大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

新年の挨拶(その2)と人工知能美学芸術展「演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか」<STOP WAR IN UKRAINE>

 
▼時をかける兎と世界の新年(ブログの枕の前編)
謹賀新年!「新しき 年の始めに かくしこそ 千歳を重ねて 楽しきを積め」(詠み人知らず/古今和歌集)と詠まれているとおり、未だWHOからパンデミック終息宣言はありませんが、今年は人生を楽しむための年にしたいと思っています。前回のブログ記事で「金烏玉兎」とは日を象徴する烏と月を象徴する兎を掛けて月日(歳月)を意味する言葉であることに触れましたが、そこから月日(歳月)が早く流れる喩えとして「兎走烏飛」という言葉が生まれており、文字通り時をかける兎と言えそうです。この点、過去のブログ記事でも触れましたが、紀元前1万年頃の農業革命に伴って農作物の安定的な生産に必要となる季節の周期性(時間の流れ)を正確に把握するために古代エジプトで紀元前6000年頃に太陽の運行(昼間)や月・星の運行(夜間)を基準にして季節を測る「暦」の概念が発明されます。その後、紀元前3500年頃にオベリスク(ホワイトハウスにも建てられている方尖柱)が影を落とす位置を12分割(時分秒のうちの時)したことで「時間」の概念が発明され、やがて昼間だけではなく夜間も12分割して1日を24分割する考え方(時分秒のうちの時)が確立しますが、太陽の運行や月・星の運行を基準にしていたので未だ不定時法(季節によって日出から日没までの時間の長さが伸縮するので、それを分割する1時間の長さも伸縮)でした。なお、人間が物体を測る単位は自然の法則や人体の部位(インチ:親指の幅、スパン:親指と小指を張った長さ、フィート:足の爪先から踵までの距離など)を基準としたものが多く、古代エジプトで12進法が採用された理由も月が約30夜の周期(年月日のうちの月)で満ち欠けを繰り返してその周期の12回目(年月日のうちの年)で同じ季節に戻ること、親指の先で残り4本の指の関節を数えると12になり数え易いことや12は2・3・4・6と約数が多く便利な数字であることなどがあると言われています。しかし、太陽の運行や月・星の運行を基準にして時間を測る方法では悪天等に時間を測ることが難しくなるため、様々な環境下でも時間を測ることができる方法が考案され、水桶の漏水を利用する水時計(日本の時刻制度と所縁が深い近江神宮の境内にある日本で利用された水時計「漏刻」)、蝋燭や線香の燃焼を利用する火時計(抹香を使って香りで時間をデザインする香時計)(近江神宮時計宝飾眼鏡専門学校を設けて時計職人等を養成している近江神宮の境内にある古代中国で使用されていた古代火時計)や氷が張る冬期でも利用できて繰り返し使える砂時計等が開発されました。その後、1300年頃にイタリアでルネサンスが勃興すると、イタリアで錘を利用した機械式時計が発明されますが、その錘を吊るすためにある程度の高さが必要であったことから教会や宮殿等に機械式時計が設置されるようになり(現存する中で世界最古のソールズベリー大聖堂の塔時計)、これに伴って1日を均等に24分割する定時法に移行しました。それまで「時」は神(太陽)が支配するものと考えられ、毎日のミサを時間通りに行わなければならないというキリスト教の戒律を遵守するために時計が必要とされましたが(ミレー作「晩鐘」は遠景に教会が描かれており日本の暮れ六つの鐘と同様に日没を迎える午後6時の晩鐘に合わせて農民夫婦が晩課の祈祷を行う様子を描いたもの)、機械式時計の発明によって「時」は人間(機械)が支配するものと考えられるようになりました。やがて1530年頃にゼンマイで動く小型で携帯が可能なゼンマイ式時計が発明され、また、1583年にガリレオ・ガリレイが振り子等時性の法則を発見し、それを応用した小型で軽量の振子時計が発明されると一般家庭にも時計が普及して生活の中で時間が意識されるようになりました。それまでの時計は時間の精度が低く大まかな時間を示す時針しかありませんでしたが、振子時計の発明によって時計の精度が格段に向上したことから1時間を60分割した「分」や1分間を60分割した「秒」という単位が生まれて分針及び秒針が追加されて(「分」や「秒」の単位では60進法が採用されていますが、ガリレオが手首の脈拍を測りながら振り子等時性の法則を発見したので人間の平均的な脈拍数1時間約3600回(60分*60秒)が基準とされたことや、60は2・3・5・6・10・12・15・30と約数が多く便利な数字であることなどがあると言われています)、これにより天体観測の精度が向上したことでケプラーの法則が発見され、ニュートン力学(古典物理学)が大成する契機になりました。なお、過去のブログ記事でも触れましたが、日本では明治改暦により江戸時代までの不定時法(映画「天地明察」)から定時法に変更されたことで、江戸時代まで時間にルーズだった日本人に厳格な時間意識が芽生えたと言われています(書籍「遅刻の誕生」)。