大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

映画「Helene」(邦題:魂のまなざし)<STOP WAR IN UKRAINE>

井上陽水「少年時代」(ブログの枕)
最近、気が滅入るようなニュースが多いなかで、ちびっ子達の夏休みが始まって街中に笑顔や歓声が溢れるようになり、世の中が華やいで見えるようになりました。無垢なちびっ子の姿には万人の心を救う仏が宿っているようです。さて、日本では明治時代まで夏休みという概念は存在せず、1881年(明治14年)に初めて導入されましたが、その理由はよく言わる(江戸時代以前からあった)暑さや農繁期のためではなく、1872年(明治5年)に欧米から近代的な学校制度を採り入れた際に日本へ指導に来た外国人教師から欧米と同様に夏休みを要求されたことが始まりと言われています。この点、欧米で夏休みが導入された経緯は、学年の変わり目である9月に入る前に1年間の学習を終えた節目として休暇を設けたことが始まりと言われていますが(欧米の夏休みは約3ケ月という長期間であるにも拘らず、1年間の学習を終えた節目なので宿題はなく、ちびっ子達はサマーキャンプ等に通って過ごします。)、日本は学年の変わり目である4月に入って直ぐの3ケ月後に夏休みが始まることから、学習が中途半端となり定着しないのではないかという懸念が生まれ、大正時代から「宿題」を出すようになったと言われています。この点、明治時代には、江戸時代の寺子屋で使われていた和紙と筆に代わり石盤石筆が使われていたことから「宿題」を出すことが難しかったようですが、大正時代になるとノートと鉛筆が普及したことから「宿題」を出すようになったと言われています。因みに、「宿題」という言葉は、江戸時代の武士&文人大田南畝過去のブログ記事でも、江戸時代の「壱人両名」という仕組みをご紹介しましたが、この人物も複数の顔(名前)を持ち、勘定所勤務という武士の顔を持つ傍らで、文人としての顔も持ち高い名声を得ていた人物であり、江戸時代のメタバースとも言える様々な分人ネットワークが機能して多層な社会を形成していました。この点、映画「HOKUSAI」でも読本作者・柳亭種彦こと旗本・高屋彦四郎の生き様が描かれており興味深いです。)が手紙の中で「御詩会いかが。宿題御定め候はば・・」(1801年)という和製漢語として使ったものが最初と言われており、詩会の開催にあたって事前に課される「お題」のことを「宿題」と言っていました。過去のブログ記事でも触れましたが、OECD又はEUの加盟国の中で日本のちびっ子達のウェルビーイング指数が下から2番目になった理由は、夏休みが少ないうえに宿題を課されることからサマーキャンプのような学校以外のコミュニティーへ参加する機会(即ち、自己実現を図る機会)が制限されてしまうことが原因の1つであると言えるかもしれません。因みに、日本のちびっ子達が「宿題」を課される原因の1つとなった鉛筆は、1564年にイギリスで黒くなめらかな線が途切れずに描ける黒鉛が発見され、それを木に挟んで使用したことが始まりと言われています。その後、1760年にドイツのカスパー・ファーバーが黒鉛の粉を硫黄で固めて芯を作り、ニギリ易くカジリ易い六角形の鉛筆を発案します(現代鉛筆の父)。その後、1795年にフランスのニコラス・ジャックコンテが硫黄の代わりに粘土を黒鉛に混ぜて、これを焼き固めて強度を持たせる方法を考案しますが、これにより粘土の混合比率を調整することで芯の堅さを変えることが可能になりました。例えば、鉛筆の先端に刻印されている「H」はHARD(堅い)、「B」はBLACK(黒い)を意味し、「H」に付記される数字が高いほど堅い芯で細く薄い線、「B」に付記される数字が高いほど柔らかい芯で太く濃い線という書き味を表しています。僕が子供の頃は「H」の特徴と「B」の特徴をバランスよく調和した「HB」(中庸な芯の堅さ)の鉛筆が圧倒的な支持を得ていましたが、最近では「HB」の鉛筆が占める割合は約50%から約20%へと減る一方、「2B」の鉛筆が占める割合は約20%から約40%へと増加しており、タブレットやパソコン等を使い慣れている現代のちびっ子達の筆圧が低下しているためではないかと言われています。さて、「宿題」の由来はさて置くとして、何故、人間が勉強するのかと言えば、前回のブログ記事でも触れましたが、人間は自らの生存可能性を高めるために「知覚」(現在の情報)と「記憶」(過去の情報)を照合して「認知」(未来の予測)し、行動する能力が発達している生き物ですが、新しい知覚(体験)や新しい記憶(学習)を蓄積することで、より良く未来を予測するための新しい認知を得やすくなり、それによって人類は知恵や創造力を発揮して自らの生存可能性を高めることができると考えられています。