大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

【新年の挨拶①】ルツェルン・フェスティバル・アカデミー in JAPAN 2025とResonance<共鳴する宇宙第4回>WATARU MUKAIと現音 Music of Our Time 2025(第42回現音作曲新人賞本選会)とオペラ「助けて、助けて!宇宙人がやってきた!!」(台本・作曲:ジャン・カルロ・メノッティ)と「この世界のムラを編む②」 < STOP WAR IN UKRAINE >

 
▼ブログの枕「この世界のムラを編む②」
謹賀新年。少し気は早いですが、正月は多忙を極めますので12月に「新年の挨拶①」及び「新年の挨拶②」の二回に分けて新年の挨拶を投稿します。2026年は「麒麟も老いては駑馬に劣る」の格言を年頭の戒めとして、諸事万端に亘り誠心に努めて行きたいと思っています。前9回のブログの枕では「ムラ」をキーワードにして「宇宙誕生の物語」、「対称性の破れ」、「行動遺伝学」、「行動経済学」、「ニューロ・ダイバーシティ」、「文化心理学:拡張自己」、「社会心理学:自己拡張」、「認知心理学:心のフレームワーク」、「複雑系科学:複雑性理論」とリベラルアーツ擬きを試みてきましたが、今回のブログの枕では来年の干支である「午」(馬)に因んで、前回と同様に、この世界の「ムラ」を編むと題して人と馬との関係性(アンスロズオロジー)についてごく簡単に触れてみたいと思います。さて、来年の干支である「午」(馬)に肖って、一足早く大杉神社の摂社で競馬の神様を祀る「勝馬神社」(以下の写真)で初詣擬きを済ませてきました。馬と言えば、過去のブログ記事で簡単に触れましたが、坂本龍馬は母・坂本幸が懐妊中に「麒麟」を受胎する夢を見たことに肖って、麒麟の頭=龍、麒麟の胴体=馬から「龍馬」と名付けたそうですが、坂本龍馬と親交のあったイギリス人貿易商のT.クラバーは坂本龍馬の旧友であった岩崎弥太郎の支援を受けてビール会社(現、キリンビール)を創立し、T.クラバーの提案で「麒麟」のエンブレムが採用され(キリンビールのエンブレムである「麒麟」は波の伊八こと武志伊八郎信由作の長福寺本堂欄間「雲と麒麟」(以下の写真)がモデル)、坂本龍馬はビールに生まれ変わって人々を酔わせ続けています。この点、陰陽五行説や算命学では、「龍」(辰年)=理(天)、「蛇」(巳年)=知(天と地を連節)、「馬」(午年)=情(地)と考えられており、コロナ禍を乗り越えて社会が本格的に再始動した辰年から巳年を経て午年へと至り「麒麟」(理と情を知で連節して昇華した叡智)に結実する縁起の年になりそうです。もともと日本には馬は生息しておらず古墳時代中期に大陸から輸入されてきましたが、日本全土で馬形埴輪(以下の写真)が発掘されており、早くから日本でも人間と馬が異文化共生ならぬ異種間共生を始めていたと考えられており、それは曲り屋馬子唄(鈴鹿馬子唄が中山道を経由して信濃追分節に発展し、それが瞽女や北前船により運ばれて江刺追分節へと結実)など、日本の文化・風土に深く根付いています。現代でも世界中で馬のアイコンが数多く使用されており、フェラーリポルシェのエンブレム、ハーレーダビッドソンのマフラー音(俗にカンターのリズムと呼ばれる3拍子の馬蹄音)、エルメスラフルローレンバーバーリーセリーヌなどのロゴマーク、相馬家の家紋など枚挙に暇がなく、「乗るもの」から「纏うもの」に姿を変えても人間と一体感のある存在として愛着を持たれている存在です。また、馬に由来する名前も多く、「馬を引く人」を意味するカーターさん(ここからカート:1頭立ての2輪荷馬車、クーペ:2人乗りの4輪箱型馬車、コーチ:4頭立ての4輪大型馬車→馬車は目的地に運ぶものであることから家庭教師や指導者に転用などの言葉が派生)やワグナーさん(ホルクスワーゲンの由来)、「馬を愛する人」を意味するフィリップさん(フィリピンの国名はスペイン領だった時代にスペイン国王フィリッペ二世に由来)、中華系チェロ奏者のヨーヨー・マ(馬友友)さん(丁度、TVアニメ「キングダム」では趙国の武将として馬南慈馬呈が登場していますが、馬さんは中国では13番目に多い名字)などがあります。さらに、日本語の「バテる」は馬が疲労して歩が滞る状態「ばたばたする」「ばたつく」から体力の限界の意味に転じた言葉、「餞(はなむけ)」は馬の鼻先を旅人の目的地の方角へ向けて道中の無事安全を願う風習「鼻向け」から送別の酒宴や餞別の意味に転じた言葉、「埒があかない」は馬囲い=埒から物事の限界の意味に転じた言葉などがあり、如何に人間の日常生活に馬が溶け込んできたのかが窺われます。過去のブログ記事で触れましたが、「拡張自己」は自己のアイデンティティを外界へアウトリーチする心理過程(即ち、「遊ぶ」=「足」+「ぶ(歩)」→自己を外界へ解放して自己を外界と同化する営み)であるのに対し、「自己拡張」は外界を自己のアイデンティティにアレンジする心理過程(即ち、「学ぶ」=「真似」+「ぶ(舞)」→外界から学習したことを身に付けて自己を充実させることで自己を外界と異化する営み)と位置付けることができ、例えば、芸術を受容する者はその芸術体験によって自己のアイデンティティが揺さ振られ(遊びによる拡張自己)、これを消化して受肉する過程で自己のアイデンティティを拡大させて世界観を更新する(学びによる自己拡張)という一連の文化的・社会的な営みであると述べましたが、これは異文化コミュニケーションだけではなく異種間コミュニケーションである人間と馬の関係性(アンスロズオロジー)にも同様のことが言えます。馬の祖先は約5600万年前にアメリカ大陸に生息していたことが分かっていますが、それから約2100万年後に氷河期に入ると森林がなくなり大草原が広がったことで捕食動物から身を隠せる場所がなくなり、馬の祖先は早く走れるように長い脚に進化し、速筋や運動協調性などが発達したと考えられています。また、捕食動物が草を搔き分ける幽けき音や捕食動物が近付いている微かな気配に気付けるように運動視や聴覚、嗅覚の精度が向上すると共に、それらの知覚情報が捕食動物から逃げるなどの行動に迅速に直結するように、脳内に本能を制御して知覚情報の分析などを行う前頭葉を作らないという進化的な選択(高度化<迅速化)が行われたと考えられており、そのために馬は動きを制限されたり閉じ込められたりすることを本能的に嫌がる性質を持っています。馬は危険を察知し易いように目が顔の横に付いており約340度の視界を持っていますので遠くから微かな動きも識別できますが(馬の死角になる真後ろの約20度から近づくものを条件反射的に蹴り上げるのはそのため)、その反面として目の近くにあるものに焦点を合わせることは難しくぼやけて見え、奥行知覚なども不得手だと言われています。これは遠くから捕食動物を発見し易いように視覚の焦点機能や奥行知覚を犠牲にしても周囲に対する運動視の精度を向上すると共に、聴覚や嗅覚を発達させるように進化したためだと考えられています。犬や猫なども然りですが、馬に物を知覚させるためには、人間と異なり、その物を見せようとするよりも、その物の匂いを嗅がせたり又は触れさせたりする方が馬には都合が良いと言えるかもしれません。このように馬は被食動物として進化した経緯から捕食動物である人間の知覚特性とは大きな違いがあり、そのような馬と人間との間で異種間コミュニケーションを成立させるためには、人間の知覚特性を基準とする方法は有効とは言えず、馬の認知特性を基準とする方法、即ち、馬が身体の状態を認識する固有受容覚を使って馬の脳のシナプス信号と人間の脳のシナプス信号を直接的に連接してコミュニケーションとる方法が一般的に有効と考えられています。馬は固有受容覚により馬自身の身体状態と騎手である人間がシグナルを送って来る部位、強弱や種類などを敏感に感じ取り、そのシグナルが脳に送られることで騎手である人間が何を求めているのかを理解することができ(但し、それぞれのシグナルが何を求めているものかを馬と共有するための訓練は必要)、その一方で、騎手である人間も固有受容覚により馬の動きなどから馬の身体や感情の状態がどのように変化しているのかを感じ取ることができますので、これらの相互作用により異種間コミュニケーションを成立させることができます。人間と馬の関係は紀元前350年に古代ギリシャの哲学者クセノポンが乗馬に関する記録を残しているものが最古と言われていますが、これまでの人間と馬の関係は人間中心主義的な考え方(馬も人間と同様な知覚特性を持ち人間と同様に世界を認知しているという無知から生じる傲慢な態度)に則っていたと言われています。捕食動物である人間の知覚特性は、例えば、被食動物を捉え易いように目が前方に付いており、被食動物に狙いを付けるための焦点機能、被食動物との距離を測るための奥行知覚や追跡能力などが発達し、被食動物を捕獲し易いように知覚情報を効率的に処理する必要から前頭葉で物事を抽象化・一般化して認知パターンを生成することでカテゴリカル知覚を行うようになりましたが、馬は前頭葉がなく物事を具体的・個別的に知覚しておりカテゴリカル知覚を行っていませんので、それにより生じる知覚情報の些細な違いに混乱するディスコミュニケーションが発生し易いと言われています。この点、人間と馬との間の異種間コミュニケーションが円滑に行われないケースは「馬が人間を拒否している」というよりも「馬が人間から何を求められているのかを理解できていない」ことの方が多いと言われています。このように人間中心主義的な視点ではなく馬中心主義的な視点(ホースマンシップ)から異種間コミュニケーションを捉え直す必要があり、人間の知覚特性を前提とした論理的・抽象的なコミュニケーションではなく、馬の知覚特性を前提とした物理的・身体的なコミュニケーションを心掛ける必要がありそうです。馬と人間の固有受容覚を使って馬の脳のシナプス信号と人間の脳のシナプス信号を直接的に連節することで、捕食動物である人間は被食動物である馬の脳の働きを体験し(拡張自己)、被食動物である馬の世界観を自らに取り込むことで多くのことを学ぶ機会を与えられ、自らの世界観を広げる貴重な機会(自己拡張)を得られると言えるかもしれません。延喜式(10世紀)には下総国(茨城県、千葉県の周辺)に広大な牧(馬の放牧地)があったと記録されており、その遺構が数多く残されていることなどから現在でも乗馬が盛んな土地柄にありますが、九十九里海岸の砂浜で乗馬体験できる乗馬クラブなどもありますので、2026年は自らの世界観を豊かにする(自己拡張)ために乗馬に挑戦して馬の世界観(ホースマンシップ)へと拡張自己してみようかと目論んでいます。
 