現代では協定世界時を基準として世界各地の標準時が定められていますが、昔のヨーロッパでは「日没」を1日の終わりと捉え、そこから次の1日が始まる感覚があったので、クリスマスイブはクリスマスの前日(前夜)ではなくクリスマスの当日という意識で祝うのに対して、日本では「日出」を1日の始まりと捉えますのでクリスマスイブはクリスマスの前日(前夜)という意識で祝うという時間感覚の違いがあると言われています。また、暦は太陽の運行(昼間)や月・星の運行(夜間)など自然の法則を基準にして作られていますので、西暦(グレゴリオ暦、太陽暦)を採用する国でも宗教や風習と結び付いて独自の暦(日本の節句、雑節、二十四節気、七十二候、六曜等を含む)が残されています。例えば、イスラーム諸国では公式の暦は西暦を利用していますが、これとは別にヒジュラ暦(太陰暦)を利用してイスラム教の宗教行事や祝休日を定めています。また、中国では新暦(太陽暦)の正月に加えて旧暦(太陰太陽暦)の正月(春節)を祝う風習があり、カンボジアでは新暦(太陽暦)の正月、旧暦(太陰太陽暦)の正月(春節)に加えて仏暦(太陰暦)の正月(クメール正月)を祝う風習がありますので、1年に3回も正月がやってくる芽出度い国です。このように人工的に作られた時間(定時法)とは別に、旧暦は世界各国の独自の文化と結び付いて現代にも息衝いています。因みに、日本の正月は、除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦(細く長い麺に肖って長寿を願い、よく切れる麺に肖って厄を断ち切る縁起物)を食べるという風習がありますが、スペインではマドリードのプエルタ・デル・ソル広場にある時計台が元旦の午前0時に鳴らす12回の鐘の音に合わせて12粒の葡萄を食べ切ると幸福になれると言われており、年末になると年越し葡萄(12粒の種無し葡萄)が売られています。アメリカでは家に親戚や友人が集まってパーティーを開き、旧友と酒を酌み交わしながら昔語りに花を咲かせようという内容のスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(日本では「蛍の光」の原曲として知られていますが、原曲は「蛍の光」のような辛気臭い歌ではありません。スコットランドでは第2の国歌と言われ、ハイドンベートーヴェン等も編曲しています。)を歌います。これに対してイスラム諸国ではイスラム教の戒律によって新年を祝う風習はありません。ブラジルでは平和の象徴である白い服を着て海に入り波を回飛び越えながら大願成就を祈るという風習があり、また、エストニアでは食事を1日に回摂りながら食の恵みを祈るという風習があるなど、世界各国で正月の捉え方や過し方(風習)は様々です。この点、世界中でという数はラッキーセブンとして親しまれており、(これは野球に由来するという俗説もありますが)昔から天地創造の7日間や7つの大罪など特別な数として使われ、また、日本でも七福神や七草粥など縁起の良い数として使われていますが、アメリカ人認知心理学者のジョージ・ミラー博士は人間の短期記憶の限界が7個(プラス/マイナスで2個前後の個人差)であることを発見して人間の認知能力にとって7は特別な数(マジカル・ナンバー)であるという研究結果を発表しており、このために切りの良い数として7が好まれてきたと言えるかもしれません。なお、日本では虹の色は7色とされていますが、これに対してアメリカやイギリスでは6色、ドイツや中国では5色、インドネシアでは4色とされており、文化圏によって虹の色に対する認識は異なっています。しかし、インドでは日本と同じく7色とされていますので、僕らのヒーローであった愛の戦士レインボーマンに破綻はありません。これはインドでは仏教の考え方(天部と六道から構成される7つの世界観)の影響があり、日本では色彩を意味する言葉(和名)が多く微妙な色彩の違いを認知し易いことに由来しているのではないかと言われています。因みに、1976年からLGBTのシンボルとして使われているレインボーフラッグは6色(当初は8色)で、過去のブログ記事で人間の視覚と認知の関係について簡単に触れましたが、上述のとおり宗教や風習と結び付いた暦(正月の捉え方や過ごし方を含む)だけではなく虹の色に対する認知も多様です。人間は自分が認知している世界は客観的な世界であって、その世界を支配する絶対的な秩序があると信じたがる傾向がありますが、近年の科学技術の進歩に伴って人間が認知している世界は脳が創り出す主観的な世界であって、その世界は相対的な関係性によって定まっていることが理論的だけではなく実証的にも解明されてきており、人間の世界に対する認知は大幅に更新されようとしています。近代以前のクラシック音楽は前者の世界観を前提として創作されてきたものですが、これからは後者の世界観を前提として創作される現代音楽に対する期待が益々高まってくると思います。
 
