大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

生態学と音楽(植物の音楽✕微生物の音楽✕人間の音楽...)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼竹の子と人の子(ブログのまくら)
花の季節に誘われて古今和歌集を詠んでいたら、次の和歌に込められている古人の親心が現代と重なってしみじみと心に響いてきました。
 
今更に なに生ひ出づらん 竹の子の 憂き節繁き 世とは知らずや」(古今和歌集/凡河内躬恒)
 
「憂き節」とは「浮き世」と「竹の節」が掛けられて「憂き目=辛いこと」を意味し、また、「繁き」は「繁茂=ばかり」を意味していることから「今更どうして生まれ出てきたのだろう。未だ節のない筍(子供)が竹(大人)へと成長するにつれて節を重ねて行くように辛いことばかりが続く世の中とは知らずに。」という親心を詠んだ和歌と思われます。そう言えば、先日、ユニセフがOECD又はEUに加盟する国々の子供たちの精神的幸福度、身体的健康及び学力・社会適応能力等に関するコロナ禍前の状態を調査した結果について、Innocenti Report Card16 “Worlds of Influence; Understanding What Shapes Child Well-being in Rich Countries”(イノチェンティ レポートカード16「子どもたちに影響する世界、先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か」)を公表しましたが、日本の子供たちは「身体的健康」が38ケ国中1位であるのに対して「精神的幸福度」が38ケ国中37位という極端な結果が示され、日本の子供たちが心の病を抱え易い状態にあることが明らかになっています。このような状況のなか、来年度から「こどもが自立した個人としてひとしく健やかに成長することのできる社会の実現」を目的として「こども家庭庁」が創設されることになりましたが、筍(子供)が竹(大人)へと成長して行く過程で「憂き節」に潰されてしまう社会や家庭等に潜む要因を可能な限り取り除いてスクスクと成長できる環境を整えて行くこと(ウェルビーイング)が社会的課題になっています。ところで、5月の「旬」と言えば、「筍」(炊き込みご飯!)、「アスパラ」(天ぷら!)や「初鰹」(タタキ!)などが挙げられますが、「旬」(さかりもの)は1年で最も美味しく食べられる時期に沢山収穫される値段が安く栄養価の高い食材のことを言い、「旬」の食材を採り合わせた料理のことを「であいもの」(例えば、この時期の旬の食材である筍とわかめで作る若竹煮など)と言って好まれています。さらに、「初物」(はしりもの)は1年の最初に収穫された未だ希少で値段が高い食材のことを言い、昔から大変に縁起の良いものとして好まれていますが、江戸時代には初鰹は下級武士の年収に相当する高値が付けられたそうで嫁を質に入れてでも食べてみたいと言われた幻の高級食材だったようです。因みに、「旬」とは竹が1つの節を作る期間を意味し、「筍」が約10日間毎に1つの節を作って「竹」へと成長して行くことから「旬」の上に「竹」冠を付けたものが「筍」という漢字になったと言われています。この点、暦月は10日間毎に「上旬」「中旬」「下旬」という3つの節目に区切られますが、「筍」は約1ケ月間で3つの節を作りながら全ての皮が剥け落ちて「竹」へと成長します。これと同様に、人間の子供も「幼年」(~幼稚園)、「少年」(小学校~中学校)、「青年」(高校~大学)と人生の3つの節目を経て大人へと成長して行きますが、この季節は我が子の成長を意識する時期とも言えそうです。
 
①郷土料理たけのこ(千葉県夷隅郡大多喜町黒原181-2
②狩野元信生誕地の碑(千葉県いすみ市大野937−1
③サイゼリア発祥の地(千葉県市川市八幡2-6-5
④白みりん発祥の地(千葉県流山市流山1-261
郷土料理たけのこ/千葉県大多喜町は全国有数の筍の名産地ですが、全国でも珍しい筍料理の専門店があり、先日、ダウンタウン「ガキの使いやあらへんで」(2022年4月3日放送)でも採り上げられていました。筍づくしの「たけのこ御膳」が人気メニューです。 狩野元信生誕地の碑/郷土料理たけのこの近隣に狩野派始祖・狩野正信の生誕地があります。日本の植物学は遣唐使によって中国から伝来した本草学に始りますが、江戸時代に入ると本草学が盛んになり、本草学者は狩野派の技法を学んで植物の写生画を描くようになります。 サイゼリア発祥の地/千葉県は農業産出額で全国4位の日本の食糧庫ですが、新鮮な野菜に拘りを持ち、自社の農場まである人気のサイゼリアは1973年に千葉県市川市(JR本八幡駅前)に1号店を出店し(現在は閉店)、その後、全国にチェーン展開されています。 白みりん発祥の地/戦国時代には赤みりん(≒ 赤みその特徴)が誕生し、1814年に千葉県流山市で白みりん(≒ 白みその特徴)が誕生します。千葉県野田市のキッコウマン醤油と共に千葉県流山市万上みりんが庶民に普及し、日本料理に欠かせない調味料になりました。
 
