大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

アマービレフィルハーモニー管弦楽団第13回定期演奏会と世界を色取る言葉<STOP WAR IN UKRAINE>

▼世界を色取る言葉(ブログの枕)
過去のブログ記事で文化圏による虹色の認識の違いに触れ、日本語には色(単色)や色彩(配色)を表現するための言葉(色名)の種類が多いと述べましたが、色名を表現する日本語の歴史と日本語が認知に与える影響について簡単に触れてみたいと思います。古代の日本語の色名には、大気(光)の色を表現する「赤」「白」「青」「黒」の4種類の言葉(概念)しかなかったと言われていますが、例えば、「青」は「緑」「黄」「紫」等の幅広い色名を表現する言葉として使われており、現代でも「新緑」のことを「青葉」と言い、信号機の「緑色の灯火」(Vienna Convention on Road Signs and Signals/ChapterⅢ Article23-1-(a)-<(i)/P15)を「青色の灯火(俗に青信号)」(道路交通法施行令第2条)と言うのは、その名残です。因みに、信号機に色の三原色の1つである青色ではなく緑色の灯火が使用されているのは、過去のブログ記事でも触れた人間の視覚を司る光受容体(錐体細胞)が青色に比べて緑色に対する感度が高く明るく感じられることに加え、青色に比べて緑色は光の波長が長く遠くからの視認性に優れていることなどが理由になっています。俗に「燃えるような緑」という表現がありますが、緑色は人間の視覚に最も映える色彩と言えるかもしれません。6世紀頃に中国から仏教、儒教及び陰陽五行説が日本に伝来して、森羅万象を構成する色彩、方位、季節、星座、四神及び十二支などの考え方が日本に普及し、それまでの「赤」「白」「青」「黒」の4種類の基本色に「黄」が追加されて(色の三原色:「青」「黄」「赤」)、天上の「黒」に対する地上の「黄」という易経の考え方から地上で最上のものを示す言葉として「黄河」「黄帝(皇帝)」(ex.ユンケル黄帝液)「黄門」(ex.水戸黄門)など「黄」の言葉が使われるようになりました。このように宗教の伝来と伴って日本語の色名が徐々に増え、平安時代になると、それまで数十種類しかなかった日本語の色名が数百種類へと増加しました。もともと古代の日本には、仏教の釈迦やキリスト教のイエスのような教祖を崇める信仰ではなく、自然そのものをご神体として崇める信仰が定着し、例えば、紅、紅梅色、桜色、櫨染、苅安、杜若、緑、藍、葡萄染、蘇芳、紅葉、朽葉、梔子、楝など植物、鉱物やその他の自然物を日本語の色名に採り入れて自然を愛でる文化が育まれ、それは「桜色に 衣は深く 染めて着む 花の散りなむ 後の形見に」(古今和歌集/紀有朋)のように「色」や「花」(自然)等に「心」を巧みに織り込んで表現する和歌として実を結んで世界的にも稀に見る高度な芸術(文学)として昇華しました。また、平安時代の宮廷文化である女房装束「襲の色目」(かさねのしきもく)には自然を敏感に感じ取る感性とそれを生活に巧みに採り入れる知性が多彩色として表現され、時節に合った色合いの装いで自然と調和(色を混ぜるという人工的な美ではなく、色を和える(重ねる)という自然的な美を尊重)する雅や(宮)びやかなファッションとして定着しました。その一方で、鎌倉時代及び室町時代の武家文化になると、禅宗の「一即多、多即一」という理念(虚飾(多)を排して本質(一)を追求)の影響を受けて、「墨の五彩」(白、灰、黒の濃淡)という単彩色として自然の本質が表現され、それは枯山水(庭園)や侘び茶(茶道)等としても昇華し、江戸時代の奢侈禁令を背景として四十八茶百鼠が流行するとその豊富な色名と共に日本人の繊細な色彩感覚が極まりました。因みに、もともとお茶はその名前のとおり茶褐色でしたが、江戸時代に宇治茶を栽培していた永谷宗円(そのご子孫が永谷園を創業)が「青製煎茶製法」というお茶の製法を発明して茶葉が茶褐色から青色(緑色)になって緑茶が誕生し、それが評判になり「宇治の煎茶」が日本を代表するお茶と言われるまでになりました。なお、安土桃山時代、江戸時代末期(葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」に使用されているベロ藍など)及び明治維新には、日本の天然染料・顔料とは異なる合成顔料が西洋から流入し、西洋の極彩色を基調とする色彩革命が起こり、その良し悪しは別論として日本人の美意識が大きく変革されました。真言宗の開祖・空海(吉備真備など諸説あり)が仏教の無常観を詠った「いろは歌」の冒頭は「色は匂へど」で始まりますが、これは草花の香が匂うことを意味しているのではなく、花根の色が匂う(映える)ことを意味しています。「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」(万葉集/額田王)も「紫草のように美しいあなた」という視覚表現として「にほへる」を使っていますが、やがて視覚と嗅覚の意識が分離して「色」は視覚、「匂う」は嗅覚を表現する言葉に分化されました。この点、過去のブログ記事で脳の統合認知機能に触れましたが、本来、脳は五感を別々に認知しているのではなく、これらを統合して最適な認知を創り出しており、これを表すように「色が匂う」「香りを聞く」「目で味わう」「音色」など複数の知覚を統合して表現する言葉が多く存在しています。前回のブログ記事で坂本龍一さんがアメリカのクロスオーバーの潮流を語られていたことに触れましたが、近代的な「分け」て物事を捉えるだけではなく現代的な「和え」て物事を捉えることで、「記憶」(過去の情報)と「知覚」(現在の情報)の組合せが豊富になり(シナプス可塑性の活発化)、認知(創造性につながる未来又は未知の予測)の可能性を広げて行くという発想が益々重要になっていると思います。上述のとおり、「赤」は「明」が語源になっていますが、「赤の他人」「真っ赤な嘘」「赤っ恥」「赤裸々」など明らかなことを意味する言葉として「赤」が使われ、また、「明」の語義から「赤」が「闇」に棲む魔物を退ける魔除けの意味を持つようになり鳥居や達磨等に赤色が使われています。また、明治時代までは男性が元服すると前髪を剃り落としましたが、その跡が青く見えるのは未熟な証拠であるとして「青臭い」「青二才」など未熟なことを意味する言葉として「青」が使われるようになるなど、色名が持つイメージ( ≠ 共感覚)と結び付いて認知の世界を豊かに色取っています。
 