▼ノルウェー人現代作曲家のハラール・セーヴェルー(~1992年)のピアノのための抒情的小品「兎と狐」(1960年)
 
▼光格子時計と相対性理論(ブログの枕の後編)
今年の干支である卯(兎)をモチーフにして、金烏玉兎のコンセプトとデザインの話し(前回のブログ記事)から、古典的な暦と時間の話しを経て、革新的な光格子時計と相対性理論の話しへと飛躍してみたいと思います(シナプス可塑性の事始め)。上述のとおり、人類は農作物の安定的な生産のために暦や時間という概念を発明し、自然の法則(暦=地球の公転、時間=地球の自転)を基準にして時間を計測してきましたが、前回のブログ記事で記載したとおり現在も地球の自転は潮汐摩擦等によって徐々に遅くなっており、精度が高い時間の計測が困難でした。そのために機械式時計が発明され、17世紀後半に開発された振子時計は約5分に1秒の誤差、20世紀前半に開発されたクオーツ時計は約1年に1秒の誤差、20世紀後半に開発されたセシウム原子時計は3000万年に1秒の誤差と精度を飛躍的に向上してきましたが、21世紀前半(2014年)に東京大学の香取教授が約300億年(宇宙の歴史は約138億年)に1秒の誤差しか生じない光格子時計を開発し、2026年に開催される予定の国際度量衡総会において新しい1秒の定義(現在はセシウム原子が約92億回振動する間を1秒と定義)として採用される可能性が高いと考えられています。一般人の感覚では、これほど精度の高い時計は必要ないのではないかと疑問に思われますが、現在、光格子時計はSociety5.0を実現するための基盤技術として大変に注目されており、例えば、GPSと比べて高い精度で地殻変動等を計測することができることから地震予知、噴火予知や地下資源探索等での活用が検討されています。ところで、サルバトール・ダリは「記憶の固執」(1931年)で相対性理論の時空の歪み(空間が歪んで停止した状態の現在の時計と過去の時計)を描いたという説がありますが、光格子時計の開発によって相対性理論の時空の歪みを計測することが可能になり相対性理論が正しいことが実証されました(後述)。この点、日本の高校ではマクロの世界を記述するための理論としてニュートン力学のみを教えて相対性理論を教えていないそうですが、カーナビの技術には相対性理論が応用されており(相対性理論によれば、高度約2万kmを飛行するGPS衛星は地上と比べて重力が弱く、その分、時間が早く進行することになりますので、その誤差を補正して正確な位置情報を演算することで実用精度を実現しています。因みに、GPS衛星に搭載されている原子時計に0.0000001秒の誤差が生じると地上の位置情報は約30メートルもズレてしまいますので、カーナビの技術に相対性理論は不可欠です。)、現代はアルテミス計画が本格化して宇宙ビジネスが現実味を帯びている時代であり、また、文系大卒生では一度も相対性理論を学ぶことなく社会に出てしまう可能性がありますので、少なくとも相対性理論の概要レベルは高校でも教えるべきではないかと感じます(Society5.0の社会課題:文理分断からの脱却)。
 
▼物理学がデザインする世界観の変遷
物理学 自然観 時空
古典
力学
ニュートン力学
(1687年)
マクロの世界 決定論 絶対的
相対性理論
(1905年)
相対的
量子力学
(1925年)
ミクロの世界 確率論
→ 統一理論
※自然界には①重力、②電磁気力、③(電磁気力より)強い力、④(電磁気力より)弱い力の4つの力があり、①は相対性理論、②③④は量子力学によって説明されていますが、これらを統一的に説明する理論として相対性理論と量子力学を矛盾なく融合する量子重力論が研究されています。
 
