大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

21世紀音楽の会第20回記念演奏会とオペラ「a Love story」(作曲:松岡あさひ)と北里柴三郎物語オペラ「ドンネルの夢」(作曲:神原颯太)とスティーヴ・ライヒ・プロジェクト「kuniko plays reich Ⅱ/DRUMMING LIVE」と日本音楽の構造<STOP WAR IN UKRAINE>

▼日本音楽の構造(ブログの枕短編)
令和6年6月6日は6のゾロ目ですが、中国では数字の語感から縁起が良い数字(六六大順)と捉えられている一方で、欧米では聖書の言葉から不吉な数字(新約聖書ヨハネの黙示録第13章第18節)と捉えられており、各文化圏のプロジェクションの違いが多様な世界観を彩っています。日本では6月6日は「楽器の日」や「邦楽の日」とされていますが、これは世阿弥の能の理論書「風姿花伝」の第一の年来稽古条々で「この藝において、大方、七歳をもて初めとす。この此の能の稽古、必ず、その者自然とし出す事に、得たる風體あるべし。舞・働きの間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふとし出ださんかかりを、うちまかせて、心のままにせさ、すべし。」という一節があり、能楽、歌舞伎、舞踊、邦楽などでは「稽古始めは6歳の6月6日」(7歳=満6歳)という仕来りが生まれましたが(6月6日は満6歳と語呂が良いことから付加されたもの)、これに肖って習い事を始める吉日として制定された記念日です。過去のブログ記事でも、言語と音楽の関係性(その①)言語と音楽の関係性(その②)謡と倍音の関係性科学と音楽の世界観の相似性言語と音楽のコミュニケーションの特性しぐさと芸術表現の関係性など伝統邦楽に関係する話題に断片的に触れてきましたが、2024年3月に尺八奏者の中村明一さんが伝統邦楽を含む日本音楽を解説した「日本音楽の構造」を上梓され、個人的にはこのような本質的かつ体系的な理論書を待ち望んでおり、これまで曖昧な理解であった点にも明解な解説が加えられていて目から鱗(語源:新約聖書使徒行伝第9章第18節)でしたので、「邦楽の日」に因んで、(著作権にも配慮して)その触りのみを簡単に紹介しておきたいと思います。但し、中村さんの考え方を正確に理解できているのか分かりませんし、行間を埋めるために個人的な考え方も織り交ぜていますので、ご興味のある方はこの本を貴兄姉のライブラリーに追加して折に触れて参照すると本質的かつ体系的な理解が進むのではないかと思います。過去のブログ記事でも触れたとおり、人間の聴覚は媒質(気体、液体、個体)を伝わる振動や圧力などが鼓膜に伝わって電気信号(生体電位)に変換され、それに応じてバーチャルな「音」を脳内で生成していますが(楽器を演奏する行為は「音」を生むというよりも振動や圧力などを生む行為)、過去のブログ記事でも触れたとおり、その「音」の捉え方には聴覚固有の形質の違い(先天的な要因)による個体差や音楽的な経験の違い(後天的な要因)による文化差(認知バイアス)などがあり、この本では主に後者の観点から日本音楽(前回のブログ記事で触れたヤポネシアの音楽としてヤマト人の音楽だけではなくアイヌ人やオキナワ人の音楽を含む)と西洋音楽の構造的な違いなどが解説されています。
 
日本音楽の構造

日本音楽の構造

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過去のブログ記事で触れましたが、西洋音楽はキリスト教の教義(言葉)を聴き取り易いように明瞭な響きを重視して発展(その後、人間の情感を表現するために明瞭な響きよりも多彩な響きを重視する方向に発展)した経緯があり、倍音を固定化してハーモニーを変化させる音楽表現(伝達性、再現性)が好まれてきました。これに対し、日本音楽は宗教儀式、自然信仰や日常生活と強く結び付いて発展した経緯があり、倍音を固定化するのではなく倍音そのものを変化させる音楽表現(共感性、多様性)が好まれてきたいう特徴があります。この点、ハーモニーとは倍音の重なりにより生まれますが、倍音が少ないと整数次倍音が重なり易くなり又は非整数次倍音が減少するので協和音を得られ易くなる傾向があるのに対し、倍音が多いと整数次倍音が重なり難くなり又は非整数次倍音が増加するので不協和音を得られ易くなる傾向があることから、西洋音楽は倍音を少なくしてハーモニーを変化させる音楽表現(明瞭性、父性原理に基づく外からの支配)を好むようになったのに対し、日本音楽は倍音を多くして倍音そのものを変化させる音楽表現(多様性、母性原理に基づく内への内包)を好むようになったと考えられます。この本では、西洋では空気が乾燥しており石造建築が多いなどの環境下でも聴き取り易い子音(非整数次倍音)を多用する言語が誕生したのに対して、日本では湿気が多く木造建築が多いなどの環境下でも聴き取り易い母音(整数次倍音)を多用する言語が誕生したことが、音楽表現の特徴にも現れているという示唆に富む考察が加えられています。即ち、西洋語は子音(非整数次倍音)を多用することから、音楽表現にあっては整数次倍音と音量を使って強調表現する傾向があるのに対し、日本語は母音(整数次倍音)を多用することから、音楽表現にあっては非整数次倍音を使って強調表現する傾向があり、それが音楽表現の特徴的な違いになって現れていると考察されています。西洋音楽では倍音の発生を抑えてハーモニーを豊かにするために非整数次倍音が多いチェンバロより整数次倍音が多いピアノを好むようになりましたが、以下の囲み記事でも触れているとおり、現代音楽では倍音の豊饒な響きの世界を活かしたチェンバロを使った音楽にも注目が集まるようになってきています。また、過去のブログ記事でも触れましたが、西洋では狩猟民族が獲物を追って早く走る動作の中でビート(=鼓動)を感じながら手足を交互に交差して進む連続的で規則的な運動を基調としていた背景から数学的な規則性を持った時間間隔であるリズム(ビート)を好むようになり、日本では農耕民族が田畑を耕すために鍬を入れる一連の動作と手足の動きを連動させながら一歩づつの間(=呼吸)を置いて進む不連続的で不規則な運動を基調としていた背景から呼吸の同調によって自在に伸縮する不規則な時間間隔であるリズム(間)を好むようになったと考えられます。この本では、西洋音楽やアフリカ音楽はリズム(ビート、鼓動)の枠組み(等拍)を固定化し、その枠組みの中を分割して変化させる音楽表現(分割リズム)が使われているのに対して(古典物理学的な時間観)、日本音楽はリズム(間、呼吸)の枠組み(等拍、不等拍)そのものを変化させる音楽表現(付加リズム)が使われている(相対性理論的な時間観)という示唆に富む考察が加えられています。これまでは人間がコントロールし易いマクロの音響世界を複雑に組織化すること(理性、ロゴス)に優位性や先進性が認められると考えられてきましたが(認知バイアス)、現代では人間がコントロールし難いミクロの音響世界と巡り合うこと(本能、ピュシス)で、これまで組織化により捨象されてきた豊饒な音響世界を取り戻す時代になっていますおり、現代音楽、ロックやポピュラー音楽などは、倍音(非整数次倍音の変化)、ノイズや付加リズムなども積極的に採り入れるようになっています。この点、現代作曲家の武満徹さんが琵琶、尺八とオーケストラのための「ノベンバー・ステップ」で日本音楽と西洋音楽のそれぞれの特徴を活かしながら新しい世界(西も東もない海)を拓きましたが、その遺心は現代作曲家の桑原ゆうさんの三味線、尺八とオーケストラのための「葉落月の段」(第71回尾高賞選考評/下野竜也さんの評)などの作品に受け継がれ、進化しています。尺八では「一音成仏」(一音で描き切る世界)が至上の境地とされていますが、グローバル化の進展と共に多文化交流が進んで、西洋音楽の連音で描く世界(西洋絵画の面描)だけではなく、日本音楽の延音で描く世界(日本絵画の線描、点描)なども柔軟に受容される時代になっており、それらの違いを「均す、無くす」のではなく、それらの違いを「磨く、活かす」ことから生まれる多様な世界観の面白さ(世阿弥曰く「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」)を感じることができる豊かな時代になっています。
 
