▼一汁三菜の食文化(ブログの枕の前編)
毎月13日は「一汁三菜の日」とされていますが、2013年に「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、それを記念して「うま味」(1908年に東京帝國大学・池田菊苗教授が「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」とは異なる第5の味としてうま味成分であるアミノ酸に含まれるグルタミン酸を発見し、これによって「UMAMI」は国際公用語になり、現在、西洋料理のソース作りや調味料等にも活かされています。)を上手に使うことで動物性の油脂が少ない食生活を実現し、また、余分な塩分や糖分等を排出して消化吸収を良くする理想的な栄養バランスを実現する一汁三菜を食育に活かすことを目的として2016年に「一汁三菜の日」が設けられました。一汁三菜とは、「ごはん」(炭水化物)、「汁物」(水分)、「おかず(主菜1品、副菜2品)」(主採:タンパク質、副菜:食物繊維、ビタミン、ミネラル等)で構成される献立のことで、手前左側に「ごはん」、手前右側に「汁物」、奥左側に副菜、奥中央に副々菜、奥右側に主菜を配膳します。因みに、過去のブログ記事でも触れましたが、日本建築は玄関の土間で履き物を脱いで一段高く設えられた床に上がって家内に入る「高床式建築」ですが、西洋建築は玄関の土間と床の区別がなく履き物を履いたまま家内に入る「土間式建築」です。この違いは、狩猟民族が多い西洋では何時でも狩りに出られるように家内でも履き物を履いたままの方が都合が良かったのに対し、農耕民族である日本は多雨多湿な気候による洪水や湿気を避けるために地面よりも一段高い場所に食料を保存する必要があり、その床が湿気を持った泥等を吸わないように家内では履き物を脱ぐ方が都合が良かったことにあると考えられています。その結果、西洋では土間と床の区別がないことから、人間がくつろぎ、食事をとる場としての家具(椅子やテーブル、ベットなど)が発達しましたが、日本では土間と区別して床が設えれたので、人間がくつろぎ、食事をとる場として床がそのまま使われるようになりました。このため、顔に間近い高さのテーブルの上で食事をとる西洋では食器を持ち上げないままで食事をとることが可能でしたが、顔から距離がある床に据え置かれた膳で食事をとる日本では食器を持ち上げて食事をとらなければならなくなったという食文化の違いになって現れています。また、狩猟民族が多い西洋では1つの獲物(動物)を囲んで食事をしたことから皆が同じテーブルを囲んで食事をとるスタイルになり、その1つの獲物(動物)が盛られた食器を持ち上げて独り占めすることはマナー違反であると考えられるようになりましたが、農耕民族である日本では複数の作物(主に植物)を一人づつ分配して膳で食事をとることから自分に分配された作物(植物)のみが盛られている食器を持ち上げて食事をしてもマナー違反にはならなかったという事情も挙げられると思います。このような食文化の違いを背景として、日本では身分(官職の上下、父と母子、嫡子と庶子など)に応じて膳に盛られる食事の内容に差がつけられるようになり、その後、近代になって膳ではなくテーブルが使われるようになってからもお父さんや長男はおかずの品数が多いや魚や肉などの主菜がひと回り大きいなど「食卓の差別」として膳(食文化)の影響が残ることになったと考えられます。いつから「一汁三菜」という和食スタイルが定着したのかは分かっていませんが、最も古い記録として平安時代末期から鎌倉時代初期の時代に書かれた様々な病気を記録した絵巻物「病草紙」に収録されている「歯のゆらぐ男」(一般庶民の男性が歯槽膿漏(歯周病)になり、歯がぐらついて用意された食事を食べられずに困り果て、口を大きく開けて妻に歯を見て貰っている絵)には「ごはん」、「汁物」、「おかず(主野1品、副菜2品)」が並べられている様子が描かれており、この頃には「一汁三菜」という和食スタイルが確立していたことが窺えます。因みに、歯槽膿漏(歯周病)は、歯と歯茎の境目に歯垢(口内細菌)がたまって歯茎を炎症させ、やがて骨を溶かして歯がぐらつくようになり終いには歯が抜けてしまう病気です。