ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

「世界食糧デー」~ SDGs ✕ Soul food ✕ Soul music ✕ Soul dance ~

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今日10月16日は国連が定めた「世界食糧デー」ですが、世界の食料生産とその分配を改善し、開発途上国における飢餓や貧困の克服を考える日とされています。また、明日10月17日は国連が定めた「貧困撲滅のための国際デー」ですが、貧困を撲滅し、人間の尊厳及び人権を尊重することを目指す日とされています。現在、世界には1日に1.25ドル未満で生活している人々(=貧困)が存在し、また、世界中の人々が十分に食べられる量の食料生産が確保されているにも拘わらず、約9人に1人は十分に食べられない状況にあることから、国連は「持続可能な発展に向けた目標」(SDGs)を掲げて2030年までに「貧困をなくそう」(GOAL1)「飢餓をゼロに」(GOAL2)を達成することを宣言しています。この点、日本では、1980年代後半から本格化した規制緩和の弊害(次の衆議院議員の選挙でも争点になっている新自由主義的な考え方に基づいて市場原理による自由競争を推進した結果として生じた所得格差の拡大や非正規雇用の増加等)が顕在化して子供の貧困が社会問題化している状況を踏まえて2013年に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」を制定して「子ども食堂」への支援など様々な事業を行っています。また、毎年10月を「世界食料デー月間」と定めて国連機関や食料問題に取り組む民間団体等と共同でこの問題を考えるためのイベント等を開催しています。さらに、JAグループでは、10月16日を「国費国産の日」と定めて日本の食料自給率の向上を訴えていますが、残念ながら、2020年度の日本の食料自給率(但し、生産量ベースではなくカロリーベース)は約37%と過去最低を記録し、第二次世界大戦直後に約88%あった日本の食料自給率の低下に歯止めがかからない状況(食料安全保障上の問題)が続いています。日本は、約1300年前から皇祖・天照大神が天降る天孫瓊瓊杵尊三種の神器と共に天上界で育てた稲穂を授けて国を豊かに栄えさせたという神話に基づいて毎年10月に宮中及び伊勢神宮で「神嘗祭」が執り行われ、その年の新穀(天皇陛下が皇居の御田でお育てになられた稲穂及び日本全国の農家から捧げられた稲穂)を皇祖・天照大神に供えて五穀豊穣を感謝するという伝統的な儀式が永々と受け継がれており、何より食(食材を含む自然)を大事にするという文化が深く根付いています。しかし、第二次世界大戦後の復興に伴って日本人の食生活の洋食化が急速に進み、米(自給率100%)の消費が急減する一方で、肉(自給率約50%)やパン(自給率約10%)の需要が急増したことにより日本の食料自給率が低下し始めたと言われています。この背景には、第二次世界大戦後にアメリカが小麦等の余剰農産物の輸出先として日本市場に目をつけ、連合国占領下にあった1950年に再開された学校給食でパンのみが提供され、1970年代まで米が排除されてきました。これにより日本人にパン食が急速に浸透して小麦等の輸入量が増加する一方で、米の消費量は減少し、それに伴う国の減反政策等によって米の生産量自体が減少してきたことが指摘されています。和食が世界文化遺産に登録される一方で、このような日本文化の根幹に及ぶ戦争の傷跡が残されており、日本の食料自給率の問題をはじめとする日本の食文化が抱える問題の根深さを感じさせます。因みに、日本人が食前に「いただきます」(「頂きます」➟「頂上」)と挨拶するのは、神様がその供物の残りを人間に下される際に人間がその供物を頭の上に高く掲げて謹み深く受け取るという意味(神道的な考え方)人間が他の生命を犠牲にして生かされていることに感謝するという意味(仏教の考え方)が込められています。