そのため、人間の脳は新しい知覚を育む体験、新しい記憶を育む学習、また、それらによって得られる新しい認知(視野の広がり)やそれに伴って発揮される知恵や創造力(ヒラメキ)などに快感を覚えるように作られています。この変革の時代にあって、ちびっ子達が何を体験し、何を学習するのかということは非常に重要な課題であり、ノートや鉛筆だけを使っていた時代とタブレットやパソコンも使うようになった時代とで同じことを体験し、同じことを学習していて良いはずはありません。そこで、このひと夏の貴重な体験や学習につながり得るものとして、最先端テクノロジーを使ったメディア・アート作品を紹介するICC(インターコミュニケーションセンター)や体験型アート・ミュージアムとして話題のteamLab☆ART AQUARUIM等をお勧めしておきます(その一部がオンライン展示されています。)。家でドリルを解いていてもシナプス可塑性が活発化することはあまり期待できませんので、外に出て面白い(シナプス可塑性の活発化が促されている状態)と思える体験や学習を心掛けることをお勧めしたいです。ちびっ子達が勉強をつまらないと感じるのは、基礎学力を養うためであるとしても、その勉強がどのように新しい認知へと結び付き得るのか分からないものが多過ぎるためではないかと思われますが(均質化・形骸化した義務教育の弊害)、大人になるとどのように新しい認知へと結び付き得るのか考えながら学習を広げられるので非常に勉強が楽しく感じるようになります。
 
▼世界の社会人の休日(主要地域10ケ国の土日を除く祝祭日数及び有給休暇日数の比較)
下表を見ると、アジアでは祝祭日数が多く有給休暇日数が少ない傾向があるのに対し、ヨーロッパでは有給休暇日数が多く祝祭日数が少ない傾向があることが分かります。アジア人はアニバーサリーとして短期休暇を頻繁に取得する傾向がある(よって、有給休暇の取得率も低い)のに対し、ヨーロッパ人はバケーションとして長期休暇を纏めて取得する傾向がある(よって、有給休暇の取得率は高い)ことから、このような違いになって現れているようです。この背景には、アジア人に多い農耕民族は農作業の合間に頻繁に短い休息を取る行動パターン(少しづつ農作業を進めるので仕事をダラダラと処理し、労働生産性は低い傾向)が文化として根付いているのに対し、ヨーロッパ人に多い狩猟民族は獲物を捕るまで猛烈に動き回りその後は次の狩りまで長い休息を取る行動パターン(一気に獲物を仕留めるので仕事をテキパキと処理し、労働生産性は高い傾向)が文化として根付いていることに由来していると言われています。よって、日本人はリフレッシュ休暇のような長期休暇は持て余してしまうことが多く、アニバーサリー休暇や週休三日制のような短期休暇を頻繁に取得できる制度を好むという調査結果も出ています。
※祝祭日の日数はJETROのWebページ有給休暇日数は各国の労働法制を参照
※有給休暇の取得率はエクスペディアの国際比較調査等を参照
 
▼世界の働き方改革(主要地域の比較)
上述のとおりヨーロッパ人はバケーションとして長期休暇を纏めて取得する傾向があることからワーケーション(Workcation=Work+Vacation:テレワーク等を活用してリゾート地などで余暇を楽しみながら仕事を行うこと)も普及していますが、アジア人はアニバーサリーとして短期休暇を頻繁に取得する傾向があることから、あまりワーケーションは普及していないようです。しかし、上述のとおり新しい知覚(体験)は人間の創造力を発揮し易くする効用があることが指摘されており、今後、日本でもワーケーションが積極的に採り入れられることになるのではないかと考えられています。
 
【題名】映画「Helene」(邦題:魂のまなざし)
【監督】アンティ・J・ヨキネン
【原作】ラーケル・リエフ
【脚本】アンティ・J・ヨキネン、マルコ・レイノ
【撮影】ラウノ・ロンカイネン
【美術】ヤークップ・ルーメ
【衣装】ユージェン・タムベリ
【音楽】キルカ・サイニョ
【出演】<ヘレン・シャルフベック>クラウラ・ビルン
    <エイナル・ロイター>ヨハンネス・ホロパイネン
    <ヘレナ・ヴェスターマルク>クリスタ・コソネン
    <ヨースタ・ステンマン>ヤルコ・ラハティ 等
【感想】ネタバレ注意!