①勝馬神社(茨城県稲敷市阿波958
②長福寺(千葉県いすみ市下布施757
③芝山町立芝山古墳はにわ博物館(千葉県山武郡芝山町芝山438−1
①勝馬神社大杉神社の宮司が衣冠束帯の正装で摂社「勝馬神社」に拝奉しているところです。この一帯は古代に香取海だった場所で湿原や平原が広がり馬の牧場に向いていたことから朝廷直轄の官牧に指定され、馬体を守護する馬櫪社が祀られました。信太牧の馬櫪社が大杉神社に遷されて勝馬神社として崇敬を集めています。 ①勝馬神社:勝馬神社の近くには日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンターがあり、騎手、調教師や馬主等の競馬関係者をはじめとした競馬ファンが数多く参拝し、馬の蹄鉄蹄鉄を象った絵馬などが奉納されています。また、茨城県に隣接している千葉県には馬の養老牧場(=老人ホーム)である引退馬の森があります。 ②長福寺:麒麟は頭=龍、胴体=馬ですが、キリンビールの麒麟のエンブレムは長福寺(千葉県いすみ市)にある波の伊八作の本堂欄間「雲と麒麟」がモデルとして使用されています。イギリス人貿易商T.クラバーはキリンビールの前身を創立し、旧友・坂本龍馬へのオマージュとして「麒麟」のエンブレムを採用したと言われています。 ③芝山町立芝山古墳はにわ博物館:古代日本には馬が生息しておらず、古墳時代に大陸から馬が輸入されたと考えられています。茂山町立茂山古墳はにわ博物館には紀記や魏志倭人伝などに記されている日本古来の歌舞音曲(倭琴、笛、鼓、鈴)を奏楽する様子を学術的に再現した人形が展示されていて非常に興味深いものがあります。
 
