
▼ブログの枕「この世界のムラを認知する」
前七回のブログ記事では「ムラ」をキーワードにして「宇宙誕生の物語」、「対称性の破れ」、「行動遺伝学」、「行動経済学」、「ニューロ・ダイバーシティ」、「文化心理学:拡張自己」、「社会心理学:自己拡張」に簡単に触れてきましたが、今回は、この世界の「ムラ」を認知するという視点から心のフレームワークについてごく簡単に触れてみたいと思います。前回のブログ記事で現代オペラの傑作として名高いオペラ「ミスター・シンデレラ」の感想を簡単に書いた際に当時の時代感覚(世代論)に言及しましたが、丁度、このオペラが初演された2001年頃はテレビ(アナログ)を中心とするマス・メディア(大衆社会)からインターネット(デジタル)により分散するナノ・メディア(個衆社会)へと移行した端境期にあたり(以下の囲み記事を参照)、ナノ・メディアに脳をハッキングされて人々の価値観が大きく変化し始めた時期にあたると思います。このような社会現象を裏書きするように、例えば、製造業(技術大国)に代わって日本経済を牽引し始めているコンテンツ産業(エンタメ大国)を代表するアニメもウルトラマンから宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムに極まるタテ型社会(ヒエラルキー)を基調とした社会や組織を重視する自己犠牲に彩られた拡張自己的な価値観(俗にガンダム世代)から、ワンピースに始まりキングダム、鬼滅の刃へと発展するヨコ型社会(ホラクラシー)を基調とした仲間や自分を重視する自己実現に彩られた自己拡張的な価値観(俗にワンピース世代)へと移行し(集団から個人へ、秩序から自由へ、社会を守る技術から個人の可能性を広げる技術へとパラダイムシフトし)、ガンダム世代が自己犠牲により体制を守ろうとする一方で、ワンピース世代はその体制に抗うことで自己実現を図ろうとするという各世代の特徴的な傾向があり、それがハラスメントなどの様々な摩擦となって顕在しています。
▼アニメに描かれている時代感覚20世紀後半(1950~)の戦後世代はマスメディアなどを中心にして規範化された大衆社会で育ったのに対し、21世紀(2000~)のポスト戦後世代はナノメディアなどの普及により多様化された個衆社会で育ったと言えそうですが、このような社会情勢の変化を背景として、アニメのテーマも社会の利益を守るために技術(拡張自己)を駆使して自己犠牲のもとに反体制(主に侵略者)を打ち破るもの(ガンダムが体現する世界観)から、個人の夢を叶えるために自らの成長(自己拡張)を経て体制(主に既得権益)を打ち破り自己実現を図るもの(ワンピースが体現する世界観)へ移行したように思わます。
西暦 TVアニメとテーマ 社会現象 1953 - マスメディア TV放送開始 1955 - 高度経済成長 1966 ウルトラマン
テーマ:地球救済- 1974 宇宙戦艦ヤマト
テーマ:地球救済- 1979 機動戦士ガンダム
テーマ:地球連邦救済- 1991 - バブル経済崩壊 1993 - ナノメディア インターネット開始 1995 - Windows 95発売 1996 - Yahoo! Japan開始 1999 ONE PIECE
テーマ:海賊王ADSL、携帯ネット開始
(一般家庭へ普及)2003 - 光回線開始 2004 - mixi(SNS)開始 2012 キングダム
テーマ:天下の大将軍- 2019 鬼滅の刃
テーマ:妹救済- ※ウルトラマンは特撮実写版が有名ですが、1979年からアニメ版も放送されていますのでアニメにカテゴライズしています。▼ガンダム世代の滅私奉公(組織重視)からワンピース世代のハラスメント(個人重視)へガンダム世代はメンバーシップ型雇用を前提として組織への忠誠に基づく自己犠牲を基調とする社会に生まれ育ち、それに伴う滅私奉公や過労死が社会現象になりましたが、ワンピース世代はジョブ型雇用を前提として多様性の尊重に基づく自己実現を基調とする社会に生まれ育ちましたが、ガンダム世代による組織への忠誠や自己犠牲の強要などがワンピース世代の多様性の尊重や自己実現の重視などを阻害するものとしてハラスメントの問題を惹起するという社会現象になっています。
世代 特徴 コミュ 価値観 ガンダム
世代鋼鉄の
堅実性社会性
規範性組織
競争タテ社会 自己犠牲 ワンピース
世代ゴムの
柔軟性個性
多様性仲間
協調ヨコ社会 自己実現
