大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

新年の挨拶(2021年~その②)

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f:id:bravi:20210128150235g:plain旧暦では「節分」が大晦日、「立春」が正月にあたり、節分(冬)に豆(=魔滅)を蒔いて家から魔(=鬼)を追い払い(アニメ「鬼滅の刃」日本アカデミー賞優秀アニメーション賞を受賞しましたが、(=鬼)をぼすことから節分に豆(=魔滅)を蒔くとも言われていますので、さながら「鬼滅の豆」ということになりましょうか。)、その翌日の立春(春)に門松を依代として家へ歳神様(新しい年の豊作を約束してくれる神様)をお迎えするという風習が営まれてきました。しかし、明治政府の近代化政策によって旧暦(太陰太陽暦)から新暦太陽暦)へと移行したこと(即ち、旧暦の明治5年12月3日が新暦の明治6年1月1日になって暦が約1か月ほど早まり、実際の季節と二十四節気及びそれに伴う風習との間にズレが生じたこと)などで、大晦日(12月31日)に除夜の鐘(音)を聞き、正月(1月1日)に初詣に出掛けて神様へ祈願(言葉)するという風習へ変わり、その結果、大晦日に除夜の鐘で煩悩を払ったはずなのにその翌朝の正月にはその煩悩を叶えて欲しいと神様をお賽銭で買収してみたり、未だ春の気配すら感じられない真冬に新春を寿ぐという不思議な光景が繰り返されるようになりました。これこそ近代日本の知性・夏目漱石が看破した「皮相上滑りの開花」の成れの果ての1事例と言えるかもしれません。「立春」こそ、春の気配から歳神様の存在を感じ、心から新春を寿ぎたい気持ちになる季節です。
 
牛嶋神社に続き、今年、僕が煩悩を叶えるためにお賽銭で買収した神様達
布多天神社(東京都調布市調布ケ丘1丁目8−1
下石原八幡神社東京都調布市富士見町2丁目1−11
江北氷川神社東京都足立区江北2丁目43−8
布多天神社調布市名誉市民で漫画家の水木しげるさんの命日である11月30日を「ゲゲゲ忌」として特別に鬼太郎御朱印状が授与されています。なお、来年は水木しげるさんの生誕100周年ですが、これを記念して映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が制作、公開される予定になっています。 布多天神社/御祭神は菅原道真公ですが、その神使である臥牛(撫で牛)が境内に祀られています。 布多天神社/アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」では、神社の裏手にある鎮守の森に鬼太郎が棲んでいる設定になっています。近くの調布市深大寺では、毎年、鬼(妖怪)が人間に豆をまく「鬼太郎豆まき」が行われていますが、人間中心主義ではなく自然尊重主義の立場からすると人間こそ豆をまかれるべきだという帰結になっても不思議ではなく「慎み」の気持ちを呼び覚ましてくれます。 布多天神社アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」(オープニングに布多天神社が登場)は、当初、アニメ「墓場鬼太郎」というタイトルでしたが、そのタイトルとなった墓地のモデルになったのが布多天神社の裏手にある大正寺の墓地です。後方に見える建物は桐朋音大調布キャンパスで、その近所にあるベーカリー&カフェ「FanFare」(店名は桐朋音大へのオマージュ?)の「妖怪焼き」が有名です。
下石原八幡神社/布多天神社の近所にあり、江戸城を築城した大田道灌の子孫が創建した由緒ある神社です。 下石原八幡神社/アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」では、下石原八幡神社の軒下に猫娘が棲んでいる設定になっています。 江北氷川神社/毎年、御朱印状には宮司さん(全国でも数少ない女性の宮司さん)によって新たに詠まれた短歌が書き添えられています。 江北氷川神社/神社では色々な種類のお守りが授与されていますが、その中でもオーケストラ部に所属する女子高生の願いで作られた演奏がうまくなる「音楽守り」が非常にご利益があると話題になっています。
 