▼七夕の節句と宇宙の音楽
和歌山県のアドベンチャーワールドは中国以外の国では世界最多の17頭のパンダの繁殖に成功していますが、パンダは植物(食物繊維)を消化・吸収することが苦手な動物なので1日に約20kgの「竹」(筍の皮が落ちるもの)や「笹」(筍の皮が落ちずに茎を包むもの)を摂取する必要があると言われており、パンダと同様に植物(食物繊維)を消化・吸収することが苦手な人間も1日に350gの野菜摂取が推奨(厚生労働省告示第四百三十号:国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針の別表5)されています。この点、昔から「竹」や「笹」は天に向かって真っ直ぐに伸び、また、風になびく独特の葉の音に神の気配を感じることから神が憑依する「依代」と考えられ、正月に歳神様が憑依するための門松には「竹」(三本の竹に松を束ねたもの)が使用されています。また、能舞台では神の依代として舞台正面の鏡板に「影向の松」が描かれ、また、舞台側面の脇鏡板には「若竹」が描かれています。更に、能楽では、神の依代である御幣に代わる小道具として「笹」が使用されることが多く、「竹」や「笹」は伝統的に縁起物として重用されています。このため、毎年7月7日(七夕の節句)には願い事などを書いた短冊を神の依代である「竹」や「笹」に吊るす風習が生まれています。因みに、清少納言は枕草紙で「星は、すばる。彦星。夕づつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」と書いていますが、七夕の「彦星」(アルタイル)を挙げながら、「織姫星」(ベガ)を挙げていないところに才女・清少納言の知性とユーモアが隠されているように思われます。「すばる」(昴)はプレアデス星団のことでギリシャ神話のプレアデス7人姉妹(プレアデス神話)から命名されていますが、これと同様に日本でも「すばる」(須婆留)は女神(天須婆留女命御魂)と考えらえています。その後に続く「彦星」(牽牛=男)、「夕づつ」(金星=宵の明星)、「よばひ星」(流星=婚ひ、夜這い)は、男が半宵に別の女(織姫星(ベガ)ではなく昴(プレアデス))のもとへ忍んでやってくる様子を連想させるもので、後(尾)を引かない方が良いという意味深長な教訓まで付け加えられており、不倫が文化であった時代に清少納言が宇宙を眺めながら星空に男女の情事を重ね合わせて楽しんでいたことが窺われます。源氏物語が「あはれ」(しみじみ)の文学と言われている一方で、枕草紙は「をかし」(おもしろみ)の文学と言われている由縁です。
 
【宇宙が奏でる「宇宙の音楽」】
前回のブログ記事で「宇宙の音楽」に触れましたが、NASAが惑星や衛星が発する電磁波等を採集し、それを人間の可聴音域に変換した「宇宙の音楽」を公開しています。ホルストの「惑星」は人類が星座に物語を夢見ていた時代のおセンチな音楽ですが、プレアデス7人娘や彦星、織姫が聞いているであろう「宇宙の音楽」や「量子の音楽」は人間が操ることができるシンプルな音楽とは異なる深淵で精妙な響きに彩られており、人知が及ばない世界の存在を教えてくれています。因みに、クセナスキの「プレアデス」(1979年)武満徹の「オリオンとプレアデス」(1984年)など現代音楽家がプレアデス(昴)を題材にした音楽を作曲していますが、NASAが採集した「宇宙の音楽」に近い世界観を表現し得ており、これからの人類に必要とされる音楽なのだろうと感じます。 
 