▼環境要因が育む文化的特徴
それぞれの環境要因がどのような文化的特徴を育んだと考えられるのかを簡単な一覧表にまとめてみました。可能な限り分かり易くする趣旨から二項対立で比較していますが、人間の知覚能力や認知能力で正確性を唱えてみたところで底は知れていますので、そのような野暮天の青さが映えるクレームはご遠慮下さい。
区分 日本の
文化的特徴
西洋の
文化的特徴
自然環境 多湿、木造

母音言語
(整数次倍音)

日本音楽
(非整数次倍音)
乾燥、石造

子音言語
(非整数次倍音)

西洋音楽
(整数次倍音+音量)
労働環境 農耕、山地


(リズムの伸縮)
狩猟、平原

ビート
(リズムの固定)
生活環境 高床、和服

密息
(リズムの伸縮)
土間、洋服

腹式
(リズムの固定)
 
▼音楽の要素解析
西洋音楽は人間がコントロールし易いように音子の要素(倍音、リズムなど)を固定化してその上位レイヤーである音を組織化すること(マクロの音響世界)を重視するのに対して、日本音楽は自然と調和し易いように音子の要素(倍音、リズムなど)を固定化せずに音子の要素そのものを多様に変化させること(ミクロの音響世界)を重視するという特徴的な違いがあり、20世紀の現代音楽、ロックやポップスなどは前者よりも後者を重視するように変化しながら豊饒な音響世界を拓いた(又は取り戻した)時代と言えるかもしれません。
ミクロの音響世界
量子力学的
マクロの音響世界
古典力学的
音量 音子
倍音
ハーモニー 様式
音高 音色 メロディー
時間的位置 音価 リズム
※テンポ、ダイナミクス、アクセント、アーティキュレーション、フレージングなどの要素は割愛しています。
 
▼概念のイメージ(子供たちのための)
かなり大雑把な概念のイメージを記載していますが、正確な定義はニューグローヴ世界音楽大事典などをご参照下さい。
概念 イメージ
媒質(気体、液体、個体)を伝わる振動(複数の周波数から構成)
音の三大要素
音量 基音(最も低い周波数の音)の振動の幅(縦関係)
音高 基音(最も低い周波数の音)の振動の数(横関係)
音色 上音(基音以外の音)の振動の形(縦横関係)
整数次倍音 基音の整数倍の音(俗に天使の声)
非整数次倍音 基音の非整数倍の音(三味線のサワリ)
音楽 音(環境音を含む)により人の感覚、感情や理性に作用し得るもの
音楽の三大要素
リズム 音価(基音の振動の長
  +時間的位置(音の始点と終点)(横関係)
メロディー 音高+リズム(横関係)
ハーモニー 2つ以上の音の振動が調和する響き(縦関係)
協和音 整数次倍音が重なる響き
不協和音 整数次倍音が重ならない響き
非整数次倍音の響き
※音、音量の定義
 圧力などの要素は割愛しています。
※楽音と非楽音
 ①楽音=基音+整数次倍音(=協和音)
 ②非楽音=基音+非整数次倍音 or 基音のない不規則な音(=不協和音、ノイズ)
※楽器(電子楽器を覗く)と音
 ①音が持続し易い楽器:擦弦楽器、管楽器
 ②音が減衰し易い楽器:撥弦楽器、打楽器
 