人間の口には約300種類以上の口内細菌が存在すると言われていますが、歯茎の抵抗力が弱いと僅かな口内細菌でも歯槽膿漏(歯周病)を発症し易い危険があると言われており頻繁に歯を磨いて口内細菌の数を減らすべく努めることで歯槽膿漏(歯周病)の発症を予防することが重要と言われています。この点、人類の歯磨きの歴史は意外と古く人類が狩猟採取から農耕牧畜へ移行した約1万年前頃(農業革命)と言われていますが、その後、中国から仏教と共に歯磨きの習慣が日本へ伝来し(釈迦は弟子達の口臭に悩まされて歯磨きを勧めたことが仏典「律蔵」に収録されています)、当初は僧侶の間で歯磨きが行われるようになり、やがて朝廷貴族等の上流階級へ広がりました。その後、1625年に研磨砂や漢方薬から作った日本初の歯磨粉「丁字屋歯磨(大明香薬)」が発売され、一般庶民にも歯磨きの習慣が普及しました。この商品には「歯を白くする」「口の悪き匂いを去る」という効能が書かれていたそうですが、江戸時代には歯並びが良く歯の白い男性がモテたようなので、江戸っ子は歯磨きに精を出したと言われています。なお、歯磨きの習慣と共に歯を磨くための木(歯木)も日本へ伝来しますが、後に、これが爪楊枝へ発展し、江戸時代には浅草寺に約200軒の爪楊枝屋が軒を並べるほど繁盛したそうです。中国思想「薬食同源」は「五味は、五臓を養う」としてバランスの良い食事が生命を養い健康を保つために重要であると考えられていましたが、1972年、この考え方を採り入れた「医食同源」という造語が日本で生まれ、高度経済成長に伴う飽食や洋食文化の普及に伴うバランスに配慮に行き届かない食事が日本人の健康に与える悪影響について国民的な関心が高まりました。この点、一汁一菜によるバランスの良い食事だけではなく、オーラルケア(食後の歯磨きだけではなく食中の咀嚼(唾液分泌量の増加)による口腔衛生の確保を含む。)の視点からも日本の食文化を捉え直して見る必要があるかもしれません
▼味覚と錯覚(ブログの枕の後編)
プログの枕の前編では、生活の三大要素「衣食住」のうち、食文化の観点から「食」と「住」の関係について触れましたが、過去のブログ記事でも触れたとおり「食」と「衣」の間にも密接な関係があります。約5億年前に植物は移動せずに太陽光を利用して自らエネルギーを作り出すという生存戦略を選択しましたが、動物は移動して他の生物を捕食しエネルギーを摂取するという生存戦略を選択し、そのうちの恒温動物は他の生物をより多く捕食するために広範囲を移動する必要から外気温の変化に左右されず活動を継続できるように体温を一定に保つ生理機能が備わり、そうちの人類は約20万年前頃から外気温の急激な変化にも体温を一定に保つことができるように「衣」(人間の体温調整を補うための毛皮や植物など)を着用し始めたと言われています。その意味で、人間の生命維持にとって「食」と「衣」は密接不可分な関係にあると言えます。これに対し、動物に捕食されないように他の生物は毒を蓄え又は腐敗することなどで身を守る生存戦略をとるようになり、動物が他の生物を捕食するのは危険を伴う行為になりました。そこで、動物は最初に食物に触れる舌を毒見役として味覚を発達させて、「身体に有益なもの」は美味しいとして好み、「身体に有害なもの」は不味いとして嫌い、とりわけ生命の危険を招く可能性がある有害なものは嘔吐という生理的反応を起こすことで生存可能性を高めるようになります。この点、味覚は、舌の表面にある味蕾という味覚受容体(味細胞)が物質(分子)を感覚することで「味」を感じますが、その「味」は脳が創り出している感覚(知覚)で、それによって生理的反応(美味しいとして好む、不味いとして嫌う、嘔吐など)を起こすことが分かっています。過去のブログ記事で視覚や嗅覚の基本的な仕組みに触れ、物質に色や匂いが付いている訳ではなく(客観的な世界)、人間の目や鼻で受容した「感覚」(目は光、鼻は分子)を電気信号に変換し、それを神経を介して脳に伝達することにより脳が創り出す「知覚」が色や匂いの正体であることを言及しましたが(主観的な世界)、これは味も同様で、物質(分子)に固有の味がついている訳ではなく(客観的な世界)、人間の舌で受容した「感覚」(唾液に溶けた化学物質)を電気信号に変換し、それを神経を介して脳に伝達することにより脳が創り出す「知覚」が味の正体です(主観的な世界)。