戦後、義務教育やマスメディアの普及などにより「常識」と呼ばれる社会的な共通感覚が醸成されて社会の均質化(大衆化)が進みましたが、その裏腹として、上述のとおり各世代に固有の共通体験(例えば、オイルショックや就職氷河期など)により形成された「常識」から逸脱する各世代の特徴的な傾向は世代論(ムラ)として捉えられるようになりました。この点、世代論をネタにした書籍やWebサイトなどは溢れていますので、敢えてここでは深入りしませんが、このような各世代の特徴的な傾向をステレオタイプとして捉える心のフレームワークは脳の認知特性から生じるものと考えられています。人間は、①外界から情報を取り込むと(感覚)、②そのうち必要な情報を選択して注意を振り向け(知覚)、③その選択的注意を振り向けた情報と過去の経験や知識(記憶)を照合して意味を理解して判断又は行動を促す(認知)と共に、④それを個人の嗜好や価値観により解釈、評価します(意識)が、過去のブログ記事で触れたとおり、外界からの情報を詳細に認知していると外界の変化に迅速に反応することが難しくなりますので、自らの生存可能性を高めるために過去の経験や知識(記憶)をベースにした認知パターンに基づく予測(例えば、ニャン=猫、ガァオ=虎など)を前提に効率的な認知を行っています。また、過去のブログ記事で触れたとおり、人間は、自らが属している集団の内(我ら)と外(彼ら)をアイデンティティで区別し、自らが属する集団と同質のアイデンティティを持つ者を集団の内と認知する習性があり、自らの生存可能性を高めるために自らが属している集団を強く支持する一方で、他の集団に対して攻撃的になる習性があると言われています。他の集団を認知しようとするとき、自らが属する集団とのアイデンティティの違いをステレオタイプとしてパターン化し、その認知パターンを自らの属する集団に共有することで一種の偏見(確証バイアス)が生まれますが、その1つとして否定的、悲観的なニュアンスを含む世代論が挙げられます。最近、多様性の時代を踏まえて世代論の有効性が議論されていますが、所詮、人間には外界を正確に認知することは不可能なので、(偏見やペルソナの強化に結び付かないように個体差に配慮する注意深さは必要ですが)各世代の特徴的な傾向を把握することで各世代間に潜在する社会的な摩擦を回避又は緩和する知恵として活かすことができるかもしれません。
▼シアター・オペラ「その星には音がない-時計仕掛けの宇宙-」
【演題】水戸国際音楽祭
【演目】シアター・オペラ「その星には音がない-時計仕掛けの宇宙-」
【脚本・演出】平田オリザ
【作曲・指揮】中堀海都
【出演】<Sop>太田真紀
<Mez>ドーラ・ガルシドゥエニャス
<Ten>フーゴ・ポールソン・ストーヴェ
<俳優(青年団)>兵藤公美、能島瑞穂、南風盛もえ、田崎小春
【演奏】アンサンブル水戸
<Fl>若林かおり
<Cl>上田希
<Fg>中川日出鷹
<Pf>若林千春
<Vn>石上真由子
<Va>般若佳子
<Vc>竹本聖子
【舞台美術】杉山至
【立体音響】五十嵐優
【舞台監督】中嶋さおり
【技術監督】武吉浩二
【照明】三嶋聖子
【字幕】西本彩、佐山泉
【衣装】正金彩
【制作】太田久美子
【制作補佐】三浦雨林
【日時】2025年10月11日(土)14:30~
【会場】ザ・ヒロサワ・シティ会館 大ホール
【一言感想】

前回のブログ記事でも宣伝しましたが、今年の水戸国際音楽祭でシアター・オペラ「その星には音がない-時計仕掛けの宇宙-」が初演されるというので聴きに行ってきました。水戸国際音楽祭は「音楽と観光の融合」というコンセプトを掲げて、この音楽祭でしか体験できない魅力的な芸術イベントと水戸ならではの豊かな観光資源を楽しむことができる多彩なプログラムを用意し、水戸の街全体をテーマパーク化したステイ型のフェスティバルのようです。水戸には水戸城、偕楽園、弘道館、千波湖などの観光資源の他にも、例えば、幕末に水戸で発明された日本最古のエレベーター(好文亭)、日本最古の戦車(水戸東照宮)や日本最古の潜水艦設計図(弘道館)など日本が近代化を図り今日の経済的な繁栄をもたらしたイノベーションの萌芽となった場所でもあり、そのユニークな観光コンテンツが魅力です。因みに、僕の先祖はTVドラマ「水戸黄門」の格さんのモデルになった安積覚兵衛と共に水戸藩の彰考館総裁を勤めていたこともあり、個人的には大変に思い入れが深い場所でもあります。演出家の平田オリザさんは現代作曲家の細川俊夫さんとオペラ「海、静かな海」(2016)やオペラ「二人静」(2017)を創作されていますが、このとき細川さんの弟子であった中堀海都さんと知り合い、その後、このオペラの構想が持ち上がりって足掛け7年越しで実現した舞台だそうです。