ニュートン力学では時空を絶対的なものとして光の速度が変化すると捉えていましたが、アインシュタインは、1905年に電磁気学の光速度不変の原理(真空中の光の速度は常に一定)から光の速度を絶対的なものとして光速に近い速さで移動している特殊な状況では時空が相対的なものとして伸び宿みする(即ち、光速に近い速さで移動すると時間の進み方はゆっくりになる)という特殊相対性理論を発表します。この理論によれば、例えば、光速の99%で移動する宇宙船内では地球で1年間が経過する間に50日間しか経過しないことになります。この点、御伽話「浦島太郎」は竜宮城が光速の99.9%で移動していると仮定すれば理論的に実現可能な話しであることから、このような現象のことを「ウラシマ効果」と呼んでいます。また、アインシュタインは、1916年に自らで発見した等価原理(同じ質量の物体に働く重力と慣性力は等価)から光速に近い速さで移動していない一般的な状況でも重力によって時空が伸び宿みする(即ち、重力が強いところでは時間の進み方はゆっくりになる)という一般相対性理論を発表していますが、この理論を題材とした映画「インターステラー」(但し、現代人の知識レベルでも理解し易いように単純なイメージ)が公開されています。上述のとおり2014年に光格子時計が開発されたことで相対性理論の時空の歪みを計測することができるようになり、2019年に東京スカイツリーの地上階と展望台(標高450mの展望台は地上階よりも僅かに重力が小さい)に光格子時計を設置して時間を計測したところ、地上階に比べて展望台では1日で0.000000001秒ほど遅く時間が進むことが確認され、(1919年の皆既日食を利用した時空の歪みの観測、2015年に重力波の観測、2019年にブラックホールの撮影等に続いて)一般相対性理論が正しいことが実証されました。この点、ニュートン力学が時空を絶対的なものと捉えていたように、近代以前の宗教や芸術は世界を支配する絶対的な秩序を観念し、その絶対的な秩序に美の基準を求めていた時代と言えます。しかし、20世紀以降に相対性理論や量子力学が発表され、もはやニュートン力学では世界を正しく記述することが難しいことが認識されるようになると、ニュートン力学の古い自然観から相対性理論や量子力学の新しい自然観に置き換えられ、Society5.0はそれらの科学的な成果を実用レベルにブレイクダウンして社会実装(革新)するためのコンセプトと言えます。但し、これらの自然観は人間の認知能力(環世界)を超えるもの(環境世界)なので、これらの自然観を表現し又はそれらを前提とするコンテンポラリー作品(現代音楽を含む)に対する聴衆の関心や理解が追い付かずに不遇な扱いを受けているというのが現状なのだろうと思います。この背景には、上述のとおり日本の高等教育にも原因があるかもしれません。なお、人間の脳は物質の移動(エントロピーの増大)を知覚することで過去から未来への時間の流れを認知していますが(但し、相対性理論では光速を超えて移動する物質は時間を逆行することになり、実際に時間を逆行する反物質の存在が確認され、また、宇宙で最も強力な爆発現象であるガンマ線バーストは光速を超えて移動し時間を逆行しているという研究論文(2019年)が発表されています。このような時間が逆行する世界観は映画「TENET」(但し、現代人の知識レベルでも理解し易いように単純なイメージ)で描かれていますので、ご興味のある方はご覧あれ。)、このような時間感覚とは別に生物には体内時計が備わっており、1日周期のリズムで細胞内のタンパク質が増減を繰り返すことで生体機能を時間管理しています。朝型の人と夜型の人の違いは生活習慣以外に細胞内のタンパク質の増減に影響する遺伝子の個人差によるものと考えられており、昼間に太陽の光を浴びないと体内時計が最大2時間も遅れ、夜間にスマホの光を見続けると体内時計が最大2時間も進むことから生体機能に異常を生じて生活習慣病等を発症し易くなると言われています。時間の精度を求めるために機械式時計を発明し、時間の計測が自然の法則から切り離されたことが人間の健康に悪影響を及ぼす結果になっています。この点、時間を単に精度の問題として捉えるだけではなく、その本質的な意義について考え直してみる必要があるのかもしれません。因みに、兎は、生後1ケ月で約2歳、1年で約20歳、5年で約46歳、8年で約64歳と不規則な年齢の重ね方をすると言われていますが、年齢に応じて時の歩ませ方を変えてみるという視点を持つという生き方も有効かもしれません。
 