今日は、フィンランドを代表する画家ヘレン・シャルフベックの後半生を描いた伝記映画「Helene」(邦題:魂のまなざし)を観に行くことにしました。この映画は、絵画好きにとっては観応えのある内容で、是非、映画館の大スクリーンでご覧頂ければと思いますので、ネタバレしない範囲で簡単に感想を残しておきたいと思います。ヘレンは、トーマス・エジソンが生まれた15年後の1862年に誕生し、トーマス・エジソンが死んだ15年後の1946年に他界しており、19世紀(近代)から20世紀(現代)への時代の転換期に活躍したモダニズムの画家です。この時代は蓄音機や白熱電球等と共にカメラが発明され(この映画ではヘレンが蓄音機でレコードを聴くシーンや親友エイナルの婚約者の写真を見せられるシーンなどが描かれています。)、これに伴って西洋絵画はその存在意義を問い直されるようになり写実主義(客観的な世界観を描く絵画)から印象派表現主義、抽象主義(主観的な世界観を描く絵画)へと変革して行きます。この映画では、白熱電球が普及する以前に自然光やローソク光に照らされる世界が画家の目にどのように映り、それをどのように捉えていたのかを視覚的に体感できるシーンが随所に散りばめられており、窓から屋内に差し込む青い光、赤い光、明るい光、淡い光、時間と共に移ろう光などが画家の豊かな色彩感覚を育んでいたことがよく分かりますし、チューブ絵具の誕生によって屋内から屋外で絵画を描くようになりどのように印象派絵画が生まれたのか示唆に富むシーンなどもあり、映像による絵画的な表現としても楽しむことができます。フィンランドは14世紀から18世紀までノルウェイに支配され、その後、19世紀からはロシアに支配されましたが、ロシアが日露戦争に敗れて弱体化したことで1918年にロシアからの独立を果たします。このような歴史的な背景から、第二次世界大戦ではソビエトの侵攻を恐れてナチス・ドイツと共同戦線を張り国際的な非難を浴びますが(映画「ウィンター・ウォー/厳寒の攻防」)、今年再び、ロシアの脅威から国土を防衛するためにNATOへ加盟申請しています。この映画では、ヘレンが生きていた時代のフィンランドの社会には根強い男尊女卑の考え方(男性による女性蔑視だけではなく、ヘレンの実母を含む女性による女性蔑視を含む。)が残されていた様子が描かれていますが、それでもフィンランドで女性参政権が認められたのは欧米諸国の中で最も早い1906年で(しかもフィンランドは女性の被選挙権を認めた世界初の国)、これに遅れてイギリス(1918年)、ドイツ(1919年)、アメリカ(1920年)、フランス(1944年)、日本(1946年)等でも認められます(映画「未来を花束にして」)。これはフィンランドが長らく他国の支配を受けてきたことから、参政権の保障がジェンダー・ギャップ(性差別)の問題ではなくエスニシティ(民族差別)の問題として捉えられていた点や1800年中頃からフィンランドで「社会的母性」という考え方(家庭における母の役割の重要性を認識すると共に、その役割を社会的及び国家的な規模で見直す考え方)が広まっていた点などがあると考えられます。このような社会背景もあってか、ヘレンは、生涯で約80点の自画像に加えて、家庭や社会で重要な役割を担う女性を絵画のモチーフとして積極的に描いており、しかも、写実主義のように人間の表面に現れる美しさだけではなく、人間的な強さ、脆さや醜さなど人間の内面に隠されているものを描くようになり、それまでの調和のとれた理想的な美を表現する絵画から、それでは描き切れない被写体の真実に迫るために絵のリズムの乱れや衝動の発露などが感じられる独創的な絵画表現を模索し、新しい時代に相応しい美の再定義を試みています。