

▼ レイシズムから生まれた多様性
白人文化 | 黒人文化 | ||
音楽 | 場所 | 教会 演奏会場 |
Hush Harbor 酒場 |
種類 | 讃美歌 クラシック |
黒人霊歌 ジャズ |
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ダンス | 場所 | 社交場 歌劇場 |
ストリート ダンスホール |
種類 | 社交ダンス バレエ(※) |
スイングダンス |
※バレエは、太陽王と言われたルイ14世によって確立されますが(映画「王は踊る」)、フランス革命によって王侯貴族から大衆へと文化の主役が交代するとロマンティック・バレエとして発展し、今日のバレエの様式が確立します。その後、クラシック・バレエからドロップアウトした若者達が伝統的なものを解体してより自由で革新なダンスを求めてモダンダンスやコンテンポラリーダンス等の潮流が生まれています。なお、今回は、あまり長くならないように革新的なものだけを採り上げたいので、以下では伝統的なもの(クラシック・バレエや社交ダンス)は割愛します。

【音 楽】ヨーロッパの音楽+アフリカの音楽=ジャズ【ダンス】ヨーロッパのダンス+アフリカのダンス=スイングダンス
レイシズムに打ち勝つ文化の力
1920年代にジャズの伴奏に合わせて踊るスイングダンスからリンディホップ(黒人がワルツを踊ることを禁止されていたことから誕生したチャールストンダンスとそこから派生したタップダンスの融合)やジャズダンス(バレエとタップダンスの融合)が派生し、ジャズの人気と相俟って大衆を熱狂させます。やがてリンディホップやジャズダンスの人気はレイシズムに打ち勝つという社会的な機運を高め、ニューヨークのハーレムにあった巨大ダンスホール「サヴォイ・ボールルーム」では人種に関係なく入場が許され、白人と黒人が一緒にダンスを踊ったと言われています。因みに、リンディホップとは、単独飛行で大西洋横断を成功したチャールズ・リンドバーグに由来していると言われており(「リンディ」はリンドバーグの愛称、「ホップ」は大西洋を飛び越える意味)、大西洋ならぬ人種の壁を乗り越えるという願いが込められているのではないかと思われます。
ジャズダンスの誕生に日本人の影
1920年頃にルイジ・ファチュートがバレエとタップダンスを融合したジャズダンスを確立します。ルイジ・ファチュートは交通事故で半身不随になり、そのリハビリのために伊藤道郎に師事して伊藤道郎が発案したジャズに合わせて踊るバレエ・エクササイズを学んでおり、これが基になってジャズダンスを創始したと言われていますので、伊藤道郎が発案したバレエ・エクササイズがなければジャズダンスも確立されていなかったと言えるかもしれません。伊藤道郎は元々は声楽家志望で三浦環(声楽に加えて日本舞踊を学び、その美しい所作も国際的に高い評価)と共演し、パリへ留学してドビュッシー等とも交流を持ちましたが、日本人と西洋人の声量の違いから声楽家を断念してダンス(舞踊)へ転向し、イェイツの能楽研究に参加してイェイツの代表作である戯曲「鷹の井戸」の創作に協力しています。また、伊藤道郎はホルストに依頼して作曲して貰った「日本組曲」(日本民謡の旋律がモチーフとして使用されています。また、ホルストは「日本組曲」を作曲するために組曲「惑星」の創作を一時中断しています。)を使って英国でダンス公演を行うなど国際的に活躍し、日本のダンス界の草分け的な存在と言える天才ダンサーです。因みに、伊藤道郎は1964年の東京オリンピックの開会式及び閉会式の総合演出も担当しています。
ダンスブームの到来
1940年代までリンディホップダンスが一世を風靡し、1950年代になるとジャズのブルースやラグタイム等(黒人音楽)とカントリー&ウェスタン(白人音楽)が融合したロックンロールが生まれ、エルヴィス・プレスリーやビードルズの影響等からリンディホップダンス(黒人ダンス)と社交ダンス(白人ダンス)が融合したツイストダンスが流行します。丁度、この頃にバーンスタイン作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」(1957年~)がジャズダンスを採り入れた舞台として注目を集め成功を収めています。1970年代にダンスTV番組「ソウルトレイン」(1971年~)が全米で人気を博すると、ファンク、R&B、ソウルミュージックやロックンロール等の音楽に合わせて踊るディスコ(現在のクラブの前身)が本格的に流行し、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の公開によってディスコブームは過熱します。因みに、2020年12月にスピルバーグ監督による映画「ウェスト・サイド・ストーリー」のリメイク版が公開予定です。