21世紀音楽の会第20回記念演奏会
【演題】21世紀音楽の会 第20回記念演奏会
【演目】①小島夏香 弦楽四重奏のための「モンタージュ」(世界初演)
     <1stVn>佐藤まどか
     <2ndVn>花田和加子
     <Va>安藤裕子
     <Vc>松本卓以
    ②石川健人 見えない壁(世界初演)
     <SopSax>大石将紀
     <Vn>佐藤まどか・花田和加子
     <Va>迫田圭
     <Cond>石川健人
    ③南聡 工房より/第2胴体塑像(世界初演)
     <Fl>多久潤一朗
     <Cl>有馬理絵
     <Hr>庄司雄大
     <Va>安藤裕子
     <Vc>松本卓以
     <Cond>安良岡章夫
    ④安良岡章夫 横・竪~箏独奏のための(2018/2020年)
     <箏>平田紀子
    ⑤渋谷由香 レイヤー(世界初演)
     <Fl>多久潤一朗
     <Cl>有馬理絵
     <Va>迫田圭
     <Vc>原宗史
     <Pf>田中翔一朗
     <Cond>石川健人
    ⑥野田暉行 
       オーボエと弦楽四重奏のための「春のさざめき」(2006年)
     <Ob>宮村和宏
     <Vn>佐藤まどか・花田和加子
     <Va>安藤裕子
     <Vc>松本卓以
     <Cond>安良岡章夫
【日時】2024年6月12日(火)19:00~
【会場】東京文化会館小ホール
【一言感想】
21世紀音楽の会は「心に残る、心に届く音楽」をめざして精力的に活動する作曲家集団とのことで、今回、第20回目の記念すべき演奏会を聴きに行く予定にしています。演奏会を聴いた後に時間を見付けて簡単に感想を残しておきたいと思いますが、演奏会の宣伝のために予告投稿しておきます。
 
---追記
 
弦楽四重奏のための「モンタージュ」(世界初演)
パンフレットには「唸るような響きの開放弦と、高音域での重音やハーモニクスなどを含む音質が対になって・・(中略)・・異なる音色を共存させることで響きの奥行きを模索」し、「「動」=幅広い跳躍と「静」=音のない瞬間を対比させることで、曲全体に緊張感を張り巡らせ」て、「曲中で様々な要素が展開し、全体が多面的に構築されていくような構造を試みた」と記載されています。「コラージュ」(貼付)とは複数の素材をフレームに貼り付けることを意味するのに対し、「モンタージュ」(組立)とは複数の素材そのものを重ね合わせることを意味する点で異なりますが、パンフレットの解説にあるとおり様々な音響が重なり合い、その音響に間(無音)がフォルムを与えながら様々な音像を生み出して行く、万華鏡のような音楽を楽しむことができました。
 
②見えない壁(世界初演)
パンフレットには東京大学教授・福島智さんが「コミュニケーションが断たれるとは、魂にとって窒息するような、飢え渇くような状態です。(中略)誰かと交流することによって初めて、他者の存在に「反射する光」として自分を見付けるんです。」と語っていたことに影響を受けて「自己と他者との間にある差異が、差音やズレを伴うリズム、あるいは和音として立ち現れながら、楽曲は進行していきます。」と記載されています。さながら笙の音を連想させる弦楽3部のハーモニクスにソプラノサックスの透明感のある持続音が重ねられ、その美観極まる演奏に魅せられました(但し、会場の後方席にいたので残響も多く、十分に「差音」を聴き取ることはできませんでした)。やがて「点字」を描写したものなのかリズムによる点描へ変化しながら静かに心を通わせる終曲になりました。
 
③工房より/第2胴体塑像(世界初演)
パンフレットには「工房より/Ⅰ.頭部及びⅡ.第1胴体塑像」(2016年/2019年)の続編として作曲された曲で、「この曲はかなりでこぼこした肌触りの音楽。音楽は三度の楽想の起伏ののちに、口唇のアリエッタ(Arietta di le labbra)と名付けた cantandoな楽想に至る。この楽想の後は最初の気分が再帰してCodaとなる。」と記載されています。まるで粘土を打つ付けながら塑像していくようなリズミカルで快活な音楽が展開され、フォルムがドラマを生むように音像が物語性を帯びて行くような面白い作品に感じられました。パンフレットでは「音楽の仕掛けはかなり単純化している。これは本位ではなかったのだが、体力的にそうならざるを得なかった。」と謙遜しておられましたが、「大道は至りて簡し」という格言を体現する洗練至芸の境地のようなものが感じられました。
 
④横・竪~箏独奏のための(2018/2020年)
パンフレットには「世阿弥の「花鏡奥ノ伝」に記されている。「横」とは謡に於ける太く強い声、「竪」とは細く弱い声のことで、両者を兼ね備える(相音)こと」から着想を得て「冒頭では明確に区別されるが、次第に混然一体となり、最終的には再び分断され曲を閉じる。」と記されています。世阿弥は「横」(吐く息の真っ直ぐな発声)と「竪」(込める息の抑揚のある発声)とに分けて「竪より横へ謡い出だして、また竪に納まる声流なり」と音曲の極意(曲道息地)を説いていますが、これを筝曲に体現した興味深い作品でした。十三絃を使って、特殊奏法などを駆使した多彩な音色による活舌の良い演奏と押し手などによる微妙な表情を生む繊細な演奏によりコントラストを作りながら、やがて混然一体とした自在の境地へ至る様子が音楽的に表現された非常に面白い作品でした。
 
⑤レイヤー(世界初演)
パンフレットには「ある一定のほぼ同じに設定された時間枠が並置される。同時にその枠内も異なる拍節によってグループごとに枠取りされている。予め固定された枠内で配置することはたったひとつ、それはそれぞれの相互関係である。全てが相対的である事とそれによって見え方が変わる事」がテーマになっていると記載されています。パンフレットにはJ.アルバースの著書「配色の設計」や十二単に象徴される「重ねの色目」などが引用されていますが、時空の相関性が音楽的に表現されているような印象を受けましたので、その実は時間対称量子力学の世界観を体現した作品なのかもしれないと興味深く拝聴しました。ピアノの和音と休止の緊張関係が人間の意識が生み出す一方向に進む時間感覚を遮断し、その中を管弦の不協和が不確定的に揺蕩っている印象を受ける面白い作品でした。
 