この点、例えば、賞状の授与を見ると、欧米人は賞状を頭の上に掲げることなく片方の手で賞状を受け取り、もう片方の手で授与者と握手する(人間が神様の恵みである自然を支配し、その果実は人間同士が平等に分かち合うものという一神教的な世界観)のに対し、日本人はお辞儀をしながら両手で賞状を頭の上に掲げて受け取る(人間が神様の恵みである自然の一部であり、その果実は神様から人間へ下されるものという多神教的な世界観)のは、このような考え方の違いが影響しているためではないかと言われています。このことは欧米では家族全員が大皿に盛り付けられた食材を平等に小皿に取り分けて食べるのに対し、日本では事前に食材がお膳に取り分けられて父親や長兄のお膳には多めに食材が盛り付けられるという風習にも現れています。また、日本人が他人へお酌する習慣は、神様から自分に下された恵みを他人へ分け与える行為(お裾分け)であり、お酌される人がお猪口やグラス等を両手で持ち上げて頭を下げるのは、このような考え方が日本人の精神に根付いているためではないかと考えられます。因みに、日本人が食後に「ごちそうさま」と挨拶するのは、食事を振る舞うために奔走(=馳走)してくれた人に感謝するという意味(道義的な考え方)があります。このように、日本では、一元論的な世界観のもと、食事に際して神様や家族だけではなく、食材(神様の化身である自然の万物)にも感謝し、食材を無駄にせず、食材を活かし切るという和食文化があり、そのような文化的な素養が現代の食料問題を考えるうえで重要な価値を持つものとして見直されています(この点、今年開催された東京五輪で13万食/月の弁当が廃棄されたという報道がありましたが、2015年9月にSDGsが国連で採択された後の2度目の、即ち、十分な準備期間があった五輪開催としては、五輪の存在意義そのものが問われ得る重大な問題を惹起したという点で失敗であったという歴史的な評価が下されてもおかしくない大会になったことは非常に残念でなりません。)。そこで、「世界食糧デー」及び「国費国産の日」を祈念し、コロナ禍で大きなダメージを受けた地元の飲食店を応援する意味(エシカル消費)も込めて、千葉県のソウルフード(本来、ソウルフードとは、アフリカ系アメリカ人(黒人奴隷)の伝統料理を意味しますが、現在では広く郷土料理や特産品等を意味する汎用的な言葉として使用されています。)をご紹介しておきます。千葉県が定める「ちば文化遺産」には、千葉県のソウルフードとして定番になっている「勝浦タンタンメン」「竹岡式ラーメン」「なめろう」「クジラのタレ」「落花生(ぼっち)」「あさり(潮干狩り)」「太巻き寿司」「醤油」等が挙げられています。また、これ以外にも「ホワイト餃子」「ぬれ煎餅」「鰻」「伊勢海老」「アリランラーメン」(外房の勝浦タンタンメン内房竹岡式ラーメン、中房のアリランラーメンを合せて千葉三大ラーメン)等が千葉県の代表的なソウルフードとして全国的に知られています。今日は詳しく触れませんが、地元のソウルフードの歴史を紐解くと地元の食文化や生活文化が見えきますので非常に興味深いです。いずれのソウルフードも時代の風雪を耐えて受け継がれてきた太鼓判を押せる味ばかりなので、ご近隣に来られた際には、是非、お立ち寄り下さい。なお、千葉県は2021年度の都道府県魅力度ランキングで並居る観光地を抑えて21位から12位へと躍進していますが、未だ、その魅力度が十分に伝わっておらず過小評価されていると思いますので、非力ながら、時折、千葉県の魅力も紹介して行きたいと思っています。都道府県魅力度ランキングは、各都道府県の魅力度を測る物差しというよりも、各都道府県の魅力度がどの程度伝わっているのかを測る判断材料の1つとして活用すべきものであり、各都道府県が「伝える」努力から「伝わる」工夫へと発想を転換し、お互い競い合って行くことが世の中を面白くし、活力ある社会を育むうえで重要ではないかと思います。
 
▼日本で唯一、料理の神様が鎮座する千葉県のソウルフード
高家神社千葉県南房総市千倉町南朝夷164
なめろう食事処よかった)(千葉県千葉市若葉区北谷津町88−1
勝浦タンタンメン江ざわ)(千葉県勝浦市白井久保296−8
④くじらの刺身(食堂かねまつ)(千葉県成田市飯仲45
ホワイト餃子ホワイト餃子成田店)(千葉県富里市七栄651−189
