大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

オペラ「静と義経」(三木稔/日本オペラ協会)と「陵王乱序|RANJO」(石田多朗)と第6回REAMコンサート(東京藝術大学音楽学部作曲科)と「和魂漢才のイノベーション」<STOP WAR IN UKRAINE>

▼「和魂漢才のイノベーション」(ブログの枕)
前回のブログ記事で触れましたが、夢枕獏さんの小説「陰陽師」で安倍晴明の親友として描かれている平安時代中期の公家・源博雅は醍醐天皇の孫で臣籍降下して源姓(公家源氏)を名乗りますが、「雅楽」に秀で管弦の名手として比類ない才能を発揮したと言われており、逢坂の関に隠棲する琵琶法師の始祖・蝉丸のもとに3年間通い詰めて秘曲「石上流泉」(元々は古琴の曲で、石上を伝う水滴が流泉を結び、やがて生命を育む大河になる自然の景観を奏でた音楽に心まで澄まされる感興を覚えます)と「啄木」を伝授されたと伝えられています(今昔物語集第24巻第23話)。この点、日本社会は諸外国から採り入れた先進的な知識(漢才、洋才)を日本の風土で育まれた知恵(和魂)を使って日本流に再解釈して活かすこと(和魂漢才和魂洋才)が尊ばれてきましたが、このような考え方を背景にして、日本文化は一神教的な世界観に特徴的な「混ぜる」文化(絶対主義に基づく支配の思想)とは異なる多神教的な世界観に特徴的な「和える」文化(相対主義に基づく調和の思想)を基調として「文化の基軸」(日本固有の文化)に「文化の横軸」(外国文化の日本文化への適応)「文化の縦軸」(サブカルチャーのハイカルチャーへの昇華)が重層的に作用し合いながら発展してきた歴史があり、その文脈に雅楽やその他の日本文化の変遷を位置付けることができるのではないかと思います。日本文化の発展をごく大雑把に俯瞰すると、①古代:外国文化の日本文化への適応(和魂漢才)、②中近世:サブカルチャーのメインカルチャーへの昇華(主役:朝廷→武家→庶民)、③近代:外国文化の日本文化への適応(和魂洋才)、④現代:多文化と4区分できるのではないかと思いますが、①古代は遣隋使・遣唐使の派遣により外国文化が本格的に流入する前の古墳時代まで日本固有の文化(和才)が育まれていました。この点、過去のブログ記事でも触れたとおり、古事記「天の岩戸」には「天宇受売は楽びをし、亦八百万神諸咲ふ」と記されており、芸能の神である天宇受売命(天鈿女命)が歌舞音曲で天照大神の魂を振るい起こして甦らせるための神事「御魂振り」(たまふり)の「」(あそび)(「樂」は巫女が持つ榊の枝の先に鈴を下げている象形文字)を行ったと述べられています。また、同じく古事記「天の岩戸」には「神懸かり為て、胸乳を掛き出で、裳緒を番登に忍し垂れき。」と記されており、巫女が歌舞音曲で神を招魂して神人合一することで神託を受けるという神事には芸能的な要素だけではなく(天照大神は太陽の女神であるものの)性犠的な要素(贄女)もあったことが窺われますが、これが後世に至って巫女が歌女や舞女だけではなく遊女にもなった伏線になっているように思われます。古事記、日本書記、風土記、万葉集、後漢書及び魏志倭人伝などには歌舞音曲(歌ひ、舞ひ、楽奏、琴、笛、角、鼓、口鼓など)に関する記述が散見されますが、とりわけ「」(弦楽器の総称/例えば、琵琶の琴)、「」(管楽器の総称/例えば、笙の笛)、「」(打楽器の総称)は三種の邦楽器として重要な働きを担っていたと考えられます。この点、古事記「根の堅州国」には「大神の生大と生矢と、其の天詔琴とを取り持ちて、逃げ出でし時に、其の天詔琴、樹に拂れて地動鳴みき。」と記されており、出雲の国の三種の神器として「刀」「弓」と共に「詔琴」が挙げられていますが(因みに、大和の国の三種の神器は「剣」「鏡」「勾玉」)、本居宣長の古事記伝によれば、昔から琴の音が神や亡魂の心を動かして(御魂振り)招魂する働き(音連れ)があり神人合一して「詔言」(のりごと:神意を言葉で表すこと)を託宣するための呪器(祭器)であることから「詔琴」(のりごと:神意を音楽で表すこと)と命名された旨が記されています。古事記の仁徳記には倭琴の音を「さやさや」(笹の葉 さらさら♬)というオノマトペを使って表現している部分があり、さながら神の依り代である笹(七夕で神の依り代である笹に願い事を記した短冊を結ぶことで神に願い事を叶えて貰う由縁)を揺らす風やそれから生まれる音の気配(ささやく)を連想させるもので興味深いです。古墳時代まで日本で使われていた楽器「倭琴」(やまとごと)(弾琴埴輪:膝の上に乗せて撥で弾く約50cm程度の小さな楽器)は奈良時代に中国から伝来した楽器「唐琴」(からごと)を参考にして「和琴」(わごん)へと改良され、それが現代の筝へと発展しています。このような文化的な背景から、雅楽では和琴が最上の楽器とされており、最も権威が高い楽長により演奏される慣わしになっています。また、前回のブログ記事で触れたとおり、小説「陰陽師」では源雅博が吹く龍笛の音は邪気を払う霊力があるとされていますが(今昔物語集第24巻第24話)、笛には神の依り代である竹(例えば、門松の竹脇鏡板の若竹など)の霊力が宿っており、笛を吹くことで竹の霊力を発現させる特別な楽器と考えられていました。因みに、能管には雅楽の龍笛とは異なる「喉」と呼ばれる機構(吹口と一番上の指孔との間の内側にもう1つ管)があり、敢えて音律を不安定にする(即ち、自然界にある揺らぎのある音を生み出す)と共に、ヒシギを吹き易くするための工夫が加えられています。さらに、古事記「天の岩戸」には「汙気を伏せて、蹈登杼呂許志」と記されており、「鼓」の原初的な形態は天宇受売命(天鈿女命)がリズムにより神懸かり(神の憑依)して神人合一するために踏み鳴らした「汙気」(うけ)=桶であり、「鼓」は「御魂振り」の「楽」により神懸かり(神の憑依)するために重要な働きを担う楽器であると考えられていました。因みに、能の序破急は雅楽の序破急に由来していると言われていますが、雅楽の序破急が主に楽曲の構成やテンポの変化を示すのに対し、能の序破急はピッチにも影響している点で異なっています。過去のブログ記事で「祭」とは神の憑依(神意の顕現)を意味する「まつ」(待つ)を語源にしていることに簡単に触れましたが、祭は歌舞音曲(楽)で神の心を動かして(御魂振り)招魂することで神懸かり(神の憑依)を待ち神人合一する非日常的な場(ハレ)であり、神と人、生と死、自然と社会などの異質なものを結び付けて共存、調和させる「和える」文化(襲の色目 ≠ 異質なものを同質化して融合させる「混ぜる」文化)を体現するものであったと考えられます。なお、上述のとおり古墳時代以前の「琴」とこれを改良した奈良時代以降の「琴」という2つの言葉が出てきますが、古墳時代までは「倭」という蔑称(「人」に「委」ねると書く「倭」は漢民族が周辺諸国を示す言葉として使っていた属国的なニュアンスを持つ蔑称)が使われていた状況を改善するため、607年に推古天皇(女帝)は遣隋使の国書で「倭王」ではなく「日出處天子」と自称し、さらに、663年の白村江の戦いの敗北に伴う唐・新羅の侵攻を牽制して独立国であることを示すために701年に文武天皇が「日本」を正式な国号として定めました。しかし、その後も「倭」という蔑称も使われ続けたことから、713年に元明天皇(女帝)が好字二字令(畿内七道諸国郡郷名着好字)によって「倭」を「大和」(独立国として対等な立場で講和を結ぶという意味を持つ同音好字)に改めましたが、これにより現代でも日本では二字で構成される地名が多くなっています。本来、「和」とは気心の知れた仲間同士が和気藹々と座を囲むことなど同質なものが絆を深めるというセンチな意味ではなく、上述のとおり異質なもの(敵と味方、外国文化と日本文化、神と人、生と死、自然と社会など)を結び付けて共存、調和するための高次の関係性を築くことを意味し、聖徳太子の憲法十七条「和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」の「和」も天皇(大王)を中心とする中央集権国家が成立する前の豪族連合国家を前提として上述のとおり異質なものを結び付けて共存、調和する趣旨を意味しているものと思われます。日本は独立国として大陸(外国)と対等な関係性を築き、それを維持するために、外国文化を積極的に採り入れ(受容)、それを取捨しながら(選択)、日本の風土に相応しいものに作り変えること(変容)で日本文化を育んできましたが(和魂漢才)、このように異質なものを結び付けて共存、調和する精神性(母性原理)が日本人のアイデンティティの中に息衝いている(た)ように思われます。因みに、「和歌」(倭歌)という言葉は唐歌(漢詩)に対する日本の詩歌を意味するものとして生まれましたが、和歌を通して自然や他人と調和するという語感を含んでおり、武家が連歌を嗜んだのは家臣や客と連歌を詠み合うことで心を1つ(「当座の感」/二条良基「井蛙抄」)にして結束を強くする意図(一味同心)があったと言われています。
 