⑥オーボエと弦楽四重奏のための「春のさざめき」(2006年)
野田暉行さんは2001年に結成された作曲家集団「21世紀音楽の会」の発起人で、2022年に他界されており、2023年に続く追悼演奏になりました。21世紀音楽の会は野田暉行さんの薫陶を受けた弟子達で構成されていますが、今回、演奏された小島夏香さん、石川健人さんや、同会のメンバーの渡部真理子さん、加藤真一郎さんなどは野田暉行さんの孫弟子にあたる第二世代になりますので、野田さんの遺志が次世代に受け継がれています。オーボエと弦楽4部がリズミカルに丁々発止と渡り合い、春の生命力や陽光を思わせる快活な音楽が展開され、オーボエの甲高く明るい音色でゴジュケイの鳴き声(チョットコイ)を高らかに歌い上げる部分が聴き所になっていました。同会の趣意「心に残る、心に届く音楽」を体現するように華やいだ気持ちにしてくれる聴き易い音楽でした。
 
 
オペラ「a Love story」
【演題】オペラのまど主催 第4回公演
    オペラ「a Love story」(世界初演)
【原作】芥川龍之介「蜘蛛の糸」
【脚本】松岡あさひ
【作曲】松岡あさひ
【演出】岩田達宗
【指揮】小津準策
【演奏】<Pf>齋藤亜都沙
    <蜘蛛>中桐かなえ(ソプラノ)
    <カエル>澤原行正(テノール)
    <子カエル>東大和少年少女合唱団
【日時】2024年6月14日(金)~アーカイブ配信
【会場】東大和市民会館ハミングホール
【一言感想】
オペラ「a Love story」(世界初演)のアーカイブ配信を視聴しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。定番オペラに飽きている客層は少なくないと思いますので、現代オペラブームと言える状況は大いに歓迎したいです。
 
---追記
 
このオペラは芥川龍之介の児童向け短編小説「蜘蛛の糸」を翻案した作品です。原作は釈迦が地獄に堕ちた男の生前の善事(蜘蛛を踏み殺すことを思い留まったこと)から救いの手を差し伸べようと天国へ昇るための蜘蛛の糸を地獄に垂らしますが、この男は後を追って蜘蛛の糸を昇ってくる他の地獄の罪人達を振り払おうとして蜘蛛の糸が切れてしまう(天意により救いが切られてしまう)というストーリーです。但し、原作の設定には些か無理があり、蜘蛛を踏み殺すことを思い留まったことが果たして「善事」として評価し得ることなのか(単に「悪事」を思い留まっただけで「善事」とまで称揚する態度には他の生物を人間よりも一段と低く見る人間中心主義的な傲慢さが感じられます。仮にこの対象が他の生物ではなく人間であった場合、例えば、殺人を思い留まった通り魔を「善事」として顕彰することには違和感を禁じ得ません。)や、この男が他の地獄の罪人達を振り払おうとしたことが果たして「無慈悲」として評価し得ることなのか(生前の善事の有無に拘らず他の地獄の罪人達を慈悲を持って救うべきであるという立場に立つとすれば、この男や他の地獄の罪人達を慈悲を持って救わない釈迦の態度をどのように捉えたら良いのか児童向けの本にしては釈善としない厄介な問題を孕んでおり、その意味では圧倒的なパワーを背景とする気まぐれな制裁与奪は「シャカハラ」と揶揄したくなる無慈悲なものにも感じられます。)などの疑問がつきまといます。この点、このオペラでは主人公の蛙は生前に他人の餌を盗む悪事と蜘蛛を災厄から救う善事を行っており、その「悪事」によって地獄に堕ちた蛙の救済を願う蜘蛛の祈りが天に届いて天国へ昇るための蜘蛛の糸が地獄に垂らされますが、蛙は後を追って蜘蛛の糸を昇ってくる他の地獄の罪人達を振り払おうとして蜘蛛の糸が切れてしまう(自ら救いを切ってしまう)という無理のないストーリーに翻案されています。これが児童向けの本であることを踏まえば、この世を生きて行くうえで慈悲の心を持つことが自らを救う道(この世を天国にする方途)であり、無慈悲の心を持つことが自らを苦しめる道(この世を地獄にする方途)であるという教訓と捉えるのが座りが良く、原作のような無理なストーリーではなく自然なストーリーに翻案して児童にも受容し易くしたオペラと言えるかもしれません。ピアノ伴奏によるチェンバー・オペラでしたが、音楽はピアノの美観が際立つ色彩豊かなもので、それぞれのプロットに対して非常に聴き易い素直な音楽が付曲されており好印象を持ちました。ミレニアル世代以降の若い現代作曲家が書く作品は、前近代的なものを排除しようと力み切っていた20世紀的な音楽とは異なって、20世紀的な音楽の成果も踏まえつつ、西洋と民族(東洋を含む)、調性と無調、アコースティックとエレクトロニクスや既成のジャンル(芸術と商業、音楽とそれ以外を含む)などのシガラミ(認知バイアス)に囚われることなく、これらをごく自然に融合し、作曲技法や演奏技法などの表面的なこと(手段>目的)に終始するのではなく、新しい価値観、人間観、自然観、世界観などの実質的なこと(手段<目的)を重視した作品が増えてきていることは歓迎したい潮流ですし、そのような清廉な時代の風を感じさせる作品でした。冒頭の父蛙のアリアでは跳躍感のあるピアノ伴奏が印象的で、これに東大和市民少年少女合唱団による子蛙の輪唱が加わる田舎風情が漂う牧歌的な雰囲気に魅せられました。因みに、僕の住居の近隣には水田が多く、田に水を引く4月末頃からオス蛙がメス蛙に求愛するための大輪唱が聴かれますが、オス蛙は他のオス蛙と鳴き声と重ならないようにズラして鳴く習性があるので自然に輪唱になるそうです。暫くすると、子蛙の面倒をよく見てくれるメス蜘蛛が登場して父蛙は謝意を述べます(父親3.0:分散育児を実践する現代的な父親像)。メス蜘蛛は子蛙のためにエサを盗んでくる父蛙(ひとり親家庭の貧困問題)に対して改心を促す耽美的なアリアが歌われますが、五七調の歌詞にすることで日本語のアリアを美しく聴かせる工夫が奏功していました。天災地変が発生して父蛙はメス蜘蛛を庇って死にますが、エサを盗んでいた悪事から地獄へ堕ちます。メス蜘蛛は父蛙を助けるように天に祈りますが、このアリアではピアノが光沢のある高い音(天のメタファー)、メス蛙が陰影のある低い声(地のメタファー)で歌われ、これに子蛙がまるでマタイ受難曲の冒頭合唱で登場するボーイソプラノのような清澄な歌声で歌い添う美しいピースになっていました。人間は生れたばかりの姿が仏の姿に最も近く、世俗に塗れて智慧という穢れを身に纏う程に仏の姿からの遠退いて行くと言われいますが、幼子はその姿を見る者に分け隔てなく救いを与えてくれる存在であり、この子蛙の穢れなき慈悲は仏のメタファーと言っても良いかもしれません。この祈りが通じて天から蜘蛛の糸が吊るされ、父蛙は蜘蛛の糸につかまって這い上がってきますが、その後を追って地獄の魑魅魍魎が這い上がってくる場面ではピアノ伴奏が不協和を奏で、これを振り払おうとして蜘蛛の糸が切れてしまいます。父蛙とメス蜘蛛の二重唱が天への慈悲に感謝し、これに子蛙の合唱が加わってクライマックスとなりましたが、日本語の母音に感情を乗せる延音の特徴(一音で描き切る音の世界)を活かして「あ」の母音だけで歌われる終曲に魅せられました。この作品は子供達と一緒になって舞台を作り上げて行く、ドラマ・ワークショップによるコミュニティー・アートの可能性を示すものとしても非常に興味深く意義あるものに感じられ、今後の取組みにも期待したいです。
 
