が両足を揃えて飛び跳ねるのは人間のように足を交互に歩ませるよりも速く走ることができるためですが、その飛び跳ねる姿が鷺のようにも見えることから「」(ウ)+「」(サギ)=「兎」(ウサギ)になり、鳥と同じく兎を「羽」と数えるようになったという俗説があります(破戒僧が四足歩行する動物を食べてはいけないという仏教の戒律を潜脱して兎の肉を食べるための方便として、兎を二足歩行する鳥だと強弁したことに由来するという俗説も有力です)。因みに、地球上で一番速く走る動物(鳥を除く)はチーター(捕食者)で時速約120kmですが、ガゼル(被捕食者)の時速約100kmよりも速く走ることができます。また、人間の生活圏に棲む動物では「」(被捕食者)が犬(捕食者)や馬と同じく時速約70kmと速く走る(飛び跳ねる)ことができます。これに対し、人間は重い脳を支えるためにバランスを重視したことで時速約35km程度でしか走れず、熊の時速約50kmと比べても大幅に遅いので熊と遭遇したときに走って逃げるのは得策とは言えません。一方、地球上で一番速く飛べる鳥はハヤブサで最高時速約350km(現時点の新幹線の最高時速約320kmよりも速い)です。また、人間の生活圏に棲む鳥では「カラス」(捕食者)が時速約60kmで飛ぶことができますが、スズメやハト(被捕食者)の時速約45kmよりも速く飛ぶことができます。このように人間に身近な動物の中では「兎」や「カラス」が一番速く移動できると言えそうです。この点、茶席の禅語に「金烏急玉兎速」(碧巌録第12則「洞山麻三斤」)という言葉がありますが、「ある修行僧が洞山和尚に「仏とは何ですか?」と訪ねたところ、洞山和尚は「三斤の麻だ」と即答した。」という公案(禅問答)があり、この公案に対する宋代の禅僧・雪竇重顕の頌(人徳を讃えた評)として「金烏急、玉兎速。善応何曾有軽触。・・・」という韻文が添えられています。「三斤の麻」とは1人分の衣服を作るために丁度良い分量の麻のことを意味し、仏とは三斤の麻で作った衣服のように人の心にしっくりと馴染んで包み込むような存在であるということを短い比喩で即答していますが、洞山和尚の端的に仏の本質を捉えた即答により修行僧を悟りへと導く機知に富む鮮やかな手並みを「金烏急玉兎速」(烏が急いで飛ぶように太陽は慌しく出入りし、月の兎が速く飛び跳ねるように月は忙しく移動するので、月日の移り変わりは早い。即ち、それだけ修行僧が悟りを開くのも早い。)に喩えて讃えたものです。ここで「金烏」は中国神話に登場する太陽に棲む烏で、陰陽五行説における偶数=陰(月)、奇数=陽(日)という考え方から足が三本(奇数)ある三足烏を日天(太陽を象徴する動物)として神聖視しました。この三足烏は日出から日没までの間に活動する昼行性の「カラス」であると考えられており、日本では神武天皇を熊野から大和へ導いた熊野本宮大社主祭神の神使である八咫烏として信仰され、日の丸に八咫烏というデザイン(左上の写真)で親しまれています。過去のブログ記事で触れましたが、平安時代の蹴聖(蹴鞠の名人)であった藤原成道が50回以上も熊野詣をし、蹴鞠上達を祈願して熊野本宮大社に「うしろ鞠」の名技を奉納した故事(古今著聞集)に肖って八咫烏はサッカー日本代表のエンブレムにもなっています。一方、「玉兎」は中国神話に登場する月に棲む兎で、その全身が玉のように白いことから玉兎と呼んで月天(満月を象徴する動物)として神聖視しました。この玉兎は月出から月没までの間に活動する夜行性の「兎」が月で薬草を搗いて仙薬(不老不死の仙人になるための薬)を作っているという伝説と共に信仰されました。このように「金烏玉兎」という言葉には「金烏」及び「玉兎」を月日(月=季節、日=時間)を象徴する動物と捉えて聖なる宇宙へ泰平祈願を託するという思いが込められています。これが日本に伝来し、日本語で満月を意味する「望月」(もちづき)の発音から「餅」を連想するので、仙薬ではなく餅を搗く兎として親しまれるようになりました。平安時代の教養である中国の古典(ファクト)と日本語の掛詞の洒落(フィクション)が生んだ平安時代の「ファクション」と言えるかもしれません。日本美術では「玉兎」(満月を象徴する兎)をデザイン化(前回のブログ記事でも触れましたが、デザインとは表現対象の属性を削って本質を磨き上げながら伝えたいものから伝わるものへと洗練させて行く「引き算」のプロセス)し、月を連想させるモチーフとして「秋草に兎」(天を振り仰ぐ兎に秋草を添えて描くことで、月を描かなくても観る者に月を想い描かせる風流心を誘うデザイン)、「木賊に兎」(日本では木賊の堅くざらざらした茎を木材、骨や爪などを磨くための磨き材として使用していましたが、世阿弥の創作と伝わる能「木賊」の詞章「木賊刈る 園原山の木の間より 磨かれ出づる 秋の夜の月影をもいざや刈らうよ」に題材して、兎に木賊を添えて描くことで、観る者の豊かな教養に訴え掛けて明るく輝く満月を連想させるデザイン)や「波に兎」(金春禅竹の創作と伝わる能「竹生島」の詞章「緑樹影沈んで、木魚に上る気配あり、月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白き浦の景色や」に題材して、湖面の白い波を兎が飛び跳ねている姿に見立て、観る者の感性に訴え掛けて月明かりの湖面に沢山の兎が飛び跳ねる様子を連想させるデザイン)等を生み出しました。また、「玉兎」のデザインは日本美術以外にも幅広く採り入れられ、例えば、兎が月天として神聖視されていたことからその神威に肖って武士の甲冑の装飾に利用され、また、「玉兎」の「かわいい」という現代的なイメージから形(視覚)で彩る食文化として「最中 夢調兎」(浦和の菓匠「花見」)や「うさぎまんじゅう」(上野の老舗「うさぎや」)などの和菓子にも利用されています。さらに、訪日外国人のお土産として人気の食品サンプルフィギュアなどに象徴されるように日本のお家芸とも言えるミニチュア文化として装飾、玩具やキャラクターにも「玉兎」のデザインは愛用され、ネイルのデコパーツや京都コスメ「舞妓さんの練り香水 うさぎ饅頭」などの装飾品のデザインとしても人気が高く、また、サンリオのマイメロディーなどのキャラクターも息の長い人気に支えられています。最近では、TVアニメの戦国御伽草子「半妖の夜叉姫」に双子の姉妹として「金烏」(姉)と「玉兎」(妹)というキャラクターが登場しますが、アルテミス計画など月面開発が本格化している時代を背景としてすっかり廃れてしまった「金烏玉兎」という伝統的なコンセプトは、このように様々な形で現代的に翻案され、新しい価値を吹き込まれて現代に蘇っています。上述のとおり「金烏玉兎」とは日を象徴する烏と月を象徴する兎に掛けて月日(歳月)を意味する言葉であり、そこから月日が慌しく過ぎ去って行くことを意味する「烏兎怱怱」という言葉が生まれていますが、現代は科学技術の発展や地球環境の破壊等が急速に進んで近代以前の価値観、人間観、自然観や世界観の矛盾、破綻などが明確に認識されるようになった時代であり、それらを所与の前提として芸術作品(但し、その当時は革新的な芸術表現であったという意味で過去の偉大な芸術遺産)を創作していた近代以前の芸術家の生誕又は没後のアニバーサリーに興じることはそろそろ卒業し、現代の芸術家の作品に数多く触れることで、現代に生き、未来を培うための教養(学問、知識、経験や芸術受容等を通じて養われる心の豊かさ)を深め、月日の移り変わりと共に急速に変化して行く現代や未来について考える年にして行きたいと思っています。因みに、約45億年前に地球に隕石が衝突して月が誕生するまでは、地球は1日約5時間(現在の約5倍)の速さで自転し、1年約1800日であったと考えられていますが、月の引力の影響を受けた潮汐(潮の満ち引きによる大量の海水の移動)により海底との摩擦を生んだことで地球の自転の速度にブレーキが掛かり、現在の1日約24時間になったと言われています(その影響から現在も地球の自転速度は徐々に遅くなっています)。仮に、地球に隕石が衝突して月が誕生していなければ、地球の自転にブレーキが掛からずに地表は常に大型ハリケーン並みの強風が吹き荒れることになり、また、地球の地軸が23.4度に傾かず地表に安定した環境(地表の温度を夏に温め、冬に冷まして地球全体の温度を平準化する四季)が生まれることもなかったと言われており、地球上の生物の繁栄が難しくなっていたことを考えると、兎の多産性よろしく月が地球上の生物の繁栄を育んだとも言えそうです。このように昔の人々が「玉兎」を月天として崇めたことは故ないことではないとも言え、上述の「波に兎」のデザインは科学的に正しいイメージ(波の力*月の引力*兎の脚力)と言えそうです。
 