なお、人間の味覚受容体が物質(分子)を感覚するためには、その物質(分子)が、①水溶性であること(味覚受容体が物質(分子)を感覚するためには味蕾の味菅を満たしている液体に物質(分子)を溶かさなければなりません。よって、箸やスプーンなど液体に溶けないものを口に入れても味はしません。)及び②味覚受容体に対する適応性があること(1種類の味覚受容体は1種類の基本味に適応し、人間には5種類の基本味に対応する5種類の味覚受容体があります。)が必要と考えられています。因みに、5種類の基本味とは、「甘味」(エネルギー源のシグナル)、「塩味」(ミネラル源のシグナル)、「酸味」(腐敗のシグナル)、「苦味」(毒物のシグナル)、「うま味」(アミノ酸のシグナル)を意味しており、「辛味」や「渋味」は味覚ではなく刺激として痛覚や温度覚に分類されています。この点、猫には「甘味」を感覚する味覚受容体はなく砂糖を舐めても味を感じませんが、これは猫を含む肉食動物の進化の過程で糖類を含む果物等を食物の選択肢から除外したことから甘味を感覚する必要がなくなり退化したと考えられています。これと同様の理由から、竹や笹を主食とするパンダは「うま味」を感覚する味覚受容体がなく、食物を咀嚼せず飲み込むイルカは「甘味」を感覚する味覚受容体がないなど、動物によって味覚は大幅に異なっています。また、肉食動物は味蕾の数が少なく猫の味蕾の数は約500個しかありませんが、上述と同様の理由で肉食動物は植物を捕食しないことから毒見をする必要がないためだと考えられています。その一方で、草食動物の味蕾の数は多く豚の味蕾の数は約15,000個、牛の味蕾の数は約25,000個、来年の干支である兎(卯)の味蕾の数は約17,000個もありますが、これは植物を捕食することから毒見をする必要があるためだと言われています。上述のとおり植物は移動せずに自らエネルギーを作り出す生存戦略を選択したことで、動物に捕食されないように毒を蓄えるようになりましたが、動物は無数に生い茂る植物達の中から毒を蓄えている植物と毒を蓄えていない植物を見分けることは困難であることから(視覚が不得手な分野)、植物の味で判断する必要があったのではないかと考えられています(味覚が得手とする分野)。なお、雑食動物である人間の味蕾の数はそれらの中間で約5000~約7000個ありますが、老年期になると味蕾の数が著しく減少して味覚(とりわけ塩味)の感度が低下するため、一般的な傾向として老人は塩辛いものを好むようになると言われています。上述のとおり脳が創り出す「知覚」が味の正体ですが、味覚(味)だけではなく嗅覚(風味)も重要な影響を及ぼしており、これにより風邪をひいて鼻が詰まっている(鼻をつまんで食事をしても同じ)と食事が味気(風味)なく感じると言われています。人間の嗅覚は、鼻先から空気を採り入れて鼻腔へ流れ込んだ物質(分子)を受容する「オルソネーザル」という経路と口腔から食物を採り込んで鼻腔へ流れ込んだ物質(分子)を受容する「レトロネーザル」の2経路で匂いを感じていますが、脳はオルソネーザルを経由して感じた食物の匂いからレトロネーザルを経由して感じる食物の風味を正確に予測すると言われており、その風味が食物の好き嫌いに影響すると言われています。子供が嫌いな食物を食べるときに鼻をつまんで咀嚼せずに飲み込むのは、嫌いな食物の風味を感じないようにするために有効な対策と言えます。また、脳が創り出す「知覚」には嗅覚だけではなく聴覚や視覚など他の感覚も影響しており、例えば、好きな音楽を聴きながらジェラートを食べると甘さを引き立てる効果がある一方、嫌いな音楽を聴きながらジェラートを食べると苦さを際立たせる傾向があることが分かっており、近年では「音響調味」の研究が盛んになっています。また、「わさび」と「からし」は異なる味と認識している人が多いと思いますが、「わざび」と「からし」の原料は同じくアブラナ科の植物から採取され、その辛味成分も同じアリルイソチオシアネートなので(「わざび」にはグリーンノートという香料が添加されていますが、その香りは数分で減衰)、「わさび」と「からし」を目隠しをして食べると味の区別がつかなくなるという実験結果があり、脳が色と香りから「わさび」と「からし」を異なる味であると知覚(錯覚)していると考えられています。