▼古代の日本語の色名
「明」(赤):朝になり空が赤く色付いた状態
「顕」(白):太陽が昇り白々とはっきり見える状態(ex.顕著)
「漠」(青):太陽が沈み青み掛かって見る状態(ex.漠然)
「暗」(黒):夜になり空が黒く色付いた状態
 
▼仮名文字の十二音技法「いろは歌」
色は匂へど 散りぬるを(いろはにほへと ちりぬるを)
我が世誰ぞ 常ならむ(わかよたれそ つねならむ)
有為の奥山 今日超えて(うゐのおくやま けふこえて)
浅ぎ夢見じ 酔ひもせず(あさきゆめみし ゑひもせず)
 
 
▼アマービレファイルハーモニー管弦楽団第13回定期演奏会
【演題】アマービレファイルハーモニー管弦楽団第13回定期演奏会
【演目】近藤浩平 マリンバ協奏曲「アオバトの森」(作品216)
        (アマービレフィルハーモニー管弦楽団委嘱作品・世界初演)
      <Mar>大森香奈
    ②モーツァルト 交響曲第35番ニ長調「ハフナー」(K.385)
    ③ストラヴィンスキー 組曲「プルチネルラ」
【演奏】<Con>松岡究
    <Orc>アマービレフィルハーモニー管弦楽団
【会場】茨木市市民総合センター「クリエイトセンター」
【日時】4月16日(日)14時~(ライブストリーミング配信)
【料金】2000円
【一言感想】
今日は大阪府茨木市を拠点に活動するアマービレフィルハーモニー管弦楽団(APO)のライブストリーミング配信を視聴することにしました。日本オーケストラ連盟に加盟している団体としては最も新しく、一般企業が経営母体になっている数少ないプロオーケストラの1つです。2023年4月から松岡究さん(現、東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者)がAPOの音楽監督兼常任指揮者にも就任された模様です。今日の演目は非常に考えられた構成になっており、クラシック音楽を聴き始めたばかりの入門者向けにモーツァルト、未だ第一次世界大戦前の音楽しか聴かない新参な客層向けにストラヴィンスキーの新古典主義時代の聴き易い曲、既に第一次世界大戦前の音楽は聴き飽きて第一次世界大戦後の音楽を物色している古参な客層向けに近藤浩平さんの新曲と、幅広い客層のリピーター開拓を企図したものになっていました。レコード芸術の休刊に象徴されるように定番曲の僅かな解釈の差異を聴き比べる音盤コレクターの時代は終焉し、シナプス可塑性を活発化して新しい世界観を拓いてくれる新しい芸術体験が求められるようになり、その意味でオーケストラの演奏会にも前例踏襲ではない創意工夫が求められる時代になっていると感じます。今後も、現代に生きて活躍している作曲家の作品を紹介するなど、他のオーケストラがやっていないようなことにも積極的に取り組んで貰いたいと期待しています。
 