 
上述のとおり遣隋使・遣唐使の派遣により外国文化が本格的に流入する前の古墳時代まで日本固有の文化(和才)が育まれていましたが、日本が外国文化を本格的に受容する(日本人のアイデンティティのバージョンアップ)にあたり2度の内乱が勃発しました。即ち、1度目は古墳時代末期~飛鳥時代(上記①)に勃発した「漢才」の受容などを巡る内乱「丁未の乱」(外交を重視して仏教を積極的に受け入れる蘇我氏を中心とする崇仏派と神道的な伝統を重んじて外来宗教である仏教を排斥する物部氏を中心とする廃仏派が対立して崇仏派が勝利し、崇仏派である聖徳太子の仏教保護と遣隋使の派遣などによる和魂漢才の進展)と2度目は江戸時代末期~明治時代(上記③~④)に勃発した「洋才」の受容などを巡る内乱「戊辰戦争」(尊王攘夷派と佐幕開国派が対立して尊王攘夷派が勝利し、主に尊王攘夷派により構成されていた明治政府は尊王開国に政策転換して復古神道(神仏分離、廃仏毀釈)による和魂と漢才の分離と欧化政策による和魂洋才の進展)を挙げることができますが、いずれも「漢才」と「洋才」が積極的に受容される契機になりました。なお、過去のブログ記事で簡単に触れましたが、文明開化の文化主義政策(「現代日本の開化は皮相上滑りの開化」~夏目漱石著「現代日本の開化」/「文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向」~三島由紀夫著「文化防衛論」より)が生んだ主に義務教育における邦楽の軽視と洋楽の偏重の風潮は1998年の学習指導要領改訂まで続きました(失われた100年)。
 
古代:外国文化の日本文化への適応(和魂漢才:受容から選択、変容へ)
6世紀頃の古墳時代に朝鮮半島から仏教が伝来し(仏教を理解するために必要な漢字は2世紀頃の弥生時代後期に伝来)、上述のとおり仏教の受容などを巡って勃発した内乱「丁未の乱」に勝利した崇仏派の聖徳太子は仏教保護のために日本最初の官寺である四天王寺を建立し、三宝供養(仏教法会)に外来音楽を使用するように命じると共に、遣隋使(隋の滅亡後は遣唐使)を派遣して外国文化を積極的に「受容」する政策をとりました(以下の囲み記事を参照)。その後、663年に白村江の戦いの敗戦を契機にしてそれまでの豪族連合国家から天皇を中心とする中央集権国家へと移行すべく701年に大宝律令が制定され、前回のブログ記事で触れた陰陽寮を管掌する中務省や雅楽寮を管掌する治部省などの役所が整備されました。雅楽寮は外国文化である外来楽舞(伎楽、唐楽、三韓楽(高麗楽、百済楽、新羅楽)など)及び日本固有の文化である国風歌舞(神楽、東遊、大歌、久米舞、誄歌など)の双方を伝習し(和魂漢才のプラットフォーム)、752年の東大寺大仏開眼供養会では仏教儀礼として(仏教文化圏の)声明や外来楽舞と共に(神道文化圏の)国風歌舞が共演されるなど「神仏習合」の潮流が本格化しました。その後、769年に道鏡事件(仏教勢力の台頭を背景にして道鏡がフェイク神託によって皇位を簒奪しようとした事件)が勃発して「神仏隔離」(宮中祭祀から仏教要素の排除)の潮流が生まれましたが、平安時代末期に「本地垂迹説」(仏が本来の姿=本地ではなく神という仮の姿=垂迹として顕現して衆生を救う思想)が説かれると神仏習合の潮流が再興しました。この点、神話体系から生み出された神裔の天皇が王権統治の正当性を有するという神授思想(ヒエラルキーを内在)に彩られた神道と宗教教義として全ての人は等しいという平等思想(ヒエラルキーを否定)に彩られた仏教は本質的に相容れない異質なものと言え、これらの異質なものを共存、調和する「和える」文化の一態様として神仏習合( ≠ 融合)を位置付けることができるのではないかと思いますが、何事も白黒をはっきりとつけずにマダラ模様の解決を良しとする傾向が顕著な日本人の気質をよく表しています。このような時代背景のなか、平安時代中期からの楽制改革により<楽器>外来楽器の整理統合(三管三鼓二絃)、宮中祭祀への篳篥などの外来楽器の導入、<楽理>六調子の体系整理(以下の囲み記事を参照)、<楽舞>外来楽舞の左舞(唐楽)及び右舞(高麗楽)への整理(左右両部制)、番舞形式の導入など外来楽舞を日本の風土に相応しい形態に「選択」「変容」したうえで、外来楽舞、国風歌舞及び歌物(催馬楽、朗詠などの儀礼歌で、これらの歌体や技巧などを採り入れて古事記歌謡「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を源流とする和歌が誕生)から構成される現代の「雅楽」(儒教の礼楽思想に基づく言葉で、神仏を荘厳にする「正の」が語源)のスタイルが確立し(和魂漢才)、この成果が神道(例えば、宮中祭祀である御神楽之儀の形成など)や仏教(例えば、浄土思想に基づく往生音楽の実践など)に採り入れられました(宗教と芸能の結和)。また、このような時代の趨勢を受けて、雅楽の担い手も雅楽寮の楽人から宮中の皇族、公家や官人などへ移行する(この中から源博雅などの名人も誕生)と共に、朝廷(古代)から武家(中世)へ政権が移行するのに伴って雅楽の伝習の中心は朝廷の保護を受けていた雅楽寮から宮中、有力寺社や武家の保護を受けていた楽所(宮中の大内楽所、奈良諸大寺の南都楽所、四天王寺の天王寺楽所)へ移行していきました。この過程で伎楽(仏教的な要素が強い仮面舞踊劇)や散楽(雅正の楽に対する概念で、「散」とは「雑多な」という意味を持ち大衆的な要素が強い物真似、軽業、曲芸、人形回しや踊りなどの多種多様な雑芸)などの一部の外来舞楽はその卑俗な芸風が神仏を荘厳にする儀礼に相応しくないなどの理由から雅楽には採り入れられず、俗楽として武家や庶民の文化と結び付きながら中近世に華開きました(武家文化・庶民文化の種)。なお、雅楽は世界最古のオーケストラ(管弦楽)と言われていますが、過去のブログ記事で触れたとおり、西洋音楽は「為す文化」(父性原理:支配の論理)を基調として指揮者が存在するのに対し、雅楽を含む邦楽は「成る文化」(母性原理:調和の論理)を基調として指揮者が存在しないという特徴的な違いがあります。因みに、雅楽の笙(=天)、篳篥(=地)、龍笛(=空)は宇宙を音で体現していると言われており、2014年に国際宇宙ステーションの若田光一さんが笙を演奏し、衛星回線で結んだ地上の天理大学雅楽部と合奏して話題になりましたが、現代の科学でも宇宙に関する95%のことは分かっていないと言われていますので、数少なくなったロマンが成立し得る領域と言えるかもしれません。
 
▼日本文化の発展(その1)
①文化の縦軸(古代前半:外国文化の受容による和魂漢才)
日本書記によれば、古墳時代以前から朝鮮半島を経由して徐々に外国文化の流入が見られ、遣隋使や遣唐使が派遣された飛鳥時代以降から外国文化の受容が本格化し、その代表的なものとして、612年(推古天皇20年)に聖徳太子が百済の味摩之(みまし)を桜井村に住まわせて呉(くれ)の国で学んできた伎楽舞を少年達に伝習させたこと(桜井公園に残されている日本最初の国立劇場である土舞台は日本芸能発祥の地として顕彰されていますが、当時からの国の伎舞が楽しまれていたことから娯楽(ごらく)の語源にもなっています。)や三宝供養(仏教法会)に蕃楽(外来音楽)を用いるように命じたことなどが記されています。
聖徳太子傳暦(京都大学所蔵)より抜粋
 