f:id:bravi:20210129003531j:plainさて、日本では、除夜の鐘に代表される寺院の鐘の音は仏様の声を象徴するもので、その音を聞く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳がある神聖なものと考えられています。この点、欧米でも、教会の鐘の音は神様の声、人々の祈りや人間の生命を象徴し、悪魔を支配するものとして神聖視されており、かつて教会で年越しに鐘を鳴らす風習があったことからタイムズスクエアのカウントダウンなど新年を祝うイベントのことを「Ring in the new year」と呼んでいます。このように特別な意味を持つ鐘の音は音楽に使用される例も多く、ベルリオーズの「幻想交響曲」第5楽章「魔女の夜宴の夢」では、グレゴリオ聖歌「怒りの日」のモチーフが演奏される部分で弔鐘が印象的に鳴らされますが(Time47:17~)、洋の東西を問わず、弔鐘を含む鐘の音から共通又は類似するイメージ(心象表現的な効果)を感じることがあり、人間には同じ種類の音を聞くと同じようなイメージ(象徴的な意味)を想起する知覚パターンのようなもの(以前のブログ記事で「色のイメージ効果」に関して若干触れた「共感覚」と似たようなもの)があるのかもしれません。しかし、同じようなイメージ(象徴的な意味)を想起する鐘の音でも日本語では「ゴーン」や「カラン・カラン」、英語では「bong」(バン)や「ding dong」(ディング・ドング)と表記します。このような相違は各々の言語特性(例えば、日本語は長音があり、英語は母音が複雑など)から生じる聞き取り能力の違いによるものと言われており、日頃、どのような音を聞き慣れているのかということが聞き取り易い音と聞き取り難い音の差を生んでいます。また、例えば、鶯の鳴き声は日本語で「ホーホケキョ」、英語で「warble」(ワーブル)と表記しますが、自然音を右脳(音楽脳)で聞く欧米人と異なり自然音を左脳(言語脳)で聞く日本人は鶯の鳴き声を音ではなく言葉として「法、法華経」(ホーホケキョ)と認識しており(タモリ倶楽部空耳アワー)、脳の聴覚機能の働きの違いが同じ音でもどのように認識されるのかという差を生んでいます。
 
▼音がどのように認識されているのか(日本語と英語の対比) 
擬声語
(聴覚)
日本語 英語
鐘の音 ゴーン
カランカラン
bong(バン)
ding dong(ディングドング)
鈴の音 チリンチリン tinkle (ティンクル)
雷の音 ゴロゴロ rumble (ランブル)
時計の音 カチカチ ticktack (ティックタック)
拍手の音 パチパチ clap (クラップ)
牛の鳴き声 モー moo (ムー)
豚の鳴き声 ブーブー oink (オインク)
馬の鳴き声 ヒヒーン neigh (ネイ)
犬の鳴き声 キャンキャン yap (ヤップ)
猫の鳴き声 ニャー meow (ミァウ)
擬態語
(聴覚以外の感覚)
日本語 英語
なめらか(触覚) スベスベ smooth(スムース)
かがやき(視覚) キラキラ twinkle (トゥウィンクル)
かいてん(視覚) クルクル twirl (トゥワール)
 
f:id:bravi:20210129210900p:plain以前のブログ記事擬声語に関して若干触れましたが、日本語には擬声語及び擬態語(オノマトペ)が12000種類も存在すると言われています。これに対し、英語にはオノマトペが3000種類程度しかありませんが(上表の例)、これは英語が日本語と比べて動詞の語彙数が豊富でそれぞれの動詞にオノマトペの語感が含まれているため、動詞とは別にオノマトペを使用する必要がなかったためではないかと言われています。一方、日本語は動詞の語彙数が少なくオノマトペで表現を補う必要があったため、非常に多くのオノマトペが生み出されることになりました。とりわけ日本のマンガにはオノマトペが非常に多く使用されており、しかもオノマトペが単に言葉として使用されているだけではなくそのイメージ(象徴的な意味)を生き生きと描写するためのデザインとして作画の一部に組み込まれています。このため、日本のマンガを外国語へ翻訳するにあたってはオノマトペのイメージ(象徴的な意味)が外国人に伝わるようにどのような言葉に翻訳するのが良いのかという問題に加えて、その視覚的な効果を損なわないようにどのようなデザイン(書体や装飾等)で作画に組み込むのが良いのかという難しい課題があるようです。このように日本の「MANGA」を通して外国人にも日本語のオノマトペや新しく作られた外国語のオノマトペが浸透し、外国人も様々なものを「音」(例えば、矢が飛ぶ音は「Hyu-ru-ru-ru-ru」(ひゅるるるる)など)として捉え、表現できるようになってきたと言われています。この点、外国人の間でも非常に人気があると言われる日本のMANGA 「OnePiece」の英訳版(試し読み)を見ると、日本語のオノマトペが原作の作風を損なうことなくどのように効果的に英語へ翻訳され、デザイン化されているのか分かります。
  