①近藤浩平:マリンバ協奏曲「アオバトの森」
APOが現代作曲家の近藤浩平さん(日本の音楽展・作曲賞入選、ベルリン・ドイツ・オペラ「世界の音・東アジア」作曲コンクール第2位など)に委嘱した作品で、ブログラム・ノートには「マリンバには森の木立のイメージがあり、木々と生き物たちがざわめくような協奏曲を書いてみようと考えた」と記載されており、山の作曲家の異名を持つ作曲家ならではの森の生命力のようなものを感じさせる面白い作品を楽しむことができました。ソリストの大森香奈さん(イタリア国際打楽器コンクール第1位、KOBE国際音楽コンクール第1位など)は、現在、打楽器メーカーのADAMS社(オランダ)Encore Mallets社(アメリカ)及びSABIAN社(カナダ)の契約アーティストになっており、大森さんのトレードマークであるピンクマリンバは大森さんのためにADAMS社が特別に制作したものだそうです。また、Encore Mallets社が発売しているマリンバ・マレット「大森香奈シリーズ」は大森さんが開発したものだそうで本日の演奏でも使用されていましたが、このマレットは木の温もりが感じられる暖かくクリアな音色を紡ぎ出す特徴があり、この楽曲の曲想である「マリンバには森の木立のイメージ」という音世界を表現するのに適した音色を生んでいたと思います。なお、この曲の標題「アオバト」に因んだものなのでしょうか大森さんは青色を基調とするドレスをお召しになられていましたが、実際のアオバトは緑色をしており「緑鳩」と書いて「アオバト」と読みます。上述のとおり古代の日本語には色名を表現する言葉として白、赤、青、黒の4種類しかなく、そのために緑は青に分類されたいたことからアオバト(緑鳩)と命名されています。オケはストコフスキーシフトの一管編成を基本として、弦5部はヴァイオリン:各2.5プルト、ヴィオラ/チェロ:各1.5プルト、コントラバス:1プルトの小編成でしたが、これに対して打楽器は4名と充実した編成になっていた点が特徴的でした。第一楽章は、マリンバの音板を弦楽器のように弓で擦り、弦楽器の表板を打楽器のように指で叩くという倒置的な表現が用いられていますが、人間が都合よく自然を切り出した偏狭とした世界観(人間中心主義的な視点)から、本来、自然が持っている多様な世界観(自然尊重主義な視点)へと観客の視野が拓かれて行くような示唆に富む表現が印象的でした。その後、アオバトの鳴き声から着想を得たものと思われる「正体不明の声」が聴こえてきますが、姿が見えない生物への感性が研ぎ澄まされて森の音世界へと誘われ、ガーシュイン風とでも形容すれば良いのか華やかで多彩なリズムや音色(ギロ、鈴、拍子木など打楽器の種類も豊富)によって森が育む多彩な生物の存在を感じさせる面白い曲想になっています。第二楽章は、リズミカルな第一楽章とは対照的にロングトーンが用いられていますが、森の喧騒とは対照的に森の静寂が表現されているようで、生物の位相(音を出す動物に対し、音を出さない植物や微生物)と森に流れる多様な時間を感じさせる面白い曲想になっています。第三楽章は、第二楽章の曲想を引き継ぎながら、これに第一楽章の曲想が加わって、マリンバとオーケストラが緊密に呼応しながら森のオーケストラとでも言いべき多彩な音楽が展開されてクライマックスを築いて行きます。現在、札幌でG7環境大臣会合が開催されていますが、そのレセプションに相応しい曲ではないかと感じながら聴いていました。なお、アンコールはマリンバ独奏によるリベルタンゴでしたが、マリンバの柔らかい音はリラックス効果が高く心地よく響きます。現代音楽は初聴の曲が殆どで、また、音盤がリリースされていないものも多いので、一聴しただけでは深い鑑賞は困難であるとも感じています。その意味では、ライブストリーミング配信だけではなくアーカイブ配信も採り入れて頂けると、現代音楽の鑑賞の手助けとなるのではないかと感じています。
 
②モーツァルト:交響曲第35番ニ長調「ハフナー」
モーツァルトの曲を聴いてもボンカレーの味を懐かしむようなイマサラ感がありますので、感想は割愛します。オケはストコフスキーシフトの2管編成を基本としていましたが、それにしては弦5部が小編成(上述①と同じ5型)になっており、また、(マイクの感度が原因かもしれませんが)ややデットなホールであったことも手伝って若干響きが華奢に感じられましたが、低弦が内声を豊かに響かせる存在感で引き締まった演奏を楽しむことができました。
 