▼生態系ピラミッド(宗教)と植物の知性(科学)
「竹」が彩る夏の風物詩と言えば、七夕以外にも竹格子を使った朝顔、団扇虫カゴ蕎麦スダレなどが挙げられます。このうち「朝顔」は遣唐使により薬用(朝顔の種に含まれているファルビチンという化学物質には下剤の効能があり、現代でも漢方薬の材料になっています)として中国から日本へ伝来します。この点、植物は、微生物から光合成に必要な窒素の供給を受けるために微生物の栄養素となる植物ホルモンを生成する一方で、病原菌から身を守るための抗菌物質や動物による摂食から身を守るための有毒物質を生成していますが、この植物の有毒物質が薬の開発の出発点となり、人類は薬の成分の90%以上を植物に頼ってきました。過去のブログ記事で触れましたが、芸能は神との交信を試みるシャーマニズムから発展し、「聖」と「俗」の境界を超える社会的な機能を担ってきましたが、「俗」の境界を越えて「聖」へと至るために脳の興奮や幻覚を覚醒する有毒物質を持った植物(ベラドンナ、ベニテングダケ、ペヨーテ・サボテンなど)が利用されていました。因みに、魔女が箒に跨って空を飛んでいる姿は、箒の柄にベラドンナの成分を塗布し、(20世紀に入るまで女性はパンツを着用する習慣がありませんでしたので)それが性器の粘膜から吸収されて脳の興奮や幻覚を覚醒し、浮揚感を覚えたことが始まりと言われています。なお、植物の有毒物質は薬としても活かされるようになって、例えば、「コカ・コーラ」はアメリカの薬剤師が麻酔薬のルーツとなったコカの葉とコーラの実を原料にして疲れをとるための薬として作った飲料水です。現在のコカ・コーラの成分や製法は全く異なりますが、南米では疲労感や空腹感を緩和してダイエット効果を持つコカ茶が愛飲されています(但し、日本ではコカ茶の輸入、所持、使用や販売は規制されていますので要注意)。(閑話休題)やがて「朝顔」は薬用だけではなく観賞用としても人気となり、源氏物語第四十九帖「宿木」の第二章第六段において、薫が朝露が落ちないように手折った朝顔を扇に乗せて中の君へ差し入れ、中の君が朝露が消える前に儚く枯れて行く朝顔の花に無常を感じて「消えぬ間に 枯れぬる花の 儚さに 遅るる露は なほぞ優れる」と和歌を詠んでいますが、平安時代には朝顔が観賞用として愛でられていたことが窺えます。因みに、源氏物語に登場する「夕顔」は夕方から翌朝まで咲くウリ科の花で、ヒルガオ科の花である朝から昼まで咲く朝顔、朝から夕方まで咲く昼顔、夕方から翌朝まで咲く夜顔とは別種になります。この点、人間は、進化の過程で外部環境の変化によらず生体を一定の状態に保つため、25時間の周期でホルモン分泌や睡眠等の生理現象を起こす「体内時計」が備わっていると言われていますが、地球の自転の周期(24時間)との間に1時間の時差があることから、人間は毎日その1時間の遅れを取り戻すために生理活動を活発化し、それが刺激になって脳が発達したと言われています。これに対し、朝顔は24時間の周期の「体内時計」があって夜間の長さに応じて花を咲かせる時間(日没から9~10時間後)を調整していますが(植物には動物とは異なる方法で外部の情報を知覚する感覚がある)、脳や神経を持たない朝顔がどのように時間を計っているのかについては分かっていません。朝顔は昼間に光合成によりエネルギーを作り出し、夜間に花の芽に必要なフロリゲンという化学物質を生成しますが、暑さや乾燥によって花びらから水分を奪われないようにするために開花後約2時間でエチレンという化学物質を発生させて花を萎ませることが分かっています。このエチレンという化学物質は植物が他の組織又は他の植物等に危険を伝えるために発生するもの(植物には動物とは異なる方法でコミュニケーションを取る能力がある)と言われており、例えば、人間が毎日のように稲の苗に触れていると苗から発生するエチレンによって苗の成育が遅れることが分かっていますが、苗は人間に触られることに恐怖を感じると考えられています(植物には人間とは異なる方法で外部の情報から予測し、選択し、学習し、記憶する知性がある)。千葉県は関東一の早場米の産地ですが、5月上旬に田植えが終わってから8月中旬に収穫が始まるまでの間は農家の方が田に入っている姿を滅多に見掛けないのは、そのためなのかもしれません。このように現代では植物が動物と同様に「感覚」や「知性」を備える生物であることが分かっていますが(2008年、スイス連邦政府機関「ヒト以外の種の遺伝子工学に関する連邦倫理委員会」は「植物界における生の尊厳」という報告書を発表し、人類の生存や鑑賞の目的を超えた植物の採取は生命倫理上の問題を生じ得るという見解を示して様々な物議を醸しています。)、20世紀後半になるまで動かない植物は進化の過程を誤った結果として「感覚」や「知性」を備えない動物よりも劣る生物であるという非科学的な先入観(生物学における天動説)が信奉されてきました。この背景には、キリスト教的な自然観(例えば、旧約聖書の創世記第6章の19から21及び創世記第7章の2から3など)が色濃く影を落としていると言われています。即ち、神は、大洪水から生物を保護するために「動物」(「すべての生き物」→「すなわち」→「鳥・・・獣・・・、また地のすべての這うもの」「すべての清い獣」「清くない獣」「空の鳥」)の番いをノアの箱舟に乗せるように命じますが、地球上の生物の80%以上を占める「植物」については何も触れておらず、僅かに動物のための食物としてノアの箱舟に乗せることが許されているに過ぎません。これは旧約聖書が執筆された時代の知識レベルを前提として動く物のみが生物である又は動く生物が優れているという根拠のない単純な発想から生まれた考え方であり、動物、植物及び微生物が相互に必要不可欠な依存関係を築いて調和している生態系について思慮が及ばない貧弱な自然観と言えそうです。この人間中心主義的な考え方を拠り所として非科学的な生態系ピラミッドなるもの(下図参照)が考案され、植物学の研究は大幅に遅れることになりました。現在、人類は地球上の全ての植物種の僅か5~10%しか把握していないと言われており、上述のとおりその僅かな植物種から薬の成分の90%以上が抽出されています。
 