高家神社/千葉県南房総市日本で唯一、料理の神様を祀る高家神社。日本全国から料理人の参詣者が後を絶たず、映画「武士の献立」でも使用されましたが、境内には包丁流派「四条流」が奉納した包丁塚があります。 なめろう/千葉県南房総市で誕生した漁師料理です。「鯵の叩き」は鯵の身と薬味を粗めに叩いて醤油を加えますが、「なめろう」は醤油を入れず、鯵の身に味噌を加えて粘り気が出るまで叩き続け、深い風味が特徴です。 勝浦タンタンメン江ざわが発祥で、ラー油を使った真っ赤なスープが特徴です。カップラーメンにもなっていますが、ラー油の辛み、玉葱の甘み、出汁(鳥、鰹)の旨みが醸し出す絶妙なハーモニーは癖になる美味しさ! ④くじらの刺身/千葉県南房総市和田浦では捕鯨が行われており(日本は国際捕鯨委員会から脱退しましたが年間捕獲枠合計460頭の制限あり)、千葉県では鯨料理店が多く、スーパーで鯨の刺身が安価で売られています。 ホワイト餃子/神奈川県では萬金餃子で有名ですが、千葉県野田市ホワイト餃子本店が本家本元。なお、野田市宮内庁御用達の醤油を造るキッコーマン銚子市高家神社へ奉納する醤油を造るヒゲタ醤油があります。
 
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因みに、日本人はお辞儀、また、欧米人は握手で挨拶する習慣がありますが、いずれも相手に敵意がないことを示す意味を持ち、日本人はお辞儀をすることで無防備であること、また、欧米人は握手をすることで利き手に武器を持っていないことを示すという俗説がありますが、もう一つ本質的な理由が隠されていると思います。日本人は表意文字(口の筋肉を余り使わずに発声し、書に代表されるように読み書きを中心とする文化→日本語は書いて覚える言語)を基本とし、また、島国で複数の民族や文化と交わる機会が少なったので、相手と正確なコミュニケーションをとるために自分の表情やジェスチャー等を使ってアピールする必要がありませんでしたが、欧米人は表音文字(口の筋肉を良く使って発声し、歌に代表されるように話す聞くを中心とする文化→欧米語は聞いて覚える言語)を基本とし、また、大陸で複数の民族や文化と交わる機会が多かったので、相手と正確なコミュニケーションをとるために自分の表情やジェスチャー等を使ってアピールする必要があったことなどが理由として挙げられると思います。日本人が相手と余り視線を合わせず、顔の表情も乏しく、また、ジェスチャー等を使ってはっきりとアピールすることを苦手とするのは、歴史的に、そのように振る舞う必要がなかったばかりか、そのような必要以上の振る舞いは相手に不快感(「近づきがたい」という印象)や敵意(「怒っている」という印象)を与える虞があったためではないかと言われています。この点、コロナ禍で日本人の多くはマスクを着用することに対する抵抗が小さかった一方で、欧米人の多くはマスクを着用することに対する抵抗が大きかったという報道が目立っていましたが、これは日本人は相手と正確なコミュニケーションをとるために自分の表情を使ってアピールする必要が少なかったのでマスクで自分の表情を隠すことに本能的な抵抗が小さかったからではないかと思われますが、欧米人は相手と正確なコミュニケーションをとるために自分の表情を使ってアピールする必要が多かったのでマスクで自分の表情を隠してしまうことに本能的な抵抗が大きかったためではないかと思われます。このような相違は芸術表現の特徴にも現われており、例えば、オペラでは歌手が派手なメイクで舞台を動き回り、大振りなジェスチャーを交えながら喉を開いて豊かな声量で客席にアピールする表現が特徴として挙げられますが(観客へのアピールを前提とする足し算の美学による芸術表現→観客はそれを受動的に聞き感じる)、能楽能楽師が能面をつけて顔の表情を隠し、喉を絞って唸るような声で静かに歌い舞う表現が特徴として挙げられ(観客へのアピールを前提としない引き算の美学による芸術表現→観客はそこから能動的に読み取る)、観客とのコミュニケーション手法や性格の違いが顕著であると言えます。閑話休題、少し話が脱線しましたが、ソウルフードに因んで、世界最高のジャズシンガーとして一世を風靡したビリー・ホリディのドキュメンタリー映画が上映されていたので、映画の感想を簡単に残しつつ、アフリカ系アメリカ人(黒人奴隷)の音楽の影響を受けて発展したブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ロック及びソウルミュージック等のポピュラー音楽とそのルーツであるアフリカ音楽についてごくごく簡単に触れてみたいと思います。
 
 