これと同様に、かき氷のシロップにはレモン、メロン、イチゴなど色々な種類がありますが、それぞれのシロップの原料は同じ果糖ブドウ糖液糖なので、それぞれのシロップのかき氷を目隠しをして食べると味の区別はつかなくなるという実験結果があり、やはり脳が色と香りからそれぞれのシロップを異なる味であると知覚(錯覚)していると考えられています。このほかにも、黒いグラスに注いだワインは赤い照明をつけると甘くフルーティーに感じられるという実験結果があるなど、脳が創り出す「知覚」は視覚から大きな影響を与えていることが分かります。このような現象は、ごく一部の人にしか見られない「共感覚」(ある感覚刺激から別の感覚を引き起こす現象で、例えば、ある色を見るとある匂いを感じるなど。)とは異なり、多くの人に見られる「クロスモーダル」(感覚間相互作用)という現象であり、このような食事が人間の複数の感覚器官に作用する現象を研究するために実験心理学、認知神経学、知覚科学、ニューロ・ガストロノミー、マーケティング学、デザイン学、行動経済学などの学問分野を統合した「ガストロフィジスク」(「ガストロノミー」(美食学)と「サイコフィジスク」(精神物理学)を組み合わせた造語)という学問分野が注目を集め、その研究成果を活かした「オフ・ザ・プレート・ダイニング」(料理を超えるトータル・プロダクトとしてのマルチセンソリーな食体験)という新しい食文化が生れています。人間は常に複数の感覚を働かせて雰囲気や環境を感じており、その雰囲気や環境が料理を味わい、食体験を楽しむうえで非常に大きな影響を与えていることが分かっています。また、その研究成果はVR技術の開発にも応用され、例えば、プレーンクッキーをチョコレートクッキーであるかのようなバーチャルな映像と香りを与えながら食べさせると、脳はチョコレート・クッキーを食べたと知覚(錯覚)するという実験結果があり、映像や香りを偽装して脳をだます「食のトリックアート」という技術が注目されています。将来、この技術を使って効率的なダイエットや効果的な糖尿病治療などが可能になると期待されています。また、人間の頭部(脳)へ電気信号を送ることでバーチャルな視覚、嗅覚、味覚、聴覚や触覚を知覚させる技術開発も進んでおり、虚実皮膜の間を彩る芸術体験に革新的な潮流を生み出すことが期待されています。
①高家神社(料理の神様)(千葉県南房総市千倉町南朝夷164) ②包丁塚(高家神社)(千葉県南房総市千倉町南朝夷164) ③鯖の塩麹発酵セット(道の駅こうざき)(千葉県香取郡神崎町松崎855) ④落花生焼酎ぼっち(道の駅こうざき)(千葉県香取郡神崎町松崎855) |
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①高家神社(料理の神様)/日本で唯一「料理の神様」をお祀りしている神社で、日本全国の料理人から崇敬されています。千葉県は醤油の生産量が日本一で三大醤油メーカー(キッコーマン、ヒゲタ、ヤマサ)の本社がありますが、毎年、ヒゲタは高級醤油「高倍」を高家神社に奉納しています。キッコーマンは宮内庁御用達、ヒゲタは神様御用達の醤油と言えます。 | ②包丁塚(高家神社)/料理が趣味であった孝行天皇が臣下・藤原山陰に命じて宮廷行事の四條流包丁式を確立します。右手に包丁、左手にまな箸を持ち、食材に指一本触れずに雅楽の演奏に合わせて魚を捌きます。毎年、四條流包丁式が高家神社に奉納されており海外の料理人からも注目されています。四條流包丁式は映画「武士の献立」の一場面にも登場しています。 | ③鯖の塩麹発酵セット(道の駅こうざき)/江戸時代から発酵文化が盛んであった神崎にある道の駅こうざきでは、神崎で生産された発酵食品のほかに日本全国から厳選された発酵食品が販売され、レストラン・オリゼでは発酵食品料理を楽しむことができます。店名は、清酒、味噌、醤油、みりんの発酵に欠かせないアスペルギルス・オリゼ(麹菌)を意味しています。 | ④落花生焼酎ぼっち(道の駅こうざき)/千葉県は落花生の生産が日本一で、その収穫期にあたる11月11日は落花生の日とされています。道の駅こうざきには、千葉県産の落花生を使用して作られた焼酎が販売されていますが、落花生の豆は「畑の肉」と言われていますが、落花生の香りに加えて、どことなく肥沃な土が持つ風味のようなものも感じられて美味です。 |