▼ボヴェル「知恵の書」(1509年)から「生態系ピラミッド」
※Est(物):鉱物
※Est+Vivit(生物):植物
※Est+Vivit+Sentit(生物、感覚):動物
※Est+Vivit+Sentit+Inteligit(生物、感覚、知性):人間
▼現代科学を前提とした生態系を支えるプレーヤーたち
※生態系を支えるプレーヤーのうち、地球上の生物の80%以上を占める動かない植物及び人間の体の90%以上を覆う目に見えない微生物・ウィルスは研究の対象とされてきませんでしたが、漸く、これらの研究が進んで色々なことが解明されつつあります(表中の赤字の部分)。
※ウィルスは細胞がなく自己複製できないことから非生物とされていますが、生物の細胞に侵入して自らの遺伝子情報に書き換え、その遺伝子情報を書き換えられた細胞が生物の中で複製されることでウィルスが複製されるという方法で増殖します。その意味で、ウィルスは細菌のように生物の体の中で寄生するというよりも、生物の体を乗っ取るというイメージに近いかもしれません。まるでエイリアン映画のようです。
 
▼プラントバイオロジーと植物の音楽
約30億年前に地球上に誕生した生細胞は約5億年前に植物と動物に分化し、植物は生存に必要な栄養を太陽から摂取することにして自ら移動しないことを選択し、動物は生存に必要な栄養を他の生物から摂取することにして他の生物を見つけるために自ら移動することを選択しますが、ぞれぞれの選択に適した異なる生存戦略を執るようになります。例えば、外敵からの防御方法として、動物は自ら移動して「逃亡」するという方法を執りましたが、植物は自ら移動して逃亡することができないので、外敵に摂取されることを前提として、動物のような効率性を重視した機能集約型の組織構造(即ち、脳、心臓や内臓等の組織の中心となる器官を持ち、いずれかの組織が損傷すれば存続が困難となる代替不可能な構造)ではなく耐久性を重視した機能分散型の組織構造(即ち、それぞれの細胞が生存に必要な機能を分散し、組織の中心となる器官を持たず、いずれかの組織が損傷しても存続が可能となる代替可能な構造)とすることで「再生」するという方法を執りました。インターネットやNFTは、植物のような機能分散型の組織構造からヒントを得てネットワークの信頼性や安定性等を獲得しています。また、種の繁殖方法として、動物は自ら移動して「生殖」するという方法を執りましたが、植物は自ら移動して「生殖」することができないので、自ら発する化学物質等を使って動物を操ることで「交配」するという方法を執りました。このため、植物は、人間のように共通の言語を持つ者同士だけではなく、自ら発する化学物質等を使って動物や微生物ともコミュニケーションをとることができる優れた能力を備えています。さらに、植物には、動物が備えている5種類の感覚(例えば、根の視覚、トマトの嗅覚、ハエトリグサの嗅覚、オジギソウの触覚、ブドウの聴覚など)に加えて、重力、磁場、湿度の計測や化学物質の土壌含有率の分析など様々な環境変数を知覚するための15種類の感覚を備え、また、他の植物が発する化学物質等から外部環境の情報を収集し、それらを記憶して自らの生存に必要な解決策を導き出し、その判断結果を電気信号、水分や化学物質等を使って他の組織に伝達する群知性も備えており、優れた感覚及び知性を備えることで自ら移動できないハンディーを克服し、自らの生存確率を高めていると考えられています。植物の優れた感覚や知性について詳しく触れる紙片はありませんが、地球上の生物の80%が植物で占められていることを考えると、植物が地球上で最も優れた生存戦略を持つ生物と言えるかもしれません。なお、上述のとおりブドウには聴覚がありますが、人間のように空気を伝わる振動を耳で知覚するのではなく、土を伝わる振動を根で知覚することが分かっています。ブドウの樹に音楽を聞かせると味、色やポリフェノールの含有量の優れたブドウが実るという実験結果がありますが、音楽を構成する低周波(100~500へルツ)がブドウの樹の生育に良い影響を与えていること(逆に、高周波はブドウの樹の生育を抑える効果があること)が分かっています(音響農学)。また、植物は微弱な弾性波(生体電位)を発していることが分かっていますが、その弾性波(生体電位)を使って他の植物とコミュニケーションをとっている可能性が指摘されており、この仕組みを利用して人間と植物との間でコミュニケーションをとる技術の開発が注目されています。
 