ロックンロール:社会の内部(中産階層)からのドロップアウトヒップホップ :社会の外部(貧困階層)からのドロップイン
その一方で、1970年~1980年代にディスコに通うお金がない黒人はストリートに集まり(ブロックパーティー)、レコードプレーヤーを持ち込んで、そこに段ボールを敷いてダンスをしていました。DJ(レコード盤を操る人の意味)はブレイク・ビート(曲間のビート部分)でダンスが盛り上がることに気付き、ブレイク・ビートを繰り返して再生するループ、レコード盤を擦る音でビートを生むスクラッチ、リズムに合わせて韻を踏みながら歌うラップ、口や喉を使ってビートを生むヒューマンビートボックス等のヒップホップ音楽が生まれ、ブレイク・ビートに合わせて踊るブレイク・ダンスが誕生します。それまでのダンスは「立ち踊り」が主流でしたが、ブレイクダンスは「立ち踊り」(トップブロック等)だけではなくダンスの支点が下半身から遠ざかり手や体を地面につけて踊る「床踊り」(ネックムーブ等)が特徴的なダイナミックなダンスと言えます。また、体のしなやかさを保ちながら人間離れした動きをするホップダンスや体をピタッと止めて固定することでキレのある動きをするロックダンス(音楽のRockではなく、鍵のLock)等が生まれ、ストリートに集うブロックパーティーからこれまでにない革新的なダンスが誕生しています。これらの最新のダンスをマイケル・ジャクソンが採り入れて世界中に熱狂的に受け入れられ、映画「フラッシュダンス」(1983年)や映画「ブレイクダンス」(1984年)等が相次いで公開されています。
▼ ジャズとダンスの発展
~1940年代 | 1950年 ~1970年代 |
1970年 ~1980年代 |
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音楽 | ジャズ | ファンク R&B |
ヒップホップ |
ダンス | スイングダンス リンディホップ ジャズダンス etc. |
ディスコ ツイスト ゴーゴー etc. |
オールドスクール ブレイクダンス ホップダンス ロックダンス |
※上表は大まかな流れを把握し易くするために作成したものである程度正確性は犠牲にしています。
ミドルスクール
1980年代後半~1990年代前半に「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」としてテンポの早いビートに合わせて踊るステップを中心としたダンスが生まれ、ニュージャックスウィング、ランニングマンやロジャー・ラビット等のダイナミックなステップを多用するインターナショナルスタイルダンス、スピンやジャンプ等のアクロバティックなステップを多用するビバップダンス、細かい足さばきを中心としたステップを多用するホーシングダンスなどが誕生します。
バップ革命を契機とする「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」への潮流スウィング白人ミュージシャンによりメロディーを中心にして装飾的に即興演奏する「分かり易いジャズ」へと変質⇩【バップ革命】この状況に不満を持った黒人ミュージシャンがジャム・セッション(その場に居合わせた即席メンバーで行う即興演奏)でテクニックの極限に挑戦し、複雑な音楽を創り出す演奏(「踊るための音楽」から「聴くための音楽」へ)⇩1940年代に黒人ミュージシャンによりメロディーではなくコード進行を中心にしてリズム、メロディーや和声を複雑に変化させながら自由に即興演奏する「分かり難いジャズ」へと変革(1990年代に複雑でテンポが早いビバップの音楽に合わせて踊るためにステップを中心としたビバップダンスが誕生。後年、聴くための音楽であるビバップの即興演奏とクラシック音楽の伝統を融合したジャズ・ピアニストのビル・エヴァンス等も登場)⇩【客離れ】ジャズの即興演奏が難解になるにつれて客に敬遠されて一時的に客離れ⇩ハードバップ(モダン・ジャズ)1950年代にアート・ブレイキーらによりコード進行を中心にして即興演奏しながら、ある程度、コード進行を犠牲にしてもメロディーに配慮した洗練された即興演奏を行う「バランスの取れたジャズ」へと揺り戻し(その後のフリー・ジャズへの流れ)
ニュースクール