現在、平田さんは地域文化政策に注力されており、地方行政と連携しながら城崎国際アートセンターを活動拠点にして豊岡演劇祭の開催や芸術文化観光専門職大学の設立などの活動を通して観光と文化を融合した地域振興に取り組まれているそうです。平田さんの芸術観として、芸術には①娯楽性(個人の充実)、②社会性(社会の形成)、③公益性(観光や医療など社会の充実)という3つの役割が期待され、基礎(伝統)に根差しながら先端(革新)を拓いて行くことで100年後の人々にとっても価値のある新しい文化資産を創造し続けることが必要であるという信条を吐露されていましたが、正しく慧眼だと思います。過去のブログ記事でも触れましたが、「伝統なき革新」( ≠ 実験)や「革新なき承継」ではやがて芸術の「花」は枯れてしまいますので、自己拡張を育む世界観(目的)と拡張自己を誘う方法(手段)をバランスして伝統を革新しながら新しいもの(藝術)を創り続ける創造的な営みを通して「花」を咲かせ続けることが重要ではないかと思います。過去のブログ記事でも触れましたが、古事記(「八百万の神共に咲(わら)ひき。」「歌ひ、舞ひ、かなで給ふ。その御聲ひそかに聞えければ、大神、岩戸を少し開き給ふ。國土また明白たり。神たちの御面、白かりけり。」)や世阿弥の花伝書(「住する所なきを、まづ花と知るべし。」「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり。」)に著されているとおり、芸術の意義は「面白さ」(≧ 美しさ)に窮まり、「面白さ」とは詰まるところ自分の知らない自分に出会うこと(自己拡張)を意味するのではないかと思います。さて、このオペラにはプロットのようなものは存在しないと思っていましたが、アフタートークで宇宙に関するオペラを創ろうということになり「宇宙」→「真空」(音≒ 振動を伝える媒質がない世界)→「音」(音≒ 振動を伝える媒質がある世界)→「声」→「言葉」という連想から宇宙に移住した人間が地球に戻ってきて言葉を取り戻すという状況設定のようなものがあったらしく、ジングシュピール(歌芝居)よろしく歌(音楽)と芝居(演劇)が交錯する舞台構成になっていました。また、上述の状況設定のようなものが手伝って、伝統的なオペラのようにプロット(物語)を重視したものではなく、ポップスのようにイメージ(言葉の断片)を散りばめた歌が中心に据えられており、細川さんのオペラ「ナターシャ」と同様に多言語(英語、フランス語、日本語)を使うことにより言葉を意味から解放して人間の集合的無意識(ユング)に働き掛ける音素を使ったヴォカリーズ風のアリアになっていた点が特徴的でした。さらに、会場にはヤマハの立体音響システムとして約30台のスピーカーが設置され、アコースティック(音≒ 振動を人工的に発生させる手段:その1)だけでは描き切れない世界観がエレクトロニクス(音≒ 振動を人工的に発生させる手段:その2)を使って表現されていました。なお、少し前まではアコースティックとエレクトロニクス、ベルカントとクルーナーや人間とAIなどを恰も対立概念であるかのように捉えたがる昭和ノスタルジー(俗に老害と揶揄される認知バイアス)がありましたが、すっかり時代に浄化された状況は歓迎したいです。冒頭では歌(音楽)の場面から開始し、立体音響システムから流される点描音が徐々に大きくなり、恰もビッグバン後の宇宙の冷却によりエネルギーが凝縮し、強い核力や電磁力によって物質(音≒ 振動を伝える媒質)が誕生する様子が表現されていたように感じられました。フルートがエオリアン・トーンで空気(音≒ 振動を伝える媒質)の存在を感じさせるなか、メキシコ人ソプラノ歌手のG.ドーラさん(本公演ではメゾソプラノ)とスウェーデン人テノール歌手のS.フーゴさんが登場してそれぞれが英語とフランス語で「私のことを覚えていますか?」「私の中にいる貴方」と二重唱を歌いましたが、地球に戻ってきた人間がDNAに刻まれた進化的な記憶の中の自分に出会う場面に感じられました。その後、「愛」「現実」「大地」などの言葉の断片(イメージ)を繰り返すヴォカリーズ風のアリアが歌われ、人間がDNAに刻まれた進化的な記憶の中の自分を手繰り寄せるような印象的な場面が展開されましたが、ミニマル音楽よろしく観客の潜在意識や記憶深部に働き掛ける催眠的な効果を生んでいるように感じられ、座禅を組むように音楽に没入できる観客にとっては大きな音楽効果を感得できたのではないかと思いますが、俗世の雑念に囚われている観客にとってはそのような音楽効果を感得することは期待できずやや冗長に感じられたかもしれません。