②文化の縦軸(古代後半:外国文化の選択、変容による和魂漢才)
上述のとおり御魂振りの楽により神懸かりして神人合一するために歌舞音曲が利用されてきました。神の御魂は人以外にも自然物を依り代として憑依することで顕現しますが、万物を司る「陰陽五行」と御魂振りの楽を司る「管弦五調子」を組み合わせることで神が顕現する万物を音で体現する世界観(音の思想)が体系化されています。因みに、後述する世阿弥は能芸論書「花鏡」で「双調、黄鐘、壱越調、これ三律。平調・盤渉、これ二呂。無調は律、呂両声より出でたる用の声なり。しかれば五臓より声を出だすが五体を動かす人体、これ舞となるはじめなり。しかれば時の調子とは、四季に分かち、また夜昼十二時に、おのおの双・黄・壱越・平・盤の、その時々に当たれり。」と記しており、この音の思想(但し、声明と同様に太食調の代りに無調を加えて六調子にしています※)を能に採り入れて舞は謡に根差したものでないと妙味(「天の調感」)がないと説いています。
方位 物質 内臓 色彩 季節 霊獣 調子
玄武 盤渉調
青龍 双調
朱雀 黄鐘調
西 白虎 平調
中央 土用 黄龍 壱越調
※六調子のうち太食調は陰陽五行との関係性はなく一部の唐楽のみで使用される調子
管絃音義(宮内庁書陵部所蔵)より抜粋
 
②中近世:サブカルチャーのメインカルチャーへの昇華(武家文化・庶民文化の台頭)
朝廷(古代)から武家(中世)へ政権が移行(政変)し、また、南北朝の動乱や応仁の乱などで京が荒廃したこと(乱世)により朝廷が衰退し、これ伴って雅楽などの王朝文化(ハイカルチャー)も廃れていきましたが、宋船や遣明船により伝来した禅宗や水墨画などの外国文化を採り入れながら(和魂漢才)、武家が活躍した戦国時代の乱世(憂き世)や庶民が活躍した江戸時代の治世(浮き世)を背景にして、能(宗教と芸能の結合:来世志向)や浄瑠璃、歌舞伎(宗教と芸能の分離:現世肯定)などの武家文化や庶民文化(サブカルチャー)が台頭しました。先日の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、富士節・富本牛之助(二代目富本豊志太夫)が役者は「四民の外」(穢多・非人)で吉原の畳(遊郭の格式)が穢れるとして吉原を追い出される場面が描かれていましたが、古事記「禊祓と三貴子」に「き国に到りて在祁理。故、吾は、御身之為む」と記されているとおり、古代から「罪穢」の観念(非行や病気などの内的な不浄である「罪」を忌避して浄する「祓」と屍や死霊などの外的な不潔である「穢」を忌避して清める「禊」があり、これらによって心身を清浄な状態に保つ観念)が社会に浸透し、罪穢に関係する皮革、刑場、埋葬や芸能などに携わる人を賤視する風潮が生まれました。中世は流動的な身分制度(実力)を背景にして能役者に対する賤視(以下の囲み記事を参照)は早期に解消しましたが、近世は固定的な身分制度(世襲)を背景にして歌舞伎役者に対する差別意識が根強く残されていた一方で、庶民は歌舞伎役者を憧憬の対象として持て囃し、罪穢を負う人の芸や色を「浮世」の華(現世肯定)として開花させ、王朝文化の「雅」(和歌、雅楽など)から武家文化の「道」(連歌、能など)や庶民文化の「粋」(川柳、歌舞伎など)へとバラダイムシフトする時代のダイナミズム(聖から俗へ、来世から現世へ、静から動へ、世襲から実力へなどの潮流)の中でサブカルチャーをハイカルチャーへと昇華させて行きました。このような時代の潮流の嚆矢として、過去のブログ記事でも簡単に触れたとおり、俗楽として庶民の芸能に採り入れられた伎楽や散楽などの一部の外来舞楽が寺社の祭祀と結び付いた「猿楽」や農村(荘園)の娯楽と結び付いた「田楽」などの諸芸能へと発展し(和魂漢才)、やがて物語性などを備えた「猿楽の能」や「田楽の能」へ進化して人気を博しましたが(歌舞から楽劇へ)、これらの芸能を担う集団は「座」(組合)を組織して幕府や寺社などの庇護を受けながら成長し、その後、観阿弥(曲舞の「拍子」を謡に導入)や世阿弥(連歌の「幽玄」を芸風に導入)などが登場して、舞と謡い(文語)から構成される歌舞劇としての「」(主にオペラ・セリアのような悲劇)と仕草と台詞(口語)から構成される台詞劇としての「狂言」(主にオペラ・ブッファのような喜劇)が大成されました。この点、古事記「天孫降臨」における天若日子の殯(現代のお通夜に相当)の場面では「喪屋を作りて(中略)如此行ひ定て、日八日夜八夜以て遊びき。」と記されているとおり、古代から「祝言」(御魂振りの楽)だけではなく「鎮魂」(御魂鎮めの楽)に歌舞音曲が利用されており(御魂鎮めは荒魂を和魂へと転化する宗教儀礼ですが、荒魂と和魂の性格的な違いは歌舞伎の荒事と和事の性格的な違いと相似)、前回のブログ記事でも簡単に触れたとおり歌舞音曲、絵巻物及び歌集や物語(言霊の力)などの諸芸能を通して現世に怨みを抱く怨霊を鎮魂(仏教における供養に相当)することが熱心に行われていましたが、この怨霊信仰が世阿弥による複式夢幻能(顕幽一如の世界観)として舞台芸能に結実しました。なお、南北朝の動乱や応仁の乱などの戦乱(武家の台頭)により荘園の支配を失ったこと(乱世)などにより寺社が困窮し、その存続を模索する中で座に社頭を解放して勧進能などの「興行」を催させて、神仏を客として奉納する能(儀礼)から武家や庶民を客として鑑賞料を徴収する能(興行)へと性格を変化し(儀礼から興行へ)、これに伴って文学作品などを題材にした芸術性の高い能が創作されるようになりました。因みに、世阿弥は「風姿花伝 第四神祇」で能楽の祖・秦河勝の素性来歴を戯曲風に物語って(ホラ)、秦河勝が聖徳太子に命じられて宮中で最も格式が高い紫宸殿(モリ)で舞った「六十六番の物まね」が「申楽」の起源(式三番・翁)であると記していますが、このように俗を聖に転換するためのイメージ戦略(ファクション)は世阿弥の座頭としての才気を感じさせます。なお、世阿弥は同書で晩年に役目を終えた秦河勝が「うつぼ舟」で坂越の浦に漂着したと記していますが、2009年10月にヴァイオリニストの樫本大進さんが兵庫県赤穂市で開催した赤穂国際音楽祭を鑑賞した際に同市内にある大避神社で開催されていた秦河勝を祀る「坂越の船祭り」を見物したこと()を懐かしく思い出します。地元の人の話しによれば、雅楽師・東儀秀樹さん(楽家の東儀家は秦河勝の子孫)が参加されることもあるそうで、地元の若者達が神輿に付き従って大避神社本殿と坂越海岸との間の参道脇を駆け回りながら楽奏する陰囃子が実に格好良いので、ご興味のある方はお運び下さい。
 
▼日本文化の発展(その2)
③文化の横軸(中世:温故知新による武家文化の台頭)
元内大臣(従一位)・三条公忠の日記「後愚昧記」の永和4年(1378年)6月7日の条には、足利義満が祇園祭の桟敷席に世阿弥を同伴したことが記されています。以下の画像の文中赤囲みの「大和猿楽児童」は世阿弥をことで「乞食」と蔑んでいますが、この児童を足利義満が寵愛しているのは物好き(欣奇)であると揶揄したうえで、足利義満に気に入られたい大名達は競って世阿弥に莫大な金品を貢いでいると嘆いて(愚昧して)います。朝廷(古代)から武家(中世)へ政権が移行して公家の権勢と共にハイカルチャー(王朝文化)も衰退するなかで生まれた時代の空白に、武家の隆盛と共にサブカルチャー(武家文化)が台頭している時代の趨勢にハギシリしている公家の様子が目に浮かぶ大変に興味深い日記です。
後愚昧記(公文書館デジタルアーカイブ)より抜粋
 