【題名】映画「BILLIE ビリー」
【監督】ジェームズ・エルスキン
【脚本】ジェームズ・エルスキン
【撮影】ティム・クラッグ
【出演】ビリー・ホリデイ(ジャズシンガー)
    リンダ・リップナック・キュール(ジャーナリスト)
    シルビア・シムズ(ジャズシンガー)
    トニー・ベネット(ジャズシンガー) ほか
【感想】
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この映画は、ビリー・ホリディの生き様に共感したジャーナリストのリンダ・リプナック・キュールがビリーの伝記を出版するために1960年代の10年間に亘って複数の関係者へインタビューした膨大な未公開の録音テープ(リンダはビリーの伝記を出版する前に他界)を基に構成され、最新の技術を駆使してビリーの白黒映像をカラー映像として蘇らせています。子供時代のビリーは家族の生活を支えるために売春せざるを得ない劣悪な家庭環境で育ち、ジャズシンガーとして大成した後もその衝動的な性格から人生にトラブルが絶えず、夫からの激しい暴力や、酒、麻薬及びセックス(バイセクシャル)等に溺れる奔放な生活を送っていました。また、当時のアメリカ社会は黒人への差別が激しく、映画「Green Book」でも赤裸々に描かれているように、ビリーもセッションで訪れる街々で白人と同じホテル、レストランやトイレ等の使用を許されず、理不尽な人種差別を受けていました。さらに、当時は「白いアメリカ」と揶揄されたように音楽プロデューサーや音楽評論家は全て白人で占められていた一方で、ミュージシャンの9割は黒人という状況にあり、黒人が奏でる音楽を白人が白人の価値観で評価する白人優位の社会でした。この映画で、ビリーは「自分の魂に忠実に、心に感じたことを歌う」と信条を語っていますが、ビリーは白人に媚びることなくその奔放で波乱に満ちた人生を歌に込め、まるで自らの人生を語り聞かせるような歌い口はビリーの吐息や鼓動まで感じられるようで、その虚飾を排した表現には真実に迫る凄みや説得力があり、聴衆を圧倒的な共感へと誘う力がありました。ビリーの代表的な歌として知られている「奇妙な果実」(Strange Fruits)は、リンチされて木に吊るされた黒人の死体を奇妙な果実に喩えたグロテスクな歌詞ですが、実際に黒人の死体が木に吊るされている写真を見たユダヤアメリカ人のルイス・アランが人種差別に抗議するために作詞、作曲したものです。このような人種差別の悲惨さを赤裸々に訴える陰惨な歌は、数多くの人々に衝撃と共感を生み、人種差別に反対する社会的な機運が高揚する契機となりました。このような逸話は、現代人がSDGsの取組みにあたり、人々の意識を変えるために芸術に期待される役割の大きさを物語るものとして注目されます。なお、現代のアメリカでも黒人に対する差別や迫害等の問題は解消しておらず、2013年にアフリカ系アメリカ人が警察官に射殺された事件を契機として全米に抗議運動が広がり、その後も繰り返される警察官による黒人への不当な差別的取扱いや過剰な実力行使(暴力)が社会問題化しており、2020年にアフリカ系アメリカ人が警察官の過剰な実力行使(暴力)で死亡した事件に端を発して全米で黒人に対する暴力と組織的な人種差別に反対する大規模な抗議集会へと発展したことは記憶に鮮明です。これらのBLM運動(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命を蔑ろにするな)によって米国内で黒人に対する人権意識が高まり、アフターコロナで活動を再開したブロードウェイミュージカルでは、これまで白人が独占してきた歌手や作家に有色人種(黒人やアジア人など)も起用する動きが目立ってきており(SDGs:「人や国の不平等をなくそう」(GOAL10)「平和と公正をすべての人に」(GOAL16))、その多様な才能が今後のブロードウェイミュージカルの新しい魅力を育むことが期待されています。