これに続き芝居(演劇)の場面では、3人の女優が登場して、猫とライオンは同じネコ科なのに、何故、猫は「鳴く」と言い、ライオンは「吠える」と言うのかと哲学的な議論を展開しましたが(一般には「犬がクンクンと鳴く」「犬がワンワンと吠える」と使い分けられていますが、「鳴く」は小さな音、「吠える」は大きな音をイメージしているように思われます。)、人間がピアノによって音を88鍵に分節して平均律の中に閉じ込めてきたように、言葉によって世界をロゴスで分節して環世界の中に閉じ込めてきた歴史を物語っているように感じられました。現代は、科学の進歩によって神の絶対秩序を体現する線形思考(単純系)から世界(宇宙)の実相に迫る非線形思考(複雑系)に時代の価値観は移行していると思いますが、言葉に支配されることの意味、言葉から解放されることの意味を色々と考えさせる印象深い場面になっていました。なお、アフタートークで言葉を取り戻す過程を表現するために助詞を突支える台詞にしたそうですが、やや吃音障害を連想させるものがあり配慮に欠ける印象を否めませんでしたので、それよりも人間が波のリズム≒ 心臓や呼吸のリズムから世界を分節的に捉える認知特性を備え、そのイメージを共有するために言葉(記号)を獲得した過程を中心に描いて貰えると違和感なく鑑賞できたような気もします。これに続く歌(音楽)の場面では、2人の歌手が「私達は生きている」「私達は時計を組み立てている」と歌い継ぎ、宇宙の構造(実)としての「時間」(一般相対性理論)とその時間を人間の意識(虚)が分節的に捉えることで作り出される過去→現在→未来へと一方向に進む「時間の流れ」(エントロピー増大の原則)の虚実が織り成す時間観が象徴的に表現されているように感じられました。このような形態で歌(音楽)と芝居(演劇)が交錯しながら舞台が展開されましたが、人間が言葉(ロゴスが体現する環世界)を取り戻して行く過程と相反するように、オーケストラには微分音やカオスな音響(ピュシスが体現する環境世界)が支配的になって「方向性のある音」(神が体現する人工的な世界観、五線譜に記述できる音楽)から「方向性のない音」(宇宙が体現する自然的な世界観、五線譜に記述し切れない音世界)へと変化してくそのギャップが観客に色々な問いを投げ掛けてきているような作品に感じられ、最後は息の音(対称性の破れを象徴する音)で締め括られる余韻深い終幕になりましたが、観客の多様なプロジェクションを許容する懐の広い作品を楽しめました。アフタートークで、既に平田さんと中堀さんのコンビでシアター・オペラ第3弾の構想が持ち上がっているそうなので、今から楽しみです。
▼中井智弥 箏・二十五絃箏リサイタル2025「時をこえて」
【演題】中井智弥 箏・二十五絃箏リサイタル2025「時をこえて」
【演目】①光崎検校 秋風の曲
②中井智弥 Motion
③中井智弥 民謡メドレー
(米山甚句、よさこ節、おてもやん、加賀ハイヤ節、百々花火)
④中井智弥 雪魔縁
⑤中井智弥 ECHO
⑥中井智弥 風になれ花になれ
⑦中井智弥 蝉丸
⑧中井智弥 実朝と倩子姫
⑨中井智弥 忍冬の夢
⑩中井智弥 雨夜の月
⑪中井智弥 ノクターン
アンコール
⑫中井智弥 時を超えて
【出演】<二十五絃筝>中井智弥①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
<琵琶・尺八>長須与佳②④⑤⑥⑦⑪⑫
<笛>藤舎推峰②③④⑤⑥⑧⑨⑩⑪⑫
<十七絃筝>中島裕康②③④⑤⑥⑪⑫
<打物>住田福十郎②③④⑤⑥⑪⑫
【日時】2025年7月12日(日)14:00~
【会場】Hakuju Hall
【一言感想】

過去のブログ記事でも感想を書いた筝演奏家・作曲家の中井智弥さんが二十五絃箏リサイタル2025「時をこえて」が開催されるというので聴きに行ってきました。中井さんは歌舞伎界に革新の風と共に新しい客層を呼び込んでいる歌舞伎役者の尾上松也さんとタッグを組んだ歌舞伎「刀剣乱舞 月刀剣縁桐」や歌舞伎「刀剣乱舞 東鑑雪魔縁」や日本舞踊家の尾上菊之丞さんとタッグを組んだ新ジャンルの詩楽劇「めいぼくげんじ物語 夢浮橋」などで音楽を担当され、物語を多彩に彩る美しい音楽が話題になるなど伝統に根差しながらその枠に安住することなく多方面で果敢に革新を仕掛けておりその活躍から目を離せません。なお、中井さんが出演される11月8日に開催されるART歌舞伎は非常に人気が高く早々にチケットが完売してしまいましたが、急遽、オンライン配信が追加されることになったようなので、そちらを視聴する予定にしています。

美味しそうな🍙だなと近寄ってみたら、お友達なのかしら?