【演題】土を喰らう十二ヵ月
【監督】中江裕司
【原案】水上勉
【脚本】中江裕司
【音楽】大友良英
【料理】土井善晴
【出演】<ツトム>沢田研二
<真知子>松たか子
<美香>西田尚美
<隆>尾美としのり
<文子>檀ふみ
<大工>火野正平
<チエ>奈良岡朋子
【開演】2022年11月13日(日)
【料金】1800円
【感想】
▼映画「土を喰らう十二ヵ月」と一汁一菜
去る11月11日(映画の料理を担当している井上義晴さんが提唱している「一汁一菜」を意識して選ばれた公開日でしょうか?上述のとおり千葉県の特産品である落花生の日でもあります。)に映画「土を喰らう十二カ月」が公開され、観客が少ないオールナイト上映で鑑賞してきましたので、ネタバレしない範囲でごく簡単に感想を残しておきたいと思います。「食」という漢字は「人」に「良」と書きますが、過去のブログ記事でも触れたとおり、この映画の題名には食という営みの根源的なものが現れているように思います。この映画は、作家・水上勉さんの料理エッセイ「土を喰う日々 わが精進十二カ月」が原作になっており、「食」を通じて自然界を生滅流転する命(死生観)について描きながら「食」を見詰め直した映画です。陳腐なヒューマンドラマに彩られた感傷的な内容ではなく、人間の真実を描き出そうとする作り手の真摯な態度に好感を覚えました。ストーリーは長野県の山深き雪深きポツンと一軒家に暮す作家・ツトム(作家・ツトムを演じる沢田研二さんの面構え、手付きや佇まいなどから滲み出てくる朴訥とした燻し銀の演技がこの映画の隠し味になっています。)の日常を四季の移り変わり(節気)と共に淡々と描くもので、近所にコンビニ、スーパーや飲食店等がないので、日々、「畑にあるもの」「自然にあるもの」(それらを梅干、漬物や味噌等として発酵させた保存食を含む)を使って幼少期に禅寺で修行した精進料理を作り、自然を頼りとして一所、懸命に生きるという内容です。この映画では、道元著「典座教訓」(典座とは禅寺で「食」を司る僧のこと)の言葉を引用しながら、「畑にあるもの」「自然にあるもの」を頂くことは栄養価の高い「旬」の食材を頂くことであり、また、「畑にあるもの」「自然にあるもの」に触れ、土を洗い流し、それを頂くことは自然-台所-人間(腸)がつながっていることを日々感じることであり、それが「食」(生きる)ということの根源にあるものだということが描かれています。現代は「畑にあるもの」「自然にあるもの」に触れる機会は少なくなくなり、コンビニやスーパーに並ぶ加工された食材(土を洗い流した規格野菜を含む)やハウス栽培された季節外れの食材に触れる機会が多くなりましたので、必然、日常の中で自然とのつながりを感じる機会も減り、そのような意識が希薄になったことが「和食」を育んできた文化的な土壌を破壊させ、近年では異常気象、生活習慣病や疫病流行等の社会問題を顕在化させている遠因になっていると言えるかもしれません。この映画では、食材だけではなく、音、器、火、水も拘りを持って描いており、「食」が五感をもって味わうものであることが分かります。作家・ツトムは心筋梗塞に倒れて死を強く意識するようになりますが、人間は自然から命を得てやがて自然に命を返すという摂理(自然界の生滅流転)が亡妻の遺骨を散骨するシーンで印象的に描かれています。この点、日本では明治時代まで土葬(神道、キリスト教)が主流で(現在も土葬を禁じる法律はなく自治体の条例で禁止されていない限り所定の条件で土葬も可能)、その後、衛生面や埋葬場所の問題等から土葬を禁止する自治体が増え、釈迦が火葬されたという故事の影響もあって火葬(仏教)が主流になりましたが、人間だけが自然の生滅流転(循環)に逆らう不自然な行為に及んでいるということかもしれません。なお、この映画に登場する料理は料理研究家・土井善晴さんが調理したものですが、米、野菜や豆類など精進料理で使われる食材のみが登場し、肉、魚や卵など精進料理で使われない食材は登場しません。