このような社会の変化を目の当たりにすると、人類は様々な社会問題や未曾有の災害等を乗り越えて、(大河ドラマ「晴天を衝け」ではありませんが)新しい希望(目標)に向かって未来を切り開いて行く可能性に満ちており、このような新しい時代の息吹を感じさせる有意義な取組みに勇気付けられる思いがします。この点、現在、日本でも入管収容中の外国人が死亡した事案で、入管による人権意識に欠ける不適切な対応が批判され、その後の不誠実な対応(不十分な情報開示等)も相俟って大きな社会問題になっていますので、対岸の火事ではありません。さて、アフリカ系アメリカ人(黒人奴隷)の音楽の影響を受けて発展したブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ロック及びソウルミュージック等のポピュラー音楽とそのルーツであるアフリカ音楽についてごくごく簡単に触れてみたいと思いますが、私のような浅学非才の身にはポピュラー音楽を正確に整理することは不可能なので、下表では主要なポピュラー音楽の関係性について大雑把な雰囲気を伝えるためのイメージ図を作成しています。黒人霊歌からジャズへ一筆書きで矢印が伸びており、ラグタイム等に触れていないなど博識の諸兄姉から厳しいお叱りを受けてしまいそうですが、あくまでも分かり易さのみを重視して可能な限りシンプルになるように作成したものなのでノークレームでお願いします。
 
▼ポピュラー音楽の関係性(大雑把な雰囲気を伝えるためのイメージ図)
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アフリカ系アメリカ人は、その殆どが奴隷として人身売買されてアメリカ大陸へ連れて来られた人々ですが、アメリカ南部では黒人奴隷が暴動を起こさないように読み書きを教えることを禁じていたので黒人奴隷の文盲率が非常に高く、そのためにアフリカ人の独特なリズム感を活かした歌や物語によるコミュニケーション文化が発展しました。この点、無文字文化のアイヌ民族が口承文化を発展させたのと似ています。後世、このようなアフリカ系アメリカ人の文化的な素養(例えば、黒人奴隷の間で流行した言葉遊び「ダズンズ」など)を背景として、ビートに乗せてリズミカルに抑揚を付け、韻を踏みながら言葉を操る歌唱法「ラップミュージック」が生まれ、やがてそれがストリートミュージック(レコード盤を操って間奏部で奏でられるビートを繰り返すブレイクビート)やストリートダンス(ブレイクビートに合わせて踊るブレイクダンス2024年パリ五輪の正式種目))等と結び付いて1つの音楽ジャンル「ヒップホップミュージック」へと発展します。なお、ヒップホップミュージックも黒人霊歌やブルーズの影響を受けていますが、上表とは異なる文脈で発展してきた経緯(ドキュメンタリー映画「Blue Note Records:Beyond the Notes」で描かれているとおり、1980年代にアメリカの教育予算の大幅削減で音楽教育が縮小され、黒人の子供達が家にあるレコードをストリートに持ち出して独自の音楽を創作したことが始まり)がありますので、上表には含めていません。因みに、映画「Born into Brothels:Calcutta's Red Light Kids」でも描かれているとおり、現在も、アフリカを含む発展途上国における貧困層の人身売買、臓器売買や性的搾取等が深刻な社会問題となっており、前回のブログ記事で触れた公害問題と同様に過去の問題ではありません(SDGs:「貧困をなくそう」(GOAL1)「平和と公正をすべての人に」(GOAL16))。この点、アメリカ政府が公表している2021年度の人身売買報告書において、日本は「段階2:人身売買根絶の最低基準を満たさない国」に指定されていますが、国内外の事業者が日本の外国人技能実習制度を悪用して外国人労働者を搾取している問題等に対する取組みが不十分であると批判されており、この問題も対岸の火事とは言えません。
 
 