 
北里柴三郎物語オペラ「ドンネルの夢」
【演題】北里柴三郎物語オペラ「ドンネルの夢」(世界初演)
【脚本・作詞】新南田ゆり
【作曲】神原颯大
【演出】角岳史
【演奏】<Pf>神原颯大
    <北里柴三郎>土崎譲
    <北里貞>新南田ゆり
    <北里柴三郎(少年時代)>浅川夕輝
    <北里惟信>女屋哲郎
    <マンスフェルト>小栗純一
    <北里乕>辰巳真理恵
    <長与専斎>高田智士
    <福澤諭吉>瀧川かをん
    <コッホ>押川浩士
    <レフレル>磯谷大樹
    <青山胤通>飯田裕之
    <後藤新平>猪村浩之
    <ベーリング/志賀潔>加藤大聖
    <山田武甫>武田直之
    <緒方正規>水野洋助
    <田端重晟>川出康平
    <石黒忠悳>戸沢進
    <その他>ドンネル合唱団
    <ダンサー>影山慎二、山下瑞貴、高尾可奈子、幸道玲子 ほか
【日時】2024年6月15日(土)18:00~
【会場】杜のホールはしもと
【一言感想】
2024年7月3日から新紙幣が発行されますが、これを記念してリニア中央新幹線の神奈川駅を建設中の橋本(神奈川県)で北里柴三郎物語オペラ「ドンネルの夢」が世界初演されるというので聴きに行く予定にしています。オペラを視聴後に時間を見付けて簡単に感想を残しておきたいと思いますが、オペラの宣伝のために予告投稿(但し、最近の現代オペラブームも手伝ってか既にチケットは完売)しておきます。因みに、講談師・神田あおい師匠が新作講談「講談で学ぶ!新札肖像の物語」を打たれていますので、ご興味があれば地元の役所やホールなどにリクエストしてみましょう。
 