さて、本日は非常に演目数が多いので、過去のブログ記事で感想を書いた歌舞伎「刀剣乱舞~東鏡雪魔緑」や中井智弥・箏リサイタル2024~ETERNITY~で採り上げられている曲についてはそちらの感想に譲ることにして、いずれの公演でも採り上げられていない第一曲の感想のみを簡単に残しておきたいと思います。パンフレットには筝曲について「その原点は雅楽にあり、中世には筝一面で寺院仏閣において歌の伴奏として演奏されたのが始まりとされています。その原点の姿をとどめてるのが「組歌」です。(中略)簡素な音数で成り立つ組歌は、技巧と華やかさを追求した江戸中期以降の筝曲とは対照的な存在といえるでしょう。江戸末期に活躍した光﨑検校はこの原点に立ち返り、組歌の形式を用いて「秋風の曲」を作曲しました。」という解説に続けて「私自身も筝曲を探求する中で、組歌のシンプルな手を歌の中に崇高な美を感じ、この世界を知らずして新たな筝曲を書けないと痛感しています。」という心境が吐露されていますが、この言葉には筝演奏家としての矜持が感じられます。筝の一音一音に込められた音香(音に宿る薫り)が空間に焚き染められて行くような余韻深い演奏が展開され、一音一音の彩りと共にそれぞれの音の奥行き(残香のように漂っている余情や無常感など)を静寂に聴き分ける深みのようなもの、一音で描き切る世界(一音成仏)を堪能できる内容の濃い演奏を楽しめました。スリ爪は冬の気配を運ぶ秋風を表現したものでしょうか、季節と共に移ろう心象風景が中井さんの雅やかな歌声と精細なニュアンスに富む筝と共に紡がれ、その組歌の美観極まる演奏が白眉でした。前回のブログ記事でも述べましたが、西洋歌曲のように連音で紡がれる音楽は日本語のモーラ構造には不向きで、筝曲の組歌のように延音で紡がれる音楽は日本語の1モーラに1音が対応して言葉と音が密接に結び付きながら延音の中に立ち上がる世界に日本歌曲の美質が生まれることが感じられます。上述のとおり中井さんは現代の筝演奏家の中でも「生き馬の目を抜く勢い」と評し得る八面六臂の活躍ですが、世阿弥が花鏡で「たとひ上手なりといへども、初心の時の心を忘れざるを、花とす。」と前置きして、「上手になりぬれば、心に慢心生じて、古法をおろそかにし、おのがままなる心にて芸をなすゆゑに、花を失ふなり。されば、年来稽古といふとも、初心を忘るべからず。」と戒めているとおり、絶頂を迎えている時機(男時)だからこそ浮足立つことなく原点に立ち戻り地歩を見詰め直す謙虚さや慎重さが芸に「真の花」を咲かせるために大切なのだろうと思います。この点、中井さんの芸道を究める真摯な姿勢と覚悟が感じられる一曲を堪能できました。ヴラヴォー!なお、過去のブログ記事に感想を譲りますが、忍冬の夢では藤舎推峰さんの寂び寂びとした笛の音が澄み渡り、さながら水墨画を見るような淡麗枯淡とした味わいに聴き惚れました。ヴラヴォー!!また、蝉丸では長与佳与さんが儚さや無常などを湛えた琵琶の演奏で楽しませてくれました。ヴラヴァー!劇場版アニメ「鬼滅の刃」(無限城編)では上弦の肆・鳴女(モデル:啼沢女命)が琵琶の一掻きで亜空間を自在に操りますが、琵琶には一掻きで世界観を一変させてしまう音の力(啼沢女命の涙、怨霊鎮魂、一撥天地開闢など)が宿っており、そこに琵琶の大きな魅力の1つがあるように感じます。源博雅よろしく藤舎さんの笛、蝉丸よろしく長須さんの琵琶と役者が揃っています。さらに、中島裕康さんと住田福十郎さんの漫談!?が会場から大きな笑いをとるエンターテイメント性の高い舞台を楽しめ、会場に若い女性の姿が多かったのも頷けます。
▼長須与佳 尺八・琵琶LIVE〜亜欧の風〜
【演題】長須与佳 尺八・琵琶LIVE〜亜欧の風〜
【演目】①長須与佳 繚悠の月
②長須与佳 風、薫る
③長須与佳 若葉色に吹かれて
④長須与佳 亜欧の風
⑤長須与佳 砂の泉
⑥平家物語 扇の的
⑦長須与佳 三日月
⑧長須与佳 月影の舞
⑨中井智弥 風になれ花になれ
⑩米山正夫 車屋さん
⑪長須与佳 帰路~みち~
⑫長須与佳 めぐる郷、めぐる君
アンコール
⑬平家物語 祇園精舎
⑭長須与佳 胡蝶之夢
【出演】<尺八・琵琶>長須与佳
<Key>村田昭(賛助出演)
<Perc>田辺晋一(賛助出演)
<二十五絃筝>中井智弥(ゲスト)
【日時】2025年10月21日(火)19:00~
【会場】目黒Blues Alley Japan
【一言感想】

長須与佳さんは琵琶、尺八及び唄(歌)をマルチに熟す日本で唯一の女性音楽家で、上述の中井さんと共に歌舞伎役者の尾上松也さんとタッグを組んだ歌舞伎「刀剣乱舞 月刀剣縁桐」や歌舞伎「刀剣乱舞 東鑑雪魔縁」、日本舞踊家の尾上菊之丞さんとタッグを組んだ新ジャンルの詩楽劇「めいぼくげんじ物語 夢浮橋」などに出演されると共に、新作歌舞伎「陰陽師 鉄輪」では作曲を担当されるなど、伝統と革新を紡いで新しい世界観を拓く目覚しい活躍が注目されます。そんな長須さんがワシントンD.C.の老舗ジャズ・クラブ「ブルース・アレイ」の流れを汲む目黒のジャズ・クラブ「ブルース・アレイ・ジャパン」で単独ライブを開催されるというので、社会人にとって平日の公演は非常にハードルが高いのですが何とか都合を付けて聴きに行ってきました。