オノマトペの多様なモチーフ(フィグール)
種類 オノマトペ
(言葉の配列)
イメージ
(象徴的な意味)
疲れ へとへと ほぼ限界に達し、これ以上動くことができないほど疲れている状態
くたくた 多少休めばまた動けるようになる程度に疲れている状態
酔い ぐでんぐでん 正体がなくなるほど酔っている状態
べろんべろん ろれつが回らないほど酔っている状態
気質 ねちねち しつこく嫌味っぽい小言を言う様子
くどくど いつまでも同じ小言を​繰り返して言う様子
湿感 じとじと 粘りつくように感じられるほど湿り気を帯びた状態
じめじめ 粘りつくほどではないが、湿気、水分などの多い状態
あっさり まだ味が濃くなる前の段階で浅い味
さっぱり くどさやしつこくさがなく爽やかな味
蝕感 すべすべ 触れた感じが滑らかな状態(ex.新しい石鹸、赤ちゃんの肌)
つるつる 見た感じが光沢があって滑らかな状態(ex.濡れた石鹸、おじいちゃんの禿)
 
f:id:bravi:20210203201728j:plainオノマトペのうち、擬声語は人間、自然や物が発する「音」(聴覚)を言葉で模倣したものなので、母語の言語特性から生じる聞き取り能力の違い等から生じる表現の差は生まれますが、基本的に「音」と「言葉の発音」との類似性からどのような表現が適当なのか定まります。擬態語は人間、自然や物の感情、状態や運動など「音以外のもの」(聴覚以外の感覚)を言葉で模倣したものなので、一定の感情、状態や運動等を想起させる「イメージ(象徴的な意味)」と「言葉の配列」を紐付けて表現するという意味では、宛ら一定の思想や感情等を想起させる「イメージ(象徴的な意味)」と「音符の配列」(音型)を紐付けて表現する音楽のモチーフと類似しています。また、オノマトペは4文字(仮名)で構成されているものが多いですが、日本語は仮名1文字を1拍として2拍づつまとめて発音し、字余りの文字は1拍で発音する「日本語のリズム」が存在し(例えば、「せん/せい」「ご/はん」など)、1つの単語が3拍又は4拍で構成されている言葉が多いことが関係しています。例えば、英語のメールアドレスを「メアド」、コラボレーションを「コラボ」、デジタルカメラを「デジカメ」、プレゼンテーションを「プレゼン」など3拍又は4拍に短縮し、日本語の携帯電話を「ケータイ」と4拍に省略して発音する傾向があるのも、そのためです。これと同じようなことは「三々九度」(3拍+3拍+3拍)、「三三七拍子」(3拍+3拍+4拍+3拍)や「和歌(七五調)」(平兼盛の和歌(拾遺集)「しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」は5音=4拍+1拍、7音=3拍+4拍のリズムで構成)などの日本文化の中にも見られます。さらに、日本語の母音は、発音の仕組みから「あ」「お」>「え」>「う」>「い」の順に音が小さくなり、それに伴って言葉から受けるイメージも威嚇的なものから従順的なものへと変化すると言われています。加えて、日本語(仮名)には、濁点が付く「阻害音」(濁音:ざ、だ、ば、ぱ)と濁点が付かない「共鳴音」(清音:な、ま、や、ら、わ、等)に分類され、これらの文字の組み合わせ方によって言葉から受けるイメージが異なってきます。一般的に、阻害音から受けるイメージは大きい、重い、強いなどで、男性や悪役の名前等に好んで使われる傾向があります。一方、共鳴音から受けるイメージは小さい、軽い、弱いなどで、女性の名前等に好んで使われる傾向があります。例えば、コロコロ/ゴロゴロやトントン/ドンドンではいずれも濁音がある後者が重く感じられます。そのうえ、同じ言葉でもアクセントの位置によって言葉のイメージではなく意味そのものが変わるものがあり、例えば、日本語の箸(し)/橋(は)/端(は)、意思(し)/医師(し)/石(い)、雨(め)/飴(あ)、着る(き)/切る(る)や、英語の「バッテリー(battery)」(電池)/「バッテリー(battery)」(投手及び捕手)、「ドライバー(driver)」(ねじまわし)/「ドライバー(driver)」(運転手)などがあります。言葉は、音楽と同様に、そのイメージや意味を伝えるにあたって、リズム、音色や強弱(アクセント)等が重要な働きをしています。 
 