前回のブログ記事でも触れたとおり、古神道の霊魂不滅の考え方を背景にして怨霊信仰が盛んになり、鎌倉時代に源氏との政権争いに敗れた平氏の無念を物語ること(言霊の力)で平氏の怨霊を慰撫するために平家物語(和漢混交文)が創作されましたが、当時は真名(漢字)が主流で仮名(ひらがな)が普及しておらず庶民の識字率が低かった時代(人口の5%程度)にあって文字を読めない庶民にも理解できるように琵琶法師が琵琶の伴奏で平家物語を語り聴かせる平曲が「聴く」ための物語(ラジオ)として人気になりましたが(因みに、平安時代に藤原氏との政権争いに敗れた源氏の無念を慰撫するために創作された源氏物語は文字を読める貴族を対象にした「読む」ための物語(読本))、室町時代に完成された能楽は「観る」ための物語(テレビ)として人気になり、上述のとおり平家物語を含む文学作品を題材とした能が創作されるようになりました。これにより平曲は徐々に廃れ(「聴く」から「観る」へ)、また、戦国時代の乱世から江戸時代の治世へと移行するのに伴って庶民文化が台頭したことによって厭世的な芸能(仏教的な世界観)ではなく享楽的な芸能(世俗的な世界観)が好まれるようになりました(宗教と芸能の分離:来世志向から現世肯定へ)。このような時代の変化のなか、琵琶法師が琵琶の伴奏で浄瑠璃物語(源義経と遊女・浄瑠璃姫の悲恋の物語)を語り聴かせて評判になり、これに竹本義太夫が謡曲や説教節などの要素を受け継ぎながら琵琶(音程を取り難い楽器なので語りと音楽が分離)の代わりに室町時代末期に沖縄から伝来した三味線(音程が取り易い楽器なので語りと音楽が一体)を採り入れて音楽的に表情豊かな語りを実現した「義太夫節」を創始し、さらに、散楽(傀儡)の人形芸的な要素を受け継いで人気になっていた人形芝居も採り入れて楽劇に仕立て、1684年に竹本座を旗揚げして「人形浄瑠璃」が誕生しました。その後、人形浄瑠璃は三人遣い(1体の人形のうち頭と右手を主遣い、左手を左遣い、足を足遣いの3人で遣う技法)に改良されて人形の表現力を増すと共に、前回のブログ記事で触れた浄瑠璃作家・近松門左衛門が公家や武家を主人公にする時代物から庶民を主人公にする世話物を創作し、人形浄瑠璃を単なる娯楽(サブカルチャー)から普遍的な人間ドラマ(愛別離苦)を描く楽劇として総合芸術(ハイカルチャー)へと昇華しました。また、鎌倉時代に人気になった田楽踊り(豊作祈願)や念仏踊り(成仏祈願)が室町時代末期に戦国時代の乱世(憂き世)から江戸時代の治世(浮き世)へと秩序回復して行く中で風流踊り(華美遊楽)へと発展し(宗教と芸能の分離:来世志向から現世肯定へ)、この潮流を受けて1603年に出雲阿国は傾き者が茶屋の女と戯れる場面などを表現した「かぶき踊り」を始めて評判になり(慶長日件録)、遊女(遊女歌舞伎)や男娼(若衆歌舞伎)の芸能集団が散楽の曲芸的な要素も採り入れながら「かぶき」として興行するようになりましたが(舞いから踊りへ)、江戸幕府が風俗紊乱を理由に取り締まると、男色の象徴である若衆の前髪を剃り落とした成人男性の歌舞伎役者が演じる狂言的な内容を備えた「野郎歌舞伎」(女装の元祖はヤマトタケルノミコト(倭健命)と言われていますが、女形が誕生)として大成しました(色から芸へ)。この点、平曲を源流とする浄瑠璃は「憂き世」(武家の気質を背景にして仏の慈悲に縋る来世志向)を基調とする「情」に彩られた芸能ですが、風流踊りを源流とする歌舞伎は「浮き世」(庶民の気質を背景にして享楽的な現世肯定)を基調とする「遊」に彩られた芸能であるという特徴的な違いがあると言えるかもしれません。その後、元禄時代には、江戸で市川団十郎による荒事、上方で坂田藤十郎による和事(やつし事)が評判になり、能舞台で歌舞伎が演じられていた時代の名残りとして橋掛りが花道に発展し、また、舞台の昇降装置であるセリ(俗にすっぽん)やメトロポリタン歌劇場にも採用されている回り舞台などの舞台装置も考案され、人形浄瑠璃から翻案された「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」や能から翻案された「京鹿子娘道成寺」「勧進帳」などの傑作が次々に生み出されて現代に到るまで人気になっています。なお、上述のとおり朝廷の衰退に伴って雅楽も廃れましたが、乱世が終息して秩序が回復すると正親町天皇や後水尾天皇が南都諸大寺や四天王寺から宮中に楽人を呼び寄せて宮中祭祀における雅楽の楽奏を再開し、雅楽を伝習するための三方楽所(宮中の大内楽所、奈良諸大寺の南都楽所、大阪の天王寺楽所)を整備するなど雅楽の再興に尽力しました。さらに、江戸幕府も三方楽所を庇護して日光山や紅葉山の東照大権現(徳川家康)を主祭神とする祭祀で雅楽を楽奏するために日光楽人や紅葉山楽人を整備するなど雅楽の復興を図りました。その後、蔦屋重三郎が活躍していた江戸時代中期になると、本居宣長が国学(儒教や仏教などが伝来する前の古代における日本固有の精神性を見い出す学問)を大成し、これに続いて平田篤胤が復古神道を提唱したことで神仏習合を外来文化による堕落と捉える風潮が生まれ、明治政府による復古神道(神仏分離(宮中祭祀から仏教要素の排除)、廃仏毀釈)による和魂と漢才の分離と欧化政策による和魂洋才の進展という諸政策の呼び水になりました。上述のとおり雅楽は外来楽舞から誕生しましたが、明治政府は雅楽を「皇国伝来之音楽」(神祇官通達)とする一方で、三方楽所を廃止するなど仏教音楽としては公認せず、第二次世界大戦の敗戦により「政教分離」が実施された後も、その基本的な性格は変更されることがなく宮内庁式部職楽部の雅楽師は仏教要素が排除された皇室祭祀で雅楽を楽奏することを主務としているそうです(小野真龍著「雅楽のコスモロジー」)。なお、律令国家の治部省雅楽寮と同じく明治政府の太政官内式部寮雅楽課でも外国音楽(西洋音楽)及び日本固有の音楽(雅楽)の双方を伝習していたそうで(和魂洋才のプラットフォーム)、この伝統は現在の宮内庁式部職楽部の雅楽師(雅楽器だけではなく洋楽器も演奏)に受け継がれています。因みに、口で吹くオルガンという異名を持つ「笙」は17本のリードで構成されていますが、このうち2本のリード「也」(や)と「毛」(もう)は日本的(和魂)でないという理由から使用されなくなり、これが風流でないことを意味する「野暮」(やもう→やぼ)という言葉の語源になっています。この他にも「打ち合わせ」「塩梅」「コツ」「千秋楽」「トチる」「二の句をつげない」「二の舞」「やたら」などの言葉は雅楽の用語が語源になっていると言われており、昔は現代と異なって如何に雅楽が日常生活に浸透していたのかが窺われます。なお、近世は、日本文化(和魂)を基調として南蛮文化(洋才)を区別する意味で「南蛮〇〇」(南蛮人、南蛮船、南蛮寺、南蛮菓子など)という表現が使われていましたが、近代は、欧化政策(洋才)を基調として日本文化(和魂)と西洋文化(洋才)を相互に区別する意味で「和(邦)〇〇」「日本〇〇」(和服、和室、和食、和菓子、邦楽、日本料理、日本庭園、日本建築など)と「洋〇〇」「西洋〇〇」(洋服、洋室、洋食、洋菓子、洋楽、西洋料理、西洋庭園、西洋建築など)の双方の表現が使われるようになり、いつしか主客が転倒して和魂(「和(邦)〇〇」「日本〇〇」に象徴される日本人のアイデンティティ)を見失って洋才に偏重した風潮に対する猛烈な反省に立っているのが現代と言えるかもしれません。貴兄姉は和魂をお持ちですか?
 
▼日本文化の発展(その3)
④文化の横軸(近世:不易流行による庶民文化の台頭)
世阿弥は能楽論書「風姿花伝」の序で「古を学び新を賞する中にも全く風流をよこしまにすることなかれ」(温故知新)と記して遺風の大切さを伝えています。また、蕉門十哲の一人・向井去来が松尾芭蕉からの聞き書きとして残した俳諧論書「去来抄」の修行教で「不易を知らざれば基立ちがたく、流行知らざれば風新たにならず」(不易流行)と記して蕉風俳諧の理念を伝えています。過去のブログ記事で簡単に触れましたが、観阿弥・世阿弥(中世)は伝統的な諸芸能を「温故」とし、そこから新しいものを生み出す「知新」を採り入れながら「かこ」(古代)と「いま」(中世)の世界観を調和する理想美(幽玄)を追求し、また、松尾芭蕉(近世)は時代を超越して変化しないものを「不易」とし、時代に応じて変化して行く「流行」を採り入れながら「いま」(近世)と「さき」(近代)の世界観を探求する実践美(風雅の誠)を追求したと言えるかもしれません。因みに、明治時代に俳句の革新を行った正岡子規は著書「芭蕉雑談」で俳聖・松尾芭蕉の俳句を批評していますが(流行)、歌人・斎藤茂吉は著書「正岡子規」で「子規は俳人として芭蕉をばやはり第一位に置いてゐたことは彼の文章が其を證してゐる。」(不易)とも記していますので、正しく不易流行の理念が近代にも息衝いていた証左と言えるかもしれません。なお、前回のブログ記事で近松門左衛門の虚実皮膜論について簡単に触れましたので割愛します。
去来抄(国文学研究資料館所蔵)より抜粋
 