 
▼第一回藤舎花帆リサイタル 月をめでる
【演目】第1部
    長唄「藤船頌」
      <作曲>三世 今藤長十郎
      <作調>四世 藤舎呂船
      <作詞>林悌三
      <長唄>今藤長一郎、杵屋正一郎、杵屋喜太郎
      <三味線>今藤長龍郎、今藤龍市郎
      <笛>中川善雄
      <小鼓>藤舎花帆
    ②現代邦楽「土声」
      <作曲・十七絃>沢井比河流
      <尺八>小湊昭尚
      <小鼓>藤舎花帆
    ③現代曲「小鼓とチェロのための帆 HAN」(世界初演
      <作曲>武智由香
      <小鼓>藤舎花帆
      <チェロ>海野幹雄
    第2部 月をめでる
    ④「古事記」より神々の語りごと
      <作曲>福嶋頼秀
      <語り>今藤長一郎
      <長唄三味線>今藤長龍郎
      <十三絃>沢井比河流
      <尺八>小湊昭尚
      <小鼓>藤舎花帆
      <囃子>梅屋喜三郎
      <チェロ>海野幹雄
      <アコーディオンアイリッシュハープ>中村大史
    ⑤「竹取物語」より
      <作曲>大曽根浩範
      <語り>藤舎花帆
      <十三絃>沢井比河流
      <尺八>小湊昭尚
      <小鼓>藤舎花帆
      <囃子>梅屋喜三郎
      <チェロ>海野幹雄
      <アコーディオンアイリッシュハープ>中村大史
【構成】織田紘ニ
【美術】八戸香太郎(書)、新海友樹子
【照明】袰主正規
【音響】梶野泰範
【映像】金曽武彦
【道具】角田清次郎
【衣装】細田ひな子
【化粧】間島紀代美
【意匠】堤岳彦
【監督】滝沢直也
【演出】藤舎花帆
【企画】藤舎花帆
【会場】日本橋公会堂
【日時】10月15日(土)14時~(オンライン配信~12月29日(木))
【一言感想】
去る10月15日(土)に開催された演奏会を収録した動画が12月29日までオンライン視聴可能(有料)でしたので、簡単に演奏会の感想を残しておきたいと思います。但し、上記の演奏会と合わせると演目数が多くなりますので、紙片の都合から各演目につき一言ずつ感想を残しておきたいと思います。なお、邦楽はクラシック音楽のように演奏家と作曲家の分離が行われなかったこともあり、それに伴う弊害(楽譜至上主義を含む)が少なかった印象を受けており、また、そのためなのか現代音楽を積極的に採り上げる意欲的な演奏会が多く、現代に息衝く芸術表現を育み易い環境にあるのではないかと期待を持っていますので、新年も藤舎花帆さんほか若い世代の活躍に注目して行きたいと思っています。
 