【植物が奏でる「植物の音楽」】
植物の葉の表面に電極を取り付けて植物の弾性波(生体電位)の波形を読み取り電子音に変換することで、植物が奏でる音楽「PlantWave」を聴く技術が注目されています。上述のとおり植物には「感覚」や「知性」があり、光、風や人間等に反応して弾性波(生体電位)のピッチやリズムが変化することが分かっています。この技術を使えば、まるでペットと触れ合うように植物と触れ合うことも可能となり、音楽は人類だけではなく全ての生物に共通の言語となり得るかもしれません。因みに、過去のブログ記事でも触れましたが、能楽は仏教の影響を受けて植物の精霊を題材した曲目が多くありますが、西洋音楽では上述のとおりキリスト教の影響から植物を題材にした曲は非常に少ない印象を否めません。この点、武満徹の「樹の曲」(1961年)藤枝守の「植物文様」(2008年~)など日本の現代音楽家がボタニカルな音楽を作曲しており、音楽表現の可能性を拡げるものとして注目されます。
 
▼マイクロバイオームと微生物の音楽
17世紀に光学顕微鏡の発明により微生物が発見され、20世紀に電子顕微鏡及びゲノム解析の発明によりナノレベルの微生物及びウィルスの観察が可能になりましたが、動物や植物の表面や内部には大量の微生物が共生し、動物や植物の生存に必要不可欠な働きを担っていることが分かってきています。この点、人体には約37兆個の細胞がありますが、人体の表面や内部にはその10倍近い数の微生物が共生し、また、人間の遺伝子の1/3以上が微生物等から受け継がれたものであることを踏まえると、人体は人間と微生物が共生する自然環境の一部と捉えるのが適当であり、人間中心主義的な自然観や生命観の見直しが迫られています。この点、人間の免疫機能の80%は腸(とりわけ大腸)に関係していると言われていますが、もともと土壌に生息していた微生物が食物と共に腸内へ運ばれたものが腸内微生物の起源と考えられ、腸内微生物は人間が自ら消化・吸収できない栄養素を餌として、その過程で腸内微生物が生成するビタミンやアミノ酸等を人間が吸収するという相互依存関係が成立しています。また、腸内微生物は外部から侵入した悪性微生物を駆除するなど人間が健康を保つうえで非常に重要な役割を担っていることが分かっています。しかし、人間が抗生物質、人工添加物、化学肥料や農薬等を摂取することで病原菌を死滅させるだけに留まらず腸内微生物の生態系も破壊していることが分かっており、それによって人間の免疫機能に狂いが生じ、癌、糖尿病、肥満、うつ病、パーキンソン病等の現代病が増加する一因になっているという研究結果があります。現代の環境問題は、人体の外部の自然環境の破壊のみならず、これと繋がっている人体の内部の自然環境の破壊という深刻な問題も惹起しています。日本人は海産物を多く摂取する食文化であることから多糖類を分解する酵素を生成する海洋性微生物の遺伝子を保有し(この遺伝子を保有している人の割合は日本人が90%以上であるのに対し、欧米人は僅か3%程度)、これによって日本人はBMIを低く抑えて長寿になる傾向があることが分かっており、日本人の新型コロナウィルスの感染者数や死亡者数が欧米人よりも低く抑えられている理由の1つではないかとも考えられています。