③ストラヴィンスキー:組曲「プルチネルラ」
ヨーロッパを中心とする世界秩序を破壊する第一次世界大戦中の1918年に、ストラヴィンスキーはバーバーリズムから新古典主義への移行を模索するバレエ「兵士の物語」を初演し、その直後にパンデミック禍にあったスペイン風邪に感染していますが、アメリカを中心とする世界秩序から多極化した世界秩序への潮流を生む誘因となっているウクライナ戦争とコロナ禍にある現在と状況が似ています。このような状況のなか、ストラヴィンスキーは1919年~1920年にバレエ「プルチネルラ」を作曲し、1924年にこれを組曲(器楽曲)として編曲しています。組曲「プルチネルラ」は新古典主義の作品と位置付けられていますが、ストラヴィンスキーが新たに作曲した部分は少なく、G.ペルゴレージやD.ガッロなどのバロック時代の作品に近代的なリズムやハーモニー等を採り入れた編曲のみを行っている部分が多い印象ですが、当時、バロック時代の作品を近代的に再解釈するというアイディアは斬新なものだったと言われています。本日の演奏は、(多少のキズはありましたが)小編成ならではの軽快なアンサンブルを楽しむことができ、とりわけ第6曲のガボットではストラヴィンスキーの編曲の妙味を存分に堪能できる多彩で優美な木管アンサンブルが秀逸で、他の曲を含めて木管の好パフォーマンスが目立っていました。なお、プログラム・ノートには第4曲のタランテラの原曲について「ケレーラの作品」と記載されていますが、おそらくヴァッセナール伯のコンチェルト・アルモニコ第2番第四楽章ではないかと思います。また、第5曲のトッカータと第6曲のガボットの原曲について「作者不詳のチェンバロ組曲」と記載されていますが、おそらくカルロ・モンツァのチェンバロ組曲第1番と第3番ではないかと思います。
 
▼日本の作曲
サントリー芸術財団が1969年から10年毎に編纂している「日本の作曲2010-2019」が公開されましたのでご紹介します。外国の現代作曲家が掲載されておらず、また、日本の現代作曲家も一部(ビックネーム)しか掲載されていませんが、この10年間に存命し、活躍した日本の現代作曲家を紹介しており非常に有難い媒体です。
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.20
シリーズ「現代を聴く」では、1980年以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家又は現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している若手の演奏家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼オーラブル・アルナルズの「回想」(2021年)
アイスランド人現代作曲家のオーラブル・アルナルズ(1986年~)は、最も期待されているポスト・クラシカルの俊英で、前回のブログ記事でも触れた坂本龍一さんのヨーロッパツアーで前座を務め、また、東日本大震災被災地支援プロジェクト「kizunaworld.org」 に楽曲を提供するなど日本でもお馴染みの現代作曲家です。この曲はアンビエントやエレクトロニカなどのジャンルで注目されている「Soft Piano」(弦とハンマーの間にフェルトを挟んで録音された音源)を使って作曲されており、倍音の少ない丸みのある音色が魅力です。
 
▼リサ・シュトレイクの「ネロリ」(2021年)
スウェーデン人現代作曲家のリサ・シュトレイク(1985年~)は、クラウセン・サイモン作曲賞(2020年)等を受賞し、英国の音楽サイト「bachtrack」が国際女性デーを記念して先月3月8日に公表した「2023年に注目すべき8人の女性作曲家」においてリサ・シュトレイクがエントリーされるなど、現在、ヨーロッパで最も注目されている若手の女性作曲家です。なお、この8人の女性作曲家には過去のシリーズ「現代を聴く」でもご紹介させて頂いた日本人現代作曲家・桑原ゆうさんがエントリーされているのも注目されます。
 
▼渋谷由香の「Found Overtone」(2021年)
日本人現代作曲家の渋谷由香(1981年~)は、第19回京都芸術祭新人賞や第28回現音作曲新人賞等を受賞し、現在、注目されている若手の俊英です。この動画は2021年に門天ホールで開催された「未来に受け継ぐピアノ音楽の実験(Cプログラム)」の模様を収録したもので(渋谷さんの曲は01:03:31~)、J.ケージが発明したプリペアドピアノや特殊奏法を使用して、各曲とも多彩な曲想による独特の世界観が表現されており非常に面白いです。Aプログラム及びBプログラムもあり、非常に贅沢な演奏会を楽しむことができます。