 
▼人工知能美学芸術展:演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか
【演目】①自動演奏ピアノのための習作第1、15、36、27、21番
      <作曲>コンロン・ナンカロウ
    ②2台のピアノのための四分音ハノン(世界初演)
      <作曲>人工知能美学芸術研究会
      <Pf>大須賀かおり、及川夕美
    ③2台のピアノのための3つの四分音曲(世界初演)
      <作曲>チャールズ・アイヴズ
      <Pf>大須賀かおり、及川夕美
    ④スティーヴ・ライヒ讃(日本初演)
      <作曲>ゲオルク・フリードリヒ・ハース
      <Pf>秋山友貴
    ⑤第43回AI美芸研シンポジウム
     演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか
      <講演>大屋雄裕(NPO法人AI愛護団体)
          片山杜秀(音楽評論家)
          中ザワヒデキ(美術家、人工知能美学芸術研究会)
          草刈ミカ(美術家、人工知能美学芸術研究会)
    ⑥人工知能美学芸術交響曲(世界初演)
      <作曲>人工知能美学芸術研究会
      <Con>夏田昌和
      <Cor>ヴォクスマーナ、混声合唱団 空、女声合唱団 暁
      <Orc>タクティカートオーケストラ(Com:甲斐史子)
      <Pf>秋山友貴
      <Odm>オンド・マルトノ:大矢素子
      <Org>井川緋奈
    ⑦交響曲第4番(2011年改訂批判校訂版:日本初演)
      <作曲>チャールズ・アイヴズ
      <Con>夏田昌和、浦部雪、西川竜太
      <Pf>秋山友貴
      <Cor>ヴォクスマーナ、混声合唱団 空、女声合唱団 暁
      <Orc>タクティカートオーケストラ(Com:甲斐史子)
      <Odm>大矢素子
      <Org>井川緋奈
【会場】パルテノン多摩
【日時】12月25日(日)15時~(オンライン配信12月27日(火)~)
【感想】
毎年、年末年始のテレビ番組と演奏会はお節料理よろしく食指が動かないものばかりになってしまいますが、アメリカ人現代作曲家のC.アイヴズの有名な言葉「演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか」をテーマに掲げ、近い将来、人工知能(AI)を利用することで「人間という窮屈な枠組」から芸術創作を解放することを視野に捉えた興味深い演奏会「人工知能美学芸術展」が開催され、そのオンライン配信を視聴しましたので、簡単に感想を残しておきたいと思います。これまで「Ⅰ:人間美学/人間芸術」(下図参照)に制約されてきた芸術創作に人工知能(AI)を利用することで「Ⅳ:機械美学/機械芸術」への拡張(これを人間又は人間性の排除と捉える人間中心主義者的なセンチメンタリズムとは一線を画し、人間の可能性を広げるもの)を試みる挑発的な提案になっていますが、過去のブログ記事でも触れたとおり、デジタルアートの分野ではプチ・シンギュラリティーとも呼べるような革新的な状況が生まれていますので、この提案は人類が射程に捉え始めている現実的なものと言えるのではないかと思います。これまで拙ブログでも縷々触れてきたとおり、上述の相対性理論や量子力学をはじめとする各分野で人間中心主義的な世界観の破綻が認識されるようになり、それに伴って芸術創作も神の栄光や人間の理性・本能(俗に、心)を表現するためだけの狭量なものから、人間という枠組に収まらない世界を表現するための新しい芸術創作が求められる時代になってきており、この新しい時代の幕開けを告げる2023年を迎えるにあたり相応しい内容の演奏会だと思います(主催者に感謝)。なお、オンライン配信には収録されていませんが、当日はホワイエで同テーマによるアート展も開催されていたようなので、状況が許せば会場に伺いたかったのですが、オンライン配信は時間、場所や環境等を選ばずにライフスタイルに合わせた芸術鑑賞を可能とする不可欠な社会インフラになっており、Society5.0によりデジタル田園都市構想が進展して都市集約型の社会(ロンドンの都市モデル)から地方分散型の社会へと移行すれば、益々、オンライン配信の重要性は高まるのではないかと感じますし、また、デジタル技術を活かした芸術表現の可能性も広がるのではないかと期待しています。
 
▼芸術創作の枠組
人間美学 機械美学
人間芸術
機械芸術
※人工知能美学芸術研究会のホームページより引用
 
①自動演奏ピアノのための習作第1、15、36、27、21番
お恥ずかしながらこの曲は初聴でしたが、冒頭からブン殴られてしまったような衝撃を受けました。リゲティが「ウェーベルンやアイヴズに匹敵する大作曲家」と評したことがよく分かります。1947年、C.ナンカロウは自動演奏ピアノ用のロール紙に穴を開ける機械を入手したことを契機として、自動演奏ピアノで演奏することを前提とした人間には演奏不可能なリズム構造を持つ「自動演奏ピアノのための習作」(Ⅲ:人間美学/機械芸術)の作曲に打ち込み、その後の現代作曲家に多大な影響を与えています。当初、自動演奏ピアノは、主にピアニストが自分の演奏を記録するために利用されていましたが(その後の録音技術の発達で衰退)、C.ナンカロウはピアニストの演奏(人間による枠組)に頼らない芸術創作を行うために自動演奏ピアノを利用したという点で先進的な考え方を持っていたと言えます。<第1番>連弾でも演奏困難と思われる密度の濃い複雑なリズムが展開されていますが、日本の伝統音楽(能楽や邦楽)を好む方ならこの複雑で精妙なリズムは心地よく響くと思います。マイクがロール紙の回る機械的な音まで拾っていますが、自然界にはロールのように回転運動する生き物は存在しないので非生物的(機械的)な運動によって奏でられる音楽と言えるかもしれません。しかし、それによって奏でられる音楽は大変に魅力的に感じられます。<第15番>秩序正しい狂気とでも形容すれば良いでしょうか、人間という枠組を超える音楽が展開され、凝縮されたエネルギーのようなものを感じさせる濃密な表現に唖然とさせられます。是非、音盤を購入したいと思います。<第36番>ピアノはこのような響き方もする楽器なのかと驚嘆させられます。これまでに聴いたことがない音楽なので何とも表現のしようがない曲調ですが、まるで人声のような響きが面白く、無理や破綻などを感じさせずに極めて独特な世界観を表現しています。ご興味のある方は、是非、ご一聴下さい。<第27番>前曲に続いて、ピアノという楽器が持つ未知の表現可能性を感じさせてくれる曲です。まるで電子楽器のような響きが面白く、強弱や緩急のメリハリが効いた奥行きを感じさせる魅力的な曲です。<第21番>この曲は「カノンX」という別名を持っていますが、その別名のとおり音が交差(X)しています。まるでゲーム音楽のような響きが斬新で、リズムの緊張と細分化が彩る面白い曲です。全体を通し、人間という枠組から芸術創作を解放することで、これだけ多彩な音楽を聴くことができるのかと驚嘆しますが、上述のとおり芸術創作から人間又は人間性を排除するという二者択一の文脈ではなく、人間による芸術表現の可能性を広げるという視点を包含することが重要ではないかと感じます。なお、本日の演奏で使用された自動演奏ピアノはクナーベ・ベビー・グランド(1926年製アンピコA方式)を修復したものだそうです。
 