長唄「藤船頌」
この曲は藤舎流(囃子方)を再興した四世・藤舎呂船の襲名披露のために三世・今藤長十郎が作曲したもので、この曲名は芸名から「藤」と「船」の2文字をとって花と舟に掛け、また、上述のとおり「頌」は人徳を湛えた評のことで藤舎呂船を讃えた曲になっています。僕は初聴の曲で全体的にゆったりとしたテンポの落ち着いた曲趣でしたが、小鼓の名手・藤舎呂船のために書かれた曲だけあって小鼓が緩急を織り交ぜながらリズミカルに立ち回る変化に富んだ見せ場が多く、音色の種類や強弱等を活かしてメリハリを効かせた表情豊かな演奏を楽しむことができ、三味線とのスリリングな掛け合いが印象的な好演でした。また、藤の花房を揺らす風のような流麗な笛が白眉で、優美な唄方と共に風情を感じさせる演奏が聴き所になっていました。なお、長唄は詞章の意味より音が大切だと聞いていますが、やはり詞章の意味が分かった方が鑑賞が深まるのではないかと感じることもあります。僕は「長唄名曲要説」(浅川玉兎「長唄を読む」(西園寺由利著)を持っていますが、いずれも収録曲数が少ないので網羅性のある曲集が待ち望まれます。
 