▼ルツェルン・フェスティバル・アカデミー in JAPAN 2025
【演題】ルツェルン・フェスティバル・アカデミー in Japan 2025
【演目】①田中弘基 奇妙な絨毯(改訂版世界初演)
    ②ミケル・イトゥレギ さらさらと 氷の屑が(日本初演)
    ③浦部雪 光よ、灯火の息吹よ(世界初演)
    ④ユリア・コンスタンス・ヴィーガー=ノルドス 彫刻(日本初演)
    ⑤石川健人 柱の中に100万時間(日本初演)
    ⑥マヤ・ミロ・ジョンソン リンチアーナ(日本初演)
    ⑦中瀬絢音 時の塔(世界初演)
    ⑧ジュンヒョン・リー スパイクゴーグルと抗精神病薬(日本初演)
    ⑨藤倉大 コズミック・ブレス
    ⑩桑原ゆう 影も溜らず
【演奏】<Cond>石川健人、浦部雪、齋藤友香理
    <Fl>鎌倉有里、中村淳
    <Ob>酒井弦太郎、佐竹真登
    <Cl>内山ちまり、林みのり
    <Fg>中川日出鷹、山下真紀
    <Hr>高崎万由
    <Tb>大関一成
    <Perc>成田花南、難波芙美加、西村和
    <Pf>井口みな美、谷口知聡
    <Vn>及川悠介、北澤華蓮、小山梨花、城野聖良、田中里奈
    <Va>浅野珠貴、迫田圭
    <Vc>谷川萌音、山澤慧
    <Cb>陳子沛、山本昌史
【日時】2025年11月29日(土)15:00~
【会場】Hakujuホール
【一言感想】
ルツェルン・フェスティバルの夏公演では若手作曲家を育成する作曲セミナーが開催されていますが、音楽評論家の小室敬幸さんと作曲家の桑原ゆうさんが2025年夏公演の作曲セミナー(マスタークラス講師:韓国人作曲家のウンスク・チンさん、スイス人作曲家のディータ―・アマンさん)に参加した8名の受講生(うち、日本人の若手作曲家4名)と過去に上記のセミナーに参加したことがある作曲家の藤倉大さん、桑原ゆうさんの作品を加えて、日本でルツェルン・フェスティバルを再現しようという試みとしてルツェルン フェスティバル アカデミー in JAPAN 2025を開催するというので聴きに行くことにしました。日本では「万世一系の△△」に象徴される伝統を重んじる美風がありますが、その光が濃い影を落として、この変革の時代に日本が諸外国の後塵を拝する結果にもなっており(その一例として、世界知的所有権機関(WIPO)が公表している2025年版グローバル・イノベーション・インデックス(GII)では1位のスイスに対して日本は12位と低迷)、それが日本におけるコンテンポラリー作品の受容低迷傾向にも繋がっているように感じられます。そうは言っても、最近では、日本でも随分と状況が改善されてきており、本日はルツェルン効果でしょうか業界関係者(会場で挨拶や談笑している人達は業界関係者)だけではなく一般客の姿も目立っていたように感じられますので、日本でもサスティナブルな望ましい兆候が芽生えつつあるようにも感じられます。さて、非常に演目数が多く全員の作品の感想を書くのは困難なので、当日、来場していた作曲家の作品のみについて簡単に感想を残しておきたいと思います。
 
①奇妙な絨毯
パンフレットには「変則調弦(中略)作品の大部分はそれらの開放弦に限定された音高に、音高以外のパラメーターによる変化を施す(中略)その「変則性」が最も如実に表れるはずの開放弦の響きを聴き込む実験そのものを、作品として成立させる試み」と解説されています。パンフレットに記載されているとおり弦楽四重奏が変則調弦された開放弦を様々なパラメーター(音価や奏法など)で彩りを添えながら演奏し、多彩な表情が紡がれて行きました。個人的には、料理と同じくアートも「方法」(手段)ではなく「世界観」(目的)を味わいたいと考えており、方法は所与の前提として、どのような世界観を体現するためにこの方法が選択されているのか又はこの方法を選択したことでどのような世界観を体現し得ているのか否かという視点で鑑賞しました。
 
③光よ、灯火の息吹よ
パンフレットには「4世紀後半にイタリアのミラノで大司教を務めた聖アンブロージョが書いた賛歌(中略)その一つ「Deus Creator Omnium」」を軸に、信仰、そして手を取り合って生きた人々の営みを見つめた」と解説されています。聖アンブロージョが作曲した賛歌「Does Creator Omnium」を拝聴したことはありませんが、クラリネットとヴィオラが応唱形式を擬えるようにどこか原曲が纏う(?)清澄な雰囲気を醸し出しながら、楽音(音と音)、非楽音(息とフラジョレット、キー・クリックとピッチカート)などのパターンを繰り返してユニゾン、シグナル、パルス音などに変化しながら最後は静謐な祈り(又は永遠の安息)を象徴するような微弱音で静かに締め括られました。
 