上弦の肆・鳴女よろしく、憂き世を浮き世へと変える亜空間に誘われました🎶
さて、本日の公演の副題は長須さんがシルクロードをテーマにして作曲された楽曲が収録されているアルバム「亜欧の風」から採られていましたが、本日の長須さんの衣装である藍色のドレスと紅色のストールはシルクロードを象徴したものではないかと思われます。ご案内のとおり、「琵琶」は古代ペルシアの楽器「バルバット」がシルクロードを経由してアジア(亜細亜)へ伝来して、そこから海のシルクロードである遣隋使や遣唐使によって日本へ伝来して発展したものですが(因みに、ヨーロッパ(欧羅巴)へ伝来して発展したものが「リュート」)、同じく古代ペルシアを主要な原産地とする「ラビスラズリ」(藍色)や「サフラワー」(雅称:末摘花)(紅色)もシルクロードを経由して日本へ伝来して、主にシルクの染料として使用されました。この点、古代ペルシアを主要な原産地とする薔薇もシルクロードを経由して日本に伝来しましたが、日本では「亜欧」という薔薇の新品種(国産苗6号)が誕生しており、ラピスラズリ(藍色)とサフラワー(紅色)が混合されたような薄紫系(藤色)の美しい重花弁をつける薔薇が華開いています。このようにシルクロードにより紡がれてきた文化の彩りを象徴する衣装だったように感じられます。冒頭、長須さんはさながら虚無僧のようにいぶし銀の尺八独奏でアルバム「亜欧の風」に収録されている①「繚悠の月」を演奏しながら舞台に登場されましたが、これに続く長須さんのアルバム「若葉色に吹かれて」に収録されている②「風、薫る」及び③「若葉色に吹かれて」では尺八、ドラム、キーボードによる爽快な演奏が対照されて陰陽互根の世界観が印象的に描き出されていました。再び、アルバム「亜欧の風」に収録されている④「亜欧の風」及び⑤「砂の泉」では琵琶、尺八、パーカッション、アコーディオンによる情熱的な演奏が展開されましたが、ミニマル音楽風に短いパッセージが変化しながら古代ペルシャの風情を感じさせる演奏が展開され、さながら砂漠に刻まれる風紋を見るような鮮やかな演奏に魅了されました。長須さんの琵琶の音に感電死させられた経験を持つ観客は少なくないと思いますが、長須さんが奏でる琵琶の魅力を堪能する趣向として古典曲から⑥「平家物語 扇の的」がたっぷりと演奏されました。先ず以って、長須さんの語りと歌が白眉でして、正確な音程や強靭で洗練された喉に加えて、その質感のある歌声から彫りが深く多彩な綾により生み出される豊かな情感表出はワックスのような表面的な煌びやかさとは異なる長年に亘って軽石で磨き上げられてきたような底光りする情趣幽深とした美しさのようなものが感じられて陶酔させられました。また、心を掻き鳴らす琵琶の音には決して綺麗事だけでは済まされない人生の迫真を体現する凄みのようなものが宿っているようであり、甲と乙、荒と艶、生と死、陰陽や清濁を併せ呑む語りと琵琶の音が一体となって心をハッキングしてしまう力強さがありました。ここで長須さんの盟友である中井智弥さんがゲストとして登場し、過去のブログ記事で簡単に感想を書いた歌舞伎「刀剣乱舞〜東鑑雪魔縁〜」で使用されている⑦「三日月」、⑧「月影の舞」及び⑨「風になれ花になれ」が演奏されましたが、昼間の公演では歌舞伎「刀剣乱舞〜東鑑雪魔縁〜」で髭切を演じられていた歌舞伎俳優の中村莟玉さんのご尊父(実父)(因みに、養父は歌舞伎俳優の中村梅玉さんですが、歌舞伎界の養子入りについては映画「国宝」の感想を参照)の姿も客席に見えられていたそうです。その後、美空ひばりさんのヒット曲である⑩車屋さんが端唄や小唄風の節回しで小粋にチャキチャキと歌われました。⑨「風になれ花になれ」で聴かれた中井さんのノーブルな歌声と長須さんのリッチな歌声による二重唱も聴き所になっていました。上述のとおり長須さんの歌には美空ひばりさんや都はるみさんのような旨さがありますので、是非、ご一聴下さい。最後に茨城県那珂市の那珂ふるさと大使を務めている長須さんが郷里をテーマにして作曲した楽曲が収録されているアルバム「めぐる郷、めぐる君」から⑪「帰路~みち~」及び⑫「めぐる郷、めぐる君」が尺八、パーカッション、キーボードで演奏され、その牧歌的な風情のある歌に心が洗われました。個人的には那珂市は僕の祖先が南北朝時代に籠城戦を行った瓜連城があった場所なので、この2曲を非常に思い入れ深く聴き入りました。水戸黄門(徳川光圀)が隠棲した西山荘も近く、本当に風情豊かな場所なので都心からの日帰り観光などにもお勧めです。アンコールとして、⑬「平家物語 祇園精舎」及び⑭「胡蝶之夢」が演奏されましたが、会場にはポーランドから来ていた訪日旅行外国人の姿などもあり、国際色豊かな盛会になりました。上述の水戸国際音楽祭で平田オリザさんが日本は訪日旅行外国人が夜に遊べる場所がないことを嘆かれていたことを思い出しましたが、ワ―ケーションを含むアミューズメントの在り方(洋の東西を問わず、未だに芸術とショービジネスを分けて考えたがる権威主義的な認知バイアスが支持されるセンチメンタリズムはありますが)をポジティブに捉え直してみるべき時機なのかもしれません。長須さんと中井さんは現代邦楽界の至宝というべき存在であり、そのうち園遊会にも招待されることになるであろう顕著な活躍に注目しています。