⑤文化の縦軸と横軸の交錯(古代→中世→近世)
本文で触れていない日本文化(歌い物、語り物、物語、茶道、邦楽、浮世絵など)が非常に多く、それらの発展を網羅的に俯瞰できる一覧表を掲載しようと考えていましたが、紙片の都合から別の機会に掲載することにして、以下では本文で触れているものに限りごく簡易な表を掲載しておきます。日本文化の主役が王朝(古代)→武家(中世)→庶民(近世)へ移行するにつれて日本文化へ適応(受容→選択→変容)された外国文化がサブカルチャーの台頭に伴って国風化されるなか、歌舞から楽劇へ信仰から娯楽、芸術へという日本文化の発展のダイナミズムが生まれたと言えるかもしれません。
誕生
時代
芸能 保護 宗教性
政治性
性格 美観
古代
王朝文化
雅楽
(歌舞)
宮中
(神道)
南都諸寺
四天王寺
(仏教)

(儀礼)
式楽
(舞)
荘厳 神仏
中世
武家文化
能楽
(楽劇)
春日大社
(神道)
興福寺
(仏教)
幕府

(興行)
憂世(来世) 武家
近世
庶民文化
浄瑠璃
(楽劇)
幕府
町人

(興行)
俗楽
(語)
庶民
歌舞伎
(楽劇)
俗楽
(踊)
浮世(現世)
 
③近代:外国文化の日本文化への適応(和魂洋才)
④現代:多文化
今回のテーマは「和魂漢才のイノベーション」なので、紙片の都合から、上記③及び④は別の機会に採り上げることにしたいと思います。
 
▼オペラ「静と義経」
【演題】日本オペラ協会公演 日本オペラシリーズNo.87
【演目】オペラ「静と義経」(全三幕)(1993年/新制作)
【台本】なかにし礼
【作曲】三木稔
【演出】生田ゆみき
【出演】<静>砂川涼子(Sop)
    <義経>澤﨑一了(Ten)
    <頼朝>須藤慎吾(Bar)
    <弁慶>江原啓之(Bar)
    <磯の禅師>鳥木弥生(Mez)
    <政子>川越塔子(Sop)
    <大姫>芝野遥香(Sop)
    <梶原景時>持木弘(Ten)
    <和田義盛>川久保博史(Ten)
    <大江広元>三浦克次(B-Bar)
    <佐藤忠信>和下田大典(Bar)
    <伊勢三郎>琉子健太郎(Ten)
    <片岡経春>山田大智(B-Bar)
    <安達清経>黄木透(Ten)
    <堀ノ藤次>別府真也(Bar)
    <藤次の妻>きのしたひろこ(Mez)
    <合唱>日本オペラ協会合唱団
【演奏】<Cond>田中祐子
    <Orch>東京フィルハーモニー交響楽団
    <二十絃筝>山田明美
    <鼓>高橋明邦
【合唱指揮】諸遊耕史
【美術】鈴木俊朗
【衣裳】坂井田操
【照明】矢口雅敏
【振付・所作】出雲蓉
【舞台監督】八木清市
【副指揮】平野桂子、鏑木蓉馬
【演出助手】伊奈山明子
【総監督】郡愛子
【主催】(公)日本オペラ振興会、(公)日本演奏連盟
【日時】2025年3月8日(土)14:00~
【会場】東京文化会館大ホール
【一言感想】
昨年、渡辺俊幸さんのオペラ「ニングル」の初演が成功した日本オペラ振興会(日本オペラ協会)が三木稔さんのオペラ「静と義経」(1993年に鎌倉芸術館の杮落しとして初演され、2019年に日本オペラ協会が再演)を再演されるというので鑑賞することにしました。日本オペラ協会は「日本の伝統文化に根ざしたオペラの創造と普及」を目的として活動しており、若年層のオペラ離れが憂慮されるなか、アメリカのメトロポリタン歌劇場よろしく、現代の時代性を踏まえたオペラの革新に取り組み、将来のオペラの発展のためのに尽力されている大変に有難い団体です。来年、渡辺俊幸さんの新作オペラ「奇跡のプリ・マドンナ」の初演も予定されており大変に楽しみです。本日の公演前に日本オペラ協会総監督・郡愛子さんによるプレ・トーク(手話付)が行われましたが、三木稔さんはオペラ「静と義経」の初演にあたって、当時、磯の禅師役で出演していたメゾソプラノ・郡愛子さんのために第3幕の聴き所であるアリア「都へ帰りましょう」が追加されたという興味深い秘話が紹介されていました。本日の公演では三木稔さんが楽譜で指示しているとおり開幕の合図として日本の音を象徴する梵鐘の響きが使われ、また、日本のオペラを幅白い客層へ普及することを意識して日本語と英語の字幕が付けられていましたが、上述のとおり日本オペラ協会の志の高さを窺わせるものとして特記しておきたいと思います。なお、公演プログラムにはプロットに沿った非常に詳細な解説が掲載されていましたが、あまりに詳細な解説は観客の鑑賞の自由を制約する側面があることは否めず、これ以上の解釈を差し挟み、拙い感想を書き残す意義が乏しく感じられますので、以下では公演プログラムに触れられていない点のみを備忘録としてごく簡単に残しておきたいと思います。
 
第1幕「吉野山雪の別れ」
1185年冬、義経主従(源義経、静御前、武蔵坊弁慶、佐藤忠真、伊勢三郎、片岡経春)が吉野山に逃れていたところ鎌倉方の追討を受けて奥州へ落ち延びることになりましたが、静御前は鎌倉方に捕らえられてしまう場面です。岩山に見立てた二階建ての舞台と階段が設えられ(単なる高低だけではなく、身分や天地を象徴するもの)、その背後に設置された大きなスクリーンには雪、月、桜、八幡宮などが場面に応じて投影されるという簡素なセットが使われていました。源義経は弦楽器、武蔵坊弁慶は金管楽器、その他の郎党(佐藤忠真、伊勢三郎、片岡経春)は木管楽器、静御前(白拍子)が邦楽器を主体とした音楽が添えられていましたが、音色(楽器)をライト・モチーフとしたキャラクター設定が効果的に表現されていました。義経主従は小勢でもお互いに深い信頼で結ばれた関係であることを印象付ける場面でしたが、第二幕以降で描かれている鎌倉幕府に渦巻く打算的な関係から生まれる疑心暗鬼との対比が効果的に描かれていました。なお、日本語オペラは、西洋オペラのように歌唱(旋律や和声)を主体としたものよりも、日本語のモーラ構造や日本の伝統芸能の特徴を意識して朗唱(リズムや間)を主体としたものが多いように感じられますが、指揮者の田中祐子さんがメリハリのある手綱裁きによる絶妙な間合いで舞台に劇的な彩りを添えていたと思います。源義経が愛した女性は常盤御前(母)と静御前(妾)の二人だけだと歌う場面は日本人男性のマザコン気質を象徴するものでしたが、常盤御前は平清盛の妾であり、静御前は源義経の妾であるという境遇が象徴するように「女の幸せは男次第、男の出世は女次第」(前段は第1幕の静御前、後段は第3幕の政子が体現)という時代の価値観をうつす印象的な場面でした。
 
第2幕「八幡宮静の舞い」
鎌倉方に捉えられた静御前が源頼朝の前で白拍子舞を披露する場面です。冒頭では庶民に扮した合唱団が登場し、平安時代末期に流行した今様や田楽踊りを披露する華やかで躍動感のある舞台が展開されました。上述のとおり古代から中近世に移行するにつれて庶民文化が徐々に台頭し、能楽や浄瑠璃、歌舞伎などの多様な芸能(ハイカルチャー)を育む豊かな文化的土壌(サブカルチャー)になりましたが、そのことを象徴する舞台演出になっていて興味深く楽しめました。その後、鶴ケ岡八幡宮に舞台が移り鎌倉幕府に渦巻く悪意を象徴するように二十絃琴と弦が不協和を奏でますが、やがてチェロが静御前のモチーフを奏でると静御前は源頼朝に命じられるままに邦楽器やオーケストラによるリズミカルな伴奏に合せて「よしの山 峰の白雪ふみ分けて いりにし人の あとぞこいしき」「しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな」と源義経を恋慕し、昔を懐かしむ恋心を歌い舞う場面が見所になっており、(ミュージカルとは異なり、本来は歌とダンスが分かれているオペラでは珍しく)ソプラノの砂川涼子さんが扮する静午前が烏帽子太刀、金屏風に純白の単(源義経に対する想いを象徴)と深紅の袴(死に対する覚悟を象徴)が映える白拍子の男装(上述のとおり白拍子舞いの流れを汲むかぶき踊りを始めた出雲阿国も男装でした。)で優美な歌舞を披露しており出色でした。これに激高した源頼朝に対し、妻の北条政子や娘の大姫、家臣の和田義盛や大江広元はとりなしましたが、梶原景時だけは源頼朝に追従するキャラクター設定(判官贔屓のお膳立て)が印象的に描かれていました。メゾソプラノの鳥木弥生さんが扮する磯の御前による繊細な歌唱が特筆すべき出来映えでした。
 