最近の研究では微生物も知性を持ち、様々な種から構成される多様なコミュニティー(バイオフィルム)を形成して植物と同様に化学物質等を使って同種間だけではなく異種間でも高度なコミュニケーションをとっていることが分かっており、人間と微生物との間のコミュニケーションの可能性が研究されています。このような状況のなか、2015年、世界5大医学雑誌の1つである「ランセット」が最新の科学的な知見を踏まえて「プラネタリー・ヘルス」という考え方(人間の健康を地球全体の健康という文脈から捉え直す取組み)を提唱し、国際会議「ワールド・ヘルス・サミット」でも採り上げられてこの考え方の優位性が確認されると共にその取組みが本格化しており、これまでの人間中心主義的な考え方に対する反省とその大幅な修正が求められています。この点、ショパンが「Bach is an astronomer, discovering the most marvelous stars. Beethoven challenges the universe. I only try to express the soul and the heart of man.」という言葉を残していますが、この言葉を意訳すれば、バッハは神の真理、ベートーベンは人間の理性、ショパンは人間の本能を表現する音楽家という趣旨と解され、それぞれの時代に最も大切と考えられてきた価値観が音楽で表現されてきました。しかし、上述のとおり現代は各分野からそれらの価値観に対する異議申立が行われ、それらの価値観に対する修正が求められている時代と言え、神や人間を表現するだけでは足りない複雑多様な世界になっています。ロマン派以前の音楽が過去の偉大な芸術遺産であるとしても、人類の普遍的な真理や価値を体現しているという感傷的な説明では埋め切れない胡散臭さのようなもの(そこで表現されている又はその表現の前提になっている自然観、世界観や価値観の劣化、乖離、矛盾や破綻など)を露呈しているように感じられ、現代の知性を前提とすると、かつてのように現代人の教養(学問、知識、経験や芸術受容等を通して養われる心の豊かさ)を育むことが難しくなってきているという印象を否めません。ロマン派以前の音楽が作られた時代から時代は大きく更新されており、過去の偉大な芸術遺産がそうであったように、時代の写し鏡である芸術表現も大きく変わることが求められており、そのような新しい芸術表現を受容できる聴衆の教養力も試されているように感じます。
 
【微生物が奏でる「微生物の音楽」】
微生物を培養しているシャーレに電極を取り付けて微生物が発する生体電位を読み取り電子音に変換することで、微生物が奏でる音楽を聴く技術が注目されています。微生物が奏でる音楽は「ノンヒューマン・リズム」と呼ばれる奇妙なさえずりのような音声パターンが特徴的で、様々な刺激を与えると生体電位が変化することから(例えば、光を当てると生体電位が弱まってリズムが遅くなる、熱を加えると生体電位が強まってリズムが早くなるなど)、様々な微生物に様々な刺激を与えた「微生物の音楽」が公開されています。また、日本人で初めてアルス・エレクトロニカ賞グランプリを受賞して話題になったやくしまるえつこの「わたしは人類」(2016年)や現在最も注目されている日本人の現代音楽家・藤倉大の「GloriousClouds」(2017年)など日本の音楽家も微生物を題材にした音楽を作曲しています。
 