土井さんは、料理をすることは自然とのつながりを持つ大切な機会であり、人間の土台を作りそれを磨くための必要な要素(自然とのつながりを持つ料理を作る人を通じて料理を食べる人との間で様々な情報交換が行われ、料理の向こう側にある様々なものを想像する力を育んで感性を高めるために必要な経験)が詰っていると語っていますが、現代人は職住分離や共働きなどによって十分な可処分時間を確保することが難くなったことなどからあまり料理をしなくなったことを憂慮し、現代人でも簡単( ≠ 手抜き)に料理ができる「一汁一菜」(ご飯、味噌汁及び漬物を基本とし、味噌汁を具沢山にすることで一汁三菜のうちの二菜を補って必要な栄養価を摂取できるバランスの良い食事)を提唱しています。「洋食」は「人間の哲学」(人間中心主義)を基本とし、食材に色々な味付けをして様々な食材を重ねること(手を掛けること)を料理と考えますが(料理を食べる人は自分でスープに調味料を加えて好みの味する個人主義的な食文化)、「和食」は「自然の尊重」(自然中心主義)を基本とし、できるだけ食材に手を加えることなく食材(自然)の味を引き出すこと(手を掛けないこと ≠ 手抜き)を料理と考えますので(料理を食べる人は味噌汁を料理をする人の味付けのままで頂く自然尊重的な食文化)、料理に手を掛ける時間がない現代人には「洋食」よりも「和食」の方が向いていると言えるかもしれません。この点、「洋食」は粘土を加えながら造形を整えるプラスの彫刻と喩えられるように人間が手を掛けて舌と脳が美味しいと感じる味(美味)を作るのに対し、「和食」は一木から造形を掘り出すマイナスの彫刻と喩えられるように人間が手を掛けることなく身体を慈しむ食材(自然)が持つ味(滋味)を引き出す点に特徴がありますが、食材(自然)が持つ味(滋味)を味わい尽くす「和食」文化をもう一度見直してみたいと感じさせる映画でした。
▼演奏会「洗足学園オンラインフェスティバル2022」
今回は、一汁一菜(ご飯、味噌汁、漬物)のブログとするためにブログの枕、映画の感想、演奏会の感想を配膳してみたいと思います。前回のブログ記事でも書きましたが、今後、デジタル田園都市構想が推進されるとオンライン配信の需要は益々高まることが予想されますが、(現在の技術を前提とする限りではホールで生の舞台を視聴することに勝るものはないと思いますが)将来のVR技術等の発展によってオンライン配信でも生の舞台に双璧し又はこれを上回るような芸術体験が可能になる日も遠くないと期待しています。過去のブログ記事で音大崩壊の話題に触れましたが、そのなかでも洗足学園はいち早くクラシック音楽だけではなく邦楽やコンテンポラリー等(現代音楽、ジャズ、ポピュラー、ロック、ミュージカル、ダンスなど)を柔軟に採り入れながら革新的な取組みを続けてきたことで幅広い若者層の支持を集めて成功している大学の1つではないかと思います。その洗足学園が「オンラインフェスティバル」という新しい試みを始められたようなので、紙片の都合から一部の演目に限り一言づつ感想を残しておきたいと思います。今後、オンライン(デジタル)の特性を活かした新しい芸術体験の試みなどにも挑戦して貰いたいと期待しています。なお、このようなオンラインフェスティバル(ライブ)という趣向を凝らしたイベントを楽しめるのも舞台のセッティング等を担当されていたスタッフの皆さんの陰働きがあってのことだと思いますので感謝に絶えません。
▼洗足学園音楽大学OB合唱団(12日/10:00~10:40)
【演目】イ調のミサ曲
<作曲>M.コチャール
悲しみの枝に咲く夢
女声合唱とピアノ三重奏のための「ピーナッツベストヒットメドレー」
<編曲>田中達也
【演奏】<合唱>洗足学園音楽大学OB合唱団
<指揮>中村拓紀
<Pf>山本佳世子
<Vn>青木知子
<Vc>小澤和子
<Mc>飛田都
【一言感想】
早朝公演にも拘らず、予想を上回る多数の視聴者が鑑賞する盛会となりました。オンラインでもライブと録画では視聴者に与える感興に違いがあるように感じます。1曲目のイ調のミサ曲が出色でした。照明を落としてキリエを歌いながら合唱団が入場する厳かなオープニングは鳥肌もので、合唱のクオリティの高さと演出効果が相乗効果を生んでいたと思います。これに続く照明をアップしてのサンクトゥス/ベネディクトゥスは清廉で輝かしい歌声に魅了され、アニュス・デイでは静謐な祈りが込められているような繊細な歌声に心洗われる思いがしています。2曲目の悲しみの枝に咲く夢では描写力のある色彩感豊かなピアノ伴奏が実に美しく、3曲目の女声合唱とピアノ三重奏のための「ザ・ピーナッツベストヒットメドレー」ではタンゴ調のアレンジによってピーナッツの往年の名曲達に新しい命が吹き込まれていて楽しめました。