②現代邦楽「土声」
この曲はもともと17絃(筝)と尺八のために作曲されたものですが、今日は小鼓を加えた三重奏版で演奏されました。てっきりリズム楽器である小鼓は尺八の伴奏に徹するのかと思っていましたが、良い意味で期待を裏切られ、小鼓の伝統的な奏法ではあまり見られない小刻みな連打、音色や掛け声などを効果的に使いながら、この曲の中心的な役割を担うパフォーマンスで、その卓抜した表現力に舌を巻きました。躍動感のある曲趣との相性もよく、小鼓という楽器の可能性を感じさせる面白い曲及び演奏を楽しめました。因みに、大河ドラマ真田丸」の主題歌で尺八を演奏していたのが小湊昭尚さんですが、メジャーデビューを果たして多ジャンルで活躍されているだけあって懐の広さを感じる演奏は流石です。現代邦楽界の嚆矢・沢井比河流さんが作曲された曲ということもありますが、邦楽界は伝統に根差しながらも伝統というシガラミに縛られることなく新しい取組みに果敢に挑戦している革新的な気風が感じられ、何か新しいものが生み出されるような期待感を覚えますので、今年はもっと現代邦楽界の動きに注目していきたいと考えています。
 
③現代曲「小鼓とチェロのための帆 HAN」
この曲は藤舎花帆さんが小鼓とチェロの音色の相性が良さが契機になって現代邦楽の作曲で定評がある武智由香さんに小鼓とチェロのための曲の作曲を委嘱したものですが、この曲名の「帆(HAN)」は四世・藤舎呂と藤舎花から採られ?、小鼓という楽器の表現可能性を模索する旅に出る船出の意味合いが込められたものなのでしょうか?この曲は小鼓とチェロのための音楽としては世界初だそうですが、この意外な組合せにも拘らず無理や破綻のない非常に面白い曲でした。楽曲解説がないので勝手な想像ですが、暗闇(舞台袖)から小鼓が演奏しながら顕在し、演奏途中でチェロの周りを旋回(舞)しましたが、宛ら能楽シテ方を彷彿とさせ、また、この曲の構成が緩徐→展開→急拍に分かれており、宛ら能楽序破急を連想させるものでした。こうなると小鼓の掛け声は能楽の謡いのようにも感じられてきます。海野幹雄さんは、スル・ポンティチェロ、グリッサンド、重奏、トリル、楽器を叩く等の特殊奏法を巧みに使いながら独特な世界観を表現し、小鼓との阿吽の呼吸による張り詰めた「間」によって演奏に求心力を生む好演でした。
 
