ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)Copyright (C) 2007-2019 Administrator All Rights Reserved.

映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」(原題:Chronik der Anna Magdalena Bach)


2015/3/31撮影、弘法寺の伏姫桜(千葉県市川市)デスクトップのパソコンを使ってこの画像をクリックし「オリジナルサイズを表示」を選択してご覧下さい。


左上から、1枚目:弘法寺の点描桜。2枚目:弘法寺で調香した伏姫桜香。ヨーロッパのアロマテラピーは「療法」として発達しましたが、源氏物語第三十二帖梅枝に出て来る“薫物合せ”でも知られているとおり日本の香道は「芸道」として発達してきました。お茶も同様でイタリアの航海旅行記集成に記されているとおりヨーロッパの紅茶は「薬」として普及しましたから、やはり「芸道」として発達してきた日本の茶道とは随分と趣を異にしています。ヨーロッパでは香や茶の即物的な面が重視されて実用のものとして重用されてきたようですが、日本では香や茶が貴族等の知識階級の日常的な遊戯から一定の作法に従って精神的な面を重視した芸道(仏法を込めた茶道、文学に仮託した香道など)へと昇華してきた文化的・社会的な背景の違いがあると思います。三島由紀夫の言葉を借りれば、日本文化は「行動様式自体を芸術作品化する特殊な伝統」を持つ“フォルムの文化”を特徴し、単なる“もの”ではなく、その洗練されたフォルム(能楽、歌舞伎や日本舞踊の“型”に象徴される行動様式又はその行動の連続が生み出す空間芸術)に様式美を見い出す傾向があります。そのため、各芸道の諸道具や陶芸、書画等の美術品もその即物的な価値にも増して、それらをどのように組み合わせて配置するのかという「置き合わせ」(建築空間と相俟って、それらの組合せが生み出す空間芸術)が重視されます。因みに、ヨーロッパではキリスト教会が入浴を快楽の象徴として忌避していたのでシャワーが発明される19世紀までは入浴の習慣がなく肉食で体臭も強かったことから香水が発達したと言われていますが(マリー・アントワネットは月に1回しか入浴せず香水で体臭を誤魔化していた話は有名)、ヨーロッパ人は他人と挨拶するときに頬を合わせる習慣があるので、自分の体臭を誤魔化すために相手の鼻が近づく耳たぶに香水をつける習慣が始まったそうです。3枚目:万葉集に数多くの和歌が詠まれた絶世の美女手児奈が毎日のように水汲みをしていたと言われる亀井院の井戸(真間井)と桜。京の都までその噂が伝わるほどの絶世の美女であった手児奈は数多くの男性から求愛され、その恋争いに心を痛めて真間の入江に身を投げてしまいますが、桜花のように美しくも儚く散ってしまった絶世の美女手児奈の悲恋が偲ばれます。4枚目:亀井院に寄宿していたことがある北原白秋手児奈について詠んだ和歌の歌碑「葛飾の 真間の手児奈が 跡どころ その水の辺の うきぐさの花」。
左下から、1〜3枚目:墨染桜(千葉県東金市)。桜花のように儚く散った深草少将の小野小町を恋慕う想いと、その儚い想いを小野小町の縁の地で花咲かせる西行法師の追慕の情が美しく香っているかのようです。4枚目:今年、没後400年を迎えた徳川家康が鷹狩りの際に宿泊した東金御殿があった八鶴湖の桜と国登録有形文化財八鶴停

【題名】映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」(原題:Chronik der Anna Magdalena Bach)
【監督】ジャン=マリー・ストローブ
    ダニエル・ユイレ
【脚本】マリー・ストローブ
    ダニエル・ユイレ
【出演】<ヨハン・セバスチャン・バッハグスタフ・レオンハルト
    <アンナ・マクダレーナ・バッハ>クリスチアーネ・ラング・ドレヴァンツ  ほか
【音楽】レオ・レオニウス
【公開】1968年
【感想】ネタバレ注意!
昔から“梅は百花の魁”と言われ、春を告げる花として数多くの和歌に詠まれ愛でられてきましたが(万葉集の時代では“花”と言えば「梅」を意味しましたが、古今集の時代になると“花”と言えば「桜」を意味するようになりました)、今日は江戸時代から梅の名所として知られる湯島天神(東京都文京区)と観福寺(千葉県佐原市)へ梅見に行ってきました。ご案内のとおり、湯島天神には天神様(菅原道真公)が祀られていますが、菅原道真公がこよなく梅を愛したことから各地の天神様を祀る神社の神紋には「梅紋」が使われ、湯島天神の神紋も梅紋をあしらった「梅鉢紋」(左の画)が使われています。