▼コールファンタジア(12日/12:00~13:00)
【演目】※作曲者名、作詞者名は省略
怪獣のバラード
風になりたい
花咲く旅路
カチューシャの唄
あの素晴しい愛をもう一度
群青
花は咲
【演奏】<合唱>コールファンタジア
<指揮>不明(紹介なし)
<Pf>不明(紹介なし)
【一言感想】
コールファンタジアは、BS-TBS「日本名曲アルバム」に出演している合唱団なので、お馴染みの方も多いのではないかと思います。演目数が多いので演目毎の感想は割愛しますが、合唱団員の顔の表情や声の表情が非常に豊かで、歌が持っている情感や世界観が生き生きと伝わってくる共感溢れる歌唱を楽しむことができました。「伝える」だけではなく「伝わる」ために必要な歌唱とはどのようなものなのかを肌感覚で分からせてくれる歌唱で目鱗でした。
▼Wind Orchestra RESOUND(12日/14:00~14:45)
【演目】行進曲「秋空に」
<作曲>上岡洋一
オーバーチュア・5リングス
<作曲>三枝成章
渚スコープ
<作曲>吉田峰明
吹奏楽のためのインヴェンション第1番
<作曲>内藤淳一
楓葉の舞(コンクールエディション)
<作曲>長生淳
スマイル(アンコール)
<作曲>チャールズ・チャップリン
【演奏】<楽団>Wind Orchestra RESOUND
<指揮/Sax>大和田雅洋
【一言感想】
吹奏楽コンクールの課題曲を中心に季節を感じさせる選曲が魅力的で、総じて洗足学園の管打楽器奏者の層の厚さを実感させる秀奏でした。一言づつ感想を残すと、1曲目は行進曲でしたが、アンサンブルのバランスの良さが感じられる流麗で爽やかな演奏、2曲目はNHK時代劇「宮本武蔵」のTV音楽を再構成した曲で、ピッコロ奏者が篠笛に持ち替えて演奏したことで張り詰めた緊張感のようなものが走り、ティンパニーの野趣が凄みを感じさせる演奏、3曲目は金管の重厚なサウンドと木管の繊細なサウンドが織り成す緩急の妙味が感じられ、クラリネット、サックス、ホルンのソロパートのコンビネーションが出色な演奏、4曲目はクラリネットが楓が舞い散る様子を繊細に表現し、フルート、ピアノ、ビブラフォンが色彩感豊かな演奏で紅葉が織り成す眩い世界を描写的に表現、アンコールのスマイルは大和田さんによるテナーサックスの哀愁漂うソロ演奏が秋の深まりと共にしみじみと響いてきました。
▼ダンスコース『Color』(12日/17:30~17:50)
【演目】結び目
<振付>渡邉百々香、森崎結香
<作詞/作曲/編曲>古賀優希
<ダンス>渡邉百々香、森崎結香
Generation
<振付>竹田桃薫、川﨑唯加
<作詞/作曲>MA ZIHAO
<Vocal/歌詞英訳>MA ZIHAO、Myotoishi Emi
<ダンス>岩本明日佳、川﨑唯加、高曽根杏美、竹田桃薫、中桐衣麻
En D
<振付>北村桃詩
<作詞/作曲/Vocal>XU XIN
<ダンス>北村桃詩、岩本明日佳、大石琴愛、竹田桃薫、細山麗
石河心遥、永倉アクア愛、プライス実唄
帽子の女
<構成>古山栞帆
<振付>全員
<作曲>大野隆広
<出演>古山栞帆、網井雄大、磯部桃花、髙遼太郎、中桐衣麻
Translucent
<構成>出口稚子
<振付>全員
<作曲>橋口幸寿
<映像制作>サトウシミズパトリッキ悠斗、LIU XIANGDONG
XU XIN、FU XINYUE、CHEN SHUPING
<ダンス>井上祐美子、入澤ほのか、金尾杏里、出口稚子、
松本有祐美、米盛有香、渡邊花鈴
【一言感想】