④彫刻
ヴラヴィー!!本日の白眉でした。パンフレットには「触覚を原点にした作品である」と解説されています。聴覚の入力によって触覚を刺激するクロスモダール(共感覚)を体感することでき、ある響きを聴いて頭皮に鳥肌が立つのを覚えるなど、音楽を使って人間の知覚と認知を揺さぶる体験型の作品として大いに成功しているように感じられ、面白い芸術体験になりました。どのように作曲したのか聴いてみたかったですが、おそらく全身を研ぎ澄ませながら作曲しているのではないかと想像します。音楽と聴覚、彫刻と触覚、映像と視覚や、純音楽と標題音楽、芸術音楽と商業音楽などのジャンル(認知バイアス)の境界を無効化し、これらのジャンルを越えた新しい地平に広がる新しい時代の新しい芸術作品の1つの在り方を示す意欲作に感じられました。
 
⑤柱の中に100万時間
パンフレットには「木の内部に刻まれた同心円(中略)風土や気候の記憶を宿して、その個体ごとに異なる表情をしている(中略)私たちの脳内に堆積する記憶や経験と、どこか響き合っている」と解説されています。弦の軋み音、オーボエのトリルやチューバの膨らみのある音は木が刻む年輪の歴史を音で再現するものでしょうか、パルス音による時の刻みが何らかの兆しを感じさせるもので、口をチュウチュウと鳴らしていたのは樹液又はそれに群がる昆虫(生態系)を表現したものでしょうか、忙しないパートや閑散としたパートの揺らぎに木の息遣いのようなものや季節の移り変わりのようなものが感じられました。時を刻むメディアとしての木の年輪には直線的なはありませんが(連接的な世界観)、同じく時間を刻むメディアとしての楽譜は直線(分節的な世界観)が支配しており、その対比に想いを馳せる100万時間の旅を楽しめました。
 
⑦時の塔
パンフレットには「時計塔の内外でそれぞれに流れる、異なる時間を採集し、再構成することを試みた作品(中略)淡々と時を刻むメトロノームのまわりで、奏者は各々の律動を紡いでゆく。身体性と機械性の対話を通して、時空間は多層的に重なり合う。」と解説されています。チューブベルは時計台を象徴するものでしょうか、これに誘われるようにメトロノームが刻む音が流さてきましたが(機械性:人間が生み出す分節思考的な世界観)、奏者がランダムな音を奏でながら様々なリズムを交錯させること(身体性:宇宙を規律する連節思考的な世界観)で4次元の時空間(様々な質量が生む多様な曲率とその揺らぎ)を描く作品のように感じられ、その着想の面白さを楽しめました。
 
⑧スパイクゴーグルと抗精神病薬
ヴラヴィー!!この作品も非常にユニークなもので、正気と狂気の間を紡ぐ面白い芸術体験になりました。パンフレットには「本作は凡庸な要素から成り立っている(中略)これらの煩悩からどうすれば逃れられるのか、自由とは何か-この問いこそが、この作品の出発点だった。」と解説されています。スパイクゴーグルが刺激、抗精神病薬が抑制を意味していると思いますが、その拮抗から生まれる現実と幻覚を往還しながらめくるめく世界を旅するドラマチックな音楽を体験できました。前回のブログ記事で複雑性理論に簡単に触れましたが、AIは現実と虚構の境界を曖昧化しましたが、この作品も人間の認知に揺さぶりを仕掛け、さながら映画「ファーザー」の世界観を彷彿とさせる非常に面白い作品に感じられました。
 
⑩影も溜らず
パンフレットには「ルツェルン音楽祭アカデミー作曲セミナーに選出され、そこで発表するために作曲された作品(中略)鏡花の擬音を翻訳するように作曲したヴァイオリン独奏曲「水の声」を源に、声に光と影を与えるよう、アンサンブルを重ねた。」と解説されています。泉鏡花の作品には擬音が数多く使用されていますが、泉鏡花の世界である怪異を描くためには言葉(分節的、人工的)で切り取れる世界の描写では足りず、擬音(連接的、自然的)を多用しなければ描き出せない得も言われぬ世界を表現したいという欲求の現われではないかと思いますが、その擬音にフォーカスした音楽作品に感じられました。独奏ヴァイオリンが楽音(いわば言葉)に変換できない情動のようなものを非楽音(幽けき音、フラジョレット、グリッサンド、サル・ポントなど、いわば擬音)で奏でると、これにオーケストラが様々な反応を示すことを繰り返していましたが、さながら泉鏡花の作品に多用されている擬音(独奏ヴァイオリン)に触れた読者の心に立ち上る独特な感興(オーケストラ)を音楽的に表現した面白い作品を楽しめました。
 
 
▼Resonance<共鳴する宇宙第4回>WATARU MUKAI
【演題】Resonance<共鳴する宇宙第4回>WATARU MUKAI
    無数の夜を超えて、響く朝の調べ
【演目】①ヘンリー・パーセル 新しいグラウンド(ホ短調)
    ②フランソワ・クープラン 「クラヴサン曲集」より
                  さまよう亡霊
                  修道女モニク
    ③向井航 一粒の麦がこの地に落ちて(2021)
    ④ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
               2台の鍵盤楽器のための組曲(ハ短調)
    ⑤向井航 ダルムシュタット・テクノ(2023)
                  (チェンバロとピアノ版世界初演)
    ⑥C.P.E.バッハ クラヴィーア・ソナタ第1番(ハ長調)
    ⑦向井航 シンガポール・サン(2025)
【演奏】<作曲・企画・MC>向井航
    <Pf>小倉美春
    <Chem>石川友香理
【日時】2025年11月30日(日)15:00~
【会場】スタジオ・ピオティータ
【一言感想】
スタジオ・ピオティータに伺うのは初めてでしたが、下高井戸の住宅街の中にある普通の民家の地下室に(どうやって地下室に搬入したのか分かりませんが)ピアノとチェンバロが置かれています。スタジオ・ピオティータを運営されている西澤世子さんはコンテンポラリー作品を採り上げる演奏会シリーズ「共鳴する宇宙」を開催されており、今回は向井航さんの作品が採り上げられるというので聴きに行くことにしました。本日は「無数の夜を越えて響く朝の調べ」をテーマとして時間と時代の夜明けという視点から向井さんが選曲された作品がピアノとチェンバロで演奏されましたので、ごく簡単に感想を残しておきたいと思います。
 