---追記
 
北里柴三郎物語オペラ「ドンネルの夢」(脚本:新南田ゆりさん、作曲:神原颯大さん、初演:2024年)は、かなり話題になった歴史オペラの第1作目である杉原千畝物語オペラ「人道の桜」(脚本:新南田ゆりさん、作曲:安藤由布樹さん、初演:2015年)に続く第2作目にあたります。先ず、プロットを簡単に概観しておきますと、第一幕では1853年に熊本県阿蘇郡小国町北里(北里氏は大和源氏源頼親の系流の土豪又は地侍で、この土地を支配していましたが、過去のブログ記事でも触れたとおり名字は土地の名前に由来)に生まれた北里柴三郎は幼少期に流行したコレラで弟及び妹を亡くし、1971年に父・北里惟信の勧めで熊本医学校(現、熊本大学医学部)に進学してオランダ海軍軍医のC.マンスフェルトに師事した後、1874年に東京医学校(現、東京大学医学部)へ進学して医道論を提唱、第二幕では1886年にドイツ留学して世界的な細菌学の権威であるR.コッホに師事し、1889年に世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功して血清療法を確立、第三幕では1892年に福沢諭吉が私財を投じて設立した伝染病研究所の初代所長に就任し、1894年に香港で蔓延したペストの原因調査で世界で初めてペスト菌を発見した功績から国立の伝染病研究所になりましたが、これを快く思わない一部の医師界の権謀術数によって東京帝国大学(現、東京大学)の傘下に組み込まれると、1914年に北里柴三郎は自由な研究環境を確保するために北里研究所を設立して独立し、伝染研究所の殆どの職員(研究者、医師、看護師、事務職員)は北里柴三郎を慕って北里研究所に移籍しました。北里柴三郎の弟子には、黄熱病や梅毒の研究で知られた野口英世、世界で初めて赤痢菌を発見した志賀清、世界で初めてハブ毒の血清療法を確立した北島多一、世界で初めて抗菌薬サルバルサンを開発した秦佐八郎など錚々たる名前が並んでいます。今日の舞台には結核予防会(北里柴三郎が渋沢栄一らと共にその前身とも言える日本結核予防協会を設立)の理事長である尾身茂さんも合唱(一部、ソロあり)に参加されており、伝記オペラの枠組みを超えて、北里柴三郎の遺心が現代の感染症病医療の現場にも息衝いていることが実感できる大変に有意義な舞台になっていました。因みに、新紙幣は、1万円札:福沢諭吉➠渋沢栄一(産)、五千円札:樋口一葉➠津田梅子(学)、千円札:野口英世➠北里柴三郎(医)に刷新されますが、このうち福沢諭吉、渋沢栄一及び野口英世は北里柴三郎と密接な関係があり近代日本の礎を築いた偉人たちになります。第一幕の第1場から第3場では北里柴三郎の幼少期の時代状況として、文明開化とそれに伴う虎狼狸の流行(源氏物語には光源氏がマラリアに罹患する場面が登場しますが、遣唐使(=人の移動)によってマラリアが日本に持ち込まれて流行したのと同様に、文明開化の契機となった外国船来航(=人の移動)によってコレラが日本に持ち込まれて流行)及び武士の時代の終焉が合唱とアリアによって歌われましたが、当時の人々が新しい時代に込める期待(文明開化の光)が躍動感のある歌と音楽で、また、当時の人々が新しい疫病に抱く恐怖(文明開化の闇)が緊迫感のある歌と音楽で対照的に表現されていました。第1幕の第4番から第15場では北里柴三郎がマンスフェルトとの出会い、東京医学校への進学、福沢諭吉との出会い、ドイツ留学の決意など医学の道を立志する様子がアリア(一部、二重唱)によって歌われました。北里柴三郎は熊本医学校でマンスフェルトと出会ったことにより医学の道に進む決意をし、東京医学校へ進学を決めますが、若き北里柴三郎が先輩の部屋に居候しながら医学の理想に燃える姿にはベートーヴェンのハンマークラビーア(ピアノの進化と共にその表現可能性を飛躍的に拡張した革新的な音楽)を彷彿とさせるピアノ伴奏が付されていたのが印象的であり、また、北里柴三郎が人命を救うために医学の道を志す決意を歌う力強いアリアや北里乕が北里柴三郎を献身的に支えることを誓う優美なアリアが聴き所になっていました。ライバルの後藤新平との二重唱ではライバル意識を燃やす熱量が高い重唱、九州男児の長与専斎、緒方正規との三重唱ではさながらサツマイモが転がっているような振付とユーモラスな歌唱などが聴き所になっており着想が豊かな音楽を楽しめました。但し、それぞれの歌手の見せ場を作るための配慮だったのか又は歌(音楽)よりも劇(物語)を重視するためであったのか、全体的にアリアが多い印象を受けましたが、例えば、後述の医師界の権謀術数が渦巻く場面などでは力強い重唱を競演させるなど、もう少し音楽に変化があった方がドラマチックになったのではないかとも感じました。第二幕の第1場から第9場では世界的な細菌学の権威であるC.コッホに師事し、その研鑽が奏功して世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功して血清療法を確立した偉業が合唱とアリアで歌われました。その中の印象的なエピソードとして、北里柴三郎はC.コッホから医学における真理の探究の重要性を諭されてC.ペーケルハーリングの脚気論文に対する反対論文を公表することにしましたが、これに対してC.ペーケルハーリングから感謝の手紙が届いたという逸話が歌われていました。因みに、当時、東京帝国大学(現.東京大学)ではC.ペーケルハーリングと同じ学説を採用していましたが、その見直しが大幅に遅れたことなどから日清戦争及び日露戦争における脚気惨事という悲劇が発生しています。この点、現代でも、日本の学界のみならず、日本の政界や経済界に残されている体質として、前回のブログ記事でも触れたとおり、閉鎖的な組織やコミュニティーほど正しいこと(社会の正義)を疎んじて誤りでも都合の良いこと(世間の常識)に流され易い風潮がありますが、そのような誤りを認めようとしない風通しの悪い風土に屈することなく人命を救うという初心を貫徹して真理の探究を揺るがせにしなかった北里柴三郎の生き様には共感を覚えます。第三幕の第1場から第14場では福沢諭吉が設立した伝染病研究所の初代所長に北里柴三郎が就任、北里柴三郎が世界で初めてペスト菌を発見、北里柴三郎の弟子である志賀潔が世界で初めて赤痢菌を発見、伝染病研究所が東京帝国大学(現、東京大学)の傘下に組み込まれると北里柴三郎は自由な研究環境を確保するために北里研究所を設立して独立、伝染病研究所の殆どの職員は北里柴三郎を慕って北里研究所へ移籍がアリアと合唱で歌われました。志賀潔が世界で初めて赤痢菌を発見した場面では、志賀潔及び合唱は北里柴三郎が後進の研究者を育成してその後の日本の感染症医療の発展に大きな功績を残したことを歌いましたが、伝染病研究所が東京帝国大学(現、東京大学)の傘下に組み込まれると北里柴三郎は人命を救うために医学の道を志した初心と自由な研究環境を確保するために北里研究所を設立して独立する決意を力強いアリアで歌い、伝染研究所の殆どの職員が北里柴三郎を慕って北里研究所に移籍する清廉な志を美しい合唱で歌う大団円となりました。上述のとおり尾身茂さんが合唱に乗られていたことで、伝記オペラの枠組みを超えて、北里柴三郎さんの遺志が現代の感染症病医療にも受け継がれて息衝いていることが実感できる意義深いものに感じられ、コロナ禍で献身的に闘う医療従事者の姿と重なって感動的な舞台となりました。
 
 
スティーヴ・ライヒ・プロジェクト
【演題】スティーヴ・ライヒ・プロジェクト
    kuniko plays reich Ⅱ/DRUMMING LIVE
【演目】①フォー・オルガンズ(1970年)
    ②ナゴヤ・マリンバ(1992年)
    ③ピアノ・フェイズ(1967/2021年)ヴィヴラフォン版
    ④ニューヨーク・カウンターポイント(1985年)
    ⑤木片のための音楽(1973年)
    ⑥ドラミング(1970年)
【演奏】<Perc>加藤訓子(①②③④)
    <Perc>齋藤綾乃、篠崎陽子、西崎綾衣、
          横内奏、藤本亮平(⑤)
    <Perc>東廉悟、青栁はる夏、高口かれん、戸崎可梨、
          富田真以子、濱仲陽香、細野幸一、眞鍋華子(⑥)
    <Perc>三神絵里子(⑥)
    <Wh>藤本亮平(⑥)
    <Picc>菊池奏絵(⑥)
    <Vo>丸山里佳、向笠愛里(⑥)
【音響】寒河江勇志
【照明】岩品武顕
【監督】加藤訓子
【日時】2024年6月28日(金) 17:30~
【会場】彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
【一言感想】
世界的なパーカッショニストの加藤訓子さんが2024年4月25日に発売したアルバム 「kuniko plays reich II」の収録曲とドラミングを演奏するというので聴きに行く予定にしています。演奏会を聴いた後に時間を見付けて簡単に感想を残しておきたいと思いますが、演奏会の宣伝のために予告投稿しておきます。
 