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(菅原道真



左上から、1枚目:湯島天神の神紋「梅鉢紋」と今を盛りと香り立つ淡紅梅(梅の種類は豊後?紋造?)、2枚目:湯島天神境内に建つ「泉鏡花筆塚」(碑は墨、池石は硯をデザイン?)と“湯島の白梅”、3枚目:湯島天神境内に建つ「講談高座発祥の地」の碑。江戸時代の庶民文化である「講談」は町の辻々に立つ辻講釈や粗末な小屋で聴衆と同じ高さの席で演じられていましたが、1804年に湯島天満宮境内を講釈場(寄席の起源)としていた講談師の伊東燕晋が徳川家康公(今年は没後400年)の偉業を語るにあたって庶民と同じ高さの席では恐れ多いと高さ三尺一間四面の一段高い席を設置したことが「高座」の始まりと言われています。なお、西洋の舞台芸術は貴族文化として発展したことから王侯貴族の席よりも低い位置に舞台が設置され、その舞台を王侯貴族が見下ろすように設計されましたが、日本の舞台芸術は庶民の祭事(神事)として発展したことから神に奉納する歌舞音曲を演じる舞台は一段と高いところに設置され、その舞台を庶民が見上げるように設計されました。4枚目:寄席発祥の地碑(下谷神社/東京都台東区)と正岡子規の句碑。1798年に初代三笑亭可楽が下谷神社境内において初めて木戸銭をとって噺の会を催したのが寄席の始まりと言われています。因みに、この碑に刻まれている“寄席発祥之地”は柳家小さん師匠の文字です。また、その横には「寄席はねて 上野の鐘の 夜長哉」という正岡子規の句碑も建てられています。
左下から、1枚目:講談発祥記念之碑(薬研堀不動院/東京都江東区)。落語の会話芸に対して講談は物語芸と言われますが、日本の話芸の中でも500年と最も古い歴史を持ち、「講釈師、見てきたような嘘をつき」と持て囃されるほど迫真の語りが魅力です。2枚目:順天堂発祥之地碑(講談発祥記念之碑の横)。順天堂の創始者である佐藤泰然は薬研堀不動院(東京都江東区)に蘭方医学塾「和田塾」を創始し、その後、千葉県佐倉市医学塾「順天堂」として移設し、更に、現在の湯島・本郷へと移転しています。3〜4枚目:観福寺(千葉県佐原市)の紅梅と見事な垂れ梅。観福寺は伊能忠敬菩提寺で境内には伊能忠敬の墓があります。

一般に“梅は香、桜は花”と言いますが、春の到来を告げる梅は香りだけではなく、殺風景であった冬景色に彩りを添える“色”としても親しまれています。“梅”と名の付く日本の伝統色を想い着く侭にざっと挙げてみても(下表)、これだけの種類の色名を並べることができます。これは古の日本人が梅の木の種類、梅の木が植えられている場所、梅を鑑賞する時季や天候など諸条件によってその時々に移ろう微妙な色調や美しさを鋭敏に感じ取る繊細な感受性を持っていたことを示すものだと思います。以前のブログ記事にも書きましたが、例えば、雲の名前、雨の名前、風の名前、波の名前など古の日本人は自然の微妙な表情の変化や多彩な美しさの移ろいを感じ取るための実に繊細な感受性とその違いを認識し表現するための豊かな言葉(即ち、精神的な営み)を持っていたと思います。この背景として、農耕民族である日本人は昔から作物を育む大地の恵みに感謝し、万物を育む自然を畏敬の対象として捉え崇拝してきた歴史があり(自然に仏性や神性を求める“山川草木悉皆成仏”や“八百万の神”等の思想に帰結)、生活の中に自然を採り入れて自然と調和して行こうとする態度があったからこそ、自然をつぶさに観察しその表情の違いを鋭敏に感じ取る感受性(それを表現し伝えるための言葉)が育まれてきたのだろうと思います。このことは、例えば、自然の音を模倣するために敢えて音程が不安定になるように作られた楽器(尺八など)や自然との調和によって生み出される精妙なリズム(間)によって奏でられる音楽(邦楽など)、自然の精妙な色調を模倣した日本の伝統色など日本人の一元論的世界観がその文化に色濃く影響を与えていることに端的に表れていると思いますし、また、日本人が世界で最も優れた色彩感覚(微妙な色調を分析し見分ける能力)を持っていると言われる由縁でもあると思います。万葉集の歌に「言霊の幸わう国」(5巻894番)という一節がありますが、日本では言葉に霊力が宿り、めでたい言葉を口にすると幸せが訪れる(即ち、“言祝ぐ”、“寿ぐ”)という考え方が古くからありますが、古の日本人は豊かな言葉を持つことは豊かな感受性を育み、人間を幸福にする作用があるという知恵を持ち、それを実践していたと言えるかもしれません。なお、狩猟民族は獲物を与えてくれる天(太陽)の恵みに感謝し、天(太陽)から与えられた自然を支配の対象として捉えてきた歴史があり(天(太陽)に神性を求める唯一絶対神の思想に帰結)、自然を支配して行こうとする態度があるように思われます。このことは、例えば、人間が支配し易いように音程やリズムの長さを人工的に等分する平均律メトロノーム、人間が配合し易いように色を定量的に表す色素表など、西洋人の二元論的世界観が日本とは全く異なる文化を生み出したように考えられます。