▼吉例顔見世大歌舞伎(三谷歌舞伎)
【演題】吉例顔見世大歌舞伎(三谷歌舞伎)
【演目】歌舞伎絶対続魂(ショウ・マスト・ゴー・オン)~幕を閉めるな
【脚本・演出】三谷幸喜
【出演】<狂言作者花桐冬五郎>松本幸四郎
<座元藤川半蔵>片山愛之助
<山本小平次>中村獅童
<油屋遊女お久>坂東新悟
<浅尾天太郎>中村福之助
<篠塚五十鈴>中村莟玉
<市山赤福>中村歌之助
<坂田虎尾/狂言作者見習花桐番吉>市川染五郎
<竹田出雲弟子半二>中村鶴松
<附打芝助>片岡千太郎
<囃子方五郷新二郎>大谷廣太郎
<附師鍛冶屋為右衛門>澤村宗之助
<大道具方儀右衛門>阿南健治
<骨つぎ玄福>浅野和之
<竹田出雲>市川男女蔵
<榊山あやめ>市川高麗蔵
<竹島いせ菊>坂東彌十郎
<頭取嵐三保右衛門>中村鴈治郎
<叶琴左衛門>松本白鸚
【日時】2025年11月2日(日)17:00~
【会場】歌舞伎座
【一言感想】

過去のブログ記事で三谷文楽の第一作「其礼成心中」(それなりしんじゅう)に続く第二作「人形ぎらい」の感想を簡単に残しましたが、悲劇の近松に対して喜劇の三谷と評すべき傑作を堪能できました。果たして、今回は三谷歌舞伎の第一作「月光露針路日本~風雲児たち」(つきあかりめざすふるさと~ふううんじたち)に続く第二作「歌舞伎絶対続魂~幕を閉めるな」(ショウ・マスト・ゴー・オン)が上演されるというので観に行く予定にしています。三谷歌舞伎では、江戸の竹田に対して令和の三谷が人情物で勝負を挑むという趣向に感じられますので非常に楽しみにしています。三谷文楽と同様に三谷歌舞伎はハイセンスな脚本と演出で歌舞伎を現代的にアップデートしたものになると思いますので、若年層にも違和なく楽しめると思います。偶には歌舞伎デートと洒落込んでみてはいかが?


歌舞伎座の隣のスポーツバー「82東銀座店」ではWS最終戦で多国人も大歓声!!
ヴラヴィー!!!!!!三谷文楽「人形ぎらい」に続いて三谷歌舞伎「歌舞伎絶対続魂〜幕を閉めるな」でも腹を抱えて笑わせて貰いました。この年齢になると滅多なことでは笑えませんが、外国人客もウケまくっていましたので、チケットを取れた方はご期待下さい。舞台を観れば分かりますが、台本(キャラクター設定やシチュエーション設定など)のセンスの良さに加えて各役者の持ち味が映える配役も絶妙でしてツボに嵌ること請け合いです。江戸時代の「傾く」に対して令和時代の「傾く」とはどういうことなのか、ひとつの答えを強烈に示しているような舞台でした。文楽や歌舞伎は戯曲作家の才能に大きく左右されますが、その意味でも三谷さんは文楽界や歌舞伎界の救世主と言える存在ではないかと思います。若年層の客も多かったことも特筆で、映画「国宝」の追い風を確かなものにする効果的な一手になっていたように思います。ガンダム世代はいざ知らず、ワンピース世代にとっては仇討ちや心中と言われてもピンと来ないと思いますので、現代の歌舞伎を模索する時機に来ているのではないかと思われ、江戸の近松や竹田に対する令和の三谷に期待が集まります。他日公演もありますので、ネタバレしない範囲で簡単に感想を残しておきたいと思います。江戸時代には江戸、大阪、京都に次いで歌舞伎が盛んだった伊勢の芝居小屋(静岡県島田市に蓬菜座という同名の芝居小屋がありますが偶然でしょうか)に於いて竹田出雲作の人形浄瑠璃「義本千本桜」を座元の藤川半蔵作の歌舞伎「義本千本桜」と偽って興行しているという舞台設定で、片山愛之助さんが演じる座元(プロデューサー)の藤川半蔵、中村鴈治郎さんが演じる頭取(舞台監督)の嵐三保右衛門、松本幸四郎さんが演じる座付作者(脚本家)の花桐冬五郎が舞台展開の要になり、これに中村獅童さんが演じる立役の山本小平治、坂東彌十郎さんが演じる女方の竹島いせ菊、浅野和之さんが演じる骨接ぎの玄福などのキー・キャラクターを初めとする座中が繰り広げるドタバタ喜劇ですが、歌舞伎の舞台のエッセンスを喜劇に採り入れたドリフターズや吉本新喜劇などが特徴としていた身体的なギャグや誇張された演技などによって生み出される「刺激」による反射的な笑い(俗にクスグリ笑い)とは一線を画し、登場人物の性格(キャラクター設定)や人間関係(シチュエーション設定)の妙味などによって生み出される「共感」(近松門左衛門の言葉を借りれば「うつり」のようなもの)による内発的な笑いを誘うマナー・コメディやシチュエーション・コメディーの真骨頂と言える上質な歌舞(伎×喜)劇を存分に堪能できました。