第3幕「静の死と愛のまぼろし」
静御前と義経主従はそれぞれの境遇で絶望して自害しますが、あの世で再会して幸せに結ばれる場面です。鎌倉方の安達清経が静御前と源義経の間に生まれた赤子を連れ去りますが、赤子を奪われた静御前は筝の伴奏に合わせて茫然自失としながら子守歌を口遊みますが、時折、我に返って狂乱する場面が静御前の複雑な心情を雄弁に物語るもので出色でした。舞台が二分され、茫然自失とする静御前の傍らに、藤原秀衡に追い詰められた義経主従が登場し、死を覚悟した弁慶による切迫感のある歌唱と赤子を奪われた静御前による茫然自失とした子守歌の二重唱が対照的に歌われた後に、開幕の合図として使われていた梵鐘の響きが鳴らされるなか義経主従は自害しました。その一方、未だ義経主従の自害を知らない磯御前は由比ガ浜に赤子の亡骸が捨てられていたことを聞かされて源義経に合わせる顔がないと悲嘆に暮れ絶望します。この様子を見ていた堀ノ藤次夫妻は世の無常を嘆き歌うなか、鳥木さんが扮する磯御前が上述したアリア「都に帰りましょう」で高音から低音まで幅広い音域を瑞々しく色彩豊かな声音により繊細に心の綾を紡ぐ歌唱が白眉でした。ヴラヴァー!静御前はアリア「二つに一つ」で源義経が生きている限りその帰りを待つと気丈に歌う一方で、赤子の仇をとってほしいと願う激しい感情の揺れをチェロが忙しなく上下するトレモロで効果的に表現していたと思います。その後、鎌倉で源頼朝の娘・大姫が自死する場面を挟んだ後、源義経の帰りを3年間待った静御前が合唱をバックに源義経に対する募る想いを歌うアリアでは砂川さんの見事なベルカント唱法が大きな聴き所になっていました。ヴラヴァ―!やがて静御前は源義経の死を聞かされて自害しますが、弦楽器のフラジョとポルタのロングトーンで道行が表現され、仏教法会における雅楽の楽奏のような曲調の音楽が奏でられるなか義経一行の御霊が登場して静御前の御霊を呼びよせました。暫くの間が置かれた後、指揮者の田中祐子さんが「ふん!」と気合を入れて指揮棒を振ると別次元の音楽が立ち上がり、義経一行と静御前が全員合唱が成仏したことを感じさせる癒しの音楽に包まれて彼岸へと旅立ち終幕になりました。現代人には昭和年間の判官贔屓は通用しませんが、人間ドラマとして多様な要素を内包した話しであり、今後も源義経を題材とした現代オペラが創作されることを期待したいです。なお、このオペラとは関係がない余談になりますが、現代の日本語は会社で報告書を書くための機能性ばかりが重視された痩せたものに感じられ、能楽、浄瑠璃や歌舞伎の詞章(「昔男に移り舞」に仄かに薫るエロスや「雲心なき水の音」に映る透徹のタナトスなど)と比べると野暮(=「他」+「毛」)ったさのようなものを覚えて感興を削がれる憾みがあります。三島由紀夫さんは著書「文化防衛論」で「詩の深化」が顧みられなくなった状況を嘆いていましたが(但し、三島さんが述べられている趣旨は単なる言葉の問題に留まらない広範で深淵な問題を見据えているように感じられますが)ファクトを伝えるだけの味気ない言葉ではなく、その深層に分け入って真実を捉えた言霊のようなものが感じられる心を打つ言葉(「暮れ染めて鐘や響くらん」に顕ち込める情緒や「あだしが原の道の霜一足づゝに消えて行く」に研ぎ澄まされた無常など)に接する機会に久しく恵まれていません。その意味ではネットスラングなどの方が聴く者のイマジネーションやクリエイティビティ―を掻き立て心を豊かに彩る力を持っているように感じられることもありますが、(観客に受け入れ易いものか否かは別論としても)日本語オペラの普及にあたっては必ずしも現代の日本語に拘泥することなく、詩情豊かに心をハッキングしてくれる言魂のようなものが感じられる洗練された言葉が求められるのではないかと個人的には感じています。映画ではなく歌劇なので、プロットの面白さよりも聴感の心地良さの方が優るような気がしています。
 
 
▼「陵王乱序|RANJO」
【演題】陵王乱序|RANJO 東京公演
【演目】①石田多朗 旅
    ②石田多朗 Cado
    ③石田多朗 盤渉調調子
    ④石田多朗 骨歌
    ⑤古典雅楽 小乱声
    ⑥石田多朗 陸王乱序
    ⑦古典雅楽 安摩乱声
    ⑧古典雅楽 沙陀調音取
    ⑨古典雅楽 陸王破
    ⑩石田多朗 太食調音取
    ⑪石田多朗 死者の書
    ⑫古典雅楽 双調音取
    ⑬石田多朗 常世
【出演】<シンセサイザー>石田多朗
    <篳篥・和琴・舞>中村仁美
    <楽琵琶>中村かほる
    <笙>中村華子
    <龍笛>伊﨑善之
    <Vn>田中李々
    <Va>七澤達哉
    <Vc>成田七海
【舞台監督】大屋順平
【音響】小俣佳久
【日時】2025年3月9日(日)17:30~
【会場】早稲田スコットホール
【一言感想】
昨年、エミー賞を受賞した映画「SHOGUN 将軍」のサウンドトラックが第67回グラミー賞にノミネートされ、残念ながら、その受賞は逃しましたが、雅楽など日本の伝統音楽のアレンジなどで参加されていた石田多朗さんの演奏会があるというので聴きに行くことにしました。現在、石田さんは那須に在住し、ご自宅の前には自然林が広がっているそうですが、冒頭、その自然林で採録された音源(サウンドスケープ)が紹介されました。季節の頃は野鳥の繁殖期である春先のものでしょうか、非常に豊富な種類の野鳥の鳴き声が収録されていました。石田さんによれば、自然の音は季節に応じたビート感のようなものを持っているそうですが、季節によって上述の管弦五調子のような特徴的な違いがあるようです。なお、石田さんの音楽観として、作曲家の思想を聞いて貰いたいという類の押し付けがましい音楽ではなく、自然の音のように人それぞれにとっての縁になるような音楽を創作したいと語られていましたが、石田さんの音楽を聴いているとポスト・クラシカのような風合いを持っているように感じられます。石田さんの雅楽に対するイメージとして、三管のうち、龍笛が横向き、篳篥が縦向き、笙が上向きで演奏される楽器で3次元的な音の広がり(空間)を表し、二絃の和琴と楽琵琶はリズムの刻み(時間)を表しており、それらが総体として宇宙(時空)を体現しているイメージを持っているという趣旨の話しをされていたが興味深かったです。この点、先日まで東京現代美術館で開催されていた展覧会「音を視る、時を聴く」でも採り上げられていたテーマですが、量子宇宙論では時空は実在ではなく現象として出現するものであり、過去から未来へと一方向に進む直線的な時間の流れ(時間感覚)は人間の脳が作り出した虚構である可能性が指摘されており、坂本龍一さんもその世界の実相を描くための表現を模索されていたようですが、人間が認知している世界(自然、宇宙を含む)は人間の知覚に支配された世界観(環世界、ロゴス)であり、その限界を超えて世界(自然、宇宙を含む)の実相(環境世界、ピュシス)を描くためのより解像度の高い表現を求めることの難しさが感じられます。本日の演奏会では演目数が多かったので、各曲についてごくごく簡単に感想を残しておきたいと思います。
 
①旅
石田さんのご自宅の近くで発生した河川氾濫の犠牲になった父子を弔うために創作された鎮魂曲だそうですが、シンセサイザーが2つの音程を行きつ戻りつしながらハーモニーが移ろって行く曲調で、聴く者の心象風景(思い出など)が紡ぎ出されて行くような感興を覚える優しい音楽を楽しめました。
 
②Cado
石田さんが作曲された空気清浄機メーカー「カドー」のCM音楽が演奏されました。シンセサイザーが奏でる音粒が空中をふわふわと舞っているような軽やかで清涼感のある音楽を楽しむことができ、心まで清浄されているような不思議な感覚になりました。西洋文化は神の絶対秩序を前提にして余白を未完成なものと捉えられる傾向がありましたが、ゼロの概念を発明した東洋の思想はその対極にあり、日本文化の間(余白)で聴かせる音楽が聴く者の感受性を自由に解き放つ魅力的な作品に感じられました。
 