②2台のピアノのための四分音ハノン(世界初演)
③2台のピアノのための3つの四分音曲(世界初演)
④スティーヴ・ライヒ讃(日本初演)
人工知能美学芸術研究会が作曲した「2台のピアノのための四分音ハノン」(世界初演)は、C.アノンが作曲した「60の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」(俗に、ハノン)に取材し、四分音違いで調律された2台のピアノを使ってハノンの「機械美学的な美」を表現しているとのことです。C.ナンカロウが作曲した「自動演奏ピアノのための習作」はリズムを細分化した音楽でしたが、この曲は音律を細分化した音楽としてC.アイヴズが作曲した「2台のピアノのための3つの四分音曲」(世界初演)及びG.ハースが作曲した「スティーヴ・ライヒ讃」(日本初演)を意識したものではないかと思われますので、3曲の感想をまとめて記載します。四分音はオクターブを24分割(全音の半音の半音)した微分音で、自然界に存在する音のうち、人間の認知能力に都合の良い音を配列したピアノの鍵盤と鍵盤の間に切り捨てられてしまった音です。C.アイヴズは「いつしか全音階もすたれ、四分音音階の名曲を学童が口笛で吹くようになるようになる頃には、こうした境界的作例も理解される」という言葉を残しているそうですが、人間中心主義の破綻が明確に意識されるようになり自然尊重主義へ大きく舵が切られている現代にあって、より自然音に近い四分音を含む微分音はポピュラー音楽でも効果的に使用されている例が増えてきていることから、サブカルチャーに鍛えられた現代人の耳には微分音に対する抵抗は殆どなくなっているのではないかと思います。「2台のピアノのための四分音ハノン」は、ピアノの運指を訓練するものではなく聴衆の耳を四分音に慣らすための練習曲の意図が隠されているのかもしれません。この点、この曲は四分音の音世界を表現することに主意があるというよりも、音楽的な効果を主意とせず運指の練習という教育的な効果を主意とする曲という意味での機械美学的な美を表現したものに感じられます。一方、「2台のピアノのための3つの四分音曲」は四分音の豊饒な音世界の広がりを明確に意識させてくれる曲であり、音楽的な世界観を広げてくれる芸術体験が魅力的です。また、「スティーヴ・ライヒ讃」は2台のピアノを「ハ」の字形に配置し、1人のピアニストが片手で四分音ピアノ、片手で全半音ピアノを奏でるというもので、人間という枠組(10本の指)を前提として音楽的な世界観を広げることを試みたい意欲的な曲に感じられました。最近、カラードノイズが注目されていますが、それと似たような効果があり秋山さんが奏でる正確なリズムと四分音の精妙な響きが織り成す心地良い音場が非常に印象的でした。自然美>機械美学>人間美学という関係で世界観が広がって行くイメージを持っていますが、上述のとおり現代物理学は顕微鏡や光格子時計の発明等によって人間の認知能力を超える世界を記述することが可能になり、これまでの世界観を大幅に更新していますが、これと同様に、機械美学(二十四平均律)は人間美学(十二平均律)をより自然美の方向に拡張するための役割を果たすものであると捉えています。過去のブログ記事で触れましたが、人間は知覚(現在の情報)と記憶(過去の情報)から認知(未来又は未知の予測)し、その結果から感情を生じますが、おそらく人間の記憶(学習)から全音や半音を人間美学的な美として認知し、微分音を機械美学的な美として認知する傾向があるのではないかと思いますが、これも知覚(体験)と記憶(学習)を繰り返すことによって微分音に対する認知(美意識)は変化すると考えられます。
 