▼ウェルビーイングと人間の音楽
上述のとおり抗生物質(微生物が他の微生物の増殖を抑制するために合成している化学物質)の大量投与による微生物の生態系の破壊が現代病の一因になっていると考えられていますが、人体の内部で共生している微生物にとって抗生物質の大量投与は宛ら無差別大量破壊兵器(化学兵器)であり、それが人間の免疫機能を狂わせて健康を害するという皮肉な結果を招いています。この点、「病気を観る西洋医学」(検査に基づいて西洋薬(人工的に化学合成した新薬)や手術等により病巣を局所的に取り除く直接的な治療を特徴として臨床医学に強み)に対して「病人を観る東洋医学」(経験に基づいて漢方薬(自然界の有効成分を配合した生薬)や鍼灸等により身体のバランスを整えて免疫力を高めることによって身体状態を全体的に改善し、病状を緩和する間接的な治療を特徴として予防医学に強み)が見直され、人体の内部で共生する微生物の生態系を破壊しない治療方法として、自然を支配(破壊)する西洋医学的な発想だけではなく、自然と調和(共生)する東洋医学的な発想が積極的に採り入れられるようになっています。このような東洋医学的な発想(ホリスティック)は、最近注目されている音楽療法の世界にも息衝いています。古くから音楽療法は心身の調和が乱れた状態から心身の調和が取れた状態へ戻すために利用されてきており、例えば、18世紀前半にバッハが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵の依頼でお抱え音楽家・ゴルトベルクに弾かせるための曲として「ゴルトベルク変奏曲」を作曲した逸話(バッハ小伝)は有名です。また、20世紀前半に医師のイサ・マウド・イルセンは、重い不眠症患者のために『適量のシューベルト「アヴェ・マリア」』を処方した記録が残されており、患者の音楽的嗜好に合わせて民族音楽や器楽曲等も処方していたようです。現在、不眠症は、睡眠薬、環境改善、リラクゼーション及び呼吸法等の治療法がありますが、とりわけ呼吸法は「息を吸う」(緊張)と「息を吐く」(弛緩)によって生理的作用を切り替える働きがあり、覚醒から睡眠へと生理的作用が切り替わるタイミングで呼吸数が減少すると言われていますので、音楽療法により呼吸のリズムを整えることで睡眠を誘う効果があると言われています。また、速いテンポの音楽は交感神経系(昼の神経)を刺激して顆粒球が活発化し、遅いテンポの音楽は副交感神経(夜の神経)を刺激してリンパ球が活発化するなど免疫機能やホルモン分泌にも大きく影響していると言われています。この点、音楽家の脳年齢とそれ以外の人の脳年齢を比べると音楽家の脳年齢が平均して約4歳ほど若いという研究結果がありますが、音楽療法は人間の生理的作用や心理的作用に働き掛けて心身の状態を改善する効果があると考えられています。具体的な病例と科学的に検証された音楽療法の効果について詳しく触れる紙片はありませんが、音楽療法は心身医療、緩和医療、ホルモン正常化、脳神経障害のリハビリ等の幅広い病例に一定の効果があることが分かっており、病気を根治させる医学的な治療とは異なりますが、患者の心身をネガティブな状態からポジティブな状態に改善して医学的な治療を手助けする副次的な効果が期待されています。ところで、プログの冒頭でユニセフが子供たちの幸福度(ウェルビーイング)を調査したところ日本は38ケ国中37位だったことを紹介しましたが、2021年のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でシュワブ会長が「人々の幸福を中心とした経済」について講演し、単に持続可能な社会を目指すだけではなく、ウェルビーイングに配慮した社会の再構築の必要性に触れて話題になりました。欧州では「Wellbeing Economy Goverments」のパートナーシップへ参加する国が増えており、ウェルビーイングに対する世界的な関心の高まりの現れと言えます。この点、OECDが定める「より良い生活指数」という指標に基づく調査(2021年)では、日本は総合ランキングで40ケ国中25位のウェルビーイング後進国であるという結果が示されています。これを踏まえて、2021年に日本政府は「成長戦略実行計画」でウェルビーイングを実現できる社会の実現を掲げ、巷では「ウェルビー女子」という造語まで生まれ、先進的な企業では働き方改革と共にウェルビービングへの取組みが強化されています。日本がウェルビーイング後進国とされる理由について様々な分析がありますが、将来に不安を抱えていること(不安遺伝子(SS型)の占める割合が日本人は約68%に対して米国人は約19%、楽観遺伝子(LL型)の占める割合が日本人は約2%に対して米国人は約32%という調査結果があり、もともと日本人は不安症の傾向が強いことが原因の1つ)、ワークライフバランスが十分でないことや職場や学校以外のコミュニティーを持っていないことなどが挙げられています。昔の日本社会は、「」という複数のコミュニティーが存在し、「」という本名以外の名前(別の顔)を持ってハイブリットな分人ネットワーク(壱人両名)を許容する懐の広い柔軟な社会で、厳しい身分制社会に拘らず、現代より自己実現を図る機会に恵まれていたのではないかと思われますが、コロナ禍を契機としてサラリーマンの副業やライフスタイルに合わせた多様な働き方が浸透したことはウェルビーイングに配慮した社会の再構築にあたって有用ではないかと思います。ウェルビーイングは健康、幸福及び福祉から構成され、そのうちどのような状態が幸福であるのかの基準は時代、民族、文化や個人の資質等によっても異なり得るものなので、それを無視して1つの客観的な指標だけで単純に比較することに余り意味はないと思われますが、ウェルビーイングに配慮した社会の再構築を目指すにあたってウェルビーイングを高めるための環境整備に向けた取組みは有効ではないかと思います。最近、その環境整備の一環として、音楽からウェルビーイングにアプローチする「ウェルビーング・ミュージック」というジャンルが注目されていますが、過去のブログ記事でも触れた「ポスト・クラシカル」の潮流とも相通じるものが感じられ、現代の自然観、生命観や価値観等を踏まえて音楽の在り方も大きく変わろうとしているように感じます。
 