④「古事記」より神々の語りごと
この曲は藤舎花帆さんが古事記に描かれている月の世界を表現するために現代邦楽の作曲で定評がある福嶋頼秀さんに作曲を委嘱したものですが、古事記上巻のうち、天地の創始から月読命の出現までを語りと音楽で綴られた曲です。邦楽器及び洋楽器が奏でるアンサンブルは実に多彩な響きがしますが、その多彩な響きと舞台上の演出効果(セットや照明)を活かして古事記の物語世界が表情豊かに描写されており楽しめました。とりわけ国生みでは大鼓が小気味よいテンポで主導しながらリズミカルな演奏を展開して島々が生まれる様子を活写する巧みな音楽表現が面白く感じられました。黄泉国では黄泉の世界を表現する邦楽器(尺八や三味線)の陰影のある音色がイザナミの哀しみを表現する洋楽器(チェロや洋楽器)の叙情的な音色(心情)を引き立てる効果を生み、そのコントラストが聴き所になっていました。天照大御神の出現では邦楽器(13絃)の光沢感のある輝かしい音色で太陽を表現する一方で、月読命の出現では洋楽器(アイリッシュハープ)の透明感のある眩い音色で月を表現し、月見の風情を感じさせる風流な曲で締め括られました。
 
⑤「竹取物語」より
この曲は藤舎花帆さんが世界最古の物語、竹取物語に描かれている月の世界を表現するために現代邦楽の作曲で定評がある大曽根浩範さんに作曲を委嘱したもので、語りと音楽で綴られた曲です。竹取物語の風情を感じさせる抒情的な曲趣が魅力で、非常に聴き易く素直な曲ながら聴衆に媚びるような安易さもなく聴き応えのある曲に感じられました。朗読と演奏が一体になって紡ぐ物語世界で、筝とアイリッシュハープ、筝とアコーディオン、尺八とチェロ、尺八とアイリッシュハープ、小鼓とチェロなど様々な組合せによる邦楽器と洋楽器の演奏に相性の良さが感じられ、とりわけアコーディオンやチェロが主導して邦楽器が奏でるタンゴ調のパートは新鮮で音楽表現の可能性を感じさせるものでした。藤舎花帆さんがかぐや姫に扮してその心情を小鼓で繊細に表現しながら月(風情を誘う望月の色合いが素晴らしい)に昇る演出があり、薄紫の羽衣は雅なものと藤舎流(藤の花)を象徴する演出ではないかと思われます。藤舎花帆さんの白い和装は玉兎のように見え、久しぶりに月にロマンを感じる面白い作品でした。なお、最後にドビュッシーの月の光が添えられています。
 
この演奏会は小鼓という楽器の豊かな表現力とその表現可能性を縦横無尽に感じさせてくれる意欲的な内容でしたが、その試みは大いに成功しているように感じました。年末年始のテレビ番組や演奏会はお節料理よろしくマンネリズムでツマラナイというのが通り相場なので、この演奏会に興味を持たれた方はオンライン視聴をお勧めします。
 
▼安嶋三保子 第一回箏ソロリサイタル
【演目】①秋風の曲
      <作曲>光崎検校
      <作詞>藤田雁門
    ②数え唄変奏曲
      <作曲>宮崎道雄
    ③秋風幻想~光崎検校作曲「秋風の曲」によせて~
      <作曲>深海さとみ
    ④ゆれる秋
      <作曲>沢井忠夫
      <作詞>北原白秋
    十七絃独奏による主題と変容「風」
      <作曲>牧野由多可
【演奏】<筝・歌>安嶋三保子
【企画】安嶋三保子
【監修】深海さとみ
【調絃】深海あいみ
【進行】吉川卓見
【着付】石本由紀
【化粧】太田順子
【衣装】深澤サチ子
【撮影】橋詰高志
【美術】櫻井彩加
【会場】杉並公会堂小ホール
【日時】12月11日(日)14時~(オンライン配信~12月31日(土))  
【一言感想】
去る12月11日(日)に開催された演奏会を収録した動画が12月31日までオンライン視聴可能(有料)でしたので、簡単に演奏会の感想を残しておきたいと思います。但し、下記の演奏会と合わせると演目数が多くなりますので、紙片の都合から各演目につき一言ずつ感想を残しておきたいと思います。なお、上述のとおり伝統邦楽はクラシック音楽のように演奏家と作曲家の分離が行われなかったこともあり、それに伴う弊害(楽譜至上主義を含む)が少なかった印象を受けており、また、そのためなのか現代音楽を積極的に採り上げる意欲的な演奏会が多く、現代に息衝く芸術表現を育み易い環境にあるのではないかと期待を持っていますので、新年も安嶋三保子さんほか若い世代の活躍に注目して行きたいと思っています。
 