⑤第43回AI美芸研シンポジウム
この演奏会のテーマである「演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか」との関連で大屋さんから示唆に富む面白い話を聞けましたが、現在、ブレーン・マシン・インターフェース(BMI)として6本目の人工指の開発が注目されていますが、現代人はスマホなど人体の外部からの柔らかな働き掛けによって人間という枠組を拡張して生活するようになっており、また、21世紀に入って人工知能(AI)が実用化フェーズへ移行すると、20世紀以前の人間は「理性的な存在」として他の生物に優位するという人間中心主義的な人間観は破綻し、人間は「不完全な存在」であり、その不完全さをテクノロジーで補うという人間観が支配的になっている趣旨の話しがありました。過去のブログ記事で触れましたが、人間以外の植物や微生物にも優れた知性が備わっていることが科学的に解明され、また、上述のとおり人間の認知能力だけでは世界を正確に記述できないことが科学的に自明になると、人間という枠組(宗教を含む)から世界を捉え、表現するという姿勢では世界の真理に迫ることは難しく、益々、世界(人間を含む)を表現するための芸術にも革新が求められているということなのだろうと思います。
 
⑥人工知能美学芸術交響曲(世界初演)
人工知能美学芸術研究会が作曲した「人工知能美学芸術交響曲」(日本初演)は「人工知能美学芸術宣言」(2016年)に記されている「人工知能が自ら行う美学と芸術」(Ⅳ:機械美学/機械芸術)ではなく、そこに至る道程として人間が創作したものであるとの解説が付されています。現時点では人工知能(AI)に意識(美学)は芽生えておらず(昨年、Googleの研究者が大規模言語モデルのAI「LaMDA」に意識が芽生えた可能性があると発表したというニュースが世界を駆け巡りましたが、その後、その証拠は見付かっていないという結論に至っています。)、また、「人間が人工知能を使って創る芸術」(Ⅲ:人間美学/機械芸術)にも興味がないとのことで、基本的に「Ⅱ:機械美学/人間芸術」を志向した曲という印象を受けますが、第二楽章には1961年にベル研究所がコンピュータに歌を歌わせた世界初の音源が使用されていますので「Ⅳ:機械美学/機械芸術」への志が強く感じられる曲になっています。なお、第一楽章は器楽による金属音と合唱による機械音(カタカタ)、第三楽章は器楽による打撃音と合唱による持続音が繰り返されますが、「機械美学」という言葉に引きずられて音楽のモチーフが「機械音」に限定されてしまっている印象を否めず、例えば、知性を備える植物や微生物の生体電位を音楽のモチーフに採り入れるなど機械に限らず非人間的な要素を広く包含し得るカテゴリライズがより望ましいのではないかと感じます。現在、ディープラーニングを通して自律的に進化する人工知能(AI)と環境変化に適応して他律的にも進化する人工生命(AL)の考え方を補完的に組み合わせる研究も盛んになっており、将来、人工知能(AI)が人間に双璧し又は凌駕する意識や知性を備えたときに果たして機械というカテゴライズが有効なのかとも感じます。
 
⑦交響曲第4番(2011年改訂批判校訂版:日本初演)
C.アイヴズが作曲した交響曲第4番は、複数のテンポが同時進行するために複数の指揮者を必要とし、大編成のオーケストラと合唱団、特殊楽器の使用、演奏難度などの事情から日本では過去に3度しか演奏されたことがなく、C.アイヴズの紹介に尽力した指揮者のL.ストコフスキーをして「アイヴズ問題の核心」と言わしめるほど梃子摺らせ、C.アイヴズ死後の1965年に漸く全曲初演に漕ぎ付けることができた演奏至難の難曲です。C.アイヴズ(1874~1954年)は、A.アインシュタイン(1879~1955年)と同世代で、あくまでも個人の勝手な感想ですが、交響曲第4番にも宇宙創成の壮大な物語を聴くことができるのではないかと感じます。交響曲第4番は1910年から1916年の間に作曲されており、丁度、A.アインシュタインが1905年に特殊相対性理論、また、1916年に一般相対性理論をそれぞれ発表した時期に符号し、これらの革新的な理論からインスピレーションを受けて創作に取り組んだのではないかと想像します。なお、その影響なのか、ユニヴァース・シンフォニー(宇宙交響曲)の創作にも取り組んでいたそうですが、残念ながらこの曲は未完成の遺作となっています。因みに、この2人と同時代を生きたP.ピカソ(1881~1973年)も相対性理論などからインスピレーションを受けてキュビスムを創始したのではないかと言われています。交響曲第4番の曲調を形容すべき適当な言葉が見付かりませんが、ピカソの絵画を見ているような独創と狂気の狭間を紡ぐ天才にしか創作できない曲であるという印象を受けます。カオス(混沌)からコスモス(秩序)が生まれてくるようなイメージがあり、起伏に富んだドラマやファンタジーが展開されますが、全てが手中にあって破綻を来していないのは天才としか言いようがありません。宇宙創成の物語に準えて曲の感想を書くとすれば、第一楽章はビックバン後のカオス(混沌)な様子、第二楽章はエントロピーが局所的な増大と減少を繰り返しながら宇宙の秩序が形成されて行く様子、第三楽章は宇宙が調和している様子(近代以前の世界観を垣間見ているような胡散臭さ)、第四楽章は宇宙がカオス(混沌)な状態に戻って終焉に向かう様子をイメージして聴いていましたが、一聴すると錯綜しているようでありながら非常に描写力に優れた曲のように感じられて惹き込まれました。オンドマルトノに誘われて登場する合唱は宇宙を支配する圧倒的な何ものかを表現しているようにも感じられます。複数のテンポ(時間)の同時進行は相対性理論の相対的な世界観やインターネットやブロックチェーンにも採り入れられている中心のない世界観を表現しているようにも感じられますが、世阿弥の言葉を借りれば「花」(風姿花伝第7巻別紙口伝「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり」)のある名曲であり、かなりシナプス可塑性が活発化されること請け合いなので、是非、未聴の方は一聴することをお勧めしますし、是非、ライブ演奏で聴いてみたいと念願しています。主催者と演奏者にヴラヴォー!
 