ところで、今年5月、フィンランドNATOへの加盟申請を正式表明するタイミングでサンナ・マリン首相(就任当時は34歳の若い女性首相の誕生として世界で注目されました)が来日して話題になりましたが、フィンランドでは国会議員のうち、女性が占める割合は約47%、また、40歳以下の若年層が占める割合は約36%にのぼる世界有数の先進国家であり(これに対し、日本では国会議員のうち、女性が占める割合は約9.9%、また、40歳以下の国会議員が占める割合は約12.7%)、このような不遇な歴史を経験してきたことが、却って、女性の社会参画を促進し、新陳代謝が活発な懐の広い社会、国家を育んだと言えるかもしれません。このように女性の社会参画が進んでいるフィンランドでも、上述のとおり1910年代から1960年代までの間は不穏な国際情勢の影響を受けてナショナリズム等が台頭し、専業主婦になる女性が増えるなどフェミニズムの「沈黙期」と言われています。よって、未だこの時代は芸術家として活躍する女性は珍しい存在でしたが、ヘレンは幼少期に事故で左足が不自由になり学校へ通うことができなかったことが契機となって早くから絵画の才能を見い出され、11歳でフィンランド芸術協会の美術学校へ入学し、その後、18歳で政府から奨学金を得てフランスの美術学校へ留学して写実主義の絵画レオン・ボナに師事しています。また、ヘレンは、ヨーロッパ滞在中にマネ、セザンヌ、ホイッスラー等の影響を受けて徐々にその才能を開花させ、1889年、パリ万国博覧会に出品した絵画「快復期」で銅賞を受賞しています。その後、フィンランドに戻ってヘルシンキの美術学校で教鞭を執りましたが、病気療養のために田舎町へ引っ越して実母の面倒を見ながら創作活動に専念するなかで、エル・グレコの絵画ファッションの潮流(この映画ではファッション雑誌を見ながら服を作るシーンとして登場)等の影響を受けながら独自のスタイルを確立して行きます。この映画では、親友エイナルの肖像画船乗り」を描くシーンが印象的に描かれていますが、ヘレンが絵筆をとる親友エイナルと肌を重ねるシーンは、さながら同時代の画家グスタフ・クリムトの「接吻」を彷彿とさせるような官能的・退廃的なムードが漂っており、世紀末思想に彩られた時代の空気を伝えています。ヘレンの晩年の作品は、被写体の細部に拘るのではなく被写体の内面を捉えてそれを僅かな輪郭線で描き出すミニマルな表現が特徴的で、それによって写真や写実主義では表現できない人間存在の本質を浮かび上がらせるような圧倒的な表現力、説得力を生み出しており、視覚的に捉える写実絵画の見事さとは異なる、画家や被写体の心象風景を覗き見ているような抽象絵画の深遠な世界観が魅力です。近年、日本でもヘレンの展覧会が開催されるようになり、非常に注目を集めているなかで映画公開となったことは嬉しい限りです。当世流の陳腐なヒューマンドラマに流されるのではなく、作家や作品と真摯に向き合いながらその魅力を掘り下げてくれるような誠実な映画作りに好感を覚えますし、今後も、このような映画に巡り合えることを心から願っています。
 
安房神社千葉県館山市大神宮589
菱川師宣記念館(千葉県安房郡鋸南町吉浜516
岡倉天心邸(五浦海岸)(茨城県北茨城市大津町727−2
④鹿野山九十九谷(千葉県君津市鹿野山118