【人間の神経細胞が奏でる「人間の音楽」】
シャーレで人間の皮膚細胞を培養して神経細胞(ニューラルネットワーク)へと成長させ、そこに電極を取り付けてニューロンが発する生体電位を記録すると共に、人間が作った音楽を電子信号に変換してニューロンへ刺激を送り、ニューロンが電子楽器を制御して応答する仕組みを利用して即興演奏することが可能になっており、この技術を脳卒中患者の脳神経の回復やパーキンソン病患者の神経変性疾患の治療等へ応用することが期待されています。また、アルヴィン・ルシェ「独創者のための音楽」(1965年)や「HUMAN GENOME MUSIC PROJECT」(2012年~)など脳波やヒトゲノム配列の人間の生体情報を使って音楽を奏でるバイオ・ミュージック(実験音楽)が注目を集めています。
 
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世界平和を心から願って、ウクライナ侵攻の犠牲者への鎮魂歌とウクライナ人への人道支援(命のビザ)のための音楽をアップしておきます。なお、日本国内に在住するアンナ・リトヴィノワさん(東京音大卒)が勇気を出して反戦を訴えるデモを行っています。この運動に共感される方のご支援をお願い致します。
 
アルヴァ・ペルト(1935年~)の宗教合唱曲「主よ、平和を与えたまえ」をお聴き下さい。エストニア人作曲家・ペルトは日本でも人気が高い現代音楽家で2014年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。人類が無差別大量破壊兵器(化学兵器や核兵器など)の使用という現実的な脅威に晒されて圧倒的な無力感、絶望感や敗北感の前に神に祈るしか術がない時代に、平和への切実な希求を込めた迫真の音楽が心に響きます。
 
アルフレート・シュニトケ(~1998年)のオラトリオ「長崎」をお聴き下さい。ロシア人作曲家・シュニトケが原爆根絶の願いを込めて作曲した多様式主義の音楽で、1959年にショスタコーヴィチの推薦でロシア初演されています。日本初演は2009年になってからのことで、(自戒の念を込めて)20世紀がクラシック音楽不毛の時代と言われる原因は作品ではなく聴衆の質(新しいものを受容できる教養力)の問題であることを分からせてくれる作品の1つです。
 
アルフレート・シュニトケ(~1998年)の宗教合唱曲「レクイエム」をお聴き下さい。ロシアに対する経済制裁はウクライナ侵攻の資金源を断って平和を早期に実現するためであってロシアを破滅させるためではありません。ロシアのウクライナ侵攻は強く非難するべき絶対に許されない行為ですが、その一方で、ロシア音楽の排除を含めてロシアとのコミュニケーションを閉ざそうとする態度もお互いの憎悪を増すだけで平和の実現を遠ざけてしまう愚かしい行為です。
 
ハーバート・ハウエルズ(~1983年)の宗教合唱曲「レクイエム」をお聴き下さい。イギリス人作曲家・ハウエルズは旋法性の高い作風を得意とし、宗教合唱曲を中心として作品を残しています。イギリスはピューリタン革命により人々を堕落させるという理由で音楽等が制約されていたことからクラシック音楽の作曲家が生まれ難く、クラシック音楽不毛の地と言われてきましたが、近年、その汚名を返上する傑作が数多く生まれています。
 
ハビエル・パニアグア(1946年~)の「Music for Ukraine」をお聴き下さい。メキシコ人作曲家・パニアグアは、作曲家ハビエル・パニアグアは、ウクライナの子供たちを支援するための人道支援としてストリーミング音楽「Music for Ukraine」の使用料を寄付する取組みを行っています。現在、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)等の国際機関でもウクライナへの人道支援(命のビザ)を受け付けています。