---追記
 
ヴラヴィー!フルタイムで働く社会人には厳しい平日の早い時間帯にさいたま芸術劇場で開演される公演でしたが、予想以上に客席が埋まるまずまずの盛会でした。冒頭、S.ライヒさんが加藤さんと観客に向けたビデオメッセージが流された後、第1曲目のフォーオルガンズからやられてしまいました。上記のアルバムでは加藤さんが4台の電子オルガンと1対のマラカスを一人五役で多重録音した演奏が収録されており、今日はどのように実演されるのか楽しみにしていましたが、舞台上には電子オルガンの録音を再生するための4台のスピーカーが設置され、その中央で加藤さんがマラカスを実演するというハイブリッドな演奏スタイルがとられました。この曲は4台の電子オルガンが奏でるE11コードと1対のマラカスが奏でる8ビートから構成されていますが、加藤さんがマラカスのビートをインテンポで刻むなかを、4台のスピーカーから流れる電子オルガンのE11コードが少しづつパターンを変えて徐々に音価を延ばしながら繰り返されましたが、僕は一般相対性理論(重力による時間の遅れ)の世界観を重ね合わせながら拝聴していました。加藤さんが刻むマラカスのビート(加藤さんが赤くライトアップされていたのはビート=心臓の鼓動のメタファー?)は一定の速さで進む地球上の時間(古典物理学の絶対時間:分割リズム)であると仮定すれば、徐々に音価が延ばされる電子オルガンのE11コードはさながらブラックホール(高い重力場)に引き寄せられながら徐々に時空が引き延ばされ(スピーカーが白くライトアップされていたのはブラックホールが引き寄せる光のメタファー?)、それに応じて遅く進む時間(相対性理論の相対時間:付加リズム)の関係性が聴覚的にも視覚的にも体感でき、それらが重なり合いながら1つの世界(映画「インターステラー」)を形成している大変に興味深い舞台を楽しめました。徐々に音価が延ばされる電子オルガンのE11コードが1サイクルする間に、マラカスがインテンポで16ビート、32ビート、64ビート、128ビート・・・・と刻みますが、瞬間(一音)に宿る永遠、永遠に刻まれる瞬間(一音)が交錯するような不思議な感覚(時空の歪み)に襲われる大変に面白い芸術体験になりました。音盤だけではなく加藤さんの実演に接すると、この曲の魅力を体感し易いと思います。なお、拙ブログは楽曲解説ではなく個人的な感想を認めているものであり、作曲家や演奏家の意図を離れて個人的なプロジェクションを投射しているものなので、その点は誤解を与えないようにお断りさせて頂きます。第2曲のナゴヤ・マリンバは今年2月に閉館した「しらかわホール」のために作曲された2台のマリンバのための曲ですが、ホールは無くなったとしても音楽は残り続けるということで、今日は1台のマリンバの録音がスピーカーから流され、加藤さんが1台のマリンバを実演するハイブリッドなスタイルで演奏されました。モチーフの反復と展開が多彩なフォルムを生み出し、高い演奏精度に支えられた精妙なカノン、音色や強弱のグラデーションによって奥行きのある立体的な音響空間が生み出されていて聴き応えがありました。過去のブログ記事でも触れましたが、人間の統合的認知(人間は視覚:約8割、聴覚:約1割、その他の知覚:約1割の割合で、全ての知覚情報を統合して認知を生成)の特性によって、それらの知覚情報のズレが錯覚(クロスモーダル現象)を生み出しますが、加藤さんの実演(視覚情報)とスピーカーから流れてくる音(聴覚情報)のズレがハイブリッドな音響空間をシームレスなものに感じさせる効果を生んでおり非常に面白い芸術体験になったと共に、視覚が聴覚に与える影響を考える上でも興味深い舞台でした。第3曲目はピアノフェイズを加藤さんがS.ライヒさんの許可を得て2台のビブラフォン版に編曲した曲ですが、今日は1台のビブラフォンの録音がスピーカーから流され、加藤さんが1台のビブラフォンを実演するという原曲と同様のハイブリッドな演奏スタイルがとられました。この曲はS.ライヒさんの音楽の特徴とも言えるフェイズ・シフティング(同じ音型を繰り返しながら少しずつ音をズラし、リズムを変化させる演奏技法)が使われ、最初はスピーカーから流れるビブラフォンの録音と加藤さんのビブラフォンの実演がユニゾンでリズムを刻み出しますが、加藤さんのビブラフォンの実演が少しづつ音をズラし、リズムを変化させながら精妙なグラデーションを作り出し、さながら響きの万華鏡といった風趣が素晴らしく、加藤さんの1音1音のニュアンスの豊かさや深みにも魅了されました。なお、ロックの舞台演出を斬新に採り入れたものでしょうか、照明を点滅させて視覚的にリズムを感じさせる演出も効果的で、観客の知覚に揺さぶりをかける工夫が随所に感じられて楽しめました。第4曲のニューヨーク・カウンター・ポイントはアルバム「Counterpoint -Kuniko plays Reich-」に収録されている曲ですが、S.ライヒさんが独奏楽器と磁気テープのために作曲したシリーズ作品に位置付けられ、今日は1台のマリンバの録音がスピーカーから流され、加藤さんが1台のマリンバを実演するという原曲と同様のハイブリッドな演奏スタイルがとられました。最初はユニゾンで刻まれていたパルス音(リズム)がメロディーとパルス音に分化し、やがてメロディーとメロディーの対位法へと発展してフェイズ・シフティングの技法を使いながら精妙なアンサンブルが展開される構成感のある演奏を楽しむことができました。後半はダンスミュージックのようにリズミカルで即興感のある演奏が展開され、マリンバを演奏する加藤さんの足が刻むステップは軽やかに舞うダンスのようであり、(年甲斐もなく逆上せ上がったことを書くようで気恥しいですが)まるで天使のマリンバとでも形容したくなるような音楽と一体となったグルーブ感のある演奏に魅了され、自在に音と戯れ、音を遊ばせているような天衣無縫な演奏に惹かれました。なお、照明としてミラーボールが使われていましたが、これはニューヨークの都会の喧騒を表現したものでしょうか、(個人的なプロジェクションとしては)音粒が天空へ飛翔しているようなイメージに映り、音楽の感興を増す効果的な演出であったと思います。第5曲目の木片のための音楽(クラベス五重奏)は休憩時間中にロビーコンサートとして若手演奏家が様々な音色の5組のクラベスを使って様々なクラーベ(リズムパターン)が組み合わされる曲を披露し、精巧なリズムで組み上げられる構築感のある音楽を楽しめました。木の硬質な響きは高音域の減衰が早いので、どこか温かみを感じせる不思議な魅力があり癒されます。第6曲目のドラミングは若手演奏者13人で実演されました。芸術家は舞台の上で育つと言いますが、加藤さんはこれまで取り組まれてきた活動の成果を次の世代に受け継ぐことにも注力されており、可能な限り若手演奏者に舞台経験を積ませる機会を設けたいという想いを語られていました。4人の若手演奏者が舞台中央に縦に並べられたボンゴドラム4組を使って革が生む弾性の響きによるリズムを繰り返しながらフェイズ・シフティングの技法や休符を拍子に置き換える技法などを使って徐々にリズムを変化させて行きましたが、最初は無機質に聴こえていた音群(リズム)が微妙なグラデーションに彩られると、人間の脳の認知特性から歌や言葉などの意味のある音群に聴こえ出して(アポフェニア)、強く意識を揺さぶられるような聴取体験となりました。やがてそのリズムは7人の若手演奏者による3台のマリンバに受け継がれましたが、木が生む硬質で温もりのある響きによるリズムが新鮮に感じられ、これに2人の若手奏者によるボーカルがデュナーミクを繊細に操りながら様々なリズムを口遊むことで幻想的な雰囲気を湛える美しい演奏が展開されました。やがて6人の若手奏者による3台のグロッケンシュピールに引き継がれましたが、金属が生む光沢感のある響きによるリズムが眩く感じられ、1人の若手演奏者による口笛と1人の若手演奏者によるピッコロが奏でる息のリズムが音楽に表情を与えていました。最後はボンゴドラム、マリンバ、グロッケンシュピール、ボーカル、ピッコロが加わる全奏となり、様々なリズムパターンが隙のないアンサンブルで奏でられる絢爛たるクライマックスを築き上げる好演になり、リズムを究めることで拓かれる広陵たる世界観を感じることができる充実した演奏会でした。
 