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黒人奴隷はキリスト教への改宗を強制されますが、教会への出入りは禁じられていましたので、白人が教会で歌う讃美歌を真似て黒人霊歌を歌うようになります。黒人霊歌とは、太陽(光)の下で過酷な奴隷労働に耐えながら此岸の苦難(白人からの不条理な罰や拷問等に対する恐怖を含む)を呪い(俗歌)、月星(闇)の下で束の間の安息に癒されながら彼岸(天国)での救済を祈る(聖歌)ための歌です。しかし、上述のとおり黒人奴隷は文盲率が高く聖書を読めませんので、文字が読める黒人の代表が聖書の言葉を独唱し(コール)、文字が読めない他の黒人達が復唱する(レスポンス)という歌唱形式(コール&レスポンス)が生まれ、それが彼岸(天国)での救済を祈り神様を賛美するゴスペル(黒人霊歌のうち聖歌の部分を受け継いでプラスの感情を歌う神様の歌)へ受け継がれ、過酷な奴隷労働に対する怒りや苦悩等を歌うブルーズ(黒人霊歌のうち俗歌の部分を受け継いでマイナスの感情を歌う悪魔の歌)と分化していきます。このようなアフリカ音楽をルーツとするポピュラー音楽にはマイナスのイメージ(ブルーズは悪魔の歌、ジャズは堕落の音楽、ロックは不良の音楽)が付き纏うものが多いですが、社会からのドロップアウトを夢見る中産階層(主に白人)から共感をもって迎えられます。その一方で、ストリートギャングのリーダーでヒップホップの父であるアフリカ・バンバータは、黒人の子供達がナイフや銃で殺し合うよりもストリートダンスやストリートミュージックで競い合う方が良いと考え、ブレイクダンスを競技化してその普及を図ります。また、マイケル・ジャクソンは「Beat It」(逃げろ)で黒人の子供達が無用な闘争心を捨て暴力を憎み避けて欲しいというメッセージを送っています。後述する映画「LIL BUCK:Real Swan」で黒人の子供達がストリートダンス(メンフィス・ジューキン)という熱中できるものがあったのでギャングにならずに済んだと語っていますが、社会へのドロップインを夢見る貧困階層(主に黒人)に大きな影響を与えており、芸術が人生の素晴らしさやその意義を伝えるために重要な役割を担ってきた好事例ではないかと思います(SDGs:「質の高い教育をみんなに」(GOAL4)「住み続けられるまちづくりを」(GOAL11))。なお、SDGsの取組みにおいて近代合理主義的な画一化された基準(多数決原理によって決定された一定の価値観)に盲従し、皆が同じGOALを目指すようになれば、豊かな社会や文化を育むうえで不可欠な多様性(社会が持つ不健全な側見を含む)を損ない兼ねないという問題が危惧されます。上述のとおり、現代社会の活力を生んでいる黒人文化は、黒人が置かれてきた不遇な環境から生み出されてきたという側面もありますので(三島由紀夫の言葉を借りれば、文化を生み出す「血みどろの母胎の生命と生殖行為」と言うべきもの)、昨日までの薬が今日の毒とならないように、どのような社会や文化を目指すのかSDGsの取組みを実質化(ローカリゼーションを含む)するための知恵も求められているような気がします。
 
▼多様性を育む文化の交差
 
①アフリカ大陸の自然信仰(シャーマニズム)の影響
アフリカの自然信仰(儀式)では神様又は自然界の霊が人間(霊媒師)に憑依し、それを取り囲んで歌い踊る人々が神様や自然界の霊との交信を試みて陶酔状態になりますが、ゴスペルのコール&レスポンスでも牧師(さながら霊媒師ような存在)の呼び掛けに対して信者達が歌い踊りながら応えること(さながら神様や自然界の霊との交信を試みるようなもの)を繰り返しながら徐々に感興を増して恍惚状態になり、これがハードロックのシャウトへと発展します。
 
アメリカ大陸のキリスト教信仰の影響
キリスト教は聖書に書かれた神様の言葉を信仰の拠り所として精神で肉体をコントロールすること(理性)を重視し、肉体的な興奮を喚起して人々を狂気されること(本能)を忌避してきましたが、ゴスペルのリングシャウトでも上下に激しく飛び跳ねる踊りではなく足でステップを踏む踊りが行われ、これがストリートダンスのステップへと発展します。
 