▼第15回現代音楽演奏コンクール「競楽XV」本選会の結果
オンライン公演がなく演奏を拝聴できませんでしたが、朝日新聞社が後援する現代音楽演奏コンクール「競楽」が開催されましたので、その結果と共に次代を嘱望された若く有能な芸術家達を讃えたいと思います。このコンクールは若い演奏家及び演奏団体による現代音楽の演奏を奨励するために隔年で開催されている非常に有意義なコンクールです。現代はクラシック音楽が表現し又はその表現の前提としてきた近代以前の価値観、人間観、自然観及び世界観等に対する各分野からの異議申立が行われ、それらが大幅に更新されている時代であり、現代人の知性を前提とするとクラシック音楽が現代人の教養(学問、知識、経験や芸術受容等を通して養われる心の豊かさ)を育むことは難しくなっていると思います。この点、ギドン・クレーメルやヒラリー・ハーン等の当代一流の演奏家は現代に生きて活躍している現代作曲家の知られざる名曲を掘り出して演奏会やレコーディング等で積極的に採り上げ、その魅力を伝えることで現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している真の意味で偉大な演奏家ですが、今後、このような演奏家が増えてくれることを心から願いたいですし、そのような活動を行う若く有能な芸術家達を全力で応援していきたいと思っています。その意味で、今回の入賞者達の奮闘を心から讃えると共に、今後の活躍に注目し応援していきたいと思っています。
 
第1位 島田菜摘(打楽器)
第2位 天野由唯(ピアノ)
第3位 北條歩夢(打楽器)
入 選 中村淳(フルート)
入 選 福光真由(マリンバ)
奨励賞 青栁はる夏(打楽器)
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.13
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼マーティン・サックリングの弦楽五重奏曲「エミリーの電気的不存在」(2017年)
イギリス人現代作曲家のマーティン・サックリング(1981年~)は、ロイヤル・フィルハーモニー協会作曲賞(2008年)スコットランド新音楽賞(2020年)を受賞するなど注目されている若手作曲家です。この曲は、オーロラ室内管弦楽団の委嘱でシューベルトの弦楽五重奏曲とアメリカ詩人エミリー・ディキンソンへのオマージュとして作曲され、2022年にリリースしたニューアルバム「The Tuning」に収録されています。
 
▼アベル・セラオコーの「嘆き」(2018年)
南アフリカ人現代作曲家のアベル・セラオコー(1992年~)は、チェロ奏者としても著名で作曲活動と共に演奏活動も精力的に行っており、歌、パーカッション、即興演奏等を採り入れてアフリカ音楽と西洋音楽を融合する独自の音楽作りで非常に注目されている期待の俊英です。この曲は、イタリア人のチェロ奏者のジョヴァンニ・ソッリマがズール語で歌われる喉歌にインスピレーションを受けて作曲した曲をセラオコーがアフリカ風にアレンジしたものです。
 
▼今野玲央の「空へ」(2018年)
日本人現代作曲家の今野玲央(1998年~)は、筝奏者としても著名で作曲活動と共に演奏活動も精力的に行っており、第29回出光音楽賞(2019年)や第68回神奈川文化賞未来賞(2019年)を受賞するなど非常に注目されている期待の俊英です。この曲は、困難に直面した際に空を見上げながら自由にやってみようと思い立ち作曲した曲だそうです。作曲家と演奏家を完全に分離しなかった点が伝統邦楽が現代邦楽へ脱皮する原動力になっていると感じます。