③一粒の麦がこの地に落ちて
パンフレットには某コンサートにおける「愛のテーマ~恋と友情と~のために作曲された。(中略)最も愛について説いているだろう、聖書の中に答えを見出そうとした。(中略)私はこの曲を、ただ自分が祈るためだけに欠いた。」と解説されています。過去のブログ記事で触れたとおり、昔の日本には「社会」という観念はなく「世間」という観念しかありませんでしたので、「世間」の具体的な人間関係を対象とする「情」という言葉が主流でしたが、明治以降に「社会」という観念が生まれると、「社会」の抽象的な人間関係も対象とする「愛」という言葉が流布されました。「情」や「愛」と聞くと善きものという反射的なイメージを抱き易いですが、これらは人間に煩悩を生んで争いの元にもなる悪しきものという側面も併せ持ち、例えば、源氏物語などでは後者の側面も赤裸々に描かれています。この曲は時代の闇(夜)とも言い得るコロナ禍に教会から聴こえてきたコラールにインスパイアされて作曲したそうですが、トリルは時代の闇に蒔かれる一粒の麦を表現したものでしょうか、静謐な雰囲気を湛えたコラールのパートとそれを掻き消すようにコロナ禍の時代の空気感を象徴するようや気忙しく重苦しいパートがお互いに打ち消し合うように展開され、コロナ禍に先鋭化した社会の分断など人間関係のムラを生む「愛」の諸相が巧みに表現されていたように感じられました。
 
⑤ダルムシュタット・テクノ
パンフレットには「私の記憶の断片から、その日ダルムシュタットで聞くはずだったテクノを、コンセプトに、私っは曲を書き始めた。(中略)音と場のイメージを決めて、場所/時間を超えて仮想的なテクノクラブを出現させる。」と解説されています。この曲は2台のピアノのために書かれた作品ですが、本日はピアノとチェンバロのための作品に編曲されて演奏されました。ピアノはスタッカートを多用したストイックでメカニカルな演奏が展開され、チェンバロのエッジの効いたデジタルチックな音響が重ねられ、2人のDJによるスクラッチを連想させるようにそれぞれが緊密に呼応しながら短いフレーズを繰り返すコンテンポラリー・テクノ風の演奏を楽しめました。過去のブログ記事でも簡単に触れたとおりチェンバロを使ったコンテンポラリー作品に興味があり、今後も注目して行きたいと思っています。
 
⑦シンガポール・サン
パンフレットには「本作はスタジオ・ピオティータの委嘱により、この11月、シンガポールにて作曲したものである。私は仕事で同地を訪れるにあたり、渡航前から「シンガポールの朝日を見て作曲する」と心に決めていた。」と解説されています。ピアノがダンパーペダルを踏みっ放しにして混濁した共鳴音が響くなかをチェンバロが異国情緒が漂うリュート音でトリルを奏でましたが、時々刻々と映ろう精妙なグラデーションが彩る曙の空模様と朝陽の煌めきを表現したものでしょうか、徐々に夜が明けて行く様子が描かれたヴィジュアルな音楽を楽しめました。向井さんも書かれているとおり、チェンバロは線的な流れ(装飾)、ピアノは面的な広がり(和音、残響)を特徴としていますが、それぞれの特徴を活かしながら、時にピアノがチェンバロをマウントし、時にチェンバロがピアノを切り裂くように、その攻守の変わり身にドラマが生まれて行くような巧みな音楽を楽しめました。第35回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会で世界初演された「クイーン」が鮮烈な印象と共に話題になった向井航さんは向井響さんと共に今後の日本を代表する作曲家になる逸材だと思いますので、今後も注目して行きたいと思っています。
 
下高井戸の住宅街にあるスタジオ・ピオティータ
 
 
▼第42回現音作曲新人賞
【演題】第42回現音作曲新人賞
【演目】①上岡丈晃 リジェネレ-ション
          ~フルート、クラリネット、ヴィオラのための~
    ②近持亮平 シェアー ザ スペース
          ~サックス(アルト、バス)、コントラバスのための~
    ③劉 昊桐 エンドレス
          ~クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための~
    ④浦野真珠 ヴィーナス・フライトラップ
          ~2人の弦楽器奏者とフルート奏者のための ~
【演奏】<Fl>木ノ脇道元:①④
    <Cl>菊地秀夫:①③
    <Sax>大石将紀:②
    <Pf>篠田昌伸:③
    <Vn>甲斐史子:③④
    <Va>安藤裕子:①④
    <Cb>山本昌史:②
【審査員】徳永崇、河添達也、渡辺俊哉
【日時】2025年12月3日(水)18:45~(アーカイブ配信)
【会場】東京オペラシティリサイタルホール
【一言感想】
この演奏会はアーカイブ配信のメニューが用意されており視聴することが叶いました。一般に社会人にとって平日に開催される演奏会を会場まで聴きに行くことは至難であり(開演時間を遅くしても同じこと)、オンライン配信のメニューを用意して頂けると本当に助かりますが、それでもライブ配信だけでは仕事の都合で見過ごしてしまうことも少なくありません。この点、アーカイブ配信であれば都合が付く時間に視聴することが可能なので(場合により1曲づつ細切れに視聴せざるを得ないことも)、社会人にとっては本当に助かります。一般的な傾向として、演奏会はコスト面の問題なのか、権利処理の問題なのか又はあまり集客に関心がないのか、「是非、会場に足をお運び頂いて、生の演奏をお楽しみ頂きたい。」と主催者の思いばかりを客に押し付けてくる弁を聞かされる機会が多く、客の都合に合わせてマーケット・インしようとする努力が不足しているように感じられることが多いですが、余程のことがない限り、客が主催者の都合に合わせることはありません。オンライン配信のメニューを用意してもコスト倒れに終わることが多いという事情があるのかもしれませんが、現状、あまり状況の改善は見られません。
 