③盤渉調調子
弦楽器がロングトーンでキャンバスを奏でるなか、シンセサイザーがまるでドリッピング技法(盤渉調は「水」を象徴する調子)よろしく一定間隔で1音1音の響きを滴り滲ませて行くように奏でられました。これに笙のハーモニーで彩りを添えながら、シンセサイザーが繊細に表情を変えて行く静かな音楽が展開されました。その後、ヴァイオリン・ソロがバッハ風の文脈を持った音楽を格調高く奏でましたが、再び、弦楽器、シンセサイザー及び笙が冒頭の音楽を再現するソナタ形式のような構成(序破急とは異なる?)の音楽で自然美と人工美が対比されているように感じられました。
 
④骨歌
石田さんが東京藝術大学在学中に同大教授(日本画)の宮廻さんから展覧会に流すインスタレーション作品として雅楽曲の作曲を委嘱され、石田さんが初めて雅楽曲の創作にチャレンジしたものだそうです。その意味では石田さんにとって宮廻さんは人生で何人かに出会う人生を運命付ける人と言えるかもしれません。その展覧会には坂本龍一さんも来訪されていたそうで、坂本さんからこの曲を褒められたことが語り草になっているそうです。
 
⑤小乱声
⑥陸王乱序
⑦安摩乱声
3曲が続けて演奏されましたが、何といっても、⑥陸王乱序における中村仁美さんが扮する陸王の舞が白眉でした。龍笛が抒情的な調べを奏でるなか陸王が静々と登場し、悠久な時間の流れを感じさせるゆったりとした雄大な舞姿は凛とした気品や鋭さのようなものを兼ね備えた洗練美を湛えるもので見惚れてしまいました。ヴラヴァー!なお、あくまでも個人的なイメージですが、能の舞は田楽の影響なのか重心を低く保ち曲線的な所作(丹田に意識を持ち体を中心軸に向かって収斂する構えなど)が多い印象があるのに対し、雅楽の舞は重心を高く保ち直線的な所作(天地軸に意識を持ち体を左右対称に開放する動きなど)が多いイメージがあり、それが颯爽とした舞振りの印象を与えるようにも感じますが、何故、このような特徴的な違いが生まれたのか本質的な理由は思案中です。因みに、雅楽師は楽家の伝統から専門職制のイメージがありましたが、楽器だけではなく舞にも精通したマルチプレーヤー(総合職制)だそうです。
 
⑧沙陀調音取
⑨陸王破
龍笛と篳篥が同じ音型が繰り返しながら勇壮な演奏を展開し、これに笙のハーモニーが荘厳な雰囲気を添える好演を楽しめました。リズム楽器である楽琵琶は能管と同様に音節を区切って音楽にメリハリを生む役割を担っているように感じられましたが、楽琵琶と薩摩琵琶や筑前琵琶との特徴的な違いが感じられて興味深かったです。
 
⑩太食調音取
シンセサイザーがメランコリックな旋律を奏でると、これを弦楽器が受け継いでシンセサイザーと弦楽器による優美なアンサンブルが展開されました。その後、笙とチェロ、篳篥とヴィオラ、楽琵琶と弦楽器へと受け継がれながら、和洋の楽器の様々な取り合わせのアンサンブルの妙味を楽しめました。
 
⑪死者の書
石田さんが精神的に辛い時期に折口信夫さんの著書「死者の書」に着想を得て創作した曲だそうです。シンセサイザーがメランコリックな音型を繰り返すなか、篳篥、龍笛、ヴァイオリンが絡み合い、冥界の入り口を彷徨っているような暗く重苦しい音楽が展開されました。やがてシンセサイザーと弦楽器が奈落へと堕ちて行くような螺旋状の下降音型を繰り返し、最後は鎮魂の楽器である楽琵琶で絞められました。
 
⑫双調音取
⑬常世

2曲が続けて演奏されましたが、中村仁美さんが和琴と篳篥を演奏され、龍笛、笙、楽琵琶、弦楽器が全奏しながら徐々にテンポを上げて(序破急?)、石田さんの鼻歌?を挟みながら和魂多才を体現する癒しの音楽を楽しめました。

 
 
▼第6回REAMコンサート(東京藝術大学音楽学部作曲科)
【演題】Research for Electro - Acoustic Music - REAM - Vol.6
【演目】①石田千飛世 秋思(2024)- 篳篥、ライブエレクトロニクス-
    ②林梨花 生ける光の影(2024)
                -ヴァイオリン、ライブエレクトロニクス-
    ③廣庭賢里 色無き緑の考えが猛烈に眠る(2024)
                  -ヴィオラ、ライブエレクトロニクス-
    ④前田朱音 Flawless Flores(2024)
          -フルート、バス・フルート、ライブエレクトロニクス-
    ⑤折笠敏之 transformatio emergens l a(2025)
                        -アンサンブルのための-
【出演】<篳篥>阿部三世子
    <Vn>清水伶香
    <Va>山本大地
    <Fl、B-Fl>石田 みそら
    <Le、PA統括>折笠敏之(東京藝術大学音楽学部作曲家准教授)
    <Le>石田千飛世、林梨花、廣庭賢里、前田朱音
    アンサンブルREAM
    <Cond>矢野耕我
    <Vn>大久保薫子
    <Vc>谷川萌音
    <Fl>鎌倉有里
    <Ob>酒井弦太郎
    <Cl>田中そよ香
    <Hp>加美山舞
【日時】2025年3月16日(日)17:30~
【会場】東京藝術大学音楽学部第6ホール
【一言感想】
今日は東京藝術大学音楽学部作曲科第6回「REAMコンサート」を拝聴することにしました。「REAM」(esearch for lectro-coustic usic)は、2016年にコンピュータを援用した創作分野の教育・研究を目的として同科に設置されたそうです。これまではコンピュータを援用した目に見える分かり易い電子音響音楽の作品演奏に注力してきたそうですが、最近ではアコースティクの創作現場におけるコンピュータの援用が国際的な常識になっている状況を踏まえて電子音響の有無に拘らない創作の可能性も追求しているそうです。今回の演奏会では2024年に開催された学内向けの演奏会「大学院生ミクスト音楽作品試演会」で初演された修士課程の学生4名のミクスト音楽作品と同科でミクスト音楽を担当している准教授の折笠敏之さんの作品が演奏されましたので、ごく簡単に感想を残しておきたいと思います。なお、本日演奏を担当したアンサンブルREAMは2017年に同科で実験的なミクスト作品を含む多様な現代音楽を演奏することを目的に結成されたアンサンブルだそうですが、最近の現代音楽ブームとも言える状況にあって外部での演奏機会も増えてきているのではないかと思われますので、その活躍が注目されます。
 
①秋思
パンフレットには輪廻(生命の循環)という東洋思想(但し、涅槃に対する輪廻という仏教的な概念よりも科学的な自然観に近い概念と言えるかもしれません)は雅楽(調子や奏法など)にも息衝いており、その生命の循環の中に自己を位置付ける謙虚さが必要であるという趣旨のことが記載されています。阿部三世子さんによる篳篥の演奏とそれをコンピューターが反復、変容しながら相互に呼応して自然のカオスを形成して行く様子が表現されているように感じられる面白い作品でした。
 
②生ける光の影
パンフレットには最初の女性作曲家と言われているヒルデガルト・フォン・ビンゲンの幻視体験(ヒルデガルトはドイツ薬草学の祖としても知られていますが、その影響という可能性もあるかもしれません)に着想を得て、ヒルデガルトが作曲した典礼用の作品の一部を引用して創作されたという趣旨のことが記載されています。観客の拍手、ピアノ、ヴァイオリン、鐘の音などのアコースティックの音(現)をコンピュータの音(幻)で採取し、様々に変容してアコースティックやコンピュータの音と重ねながら幻視体験の世界観を表現しているように感じられる面白い作品でした。
 
③色無き緑の考えが猛烈に眠る
パンフレットには人間が脳内で考えている言葉を電子音響で演奏し、人間が実際に発話している声をヴィオラで演奏して、不器用ながらも必死に心の声を伝えようとしている人間の姿を表現しようと試みたという趣旨のことが記載されています。電子音響が文脈を持たない音を、また、ヴィオラが文脈を持った音を交互に繰り返すうちに、電子音響がまとまりのない雑然とした音を発するようになり、それに振り回されるヴィオラの狼狽振りが感じられる面白い作品でした。
 
④Flawless Flores
パンフレットにはT.ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」とS.プラスの小説「ベル・ジャー」から一節が引用され、欲望と死などの対照的な2種類の「花」(陰陽)から「Flawless」(欠点のない) 「Flores」(花)が咲き零れるという趣旨のことが記載されています。上記の解説と音楽のイメージが結び付き難く、もしかすると両者は全く関係がないかもしれませんが、幽けき息の音と電子音の境界が曖昧になり又はそれらが倒置しているような風合いの音楽に感じられる面白い作品でした。
 