①秋風の曲
この曲は、江戸時代の天保年間(1830~1844)に光崎検校がパトロンの越前福井藩士・蒔田雁門(高向山人)と共に詩人・白楽天白居易)の漢詩長恨歌」(傾城傾国の美女と言われ、安史の乱で殺害された楊貴妃の死の50年後に、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を題材にして詠まれたもの)に取材して創作した筝曲です。八橋検校が創始した段物(数段からなる器楽曲)と歌物(六歌からなる組歌)を組み合わせた新様式を確立した光崎検校の代表作で、楊貴妃が殺害される際に吹いていた秋風を描写するために陰音階の上行形を基調とする新しい調弦法「秋風調子」を考案して寂寥感が漂う曲調になっています。前半の段物では右手の呼吸(間)や強弱、左手の繊細な表情付けなど一音一音を丁寧に響かせる余韻のある落ち着いた演奏でしっとりと聴かせていました。後半の歌物では天賦の艶やかな声質による気品のある歌唱に魅せられました。
 
②数え唄変奏曲
この曲は1940年に宮城道雄(46歳)がクラシック音楽の変奏曲の様式を採り入れて作曲し、俗謡「正月の数え歌」の旋律を主題としてこれを変奏する手事物と言われる超絶技巧曲で、最初の2段で主題を提示し、残りの6段で変奏するという構成になっています。前曲の落ち着いた演奏とは一転し、手際よい冴え映えとする滑舌な演奏で、この曲の魅力を十分に引き出す演奏効果をあげる好演でした。一段と二段ではオーソドックスに主題提示が行われますが、その後の変奏では多彩な技巧と相俟って、三段では三味線の音色、四段ではハープの音色、五段ではウクレレの音色、六段ではハープシコードの音色、七段ではエレキギターの音色をイメージさせる豊かな音色や表現を楽しむことができ、八段では華々しい筝の音色による大団円となります。非常に懐の広さを感じさせる楽器で、現代作曲家に好まれる理由がよく分かる曲です。
 
③秋風幻想
この曲は、生田流筝曲家・深海さとみさんが「秋風の曲」へのオマージュとして作曲したもので、前半は調弦法「秋風調子」を踏襲した元曲と同じような曲調になっていますが、後半は漢詩長恨歌」の組歌をイメージして幻想的な曲調になっています。決して演奏が容易な曲ではなさそうですが、安嶋三保子さんは深海さとみさんの愛弟子だそうで、自家薬籠中の曲としているような自在な演奏であり、この曲が持つ世界観を雄弁に物語る好演でした。後半はさながらミニマルミュージックを彷彿とさせ、右手が同じ音型を繰り返しながら左手がピッチカートで歌を奏で圧倒的なクライマックスを築いていきますが、突然、追慕の情から覚めるように抒情的な曲調に戻って老いらくの侘びを感じさせる趣きのある感動的な終曲を迎えます。現代筝曲の到達点を見るような名曲で、未だ聴かれたことがない方は、是非、一聴をお勧めします。
 
④ゆれる秋
この曲は、歌物の作曲を依頼された沢井忠夫さんが北原白秋の詩「風」からインスピレーションを受けて、その詩の世界を表現するために作曲した弾き歌いの曲です。冒頭は琵琶楽を彷彿とさせる風情が漂い、弾き歌いというよりも弾き語りに近い部分もあります。あくまでも詩(歌)を主体にして、その詩(歌)に寄り添うように音楽(筝)が添えられていますが、色々な風が筝が奏でる音になって吹き抜けて行く描写表現が詩(歌)の世界観を深める効果を生んでおり、筝という楽器の多彩な表現力を堪能できる興味深い曲です。おそらく秋の風なので色とりどりの落ち葉が舞い散っているのでしょうか、風が吹き抜けると共に筝が奏でる音も色とりどりの表情でドラマティックに展開し、詩情豊かな演奏を楽しむことができました。やや声域が合わないところがあったのか歌い難そうな部分もありましたが、天賦の美声は魅力です。
 