 
▼向井航のオペラ「野守の鏡」
日本人現代作曲家の向井航さん(1993年~)のオペラ「野守の鏡」が2024年6月1日及び6月2日にウィーンで世界初演されました。プロットは世阿弥の能「野守」から取材して、LGBTQ+セックスワーカーというダブル・マイノリティに属する登場人物達が「なぜ自分は生まれてきたのか」と存在意義を自問しながら、その答えを求めて地上、天国、地獄の全てを映し出す「野守の鏡」を探すというものだそうです。音楽はコンテンポラリー、バロック、ミュージカル、ジャズ、パンク、エレクトロニックなどをジャンルレスに採り入れたクィアなオペラだそうです。残念ながら、オンライン配信がなくワールドプレミアを鑑賞することはできませんでしたが、今から日本初演が楽しみです。
 
▼マルゲリーテ・レスゲン=シャンピオンの「チェンバロ協奏曲」
スイス人現代作曲家・マルゲリーテ・レスゲン=シャンピオンさん(~1976年)のチェンバロ協奏曲が発見され、スイス管弦楽団(指揮:レナ=リサ・ヴュステデルファーさん)がソリストにチェンバリスト・鈴木優人さん(1981年~)を迎えて2024年5月19日から2024年6月2日までスイスで4公演が演奏された模様です。そのうち2024年5月19日の公演は現地時間で2024年6月6日20:00(日本時間では2024年6月7日03:00)からIm konzertsaalで放送されるようなので早起きして聴いてみたいと思っています(後日談:アーカイブ音源が公開されていますが、鈴木さんの演奏は24:43~なのでご視聴あれ)。日本でも鈴木優人さんや染田真実子さんがチェンバロを使った現代音楽を採り上げた演奏会を精力的に開催しており、また、2024年8月30日には愛知室内オーケストラ権代敦彦さんのチェンバロ協奏曲を世界初演するようですが(ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲(マリンバ編曲版)を含めて東京での公演を熱望したいです)、コンテンポラリー・チェンバロがブームになりつつあります。
 
▼細川俊夫のオーケストラのための「さくら」(2021年)
日本人現代作曲家の細川俊夫さん(1955年~)の管弦楽作品集第4集が2024年6月28日に発売予定になっています。日本古謡「さくらさくら」(作者不詳)のモチーフを使ったオーケストラのための「さくら」、ヘルマン・ヘッセの詩からインスピレーションを受け、孤独に歩くトランペッターが世界に歌いかけていく情景を描いたトランペット協奏曲「霧のなかで」、ヴァイオリニスト・ヴェロニカ・エーベルレさん(1988年~)の出産祝いのために、ソリストは人、オーケストラはそのソリストを取り囲む自然、宇宙と捉えて作曲したヴァイオリン協奏曲「ゲネシス」(生成)、笙からインスピレーションを受けて楽器が生み出す螺旋状の響きを効果的に用いたオーケストラのための「渦」が収録されていますが、その中からオーケストラのための「さくら」をお聴き下さい。この音盤が欲しくなると思います🌸