1990年代後半にはマスメディア等を通じて貧困階層(肉食系タイプ)だけではなく中産階層(草食系タイプ)にも広くヒップホップ文化が浸透し、ヒップホップ文化の裾野が広がります。これに伴ってオールドスクールのようにパワームーブ等の「床踊り」が中心ではダンス表現の深みに欠けると認識されるようになり、オールドスクールの基本を踏まえつつ、より自由度の高い「立ち踊り」を中心にしたヒップホップダンスが誕生します。また、ミドルスクールを融合して多種多様のステップやスピン等を織り交ぜて曲調やリズムに乗って踊るハウスダンスも誕生します。更に、ニュースクールには含まれないかもしれませんが、2000年代に入るとビヨンセ等によりジャズファンクダンスが流行し、2010年代にはLMFAO等によりEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)が流行しているようですが、もはや瑞々しいとは言えない老憊の感性ではダンスが進化して行くスピードやその多様さに付いていくのは並大抵ではありません(苦笑)。でも面白い。イノベーションによって宗教(聖)と科学(俗)が倒置され(科学によって神秘、即ち、神の秘密とされてきたものが暴かれ)、聖と俗の境が曖昧になってきた現代の世相を映してか、1992年にゴスペルとダンスを取り扱った映画「天使にラブソングを・・」等が公開されていますが、ストリートギャングから生まれたヒップホップ文化(俗)が日本の義務教育(聖)に採り入れられるなど様々な価値観が転換(バラダイムシフト)していく現代の時代性を先取りした映画とも言えます。「落語とは、人間の業の肯定である」という名言を残し、時代に先駆けて聖と俗の倒置を実践して見せてくれた故・立川談志師匠の言葉「本流から必ず亜流が出る。しかしその亜流から本流になるものも出る。それが芸術の本質だ。」は芸術だけではなく広く社会に当て嵌まると思いますが、この言葉の重みが改めて身に染みるこの頃です。また、2018年、ドラッグとEMDによってトランス状態に陥り徐々に理性が剥がれ落ち人間の本能が露わになって行くダンサー達によるトランスダンスを取り扱った問題作、映画「CLIMAX クライマックス」(R18指定)が公開され、第71回カンヌ映画祭監督週間で芸術映画賞を受賞しています。先日、日本でもクラブに通う某女優がドラッグ所持の容疑で逮捕されましたが、科学(俗)によって宗教(聖)の封印が剥がされ、理性から本能が解放され易くなった現代人の姿を赤裸々に描いた興味深い映画です。若杉実さんは著書「ダンスの時代」の中で、表現者の宿命として常に「〇〇ではない」ということに拘るのは重要なことで、例えば、「ダンスではない」ということはダンスの既成概念を壊すという意味で「これまでのダンスを超えた」ことを意味していると仰られています。我々のようなアートを受容する側の人間は、往々にしてステレオタイプ(既成概念)に陥って革新的なもの(亜流、俗)をネガティブに捉えがちですが、この変革の時代にあって、伝統的なもの(本流、聖)ばかりでなく、どのように革新的なもの(亜流、俗)に新しい価値を見出して行けるのか、正しくアートを受容する側にこそ瑞々しく柔軟な感性やジャンルレスの幅広い教養が求められているのではないかと痛感します。
「ダンスを芸術として承継していくことよりも、スポーツのように競技化することで進化させていくことの方が若者の目を惹きつけやすい。ゲイカルチャーを起点としたコミュニティ文化を「保存」から「発展」へと移し変えなければ頭打ちは避けられない。」(若杉実さん/著書「ダンスの時代」より抜粋)
※上記の引用文中のボールドは小職が装飾したものです。「伝統と革新」「変わらないために、変わり続ける」という言葉が使われるようになってから久しいですが、芸術文化の分野に限らず、あらゆる分野において、現代に切実に求められていることだと痛感します。過去の成功体験に味を占め、いつまも約束された成功ばかりに安住すれば、やがて時代に見捨てられる運命にあるということだと思います。


◆おまけ
2019 World Hip Hop Dance Championshipで、日本代表のKana-Boon!All Starがメガクルー部門で優勝しました!昨年、同大会の中学・高校生部門で優勝したメンバーが再結集した2度目の金星であり、日本のダンス界が世界トップレベルの水準にあることを実証した結果になっています。日本の伝統邦楽(津軽三味線や囃子等)とヒップホップダンスを融合した非常に面白い舞台になっており、その意味でも注目されます。
日本で代表的なダンススクール「movement dance school」のPVです。義務教育におけるダンスの必須選択化に伴ってダンススクールに通う若年層が増えているようですが、若い頃に何かを創り上げる喜び、何かを表現する喜びを知っておくことは人生の肥やしになる大変に貴重な経験であり、何かに打ち込んでいる人の姿はそれだけで美しく胸を打つものがあります。
最後にブレイクダンスの至芸をどうぞ。ブレイク・ダンスとは、ブレイク・ビート(曲間のビート部分)で踊ることを意味していますが、エントリー、フットワーク、パワームーブ、フリーズの4つの要素から構成される力強いダンスです。如何に重力から身体を解き放って自由になれるのか、人類創世から続く憧憬と葛藤がこのダンスを美しく魅せるのだと思います。