洗足学園が伝統の承継(保存)だけではなく現代の時代性を表現するための革新的な表現(創造)を学ぶための場として有効に機能していることが感じられる演目群でした。「結び目」は「自らの殻に閉じこもっていた2人...互いの糸はいつしか重なり合う。」というテーマを表現したダンスです。ドラマとヒップホップが融合したようなミュージカル風のダンス表現で、邦楽に乗せて2人のダンスが離反を繰り返しながら徐々に同期して行く様子が表現され、2人の心の綾のようなものが繊細に表現されていました。「Generation」は「ポジティブな新世代からのパワフルな活力、学生の明るさ元気さを届ける。」というテーマを表現したダンスです。ビジュアルアートとダンスが融合したようなダンス表現で、ビートの効いた洋楽に乗せて歯切れ良いリズミカルなステップで世の中を彩って行くエネルギーが感じられるアクティブなダンスが展開されていました。「En D」は「恋人に裏切られても忘れられない女性の雨模様な心。』というテーマを表現したダンスです。回転運動や優美な身体美等を特徴とするクラシックバレエの動きを基調としたダンス表現で、バラード調の洋楽に乗せて複雑に揺れ動く女心を表現しているような哀しみを湛えたダンスが展開されていました。「帽子の女」は「アンリ・マティスの絵画「帽子の女」をイメージして作られた楽曲となっており、自由で気ままに表現する個性豊かな5人の色」というテーマを表現したダンスです。ビジュアルアートとヒップホップダンスを融合したようなダンス表現で、それぞれのダンサーの個性(色彩)を表現したアピールの強いダンスが展開されていました。「Translucent」は「ダンスコース1期卒業生7名で踊ります。今年の春に卒業し、それぞれの道を歩んでいますが、久しぶりに会い、練習し、踊る事を嬉しく思います。」というテーマを表現したダンスです。コンテンポラリーバレエとヒップホップを融合したジャズダンス風のダンス表現で、バラード調の洋楽に乗せてコンビネーションの良いダンスが展開されていました。
▼SSC混声合唱団(13日/10:30~11:15)
【演目】※作曲者名、作詞者名は省略
平和の鐘
流れゆく時
ソング イズ マイ ソール
時の旅人
雨上がりのステップ
不明(曲名を失念)
花の名前
信じる
明日への助走
【演奏】<合唱>SSC混声合唱団
<指揮>不明(紹介なし)
<Pf>不明(紹介なし)
【一言感想】
演目数が多いので演目毎の感想は割愛しますが、現在の世相を反映し、コロナ禍で失われた歌う喜びを取り戻し、人生を前向きに生きて行こうという強いメッセージが伝わってくる歌唱を楽しむことができました。とりわけ若い世代に向けた青春賛歌が多く、夢や信じる心などを失わず未来に羽ばたいて行こうという若い世代の力強さにおじさん世代が目頭を熱くして勇気付けられしまう始末でした。総じて柔らかく澄んだハーモニーと若く瑞々しい感性を感じる清廉として美しい合唱が秀逸でした。ピアノ伴奏は合唱団員(副科?)が交替で担当し、多少のミスタッチは玉に瑕でしたが、この優美な合唱に豊かな音色やハーモニーで彩りを添える好サポートで、ピアノ伴奏が高らかに奏でる平和の鐘のモチーフは印象深く響きました。
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.10
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
▼アレクサンダー・カンプキンの「希望」(2018年)
イギリス人の現代音楽家のアレクサンダー・カンプキン(1984年~)は、17歳のときに多発性硬化症の診断を受けてヴィオラ奏者になる夢を断念し、作曲家に転向したという異色の経歴を持っています。包容力のある優しい音楽が特徴的で、とりわけ合唱曲には定評があります。この動画はBBCプロムス2018で「希望」を初演したものですが、このときカプキンがBBCのTV番組で「希望」を創作した想いを語っており鑑賞を深めてくれます。
▼ヒドゥル・グドナドッティルの「人は顔を得る」(2020年)
アイスランド人現代音楽家のヒドゥル・グドナドッティル(1982年~)は、アコースティック音楽とエレクトロニカを融合したポスト・クラシカルの特徴を持つ作品が多く、TVドラマ、ダンスや映画等への楽曲提供にも積極的で、映画「ジョーカー」では第77回ゴールデングローブ賞作曲賞や第92回アカデミー作曲賞などを受賞しています。この曲は、2015年にアイルランドで賛成派又は反対派に分裂して争われた難民追放問題に対する抗議として作曲されました。
▼挾間美帆の「ダンサー・イン・ノーホエア」(2018年)