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最後に、アフリカ系アメリカ人(黒人奴隷)の音楽の影響を受けて発展したブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ロック及びソウルミュージック等のポピュラー音楽のルーツと言われるアフリカ音楽の特徴についてごくごく簡単に触れておきたいと思います。一般に、ヨーロッパ音楽はハーモニー、アジア音楽はメロディーを重視するのに対し、アフリカ音楽はリズムを重視すると言われています。アフリカ音楽は、ポリリズム(複数のリズムが同時に進行する複合拍子)を特徴とし、八分の六拍子でビートを刻みながら、その上声部を2拍子系(足のステップ又は呼吸の周期)及び/又は3拍子系(心臓の鼓動)のリズムが同時に進行するリズム構造(垂直的ヘシオラ)を最も典型的な基本パターンとしますが、一定の時間間隔を規則的に分割する拍節的リズムではなく、一定の時間間隔を不規則的に伸縮する付加的リズムを多用します。この点、秋の虫の音に耳を澄ませると、自然界の音はポリリズムによって構成されていることが体感できると思います。その音をノイズと認識するヨーロッパ人の音楽は単純拍子を基本にし、その音楽に聞き慣れている人にはアフリカ音楽のリズムが不規則で錯綜しているように感じられますが、アフリカ人はポリリズムを総体(秋の虫の音に象徴されるように自然界の調和された音)として認識しているようです。アフリカ人は沢山の歌詞のフレーズやパターンを持っており、それらをポリリズムによって自由に組み合せながら即興的に歌詞を作り変えますが、これがジャズの即興演奏へと発展します。また、これはアフリカ人のダンスにも現れており、各楽器毎に異なるリズムに合わせて身体の各部位をバラバラに動かす(多元的な体幹)という特徴を持っており、それはストリートダンス(アイソレーション等)へと受け継がれています。この点、以前のブログ記事にも書きましたが、日本料理は、それぞれ異なる素材を完全に融合して全く新しいものにする「混ぜる」文化(人工秩序による均質化→単純拍子)ではなく、それぞれ異なる素材をそのままに残しつつ、それぞれの魅力を引き出し合いながら1つに調和する「和える」文化(自然秩序による多様化→ポリリズム)があり、このような価値観は生物の多様性の問題を考えるうえで非常に重要な視座となります(SDGs:「海の豊かさを守ろう」(GOAL14)「陸の豊かさを守ろう」(GOAL15))。因みに、2007年にPerfumeがリリースした「ポリリズム」(作曲:中田ヤスタカ)では、01:37から始まる間奏部でポリリズムが使われており、4拍子のリズムを基調として「ポリリズム」という歌詞が5拍子で重ねられ、ベースの3拍子及びシンセサイザー(高音域)の6拍子が同時に進行しています。
 
 
【題名】映画「LIL BUCK:Real Swan」
【監督】ルイ・ウォレカン
【撮影】マチュー・ドゥ・モングラン
【音楽】アルトゥール・B・ジレ
【出演】リル・バック(ダンサー) ほか
【感想】
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この映画は、ジューカー(メンフィス・ジューキンのダンサー)であるチャールズ・ライリー(LIL BUCK)がクラシックバレエを学んだことを契機としてクラシック・バレエの特徴をメンフィス・ジューキンに採り入れた新しいダンススタイルを創作し、2011年にロサンジェルスで行われたワークショップでサン=サーンス作曲の組曲「動物の謝肉祭」第13曲「白鳥」に振り付けを行ったモダンバレエ「瀕死の白鳥」を世界的なチェリストのヨーヨー・マと共演したことが話題になりスターダムへと伸し上がって行くサクセスストーリ(貧困階層の社会へのドロップイン)を描いたドキュメンタリー映画です。メンフィス・ジューキンは、1980年頃にテネシー州メンフィスで発祥したストリートダンス(ソウルダンスが源流)の1種であるギャングスタ・ウォーキンに付随するダンススタイルのことで、ヒップホップミュージックのBMPの減速やメロウな曲調への変化等の流行に合せて、ギャングスタ・ウォーキンの動きにスライド、フローティング、グライド等のなめらかな動きや、パントマイム、アイソレーションの分離された動きなどを次々に採り入れて発展したストリートダンスです。