十七絃独奏による主題と変容「風」
この曲は、1921年に宮城道雄によって考案された十七絃ですが(2021年が十七弦生誕100周年)、1965年に現代作曲家の牧野由多可さんがベースラインを担当する伴奏楽器であった十七絃に興味を持ち、その重厚な音色や広い音域に惹かれ、世界初の十七絃の独奏曲として作曲したものです。今日の演奏会は「秋」と「風」がテーマになっていましたが、「風」にも様々な風情があり、それを表現する筝の音色(十七絃ならではの音域の広さを含む)や奏法(クラシック音楽の対位法を含む)にも様々なものがあるものだと感心させられる面白い曲です。この曲は難曲として知られていますが、無理や破綻を全く感じさせない安定感があり、繊細さから凄みのようなものまで歌心に乗せた冴え渡る技巧によって滑舌良く表情豊かに歌い回す風格ある演奏で相当な腕達者であることが分かります。
 
古典から現代まで難曲揃いの意欲的なプログラムでしたが、安嶋三保子さんの配慮の行き届いた安定感のある演奏を楽しめ、秋風幻想のような名曲との出会いもありましたので、非常に満足度の高い演奏会でした。年末年始のテレビ番組や演奏会はお節料理よろしくマンネリズムでツマラナイというのが通り相場なので、この演奏会に興味を持たれた方はオンライン視聴をお勧めします。因みに、個人的な話しで恐縮ですが、磐城平藩主・内藤義概(弟・内藤政亮に領地を分与して立藩した磐城湯長谷藩映画「超高速!参勤交代」に登場)は教養人として知られ、八橋検校磐城平藩の専属音楽家として召し抱えていますが、同時代に僕の先祖が磐城平藩士だったので八橋検校の演奏を拝聴する機会に恵まれていたかもしれないというのが僕の飲み屋の語り草です。
 
▼ブックサンタ
今年も、様々な事情で大変な状況にある子供達(日本のウクライナ避難者の子供達を含む)にサンタクロースから本を届けるチャリティプログラム「ブックサンタ」(NPO法人チェリティーサンタ)が開催されています。最寄りの書店やオンラインで気軽に参加できますので、心を温めてみませんか。なお、最寄りの書店で参加したところ素敵なサンクスレターとステッカー(左上写真)を頂戴し、また、後日、本を届けた子供達の声や写真が寄付者限定のWebページ(非公開)に掲載されるそうなので、僕らブックサンタにとって何よりのクリスマスプレゼントです。
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.12
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼アラシュ・サファイアンの「ファンタジー」(2020年)
イラン人の現代作曲家のアラシュ・サファイアン(1981年~)は、バイエルン芸術振興賞(2013年)や映画「Lara」バイエルン映画賞映画音楽部門(2019年)を受賞するなど注目されている若手作曲家です。この曲は、バッハの音楽をモチーフにした「Uber Bach」に続く第2段でベートーヴェンの曲をモチーフにした現代音楽「This Is (Not) Beethoven」に収録されています。
 
▼ララ・ポーの交響曲「地平線」(2017年)
アメリカ人の現代作曲家のララ・ポー(1993年~)は、RCMコンチェルトコンペティション作曲部門第1位(2018年)やBMI学生作曲家賞(2021年)を受賞するなど注目されている若手作曲家です。この曲は、RCMコンチェルトコンペティション作曲部門第1位(2018年)を受賞した後に、これを祈念してRCM交響楽団によって世界初演された作品です。
 
▼織田理史の「水の生」(2022年)
日本人の現代作曲家の織田理史(1993年~)は、「根源的な二元性から成る多様体(マルチメディア)」をテーマに電子音楽メディアアート等の作品を創作し、ペンシルバニア州立大学音楽祭2022で優勝、中国国際電子音楽コンクール2021で3位入賞など数々の国際コンクールで入賞している期待の俊英です。この作品は、ADGsアートとして水の歴史をテーマにした作品です。