①リジェネレ-ション
パンフレットには「Regenerationは、立ち現れては崩れ再び現れる動きの姿である。身振りの固定された記号的側面というよりは、変わり続ける動きのありかたに焦点を当てた。」と解説されています。前回のブログ記事で複雑性理論に簡単に触れましたが、そんな世界観を体現する作品に感じられました。フラジョレット、タギング、Pizzなど様々な奏法により紡がれる幽けき音は千変万化しながら消滅流転を繰り返し、そのフラグメントはさながら時空の歪みを体現するように圧縮されたり伸延されたりと、万物は非均質な揺らぎから生じていることを音楽的に表現しているような面白い作品に感じられました。人間は世界の実相の1断面のみを知覚できますが、人間の知覚を超えたところに世界の実相があり、その世界の実相をイメージするためには芸術の力を借りなければなりません。
 
②シェアー ザ スペース
パンフレットには「奏者間でお互いの呼吸、身動きが確認でき、そしてそれらの動作を確認する事が、音楽にとって有益となる作品を考えた。」と解説されています。ジャズの即興演奏を抽象化したような作品で、サックスとコントラバスがお互いに向かい合いながら演奏し、アドリブやコード進行などのジャズのエレメントをシンボリックに表現し、そのストイックな音響の中にプレーヤーの「間」や「ラグ」が生む心地よい緊張感やプレーヤー同士が感応し合って生まれるグルーブ感のようなものが巧みに醸し出されていたように感じられました。ある意味で、ジャズを聴かずして、ジャズとはどのような音楽なのかを全く異次元の音楽言語で感じているような不思議な芸術体験になりました。
 
③エンドレス
パンフレットには「私たちは歴史や社会の発展を実感しながらも、進歩そのものが幻想ではないかという感覚にとらわれる。本作は、この抽象的な感覚を音によって体験へと変える試みである。」と解説されています。ピアノの音に触発されてクラリネットとヴァイオリンがタギング、トリル、スピッカート、スタッカートなどにより生まれる微細音で呼応する神経質なやり取りが重ねられ、それが上行や下降を繰り返し、最後はどこまでも落ちて行くような下降が重ねられて長い休符に辿り着き、静寂の中へ回収されていく造形感のある音楽を楽しめました。第一曲と同様に、複雑性理論が体現する世界観と親和的な印象を受けましたが、これが現代の時代感覚とも言えるかもしれませんが、正しく「いま」を感じさせてくれる作品でした。
 
④ヴィーナス・フライトラップ
ヴラヴィー!パンフレットには「本作品は、演奏者の「呼吸」や「身体感覚」を通した音のやりとりによって生まれる視覚的・音楽的効果を追求したいという思いで作曲した。」と解説されています。非常に着想が面白い作品で、「常に動きを伴い飛び回る「ハエ」(Fly)と、香りを放ち獲物をおびき寄せ昆虫を捕食する「ハエトリグサ」(Trap)を本作品のテーマとした。」とのことで、ハエ役はフルートの木ノ脇さん、ハエトリグサ役はヴァイオリンの甲斐さん、ヴィオラの安藤さんというキャストでした。舞台上ではハエトリグサをイメージさせるようにヴァイオリンとヴィオラが向かい合って演奏し、細かい刻み音(香り)の密度を増しながら繰り返していると、やがて舞台袖にいたフルート(ハエ)がヴァイオリンとヴィオラの音(香り)に気付いて呼応し始めますが、ヴァイオンとヴィオラが弓を上げてじっと待ち構える身振りがユーモラスでした。再び、ヴァイオリンとヴィオラが細かい刻み音(香り)を奏でると、フルート(ハエ)が舞台上に姿を現わして少し離れた場所から呼応していましたが、時折、生まれる「間」が捕食劇の緊張感を生んでおり生態系のダイナミズムが巧みに表現されていました。その後、フルートがヴァイオリンとヴィオラの間まで進み出て、フルート、ヴァイオリンとヴィオラが一体になって忙しないアンサンブルを奏でていましたが、突然、アンサンブルが休止してハエトリグサにハエが捕食されてしまうというミュージック・シアター風の作品が非常に面白く感じられました。他の出演者の作品も非常に優れていましたが、この作品が第42回現音作曲新人賞を受賞されたのは納得です。おめでとうございます。
 
【第42回現音作曲新人賞】
 浦野真珠 ヴィーナス・フライトラップ
          ~2人の弦楽器奏者とフルート奏者のための ~
 
 
▼オペラ「助けて、助けて!宇宙人がやってきた!!」
【演題】SSCシェアハピエンタメオペラシリーズ
【演目】G.メノッティ オペラ「助けて、助けて!宇宙人がやってきた!!」
    <エミリー>田村祐子
    <音楽の先生>武田千宜
    <バスの運転手(トニー)>星田裕治
    <学校の門番(ティモシー)>明志隼和
    <算数の先生>浅田亮子
    <校長先生>山崎大作
    <国語の先生>橋本湧
    <理科の先生>寺西丈志
    <子供たち>高橋優奈、金子瑠佳、森楓、廣島舞生心、佐藤琉花
          今井袖希、田中希空、長谷川蓮那、林風歌、原田莉花
          和泉陽仁、高橋結、三宅陽魅、鄭莉亜、長谷川里珠
    <第九ソリスト>河内夏美、木村槇希、内田吉則、高橋正尚
    <地球防衛軍>シェアハピ合唱団
    <宇宙人>Dance art BOX
         高橋花鈴、荻原杏梨、栗原颯音、佐藤瀬菜、堀江こなみ
    <ダンサー>衣シキ奏ヨ葵杏ノ心:いとひ、優衣、杏、こころ、こまり
          ツキエデン:紗、葉南、沙良
    <シンガーソングライター>飛澤結
    <アイドル>松山あおい
    <吹奏楽>東京隆生吹奏楽団、東海大学付属高輪高等学校吹奏楽部
    <お笑い芸人(ナビゲーター>劇団官僚座
【演奏】<Cond>遠藤誠也
    <Vn>桜田理奈
    <Pf>渡辺絢星、納谷結花
【芸術アドヴァイザー】岡田直樹
【美術】山崎雅人
【日時】2025年12月6日(土)13:00~
【会場】赤坂草月ホール
【一言感想】
アウトリーチ公演でちびっ子達から大人気の演目ですが、きちんと視聴したことがなかったので聴きに行くことにしました。本日の演奏会ではG.メノッティのオペラ「助けて、助けて!宇宙人がやってきた!!」の幕間の趣向として①ヒップホップダンス、②吹奏楽団の演奏、③ポップスの演奏及び④合唱団の演奏が挟まれましたが、とりわけ①ちびっ子達によるヒップホップダンスには目を見張るものがあり、ちびっ子達が持つクリエイティビティやバイタリティーに触れて、この国のポテンシャルの高さが実感され、大いに奮起されましたので、それらも併せて簡単に感想を残しておきたいと思います。本日の会場ではちびっ子の姿も多い印象でしたが、一般的にはオペラは大人を対象とした作品が多いので、未来の観客を開拓する意味でもちびっ子を対象にした現代オペラ作品がもっと増えてくれることを期待したいです。
 