なお、ギャングスタ・ウォーキンは、ニュー・オーリンズの伝統的なジャズ葬儀(遺族や友人がジャズのブラスバンドを伴って棺を墓地まで運ぶ葬列に、その演奏に合わせて踊りながら一般市民が続く祭りのような葬儀)の踊りを受け継いだと言われており、やがてメンフィス・ジューキンへと発展します。チャールズ・ライリー(LIL BUCK)は、クラシックバレエの特徴である連続性のあるしなやかな動きや、爪先立ちのスピンやステップ等をメンフィス・ジューキンに採り入れ、「アーバンバレエ」と呼ばれる華麗なストリートダンスへと発展させています。チャールズ・ライリー(LIL BUCK)は、メンフィス・ジューキンの特徴とクラシックバレエの特徴をそれぞれ活かすこと(ポリリズム的な発想で「混ぜる」のではなく「和える」こと)で、メンフィス・ジューキンの魅力を損なうことなく、パフォーマンスが中心であったストリートダンスにクラシックバレエの要素であるストーリー性を加えて身体表現の幅や深みを増し、これまでにない新しい世界観を表現することに成功していると思います。この映画の中で、黒人の子供達は、貧困のために親が仕事に追われて子供にかまう余裕がなく家に居場所がなくなってストリートに集うようになりますが、ギャングが親代わりになって面倒を見てくれるので自然とギャングの仲間になると語っています。しかし、ギャングの仲間になって人殺しはしたくないという葛藤も強く、やがて黒人の子供達は駐車場やローラースケート場等に集ってストリートダンスに打ち込むようになり、そこに自らの居場所や生き甲斐を見い出すことができたのでギャングの仲間にならずに済んだとも語っています(SDGs:「貧困をなくそう」(GOAL1)「質の高い教育をみんなに」(GOAL4))。この点、日本の文化芸術基本法の前文では、芸術の存在意義として、①人生の意義の発見②寛容(多様)で平和な社会の醸成アイデンティティの確立の3点を挙げていますが、この映画からも、芸術は人間が尊厳を持って自分らしく生きることができる社会を実現するために必要不可欠なものであることが分かりますし、国際社会がSDGsで17の目標を掲げて達成しようとしている「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」世界を実現するうえで芸術に期待される役割は非常に大きいことが実感できます。
 
 
◆おまけ
クラシック音楽も曲数は少ないですが、ポリリズムが限定的(即ち、複合リズムは楽曲の一部分に限られ、また、その多くは付加的リズムではなく拍節的リズムになっている)に使用されている例があります。有名な例としては、ショパン作曲「幻想即興曲嬰ハ短調(作品66)の冒頭(譜例赤枠~)で、右手:左手=2:3と別々のリズムで同時に進行するポリリズムが使用されています。ピアニストの森本麻衣の演奏でお楽しみ下さい。
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もう1曲、クラシック音楽ポリリズムが使用されている有名な例を挙げておきます。ドビュッシー作曲「アラベスク第1番」ホ長調(Op.61)の6~7小節目(譜例赤枠)で、右手:左手=3:2と別々のリズムで同時に進行するポリリズムが使用されており、川の流れ(せせらぎ)を表現しています。ピアニストのニーノ・グヴェタッゼの演奏でお楽しみ下さい。
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第18回ショパン国際ピアノコンクールで、第2位・反田恭平及び第4位・小林愛実の2名が入賞されました。入賞された8名の方々に心から祝意を送りたいと思います。わけても優勝されたブルース・リウ(カナダ)に敬意と賛辞を示す意味で、彼がファイナルでショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調(作品11)を演奏した模様をお楽しみ下さい。