竹田出雲が蓬菜座へ芝居見物に来ることになり芝居小屋の幟旗の「藤川半蔵作」を「竹田出雲作」に書き換える羽目になるところから息も尽かせぬドタバタ喜劇を展開し、いい加減な座元や頭取(上司)、身勝手に振る舞う座中(同僚)に振り回される花桐冬五郎(調整役)という劇団だけではなく一般の会社でも「あるある」な状況にエンパシーを掻き立てられました。歌舞伎「義本千本桜」を公演する舞台裏(私)から表舞台(公)を覗き込む座中が役者のトラブル(平知盛役の山本小平治は泥酔状態で舞台に上り、静御前役の竹島いせ菊は舞台上でアゴが外れ、その竹島いせ菊を治療するために女中役として舞台に送り込まれた骨接ぎの玄福が自ら興奮して膝の関節が外れ、役の奪い合いに起因する配役の間違いなど)や道具のトラブル(鼓と枕の取り間違え、山本小平治が酔った勢いで舞台セットに小便をして壊してしまうなど)などに次々と見舞われながらも何とかそれらを乗り越えて公演を続けて行く劇中劇の構成をとっていましたが、我々観客は表舞台(公)から隠れた舞台裏(私)の秘密を共有する仲間として非常にエンパシーを感じ易い舞台設定になっており、舞台裏にいる座中と一緒になってハラハラ(緊張)やゲラゲラ(解放)を繰り返しながら表舞台(公)の様子を伺っている(我々観客には表舞台の音だけが聞こえてきますが、その音から表舞台の混乱振りを想像)というオン・ステージ感(緊張)とオフ・ステージ感(解放)が重層的に織り成す舞台展開に惹き込まれました。このように人間の業が生むドラマと笑いに包まれながらテンポ良く舞台が展開していきましたが、最後に舞台裏(私)から表舞台(公)に回り舞台が展開すると、そこには舞台上で固まっている顎の関節が外れた竹島いせ菊と膝の関節が外れた玄福という我々観客の想像を超える滑稽な状況が登場して会場は大爆笑に包まれ、久しぶりに涙が出るほど捧腹絶倒してしまいました。その後もドタバタ喜劇が展開し、最後は観客が手拍子するなかを出演者全員で平井堅さんの「POP STAR」を熱唱する爽やかな大団円になりました。江戸時代の「傾く」とはガンダム世代までが憧れを持っていた自己犠牲の美学に彩られた反体制としての自由や逸脱(仇討ち、社会体制に向けた学生運動、社会秩序を破壊する不良、ヒップホップなど)であったのに対して、令和時代の「傾く」とはワンピース世代が持っている自己実現の美学に彩られた体制の中の自由や差異化(個人のための権利主張、マイルドポップなど)であると捉えることができるかもしれませんが、座中の身勝手な振舞いから様々なトラブルに見舞われながらもそれぞれが自己実現のために舞台を断念することなく最後までやり切ろうと協力する、多様でありながら協和している現代社会の縮図のような舞台が描かれており、その現代的な群像劇が生み出す人間味や滑稽さが我々観客の心を強く捉える作品であり、現代的な「傾く」で魅了してくれた新しい歌舞伎の傑作が誕生したと言えるのではないかと思います。是非、続編を期待しています!!
▼オペラ「ナターシャ」がInternational Opera Awards2025にノミネート!過去のブログ記事で簡単に感想を書いたオペラ「ナターシャ」(作曲:細川俊夫、台本:多和田葉子)が世界的に権威のあるInternational Opera Awards2025のWorld Premiere部門のファイナリストにノミネートされました。その最終選考結果は2025年11月13日にギリシャ国立歌劇場が開催する授賞式(於、スタブロス・ニアルコス財団文化センター)で発表され、その模様はライブ・ストリーミングで無料配信される予定です。過去にはオペラ「紫苑物語」(作曲:西村朗、原作:石川淳、台本:佐々木幹郎)が同賞のファイナリストにノミネートされていますが、日本で創作された新作オペラが世界的に権威のあるオペラ賞のファイナリストにノミネートされることの意義の大きさを感じます。▼芝居小屋「日本橋座」2025年10月26日(日)11時から16時まで芝居小屋「日本橋座」(十思スクエア)において<第一部>和洋楽器演奏「白衣天人」(三味線:佐藤さくら子、三味線:東音楡井李花、笛方:望月輝美輔、邦楽囃子方:藤舎夏実、囃子方:望月実加子、ピアノ:浅香里恵)、<第二部>古典芸能「連獅子」(親獅子:中村芝翫、子獅子:中村橋三郎、長唄:鳥羽屋三右衛門ほか)が公演されます。天保の改革で芝居小屋を浅草に移設されるまでは江戸三座のうち中村座及び市村座は日本橋にあり芝居町として大いに賑わったそうですが、その風情を現代の日本橋に蘇らせたいという想いから全ての公演は観覧無料になっています。ご都合がつく方はいかが。