⑤transformatio emergens I a
パンフレットにはコンピュータを援用して音楽素材を別の音楽素材に生成的に変容する実験的な試みにあたって、アコースティックなアンサンブル作品をそのためのサンプルデータとして活用するために本日の演奏を録音するという趣旨のことが記載されています。アコースティック楽器のみで様々な短いフラグメントが演奏され、アコースティック作品としても楽しめる着想豊かな音楽に感じられる面白い作品でした。
 
 
▼ドゥドゥクと篳篥 シルクロードでつながる東西の響き(ドゥドゥク:樽見ヤスタカ、篳篥:あべみよこ)
千葉市文化センターでアルメニアの民族楽器「ドゥドゥク」と日本の民族楽器「篳篥」のレクチャーコンサートがあるというので聴きに行くことにしました。現時点における人類最古の楽器は4万年前のヨーロッパ(ドイツ)において発見された骨(牙)から作った管楽器(笛)と言われていますが、その後、紀元前3000年頃に古代エジプトで植物の茎から作ったダブル・リードの管楽器が誕生して中東や中央アジアなどで発展し、アルメニア地域で「ドゥドゥク」やペルシャ地域で「ズルナ」「メイ」などの管楽器が誕生しています。これらの楽器が東西へと伝わり、6世紀頃に中国から日本へ「篳篥」(「篳」「篥」という漢字は雅楽の縦笛を表すためだけに使われる文字)が伝来し、また、17世紀頃にフランスで「オーボエ」(高い音の木を表すフランス語)が誕生しています。因みに、昭和ロマンが薫る移動式屋台ラーメンの「チャルメラ」(ドレミーレド、ドレミレドレ〜♪)は16世紀に南蛮貿易によりポルトガルから日本へ伝来したダブル・リードの管楽器(ポルトガル語でリードの素材である葦を意味するシャルメラが語源)で、昭和41年に発売されたインスタントラーメン「明星チャルメラ」という商品名に採用されています。篳篥とチャルメラはいずれもダブル・リード楽器として同祖同根の楽器ですが、それぞれ異なったルートで日本に伝来し、チャルメラはオーボエの語源でもある高い音がすることから移動式屋台ラーメンの客の呼込みのために使われるようになったと言われています。因みに、ダブル・リードの管楽器には①円錐形の管+小さなリードで大きな音がする楽器(チャルメラ、オーボエなど)と②円筒形の管+大きなリードで小さな音がする楽器(ドゥドゥク、篳篥など)の2種類に大別できますが、ドゥドゥクは低音域が出る楽器として上記②の性格を持つ楽器でニュアンス豊かな繊細な表現が魅力であるのに対し、篳篥は高音域が出る楽器として上記①の性格を併せ持つ楽器で明度が高く広がりのある音に魅力があるのではないかと思います。清少納言は枕草紙第218段で横笛や笙はエモいが篳篥はクツワムシのように喧しく下手な演奏は聴くに耐えない(篳篥はいとかしがましく、秋の虫をいはば、轡虫などの心地して、うたてけぢかく聞かまほしからず。ましてわろく吹きたるはいとにくき・・・)と揶揄していますが、篳篥は小さい楽器ながら非常に大きな音が出ますので繊細な清少納言には刺激が強すぎたということかもしれません。因みに、大河ドラマ「太平記」のオープニング曲の冒頭で篳篥の演奏が使用されています。また、大河ドラマ「義経」のオープニング曲の冒頭と終盤では龍笛と笙の演奏、その中盤では厳島神社の舞楽「蘭陸王」の演舞が使用されています。ドゥドゥクは大きな楽器の割に息がそのまま音になっているような精妙なサウンドが特徴であるのに対し、篳篥は小さい楽器の割に空間的な広がりのある開放的なサウンドが特徴で、同祖同根の楽器ながらドゥドゥクが繊細な姉だとすれば篳篥は活発な妹に例えられるような対照的な性格に感じられました。この性格的な違いは文化的又は風土的な要因により生じたものなのかなど、未だ不勉強で詳しいことはよく分かりません。
 
▼法制大学能楽研究所 能楽セミナー
法政大学能楽研究所が「マンガのアダプテーションと能狂言」「近世初期以前の囃子」と題する興味深い能楽セミナーを開催するというので参加しました。但し、主催者から細かくサマラないで欲しいとお願いされましたので、ポイントの要旨のみを列挙しておきたいと思います。前者のセミナーでは、漫画「鬼滅の刃」を題材として「竈門炭治郎立志編」を翻案した能狂言「鬼滅の刃」(2022)に続いて「無限列車編」「遊郭編」を翻案した能狂言「鬼滅の刃」-継-(2024)が公演されて話題になっている状況を踏まえて(残念ながら、出演予定者の問題でスーパー歌舞伎Ⅱ「鬼滅の刃」は公演中止)、①中世の漫画とも言い得る絵巻物や絵本が風流能の題材として使われていた時代状況、②原作漫画の世界観に忠実である一方で能楽の表現特徴を活かして鬼の中に人間性の残照もうつすなど舞台表現の可能性を拡張するためのアダプテーション、③漫画(二次元的、断続的)と能楽(三次元的、連続的)の表現特性の対比、④現代演劇(具象化、2.5次元化)と能楽(抽象化、様式化)の表現特性の対比、⑤フランスにおける日本文化の受容(ギメ美術館で開催中のマンガ展、フランス語の能「マタ・ハリ」、アニメツーリズム協会「アニメ聖地巡礼」によるアニメツーリズム、能楽協会「能を旅する」によるコンテンツツーリズム)など興味深い話が聞けました。後者のセミナーでは、津藩藤堂家に仕官していた一噌家(分家)に伝承されていた「御家之獅子」の「大本 笛唱歌付」(国立能楽堂所蔵)を題材にして近世以前の能の囃子の特徴を掘り下げるセミナーでした。詳しい内容には触れませんが、現在の能では音高の区切りで笛を吹きますが、節の区切りや言葉の区切りで笛が吹かれいたという特徴的な違いがあり、これは小鼓の手組にも同様の特徴が見られ、現在と比べて近世以前の方が囃子のバリエーションが豊富であったという興味深い話を聞けました。最後に、「御家之獅子」の復曲として一噌流笛方・一噌幸弘さん、幸流小鼓方・成田達志さん及び観世流シテ方・坂真太郎さんによる実演が披露されましたが、一噌幸弘さんが藤堂家の殿様はプログレ趣味があったのではないかと小言を述べながら演奏に苦心されている様子が会場の笑いを誘っていました。何故、このような変化が生まれたのかという点については言及がありませんでしたが、江戸時代に武家文化の式楽として洗練されるまでは庶民文化に息衝く躍動(又は洗練し切らない雑味のようなもの)が囃子に残されていたということなのかもしれません。
 
▼映画「そして、アイヌ」、短編映画「urar suye」
アイヌ文化アドバイザーとして若い世代に対する舞踊や楽器演奏の伝承活動にも取り組まれているアイヌ料理店「ハルコㇿ」(場所:新大久保駅前)の店長・宇佐照代さんは、関東在住のアイヌ人のための居場所を作りたいという祖母や母の想いを受け継いでアイヌ料理店の営業を開始したそうですが、未だにアイヌ人に対する偏見や差別がなくならない状況を踏まえて宇佐照代さんのファミリーヒストリーやこれまでに出会った人々などを通じ、アイヌのアイデンティティ、文化承継、多様性や人権などの現代的な問題と向き合うドキュメンタリー映画「そして、アイヌ」が2025年3月15日から全国で公開される予定なので楽しみにしています。最近、関東でもアイヌ料理が食べられる店が増えてきましたが、アイヌ料理店「ハルコㇿ」はアイヌ料理店の草分け的な存在として非常に人気が高いので予約された方が安心です。また、現在、阿寒湖アイヌコタンYouTubeチャンネルにおいて、北海道・阿寒湖アイヌコタンを舞台にして現代に息づくアイヌの世界観を描いた短編映画「urar suye」が公開されています。アイヌ人のカムイ(Kami)と倭人(和人)のカミ(kami)は、それぞれ万物を依代として霊的な存在(カムイ、カミ、仏、精霊など)が宿るというアニミズム思想を基調としている点で類似点が多いように感じられますが(但し、神格化の有無など相違点もあり)、自然と共生しながら育まれ、営々と受け継がれてきたアイヌ文化に接していると、古代まで遡る日本人(アイヌ人+和人+その他の民族)としてのアイデンティティが甦ってくるような不思議な感覚になります。文明社会の中で失われた自然に対する感度を回復するために、アイヌ文化に息衝く自然との向き合い方(叡知)に触れる有難さを感じます。