赤坂草月ホールと高橋是清翁記念公園の紅葉
 
この作品は1968年作で第九と同様に一定の価値観を是とし、それ以外の価値観を非とするような価値絶対主義(権威主義)が支配的な時代であり、現代人には違和を覚えるプロットになっています。この点、過去のブログ記事でも触れましたが、20世紀までのガンダム世代は価値絶対主義に立脚して自己犠牲を美徳する世代でしたが、21世紀以降のワンピース世代は価値相対主義に立脚して自己実現を美徳とする世代であり、宇宙人を排斥するのではなく、宇宙人に音楽の魅力を伝えてお互いの価値観を尊重しながら共生して行くプロットの方が現代人受けするような気がします。その意味では、既に古典に位置付けるべき作品かもしれませんが、もともと荒唐無稽なプロットなので生真面目に構えるのは野暮というものかもしれません。お笑い芸人・劇団官僚座のMCを挟んで和やかな雰囲気で公演されましたが、余興として第九の合唱が途中に挟まれていたことを踏まえると、このオペラは貴族趣味のオペラではなく庶民娯楽のオペラであるという性格を強く印象付ける演出になっていたと思います。
 
▽第一幕
宇宙人「グロボリンクス」はエレクトロニクス音楽を奏でながら地球を侵略してきますが、宇宙人はアコースティック音楽を苦手にしています。宇宙人は寄宿学校にも襲来しましたが、音楽の先生を筆頭にして先生と生徒が一丸となりアコースティック音楽を奏でることで、宇宙人を撃退するという荒唐無稽なプロットです。丁度、1970年に開催された大阪万博(I.クセナキスのエレクトロニクス音楽「Hibiki Hana Ma」などが話題)の2年前に創作されたオペラであり、当時、エレクトロニクス音楽が台頭してアコースティック音楽との緊張関係が生まれており、G.メノッティ―は後者に傾倒していましたので、宇宙人=エレクトロニクス音楽、人間=アコースティック音楽という構図で後者が前者を駆逐するというオペラを創作したのではないかと思われます。冒頭、シンガーソングライターの飛騨さんとアイドルの松山さんが登場してラジオ番組「麵活」の公開収録を行っているという設定でしたが、そこにエレクトロニクス音楽と共に5人のダンサー(デジタル基調な動き)が扮した宇宙人が現われてラジオ局をジャックするところから物語が始まりました。ピアノが宇宙人の襲来を告げる禍々しい音楽を奏でるなか、生徒を乗せたスクールバスが故障し、バス運転手の星田さんが不吉な予感を朗唱しますが、学生達(何と2009年~2013年生れ)がユニゾンで歌う合唱が緊迫感のあるもので舞台を引き締めていました。そこへ宇宙人が襲来し、バス運転手がバスのクラクション(アコースティックな音)を鳴らして撃退することに成功しますが、生徒達は楽器を学校に置いてきており、唯一、田村さんが扮するエミリーだけがヴァイオリンを持ってきていたので、ヴァイオリンを弾きながら助けを呼びに行くことになります。田村さんの歌唱が圧倒的に上手く、正確な音程、豊かな声量、肌理細やかなヴィヴラートなど信頼感のある歌唱で魅了し、舞台と客席の距離が近かったこともあり、感情が歌に乗った子供達の合唱も相俟って迫力の舞台を堪能できました。エミリーが弾くヴァイオリンは桜田さんのバンダ演奏でしたが、美しいピースも聴き所になっていました。また、ピアノ伴奏に聴き所が多く、調性音楽から無調音楽、果てはジャズ・バラード風の音楽まで多様な音楽が展開され、それぞれのピースが大変に魅力的に感じられましたが、劇伴ということで非常に短いフラグメントに終始してしまうのが勿体なく、それぞれのピースを十分に展開したピアノ曲(組曲)として聴いてみたい衝動に駆られます。場面が変わって宿舎学校では、音楽の授業を減らしたいと考えていた校長先生(これがオペラの結末への伏線になります)が校長室で居眠りしていると、そこに宇宙人が現われて校長先生から言葉を奪います。宿舎学校の先生方は宇宙人がアコースティック楽器に耐性がないことを知りますが、スクールバスの生徒達は楽器を学校に置いていっていたので、音楽の先生が他の先生方に楽器の演奏、言葉を奪われた校長先生にはラララのハミングを教えて生徒達を救いに行くことにしましたが、ここで歌われる先生方の五重唱が聴き所になっていました。
 