安房神社安房神社には天岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作ったとされる美術の神様櫛明玉命クシアカルタマノミコト)が祀られており、美大の合格祈願やアーティスト、美容関係者等から篤い信仰を受けています。日本には芸能の神様を祀る神社は多いのですが、美術の神様を祀る神社は非常に少なく関東では安房神社(千葉)と比々多神社(神奈川)の2社があるのみです。また、千葉には日本で唯一の料理の神様を祀る高家神社があり、全国から料理関係者が参詣しています。 菱川師宣記念館/近世日本美術に欠くことができない中核を担い、庶民文化として発展した浮世絵の祖・菱川師宣は千葉県の出身で、その生誕地には菱川師宣記念館があります。もう1つ近世日本美術に欠くことができない中核を担い、武家文化として発展した狩野派の祖・狩野正信も千葉県の出身で、その生誕地に狩野正信生誕地碑があります。千葉県は海に囲まれた半島で風光明媚な景色が多いことから数多くの文化人を輩出していますが、現代でも千葉県を創作の拠点とするアーティストが多いことは頷けます。 岡倉天心邸(五浦海岸)フェノロサ狩野芳崖らと共に日本画の復興を目指した岡倉天心は新しい日本画の可能性を模索するために茨城県北茨城市日本芸術院を設立して下山観山、横山大観、菱田春水、木村武山らと共に朦朧体という新しい日本画の技法を生み出し、日本近代美術の父と言われています(過去のブログ記事)。なお、岡倉天心が思索を巡らすために茶室を兼ねて建てた六角堂(観瀾亭)東日本大震災の大津波で消失していますが、復興支援プロジェクトの一貫として再建されています。 鹿野山九十九谷/鹿野山九十九谷は画家・東山魁夷出世作残照」のモチーフとなった場所として知られ、日出又は日没の時間帯にはまるで水墨画のような美しい雲海が見られるスポットとしても人気があります。東山魁夷は、その半生を千葉県市川市で暮らし、その住居跡近くには東山魁夷記念館が建てられています。なお、東山魁夷の代表作「」のモチーフとなった種差海岸(青森県八戸市)も風光明媚なスポットとして知られ、これらの美しい景観が東山ブルーと言われる色彩を生み出しています。
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.3
1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ ミハル・マレク「Deus caritas est(神は愛なり)」(2017年)
ポーランドで注目されている現代音楽家ミハル・マレク(1995年~)は、ヴィトルト・ルトスワフスキ国際作曲コンクールの第1位(2013年)やムジカ・サクラ・ノヴァ国際作曲コンクールの第1位(2019年)など数々の国際作曲コンクールで優勝又は入賞している若手の俊英です。聖書や文学等に題材を求めた声楽曲等で高い評価を得ており、近年ではポーラインドで最も権威があるフレデリック賞(ポーランドグラミー賞)の現代音楽部門でノミネートされるなど注目を集めています。
 
▼ ニコ・マーリー「Throughline(スルーライン)」(2021年)
世界で活躍している現代音楽家&ピアニストのニコ・マーリー(1981年~)は、映画「太陽の子」サウンドトラックを担当するなど既に日本では著名な現代音楽家です。この曲は、2020年にエサ=ペッカ・サロネン音楽監督に就任したサンフランシスコ交響楽団とニコ・マーリーがオーケストラの新しい方向性を示すデジタルコンサートの一環として作曲及び録音し、ストリーミング配信したものですが、2022年の第64回グラミー賞で最優秀オーケストラパフォーマンス賞にノミネートされています。
 
佐藤賢太郎「前へ(Forward)」(2015年)
日本で活躍している現代音楽家佐藤賢太郎(1981年~)は、アメリカの大学で音楽を専行し、ハリウッドで映画、テレビやゲーム等の音楽を作曲、編曲等を行っていた経験から帰国後はゲームソフト「ファイナルファンタジー零式」のコーラス曲「我ら来たれり」で編曲を担当するなど合唱曲には定評があります。この曲は、東日本大震災等の被災者にエールを送るためにカワイ出版社(全音楽譜出版社)が2011年から実施している「『歌おうNIPPON』プロジェクト」に提供されたものです。