▼名前に使用されている文字から見る女性の肉食(怪獣)化傾向
  男性 女性 ウルトラマン
の怪獣
2011y 2016y 2011y 2016y
阻害音 あり 64.4% 67.0% 32.7% 44.4% 73.0%
なし 35.6% 33.0% 67.3% 55.6% 27.0%
共鳴音
 
f:id:bravi:20210203204644j:plainシューベルト研究で知られるドイツの音楽学者、故・Walther Duerr(故・ヴァルター・デュル)さんが声楽における言語と音楽の関係を分析している専門書「Sprache und Musik: Geschichte - Gattungen - Analysemodelle」を東京音大教授の村田千尋さんが日本語に翻訳した「声楽曲の作曲原理~言語と音楽の関係をさぐる~」という本が出版されています。プロアマを問わず声楽志向の方は一度は手にしたことがある本ではないかと思いますが、単なる愛好家でしかない僕には非常に難しい内容で殆ど理解できていませんので(苦笑)、正直に言って消化不良やミスリードしている部分が多くかなり腰が引けているのですが、上述の内容と関係がありそうな部分に限ってほんの触りだけご紹介します。詳しい内容や具体的な楽曲分析(アナリーゼ)等は上記の原書又は訳書をお読み下さい。先ず、声楽とは、音楽が言葉と結びついて言葉を読み上げる行為であるとその基本的な性格を明らかにしたうえで、下表のとおり言葉と音楽を音楽層と意味層に分け(下表では現代音楽など最近の音楽シーンを踏まえて映像も追加)、それらの関係性のなかでどこに重点を置きながらどのような方法で声楽曲が作曲されているのかを分析的に明らかにしています。
 
舞台芸術の表現手法の多様化とその基本要素(パフォーマンス等を除く)
素材 音楽層 意味層 視覚層
言葉 発音 語義 書体
(カリグラフィー等)
音楽 発声 動機 楽譜
(図形楽譜等)
映像 共感覚 ビジュアル・アート
(グラフィック等)
 
f:id:bravi:20210203205621p:plain声楽曲の作曲パターンは、大きく以下のとおり分類することができますが、そのなかで最も多いと思われる以下②の作曲パターンについて、言葉の発音(音楽層)を音楽の音響構造の中に反映させる方法(言葉で「音」を表現する擬声語と類似)や、言葉のイメージ(意味層、一定の思想や感情等を想起させる抽象的な意味)と音楽の配列(音型、フィグール)を紐付けする方法(言葉で「音以外のもの」を表現する擬態語と類似)などが典型的なものとして紹介されています。例えば、ラメントバス(半音階的に4度下降する音型)は「嘆き」「苦悩」「死」等のイメージ(象徴的な意味)と紐付けられ、また、シューベルトの歌曲「さすらい人」【譜例1】や歌曲「死と乙女」【譜例2】のダクテュルス・リズム(「タン・タ・タ」)は「旅」「死」等のイメージ(象徴的な意味)と紐付けされています。このほか、言葉に対応した調(基本感情の設定)と楽曲全体の情緒を踏まえた旋法(転調による基本感情の変更、アフェクト)の選択、テンポ(ゆっくり=悲しい、速い=楽しいなど)、音楽的アクセント(アクセントのある音節は長い音、アクセントのない音節は短い音など)や和声(短3度=悲しい、長3度=楽しいなど)の効果的な活用などによって作曲家による言葉の意味解釈を音楽的に表現することが試みられており、これらも具体的な楽曲分析(アナリーゼ)等を通して紹介されています。
 
「言葉」に合わせて「音楽」が添えられるパターン
あまり音楽を意識せずに言葉を朗誦する(民謡など)
(作家の意図>作曲家の意図)
音楽効果により言葉に意味解釈を施しながら朗誦する
(作家の意図<作曲家の意図)
「音楽」に合わせて「言葉」が添えられるパターン
音楽に従って言葉を朗誦する(レチタティーボ
(作家の意図=作曲家の意図)
音楽に従って言葉を新しく創作する(=曲先≠詞先)
(作家の意図<作曲家の意図)
サリエリの歌劇「はじめは音楽、次に言葉」
言葉は独自性を失って音楽そのものになる(音声作曲法など)
(作家の意図<作曲家の意図)
モシ族(無文字文化)の音楽的会話
 