▽幕間
宇宙人と人間の戦いという位置付けで、人間によるアコースティックな攻撃としてヒップホップダンス、吹奏楽、第九合唱、ポップスが採り上げられました。
 
○ヒップホップダンス
ヴラヴィー!これが白眉でした。日本のダンス人工の層の厚さが頼もしく感じられます。先ず、ツキエデンは小学校3年生の3人組でしたが、高い身体能力、ダイナミックな表現、曖昧さのないリズム感、精妙な呼吸感など、アクロバティックでありながら雑味がなく洗練されたダンスに舌を巻きました。正直、高校生や大学生のトップレベルのダンスを見ているような非の打ちどころのない素晴らしいダンスに感嘆し、涙腺が弱いおじさんは涙ぐんでいました。きっと有名なダンス・ユニットになると思うので、今後の活躍が注目されます。次に、衣シキ糸ヨ葵杏ノ心は既に数々のコンテストで優勝する華々しい経歴を持っていますが、切れのある動きには隙がなく、それでいながら勢い任せになってしまうところもなく、緩急を巧みに織り交ぜた構成感のあるダンスにはドラマ性が生まれており高い表現力を感じました。ダンス精度の高さがそれぞれの所作が持つ意味を明晰に伝えることを可能にし、流石はコンテストを総なめにする実力派のダンス・ユニットであると舌を巻きました。
 
○吹奏楽
客席通路に吹奏楽団が並んで演奏されましたが、金管楽器の包容力のある音響及び木管楽器の叙情的な演奏に、打楽器の抑制の効いた装飾がバランス良く絡み合い、推進力のある爽快な演奏を楽しめました。ピッコロが好演でしたが(トレーナーのトラ?)、きっと美味しいお酒を飲めたのではないかと思います。
 
○第九合唱
ソリストはプロを迎えて安定した歌唱を聴けましたが、アマで構成される合唱団は多少技量不足の印象を否めませんでしたが、気持ちの乗った合唱を楽しむことができました。
 
○ポップス
飛騨さん、松山さんの熱唱に合わせて、年甲斐もなく、会場で配られたサイリューム(ペンライト)をノリノリで振ってしまいました。さすがはプロの歌手で熱量の高い歌唱に自然と会場の温度感も急上昇して行くのが分かりました。
 
▽第二幕
楽器を携えた先生達はスクールバスが故障して心細い思いをしていた生徒達のところへやって来て生徒達を救い、やがてエミリーも救い出します。宇宙人はアコースティック音楽に撃退されますが、音楽嫌いの校長先生を連れ去り逃げ出します。これを見た音楽の先生は「音楽の心」は人間性そのものであり「音楽の心」がなくなると鋼鉄のようになると告げ、校長先生とは別の結婚相手を探すと言い捨て大団円になりました。音楽嫌いの校長先生は宇宙人に連れ去られるというプロットはブラック・ユーモアなのだろうと思いますが、敢えて野暮を承知で言えば、例えば、第九合唱の「Und wer's nie gekonnt, der stehle / Weinend sich aus diesem Bund !」という歌詞には善き市民の集い(ドイツ啓蒙主義)が孕む偽善が現れていますが、これは「音楽の心」があるはずの音楽の先生が「音楽の心」がない校長先生を見殺しにする結末に通底する思想性があるように感じられてなりません。善き市民の集いよろしく、一体「音楽の心」とは何なのか、本当にそれが価値のあるものであれば、校長先生を見殺しにする音楽の先生は果たして「音楽の心」があると言えるか?という疑問が頭を擡げてきます。歴史が示すとおり、人間が歓喜するときが最も用心しなければならない危いときとも言え、その意味では、このオペラは現代人に宇宙人以上の大きな問題を暗示している問題作と捉えることもできるかもしれません。客席からは(演奏中を含めて)ちびっ子達の元気な声が聞こえてきて微笑ましい限りでしたが、ちびっ子達は宇宙人に興味を引かれるらしく、このオペラがアウトリーチ公演として人気を博している意味がよく分かりました。
 
 
▼第68回グラミー賞と日本版グラミー賞(MAJ)
第68回グラミー賞ノミネート作品が発表されましたが、現代音楽でノミネートされている作品をリストアップしておきます。
◉最優秀現代音楽作曲賞
 ● クリストファー・セローニ Don’t Look Down
 ● ドナチャ・デネヒー Land of Winter
 ● タニア・レオン Raices(Origins)
 ● ショーン・E・オクペボロ Songs in Flight
 ● ガブリエラ・オルティス  Dzonot
 
なお、日本人では以下の方々が携わっている作品がノミネートされているようなので併せてご紹介しておきます。
◉日本人ノミネート作品
▼最優秀インストゥルメンタル・コンポジション賞
▼最優秀レコーディング・パッケージ賞
▼最優秀室内音楽/小編成パフォーマンス賞
 ● ニーヴ・トリオ(エリ・ナカムラ) La Mer
▼最優秀コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム賞
 ● チャル・スリ Shayan(フルート奏者 深沢晴奈が参加)
 
因みに、来年から漸く日本でも日本版グラミー賞「MUSIC AWARD JAPAN」(MAJ)が開催される予定になっており、いまから大変に楽しみです。合理性や効率性が重視された20世紀までは技能(方法)を競うための「コンクール」(発掘と育成を主な目的とする競技)が主流でしたが、創造性や多様性が重視される21世紀からは独創性(世界観)を讃えるための 「音楽賞」(顕彰と奨励を主な目的とする祭典)が主流になってきており歓迎すべき潮流です。
 
▼ブックサンタ
本は我々を知的な冒険へと誘い、新しい世界観を拓いてくれる人類が発明した偉大なる暇潰しです。今年も早いものでブックサンタの季節がやってきましたが、日本でも排外主義的な傾向が鼻に付く狭量な潮流を尻目に、在日外国人の子供達や国際志向が強い日本の子供達の人生の糧になればという想いを込めて、目白駅近くにある海外から輸入した良質な洋書絵本を取り扱っている書店「絵本の家」(但し、残念ながら年内で閉店予定)で子供向けの絵本を選んでみました。誰かに本をプレゼントするということはあなたの心を誰かに届けるということでもあり、少しだけ誰かとあなた自身の心を温めてみませんか?