◆“梅”の名の付く日本の伝統色


色調
色名赤梅紅梅色蕾紅梅薄紅梅一重梅梅重栗梅茶栗梅黒梅
色調
色名白梅薄梅鼠白梅鼠灰梅梅鼠梅染楊梅色梅幸梅紫
なお、日本の伝統色と言えば、江戸時代には奢侈禁止令によって贅沢が禁じられ庶民が身に着けられる着物の色、柄や生地まで細かく制約が設けられていましたが(七代目市川團十郎は贅沢な私生活が奢侈禁止令に抵触するとして成田山新勝寺に蟄居を命じられました)、そのような中でもお洒落な庶民のニーズに応えるために微妙な色調を工夫することによって“粋”で洗練されたカラーバリエーション「四十八茶百鼠」が開発され流行しました。とりわけ歌舞伎役者が愛用して人気を博した色のことを「役者色」(下表)と呼び、その役者のイメージカラーとして現在にも受け継がれています。

團十郎

◆“歌舞伎役者”の名の付く日本の伝統色(歌舞伎の役者色)

色調
色名路考茶梅幸岩井茶璃寛茶市紅茶芝翫團十郎高麗納戸
役者二代目
瀬川菊之丞
初代
尾上菊五郎
五代目
岩井半四郎
二代目
嵐吉三郎
五代目
市川団蔵
三代目
中村歌右衛門
五代目
市川團十郎
四代目
松本幸四郎
  ※ “Firefox”や“IE”以外のブラウザでは歌舞伎の役者色が正しく表示されないことがあります。

昔から心理学では色のイメージ効果について注目されていますが、色が何らかのイメージを伝える例として、新生児を示して「赤ちゃん」(赤ちゃんが出生後に最初に認識できる色が人間にとって危険を表す血の色と言われ、新生児がその色に最も良く反応するからと言われています。ベビー服に赤色が多いのもそれが理由。)、若い女性の甲高い声を示して「黄色い声」(古代中国の経典では読経の音程の高低を示すために色が用いられ、黄色は一番高い音程を意味したと言われていますので、日本人と中国人との間では「黄」という色調に関する共感覚が存在するのかもしれません。)や、哀愁を帯びた音楽を示して「青い音楽」(英語の“blue”には「憂鬱」という意味があり“Blue Monday”という使われ方をしますので、日本人と英米人との間では「青」という色調に関する共感覚が存在するのかもしれません。)などの沢山の用例が挙げられます(こうして見ると、信号機の“青”−“黄”−“赤”は色のイメージ効果の観点から最も効果的な配色と言えるかもしれません。)。これは、赤ちゃんの頃は脳が未発達なので視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚の各感覚が未分化な知覚(共感覚)としてしか認識できず、脳が発達するにつれて徐々に知覚が明確に分化されて共感覚は失われて行きますが、大人に成長した後も赤ちゃんの頃の未分化な知覚(共感覚)がイメージとして脳に残されることにより色のイメージ効果が生じるのではないかと言われています。なお、脳が発達する過程において知覚の分化に変異が生じ(即ち、成長しても、ある知覚を司る脳の機能が他の知覚を司る脳の機能と明確に分化せずに、その一部が未分化のままの状態となる結果)、単なる“イメージ”としてではなく“知覚”としての共感覚が残される人もいるらしく、例えば、絶対音感を持つ人の中には音を聞くと、イメージではなく知覚として実際に色を認識する「色聴」の人の割合が多いと言われています。例えば、ピアニストのエレーヌ・グリモーはアメリカ公共放送(PBS)のインタビューの中で「ある音や数字に色調を感じる」と答えています。また、作曲家のフランツ・リストはオーケストラの指揮を行ったときに「ここは紫で」など音を色で表現して指示したので楽団員を困らせたというエピソードが残されています。さらに、ニコライ・リムスキー=コルサコフアレクサンドル・スクリャービン(今年は没後100年)は音階と色との対応付けを行ってお互いに議論したというエピソードが残されていますので、音楽家の間では「音色」や「色彩感のある音楽」を感じるときのメタファーとは異なった知覚としての共感覚を持つ人が多いのかもしれません。

さて、そろそろ本題に戻りたいと思います。かなり昔に公開された映画になりますが、その感想を簡単に残しておきたいと思います。


現在、執筆中。

◆おまけ
今年、没後100年を迎えたスクリャービンのピアノ協奏曲嬰ヘ短調より第2楽章(一部の携帯端末では再生できません。)

ピアノ独奏エレーヌ・グリモーによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調より第2楽章

ピアノ独奏エレーヌ・グリモーによるラヴェルのピアノ協奏曲ト短調より第2楽章