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f:id:bravi:20210203203801j:plain声楽曲は、作家(詩人など)や作曲家だけではなく、声楽家にも主体的な役割が求められますが、この点について、マーラーは「聡明な歌手は、言葉から音を手繰り寄せて創り出そうとすることで、誰にでも伝わる内容と魂を音に吹き込むことができるものだ。そうでない歌手は、言葉をアーティキュレーション(音楽的な息遣い)もなく響きとして発声するだけで、言葉を省みようとせず、表面的に音に沿おうとするだけなので、音に何の意味や重みも込めようとはしない。ただメロディーに沿って歌うだけなので、聴衆は言葉や詩を理解できず、何の興味も示さなくなる。そういう人は、おそらく上手いヴァイオリン弾きになれたとしても、本物の歌手や俳優にはなれない。」と語っています。声楽家は、単に言葉の正しい発音や発声を心掛けるだけでは足りてず、作品(そこに込められている作家(詩人等)及び作曲家の想いを含む。)に対する深い理解と共感がなければ、それらを聴衆へ伝えることは儘なりません。但し、声楽は音楽が言葉と結び付いて言葉を読み上げる行為である以上、言葉の正しい発音や発声がなければ(例えば、ドイツ語は日本語と比べて母音の種類が多くその発音や発声が複雑なので、日本人によるドイツ語の正しい発音や発声は困難を伴うなど)、声楽曲の本質的な構成要素である言葉の正しい発音や発声(響き)、音楽的な特性を再現することは叶いません。とりわけクラシック音楽は聖書の言葉(ロゴス)を音楽に乗せて伝えるために生まれたという歴史的な沿革があることに加えて、東アジアの言葉(日本語を含む)は「形」で意味を伝える表意文字が中心である(よって「書」が重視される)のに対してそれ以外の地域の言語(英語やドイツ語を含む)は「音」で意味を伝える表音文字である(よって「歌」が重視される)という言葉の基本的な性格の違いがありますので、声楽(クラシック音楽)では言葉が正しく伝わるように発声することが特に重要視される傾向が強いと言えます。この点、メトロポリタン歌劇場(MET)では若手の音楽家を育成するためのヤングアーティスト育成プログラムを実施していますが、言葉の正しい発音や発声は音色、音程やフレージング等を改善し、声楽曲の質的な向上につながるという考え方のもと「ディクション」(言葉の発音法等)のレッスンが重視されており、METの本公演でも言語の専門家が本番直前までプロの歌手の発音を徹底的に指導するそうです。器楽と異なり、国際的に通用する日本人の声楽家が育ち難いのは、このような事情(言語特性の相違から生じる外国語の正しい発音の困難さなど)にも原因があるのではないかと、豆を食べながらつらつらと考えていています。
 
 
◆おまけ
サリエリ作曲の歌劇「はじめに音楽、次に言葉」(サンプル視聴)を<Con>ニコラス・アーノンクール、<Orc>ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、<Bar>トーマス・ハンプソン、<Bas>ロバート・ヘイル、<Sop>ロベルタ・アレクサンダー、<Mez>ジュリア・ハマリの演奏でお楽しみ下さい(アーノンクールは同曲を2度録音していますが、個人的には老練精巧な2002年録音盤よりも清廉闊達な1986年録音盤を推薦)。ヨーゼフ2世がイタリア・オペラとドイツ・オペラを競わせるためにサリエリモーツアルトにオペラの作曲を依頼し、同じ日に同じ会場でサリエリ作曲の歌劇「はじめに音楽、次に言葉」とモーツァルト作曲の歌劇「劇場支配人」が競演されました。【あらすじ】伯爵から4日間でオペラを完成させるように命じられた作曲家が、既に音楽は完成しているのでその音楽に合う台本を書くように作家へ依頼することから展開される喜劇(オペラ・ブッフォ)。
 
モーツァルトの歌劇「劇場支配人」序曲(サンプル視聴)を<Con>ニコラス・アーノンクール、<Orc>ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でお楽しみ下さい。映画「アマデウス」サリエリによるモーツァルト毒殺説をベースに作られていますが、最近の研究でもサリエリモーツアルトを毒殺した可能性はないと考えられており、サリエリは映画「アマデウス」によってとんでもない濡れ衣を着せられたばかりか、それに伴ってサリエリの作品まで不当に低く評価されてしまっている現状は非常に残念でなりません(推薦図書)。
 
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を<Pf>エフゲニー・キーシン、<Con>チョン・ミュンフン、<Orc>フランス放送フィルハーモニー管弦楽団でお楽しみ下さい。第1楽章冒頭の和音の連打によって荘厳に打ち鳴らされるロシア正教会の鐘の響き(鐘のモチーフ)が実に印象深いです。
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